診断時:40歳代前半

インタビュー時:診断から31年(2009年)

性別:女性   保健医療圏:上十三地域

世帯状況:

備考: 

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――(患者会)と保健師さんの関係というのはどういう関係なんですか?

 

最初は(患者会)と、(B患者会)でしたか、あれは何の会でしたか忘れましたけど、その2つを育成するという、保健師の仕事の中でそういう組織の育成という項目があって、そこに私たちが所属していたんです。市のほうからも助成金をもらって何年かやっていましたけども、今は保健所の業務が保健師のほうに全部来ちゃって、忙しくなったんですよ。

 

それで、あんたたちはあんたたちでやりなさいと、アドバイスはしますよということで。今は何か相談をすれば、(患者会)には相談には乗ってくれるし、担当者もつけています。だから、年がら年中ベッタリはついていません。忙しいから。でも、問題があればちゃんとアドバイスをしてくれます。

 

――ずっと同じ担当の方なんですか?

 

いえ、しょっちゅう代わっています。でも、今までは一般市民のそういうアドバイザー的なのは、地域を分けて、一人で何ぼか(いくらか)ずつ担当地域を持っています。(患者会)は、今まで課長とか、課長級の人が担当してくれていたんです。だから、予算面とかもすごく保健センターの予算を使ってやらせてもらいました。

 

――じゃあもう、予算が保健センターのほうから下りていらっしゃって……。

 

ある程度、前はね、今は全部自分たちで。

 

――そうなんですか。会費か何か集めて?

 

会費で。

 

――今も、Aさんは運営側でやられているんですか?

 

いえ、私はもう下りました。下りてもうただ、しゃべるだけ。無責任なことを今朝も言っているんですけども、性格ですから、黙って見ているのが嫌なんですね。だから、「それはこうしたほうがいいですよ」とか、「それは早くこうするんだ」とか、そういうおせっかいを言っています。自分でもこれはやめなければいけないなと思って、自重するつもりではいますけども、性格は性格ですから。

 

――一番長いんですよね。

 

そうです。発起人ですからね。

 

――そうですよね。

 

最初からいる人も、5~6人はいますよ。

 

――Aさんが立ち上げられたときのご苦労というのもおありだったのかなと思うんですけれども。

 

それはありましたよ。そのころはお金はないし、書く人はだれもいないし、何か頼めば「いや、おら、病人だからやれない」とか、そういうのを一手に引き受けて、書くのもしゃべるのも、交渉するのもみんな一人でやりました。

 

――お仕事もされながら?

 

はい。仕事も。そのかわり切手とかそういう事務的なのは事務所のものを全部使って、悪いなと思いながら、そういう面も浮かせて、なるべく(患者会)のお金は使わないようにしてきましたね。市のほうからの助成は年3万円でした。その助成をもらうのにもちゃんと文章を書いて、市長のところにお願いに行って、それでもらってやっていました。

 

――そこまでAさんが(患者会)に力を注げた理由というのは、どのようなことだと思いますか?

 

やっぱり、自分のような者を一人でも救いたいと、そういう人がいたら入りなさいと、そういう気持ちで。

 

(患者会)に入ると気持ちも楽になるよということですね。今は、自分たちが楽になると同時に、これからそういう人を救ってやりましょうという呼びかけが必要な時期ですよね。そう思っています。でも歳ですから、いつまでもそうしているわけにもいかないから、やっぱり後釜は譲りました。