大腸がん(発症時:60歳) 収録時:73歳 女性 総時間:12'46" |
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目次
00'03" がんとわかったきっかけ
01'31" がんと知った時の気持ち
02'48" 治療(手術や入院)について
03'50" 家族への思い、家族の思い
04'47" 治療(手術や入院)について
09'37" 職場や周囲の人との関わり
10'20" がんを体験したからこそ伝えたい思い~メッセージ~
00'03"がんとわかったきっかけ
――病院を受診するきっかけって、何かあったんですか?
身体に力が入らないとかって。暇さえあれば、ゴロンとしていたいなあって。でも、身体のどこかが痛いという訳ではなくて。だから歳のせいかなって思っていたんです。ただ、だるいというだけで、どこに行けばわからなくて健診センターに行ったんです。そして、検診の結果が、ちょっと…すぐ行きなさいというようなことが書いてあって、病院へ行ってわかったんです。
――びっくりしましたでしょうね。
はい、びっくりしました。はい。でも、健康のことについても、まず自分の身体のことについても、全然勉強もしていなくて。風邪もあまりひかない人だったから、過信していたんですよね。だから、遅れて…
――それまでは、がんという病気については、ほとんど?
あの、私の舅がその当時で6年ぐらい前だったかな、胆管がんで亡くなったんですね。だから多少は何ヶ月か付き合って、付き添ってみて、わかっていても自分はそんなのにはならないという変な…そんな感じでした。
01'31"がんと知った時の気持ち
――がんですっていわれた時は?
それこそ、舅が亡くなる過程を見ているから、えーっ、とかって思って。音がね、耳に入ってこなくなっちゃって。辺りの、病院のざわざわがあるものでしょう、音として。それが聞こえなくなっちゃって。その一瞬をね。私はテレビも好きで観て。テレビでは、あの、教えないようにするじゃないですか、ドラマではね。ところが、がんときたから、それこそびっくりして。えーっとか思ってね。先生がこう言ってるんだけども、音が入らないんです。耳にね。ああ、だめだなぁ、とか思いながら、そういう一瞬があってね。
真っ白になるだけでなく、言っている音が入らないっていう感じ。その瞬間から自分がもうがんになっちゃって。知らないうちはがんでなかったのに、何も力が入らない、と。そんな感じで。
02'48" 治療(手術や入院)について
――がんですって言われた後は、もう、すぐ治療の話になったんですか?
健診センターからのを持って受付に行ったら、内科の方を紹介してくれて、内科の方で、写真を撮ったりいろいろして、今度は外科の方に行って、やっぱり切らなきゃいけないということで。手術したんです。
――手術が決まって、手術の当日まではどんなふうに過ごしたんですか?
切ってもらって、そこ取ったらもういいんじゃないか、っていう感じで、その日まで、手術を待って。そして、手術してもらったら、すごく楽で楽で楽で、すごく。あらー、この身体は、やっぱり悪いところを取ったからかな、って思って。でも、手術して次の日、何センチ取ったよ、ということを教えてもらったら、えっ、そんなに、とかってびっくりしたんだけどね。
03'50"家族への思い、家族の思い
――ご家族の反応はどうでしたか?
たぶん、私には見せなかったんでしょうけれど、今思えば家族もこう病気になりますものね。海も山も川も好きで、いつも友達と行くうちの人が、全然外に出なくなっちゃって。私の周りに居てなきゃならないと思ったものなのか、こう、いるから。今思えばね。その当時はそれが当然だと思っていたけれども。そういうふうに思っています。
――手術を受けたら、すっきりしたという?
はい。あの。身体が、あの、たぶん出血が止まったからじゃないでしょうかね、と先生がおっしゃっていましたけれども。その出血しているのも知らないでね、自分がいかに勉強不足だったかということを、今でも思っています。
04'47"治療(手術や入院)について
――治療で辛いことはありませんでしたか?
ありました。19日くらい入院したんですよね。そして、その入院しているうちに進行がんだって言われたから、1回目の治療というか、点滴でね。今はどうかわからないけれども、その当時は、1クールっていう、3回やって1クールっていうのね。1週間ずつ3回続けてやって、また1週間やって、また3回やって、2クール。そういうふうにして、1クールの時は、何もこう「ああ、皆さん、ああだこうだって言っても、私の場合は大丈夫だな」って思っていたら、今度は3クール目になったら、それはそれは辛くてね。こう、指がね、紫になっちゃって。爪がね、びっくりするくらい紫になって。これではもう、自分自身がだめかな、この治療止めたいなって思っても、でも、先生を信じて、それをやれば良くなるんじゃないかな、って気もあって。足の踵が皮、剥けてきて。薄皮が剥がれるんじゃなくて、踵の硬いところが、ガバッガバッと剥がれてくるのね。で、ありゃ、こうなっちゃったなあ、と思って。でも、先生に見せたら「止めれば良くなるから」って言われたの。あ、そうなんだ。じゃあ、注射の方が、がんに勝つのかな、とか思って、6クール全部終わって。
――抗がん剤の治療が辛かったんですね。
はい。辛くて辛くて。吐き気もくるし、髪の毛も抜けるし。つるんと抜けない。あの、乳がんとか子宮がんの人とかより、全部は抜けないんだけれども、地肌が見えちゃうようになって、帽子被らないと外はちょっと歩けないかなあという、そんなふうになっちゃって。まあ、髪の毛が抜けるのは、まず、ある程度の歳だったからよかったんだけれども、この、手が…顔が真っ黒くなるし。こう、顔に油を塗ったような、光ったような真っ黒いような、色素がそういう風になるのかなんかわからないけれど、私の場合は、そうなっちゃっていて。吐き気もくるし。ああ、辛いもんだなあ、と、その時そう思いました。
――がんという病気で、たくさんの不安があったと思うんですけれども、不安を乗り越えるために、何かしたことはありますか?
入院中は、出てきた時、私の妹たちが、うちにいてもパジャマ着ない方がいい、って。普通のを着ていた方が、横になっていても、着ていた方がいいかも知れないって教えてくれたの。それはそれで、いいかなと思って試してみて、朝起きたらもうパジャマは着ない、普通のを着て過ごしたんです。それも良かったかな、と思って。
――退院後は穏やかに状態も良く過ごせたんですか?
退院したといっても、治療をするのにまず、通わなきゃならないからね。注射するたびに具合が悪くなるんだけれども、まず、それを我慢して6クールっていうと、4月の時に手術して、それから17日目で1回の注射があって、それから1週間ずつで、3回やって、1週間休んで、それを3回やって、また1ヶ月休んで、それでまた、3クールを、こう全部やる。何月までかかったかな…そしてその治療が終わっても、そのこっちの後遺症はとれないんだよね。口が乾いて、こう、皮膚がピンと、骨にくっつくというか。孫たちに見せれば「タクワン」みたいだっていうの。皮膚がこういうふうにおかしくなっちゃって。全体、これもこう色が変わるしね。だから、そういうふうなことでした。
09'37"職場や周囲の人との関わり
――がんだって言われてショックを受けて、手術をして、辛い抗がん剤の治療を受けて、それを乗り越えてきた、踏ん張りというのは、どこからきたんでしょうね。
うちの妹がね、うちにばっかりいると考えてばっかりいるからと、大正琴の先生を紹介してくれたのね。で、そうすると、出て行かなくても自分でできるから、うちに先生をよこしてくれて、それを楽しみにしていたんです。
10'20"がんを体験したからこそ伝えたい思い~メッセージ~
――今だからこそ気付けたことっていうのはありますか?
健康な時から、ある程度、身体のこととか、がんのことを少しでも勉強しておいた方が良かったかなぁ、って。皆さんを思うんです。私の経験からいってね、自分には関係ないって思わないで、勉強した方がいいんじゃないかなって。その当時、私、検診受けた時は、健診センターで「前の検診は10年前でしたよ」って言われて。私、自分が元気だからって検診にも行かなかったんですよ。
――今の楽しみは?
私たちは『よろこびの会』っていうグループがあって、それの時、会う友達が、楽しいです。同じ思いをしている友達ですからね。何十年の友達と会うのも楽しいけども、そういう人、同じ気持ちを持った人だから、今入った人でも、気持ちが通じるっていうか、そんな感じですね。
――がんを体験したご自身だからこそ、伝えたいことってありますか?
やっぱりこの、がんっていうことに対して、なっていない方もある程度は、少しは勉強した方がいいんじゃないかなと思います。私には関係ないよっていうんじゃなくて、こう、ああだこうだっていうことを、やっぱり少しでも頭の中に入れておけば、先生が私に対して「何か聞きたいことがありますか?」って言われた時、私はなんにも知らなくて、聞くことすらわからないわけね。先生が、親切で「何か聞きたいことがありますか?」って言うんだけども、その聞くこともわからないってことは勉強不足でしょ。結局、ね。だから、そういうことにならないように勉強も必要だな、と思いました。
――それからは定期的に検診も受けて?
ええ、はい。いつも受けて。