診断時:40歳代後半

インタビュー時:診断から18年(2009年)

性別:女性   保健医療圏:八戸地域

世帯状況:夫婦のみ

備考:子宮がんも発病 

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――どういうタイミングでというか、なくなったご自分を受け止め始めたんですか?

 

ある程度あきらめることが、最初からないから、そこの時点でもう戻ってくることは絶対にないから、でもいろいろなことを考えました。仮にここにつくってもらうとか、そういうこともいろいろ考えましたけども、ここいら辺ではできないと思いました。

 

そういう、いろいろなことが頭の中で、こういうことができるんだったらやってもらいたいなとか、そういうことを考えているうちに、やっぱり年月がどれくらいかな、この(患者会)に入って、患者さんと交流ができるようになってからでしょうね。

 

手術して2年目くらいには大分落ち着けるようになってきたのかな。2年か3年くらいで、落ち着いて、でもやっぱり温泉に行っても、(患者会)で集まりがあって温泉に行っても、一緒に温泉に入るということが一番苦痛でした。入りたいけども入れない、自分だけお部屋に付いているお風呂に入るんです。町内とかお知り合いとかの何かで行ったときでも、みんなでどこかに行くというと温泉地でしょう。そこに行って入れないのはやっぱりつらいです。

 

――今も行かれる場合はお部屋の中のお風呂で?

 

この(患者会)に入ったときに、A地区では乳がんの方がいなかったんです。この会の中では私が乳がんでは一番古いんです。今は結構人数がいらっしゃいますので、いろいろなお話ができるようになりましたし、温泉地に行って、(患者会)の年に1回の旅行でも入ります。ただ、オープンにはできないですけども、入ります。皆さんがそういう仲間ですから、入ることができるようになりました。

 

――そうですか、タオルとかを使って。

 

そうそう。こういうふうにして、入れるようになりました。

 

――そうですか。大きな変化ですね。

 

そうです、そうです。ただ、こっちがあるということが、だから、こっちは心配しなくてもいいから、いくら2回目はこっちをやりましたと言ってもありますもので、それはもういいので、やっぱり女の人は、あるのとないのとでは違います。

 

――女性としての、言葉は悪いかもしれませんけども、劣等感みたいなそういうものなんでしょうかね。

 

はい、そうですね。本当に、だから最初に思ったのは、私もここじゃなくて、がんでも、中のものだったらわからないのにと思いました。どこであってもがんであった方にとっては大変なことなのに、それは自分が苦しいだけで、勝手にそう思っていたことに気がついたときがありました、最初はそういうふうに何回も思っていて。

 

そして、あるときに「どこを手術しても、やった方にとっては大変なことなのに、悪いことを考えたな」と後悔しました。自分がここでお風呂に入れないことだけを最初は考えて、そういうふうに思って。それほど、自分がここで苦しんでいる時期があったんです。

 

――そうなんですね。

 

ほかだったら見えないでしょう、わからないでしょう。でも、どこをやっていてもがんの患者さんにとっては大変なことじゃないですか。だから、自分のお腹の傷、おへその上から、おへそをよけて回ってこうなっている傷を見て、「いやあ、どこをやってもこんな苦しい思いをしているのに、あのころはそう思ったな」と、今でもやっぱり思います。あの思いは悪かったなと思い出しますね。