子宮体がん、乳がん(発症時:54歳)

収録時:59歳

女性

総時間:15'24"

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目次

00'03" がんとわかったきっかけ
01'06" がんと知った時の気持ち
02'22" 家族への思い・家族の思い
02'45" 治療(手術や入院)について
08'05" 職場や周囲の人との関わり
11'01" がんを体験したからこそ伝えたい思い~メッセージ~



00'03" がんとわかったきっかけ

 

――どんなことがきっかけでわかったのですか?

 

私の場合、二つのがんが一緒に見つかったんですけれども、一つの方は2011年1月頃から、おりものがちょっと色がついて、ちょっと様子を見ていていたのですけど、よくならなくて婦人科を受診したら、子宮体がんという診断で、たまたまあと、おっぱいの方は2011年より5年くらい前に自分で小さなしこりが触れていて、受診はしたのですね。その時は、いろいろ検査したけど「大丈夫」と言われていて、そのあと私も「大丈夫」という安心感の中で仕事に忙しくなったりして。そのあと定期的な健診の方にも行かないで、たまたま婦人科で引っかかったときに、婦人科の先生に「前に大丈夫と言われたけど、ついでに調べようかな?」って調べたら、乳がんも、あるよと言われて、で、同じ月に乳がんと子宮がんが確定診断になったんですね。


01'06" がんと知った時の気持ち

 

――その時はどんなお気持ちでしたか?

 

子宮体がんの方は先生も画像を見て「早期発見だよ」と言っていて、「あっそうか」という感じだったのですけど、もう一つの方が、「大丈夫」って気持ちで診察に行っているから、「そっちにも腫瘤あるよ」と言われて、「えっ?」という感じで、それも仕事中にちょっと抜けて診察に行っていて、それを言われた後、一瞬「えっ?」という感じで…

 

――お仕事が、看護師さんをされていらっしゃる?

 

はい、自分の昼休憩中に抜けて、診察に行って、言われて、その時「えっ?」という感じで…その後仕事も残っているし、戻って仕事はちゃんとして帰らなきゃいけないというあれもあって、帰ってからすごく「本当かよ?」みたいな感じで、ショックを受けましたね。

 

――医療のプロのお仕事をされている方にとっても、やはりがんの告知というのはショックですよね?

 

ショックですね。自分が外来で告知するのにも入ったこともあるんですけれども、いざ自分が言われると、お先真っ暗になるというけど、本当だなと思いました。


02'22" 家族への思い・家族の思い


――告知を受けた日は、ご家族ですとか、周りの方にも?

 

姉と旦那には言いました。

 

――反応はいかがでしたか?

 

旦那も結構ショックを受けたかと思うんだけど、態度に出さない人で「あ、そうか」みたいな感じで。姉の方はやっぱり、何か「大丈夫か?」みたいな感じで、来てくれていたんですけれど。家の方にね。


02'45" 治療(手術や入院)について

 

――先生のご説明は、どの辺まであったのでしょうか?

 

結局自分が医療職というのがあったかもしれないのですけど、子宮体がんの方はMRIをみて、ここに、内膜上皮のところにがんがあるよってことで説明を受けて、まあ、手術をしたらほぼ大丈夫じゃないかという感じの説明だったんですね。で、乳がんの方は、まずマンモグラフィーをやって、エコーをして、で、腫瘤があるところで生検をして、そのあとMRIと「リンパ節にも転移があるようだよ」というのがあって、それもそのあと、フォローするっていう言葉もなく、ただ「悪性だよ」と。そこで「そうですか」あとは、「手術の日程を決めるよ」みたいな感じで、自分がこう、圧倒されちゃったのもあるんだけども、十分な説明を聞くにも、何を聞こうか、みたいな感じで。

 

――胸の方は何か自覚症状はあったのですか?

 

5年前にちっちゃなちっちゃな腫瘤みたいなのがあって、1回目受けたときに「何ともない」と言われたのが、それが、自分も看護師なのに「これは何ともない、違うんだな?」という感じで、定期的に検診とかに行っていればいいものを、仕事にかこつけてしまって、ちゃんと行っていなかった自分もあって。本当にたまたま、子宮がんが見つかったから、ついでに調べて見つかったからよかったかな、と考えていたんですけどね。

 

――そのあとの治療なんですけれども、二つのがんはどんな治療が進んでいったのですか?

 

まず最初に子宮体がんの方の手術が決まって、で、そっちの手術に合わせて外科の方も、同日手術にするということで、子宮体がんと乳がん、同じ日に手術をしたんですね。

 

――看護師さんでいらっしゃるので、いろんな知識もおありになると思うのですけれども、がんと宣告されてから手術まではご自身の知識とかで調べられたりもしたのですか?

 

ある程度…自分がいた科が外科とかではなくて、専門のところにいたわけじゃないので。自分で言われてからネットとか逆に調べ出して、調べ出したら逆に、すごい逆に不安になってきたんですね。ネットっていいことだけ書かれているわけじゃないし。
 結局、悪いことが書いているのもいっぱいあるし、あとはいろんなサプリみたいなものとか、こんなのがいいよ、こんなのがいいよ、こんなのがいいよ、体験談みたいなのがいっぱいあったりとか。自分が医療者なのに、そういうふうな時って、藁をも掴むつもりがあるのかな。要らない知識とかが入ってきて、不安が不安を煽って「これを飲むと免疫力が上がるのかな?」とか。そんな感じでなんか、要らなくネットばかり見た経験がありますね。

 

――術後はどのような治療になったのですか?

 

術後はだいたい2、3週間おいて、病理診断の結果が出て、一応リンパ節に出ていると。先生たちいうには、ステージ2Bで、乳がんの方が、腫瘤が2センチ以上で、リンパ節転移が1から3個、私は1つだったんですけど、「ある」っていうことなので、中リスクということで、抗がん剤治療をまず、した方がいいんじゃないかということで、抗がん剤治療を。それで、子宮体がんだけの方では、抗がん剤治療はいらないということで、乳がんの方で抗がん剤治療と、あと、ホルモン感受性だったので、そのあとホルモン療法。私の場合、全摘なので、位置的なことと大きさ的なことがあって全摘なので、放射線はそのあとはしなかったんですけれども。

 

――乳がんの全摘ということに関しては、何かお気持ちの中でありましたか?

 

手術ではよく見ていたんですけども、昔はそれこそ、胸筋まで取るのをみた時は凄いなと思ったんですけど、今はまず、胸筋は取らないということだったんですけども。でもやっぱり、乳房がなくなるって…自分でやっぱり、お風呂に前の日に入るとき「この乳房なくなるんだろうな」と思って、女性にとって乳房がなくなるということはやっぱりショックだよな、って。なんか、第三者的に見ている自分と、自分で「ああ…」という悲しい自分とあって。いざ、手術が終わったときに一番に、手がいったのが胸でしたもんね。やっぱりないんだ、みたいな感じでした。

 

――手術が終わって抗がん剤治療が始まったということでしたが、いかがでしたか?

 

私の場合なんか、両方手術していたので、体力がダウンしていたのか、なんかわからないけれど、抗がん剤が始まって1回目くらいはよかったんですけれども、2回目くらいからもう、すごい白血球の減少と、あとはだるさと、それこそ、口内炎が。白血球が下がっちゃって、そのためにもう、ちょっとかじったところの口内炎が、もう炎症を起こして、酷くなったりとか。あと、味覚が変わったりとか、いろいろあって、ほとんどおかゆとスープくらいしか食べられなくなっちゃってお茶とかも味覚が変わって飲めないお茶も出てきたりとかして。スープで、野菜を入れたスープで栄養を摂っているという感じで。


08'05" 職場や周囲の人との関わり

 

――看護師さんのお仕事はどうされていたのですか?

 

私は手術から両方の手術をした後すぐに復帰できないということで、9月末までは一応、長期休みをもらって、10月1日から復帰したんですね。
 まず、病院的にも一応、医療をやっているところだから、最初は半日ぐらいから始めてくれて、あと、夜勤とかはまずしないように配慮はしていただいていたので、つらいところとかは、ちょっと手伝ってもらいながらもやって、職場の協力もあったのでどうにか仕事に。で、逆に仕事を開始したら、病気のことだけ気にしている時間帯がなくなって、自分的には仕事に、最初は大変だったですけど、出てよかったのかな、と思いましたね。

 

――手術をする前から職場には復帰しようと思っていました?

 

自分の中では、できたら復帰はしようと思って。まず、半年休んだ時点で、自分が無理だなと思ったらそこでやめようかと思ったけど、まず1年ぐらい休んでも大丈夫だよ、とあったから、抗がん剤治療が終わって体力が回復した時点で決めようって思ったんです。髪の毛が全然ない状態で、かつらでの仕事だったのですけども。

 

――職場の方々はどんなふうに迎えてくれましたか?

 

職場のみんなスタッフたちは結構、みんなやっぱり、看護職の人たちは知っているから、大変なところは色々やってくれたりとか、つらい時は少し休みながらやってもいいよとか、慣れるまでは、割と協力はしていただきましたね。職場のみんなと婦長達にもいろいろ協力はしてもらって、自分は結構恵まれていたんじゃないのかなと思います。

 

――今もお仕事されていらっしゃる?

 

私は一度、おととしの4月に、勧奨退職でやめて、一年間ボランティアとかいろいろ趣味的なものをやって、1年くらいお仕事を休んだんですけど、やっぱり自分の中でまた仕事をやってみようかな、という感じで、去年の4月から復帰しました。

 

――がんを経験して職場に復帰されてから、何か変わったことってありますか。

 

処置室にいたときは、血液のがんの方で、やっぱり、抗がん剤治療で、かつらをかぶってきている人がいて、若い人だったんですけど、いろいろしゃべってきた中で「髪の毛がなくて辛いんです」って言っていて。その時、自分もちょうどかつらをかぶっていて「私も今かつらで仕事しているんだよ」と言ったら「え?」ってびっくりされて、その時は軽く会話で終わったんですけど。その方が入院された時に、そっちの病棟で「輸血して治療しているところでも、看護師さんがかつらをかぶって仕事していて勇気づけられた」と言われた時は、自分でも少しは役に立てたのかな、って思いましたね。


11'01" がんを体験したからこそ伝えたい思い~メッセージ~

 

――がんを体験した今だからこそ、ご自身から伝えたい事って何でしょうか?

 

そうですね。一つは、再発の方はいつまでも付きまとうんですけれども、特に私達みたいな乳がん感受性タイプっていうのは10年くらい晩期再発とかあるんですけども、でも、乳がんだけばっかり不安にとらわれて、そっちだけ考えていると気持ちが滅入ってしまいます。そうなのでやっぱり、もし仕事が復帰できるような、別の仕事でもいいので復帰できるのであれば、やっぱり仕事を復帰したりとか、趣味とか、まずボランティアとかで、病気以外のことを考える時間を持つことが必要じゃないかな、っていうのを。どうしても病気になると、特に最近はそうでもないけど、がんだともうダメな病気、あの、前よりもだいぶ考えは違ってきているんですけれども、死んじゃうのではないか、もうだめじゃないか、っていうのは昔はありましたよね。もう仕事できないんじゃないか、とか、仕事を辞めたりする人たちもいますけど、職場の環境にもよるけども、もし復帰できる所であれば、協力もしてもらいながら、やっぱり仕事もやっていった方が、気持ち的にも前向きになれるし。あとは、なんかこう、趣味とか持つ方がやっぱりいいんじゃないのかなって。自分も仕事復帰してよかったと思うし、いろいろなボランティアとかも趣味とかもやって、なんか、病気以外のことも考えている時間が結構できてきていたので、よかったな、って思いましたし。あとは、患者会。自分が。なかったので作ったんですね。たまたまその時、医療職看護師と別の医療職の人が、同じ年にやったのがいて、そういうふうな「話し合える場所が必要だね」ということで患者会を立ち上げて、で、十数人なんですけれども、その中で、来た人がすごく不安を持っているのが相談できたりとかして、よかったというのがあって、やっぱり、患者会とかに入るのも、一人で考えていないで、必要だなというのも感じたし、あと、自分が病気になったときに、実は病院のがん相談員のところにも、どんなもんかな、と思って行ってみたんです。最初はそこの人しか行けないのかと思っていたけど、いろいろ聞いたら、行ける、っていうんで、どこにかかっている人でも行けるよ、というので、どんなものかなと思って行ったんですけど、やっぱり、そういうふうなのも利用して、いろいろ不安なことがあったら行くのも一つの、あれかなと思う。

 

――今、がんの不安と向き合っている方もいると思うんです。情報も知識もないまま、不安に思っている方々に何かメッセージをお送りするとしたらどんなことがありますか?

 

まず、ネットを見るもの悪くはないんですけど、あんまり、ネットだけから情報を集めようとすると、逆に不安とかが募るので、あまり深入りしてネットとか見ない方がいいかな、というのと、あとは、もしどうしても知識をつけたいというのであったら、自分で後で思ったんですけども、乳がん学会で出している、患者さんのための診療ガイドラインというのがあるんです。それはきちんとした、乳がん学会が出している本なので、毎年その年の何年版というのが出ているので、それはちゃんとした本なので、いらなくいろんなネットとかから知識を集めて不安になるよりは、いいのかなと思います。
 

好発年齢になったら、きちんと行くべきですね。1回大丈夫だといわれても、やっぱり気になるのだったら、何ケ月か日をおいて別のところに行くっていうのも大事かなと。どうしても、大丈夫と言われてもやっぱり、不安が残るときもありますよね。だったら、それで大丈夫と思わないで、まず、ちょっと聞いて、別の医療機関に行くというのも一つのあれだし、あとはやっぱり、定期的に2年にいっぺんとか、検診を受けるのも大事かなと思いますね。