診断時:30歳代後半

インタビュー時:診断から40年(2009年)

性別:女性   保健医療圏:上十三地域

世帯状況:

備考: 

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知らないと、聞くこともできないの。だから、若いときに聞きたかったなと思って。でも、この分生きたから、まあいいんだべと思ってたりして。(笑)長く生きたなと思ってね。子供たちに「90歳まで生きるんだか」って笑われたりしてるんだけど。「90歳までは生きれね(生きられない)」って私は言ってるんだけど。

 

こういう病気にとりつかれて、人に指さされて笑われるような、昔はそうだったよ。

 

――そうですか。

 

ここら辺でも、私たちの家のあたりで、本当に恥ずかしくてね。あそこの家で、こういう病気の人が出たとかって、人がしゃべるとか、そういうのが昔あったから。そういうのに気を遣ったの。そういうことで本当に大変だった。だから、自分の体のことよりも、家の人たちに申しわけないなという気持ちでね。

 

――あの家にっていう。

 

あの家にって言われるから、指さされてるんだべな(指さされているんだろうな)と思ってさ。そういう人の子供、嫁に欲しくね(欲しくない)と思ったりしてるんだべなと思ったりして。

 

――お子さんはお嬢さんなんですか。

 

いやいや、結婚しているんだけど。

 

――一人は女の子?

 

はい。少し離れた部落のほうからこの(患者会)に入った人があったの。そしたら、「私、入らないばよかった」って。子供たちを欲しいという人がなかったら大変だって、そう言ってやめていった人がいるもの。

 

――患者会に入っているから、がん患者だっていうことが周りに知られてしまうからということで、患者会を続けられなかった?

 

うん。その人がやめていったの。

 

――お子さんの結婚なんかに影響がある?

 

そうなれば大変だと思ってでしょ。その人は、私たちよりも若かったもの。

 

――そんな心配しなきゃいけないような。

 

家族の人たちが指さされてるかなと思って、そういうのに気を遣ったりして、本当に嫌だった。今は自分も年をとってしまって、あちこちにあったりすれば、「がんというものが毒なものなんだかな」って私が言ったの。

 

――がんが?

 

がんというものが毒なものかなって。みんなに聞かれても恥ずかしいなと思ってね。その当時はそう思った。昭和の時代は。

 

――昭和の時代は、恥ずかしい病気という感じが。

 

強かったの。でも、今になって長生きして、本当に良かったなと思ってね。

 

――今では、このあたりでも、がんだということで。

 

今はあちこちであるから、あまり気にもしないみたいだね。

 

――後ろ指とかはないですか。

 

それはないみたい。昭和の、私たちがやった時代だものね。知らないのと、恥ずかしいやらで大変だった。

 

――体がつらいということもあるし、それ以上に、周りの。

 

周りにも気を遣って生活してきたの。でも今、ここにこうして来るのが楽しみだ。

 

――そうですか。(患者会)が楽しみになって。

 

こうしてみんな、病人なんだなと思ってね。楽しみにして来てます。

 

――がんをやったときというのは、周囲の状態も今とは違って、周りの見る目も今とは違って?

 

違うと思いますよ。

 

――がんだっていうだけではなくて、乳がんだということは、何か違うんですか。例えば、ほかのがんだったらそんなに恥ずかしくないとか。がんだっていうだけでやっぱり?

 

いや、何と言えばいいべな、人にも言いたくないような、恥ずかしいような。