乳がん(発症時:50歳)

収録時:59歳

女性

総時間:15'29"

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目次

00'03" がんとわかったきっかけ
01'30" がんと知った時の気持ち 家族への思い、家族の思い
03'36" 治療(手術や入院)について
11'42" 職場や周囲の人との関わり
13'46" がんを体験したからこそ伝えたい思い~メッセージ~


00'03" がんとわかったきっかけ

 

――ご自身のがんを発見された、がんだとわかったきっかけについて教えていただいてもいいですか?

 

もうすぐ50歳を迎えるちょっと前だったんですね。で、毎年マンモは受けていたんですけど、毎年引っかかることはないと言えば変ですけれど、大丈夫だったので、もうあと2、3週間で次のを受けるっていう時だったんですよ。で、何気なくお風呂で触った時にしこりを見つけて、あれ、去年引っかからなかったけどこんなのあったかな、みたいな感じで。

 

――自分でしこりを発見されたということですが?

 

たまたまですね。マンモやってるから大丈夫っていう感じが自分の中にはあるんでしょうね。自分で毎月調べる方がいいですよ、と言われても、マンモで引っかかってないから自分は1年は大丈夫っていう安心感というのがあったから、毎月自分でお風呂に入った時にやるっていうのはなかったんですけど、本当にたまたま自分で、あれっ?、っていうくらい大きかったんでしょうね。
私はすぐ行動する方なので、2、3日も経たなかったかな、もう早く自分の結果を知りたかったっていう感じですね。

 


01'30" がんと知った時の気持ち 家族への思い、家族の思い

 

――診察、そして検査も?

 

そうですね、その日にマンモを撮って、もうその時点で多分先生は悪性だってきっとわかったんでしょうね、すぐ超音波も撮って。その日に入院する日と手術の日をもう決められて。パァーッと言われたから、自分がすごく冷静に、やっぱり悪性だったんだ、と思って。いつ入院していつ手術です、とパァーッと言われてパァーッと聞いて、意外と冷静に聞いたんですよね。でも帰り道が本当にわからなった。どうやって帰ってきたのか。そういえばどうやって帰ってきたんだっけ、みたいな感じ。だからやっぱりその時は、先生と話している時は冷静に、ああ自分は乳がんなんだ、手術しなければだめなんだと理解しても、きっと頭の中が真っ白でついていかなくて。子供たちが帰ってきてから言わなければだめじゃないですか。一番下がまだ中学校だけど、上のお姉ちゃんたちはひと回り違うので、もう二十歳とかになっていたので、とりあえず冷静に、ああそうなんだ、という感じ。子供達もね。

 

――お子さんたちは冷静に受け止めて下さった、と。

 

そうそう。上2人女の子なので、ある程度、え?なに?全部取っちゃうの?とかそういう話はしていたけど、下は中学生だから、がん=死、っていうイメージ。だから、え?じゃあ、死ぬの?みたいな感じで、男の子はね。実際の会話としてです。その時はまだ小学校だったからママと言っていたので、え?じゃあママ死ぬの?とかって言ってて。

 

――その時はどうお答えになったか覚えていらっしゃいますか?

 

あ、死なないよ、って。大丈夫、取っちゃえば治るから、って言って。

 


03'36" 治療(手術や入院)について

 

――手術をすることはひとまず決まったけど、その後の手術の間までのカンファレンスというところで、色々なことが具体的に?

 

入院までもう病院に行かないんですよ。1ヶ月間も普通に仕事して。で、入院する日に行って、あとは、それまでには結果が出ているので。その腫瘍のかたちが。だから、そこで先生のカンファレンスが、家族来てくださいってなって、こういう抗がん剤をやらなきゃだめだし、これもやらなきゃだめだし、これもやらなきゃっていう。
 でも手術してみないと転移があるかどうかわからないっていう。今は術中に脇を調べて、脇にいってなければ脇を取らない。私の頃は脇にいっててもいかなくてもとにかく取るっていうのが主流だったから。

 

――先生からの治療方法に対して気楽に質問ができたりとか、疑問に思ったこととか?

 

入院してからですね、治療法を決めるのは。今だったらすぐ、がんですって言われたら皆さん、ネット調べて、どうこうってありますけど、その頃あまりそれが主流じゃなかったというか、家にパソコンもなかったですしね、とりあえず先生の話だけが頼りっていうか。だから、その抗がん剤をやるやらないは、手術してそのリンパを取って、リンパに転移があるかないかで術後の治療法が分かれていくという感じだから。とりあえず、手術の方法だけを私と娘2人、3人で聞いて。私はもう覚悟が決まっているけど、娘たちの方が、じゃあどうなるんですか?とか聞いてましたね。

 

――手術してどうだったかとかその後の治療についてはいかがでしたか?

 

今現在の治療とは全く違うかも知れないですけど、私は9年前だからその時のことしか知らないですけど、とりあえず、私は右を全摘して。だいたい入院は6日か1週間で退院。もう傷さえ治れば。体内から出る液体とか血液とかを、管をぶら下がるんですけど、そこから何も出なくなってきたら、取ってもう退院って感じだったんですけど、たまたま私の場合はリンパの転移があったんですね。リンパの転移があるとステージ的には3。今は2のaとかbとか色々な言い方するので、多分今ではまた違うかも知れないんですけど、その当時どこかに転移があった時点でステージ3とかになるので。ステージ3=なんか、死に近いという感じがしますよね、なんとなく。

 

――不安に感じますよね。

 

リンパに転移している=どこかに巣作っているのもあるかも知れないというので、全身の検査をするんですよ。指先から足のつま先までの骨にいってないかっていうのをやって、あとはリンパ以外にはないですよ、と。だけど、どこかに映らない小さい何ミリかのがあったら、何年か後に出てくるかも知れないからというので、抗がん剤というものがつくんですよね。

 

――今度は抗がん剤の治療に入っていったということですね。

 

抗がん剤って、髪抜けるんだ、まずそれですね。具合悪いとかそういうのはあっただろうけど、やっぱり髪が抜けるというのが一番いやでしたね。で、先生に髪が抜けない抗がん剤ってないんですか?って聞いたらないんですって言われて。

 

――その抗がん剤に対する事前のイメージをお持ちになってた部分があって、実際先生からのお話があって、でも、その治療はやっぱりやらないといけないということ?

 

先生と二人で今度、血管、リンパにあったから、と。あと、取った腫瘍のかたちで、これが効く、これが効く、っていう先生の説明を聞いて。やっぱり、抗がん剤をやるのとやらないのと再発率のパーセンテージが出るんですよ。やらないと再発率はこうだよ、やると少なくなるよ、と。じゃあ、やらなきゃだめじゃないですか、やっぱり。


――その時はどうだったんですか?実際は?

 

初日は、抗がん剤の中に吐き気止めっていうのを入れるんですよ。だから、あんまり、こう、ゲーゲー、テレビで出るような耐えられないくらいの、というのはないんですけど。かえって、次の日からの方がちょっと食べられない。だるくて寝ているっていう感じだったんですよね。で、先生が、ああこういう感じになるんだ、って。だったらでも、仕事はできるね、って言われて。退院したらちょっと休んで、仕事。まあ、通院しながら、だいたいみんな、今でもそうですけど、抗がん剤やって。抗がん剤やる日と具合が悪い時はお休み。そうやって続けて、半年くらいあるんですけど、そういう感じでいこうね、みたいな感じで退院して。1回目やって、髪抜けるだろうなと思って、それこそ北斗晶さんじゃないけど、長い髪を今くらいに切って。そしたらもう、今くらいの髪を切るところの話じゃなくて、最初からもう剃っちゃった方が良かったなってくらい、1回で全部抜けましたね。

 

――入院中に1回抗がん剤をやって、その後お仕事を続けていかれたということですね。

 

そう。でも、下に向かってパソコンとかやっちゃいけないというのがあって、重いものも持っちゃいけないし、すごい制約があるんですよ。
 手術した方、注射ができないから、こっちから抗がん剤やったんですけど、その、抗がん剤やるたびに一本ずつ、血管が死んでいくんですよね。だから皆さん、ポートって入れてやる人が多い。うちの頃は、どうしてもこっちから入らなくなったらポート入れましょうね、って感じだったので、普通の静脈からで頑張ったんですけれど、途中で血管炎っていうのが起きるんですよ。その抗がん剤に負けちゃって、腕がまっすぐにならない、血管が縮まっちゃって、血管のある筋のところが赤くなるんですよ、ずーっと。それが炎症を起こしているというので、その時に一旦抗がん剤を止めて、皮膚科に行って、その炎症を治すんですよ。それが、血管にだいたい2センチくらい間隔で注射するんですよ。それがもう痛くて、抗がん剤より。

 

――1回に何十回も?

 

何十回もやるんです。痛いですよねー、痛いですよねー、って先生が言いながら。忘れないですね。その時の痛かったのが。
 で、その炎症が少し治って、また次のをやる、というので。結構半年の予定がだいたい8ヶ月くらいかかって終わったって感じですね。

 



11'42" 職場や周囲の人との関わり

 

――実際にお仕事と治療の両立はどのように?

 

パソコンを使っちゃいけないって言われたって、そういうのは会社の社長にも全部伝えて、こういう仕事は当分まずできないです、休みももらわなきゃだめだし、っていうのをきちんと理解してくれて、応援してくれてね、会社が。自分の休暇の他に特別休暇っていうのを設けてくれて、その日と具合悪い日、だいたい2日とか3日とか休んだ時もありますけど、1回やるたびにだいたい2、3日休暇もらって、だからすごくよかったです。

 

――上司であるとか、同僚の方とかはどうでしたか?

 

みんな理解していましたね。私が手術する前、1ヶ月間お勤めしたじゃないですか。手術するまでに。で、女性の従業員が17、8人いたのかな、みんなに触らせました。乳がんってこうだよ、っていうその、感覚、わからないじゃないですか。取っちゃえばわからなくなっちゃうから。え?いいの?、って言いながら、いいよいいよって、みんなに触らせて。こんなに硬いんだよ、とか、こういうふうに動かないんだよ、とか。あー、ごめんね、って言いながらみんなで触って。で、みんなやっぱりマンモに行くようになりましたね。

 

――例えば術前術後の会社の理解もあったけども、ご自身の会社への、やっぱり例えば働きかけであったり、周りの女性への発信であったり、そういったところが本当にいいかたちで。

 

そういう点は良かったと思いますね。だからあまり、自分で落ち込んだり悩んだりすることなく、仕事に行きながらだから。

 



13'46" がんを体験したからこそ伝えたい思い~メッセージ~

 

――今だから言える、がん治療、闘病を通しておっしゃりたいこととか、あるいは、周りに伝えたいこととか、そういったことはおありですか?

 

先生からよく聞いたんですけど、主治医からね。自分で、あ、しこりだ、とわかっても、怖いからほっとく、という人が結構いると聞いて、本当にもう見た感じで、もう形が変わっちゃってから来る人とか、そうなるとやっぱりどこかに転移してしまったりとかするじゃないですか。だから、怖がって来ない人がいる、という。すぐ行動して欲しい。自分で検診でわかって行くのと、自分でわかった時はすぐ行動して欲しいってのはありますね。怖がらないで。だって、わからない方が怖い、と私は思うんですよ。もしかしたら、そうなのかな、そうなのかな、と思っている時間が怖い。
 おかしいな、と思ったらすぐやっぱり、病院に行った方が早くご自分も落ち着くだろうし。でもやっぱり、怖いっていうのが先に立つ人はね…。私はすぐ行くタイプだったから。みんなもなんか、おかしいなと思ったら、それが違う、ただの乳腺炎だったとしても病院に行った方が良いって思いますね。