関係 / 家族の思い・家族への思い
ここでは、子宮がん体験者が、パートナーや子ども、そして親族に対し、どのような思いを持っているか、そしてそれらの人々がどのように病気に対応したかについての語りを紹介しています。
パートナーとの関係
子宮がんの治療は、子宮や卵巣、卵管を摘出する方法が中心となるため、(手術治療のページ参照)その後の性生活を含め、パートナーとの関係に変化を及ぼす可能性があります。またがん体験者自身も、子宮や卵巣を失ったことで自分に対するイメージが変化する場合があります。心に様々な葛藤や心配を抱えながら、パートナーとの関係を築きなおしていく時、子宮がん体験者はどのような経験をしてきたのでしょうか。ここでは、パートナーが、がん告知をどう受け止めたか、またパートナーからの治療中のサポートや、治療後の性生活についての語りを紹介します。
がんを告知され本人が精神的につらい時期、パートナーも同じようにショックを受けることがあります。中には夫が体調不良になったと語った人もいました。
・夫はすごく心配し落ち込んでいました(音声なし)
(夫は)すごく心配したと思いますよ。落ち込んでいましたもの。先生にお話を聞くでしょ。明日手術ですからといって同意書みたいのを書くでしょ。そのとき、ショックであまり聞けなかったですよ。
闘病中、パートナーが病院にお見舞いにきてくれたり、家事を担ってくれたのが何より支えになったと体験者たちは語っています。そのサポートがあったから、がんになっても大丈夫なんだと感じたと言う人もいました。病気をきっかけに、これまでのパートナーの態度が変化したと話す人もいます。
・お父さんが家の中のことを全部、1から10までやってくれたんですよ。(50歳代前半・女性)
・夫の支えで、がんになっても大丈夫なんだなと感じました(40歳代後半・女性)
・夫は病気をきっかけに変わりましたね、もう全然(30歳代後半・女性)
病気になったとき、必ずしもパートナーが初めから協力的であるとは限りません。最初は夫が入院に難色を示した、また終始夫が無関心だったと語る人もいました。
・「おれ、お正月に何食べればいいの?」って主人は言いました。(30歳代後半・女性)
・うちの旦那は丈夫な人で、病気にあまり関心ないんですよ(50歳代前半・女性)
子宮を手術した場合の治療後の性生活は、ある程度の期間(通常1ヶ月から2ヶ月)制限されます。子宮や卵巣を取っても、性生活は変わらずに行えますが、初めは痛みや出血がある場合があります。また卵巣を取ると分泌物が少なくなって、摩擦による痛みが生じることもあるので、市販の性交用ゼリーを使うと不快感が軽減されます。以上のことをパートナーが理解し、体験者の気持ちと体を思いやることが必要です。(注1)
(注1)参考:国立がん研究センターがん対策情報センター
術後の性生活について、入院中医療者から説明を受けた人もいました。ある方は「副腎からホルモンが出る」と看護師から説明をされたと受け止めていました。女性ホルモンは主に卵巣から分泌されるので、看護師が何を伝えたのか正確にはわかりませんが、この方の場合は説明を受けたことが不安の軽減につながっていました。また、治療中、術後の性生活のことまでは考えなかったと語る人もいました。
・看護師さんがちゃんと説明してくれて夫婦生活は心配しないで帰ったんです(30歳代後半・女性)
・(術後の性生活について)聞きたければ教えますと病院では言われました(50歳代前半・女性)
退院した後、性生活を再開するまでの期間は、今回お話を聞いた体験者の中でも1ヶ月から半年くらい、あるいは覚えていないと様々でした。ほとんどの人は、性生活再開後は、違和感なく性生活を送れたということですが、パートナーのことを思うといつも性生活を拒否ばかりはできないので、時に受け入れ、時に拒否し、工夫して生活してきたという語りもありました。また、子宮全摘すると周囲から「もう女じゃない」と見られるが、夫婦の間の愛情はそれには左右されないという人いうもいました。一方、全く性生活が無くなったという人もいます。これはがんになって手術を受けた時の年齢も関係している可能性があります。
・1カ月くらいは、先生がいいって言うまではだめだったんです(40歳代前半・女性)
・半年はもったいないから(体を)大事にしました。(その後の性生活は)拒否するときも受け入れるときもあります(30歳代前半・女性)
・(子宮や卵巣を)全部取ってるから体がもたないというか、要求してないんです(50歳代前半・女性)
がんになって心配させたこと、また入院中家事などの苦労をかけたことについて、パートナーに申し訳なく感じていると語った体験者もいます。
・夫がエプロンかけて歩いていたとよその人から聞いて申し訳なかったと思いました(40歳代後半・女性)
・私ががんになっちゃったから心配かけて申しわけないなと思ったのは事実です(50歳代前半・女性)
子どもとの関係
子どもにどのように病気を説明するか、そして子どもとどのように関わっていくかは、病気になったときの子どもの年齢によって大きく違います。今回インタビューした中で、子どもが小さかった人は、病名は詳しく伝えてはいませんでした。そして治療のために子どもと離れて入院するのが、何よりつらかったとを語っています。また子どもが、母親のいない寂しさを紛らわせるため、近くのゲームセンターに通っていたと話す人もいました。
・やっぱり、何がつらいと言われれば子供ですね。子供が小さいから、家に帰りたい(30歳代後半・女性)
・娘が寂しくてゲームばかりやりに行ってお金がすっからかんになったと(40歳代前半・女性)
病気になったときすでに子どもが成人していた人たちは、病名を告げています。そして治療の間も子どもたちが大きな支えになってくれたと語っていました。娘から、具合が悪くなったら救急車を呼ぶようにといった冷静な助言を受けた体験や、子宮全摘が子どもを3人も生んだあとでよかったねと言われ、その言葉に納得したという体験を語った人もいます。
・私がいないと、料理なんかも息子がやるそうですよ(50歳代前半・女性)
・娘が、「私は忙しいから救急車を呼びなさい」って(音声なし)
病気のときなんか、うちの娘がこう言ったんですよ。「具合が悪くなったら救急車を頼みなさい。私は忙しい。私が駆けつけても何の手助けもできない。医学的なこともわからないから、病院にお願いするのが一番だから、救急車を頼みなさい」って、そう言うの。「確かにそうだけれども、あなたは冷たいね」って。(笑)
・「お母さん、もう3人も子供を産んだし、子供も要らないし」って娘に言われたんです(50歳代前半・女性)
また、自分ががんになったことで、娘もがんになるのではという不安を感じたという人や、娘自身が心配していると語った人もいました。がんの原因には、遺伝子の類似性と、生活習慣の類似性が関係しています。ほとんどのがんでは遺伝子的な要因は関係していませんが、全てのがんの中で5パーセント以下は「遺伝するがん」といわれるもので、遺伝性腫瘍・家族性腫瘍と呼ばれます。(注2)
(注2)参考:国立がん研究センターがん対策情報センター
・娘もがんになるのではという不安はすごく大きかったです(60歳代前半・女性)
・親や兄弟ががんになると似ているみたいでよくなるでしょう。だから、娘も心配しているんですよ(音声なし)
やっぱり今、親とか兄弟ががんになると、似ているみたいで、よくなるでしょう。だから、娘も心配しているんですよ。今、40歳ですので、そろそろ検診をしなければなと言っているんですよ。
家族・親戚との関係
ここでは、パートナーや子どもだけでなく、嫁、夫の妹、兄、姉、妹、がん体験者自身の親など、少し広い意味での家族・親戚についての語りや、特定の人を指さない「家族」という単位についての語りを紹介しています。
血縁、そして姻戚を含む家族の支えは大きかったと何人かの人は語っています。親戚の見舞いが涙が出るくらい嬉しかった、息子の嫁が病気の相談に乗ってくれている、妹が医師の説明を聞いてくれた、入院中は同居の兄の妹が子どもの世話をしてくれた、また兄や兄嫁が食事療法に理解を示してくれたなど、サポートの提供者は様々です。病気を機に家族の絆が強くなったと語る人もしました。
・(子宮全摘して)女じゃないという気持ちになったけれど家族の支えがすごく力になりました(40歳代後半・女性)
・みんなから支えられてここまで生きてきました(50歳代前半・女性)
・病院に勤めている嫁に検査結果を見て判断してもらっています(音声なし)
息子の嫁は病院に勤めているから、わりと話をするんですけども。
また引っかかったから検査に行くとか、そういうのは言っていますのでね、家の人たちにも。検査の結果が引っかかってくるでしょう。再検査してくださいって。それもデータをみんな出してもらって、うちのお母さん(嫁)から見てもらっています。どこに行けばいいかなとか、内科に行けとか、外科のほうがいいとかってお母さん(嫁)が判断してくれるから。
・兄嫁も心配してくれたと思うんですけど兄が「自分で食事療法決めてるんだからそれもいいんだよ」って言ってくれて(50歳代前半・女性)
一方で、身近な家族にこそ、心配をかけたくないのでつらいところを見せないようにし、治療の選択も家族の意見ではなく、自分自身で決めたいという語りもありました。高齢の親に病気のことを話していない人もいますし、家族を思えばこそ、負担になりたくないと考える人もいます。自分が死んだ方が家族は楽になるのではないかと治療中の切実な思いを語った人もいました。
・弱音を吐くと家族の者にも心配をかけるからなるべくそういう面を見せないような感じで過ごしました(60歳代前半・女性)
・私一人のおかげで(家族が)こんなに苦しむんなら、死んだほうがいいと思ったんです(50歳代前半・女性)