乳がん(発症時:61歳)

収録時:63歳

女性

総時間:16'57"

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目次

00'03" がんとわかったきっかけ
01'16" がんと知った時の気持ち
02'38" 家族への思い・家族の思い
03'21" 治療(手術や入院)について
11'28" 支えとなったもの
15'38" がんを体験したからこそ伝えたい思い~メッセージ~


00'03" がんとわかったきっかけ

 

――ご自身で気がついた。どんな状態で気がついたんですか?

 

乳がんでしたので、お風呂に入って鏡を見て、あっ、右と左が違うと思って、すぐ病院に行きました。

 

――病院に行かれて検査を受けたんですね。

 

はい。

 

――検査を受ける間も、不安はあったんじゃないですか?

 

それはありましたね。自分で気がついて、そうじゃないかなあ、とは思ってても確かにそうだとかって言われるまでの間が長かったです。検査して結果が出るまで。1回目の病院で2週間後に来てください、って言われて2週間後に行ったら、大きい病院に行ってください。って。自分で気がついても1か月以上はかかりました。その間も、頭の中が、がんがんがんがんってなってましたけど。

 

――何かご自身で調べたり、誰かに相談されたりしたんでしょうか。

 

自分ではインターネットとかってしないのでお医者さんに行くまでは、待つしかなかったみたいな気がします。



01'16" がんと知った時の気持ち

 

――実際に、がんだと言われたときには、やはり、かなり衝撃があったでしょうね。

 

そうですね。先生方が、いろいろデーターを出して説明してくださるんですけど、その言い方はもう間違いないだろうな、って自分で覚悟して先生の説明聞いて。がんだっていう衝撃よりも、それからどうしようっていうのが大変でしたね。
 それからどういうふうにして治療とか進めていくんだろうかなあ、と思って。それを今度、診察の時に先生から向かい合っているときに、その次のことを頭の中で考えてしまって。それからが大変っていうか、これからだなっていう気がしましたけど。

 

――そのお話を聞くときは、お一人だったんですか?

 

いえ。そのときは家族と一緒に来てください。っていうので、夫と、たまたま長男が休みでこっちに来ていましたので、長男と3人で行きました。



02'38" 家族への思い・家族の思い

 

――ご家族の反応はどうでしたか?

 

みんな、そうじゃないかなあ、とは思っていたと思います。夫は、その日は告知されたんですけど、それから治療方針もどうしますか?みたいなことを先生に言われたんですけど、夫は本人の意思に任せる。みたいなことを言って、それはそうなんでしょうけど、長男のほうが私の気持ちを察してくれてたみたいで、代弁して聞きにくいことを聞いてくれました。



03'21" 治療(手術や入院)について

 

――その後、どのような治療を勧められたんでしょうか。

 

手術して、抗がん剤して、ホルモン療法をやりましょう、という方針でした。

 

――その方針は、もう、すんなりと受け入れられましたか?

 

それが自分では嫌だったんです。その前まで、健康のためにジムに行ってたんですね。そうすると、そこのジムは汗を流して、その後、お風呂があって、脱衣所がみんな同じだから、その手術を受けたら、みんなの前ではもう脱ぐことできないなあ、と思って。じゃあ、辞めないばないのかなあ、と思って。それだったら手術したくないなあ、と思ってしまって、娘たちにも、手術は嫌だって言って、で、反対されてたんですけど、そこは息子が、気持ちを察してくれて、先生に手術をしない方法はありますか?とか、もし手術しても、お風呂に行ってもみんなに見られてもいいような感じになることができますか?とか、そういうのを息子が聞いたんです。
再建っていうそうですけど、そういうのも、あります。それから全部とらないで、残してとることも出来ます、っていうことでしたけど、私の場合、残すとすれば3分の1くらいしか残りませんよ、って言って、それだったら全然意味がないんですよね。ちょうどテレビ番組で、別の患者さんが、再建っていうので手術して、その場で、再建して、もう、ほとんど見分けがつかないくらいです。っていうのをやってたんですね。それを見て、娘にそういうのがあるっていう病院を調べてもらって、そこに、ちょっと行ってみようかな、と思って。本当は、10月に手術日って決まってたんですけど、手術1回キャンセルして東京の病院に行ってきました。
そっちの再建出来るっていう病院に行ってきましたけど、診てもらったら、やっぱり、あなたは手術しかない、って言われました。手術してすぐ再建しても、後々出てきますよ、いいことありません。ちょっとの人だったら、それはいいんだけど、あなたの場合は、もっといっぱいあるから、もう手術しかありません、って言われて、それだったら東京に来るより地元の病院でちゃんと手術して、その後の治療もしてもらいなさい、ってはっきり言われましたので、そこで決心がつきました。で、また、こっちに戻ってきて、もう一回最初から手術します、って言って、それからもう一回、日にちを決めてもらって。だから、また1か月遅れましたけど。

 

――納得のうえで、手術を受けられた?

 

そうです。それをしてなかったら、やっぱり、もし手術したとしても、モヤモヤモヤモヤしてたと思います。

 

――そして手術が済んで、抗がん剤の治療もされたんですか?

 

抗がん剤をやるための冊子があるんですけど、それを読んでくださいって言って、いろいろこういう副作用があります、とか書いてありましたけど、私はそんなでもなかったです。ほとんど、普通と同じくらい。普通の生活と同じくらいで、辛いっていうことは無かったです。

 

――手術よりも抗がん剤治療のほうが辛くて大変だった、って言うかたが多いようなんですが、そうでもなかった?

 

そうでもなかったです。点滴でしたけど、その時、ボォーっとなるよ、って言われましたけど、その、ボォーとなるって言うのが、例えば、点滴しながら10分位とかで引けてきたとか、そのくらいで別に。あとは、ただ髪の毛は抜けましたけど、それはもう抗がん剤やるって言った時点で覚悟してましたから、ウィッグを買って用意して、テレビの通販で綺麗なのがあれば、あっこれっ、とかって電話して、もう、手術前から買ってました。

 

――治療中なんですけども、長い期間だと思いますが、どんなお気持ちだったでしょうか?

 

自分で気がついて病院に行って、告知されて、それから手術が10月だったんですけど最初、その2か月くらいが、やっぱり1日中頭の中に、がんが、がんが、がんが、がん、がん、がん、がん、って言って、がんのことばっかり頭の中に。それが、寝っているときも多分、脳がそんな感じで。だから、娘に電話しても、頭が、がんがんするんだよって。頭が、がんがんするって言うのは、頭が痛いって言うんじゃなくって、頭の中が、がんだらけっていうか、がんがんという字で頭の中ががんがんってそういう状態でした。

 

――それを乗り越えたのは、何があったからなんでしょうか?

 

やっぱり、向こうの先生に手術しなさいって言われて、あっ、手術しかないんだ。ってはっきり言われた時に、もう自分で、じゃあ、手術にしよう、って決めてからですね。あとは、こちらの先生に任せようと思いました。やっぱり、踏ん切りがついたと思います、言われて。

 

――術後退院後、普通の生活に戻られたんですか?

 

手術してからも、そんな痛みって言うか、痛み止めは、手術の日当日から朝くらいまで点滴の中に入ってる、って言われましたけど、痛くなる態勢をとらない限り、別に普通に暮らせましたね。うちに帰っても大丈夫でした。

 

――今後について、お医者様から言われていることって何かあるんですか?

 

今は、4か月に1回だけなんです、通院が。この間行った時は、あと4か月後って言われた時には、じゃあ先生、この4か月後まで何してればいいですか?って聞いたんですけど、特に言わないんです。あーしなさい、こーしなさいは。それで、一番言われてるのが、太らないように、です。

 

――関係あるんですか?

 

多分あると思います。食生活とか、生活習慣とかだと思います。その仕方だと思います。太らないように、って一言で、多分言い表していると思いますけど。
ちゃんと運動して、ちゃんとしたバランスのよい食事をとってとか、そういうことを含めていると思いますけど。


11'28" 支えとなったもの

 

――今、支えになっていることは何かありますか?

 

入院中に病院の中に、病院の中でタオル帽子を作りましょう、っていうポスターみたいなチラシが貼ってあって、あっ、じゃあこれ必要になるなあ、今から抗がん剤やるっていうから必要になるなと思って、その会に、退院後3週間くらいで出てみました。それで、タオル帽子を作って。で、その会が、毎月あるんです。そこに行けるときは行って、そしたら、患者会の方もそのタオル帽子の会に来ていて、私に声かけて、こういう会あるんですけどってチラシを持って来て、どうですか?って言って。だから即、じゃあ入りますって言って、3月に入りました。それが、よろこびの会って言うんですけど。で、今は、月に1回か2回くらいは会ってますね。

 

――よろこびの会に行かれると、どうですか?

 

みなさんやっぱり、その会で知り合った方ですけど、なんか昔から来ているみたいな感じがする、ってみんなで言ってますけど。何にも言わなくても、通じるようなところがあるね、とかって言ってますけど。
 タオル帽子ってタオルで帽子を作るのが3時間くらい時間頂いてますけど、おしゃべりしながらやって、その3時間のうちに1個出来るんですけど。3時まで借りてるから3時で解散。でも、下に行って、そこでまた1時間くらい待合室でおしゃべりして、それで、さよならしてます。

 

――がんの治療を続けて一番辛かったことって何かありますか?

 

やっぱり、自分で手術が嫌だって思った時まではやっぱり。どうしても、どうなっても嫌だと思ってしまって。お風呂に行くのもですけど、人の前には見せられないと思ったら、それが嫌だと思ってしまって、それでもう、治療しないで終わってもいいかなとか思いましたけど、それを娘に話したら、えーそんなんじゃないんだよ。まだまだ、人生あるんだからーとかって言われましたけど。でも、気持ち的にはその時は、もう、どうでもいいやっていう感じがありました。
 今はもう、先生の治療方針に乗っ取って全部やってきて良かったんじゃないか、と思ってますけど。それと後、片方のほう全摘しましたけど、その手術するときには、全摘しても再建しよう、と。何か月か経って出来るような状態になったら再建して、誰に見られても何も言われないような身体になんなくちゃ、人前に行けないなあ、とか思いましたけど。今は、手術から半年くらい経ったら、あっ、これでも行けるんじゃないか、となんか思ってきて。今はこれでも大丈夫だと思います。何も再建しなくても大丈夫、と思っています。ただまだ、お風呂には行けませんけど。

 

――心境の変化ってどういうところなんでしょうか?

 

どうなんでしょうね。みなさんやっぱり、患者の会のかたも、がんばっているからかもしれないですね。



15'38" がんを体験したからこそ伝えたい思い~メッセージ~

 

――がんを体験されたご自身だからこそ、今伝えたいことを教えてください。

 

自分ががんになって、がんの講座とか講演しているところにもよく行ったりしてるんですけど、早期発見だよとかって言って、それがやっぱり自分が検診してなかったから、ここまで進んで手術になったんだなあと思って、早期発見だと、毎年毎年やってると、見つかっても小さいうちで済むと思いますので、病気見つかってない方は、早期発見のために検診してください、っていうのを言いたいと思います。うちの娘にも今言ってます。お母さんがこうだったんだから、もしかしたらあなた方もそういうふうになるかもしれないから、検診は受けなさいっていうことを今言ってます。