診断時:50歳代後半 インタビュー時:診断から8年(2009年) 性別:女性 保健医療圏:青森地域 世帯状況: 備考: |
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――病気を持っていないご友人の方とは、あまり会ったりされなかったとおっしゃっておりましたけれども、職場の方との関係性とかコミュケーションというのはご病気になられてからどうでしたか?
普段と変わらないふりをして、今考えると、ふりですよね。私は自分でみんなに負けちゃだめだという気持ちが強かったから、無理をしてでも健常者と同じだというふりだけをしていましたね。
――周りの方はどのように接していらっしゃいました?
いろいろ言われましたね、陰口も言われましたね。仕事しなくてもいいのにとかね。陰ではしゃべられましたね。表面もっては言いませんよ。でも、チラチラと聞こえてくるじゃないですか。それがつらいですよね。
――そういうご病気になって、ほかの方から言われた言葉で傷ついた言葉で覚えていることはあります?
やはり、乳がんをして何で働かなければいけないのという言葉が一番傷つきましたよね。私は仕事が張り合いというか、仕事で気を紛らわしたくて仕事をしていたものですからね。それを否定されたときは傷つきますよね。
――そうですよね。わかります。その中でもお仕事をずっと続けたれたというのは、何か原子さんの中でも思いがあったのですか。
やはり上司の何気ない支えというか、それが強かったと思いますよ。
――逆に支えられたなということで、覚えていらっしゃる、ほかの人から言われた言葉というのはありますか。
やはり上司で、「必ず戻ってこいよ」という言葉と、職場の人が「みんな待っているからね」という言葉が一番の励みですね。
――それがあるから頑張れるというのがありますよね。
そうですね。