診断時:60歳代後半

インタビュー時:診断から2年(2009年)

性別:女性   保健医療圏:八戸地域

世帯状況:夫婦のみ

備考:正確には虫垂がん 

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一応、子供たちが東京へ行けば何とかなる症例があるんではないかと。F病院に紹介状を書いてくださいって、私の手術した先生に言ったわけね。私の手術した先生も初めてだし、治療方法もまだ、どうやってやったらいいかわからない。一応、原発は取ったけど、原発を取るのも、手術したとき盲腸だと思ってたからね。退院するときも教えてくれないし、検査に行った日に手術をそのままやっちゃった状態だから。開けたら違ったんじゃない?

 

結局、「最悪の状態です」って言われたのね。手術して、退院して20日目に行ったら、「だれかお家の方一緒に来ましたか」と。「いえ。子供たちはみんな遠く離れていて、関西方面、京都とか大阪にいるから、一応は連絡するけど、私一人で結構ですから言ってください」って言ったら、「最悪の状態です」って言われて。そして、いや、どの程度にあれだったのかと思って、どういう状態「播種(はしゅ)の状態でしたか」と聞いたら、それと同等だって。

 

――播種?

 

播種、飛び散っちゃったということね、粘液がんがね。結局、小腸とか骨盤の中にも入ってて、それが取れなかったと。結局、ゼリー状だから、手術してもすくえないんじゃない? 全部、ミクロの世界を取るということは。だから、無理だったっていうことね。

 

ただ、原発だけは取ったから、腫瘍マーカーはすごく下がったのね。3点いくつだかまでね。でも、予約を取って東京に行くまでにまた上がってくるのね、どうしても。待っている間、周りの者は心配したけど。行ったら、案の定、「助けられない」って言われましたね、はっきりとね。でもっとね。初期のほうだったらば何とかあれしたんでしょうけど、こっちからの紹介状を持って見ただけでわかるんでない?

私もいろいろあってPETみたいな知識がなかったから、「受けられるんですか」と。この辺にPETの診断がないから。そしたら、「PETなんて撮る必要ない」って言われて、必要ないと言われたら、そこまででしょ。細かいものが映らないんだってね。PETもあまりにも小さいものはね。放射線も、治療できない。標的がないから治療できない。固まるものじゃないから、粘液のあれだからね。だから、結局、化学療法しかない。しかも、それもある程度あちこち行ってるからということだったんじゃない? 緩和ケアを勧められた状態ね、結局は。