子宮体がん(発症時:48歳) 収録時:61歳 女性 総時間:9'29" |
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目次
00'03" がんとわかったきっかけ
01'58" がんと知った時の気持ち
03'30" 家族への思い・家族の思い
04'14" 職場や周囲の人との関わり
05'33" 治療(手術や入院)について
07'50" がんを体験したからこそ伝えたい思い~メッセージ~
00'03" がんとわかったきっかけ
――どういうことがきっかけで病院を受診されたのですか。
2年ほど前の、48歳の時にですね、異常な不正出血がありまして、産婦人科に行きまして、それがきっかけですね。
子宮がん検診をしましょう、ということで、2年ほど通院しているんですけど、問題ないと。卵巣が腫れていますね、みたいなかんじで。
ただその2年目の最後のですね、7月に、その当時勤めていましたパート仲間がですね、いくら更年期の異常出血でもそれおかしくないか、と。ちゃんとホルモンを調べたの?と言われて、そういえば私は貧血、出血による貧血の検査はしていたんですけど、ホルモンは調べてないなと思って。それで9月の初めに職場の健康診断がありまして、たまたま満50歳でしたので、超音波の検査の項目がありまして、その検査の時に、最初はお腹の方、胸の方、上の方やっていたら別に何ともなくて、下腹部にいったら技師の女性がですね「あれ、なんか卵巣が腫れているみたい」って。そこで思い切って違う病院に行きまして、で、いろんな検査をしました。今になって思えばなんですけれども、変えた病院で検査したのが子宮体がん検診だと思うんです。
検査をして一週間後くらいに結果っていうんですか、聞きに行った時に、それでもその先生は病名言わなくて、手術が必要になるので病院紹介します、っていうことで。
01'58" がんと知った時の気持ち
――では、がんですと言われたのは大きな病院で。
そうですね。
――がんと伝えられたときはどんなお気持ちでしたか。
やはり頭が真っ白けですよね。でも、自分が無知だったというせいもありますし、当時夫が単身赴任していましたので病院の帰りにスーパーに寄って、駐車場からメールしたんですけど、「やっぱり病院変えれば良かったな」っていう返信が返ってきまして。まあ「たら・れば」の話になりますけれどもね。周りの方たちの耳にね、傾けていればこんななかったのかな、っていうのは思いました。
――それで、手術を受けることになったんですか。
子宮、卵巣、卵管、という、全部取りましたね。
――子宮体がん自体は意外と大きく?
はい、ステージでは3だったようです。すぐ入院ということではなくて、私たち素人はね、もう、がんとわかっているから、即入院して即手術、って焦っていたんですけども、大丈夫大丈夫みたいな看護婦さんの説明が。はい。あの、進みが遅いみたいです。
――大きな病院で子宮体がんです、手術が必要です、っていうふうになってからは意外とご自身冷静に?
そうですね。実は、病気になる年に女優の樹木希林さんとか大空真弓さん達もがんで記者会見しているのを見ていて、すごく冷静だったんですね。すごいなぁって見ていたのもあったのかもしれないですね。
03'30" 家族への思い・家族の思い
――お子さんたちの反応はどうでしたか。
息子たちは別に何にも言わないんですけど、娘がですね、お母さん、がんになってこれこれこうで手術しなきゃなんないって言ったら、お母さん良かったねって言ったんですよね。えっ、と思ったら「だってお母さん、この歳で結婚するわけじゃない、子供産むわけじゃないから、もう手術でそういうの取ったって別に大丈夫なんだから」って言ったので、ああそうか、そういう考え方もあるな、と思って。幸い子供がもう大きいですので自分の体だけを心配して療養すればいいんだなというふうに、ちょっと気持ちの変化っていうんですか、そういうのがありましたね、おかげさまで。
04'14" 職場や周囲の人との関わり
――お仕事はどうされたんですか。
パートでしたので、でも、最初は手術だけの入院だったので、上司の女性の方に全部お話してお休みをいただきました。でも、私、がんのことを甘く見ていまして、12月の頭に退院して年末に復帰しようと思っていたんです。手術して悪いものも取りましたし。ところが病理結果の時にですね、長男長女も呼んで先生から結果を聞いた時に「リンパ節、右に一か所細胞があるので、抗がん剤を半年したい」とおっしゃったんですね。半年か…と考えて脱毛もあるでしょうし、いろいろあるから仕事はできないな、と思ってその日の夕方、職場にも落ち込んだ状態でお電話したら、職場の方はまず、体が大事なので優先するので、お休みされてもいいですよ、っていうふうに了解は得ました。
――いつ戻ってきてもいいから休んでくださいね、っていうふうに言ってくれたんですね。
そうですね、はい。ありがたい言葉はいただきましたね。
05'33" 治療(手術や入院)について
――抗がん剤の治療を受けないと決めたのは、手術をする前ですか。
後です。私はもう、がんは手術すれば治るものだと思っていましたので「ああ、これで良かった。やれやれ」っていう時にその病理結果で抗がん剤半年って先生に言われてもがんの告知を受けたときよりも落ち込んだんですね。
まず姉が「がんのことについて勉強しよう」ということで一番最初に買ってきてくれた本、あと図書館からいろいろ借りてきてくれたんですけれども。やはりその患者さんたちの書いた本の方が納得できるんですよ。
あと私、4人部屋だったんですけれども、一泊二日とか二泊三日で抗がん剤の点滴で入院される方がいらっしゃって、皆さん具合悪いんですね。そういう方たちを目の当たりにして、私も抗がん剤やります、って言いたくないな、って思いまして。
一人でも元気な方がいれば、ちょっとは抗がん剤の方に気持ちが動いたかも知れないですけれども。
――なかなか、手術をしてその後に抗がん剤治療をやってくださいと言っているのを断るというのは勇気がいることですよね。
先生と主人も交えて、どういうふうに治療をしていくか、最終相談の時に、私は本当に、喉まで出かかって聞けなかった質問を、先生が言ってくださったんですね。それというのは、もし自分の妻が私と同じ立場だったらどうするか、ということで、自分は医者として、いっぱい資料は提供するけれども、最終の判断は妻に任せるとおっしゃったんですよ。「ああ、そうかぁ」と思って。それで「先生、抗がん剤を拒否します」って言ったら、「いいですよ。ただ、検診だけはきちんと来てくださいね」って私の意見を尊重してくださいました。
――抗がん剤治療を受けないことを決めて?病院の方にも通院はされていたんですか。
最初は毎月ですよね。そのうち、3か月に一回とか。去年、一昨年の10年間通院しました。最後の3、4年は1年に1回だけの検査だけだったんですけれども。
07'50" がんを体験したからこそ伝えたい思い~メッセージ~
――がんを乗り越えられたという、その源はなんだったんでしょうか。
やはりまだ50ということで、子供3人が結婚もしていない。孫の顔も見てないっていうことで、やはり「死んでいられない」っていうのが、一番先に思いましたね。「死にたくない」っていうか、「生」への執着心があったおかげなのかなあ、って思っていますね。
――ご自身が勉強されて、そして、難しい決断を決めたというところも大きなポイントではないでしょうか。
やはり、自分で自分の身体を責任持ったというのが良かったのかもしれませんね。自分の命は自分で決めて。これからも、しかしたら長生きすれば、またね、リスクが高くなるので、がんになるかも知れませんけれども、それはそれでまた、自然と受け入れてやっていきたいな、とは思っていますね。
――がんを体験された今だからこそ伝えたいことっていうのはなんでしょうか。
本当に病気に関して無知でしたので、がんのおかげで本当に健康のありがたさとか、普通の生活ができる幸せとかを教えてもらいましたので、「ただでは転ばない」っていう感じで。がんのおかげでいろいろなことを勉強させていただいたので「ありがとう」という気持ちですね。