乳がん(発症時:33歳)

収録時:43歳

女性

総時間:20'23"

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目次

00'03" がんとわかったきっかけ
02'19" がんと知った時の気持ち
03'42" 家族への思い、家族の思い
04'19" 職場や周囲の人との関わり
04'56" 治療(手術や入院)について
16'00" がんを体験したからこそ伝えたい思い~メッセージ~


00'03"  がんとわかったきっかけ

 

――がんが分かったのは?何か思い当たる節があったのですか?

 

いえ、本当にもう全然それまで自覚症状とかなかったんですけど、たまたま着替えをするときに触れました。本当に、ここに、ぽこんという出ているものがあったので、それまで何にも気が付かないでいたんですよ。「あれっ?」っていうのが、本当に正直なところで、一瞬、母が乳がんやっていたので、んー、そこが横切ったのが確実ですね。うん、はい。

 

――触ったときのしこりって、どんな感触が感じられるのか、教えてもらえたらと思います。

 

感触は、その時はもう、明らかに私もう、結構大きくて、完全に皮膚からボンって出ている状態で、はい、もう硬かったかな? はい。明らかにただの何かじゃないなっていうのはもう。

 

――お母様も乳がんであったということもあって、で、もしかしてと思って病院を受診されました。どんな検査を受けるのですか?

 

細胞診っていって直接針を刺してそこで細胞を取っての検査と、あとはマンモグラフィーだったかな?その細胞診が2回やったんですよ、多分1回で済む人は済むと思うんですけど、1回やったけど、ちょっとグレーだっていうので、もう1回採らせてくださいと、私は2回やったので、痛かった。

 

――検査結果が出たのが、それからどれぐらいですか?

 

私は2週間かかったかな?まあ、ごくごく淡々と先生の方から、「乳がんですね」と、はい。ということで、本当にもう淡々とした感じで、はい。

 


02'19" がんと知った時の気持ち

 

――その時は、どんなお気持ちでした?

 

まあ、やっぱりかという思いはあって、で、変な話、母ががんをやって、それからもう15年くらい経った時だったので、自分の中では死という思いよりも、まあ、これから普通に一連の治療を受ければ、また社会復帰というか普通にいけるのかな?これから頑張っていけるのかな?というのは、はい。そんな感覚の方が大きかったのかなと思います。

 

――意外と冷静に聞けた・・・と?

 

その時はそうかなと思います。ただ、その前の検査で待っているときにちょっと考えて、やっぱり検査待ちの時は涙は出てきたりはしたんですけど、そこはやっぱりそうですね、100%大丈夫とか思いでなくて、いくらか恐怖はないわけではないので。



03'42" 家族への思い、家族の思い

 

――ご家族に伝えた時の反応はどうでしたか?

 

母の方は、「そうか」・・・という感じだったんですけど、やっぱり、娘がまだ中学校に上がったばかりだったんですよ、私33歳の時に1回目なったので、12歳の娘に伝えるのがやっぱり結構つらかったかなと、そこは申し訳なかったかなというのはありました。泣かせてしまったので・・・。



04'19" 職場や周囲の人との関わり

 

――その当時お仕事はされていたのですか?

 

はい、してました。

 

――職場の方には伝えられましたか?

 

私は珍しいかもしれないんですけど全部オープンにというか、最初から職場の人には全部伝えていたので、なので特に、そこは配慮していただいて、そのまま仕事も続けられるような状態にしてもらえたので

 

――仕事を続けながら治療をされたのですか?

 

はい、ある程度まではですね。


04'56" 治療(手術や入院)について

 

――まずは抗がん剤治療が始まりました、どうでした?

 

そうですね、初回は入院してくださいってことで、まあ、やったんですけど、こんなに・・・辛いなのかっていうのはやっぱり、点滴が終わってその日と次の日は何ともなかったんですが、その次の日の朝から、あの、起きても寝てもどうにも体の起きようがないような状況が始まったので、これが抗がん剤なんだなっていう苦しみが・・・これ何回かやらないとならないなと考えるともう憂鬱で、でも、そうですね薬が抜けてきて落ち着いてくると次の薬が入るので、もうそこがしんどかったですね、段々やっぱり髪も抜けますし、髪が抜けるのが一番ショックが多かったです。本当に2週間ぐらいで抜け始めたので、ドラマのようにですね、最初は「ああ、取れてきたな・・・」と思ってたんですけど、それが徐々に取れる量が増えて、本当にごっそりいったので、もうその時は「ああー!」と思って、排水溝を見るのが辛かったですね。やっぱり回を重ねていくごとに、血管もボロボロになっていくし、皮膚状態も悪くなっていくし、ドス黒くなっていくし、そういうのを見ているのが辛くて、で、あとはもう病院に入っていく瞬間の臭いでもう・・・吐きそうになったりとか、あとはもう、抗がん剤の点滴を押した瞬間の痛みがひどくて、ベットの寝てるところで「痛い!」と叫んでしまってストップかけられたりとか・・・まあ、でも「これ頑張らないと」と思って

 

――退院し通院しながらも抗がん剤の治療が続いたのですね?

 

吐き気止めはお守りじゃないんですけど、何か、それは欠かさず持っていて、それでも家の中にばっかりいるのではなくてお仕事も何とかやりながらだったので、そこの部分はそこまでは酷くはなかったのかな?私はまだ、はい、何とか頑張っていけてたので、まあ、そこの部分でも職場の方でも「無理はしなくていいよ」ということですごく配慮していただいて、そこは甘えさせていただいて、そこの部分では本当にありがたかったなと思います、その職場に居れたことが・・・そう思います。

 

――手術の前の抗がん剤の期間はどれぐらいですか?

 

ほぼまあ、5か月でしたね。

 

――それでかなりがんは小さくなったのですか?

 

私はありがたいことに、術後先生から聞いた話だと、まあその時点では、開いた時にはがん細胞は消えていましたという言葉があったみたいなので、本当に私はその抗がん剤が効いた、体に合った、合っていたっていう。

 

――手術では切除することはなかったのですか?

 

いえ、その、該当するところはきちんと取って。

 

――その後の治療はどう進んでいったのでしょうか?

 

その後は放射線治療ですね。毎日通いました、病院に。放射線治療自体は、20分くらい、まあそんなにかからないですけど、回数が決められているので、毎日月曜日から金曜日まで通って。

 

――車を運転して?

 

はい、そうです。

 

――先ほど、1回目のがんの時はというお話があったのですが?

 

私36歳の時にもう一度乳がんになりまして、ただそれは転移ではなくて、1回目は右側で、2回目は左側だったんですが、「こっちも原発だよ」と「転移ではないよ」という話だったので、2回やりました。こちらの検査を定期的に3か月ごとに病院に通っていた時なので、3月の時点では「何もないね、大丈夫だね」という話だったのですが、その3か月後に、6月に行ったときに「何かあるよ」と言われたので、もうその時は私も、「何で?」っていうのが、もうパニックではないんですけど、「また?」っていうのがあって、さすがに先生もビックリして、「3か月前は何もなかったんだけどね・・・」ということで、まあ、できてしまったものはしょうがないので、はい、また治療を受けました。

 

――治療方法は1回目と同じ方法ですか?

 

えーと、2回目は「先に切りましょう」と、はい、その後抗がん剤と放射線との標準の治療ですね。

1回目の時と2回目の時とは使った抗がん剤が違う種類だったので、2回目のお薬は吐き気はそこまで出ないものだったのですけど、むくみが今度きてしまいまして、そのほかに脱毛とか普通にあったのですが。むくみが本当にすごくてですね、あの酷かったんです、一気にもう、10キロとか15キロとかむくんでしまってというか、本当にどうしようもないくらいになってしまいまして、動くのもやっとという感じで・・・。で、むくみを軽減させるために何日間か入院しなければならない状態になり、で、結局その後抗がん剤1回残っていたんですけど、「これはちょっと中止だね」ということでできずに終わったんですね。まさかそこまでなると思っていなかったので、もうびっくりしました、はい。

 

――抗がん剤の種類によって全然違うんですね?

 

全然違います、はい。びっくりするくらい違うと思います。2回目のお薬っていうのが、お薬が終わった後も今度は髪の毛が全然生えないというか伸びない、かったんです。変な話し1回目のお薬の時は、抗がん剤が終わったら結構すぐに髪の毛が伸びてきて、長く、元通りと言えばあれですけど伸びてきていたんですが、2回目のお薬が終わった後は全くと言っていいほど伸びなくなってしまって、やっぱりそれがそうですね何年かかっても伸びない、しかも薄い、薄くなってしまったのが「なんで?」というのが本当に今でも薄いし、そこまで気にしているわけではないですけど、やっぱり36の時でしたので、やっぱり女性なのでね、髪の毛に関してはこういう風になるっていうのを「先生、言ってくれたら、やらなかったのに・・・」というぐらい、ちょっとそこはありました。はい、でも、あんまり気にしてもしょうがないしなと思って・・・。

 

――治療の中で一番の支えは何でしたか?

 

やっぱり家族、あと娘・・・んーんー・・・。

やっぱり、職場でもちゃんと席を空けてとは変ですけど、元気になったらいつでも・・・という感じで。後は出勤時間とかいろんなことをずらしてくれて、その治療によってちょっと遅くなったりとか、そこはすごく配慮してもらったので、そういう部分でも自分の戻る場所があるというのはすごくありがたいことだったし。

 

――そのがんの治療中にこういうものがあったらよかったのにというのは、今思えば?

 

もっと相談できる場というか、何かもっと身近に、同じような人達との情報交換できる場とか、もっとそういうのがあればなとは思いました。ネットとか隔てて遠いところではなく・・・。

 

――2回目の乳がんも様々な副作用で苦しまれたりされたと思うんですけど?今の状態は大丈夫ですか?

 

はい、大丈夫です。ただやっぱり、忘れたわけではなくて、常に目の前に死というものはあるなという、いつどうなるかわからないという思いは常に持っています。ただそればっかりにとらわれているのではなくて、どんどん自分ができることはやっていきたいと思っているし、自分が自分の経験を発信することによって今辛い人の力になればなと思います。


16'00"がんを体験したからこそ伝えたい思い~メッセージ~

 

――がん体験した今だからこそ一番伝えたいことは何でしょうか?

 

どうしてもこの病気になってしまうと孤立、誰にも言えないという人がまだまだ多いので、孤立してしまって自分の中だけで誰にも言えないことがいっぱいあると思うんですけども、そうではなくてやっぱり、病気になっても働ける環境とか社会のそういうのは必要だと思うし、どうしても癌になってしまったらもう仕事できないとか、そういう方もいたりとかするので、そうではなくて、この病気とは共存していくものであるので、きちんと職場の環境というのもこれからはきちんと広まっていくべきものだなとそういうのは必要だと思います。

決して一人ではないし・・・、必ず周りには助けてくれる人がいますので・・・、一人で悩んでいないで、もっともっと、そうですね悩んでしまうのは仕方がないことなので・・・、こちらの方からもっと、私たち経験した人たちの方からいろんな発信をしたいと思っているので何かあったら・・・んと・・・何て言ったらいいんだろう・・・大丈夫ですよって、私たちがいるから大丈夫ですよっていうのも変ですけど、もっといろんなツールを使って、こういうがんの人たちの声を届けていけたらなという思いがあるので、「心配だけに押しつぶされないでください」って言いたいです。決して今はそこまでの死に直結するような病気ではないので、1年ごとにいろんな治療法だったりとか、薬とかどんどんいいものができているので、決して怖がるばかりではなくて、そして、後はしっかり、怖がらないで検診を受けてほしいです。検診が本当に大事だと思います。ましてや乳がんは自分でわかる病気なので、大事なのでそこはきちんと検診を受けてください。・・・ということは、本当に思います。
 昨日病院に行って「今のところ大丈夫だよ」って言ってもらえたので・・・安心しているつもりでも、大丈夫だと思っているつもりでも、やっぱりちょっとしたところで、ちょっとした変なところに痛みとか「いつもと違う何か?」と思った瞬間に、またもしかしてと思ってしまうので、そこがどうしようもないんだな、これは・・・。ずっと死ぬまでお付き合いしなければならないんだなというのはありますね。だからもう本当に、克服とは思っていないんです。やっぱりがんを克服したという言葉が使われがちなんですけど、「克服とは違うんだよな」っていう思いはあります。「克服」じゃなくて「共存」と言えばいいのかな?何て言えばいいのかわからないんですけど、ずっと付き合っていかなければならないこの体で、生きて行かなければならないので、そういう思いでいます。