診断時:40歳代前半

インタビュー時:診断から32年(2009年)

性別:女性   保健医療圏:上十三地域

世帯状況:

備考: 

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私はガスが出ないのが苦しくて。

 

私はお産を3回経験していますので、結構、痛みに強いんですよ。自分でそう思ったもの。子宮外妊娠のときも、ちょっとくらいのおなかの痛みは我慢できるんですよ。(笑)何かおなかが痛いなと思ったの。でも、お産の苦しみに比べると我慢できるんですよ。おなかが痛いなと思って、随分長く続くなと思って、土曜日だったからでほとんどの病院がやっていなくて、そのとき、K診療所というところがあったんですよ。

 

診療所に行ったら、運良くちょうど先生がいて診てくれたんですけれど、最初は盲腸みたいだと言われたんですよね。盲腸みたいだと言われて、「うちは看護師さんが今、お産でいないから、人手不足でうちでは手術はできないから、C病院に紹介状を書きます」と言われて、我慢できない痛さだったから、帰ったら温めてくださいと言われたのか、冷やしてって言われたのか忘れたんですけども、そう言われました。

 

それで、帰ってきて、一晩温めたのか冷やしたのか忘れたんですけども、やって、我慢できるだけ我慢して、次の日は日曜日だから我慢しました。月曜日の朝、病院に行くときに歩けなくなったんです。主人に抱きかかえられるような感じで、あのときは救急車を呼べば良かったんですよね。紹介状を持って、車でC病院に行きました。でも、最初に内科に行ったら、救急車でないからすぐ診てもらえなかったんですよ。

 

内科で診たら、すぐ婦人科に回されて、「すぐ手術ですよ」と言って、私はそのときはもう、意識がもうろうとしてて、はっきりわからないまま「手術です」ってバタバタとなったんです。何かそれも夢みたいな感じでもうろうとしていました。とにかくそう言われて、手術が終わってから先生に、「命拾いをしましたよ。1時間遅かったら、だめだったんですよ」って言われたときは、自分でも「1時間で私は死んでいたんだ」って思って、そのときのほうが子宮がんのときよりも大変だったような気がします。1時間遅かったら死んでいたんだと思って。