診断時:60歳代後半

インタビュー時:診断から1年(2009年)

性別:女性   保健医療圏:青森地域

世帯状況:夫婦のみ

備考:多発肝転移 

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最初は、強めにおう吐したんです。熱もないし、変だなと思いながらも胃腸薬を飲んで、ちょっと抑えていたんです。でも、なかなか止まらないから、たくさんではないですけども、少しずつ毎日のように出ているから、ちょっと異常だなと思って、近所のお医者さんに診てもらったんです。

そのときは胃カメラを飲んだりしたんですけども、胃のほうはさほど悪くはないし、そのまま胃薬をいただいて飲んでいたんです。でも、一向におう吐が治まらないものですから、そのときは病院ではリキッド(栄養剤)とかそんなので抑えていたんです。

 

固形物を摂るのが困難で、食欲もなくなってきたから、栄養が不足すればだめだということでリキッドを出してくれたんです。

 

それで抑えていたんですけど、それでもちょっとおかしいなと思って、娘が3月の連休のころに来て、吐いているのを見て、「お母さん、これ、だめ」ということで、すぐ最初に行った病院に休みでも交渉して、CTやレントゲンを撮ってもらったんです。

 

そこでいろいろ撮ったら「だめだ、大きい病院に行きなさい」と言われて、D病院に紹介してもらって、そして、どんどんと進んでいったんです。

 

――CTやレントゲンを撮ったときに、その「だめだ」というのはどういう意味で?

 

腫瘍ができている場所が、もう大分、大きかったみたいです。結局、こうして出している(おう吐している)のが(ちょう)閉塞(へいそく)ということですか、それを起こして出していたということですね。

 

それでやっぱり、大きい病院に行ったほうがいいですということになって、紹介状を持ってD病院に行ったんです。そしたら、覚悟していたんですけれども、すぐその日に入院ということになりました。

 

――行ったら、すぐそこで?

 

すぐ、その日のうちに入院ということになったんです。

 

――それは、紹介してもらった病院の検査の結果を見て?

 

見て。見ながらですが、D病院に、すぐに入院して、いろいろとまた検査をしたんです。

CTを撮ったりレントゲンを撮ったり、結局、大腸の内視鏡もやったんです。そして、モニターが見えるでしょう。先生が「ここだ」と言ったので、そのときに私もそれを見ていたので、「先生、場所はどこですか」と聞いたら、「一番奥だ」と言うんです。一番奥で、「ちょっと痛い場所だけど細胞を取るよ」と言われて取ったんです。モニターを見て、自分ながらひどい状態になっているなと思ったんです。

 

――映像で見て、自分でもわかるような感じだったんですか?

 

わかりました。

自分ながらにもあの大きさはびっくりしました。

 

――どのくらいの大きさだったんですか。

 

結局、ふさがる感じだったんです。

私は過信し過ぎたから、遅れてこういう状態になってしまったものだから。もっと早くわかっていればあれだろうけどもね。

 

実は、私の両親はまだ生きているんです。

(父親は)網膜(もうまく)剥離(はくり)をやったりして、ちょっと見えなくなったりしているのもありますけども、100歳にしては比較的(元気です)。その娘だから、今まで自分の健康を過信し過ぎて、ほとんど健診を受けなかったんですよね。

私の場合はわかった段階で既に手遅れだったんですからね。大腸がんというのは結局、おとなしい、すぐに出てこないんですものね。

 

――お父さま、お母さまはご長寿でいらっしゃるから、健康には自信があったと。

 

そうそう、そういう感じだから、過信し過ぎたんですね。