悪性リンパ腫(発症時:46歳) 収録時:50歳 女性 総時間:17'15" |
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目次
00'03" がんとわかったきっかけ
01'24" がんと知った時の気持ち
03'35" 職場や周囲の人との関わり
05'03" 治療(手術や入院)について
12'08" 職場や周囲の人との関わり
13'38" がんを体験したからこそ伝えたい思い~メッセージ~
00'03" がんとわかったきっかけ
――がんと分かったのはどんなきっかけがあったんでしょうか?
11月の末でしたね。1か月くらい、夏くらいから、ちょっと足が浮腫むっていう、最初の症状はそれだったんですけど。でも、なかなか受診出来なくて、受診したのが、発見される1か月前くらい病院に受診して、3回目の受診でCTを撮って、その時に分かって。
――足が浮腫む?
はい。すごい浮腫みましたよ。もう、本当に象の足みたいな感じで浮腫みましたね。全体的に。最初はやっぱり、足の甲とかだったんですけど、だんだんだんだん、上のほうも浮腫んでくるようになった、というか。最終的に、本当にももまで。股関節から、つま先まで浮腫んでいる、みたいな感じで。同僚に「もうそれはちょっと異常だよ」って、言われて。まあ、おかしいな、とは思っていましたけど。で、こう言われて、じゃあ、はい、行きます。って、その日、すぐ病院に行って。でも、すぐは分かんなかったんですよね。3回目に受診して、すぐもう、入院の支度をして行ってくださいっていう。
01'24" がんと知った時の気持ち
――その時の心境は、いかがでしたか?
いや、もう、ちょっとよく覚えてないんですけど。ああ、そうか、っていう。まあ、でもその時先生は、もしかして調べたら違うかもしれないけど、って言ってくれたので、まあ、違うかもしれないんだろうなっていうふうには、ちょっとこう、ちょっとそこら辺をこう、希望にして、というか。でも、父親が肝臓がんで母親が直腸がんで、自分も直腸がんかな、とは思っていたんですよ、なんか、がんになるとしたら。おかしかったんだなあっていう気持ちもあったし、やっぱり、なんとも一言では、なんとも言えないような感じでしたね。
――がんだと分かった時は、どんな心境だったでしょうか?
複雑な。やっぱりな、というのと、確定診断つくまでは、違うかもしれないな、違ったらいいな、という気持ちでしたね。家に帰って、母親と二人暮らしなんですけど、母親にもすぐ、隠さないですぐ言って。で、一人になった時に、なんかいろんなことが、やっぱりこう、考えましたけど。なんか、体調が悪かったせいか、たいして考える暇もなく、もう眠っちゃっていましたね。で、次の日は、あと、行くしかないので。診断されて、病院から職場に戻って、隠すつもりはないので、やっぱり聞かれたら、長い休みになると思うし、ってことは言いました。で、仕事ありましたけど、もうできることだけやって、あとはもうお任せします、っていうので、何にも仕事の心配もしないで、入院できましたね。
03'35" 職場や周囲の人との関わり
――職場の方も病気を理解して、受け入れてくださった。
そうですね。で、たまたまなんですけど、半年前に職場の同僚というか先輩というか、同じ病気で、他の病院に入院していたんですよ。で、どういう病気かっていうのもその人からも聞いていたんで、なんか、いろいろ準備万端整ったところに入院、病気になったみたいな感じ。
――じゃあ、がんだと分かったときには、いろんな思いがありましたけれども、同じ病気の方もいたり、そういったところも違う面があったんじゃないでしょうか?
やっぱり仕事をする中で、病院の先生、お医者さんとか看護師さんとかと接する機会は多かったので、医療職の皆さんが本当に必死に、患者のために必死なんだというのを、すごい感じていたんですよね。なので、入院してからも、先生方とか看護師さんたちが、どれだけ真剣にその治療してくれているのか、っていうのを分かっていたっていうか、そういう気持ちで、安心して入院、治療を受けられたっていうのは、他の患者さんよりは、本当に準備ができていたっていうか。
05'03" 治療(手術や入院)について
――実際の治療は、どんなふうに進んでいったんですか?
抗がん剤だけの治療なんですね。やっぱり、血液のがんは、手術が無くて。全部で、最初の入院から治療が終わって、退院するまでは、全部で7回。出たり、入ったり。1年3か月、4か月くらい、出たり、入ったり7回。最初の3回は、予定通りの治療。そこで、治療を終えられるはずだったんですけど「遺伝子まで消えていないです」って言われた時は、もう、ガーンって思いましたけど。そこで、全部遺伝子まで消えて、完全寛解っていう状態になる人もいるんですけど、遺伝子が残っている。で、薬の効きがいいので、もうちょっと、別の種類の抗がん剤治療をしましょうというので、それをまたやったんで、ちょっと延びましたね。
――抗がん剤治療は、どうでしたか?
あの、大変だなと思ったのは、最初と最後。結局、抗がん剤を6回、3回、あと、大量抗がん剤っていうのを2回やったんですね。最初の抗がん剤治療の時は、ちょっと2、3日、3、4日辛かったです。最後の大量抗がん剤、その通常の10倍くらい入れるよ、って言われたんですけど、その時もやっぱりちょっと辛かったんですけど、あとは全然。髪が抜けるくらいで。あっ、ちょっと歯も痛くなったかな。でも、あとは、食欲なくなるとか、ああいうことも無くて、先生にも、退院している間、仕事しているんでしょう、とか言われたんですけど、そこは、無理しないで、治療と治療の合間の2週間空けたり、長い時で2か月くらい間は空いたんですけど、そこももう遠慮なく休ませてもらって。
――入院中に、不安はなかったですか?
不安はありますよ。抗がん剤が効くがんではあるんですけど、やっぱり、みんなが治るわけではないし、治るのか、治らないのか。とか、その副作用で白血球がグッと減るんですね。その時は、感染症、怖かったですね。マスクして。
白血球が減った時に、感染症になったらどうしようっていうのと、本当に白血球が自然に盛り返してくるのかな、っていう、そういう不安もあったし。やっぱり、その6回の治療を終わって、結局、完全寛解しなかったっていうことで、治療を足した時も遺伝子まで消えるのかな、っていうのは、いつもじゃないんですけど、なんかの瞬間に、大丈夫かな、と思うことは、やっぱりありました。
――不安な気持ちを誰かに相談されたり、拠り所とするものは何かあったんですか?
相談はしなかったです。もう、考えても仕方ないことじゃないですか。まあ、自然とやっぱり思っちゃいますけど、考えても仕方ないことは、なるべく考えないようにしたかったです。笑って過ごしても一日。泣いて過ごしても一日、なので、せっかく、なりたくてなれる病気でもないし、なかなかない入院の機会だし、ちょっとそこら辺、楽しく過ごしたかったですし、転んでも、ただでは起きたくなかったので、そこら辺はもう考えないようにする。というのと、やっぱりあと、本を読みました。自分は治るんだ、って思わせてくれるような本っていうか。他の人たちって、本当に調べるんですよね、病気。で、いいことだけ書いてあればいいんですけど、嫌なことも書いているし、それが正しいか正しくないかっていうのは分からないので。先生がいいと思った治療をしてくれているし、そこら辺、自分で調べて変に不安になるのも嫌だったので、とりあえず、自分の病気のことではなく、本当に、自分の「治るんだ」っていう確信をさせてくれるような本を読みましたね。
――退院時には、先生は何と言ってくれましたか?状態に関して。
入院中に先生が言ってくれたこととかをメモしていたりするんですね。患者の調子がいい時は、先生は、超あっさりなんですけど、最後の大量抗がん剤で個室に入っていた時は、朝晩朝晩、先生来てくれて、すごいニコニコして入って来てくれるんですよ。そういう時って。いつも、励ましの言葉をかけていってくれていたんですけど、退院するときもあっさりしてあったような。もう治ったからね、みたいな感じだったと思います。退院オッケーですよ、って言われたくらいしか。
小まめに説明するような先生ではなかったんですよ。忙しいですし、患者も多かったんですけど、それがかえって自分には良かったですね。入院する時も、すぐ入院してください、患者が病気を受容しているのを待っている暇はないから。入院して同室の患者さんたちから、いろいろ話を聞いたほうがいいよ、って言われて。正に本当に、その通りだったんですけど。そんな感じだし、普段来ても、こっちからも特にしゃべることもなかった。しゃべらなくても、勝手に信頼していたので、あんまり質問もしなかったですし、言われたことは、はいはい、って聞いてればいいんだなあって思っていました。
2月に退院だったんですよ、で、ちょうどインフルエンザも流行る時期なので、復帰したのは5月から。5月はひと月半日勤務にしてもらって。ただ、その前に、ちょこちょこ来て、自分のいい時に。1時間2時間やったりという感じで、自分のペースで身体を慣らして。本当に、ありがたいんですけど。で、半日勤務して1日みたいに。それも先生に、まだ働いてないの?もう、すぐ働いてもいいのに、みたいには言われたんですけど。自分で、ちょっとね、調整しました。
12'08" 職場や周囲の人との関わり
――がんを経験する前と、経験した後でお仕事に対する気持ちとか変わったことはありますか?
自分が世話をされてみて、世話をされる人の気持ちっていうのが、本当に、実感できて良かったです。それは変わりましたね。なので、高齢者の仕事なので、ご本人とかに声をかける時とか、やっぱり、今までと違うはず、と自分では思っています。言葉に出ないまでも、接する時の気持ちがやっぱり違うので。
――患者会での活動もされているんですか?
具体的な活動としては、会報に、ちょっとこう入院の思い出みたいなのを寄せたり、何かイベントがあった時に行くらいで、入院中にお茶会なんかがあったんですね、病棟で。その時に、患者会の皆さんにはすごい励まされたので、自分もそれにも行きたいんですけど、やっぱり遠くて。仕事もあって、なかなかそっちの方には出られない。あと一つ、新しくまた入ったところは、これから何ができるのか、というのは先輩方と相談しながら、がんばっていきたいと思っています。
13'38" がんを体験したからこそ伝えたい思い~メッセージ~
――がんの体験を通じて、気づいたこと、そして、がんを体験して今だから伝えたいことは何でしょうか?
気づいたことは、やっぱり病気になっても『変わらない自分』だったってことですかね。病気になっても、ならなくても、やっぱり、毎日楽しく暮らしたい。どうせ、一日過ごすんだったら、笑って過ごしたいっていうこととか。それは、自分の親とかが、がんになって、父親は、がんと言われて、5年で亡くなったんですよね。ただ、亡くなるぎりぎりまでは、本当に元気だったんですけど。母親はがんになって、でも、もう10年以上元気で。そういうのを見ているせいかも知れないですけど、やっぱり、いつか死ぬ、ということとか、一日一日を本当に、一生懸命…一生懸命って言うのは生きる、っていうことを、こういう仕事のせいもあるかもしれないんですけど、常に意識していたので、結局、病気になっても、ならなくても同じなんだなっていうか…というのを病気になって…病気になったら、ものすごく人生観変わる、とか、人格が錬れる、とか、人として器が大きくなるっていうのを想像していたんですけど、もう、所詮、自分は自分だった、という、その再発見ですかね。
入院中とか休んでいる間は、やっぱり、仕事のことを考えるんですよね。退院したら、ああしよう、こうしよう、って。それも結局、最初だけで、時間経ってくると元に戻っちゃったりもするんですけど。でも本当にいい経験、いい経験でしたね。
――ご経験されたご自身から何かメッセージというか伝えたいことがありましたら、最後にお願いします。
よく、前向きだったから治った、とか言われるんですけど、そうではないと思います。本当にショックで、超落ち込む人とかもいると思うんですけど、でも、その人には、やっぱり、その人なりの治り方というのがあるので、もう、落ち込みたい時は、ずっと落ち込んでもいいんじゃないか、と。ただ、周りの人が、それでも温かく見守っていてほしい、と思います。本当に、悩んで悩んで、悲しんで悲しんで、底の底までいった時に、やっぱり、そこから上がってくるきっかけになるのが、周りの温かさというか、見守りなんじゃないかな、と。あと、可哀想がりたがるんですよね、周りの人たちって。なんか、それはちょっと、鬱陶しかったので、自分的に。なので、そういう人たちにも負けないでほしいって言えば、あれですけど。周りは毎日楽しく過ごそうと思って、そう出来ましたけど、やっぱり、そう出来ない時もあるし、周りに何を言われても前向きになれない時は、なれないですし、その苦しむことが必要な人って、本当にいると思う。