診断時:50歳代前半 インタビュー時:診断から4年(2009年) 性別:男性 保健医療圏:青森地域 世帯状況:親子 備考: |
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A病院の場合は呼吸器内科と呼吸器外科というのがあって、最初の検査と告知までは呼吸器内科の先生が担当して、手術するとなると呼吸器外科の方が対応になるものですから、外科の先生と相談してみなければわからないということと、いわゆる、左の中央気管支に近いものですから、手術をするとすればそこだけ取るということはできないので、そこから以下、下のほうは全部摘出になりますということを言われたもので、手術となると、もしかしたら左の肺を全部ということになりますということを言われました。それも大分ショックだったんですけれどもね。
結局、私も取れるものは取ってしまいたいという気持ちがあったので、たとえ左の肺が全部なくなっても死ぬわけじゃないし、生への執着というか生きていたいという気持ちがありました。50年生きていますけれども、それでもまだ生きていきたいという気持ちがあったものですから、肺の1つや2つ、4つなくなっちゃ生きていけないですけれども、半分あれば生きていける可能性があるのであればそっちを選びたいなということで、それでもいいから取ってくれという話をしました。
―――先生のほうからは、いくつか治療の選択みたいなことは説明されたんですか?
ええ。説明されたんですけれども、A病院にはA病院の方針があるものですから、結局、患者さんの数が多い。東京とかの大きい病院は抗がん剤治療で小さくしてから手術するという方法もやっているけれども、うちのほうは待っている患者さんが非常に多いので、そういうゆっくりした治療はできません。多くの患者さんに多くの機会を与えなければいけないので、一人の患者さんに時間をかけている治療方針はとっていないからというふうなことを言われました。
「取れるんであれば取ります」というふうな形で意志確認を先生のほうから言われたので、「私も先生と同じ考えです。手術できるのなら取ってくださいと。たとえ左全部であっても仕方ないです」というふうなことを話しました。