大腸がん(発症時:66歳) 収録時:70歳 男性 総時間:14'34" |
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目次
00'03" がんとわかったきっかけ
01'06" がんと知った時の気持ち
03'45" 支えとなったもの
06'31" 治療(手術や入院)について
07'46" 職場や周囲の人との関わり
09'32" がんを体験したからこそ伝えたい思い~メッセージ~
14'04" 患者会、リレー・フォー・ライフ
00'03" がんとわかったきっかけ
――どういうきっかけで医療機関を受診したかお話いただけますか?
かかりつけの医者がおりまして。検診を受けた結果を持って来い、というふうに毎年言われていて、2年程出していなかった。で、持って行って。急に「これは大変だ」と。「今日中に検査しなきゃいけない」ということを言い出して。検査を受けることになったんです。
――精密検査の結果というのは?
「間違いなく、がんです」と。しかも、かなり進行していると。だから、すぐに手術その他の手当てをしなきゃいけない、という、そういうお話を最初からもう、言われました。
――ご自身では自覚症状はなかった、ということですか?
あったんです。お腹が痛いとか、調子が悪くて、朝までトイレに居座って、脂汗を流して過ごした、っていうことが何回かあって。ですけど、まさか、がんだとは全く想像もしなかったです。
01'06" がんと知った時の気持ち
――がんというふうに診断された時の、ご自身のお気持ちというのは?
まあ、頭が真っ白になる、というか「どういうふうにこれからなるんだろう」という、表現しがたいような、不安な思いは、急に襲ってきましたね。
まず、大きながんで、上手く手術が成功して、この先ずっと生きていけるのか、今までと同じような社会との関りができるのか、家族に対する責任が果たせるのか、全く予測できない状態でしたので、たくさん考えなきゃいけない、大変なことになった、という、そういう思いが非常に強かったです。
――その時、職業はまだ続けられていたんですか?
大学で教えておりました。
――職場、ご家族の方の反応というのはいかがでございましたでしょうか?
3月に入院、ということにしていただいたんで、ちょうど冬休みの時期で、講義がない期間だったんですね。学生達に迷惑を掛けることはそんなにないな、と。ただ、行事は沢山あるわけですよ、卒業式だとか、入学式だとか。その他新年度の準備、さまざまあります。ですから、学科長とか学部長に事情をお話をして、どういうふうにしたらいいのか、ということを相談し、それから、事務方に、がんになって、この先1か月以上、戦線から離脱するというか、勤務できない状態になるということについての報告をして、さまざまな指示を仰ぎたいと、お願いしたわけです。
家族に対しては、もう正直に、率直に話すしかない。なるべく不安を大きく家族が持たないように、注意しながらも状況を共有することが一番、もう、そのまま全てお話をして、そして、正確な知識を家族は家族でそれぞれ調べるなり、なんなりして、持って欲しい、と。で、僕の知ったことは、全部伝える、というやり方を取りました。
非常にびっくりしているわけですけど、努めて冷静に受け止めようという雰囲気が明らかに伺われて、それは大変ありがたかったですね。
03'45" 支えとなったもの
――そうした中で、大きな支えとなったのはどういうものでしょうか?
僕はまだまだ、社会との関りにおいてやりたい事がいっぱいあって、そのためには「僕は、がんから、また社会に復帰するということは、絶対にやらなきゃいけない」と。「やるぞ」という強い気持ちを持っていて、それが一番大きかったと思います。それから、家族に対する義務もですね、不安というのはいろんな形で、沢山襲ってくるんですけど、僕自身が「がんを乗り越える」という強い気持ちを持つことが一番大事だな、というふうに言い聞かせて、そのように対処することにしました。
――不安はおありになったんではと思うんですが?
当然ありますね。大体どれ位かかるかわからないし、しかも、大きな手術だというふうにおっしゃるし、入院も最低でも1か月ということですから、大変お金がかかるんだなあ、というふうに思いました。その時に、手術前に、大学の事務方から、高額療養費の制度をぜひ活用してほしい、という連絡があって。「ああ、そういう制度があるんだ」と。「助かったなあ」というふうに思いたかったんですけど、「戻った分はじゃあ、どういうことになっているんだろう」と考えて、あまり喜べなかったんですよ。よく考えたら、これは、みんなで払ってくれた、ということが、段々と僕の理解の中に明確になってきて、「これは、ありがたいと言って喜んでるばかりではない」と。「沢山の方に迷惑もかけたな」と、強い思いが、反省とともに、僕の無知の高額医療費に対するね、そういった結果として、結構落ち込みましたね。
――高額療養費というのが、事前に多くの人に知ってもらうことによって、ご自身が不安を少し取り去った段階で闘病できる、という感じになるんでしょうね。
がんの、この辛いところはですね、一人ぼっちで考えたり悩んだりしなきゃいけないというところがすごくあって、それはとても大きい不安なんですね。ですので、必要な知識をきっちりと持つことによって、その不安を相当程度、軽減できる、あるいは乗り越えることができるということが間違いないので、正確な知識を多くの方がしっかりと知る機会を持つということが大事だと思います。
06'31" 治療(手術や入院)について
――現在はどういう状況なんでございますか?
今でも定期的に病院で調べていただいたりしています。また、正確ながんに対する知識を持つことと同時に、きっちりと医療機関の先生方とお話をして、納得のいくようなフォローをしていただいていると、今は、思っているので。ともかく知識を持つことですね。知識があるとないとで、10で済む不安が200ぐらいの苦痛になるんですね。
――抗がん剤はお使いになったんですか?
ええ、手術をして、再発予防、あるいは転移をしているかも知れないということで、抗がん剤を入院中からやりました。ちょうど1か月で退院をして、抗がん剤を続けたわけですけど、猛烈な副作用が、やっぱりあるんですね、で、すぐ再入院をして、抗がん剤の投与の中身を変えるとか、量を減らすとか、さまざま工夫をしていただいて、落ち着いた状態で抗がん剤をその後ずっと続けたんです。
07'46" 職場や周囲の人との関わり
――職場復帰はされていらっしゃる?
3月末に退院した時に、もう、すぐ復帰する予定だったんですけど。副作用のためにできなくなって。最終的に復帰したのが4月の20日位だったと思います。副作用というのはその後もありますけど、復帰できた、という気持ちの安堵感の方が強かったです。
――仕事への復帰に不安を感じられている方もたくさんいると思われるんですが。
がんになってもね、仕事を続ける、要するに仕事というのは、言ってみると『社会との関わり』ですね。社会の中に一人で生きているわけじゃなくて、いろんな方達と互いに補完しあって生きているわけですから、その関わりを捨てるということは、ほとんど孤独の世界に入っていくことになりますから、絶対に、仕事を続けるという前提で、いろんな方に相談することが大事だと思います。「辞めない」ということを前提として、工夫するということですね。助けになる方はたくさんいます。
病気になると、聞くこと自体が非常に億劫になるんですね。上手く聞けない、整理をして聞けない。「私、仕事を続けたいんですけど、どうしたらいいでしょうか?」っていう言い方で、聞くということができない人の方が多いんです。職場復帰する時の大きな問題は、同僚に負担をかける、迷惑をかける、だから、私が辞めよう、という選択の人が非常に多いんですよ。だからそこは、待って、一歩待って、考える。病院の、医療相談室、がん相談センター、そこにまず、お話いただくのがいいと思います。その病院にかかっている方じゃなくてもね、お話をすることができますから。
09'32" がんを体験したからこそ伝えたい思い~メッセージ~
――がんを乗り越えたというお気持ちというのは?
完全に乗り越えた、と思っていなくて。医療機関も「乗り越えたよ、もうこれでいいよ」ということは言わないんですね。ずっと付き合っていくつもりなんです。今考えられる最善の治療をしていただいている。で、その治療の先には必ず、乗り越えるというところに行くだろう、という、割と穏やかな気持ちを持てるように、今はなっています。それから、別な所に発生するという可能性もあるんですね。ともかく、今僕は、大腸とかその他のがんの部位とか、検査についても、しっかり受ける、ということです。早く見つかったら、ほとんど助かるというふうに教えていただいています。ですけど、ステージが2になり3になり4になると、どんどんと治る割合が減っていく、逆に言えば苦しい思いをする、最終的には亡くなる、それはもう、早期発見なんですね。
――がんにかかって何か思うところはございますか?
僕は検査を受けて、それによって発見されたんですけど、がんの検査を受けない人の方が圧倒的に多いですね。8割位が受けていない。そして、受ける気持ちもない、という人もいます。そうするとですね、発見された時にはもう、相当進んでいるんですね。助かる方も助からない方も、結果的に多くの人にも、負担を及ぼすということになってしまう。避けられることなのに、多くの方が、受けないで過ごしているというのは大問題で、個人としての辛さとか、それから家族にかけている不安だとか、そういう事を乗り越えるという個人の面と、それがたくさん集まると、社会的な構造に、ものすごくダメージを与える。特にお金の面では。青森県、特にそうなんですけど、検査を受けるとか、早めに処置をすれば助かる人も死んでいる。で、その方は、ご自分にとっても大事な命だし、家族にとっても大事な命なんですけど、職場にとっても、地域全体にとっても、大切な存在なんですね。この状況は、絶対に変えなきゃいけない。青森県では、がん検診を受けることが当たり前の文化だ、と。誰しもがそう思っている、というところまで、県民の意識なり、県民性を変えていく、ということが、これから重要な課題だな、と思っています。
――再検査を言われ、受けない人もいるんですよね?
受けない理由っていろいろあるんですよね。まあ、時間がない、という人もいます。でも多くはね、怖い。怖いんですよ。「いや、俺はならない」って、実に根拠のない自信を持っている人もいるんですね。この自信は、知識がないから自信持っているっていうよりは、非常に裏返しで正面から向き合いたくない、ということですね。がんの現実に。「がんになったのはそれは俺のことだ」と。「俺は死ぬとき、死ぬだけの話」って。でもね、そういう方でも、みんな、がんになるとたくさんの人に負担させるわけです。支える人口がこういう…先細りでしょう。とても、社会も耐えられないですよね。だけど、お金を見つける方法があるんです。検診を受けるっていうのが、本人と家族のためっていうふうに普通思っているけど、検診を受けることが地域社会に対する貢献なんです。なぜか。その人は早く見つかったら、その分だけ少ない医療費で済む。地方自治体が負担しているの。それを減らせるんです。減った分を青森県の健康力を高めるために戦略的に使っていく。検診を受けることの積み重ねが、そういうお金を生んで、青森県全体を変えていくことができる。
だから、がんになった人は、その自分の苦しさから自分を解き放ってくれるのは、将来の世代に「がんに負けない青森県をつくること」に参加することなんだ、と。がんになったことが活かせるんですね。
14'04" 患者会、リレー・フォー・ライフ
――人々の意識ですよね。
『リレー・フォー・ライフ』というのも始めたのも、一人の市民でも、がんのサバイバーになった方、ならない方、誰でもが、がんに負けない社会をつくっていく、ということに参加できる。間違いなくその実感が得られる運動として『リレー・フォー・ライフ』だと思って、今、やっているんです。