診断時:50歳代前半

インタビュー時:診断から4年(2009年)

性別:男性   保健医療圏:青森地域

世帯状況:親子

備考: 

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やはり夜が怖いんです。

 

布団に入って一人になるといろいろことを考えるし、がん保険にも入ってなかったんです。お金の問題で入っていないのじゃなく、それまでは自分は決してがんにはならないと、がんになんかなってたまるかというのがあって、がん保険ができたあたりも、がんイコール死、助からないという時代であって、私が告知を受けたときにも、これだけがんの治療とか薬が進歩しているのがわからなかったものですから、がんイコール死というのは思っていました。

 

夜になるとそういう不安があって、何かわからないけれども自分は絶対がんにならない、だから、がん保険にも入らないんだ。がんの告知を受けたときは、「そのときはそのときだ。仕方ない、諦めるよ」というふうに仲間内にも豪語していたというか、偉そうな、何の根拠もない、自分はがんにならないという信念なんですけれども、そういうふうに思っていたものですから。

 

その自分ががんになったということで、やはり、何で自分がという思いが非常に強くて、偉そうに「がんになったら諦めるからがん保険なんかに入らないよ」と言っていたんですけど、やっぱりどう考えても諦められないんです。やはり生への執着というか、そういうのがふつふつと沸いてきて、悲しくもないのに涙ばかり出てきて。

 

それはやはり私だけじゃなくて隣に寝ている家内もやはり同じであって、寝てないんです。自分でも寝ていないし、様子がわかっているんですよ。二人で泣いたりとかして私の気持ちを察して、結婚したときはこいつを守ってやろうという気持ちで30年近くも来たんだけれども、そのときに初めて家内から、「私が守ってあげるから」と言われたときはまた悲しくて。

 

そういうのが2~3日続いて、これじゃいけない、たばこをやめようと思ったのにたばこを吸っている自分も、精神的なものを落ち着かせようとして吸っているんですけれども、これじゃいけないと思いました。自分もつらいかもしれないけれども、周りのほうがもっとつらいのかなということを考えて、ともかくその時点では、終わって失敗したら失敗した、進んだら進んだ、なったものはしようがないと。今こうやっていてもしようがないし、今やれることは何だろう。何もやらないでこうやって悲しんだりクヨクヨしたりしていても何も始まらないと、とにかくできることはやろう。結果はどうであれ、やれることはやろう、何でもやろう、手術でも抗がん剤でも何でもやろうというふうに決心したのが告知を受けてから10日くらいです。

 

そう思ってしまうと意外と楽といえば楽ですね。生への執着と言いましたけれども、自分一人で生きているんじゃないというのが一つと、自分で好き勝手に生まれてきたわけでもないし、父親があって母親があって、親があって自分がいるんだというふうなことを考えると、私は神様とかそういうのは信じないタイプなんですが、「神にもすがる」という話をするけれども、それは思わなくて、やはり自分で勝手に生きているんじゃなくて、親からもらった命、生かされているんだと、何をやっても運命だから何でもやってやろうというふうに自分で自分に言い聞かせて納得したということです。患者さんはこれが一番難しいんじゃないですかね。