がん患者の体験 / 子宮がん

 

 ここでは、どのように子宮がんの徴候に気づいたのか、受診をするまでに、どのように感じて行動したのかについて、体験者の声を紹介しています。

 

 子宮がんの発見には、自分自身で異常を自覚した場合と、検診で異常を指摘された場合がありました。子宮がんの主な症状は、不正性器出血であり、閉経後の出血のほか、閉経前では月経と無関係な出血、月経時に出血量が多い、おりものに血が混ざるなどが見られます。特に、子宮頸がんの初期の段階では無症状のことが多く、進行すると接触出血(性交渉後の出血など)を訴える方が多いようです。一方、子宮体がんは、病状が進行していない早い段階で出血をきたすことが多く、不正性器出血での発見が約90%と言われています。

*参考リンク:国立がん研究センターがん対策情報センター

 

 手記およびインタビューの中で体験者は、おりものの変化や不正性器出血など何らかの徴候を感じていました。しかし、なかには、自覚症状がなく、たまたま受けた婦人科検診で見つかった人や吐き気などの体調不良をきっかけに受診して発見される人もいました。このように、子宮がんの症状には個人によって大きな違いがありました。

 また、受診するきっかけやタイミングには、異常を感じてすぐに受診する人や人から勧められて受診した人、異常を感じながらも、孫の子守があるために受診する機会が持てなかった人など、個人差がありました。

 

不正性器出血・おりもの

 

・また生理かなと思ったら、それが出血しているんです。(50歳代前半・女性)

 

・微妙な出血は確かにちょっとあったかな(40歳代前半・女性)

 

・ある日突然、トイレで、ピンクのボールペンでシュッといたずらしたみたいにペーパーについたの。(テキストのみ)

(診断時50歳代後半、インタビュー時(2009年)は診断から15年)

 自分で気がついたのは、平成6年9月ころかな、ある日突然、トイレで、ピンクのボールペンでシュッといたずらしたみたいにペーパーについたの。 

 これはおかしいと思って婦人科の病院に行ったんですよ 。

 

・出血があったんですよ。最初は軽いおりもので、「あれ」と思っていましたけども(40歳代後半・女性)

 

 長らく不正性器出血があり通院していたにもかかわらず、医師より「検査は必要ない」「更年期による機能性出血」と言われ、体験者は更年期によるものと思い込んでいたところ、たまたま会社の健診で卵巣の異常を指摘され、別な病院を受診したことでがんが発見された人もいました。

 また、出血の症状があり子宮がん検診を受けときに「異常なし」と言われ安心していましたが、のちに症状が悪化して子宮がんが見つかった人もいました。体験者は不正性器出血について、年齢的な身体の変化と思いこんで安心していたことや、子宮がん検診の知識がなかったこと、結婚や出産の経験がないために、婦人科の病気を意識していなかったことが発見の遅れにつながったとの語りも聞かれました。

 

・米粒くらいの出血がありました(50歳代後半・女性)

 

・私は更年期なんだ、そのための出血なんだと私もそこで思い込んで(50歳代前半・女性)

 

・生理痛以外の痛みを感じたり、おりものが時々茶色になったりとの異常を感じていました(テキストのみ)

(診断時40歳代後半、インタビュー時(2009年)は診断から1年、子宮体がん)

 平成11年から会社で毎年健康診断を受けていましたが、婦人科検診がない時もあるので、乳癌・子宮癌の検診は平成12年から市内のクリニックで毎年受けるようにしていました。

 平成15年に腰痛などの体調不良があり、A病院の婦人科も受診しましたがホルモンの異常等はなしとの所見でした。

 平成18年3月にリストラに遭い、9月に転職するも、怪我のため12月に退職。18年9月に婦人科を受診し、内診等もしてもらいましたが、子宮も卵巣も異常なしとのことでした。

 再度就職できたのは平成19年の2月で、3月に会社で健康診断がありましたが、婦人科の検診はありませんでした。

 もともと、生理痛は毎回あり、 1・2日目は鎮痛剤を飲んでいましたが、この頃から生理痛以外の痛みを感じたり、おりものが時々茶色になったりとの異常を感じていました。

 平成19年度は会社の健康診断が行われないまま、平成20年3月解雇。血液検査や癌検診を含んだ健康診断は自費では無理だったのですが(国保ではなく社保継続のため)、婦人科は気になっていたので、平成20年3月31日に、いつものクリニックで子宮がん検診をしたところ、「精密検査が必要」との結果が送られてきました。前回の検診から1年半が過ぎていました。

 その当時のカレンダーを見てみると、腹痛とか「ドバドバ」とかのメモがあるのです。

 今になって思い返せば、平成18年頃は「もう閉経なのか?」と思うくらい生理の出血量も少ないし、日数も5日位で終わっていたのですが生理日以外の腹痛や出血、生理の2~3日目の出血が多いのが常態化していたのです。但し、多いと言ってもナプキンが1時間ももたないとか言うほどではないし、小さい血の塊が時々あるという程度でしたので、「出血が多い」との自覚が当時の自分にはなかったのです。腹痛については、クリニックの医師には「排卵痛だろう」と言われ、不正出血の件は誰も応えてくれなかったけど、自分では「そろそろ更年期だしいろいろあるさ」位に思っていましたので、市販薬で不快な症状が治まるかな― と思い、ラムールQを5月中ごろから飲み始めました。

 

 

無症状

 

・痛くもかゆくもない、出血もない、おりものもない、全然です(30歳代後半・女性)

 

 

体調不良

 

・何も全然前ぶれもなくて、夕方に帰ってきたときに、具合が悪くて吐いたんです。(50歳代前半・女性)

 

 

 ここでは、治療後の経過や定期検診に関する体験者の声を紹介します。治療が終了した後は、治療の後遺症の確認と、再発や転移の早期発見のために、定期的に外来受診が必要になります。通院の頻度は、治療内容やからだの状態に応じて変わりますが、手術後1~3年間は1~3ヵ月ごと、その後は半年から1年ごとが一般的です。患者さんによって違いはありますが、受診のときは、問診、内診、直腸診、血液検査、細胞診、超音波(エコー)検査、胸部レントゲン検査、CT、MRIなどの検査を行いながら、おおよそ5~10年間経過を観察します。

 

 

 インタビューでは、定期検診時の具体的な様子が聞かれました。体験者たちは、退院後、定期的に受診し検診を受けていることで、安心感を得ていました。特に、医師からの「大丈夫、異常ありません」という言葉が、何よりも心強くなれると語っていました。

 

・検診していることが私にとってはある程度の強み(40歳代後半・女性) 

 

・とにかく「大丈夫。これで再発しないから大丈夫だ」と言うまでとにかく通って、薬を飲みました。(40歳代後半・女性)

 

・血液検査をすると、次の検査のときまでわからないんですよね。血液検査してもし何かあったときはすぐお電話しますということにして。(50歳代前半・女性)

 

 

 子宮がん治療後の定期検診は、人によって違いはありますが、5年または10年たって終了していました。

 

・5年たったので、「おめでとうございます」って言われてね。(40歳代前半・女性)

 

・「10年以上たっているからいいでしょう」って言われました。(50歳代後半・女性)

 

・「あなたは安定期ですから、ここの病院には来なくてもよろしい」と(音声なし)

 今年の4月で「あなたは安定期ですから、ここの病院には来なくてもよろしい」と、お墨付きであるのか何だかわからないですけれども、言われまして、それで、今は個人の病院で半年に一遍、検診を受けています。

 

 

 医師からの「大丈夫です」という言葉に安心する一方で、再発や転移への不安をもち、より一層、自分の身体に気を遣っていました。卵巣を残している体験者は、特に再発や転移を心配して検診を心がけていました。また、子宮がんだけでなく、乳がんも心配して、定期的に検診を行う人もいました。

 

・良くなったとはいえ、まだお友達なので(30歳代後半・女性)

 

・まだ許されてはいない。(50歳代後半・女性) 

   

 

 

 ここでは、なぜ、自分ががんになったと考えているのか、そして、がんの再発や転移を予防するために、どのような体調管理をしているのかについて、体験者の声をご紹介します。

 

 体験者は、がんの診断を受けると、これまでの生活を振り返り、がんになった原因を探しはじめていました。そして、食生活や睡眠時間、運動習慣を改善するなど、今まで以上に身体に気を遣うようになったと語っています。また、免疫力を高めてがんに負けないからだ作りをしたいと考えていました。

 

 

体験者が思うがんの原因

 多くの体験者は、不規則な食習慣や睡眠習慣、ストレスが原因であったと語っていました。精神的にくよくよしやすく、ストレスを溜めやすい人は、がんになりやすいのではないかと考える人がいました。なかには、がん細胞は誰でも持っており、免疫力や体力が落ちた時になりやすいと考える人もいました。

 

・私たちが生きている限り、私たちの身体のどこかで癌細胞も発生し、ある条件が整えば劇的に増えてしまう。(音声なし)

 今は「がん=死」ではないと言われますが、完治が困難な病気であることに変わりがないと感じます。私たちが生きている限り、私たちの身体のどこかでがん細胞も発生し、ある条件が整えば劇的に増えてしまう。寿命との追い駆けっこであり、がんが増える条件を作らないように日々努力することしかできないような気がします。

 

・がんになり得るものはみんな持っているけど、どういうあれで発症するかは、それぞれの生活の環境でということだけれど、環境をどう変えたらならないのか教えてほしいですよ。(笑)(40歳代後半・女性)

 

・生活の不規則が病気をする原因だったって、今だとそういうふうに思えます(50歳代後半・女性)

 

・ストレスといえば聞こえはいいですけれども、自分でつくってしまったようなところがありますね。(50歳代前半・女性) 

 

・だれかが言っていたのは、「気を遣わなければがんにならないよ」って。(音声なし)

 だれかが言っていたのは、「気を遣わなければがんにならないよ」って。「わがままだとか、人の分まで気を遣ったりして、ストレスを抱え込むような人はわりかしがんになるんだよ」とかって笑い話をしていた人がいたけどね。それだけではないでしょうけど、何かやっぱり原因があったんでしょうね。それはわからないです。

 

 

体調管理

 体験者は、これまでの生活習慣を振り返っており、がんに負けないからだ作りをするために、さまざまな方法を実践していました。特に食事療法は自分なりに工夫をしており、玄米や野菜、鶏肉や魚を中心とした食品、薄味にした調理方法など、日々の食事を重視していました。

 

 

〈食事〉

 

・食べるものは意外と気を遣います。(40歳代後半・女性)

 

・何でも食べて、お仕事もできるようになりました。(40歳代後半・女性)

 

・このごろは食べ物とか飲み物に気をつけて食べています。(50歳代前半・女性)

 

・いろいろながんにならないための食事の仕方とか何とかって何も決まったものはないでしょうけども、一生懸命それにやっていこうと思ってやってきたわけです。(50歳代後半・女性)

 

 

 体験者のなかには、我慢することがかえってストレスになると考える人もいました。

 

・私、もともとお菓子とかも好きな人間なので、最初は我慢してたんですけれども、我慢するのもストレスになっちゃうので、そこそこ食べたりして、何でもストレスに感じないようにしてやっています。(50歳代後半・女性)

 

 

 子宮がんの手術後は、便秘になる場合が多いので、下剤を使用したり、ヨーグルトなどの乳製品をとったり、運動をしたりして、体調を管理していました。その他、風邪をひかないように、食事や衣類の調整をして身体に気を遣っていました。また、手術後の合併症や冷え性を予防する目的で、漢方薬を飲んでいる人もいました。

 

・子宮を手術してから、毎日下剤をかけているんですよ。(音声なし) 

 そうでないと便秘するの。だから、自分ではこの薬を10何年も飲んでるから、どこか悪くなるんじゃないかなと。それは覚悟をしています。 

 

・なるべくヨーグルトとか、毎日自分でつくったものを食べるようにしています。(40歳代前半・女性)

 

 

〈漢方薬〉

 

・この寒さがとてもこたえるようになって、最初は漢方薬を、手術をしてすぐに、癒着しないようにいただいていたんですけども

 この寒さがとてもこたえるようになって、最初は漢方薬を、手術をしてすぐに、癒着しないようにいただいていたんですけども、1年以上過ぎたくらいから、冷えの予防のためにそっちのほうの漢方薬をもらって、ずっと飲んでいましたね。

 

 

〈運動〉

 

・犬の散歩をしてあげたり、洗濯もなるべく、2階に洗濯場があるんですけども、2階に上がったり下がったり何回も、自分の運動だと思って歩いています。(50歳代前半・女性)

 

・太らないように、できるだけ体を動かして、食べるのもあまりおなかいっぱいにしないようにしようとか。(40歳代前半・女性)

 

 

 体験者のなかには、免疫力や自然治癒力を高めるために、イメージ療法を行ったり、岩盤浴に通ったり、気功を取り入れたりする人もいました。

 

〈免疫力〉

 

・やっぱり免疫力。だって、自然治癒力は自分が持っているものですよね。(50歳代前半・女性)

 

 

〈イメージ療法〉

 

・がんに対してのイメージ療法というのがあって、言い聞かせる。(50歳代前半・女性)

 

 

〈気功〉

 

・呼吸法を身につけたいなと思って、どこかに習いに行かなきゃと思ってNHKの講座を見たら、夜の部に「気功」というのがありまして、たった月2回ですけれども、自分に負担にならないなと思って、今もそこに通っています。(50歳代前半・女性)

 

 

 

 子宮がん治療を受けることによる経済的負担についてご紹介します。

 

 がん体験者の就労状況調査では、がん体験者の3人に1人は、転職・離職・失職、4割は減収という厳しい就労環境が浮き彫りになっています(がん患者の就労・雇用支援に関する提言,桜井なおみ他.2010)。

 

 

 インタビュ-でも、治療により仕事との両立が困難となり、収入が減るのに、治療による高額な支出が増えていることが語られました。また、抗がん剤治療の影響により脱毛が起こることからかつら代、リンパ浮腫予防のための費用、がんと闘うための体調管理、維持などにお金がかかることが語られました。

 

・仕事をしている身としては、仕事は休まなければならないし、収入はない、挙げ句の果てに支出はあるという状況に置かれます。(40歳代後半・女性) 

 

・本当に抗がん剤とか、高いお金がかかるでしょ。何とかならないのかなと思います。なぜ、がんだけ別なのかしらと思います。(40歳代後半・女性) 

 

・美容院のかつらは3万円くらいだからよかったけど。(音声なし)   

 美容院の(かつら)は3万円くらいだからよかったけども、あっち(デパ-ト)のはちょっと(高くて・・。)。取っておいて、うちの娘が、髪が抜けたという患者さんにあげるって1個持って行ったの。1個は家にある。「あんた、かぶる?」って言ったら、いらないって。

 

・がんをすればお金がかかります。あれも食べなきゃだめ、これも食べなきゃだめと言えば、お金に関係なく栄養をつけていました。(30歳代後半・女性)

 

 

 手記では、このように多くのお金が必要となりますが、医療者から治療費に関する詳細な説明がなかったため、戸惑いがあったことが記されていました。

 

・パンフレットには費用のことが書いてありますが、自分の入院や治療がどれだけの金額になるのかは、分からないのです。(手記より) 

 看護師から、入院に関する説明もありましたが、費用のことには、全く触れませんでした。パンフレットには費用のことが書いてありますが、自分の入院や治療がどれだけの金額になるのかは、分からないのです。いくら健康保険限度額認定の手続きをするとは言え、入院にかかる期間・費用の問題は、その日暮らしのサラリーマンには一番大きな問題なのです。

 お金を支払うアテがなければ、治療拒否だってありうるのです。安心して治療を受けるには、まずお金が必要なのです。怒りつつ、費用の質問をしたところ、目安となる金額を示してくれました。お金を払えない人にも治療を施す方針なのかもしれませんが、「この程度の費用がかかりますが大丈夫ですか?」程度の確認が必要だと思います。

 

 

 一方で、インタビュ-では高額療養費制度や民間の医療保険を活用していることが語られました。

 

 手術治療を受けた場合は高額療養費制度の適応となりますが、外来通院による抗がん剤治療の場合では、一定額に達せず、生活費や貯蓄を切り崩して治療費に充てていた人がいました。

 高額療養費制度については下記(厚生労働省HP)をご参照下さい。http://www.mhlw.go.jp/bunya/iryouhoken/iryouhoken13/100714.html

 

・退院してしまえば高額医療費までいかないけども、月に医療費が2万円、3万円と出るのが一番きついですね。(30歳代後半・女性)

 

 

 在職中の人は傷病手当金、他の人は民間の医療保険に加入しており、お金の面で家族に迷惑をかけないで済んだ、あるいはさほどお金に困らなかったと話していました。

 しかし、民間の医療保険への加入タイミング、歳をとることや病気既往に伴なう、保険料増額から、民間の医療保険を維持することが負担、あるいは見直したと語る人もいました。

 また、歳をとることにより公的医療保険が老人保健法の適応となり、従来の自己負担額が軽減され、民間の医療保険を解約した人もいました。

※現在は、平成20年より高齢者の医療の確保に関する法律が導入され、長寿医療制度が変更になっています。

 

・入院費はそんなにね、自分でそういうのを掛けていたからそんなに苦にならなかった。(50歳代後半・女性)

 

・入っていた保険が68歳になったら保険料がグンと高くなったんですよ。倍くらい払わなければならないもので、ちょっと馬鹿らしいなと思ってやめちゃった。(40歳代前半・女性)

 

・自分が病気したもので家族全部の、(民間の医療)保険を見直ししなければと思って、ただ無駄に掛けてもと思ったりしています。だからみんな直しました。(50歳代前半・女性)

 

 

 がんの進行度によって、治療内容が異なるため医療費にも違いが生じます。なかには、命はお金に代えられないと話す人もいました。

 手記からは、がんにより仕事を失なうことで、収入源だけではなく、社会的な自分の居場所がなくなることに危機や不安を感じていたことが記されていました。

 

・お金で命が買えるんだったら、何ぼでも出してもいいなとだれでも思いますものね(60歳代前半・女性)

 

・一人世帯なので、仕事を失うと収入源を失うだけでなく、社会的な自分の居場所も無くなることになり、退院しても気持ちが晴れやかではありませんでした。(手記より)

 私の場合は一人世帯なので、仕事を失うと収入源を失うだけでなく、社会的な自分の居場所も無くなることになり、退院しても気持ちが晴れやかではありませんでした。このときばかりは、主婦という立場のある人が少々羨ましく感じました。この不況の嵐の中、青森という土地で、病気を隠さないで就職できるのか、正直不安です。

 

 

 

 ここでは子宮がんと共存しながらどのように仕事や家事と両立してきたのかについてご紹介します。

 

 インタビューでは、子宮がんが発見されたとき、すでに9名の人がご結婚され、なかには小学生以下のお子さんを育てていた人がいました。そのため、退院直後は主婦業や母親業に支障をきたし、夫や子どもに申し訳なさを感じていた人もいました。しかし、家族や親戚などの支援を受け、体力的に無理がないように工夫していました。

 

・子供たちがいるとなおさら、こうしてあげたい、ああしてあげたいというのがありますでしょ。自分の思うようにできないというのは、すごくつらかったですよ。(音声のみ)

 帰ってきて家事をするのにまずしんどいという感じ。自分では(家のことを)したくても体力がないから、いい加減なところでやめてしまう。それが、子供たちがいるとなおさら、こうしてあげたい、ああしてあげたいというのがありますでしょ。自分の思うようにできないというのは、すごくつらかったですよ。

 

・重労働の仕事も何もないし、普段の家事ですよね。でも、1カ月くらいほとんど何もしないで、大事にされました 。(40歳代前半・女性)

 

 

 仕事に就いていた人は、病気になったとき、職場へどのように伝えたらよいのか悩んでいる人がいました。しかし職場の理解や配慮があり、退院後の仕事復帰は、体力や体調にあわせて徐々に身体を慣らしながら社会復帰していました。なかには、抗がん剤治療と仕事を両立していた人がいました。

 

・「いや、実はちょっとお休みをいただきたいんです」と恐る恐る聞いたら、「ああ、いいですよ」とお休みをもらえたんですよ。(50歳代前半・女性)

 

・初めは(病気のことは)内緒にしておいたんですよ。でも、さすがに手術をするときは、言わないと休みが取れないから 。(50歳代後半・女性)

 

・身体を慣らしなさいと言われて、3~4日間は半日くらいで帰って、次からは普通に働けるようになりました。(40歳代後半・女性) 

 

 

 なかには、医師の勧めやこれ以上病気を悪化させないように、仕事継続の意思があっても、退職した人がいました。手記からは、自分の意思と反して、治療の継続を理由に解雇されたという内容が記されていました。

 

・入院、検査をしているときはやめるとも何も届けなかったけども、自然にこうやっているうちに、最後に手続きをしてやめました。病気が病気だからやむを得なくやめました。(50歳代前半・女性)

 

・頑張って働きますといっても、やっぱり病気も悪化させるし、だから思い切って仕事を辞めた。(50歳代後半・女性)

 

・これ(仕事)を辞めなければこの病気はクリアできない、また再び(病気に)なると思って、辞めた。(50歳代後半・女性)

 

・社長は自分もがんであると言い、私の闘病に対しても励ましてくれましたが、最終的には2月末で解雇されました。(手記より)

 病気と入院の件を社長に報告したとき、社長は自分も胆癌がんであると言い、私の闘病に対しても励ましてくれましたが、最終的には2月末で解雇されました。

 その経過は次に述べる様なものです。1月29日になり、会社へは月末までの予定と話していた入院が、今後の抗がん剤治療で2週間の入院が更に3回必要になる旨説明する手紙を病院から書き送りました。退院後は一日も早く職場復帰したいという希望とお願いも書きました。ところが、それを受け取った会社はlヶ月前解雇通知にギリギリ間に合うと思ったのでしょう。私が不在の家に、 1月31日に解雇通知を持ち込んだようなのです。解雇通知には日付も社印もなく、有効性が全く怪しい文書でした。もともと福利厚生に関して法令遵守とは言い難い会社でしたし、入院中でしかも1月30日の抗がん剤投与で具合悪くなっている自分には、反論の機会も体力もなく、その通知を甘んじて受け入れるしかありませんでした。2回目の抗がん剤の入院前に、会社に顔を出しあいさつや退職の手続きについて話しました。2月末には退院するので、2月末以降に提出する離職票などにサインをする為に、3月頭に再度来社する旨を伝えました。しかしながら、3月になって会社に連絡し、指定された日に来社してみると、離職票は既に提出され、解雇の理由である就業規則とやらを一度も提示されることもなく、辞めたことになっていました。これも不当な扱いなのではないでしょうか。その会社への在籍は7ヶ月ありましたが、就労日数を満たしていたのは5ヶ月しかないとのことで、雇用保険も出ない結果になったのは重ね重ね残念なことでした。

 

 

 自己の体調と相談しながら長年主婦業を行なってきたことで自分の役割を果たし、自信を取り戻した人もいました。退職した人のなかには、家族と過ごす時間や患者会に参加する時間ができたことに喜びを感じていた人もいました。

 

・うちのことを一切やっているから感謝されています。やらなくなると、何か寂しくなる(40歳代前半・女性)

 

 

 一方で、新たに仕事を始めた人や運転免許書の習得など新しいものに挑戦した人もいました。

 

・5年たってなかったので、だから、ちょっとアルバイトに出ようかなと思って先生に聞いたんです(30歳代後半・女性) 

 

・もう(運転免許は)取れないと思って、本当に1回やめたんですよ。でも頑張って運転免許も取りました。(40歳代前半・女性)

 

 

 

 ここでは、体験者が「子宮がん」と打ち明けたとき、周囲の人たちはどのような反応を示したのか、そして、その反応や対応に対して、体験者はどのように感じたのかについて、体験者の声を紹介します。

 

 周囲の人たちに、がんイコール死という受け止め方をされたり、子宮がんで子宮を失くしたら女性ではないという見方をされたり、多くの体験者は、その反応に深く傷ついていました。また、自分が直接、話していない人にまで病気のことが伝わっていて、知らない人に「元気になった?」と声をかけられ、複雑な思いをした人もいました。また、親しい友人からの、なにげない一言に憤りを感じた人もいました。子宮がんに対する偏見があり、当時は、他人にがんとは言いたくなかったと語っていました。その他、周囲の目が気になって、温泉などで、裸になることに抵抗を示す人もいました。

 

・がんと言うと、本当に死ぬという感じで受け取られるんですよ 。(音声なし)

 自分で「がんだった」って言っても、ほかの人は信じないみたいで、「えっ、そうだったの」と言われるんだけれども。

 がんと言うと、本当に死ぬという感じで受け取られるんですよ 。

 

・子宮を取られたら女じゃないという見方をされます。(音声なし)

 今はそうじゃないかもわかりませんけれどもね。子宮を取られたら女じゃないという見方をされます。

 

・ただ、人の言葉は一番つらかったね。退院してからの言葉がね。(30歳代後半・女性)  

 

・やっぱり、病気をしてない人には言ってもわからないから、勝手なことや人を傷つけるようなことも言うでしょう。友達に言われたのが悔しかったんですよ。(50歳代前半・女性)

 

・知らない人に声をかけられるんですよ。「元気になった?」って。この言葉がきついんですね。(60歳代前半・女性)

 

・(温泉)やっぱり初めは嫌だったね、タオルで隠して入りました。(40歳代後半・女性)

 

 

 

 ここでは、がんを体験して、どのような気持ちの変化があったのか、そして、どのようなことを感じて生活しているのかについて、体験者の声を紹介します。

 

 

 体験手記やインタビューの中で体験者は、病気になって得たもの、教えられたものがたくさんあったと言います。また、これまで気づかなかったものを気づかせてくれた病気に感謝したいと考える人がいました。なかには、普通の暮らしがこんなにすばらしいことなのだということを病気から教えられたと言います。多くの人に支えられている命だからこそ、悔いのない生き方をしたいと考えて、自分の生き方を捉え直していました。

 

・病気をしたことによって、悪くじゃなくて、いい意味で、与えられたものだから、それを与えられたように受け止めていけばいいと思って過ごしていますね。(50歳代後半・女性) 

 

・気づかなかったものを気づかせてくれたのも、この病気のおかげかなと思って。(60歳代前半・女性)

 

・がんに感謝して、楽しく生きることができますと言えるまでになりました。(40歳代後半・女性)

 

・色々な人に支えられている命だからこそ、しっかりと生きる責任がある、長生きする必要もないけれど、悔いなく生きなくてはいけないと思わされている。(手記より)

 今回の手術や入院は、自分の人生の中では3番目に大きな痛みを伴う出来事であったし、色々な人に支えられている人生なのだと改めて思わされる経験だった。色々な人に支えられている命だからこそ、しっかりと生きる責任がある、長生きする必要もないけれど、悔いなく生きなくてはいけないと思わされている。

 がんになれば、常に再発・転移の不安がつきまとう。癌とひとりでは闘えない。信頼できる医師や医療スタッフ、そして先達であり戦友である病棟の友との交流。支えてくれる家族がいればなお心強い。そしてやはりお金。先々の不安を先取りしてもつまらない。再発・転移も覚悟して、今日の一日にできる限りのことをするだけだと達観してみる。マーカの値や日々の体調には多少ビクビクしていても。お金のこともいざとなったら、出家のようにあるいは、敬愛する雫石とみさんのように、身ひとつになって病と闘う潔い人生でありたいと思う。

 

・私は子宮がんになって良かったなと思います。(音声なし)

 私は子宮がんになって良かったなと思います。

 とにかく今を大事にして生きなきゃ。そうでないと、だれも明日のことがわからないんですもの。

 

 

 当時は、手術することを納得して受け入れたはずなのに、改めて自分に子宮がないことを思って、女性である自分に葛藤を抱く人もいました。

 また、身体の調子によって、元気になったり、落ち込んだりと気持ちが変化しやすいと語る人もいりました。

 

・やっぱりまだ、本当には受け入れられていない自分がいるんですね。(40歳代後半・女性)

 

・やっぱりくよくよしない、前向きに生きるということですね、それが何よりだと思います。(50歳代前半・女性)

 

 

 がんになって、自分自身の生き方や死についての価値観が変わったと語る人もいました。

 

・ピンピンコロリで、死ぬまでピンピンしてコロリと死にたいから。(笑)(50歳代前半・女性)

 

 

 一般に5年間、再発または転移がなく過ごせた場合、がんを克服したと言われています。

 インタビューでは、がんを克服した人が多くいました。体験者たちは、いつ再発や転移するのかわからないという恐怖や不安を抱えながら、現在まで生活してきたと語っています。

 

・自分では気をつけているつもりだけども、いつどういうふうになるかわからない(50歳代前半・女性)

 

・どうしたらいいのかなと。そういう不安がずっと、1年以上続きました(音声なし)

 がんの場合は特にね。いつほかのところに出るかわからない。そのときどうしたらいいのかなと。そういう不安がずっと、1年以上続きました。そういう思いで生きている人は多いんじゃないでしょうかね。

 

・絶えず常に頭のどこかでがんを考えます。そしてイコールで最悪のことを考えています。(60歳代前半・女性)

 

・転移が来るんじゃないか、何が来るんじゃないかと。卵巣がんは大変だっていうから、1つ残さないで全部取ってもらればよかったです(30歳代後半・女性)

 

・常に再発・転移の不安がつきまとう。癌とひとりでは闘えない。(手記より)

 がんになれば、常に再発・転移の不安がつきまとう。がんとひとりでは闘えない。信頼できる医師や医療スタッフ、そして先達であり戦友である病棟の友との交流。支えてくれる家族がいればなお心強い。そしてやはりお金。先々の不安を先取りしてもつまらない。再発・転移も覚悟して、今日の一日にできる限りのことをするだけだと達観してみる。マーカの値や日々の体調には多少ビクビクしていても。

 

 

 

 がん体験者達は、がんの告知から治療、そして現在に至るまでの間、多くの不安や苦しみを経験してきたと語ります。それと同時に、周りからの支えや病気の好転などによる励ましや嬉しさをも経験したと語る人も多く存在しています。多くのがん体験者は、そのような経験の中で、がんになる前とは違う考え方や思いを持つようになり、またそのような経験を一つの教訓として自分の中に位置づけ、人々に伝えていきたいと語る人もいました。そして、自分達の語りが役立つと嬉しいという言葉が多く語られています。ここでは、女性特有のがんを体験したからこそ、すべての女性に伝えたいという子宮がん体験者達のメッセージを紹介します。

 

 中には、他の人は自分のような体験をしてほしくないとの思いから、自分の失敗を教訓として伝えたいと語る人もいます。

 

・とにかく病気をした人が病気をしていない人に検診を受けるということを伝えていかなければいけないし(50歳代後半・女性)

 

 

 がんを告知されたときというのは、その部位にかかわらず、本人や周りにとってなかなか受け入れがたいものです。インタビューに協力してくださったがん体験者達も、かつては自分のがんを受け入れることができず、何度も人生をあきらめようとしたと語ります。しかし、今になっては、抗がん剤治療による副作用で髪の毛が抜け、手術によって子宮をなくしたとしても本当の自分は変わりなく、そこに存在していることを認めるのが重要であると語っていました。また、そのような辛さや苦しみを肯定的に捉えることで乗り越えることができ、だからこそ今の自分が存在していると自分を誇らしく語る人もいました。

 

・つらさを乗り越えると、気持ちから何から違ってくると思います(50歳代前半・女性)

 

 

 多くの人が、「自分はがんになることはない」という考えから定期健診やがん検診を受けないでいます。特に、女性特有のがんである子宮がん検診の場合、女性達は婦人科に行かなければいけないという事実に不安や迷いを感じることが多いです。がん体験者達は、告知される前の自分達もそのような安易な考え方や迷いを感じていたせいで、更なる手遅れをもたらしてしまったとの後悔の気持ちを語っています。また、多くの人々が自分たちのような後悔を他の人が経験しないためにも自ら検診を受けること、そして自分の体調管理に気をつけてほしいとのメッセージを伝えていました。

 

・自分の病気がどの程度のものか、そして、自分の現在の状態はどうなのかを知らないとだめだと私は思っています(40歳代後半・女性)

 

・早く検査して、早く治療したほうが日にちはかからないから、検診だけは受けたほうがいいとつくづく思います(50歳代前半・女性)

 

・規則正しい食事とか、軽い運動とか、大事だと思います(音声なし)

 だから、年配の方たちはふくよかな方が多いので、やっぱり少し体重を減らしたほうがいいんじゃないかなと思うんですよね。だから、規則正しい食事とか、軽い運動とか、大事だと思います。

 

 

 “定期検診や体調管理を怠けず、また手遅れさせず”といった「自ら自分の身体を守る」という考え方は、がんになった後も同じく重要であるように考えられます。ある人は、がんの治療にあたって、すべての決定を医師に任せっぱなしの患者にはなってほしくないと語ります。その代り、たとえば、自分のがんについてもっと勉強する、自分に合うがんの治療方法や体調管理法を工夫するなど、患者自身がより積極的に自分のがんと正面から向き合ってほしいとのメッセージを伝える人もいました。

 

・正しい情報を得ていかなければいけないと私は思います(50歳代後半・女性)

 

・患者さんがもう少し勉強してほしいなというのが願いです(40歳代後半・女性)

 

・自分で考えなきゃだめですよ(40歳代後半・女性)

 

 

 がんの告知を受けた際、周りに心配かけまいと、自分ががんになったことを秘密にしたがる人は少なくありません。インタビューに協力したがん体験者達も、最初はそのような考え方から、自ら自分を孤立してしまっていたとのことを語ります。がん体験者達は、自分たちもそうであったからこそ、周りに知らせたくない気持ちは共感できるとも語っています。しかし、がんとの闘いを自分一人で続けるのは、とてもさびしくて辛いことであり、むしろ、がんに勝つための助けにはならないとの語りもありました。また、自分のがんを周りに知らせることによって、周りとの新しい関係や援助をもらうことができたため、がんとの闘いの中で多くの励ましや力を得ることができたと語る人もいました。

 

・悩みは一人では解決できない場合もありますから(40歳代後半・女性)

 

・一人というのは寂しいですよ(40歳代後半・女性)  

 

 

 

 ここでは、子宮がん体験者が、パートナーや子ども、そして親族に対し、どのような思いを持っているか、そしてそれらの人々がどのように病気に対応したかについての語りを紹介しています。

 

 

パートナーとの関係 

 子宮がんの治療は、子宮や卵巣、卵管を摘出する方法が中心となるため、(手術治療のページ参照)その後の性生活を含め、パートナーとの関係に変化を及ぼす可能性があります。またがん体験者自身も、子宮や卵巣を失ったことで自分に対するイメージが変化する場合があります。心に様々な葛藤や心配を抱えながら、パートナーとの関係を築きなおしていく時、子宮がん体験者はどのような経験をしてきたのでしょうか。ここでは、パートナーが、がん告知をどう受け止めたか、またパートナーからの治療中のサポートや、治療後の性生活についての語りを紹介します。

 

 

 がんを告知され本人が精神的につらい時期、パートナーも同じようにショックを受けることがあります。中には夫が体調不良になったと語った人もいました。

 

・夫はすごく心配し落ち込んでいました(音声なし)

 (夫は)すごく心配したと思いますよ。落ち込んでいましたもの。先生にお話を聞くでしょ。明日手術ですからといって同意書みたいのを書くでしょ。そのとき、ショックであまり聞けなかったですよ。

 

・お父さんは天井がグルグル回ったって(50歳代前半・女性)

 

 

 闘病中、パートナーが病院にお見舞いにきてくれたり、家事を担ってくれたのが何より支えになったと体験者たちは語っています。そのサポートがあったから、がんになっても大丈夫なんだと感じたと言う人もいました。病気をきっかけに、これまでのパートナーの態度が変化したと話す人もいます。

 

・お父さんが家の中のことを全部、1から10までやってくれたんですよ。(50歳代前半・女性)

 

・夫の支えで、がんになっても大丈夫なんだなと感じました(40歳代後半・女性)

 

・夫は病気をきっかけに変わりましたね、もう全然(30歳代後半・女性)

 

 

 病気になったとき、必ずしもパートナーが初めから協力的であるとは限りません。最初は夫が入院に難色を示した、また終始夫が無関心だったと語る人もいました。

 

・「おれ、お正月に何食べればいいの?」って主人は言いました。(30歳代後半・女性)

 

・うちの旦那は丈夫な人で、病気にあまり関心ないんですよ(50歳代前半・女性)

 

 

 子宮を手術した場合の治療後の性生活は、ある程度の期間(通常1ヶ月から2ヶ月)制限されます。子宮や卵巣を取っても、性生活は変わらずに行えますが、初めは痛みや出血がある場合があります。また卵巣を取ると分泌物が少なくなって、摩擦による痛みが生じることもあるので、市販の性交用ゼリーを使うと不快感が軽減されます。以上のことをパートナーが理解し、体験者の気持ちと体を思いやることが必要です。(注1)

 

(注1)参考:国立がん研究センターがん対策情報センター

     「性機能障害とリハビリテーション」

 

 

 術後の性生活について、入院中医療者から説明を受けた人もいました。ある方は「副腎からホルモンが出る」と看護師から説明をされたと受け止めていました。女性ホルモンは主に卵巣から分泌されるので、看護師が何を伝えたのか正確にはわかりませんが、この方の場合は説明を受けたことが不安の軽減につながっていました。また、治療中、術後の性生活のことまでは考えなかったと語る人もいました。

 

・看護師さんがちゃんと説明してくれて夫婦生活は心配しないで帰ったんです(30歳代後半・女性)

 

・(術後の性生活について)聞きたければ教えますと病院では言われました(50歳代前半・女性)

 

 

 退院した後、性生活を再開するまでの期間は、今回お話を聞いた体験者の中でも1ヶ月から半年くらい、あるいは覚えていないと様々でした。ほとんどの人は、性生活再開後は、違和感なく性生活を送れたということですが、パートナーのことを思うといつも性生活を拒否ばかりはできないので、時に受け入れ、時に拒否し、工夫して生活してきたという語りもありました。また、子宮全摘すると周囲から「もう女じゃない」と見られるが、夫婦の間の愛情はそれには左右されないという人いうもいました。一方、全く性生活が無くなったという人もいます。これはがんになって手術を受けた時の年齢も関係している可能性があります。

 

・1カ月くらいは、先生がいいって言うまではだめだったんです(40歳代前半・女性)

 

・半年はもったいないから(体を)大事にしました。(その後の性生活は)拒否するときも受け入れるときもあります(30歳代前半・女性)

 

・(子宮や卵巣を)全部取ってるから体がもたないというか、要求してないんです(50歳代前半・女性)

 

 

 がんになって心配させたこと、また入院中家事などの苦労をかけたことについて、パートナーに申し訳なく感じていると語った体験者もいます。

 

・夫がエプロンかけて歩いていたとよその人から聞いて申し訳なかったと思いました(40歳代後半・女性)

 

・私ががんになっちゃったから心配かけて申しわけないなと思ったのは事実です(50歳代前半・女性)

 

 

 

子どもとの関係

 子どもにどのように病気を説明するか、そして子どもとどのように関わっていくかは、病気になったときの子どもの年齢によって大きく違います。今回インタビューした中で、子どもが小さかった人は、病名は詳しく伝えてはいませんでした。そして治療のために子どもと離れて入院するのが、何よりつらかったとを語っています。また子どもが、母親のいない寂しさを紛らわせるため、近くのゲームセンターに通っていたと話す人もいました。

 

・やっぱり、何がつらいと言われれば子供ですね。子供が小さいから、家に帰りたい(30歳代後半・女性)

 

・娘が寂しくてゲームばかりやりに行ってお金がすっからかんになったと(40歳代前半・女性)

 

 

 病気になったときすでに子どもが成人していた人たちは、病名を告げています。そして治療の間も子どもたちが大きな支えになってくれたと語っていました。娘から、具合が悪くなったら救急車を呼ぶようにといった冷静な助言を受けた体験や、子宮全摘が子どもを3人も生んだあとでよかったねと言われ、その言葉に納得したという体験を語った人もいます。

 

・私がいないと、料理なんかも息子がやるそうですよ(50歳代前半・女性)

 

・娘が、「私は忙しいから救急車を呼びなさい」って(音声なし)

 病気のときなんか、うちの娘がこう言ったんですよ。「具合が悪くなったら救急車を頼みなさい。私は忙しい。私が駆けつけても何の手助けもできない。医学的なこともわからないから、病院にお願いするのが一番だから、救急車を頼みなさい」って、そう言うの。「確かにそうだけれども、あなたは冷たいね」って。(笑)

 

・「お母さん、もう3人も子供を産んだし、子供も要らないし」って娘に言われたんです(50歳代前半・女性)

 

 

 また、自分ががんになったことで、娘もがんになるのではという不安を感じたという人や、娘自身が心配していると語った人もいました。がんの原因には、遺伝子の類似性と、生活習慣の類似性が関係しています。ほとんどのがんでは遺伝子的な要因は関係していませんが、全てのがんの中で5パーセント以下は「遺伝するがん」といわれるもので、遺伝性腫瘍・家族性腫瘍と呼ばれます。(注2)

 

(注2)参考:国立がん研究センターがん対策情報センター

     「人のがんにかかわる要因」

     「遺伝性腫瘍・家族性腫瘍」

 

 

・娘もがんになるのではという不安はすごく大きかったです(60歳代前半・女性)

 

・親や兄弟ががんになると似ているみたいでよくなるでしょう。だから、娘も心配しているんですよ(音声なし)

 やっぱり今、親とか兄弟ががんになると、似ているみたいで、よくなるでしょう。だから、娘も心配しているんですよ。今、40歳ですので、そろそろ検診をしなければなと言っているんですよ。

 

 

 

家族・親戚との関係

 ここでは、パートナーや子どもだけでなく、嫁、夫の妹、兄、姉、妹、がん体験者自身の親など、少し広い意味での家族・親戚についての語りや、特定の人を指さない「家族」という単位についての語りを紹介しています。

 

 

 血縁、そして姻戚を含む家族の支えは大きかったと何人かの人は語っています。親戚の見舞いが涙が出るくらい嬉しかった、息子の嫁が病気の相談に乗ってくれている、妹が医師の説明を聞いてくれた、入院中は同居の兄の妹が子どもの世話をしてくれた、また兄や兄嫁が食事療法に理解を示してくれたなど、サポートの提供者は様々です。病気を機に家族の絆が強くなったと語る人もしました。

 

・(子宮全摘して)女じゃないという気持ちになったけれど家族の支えがすごく力になりました(40歳代後半・女性)

 

・みんなから支えられてここまで生きてきました(50歳代前半・女性)

 

・病院に勤めている嫁に検査結果を見て判断してもらっています(音声なし)

 息子の嫁は病院に勤めているから、わりと話をするんですけども。

 また引っかかったから検査に行くとか、そういうのは言っていますのでね、家の人たちにも。検査の結果が引っかかってくるでしょう。再検査してくださいって。それもデータをみんな出してもらって、うちのお母さん(嫁)から見てもらっています。どこに行けばいいかなとか、内科に行けとか、外科のほうがいいとかってお母さん(嫁)が判断してくれるから。

 

・兄嫁も心配してくれたと思うんですけど兄が「自分で食事療法決めてるんだからそれもいいんだよ」って言ってくれて(50歳代前半・女性)

 

 

 一方で、身近な家族にこそ、心配をかけたくないのでつらいところを見せないようにし、治療の選択も家族の意見ではなく、自分自身で決めたいという語りもありました。高齢の親に病気のことを話していない人もいますし、家族を思えばこそ、負担になりたくないと考える人もいます。自分が死んだ方が家族は楽になるのではないかと治療中の切実な思いを語った人もいました。

 

・弱音を吐くと家族の者にも心配をかけるからなるべくそういう面を見せないような感じで過ごしました(60歳代前半・女性)

 

・私一人のおかげで(家族が)こんなに苦しむんなら、死んだほうがいいと思ったんです(50歳代前半・女性)

 

 

 

 ここでは家族や親戚以外の、周囲の人たちにがん体験者がどのような思いを持っているかを紹介しています。周囲の人たちとは、病院で同室になった人や、同病者グループ(がん患者会)のメンバー、知人、友人、近隣の人たちを含みます。

 

 

同室者との関係

 治療で入院中、ほとんどの人は同病者たちと同室で毎日を過ごします。同じ病気の人同士、自然と顔見知りになり、友人ができたと体験者は語っています。ある同室者とずっと行動を共にして助け合ったという人もいましたし、治療の副作用で白血球が減少し(副作用のページ参照—リンク)友達と離れ別室に移るのが、つらかったという人もいました。

 

・抗がん剤の人は同じサイクルで入退院するから大体顔見知りになる(50歳代後半・女性)

 

・ずっと行動を共にして、助けられて、さまざまです(30歳代後半・女性)

 

・友だちと別れるというのがつらかったですね(50歳代前半・女性)

 

 

 病院によっては、子宮がんだけでなく、乳がん、子宮筋腫などで入院する人と同室である場合もありますが、女性だけの部屋で、楽しく話をして励まされた、救いになったと体験者は語っています。同室の人たちとの語り合い、支え合いは、入院中の体験者にとっては、生活の大きな部分を占めていたようです。先に治療を始めた人から副作用についての経験を聞くことができ、「自分一人ではない」という思いを持ったという人もいます。子宮筋腫で入院した人に自分の病気を話し「気をつけてね」と伝えた人もいました。入院中に親しくなった人を自分が退院した後も訪ね、その後その人は亡くなったけれど、状態が悪い中での明るさに勇気づけられたという語りや、さらに退院後も連絡を取って集まったなど、同室者との関係がその場で終わらずに続いたという語りもありました。また同室者を家族と同じくらい大切な存在であると手記に記した人もいます。

 

・楽しいお話をして。だって、病気のことを忘れるもの、みんな同じ病気だから(30歳代後半・女性)

 

・私一人じゃない、みんなが(髪が)抜けているんだなと思いました(50歳代前半・女性)

 

・すごく明るい方でしたので私が退院した後もその方の病室に行って、いろいろなお話をしたことを思い出します(音声なし)

 励まされたのは、一番最初のがん(乳がん)がわかったときに、入院したときに、同じ病室に乳がんをやった方がいらして、すごい明るい方がいて。私が退院した後もその方はまた何回か入院したりしていたので、私は通院をしながら、その方の病室に行きながら、いろいろなお話をしたことを思い出します。最初にベッドに上がったときに明るかった、そのあれが、すごく印象に残っています、はい。そんなに悪くても、本当にその明るさで、そのときは勇気づけられましたね。

  

・退院してから年2回、みんなでどうしてるかということをおしゃべりしようと(40歳代後半・女性)

 

・私にとって、病棟の友は家族と同じくらい大切な存在であると思う(手記より)

 最初は、自ら病名を口に出すこともできず、不安な面持ちで周囲を観察していた私でしたが、癌という病を受け入れながらも、自分らしさを保ちつつ日々を過ごす姿一笑顔で挨拶したり、互いの病状を話して励ましあったり、情報交換をしたり、他愛のないおしゃべりで笑いあったリ、を見るうちに、だんだんと恐怖感も薄れていったのでした。

 入院中は不自由も多いが、同じ病棟で知り合った人達とは、病気のことを率直に語り合え、弱さも分かち合える。同じ痛みを知るもの同士の連帯感のようなものがある。きっと戦友とはこのような関係なのだろう。私はその人達を「病棟の友」と呼ぶ。正直、医師に「大丈夫」と言われるよりも、実際に苦痛を体験し乗り越えた病棟の友に「大丈夫」と言われる方が信じられるのである。病気のことは、家族であっても分かち合う事が難しいかもしれない。今回の入院で得たものの第一は命であると思うが、これからの私にとって、病棟の友は家族と同じくらい大切な存在であると思う。

 

 

 しかし、一方で、同室の人が副作用で苦しんでいるのを見たり、亡くなっていくのを見て不安になった、あるいは、同じ子宮がんでも治療の方法や進み方に差があり、他人と比較して悔しさや葛藤を抱えることがあったと体験者は語っています。

 

・同室の人が次々に亡くなって次は私かなと思ったりして(50歳代後半・女性)

 

・私より遅く入って私より早く退院していくんだもの、それの悔しかったこと(50歳代前半・女性)

 

・あの人は(治療に)行かなくてもいい、なぜなんだろうとか、そういう葛藤が出てきましたね(40歳代後半・女性)

 

 

 

患者会のメンバーとの関係

 多くのがん体験者達は、がんそのものとの闘いだけでなく、病院および治療法の選択など、がん治療過程における不十分な情報やそれによる精神的な不安、辛さとの闘いをも経験しています。がん患者会では、それぞれのがん発症部位は違うものの、がんとの闘いを経験している、または経験した人々が集まり、そこでの活動や交流を通して、がん治療過程における、または治療後の再発・転移を防止する体調管理に関する情報などを得ることができます。また、がん告知から治療後までの間、がん患者たちが経験し得る精神的な不安や辛さなどを緩和させることをもできます。

 

 ここでは、そのような患者会での活動や交流を通して、子宮がん体験者がどのような人間関係を作っているのかについての語りを紹介します。

 

 

 患者会によって、その特徴は多肢にわたっていて、それぞれのがん体験者にとっての患者会の参加状況は様々であります。しかし、患者会を知ったきっかけに関しては、新聞や知人・病院側からの紹介で患者会の存在を知ったという共通した語りが多く得られました。

 

・1年ぐらい前に新聞に載っていたのを見て、その半年ぐらい前に(60歳代前半・女性) 

 

・「A患者会」のB会長さんの新聞の投書欄のところに、「こういう会がありますけど、お話しませんか」というのが載っていたもので(40歳代後半・女性) 

 

・「こういう会があるんだけども入らない?」って、誘われたんですよね(40歳代前半・女性)

 

 

 患者会の情報を得た経緯において、多くのがん体験者が“周りからの紹介で”という点で共通しています。しかし、実際に入会することを決心したきっかけやその過程にあったっては、がん体験者によってそれぞれ異なった形で行われていました。中には、患者会に対して何の抵抗もなく、むしろ自ら望んで入られた人もいます。その反面、やはり最初は患者会に抵抗を感じ、入会を迷っていたと語る人もいました。

 

・別に抵抗も感じなく入ったんです(音声なし)

 こういう会があるから入らないかと言われて、別に抵抗も感じなく入ったんです。会のほうに入らないかと誘われたとき、何でも抑えておくことなくみんなに相談したり、その人の話も聞いたりしてもいいのかなと思って入ったんです。私は1年くらいしてから入ったと思いますよ。

 

・ほかにももっと情報を得たいと思って、患者会に入りたいと思って(50歳代前半・女性)

 

・私は嫌だから入らなかったんです(30歳代後半・女性)

 

 

 では、患者会とはどのような集まりであり、その中で、がん体験者たちは具体的にどのような活動を行っているのでしょうか。ここでは、それぞれのがん体験者達が所属している患者会の特徴および活動に関する語りを紹介します。

 自分が入っている患者会についてのがん体験者の語りから、患者会の活動は患者会メンバーの年齢と性別、そしてがん発症部位やその状態によって多様な形をとっていることがわかりました。

 

・今、進行中の人とかはあまりいなくて、もう元気な人がわりと多いんです(40歳代前半・女性)

 

・この会は年に何回も集まらないけれど会合では話し合います(50歳代後半・女性)

 

 

 多くの患者会は、がんに関する情報交換の活動、そしてそれらの情報をがん体験者だけでなく、体験していない人たちにまでも伝えていく宣伝活動を行っています。多くのがん体験者達は、このような患者会メンバーとの情報交換、宣伝活動を通してがんに関する情報の共有ができるようになっています。中では、そのような情報収集、共有の経験が自分にとって大きな支えとなっていると語る人もいました。また、そのような支えへの恩返しとして自分も情報交換活動の手伝いを頑張っていると語る人も多くいました。

 

・いろいろな人の話を聞いたり、体験を聞いたりしているから、そんなにビックリしないんですよ(50歳代前半・女性)

 

・いろんな方の話を聞くのも大事ですよね(50歳代前半・女性)

 

・がんを体験した方たちのお話が耳に入ることによって、自分の気持ちがどんどん癒されていって(40歳代後半・女性)

 

 

 また、情報交換や宣伝活動以外にも患者会メンバー同士で旅行に出かけたり、食事会を開いておしゃべりを楽しんだり、別個の患者会活動だけでなく、全国の患者会が集まって交流するなどの語りもありました。さらに、そのようなメンバー同士の娯楽活動が、大きい励ましや楽しみであるとの語る人もいました。

 

・6月に全国の「患者会」で北海道に行って来たんです(50歳代前半・女性)

 

・ワーッとしゃべって笑って帰ってくるから楽しみで (音声なし)

 私たちも行き帰りもワーッとしゃべって笑って帰ってくるから楽しみで、樋口さんの講演を聞いて、落語を聞いて、楽しみがありますからね。参加して、いいこと尽くしです。

 

・私の手料理で1日おしゃべりしようというのはずっと続いています。それは私も大好き。(40歳代後半・女性)

 

 

 患者会メンバーとの交流から、家族や親族、または病院側との関係では得られない癒しや励ましをもらっていると語る人もいました。このような精神的なサポートは、自分と同じくがんとの闘いを知っている同士であるからこそ気楽に話せること、そしてお互いその話に共感・理解できるという患者会特有の関係から来ているのではないかと思われます。実際に、患者会メンバーのことを“仲間”という言葉で表現し、心から支えにしつつされつつあることを語る体験者が、多く存在していました。

 

・会の友だちのほうがいろいろなことを話せて、気楽でいいですよ。(50歳代前半・女性)

 

・会の人のほうがしゃべりやすいから(40歳代前半・女性)

 

・やっぱり同じ病気だからこそ、話せるのかなと思うんです(50歳代前半・女性)

 

・何も飾らなくてもいい場所だから、特に言いたい放題言っていますからね、皆さん(40歳代後半・女性)

 

 

 患者会活動やメンバーとの交流から得られる情報交換や精神的なサポートは、多くのがん体験者にとって肯定的な変化をもたらしていました。がん体験者の中では、患者会メンバーとの交流を通して自分のがんを肯定的に受け入れることができるようになったと語る人もいます。また、中には、ある体験者は自分のがんに対して感謝できるようになったとも語る人もいました。

 

・病気をして良かったこともありますよ(30歳代後半・女性)

 

・前向きに生きなさいと言われましたね。それもそうだがもしれねなと考えるようになりました(50歳代前半・女性)

 

・いろんなことが、がんによって、結局、がんになったおかげで(50歳代前半・女性)

 

 

 では、がん体験者にとって患者会の存在やそのメンバーとの関係は、どのような意義を持っているのでしょうか。また、それぞれのがん体験者は、どのような思いを抱いて現在までそれらの関係を続けているのでしょうか。

 

 ここでは、がん体験者が語る、自分にとっての患者会の存在およびその意義、そしてどのような思いを抱いているかに関する語りを紹介します。

 

・入ってすごく幸せに思っております(60歳代前半・女性)

 

・だから患者会があって良かったなと思うし(30歳代後半・女性)

 

・グループの存在がすごく私には、ほかのお薬よりも一番効く薬だと思っています(40歳代後半・女性)

 

 

 

友人・知人との関係

 家族以外の友人や知人、また近隣の人に、病気について伝えるかどうか、どこまで伝えるか、体験者はそれぞれに考えていました。体験者がなぜ病気を伝えなかったか、また伝えた場合はどのように友人、知人に病気を伝えたかについての語りを紹介しています。また友人から得たサポートについて語っている人もいます。

 

 

がんと診断されたことを周りの人に伝えなかった、伝えたくなかったという人たちは、気を遣われたくないから、明るい話題ではないから、ぞれぞれの理由を語っています。

 

・「大変だね」と言って何か気を遣われるのが嫌なものだから、(病名を)言わないの。(40歳代後半・女性)

 

・私は本当にがんというのが嫌だったものね。がんと言えば明るくないでしょう(30歳代後半・女性)

 

 

 反対に、周囲に病気について隠さずに話している、人から話が伝わるより自分から言うことにしている、という人たちもいました。また、会社には病名を告げ説明する必要があったと手記に書いた人もいます。

 

・みんなにざっくばらんに言っています(音声なし)

 (がんを告知した後も周囲の人は)別に同じですよ。変わってないです。私も、自分の病気のことを隠しているわけじゃないから、みんなにざっくばらんに言っていますから。

 

・人から話が広まっていくよりも、自分で言ったほうがいいなと思って(50歳代前半・女性)

 

・会社に対しては、きちんと説明をする必要がありました。(手記より)

 会社に対しては、自分が有給休暇のない身分であるにも関わらず、10月は2回、11月は4回も通院で休んでいたので、きちんと説明をする必要がありました。病名を告げ、実際に開腹して調べないと詳しい事は分からないが、とりあえず1月末まで入院となるだろうと話しました。

 告知後も、仕事はこれまで同様に行い、年内は29日まで出社、年明けは3日、5日と仕事をし、6日から休みに入りました。請求書に関わる月末の処理は残さずにやって休みに入り、入院中会社から私に電話が入ることも、誰かが訪ねて来るようなこともありませんでした。

 

 

 がんと知った友人や知人から、いろいろな形で得たサポートを体験者たちは語っています。ある人は、友人たちが自分を病人としてではなく対等に接してくれたことがうれしかったと言います。またある人は、恩師が体を休めるよう助言してくれたと言っています。さらに、友人が料理を作ってくれたり、献血を申し出てくれたりといった実質的な手助けをしてくれたことに感謝している人もいました。(ただし、友人からの献血は検査等必要なため実現しなかったと体験者は語っていました。)

 

・全く同じく扱ってくれたのがうれしかったです。私を病人としてでなく(60歳代前半・女性)

 

・先生が私の肩をつかまえて「とにかく体を休めろ」と言われて(50歳代前半・女性)

 

・料理を作って持ってきてくれたり、娘の幼稚園のバッグをつくってくれたり。あれは絶対に忘れないです(30歳代後半・女性)

 

 

 

 新たに再発・転移による治療を受けることで多くの苦痛を体験していても、「今を生きている」ということに感謝している人がいました。 

 

 

・生きているだけでいいでしょう。(笑)生きられることはありがたいことです。だって、周りの人が次々に亡くなっていくんだもの。(音声なし)

 

 今はどうってことない。(笑)

 

 強い考えといっても、生きているだけでいいでしょう。(笑)生きられることはありがたいことです。だって、周りの人が次々に亡くなっていくんだもの。やっぱり、自分は生きれるんだなと思って。

 

 

 

 再発・転移の治療にも、手術、抗がん剤、放射線、ホルモン療法などが行われます。

 

 インタビュ-では、肺腫瘍があった人は、数年間の経過観察を得て、手術治療と抗がん剤治療を受けていました。また、新たに口腔内のがんや乳がんが発見された人は、切除手術や抗がん剤治療を受けました。皮膚がんの部分切除手術を受けた人からは、子宮がんの手術と比べて身体的に楽であったことが語られました。

 

・でも、今は、去年なんか手術しても、そんなには悲しまなくて。(手術の後)1種類だけだからと先生に言われて。それは2年半くらい飲んでいました。(50歳代後半・女性)  

 

・抗がん剤となったときに、私がすごくショックを受けて沈んでいる姿を見て、多分子どもたちもね……。(音声なし)

 抗がん剤となったときに、私がすごくショックを受けて沈んでいる姿を見て、多分子どもたちもね……。一旦3人で病室に帰ってきたんですけれども、「いいよ、あなたたち帰って」と言って(子どもたちを)帰らせて、その後、私は一人で沈み込みました。 

 

・皮膚がんのほうは、あ、大したことないという感じ。皮膚がんそのものを知らなかったでしょ。手術も簡単に部分麻酔で済みました。(40歳代後半・女性)

 

 

 

検査と診断

 

 ここでは、子宮がんと診断されるまでに受けた検査に関する体験者の語りを紹介します。

 わが国では、2004年より子宮頸がん検診の対象を20歳以上の女性に広げ、2年に1回の受診を推奨しています。一般的に「子宮がん検診」と言われるものには、子宮頸部と子宮体部の2種類の検査があります。

 今回のインタビューや体験手記では、子宮がんには頸部と体部のがんがあることを知らない人が多く、それが子宮がん検診にも影響していました。体験者たちは、子宮がんの知識が不足していたことで、がんの発見が遅れてしまったという後悔や憤りを感じていました。

 

・この体がんというのを知らなかったから、子宮を診てもらったら子宮全部がわかるものだと思っていたの。(50歳代後半・女性) 

 

・どのような検査があるのかも分からなかったので、医師に働きかけることもできなかったのです。(テキストのみ)

(診断時40歳代後半、インタビュー時(2009年)は診断から1年、子宮体がん)

 検診結果はⅢaだったらしいのですが、結果の見方も分からないし、説明も同封されていなかったので、自分がどのような状態なのかも分からないまま、不安な気持ちで4月(中旬)にA病院を受診しました。

 精密検査を期待して行きましたが、不正出血や腹痛の自覚症状を詳しく問診票に記入しているにも関わらず、エコーも血液検査もなく通常の子宮がん検診(頚部)を再度し、lヶ月後に来なさいというものでした。

 4月の結果はIでした。医師が変わり、結果の説明を詳しくしてくれ、3ヶ月ごとの検査をして経過観察をするとのことでした。しかし、改めて考えてみると、がん検診の結果には適切な対応なのかもしれませんが、問診票の内容には全く対応していないし、私も「癌ではなかったんだ」という安心感からか、自覚症状について訴えるのを忘れているのです。

 医師の対応には不満や不安がありつつも、自分自身も子宮癌の疑いをもつて自分を観察したり、子宮癌について調べることをしていませんでした。この時に、「子宮癌かも?」と思って、病気のことを少しでも調べていれば、「子宮体癌の検査もしてください!」と自分から医師に言えたのかもしれませんが、どのような検査があるのかも分からなかつたので、医師に働きかけることもできなかったのです。

 7月(中旬)に再来。医師は内視鏡で内診もしてくれたのですが、検査はやはり頚部の検査のみでした。当時の自分はまだ失業中で、身体のだるさや腹痛を感じながらも、就職活動第一で過ごしていました。

 8月(上旬)に結果を聞きに行きました。結果はⅢa。「次回には細胞の検査を詳しくしましょう」とのことでした。そして、10月(中旬)の再来。医師は初めて自覚症状について触れ、やはり奥も調べた方がいいと判断し、子宮体部の細胞検査をしました。

 10月(下旬)に結果を聞きに行きました。細胞は癌でした。

 

 体験手記やインタビューでは、「ひとに見られたくない」「結果を聞くのが怖い」という気持ちから子宮がん検診や受診に抵抗を感じる人がいました。

 

・婦人科は下を診てもらうわけですけども、それを自分で納得することがなかなかできない(50歳代後半・女性)

 

・結果を聞くのが怖い(テキストのみ) 

(診断時50歳代前半、インタビュー時(2009年)は診断時から7年)

 やっぱり健診した後の結果を聞くのが、良ければいいけども、その結果を聞くのが怖いというのもあったし、それを怖がっていれば受けられないかもしれないけども、今さら後悔したって遅いですね。

 

・子宮の病気とかになると、何となしに恐れを感じて行きたくないんですね。(40歳代後半・女性)

 

・女の人はあまり進んで行きたいところではないですよね。(40歳代後半・女性) 

 

子宮体がん検診を受けた体験者は、検査中や検査後に、腹痛や出血などの症状がみられたことを語っていましたが、個人によって、症状の現れ方や感じ方は様々でした。

 

・ものすごく痛かったです。(テキストのみ) 

(診断時50歳代前半、インタビュー時(2009年)は診断から4年、子宮体がん)

 あれは多分、体がんの検査だと思うんですけれども、ものすごく痛くて、家に帰るときも、車を運転してもお腹が痛いですし、本当はスーパーに寄っていくつもりが寄れないで家に帰って、30分横になりました。

 

 

・強い痛みはなく、多少の出血がありました。(テキストのみ)

(診断時40歳代後半、インタビュー時(2009年)は診断から1年)

 子宮体部の細胞検査をしました。「痛いと思いますが・・・」と言われましたが、強い痛みはなく、多少の出血がありました。不正出血と違い、鮮血でした。

 

健康診断で卵巣の異常を指摘され、確定診断のために手術で組織の一部をとり検査することで、子宮体がんが見つかった人もいました。

 

・開けてみなければどうかわからない(60歳代前半・女性)

 

 

 診断されたときの気持ち

 

ここでは、医師より子宮がんと告知を受けたときの気持ちとそのときの状況について、体験者の声を紹介します。

体験者たちは、医師による突然のがん告知に大きな衝撃を受けていました。告知直後は、頭が真っ白になって医師の説明を聞くことができずパニック状態になったり、もうだめかもしれないという死の恐怖と不安を感じたりしていました。

なかには、子どもを残して死んでしまうのかという母親としての思いも聞かれました。

 

・だめかなと。(テキストのみ)

(診断時40歳代後半、インタビュー時(2009年)は診断から30年) 

 (がんを)疑っていて、「あなたはがんです」と言われたとき、嫌でしたね。だめかなと。

 一番下が中1かな。だから、この子がまだ小さいのに死ぬのかなというのがまず一番先でしたね。

 

・とにかく真っ白になって、何が何だか全然わからなかったんです。(50歳代前半・女性)

 

・がんになったというのは、ショックですよね。(60歳代前半・女性) 

 

自分でがんの疑いを持ちながらも、医師よりがん告知を受けないまま、入院をすすめられ医療者の言動からがんと知ってショックを受けた人もいました。

 

・がんイコール死。もう帰って来られないかなと思う感じです。(30歳代後半・女性)  

 

2度にわたり乳がんを経験し、3度目に子宮がんが見つかった人は、最初の時とは違うショックを受けたと語っていました。

 

・「もうたくさんだ。何で?」という感じでした。(40歳代後半・女性)

 

子宮がんを経験して、その後、肺の異常を指摘された人もいました。

 

・初めはやっぱり悲しかった。でも、2回目に(肺がん)なったら、さすがに、自分でも度胸がついてケロっとしていたけど。(50歳代後半・女性) 

 

長い間、婦人科に通院しており、定期的に子宮がん検診を受けていたにもかかわらず、別なルートでがんが見つかった人もいました。そのため、体験者は、子宮がん検診や医師への不信感を募らせていました。

 

・頭の中で、えっ、頸がんって何ですか、がん検診はがん検診じゃないんですか。(50歳代前半・女性)

 

医師によるがん告知や説明のされかたによって、前向きに受け止める人もいました。

 

・先生にも、「あなたは本当に運がいいですよ」って言われてね。こんなに早く見つかる人はめったにいないですって。(40歳代前半・女性)

 

・とにかく治るって言われたのが頭にあるから。(50歳代前半・女性)

 

婦人科に受診して検査前の段階で、突然、医師よりがんを告知された人もいました。告知を受けた直後は、「ここで人生が終わってもいい」と思うこともあったようです。また、がんになったことで結婚など女性としての生き方についても考え直す機会になっていました。

 

・一瞬にこれで人生が終わってもいいってそのときに思ったんですね。(50歳代後半・女性)

 

 

病院・医師の選択

 

 どこの病院にかかり治療を受けるのか、自分にとって納得のできる治療を提供してくれる医師をどうやって選んだらいいのかについては、患者にとって非常に重大な問題です。

 ここでは、インタビューを受けた人たちが、どのように治療する病院や医師を決めたのかについて紹介します。

 インタビューでは、検診で異常が見つかると、個人病院を受診後、総合病院を紹介されるというケースが多く聞かれました。体験者たちは、地域的に治療する場所が限られているため、あまり病院の選択肢がないことや、治療後の通院環境や家族のサポートを考えて、自宅から近い病院を選択していました。

 

・地方ですと、病院は限られています。(40歳代後半・女性) 

 

・やっぱり、自分で通える近いところがいいということで、A市のD病院で手術しました。(テキストのみ)

(診断時50歳代前半、インタビュー時(2009年)は診断から7年)

 そこで10日くらい、いろいろと検査をしたけども、やっぱり大きい病院に行ってもう少し詳しく調べたほうがいいということで、そこで撮った写真を持って大きい病院に行って、さらに詳しく調べてもらったんです。

 初めに行った個人の病院の先生が、どこの病院がいいって聞かれたんです。やっぱり、自分で通える近いところがいいということで、A市のD病院で手術しました。

 

・早いほうがいいって言われて、B病院がいいかなと思って、そちらへ行ったんですよね。(40歳代前半・女性)

 

・やはり遠くのほうに行けば、娘の仕事があるため、なかなか来れないでしょう。(50歳代後半・女性)

 

・遠いところに行くと、家族にも負担がかかるわけでしょ。(60歳代前半・女性)

 

 体験者たちは、主治医を信頼してその方針に従っており、他の医師に相談しようとは思わなかったと語っていました。しかし、なかには、自宅から遠く離れた病院であっても評判のいい先生を求めた人や、主治医の治療に疑問を感じて苦渋の選択のもと、夫や友人からの後押しもあり別な病院を受診した人もいました。 

 

・距離はあるんですけれども、だけども、先生は、F病院にはいい先生がいないから、自分の知っている先生がE病院にいて、その先生に紹介状を書いてあげるからって。(テキストのみ)

(診断時50歳代前半、インタビュー時(2009年)は診断から13年)

 まだ早いから、今のうちだったら治るから、どこか大きい病院を紹介しますと言われて、E病院に行ったんです

 距離はあるんですけれども、だけども、先生は、F病院にはいい先生がいないから、自分の知っている先生がE病院にいて、その先生に紹介状を書いてあげるからって。今のうちだったら治るから早く行きなさいって言って、私がいる前で先生に電話してくれて、ちゃんと紹介状を書いてくれたんです。それですぐに行ったんです。

 

・病院を変えて、別な産婦人科に行ったんです。本当に意を決して。(50歳代前半・女性)

 

・セカンドオピニオンとは、第2の意見、つまり、患者が現在かかっている医療機関から提供されている医療行為(治療法のみならず、主治医の診断も含まれる)に疑問を感じ、納得のために別の第2の医療機関を受診して求める意見をいいます(医学大辞典)。さらに、それは、医者をかえることではなく、 主治医との良好な関係を保ちながら、複数の医師の意見を聞くことであるという考えもあります(セカンドオピニオンネットワーク)。

インタビューでは、体験者たちは、医師との関係の善し悪しではなく、単純に第2の意見を求めることであると捉えていました。その一方で、病気をするまでセカンドオピニオンについて知らなかった人もいました。

 

・(セカンドオピニオンについて)全然そういうことを聞いたことがなかったんです。(テキストのみ)

(診断時50歳代前半、インタビュー時(2009年)は診断から7年) 

 (セカンドオピニオンについて)全然そういうことを聞いたことがなかったんです。病気になってから初めてこういう言葉を聞きました。

 

・私が手術したころはセカンドオピニオンも何もなかったです。(テキストのみ)

(診断時30歳代後半、インタビュー時(2009年)は診断から31年)

 私が手術したころはセカンドオピニオンも何もなかったです。それこそ、この田舎じゃ通用しませんよ。東京と違いますよ。だから、もし何かあれば今は使いたいです。

 

 

治療法の選択・意思決定

 

 治療法は、がんの種類や大きさ、広がり方、悪性度、再発のリスク、年齢、合併症の有無、患者さんの置かれている生活環境によって、異なってきます。特に、子宮がんの治療の場合には、命の問題だけでなく、治療後の後遺症、妊娠や出産など、女性としての生き方にも大きな影響があります。ここでは、体験者がどのように考えて治療を選択したのかについて紹介します。

 

体験者たちは、早くがんをとりたい、早く治りたいという思いから、体験者たちは手術治療を選択していました。なかには、がんになってしまったことを運命として受け入れて、これから自分がどうすべきかを冷静に考えて、医師を信頼して手術を決めた人もいました。また、医師から「今のうちなら治せる」という説明を信じて、全く不安を感じることなく手術治療を受けいれていました。

 

・とにかくここでやってみようと思って先生を信頼して受けることにして手術をしましたね(50歳代後半・女性)

 

・迷わなかったんですよ。今のうちだったら治るって先生に言われたものだから、それを信じて行ったものだから、全然、心配はしなかったんです。(50歳代前半・女性)

 

子宮がんやその治療法の知識がないことから、医師にすべてお任せするという人もおりました。

 

・かえって、その知識のなさが、先生の言うとおりにしようという感じでした。(40歳代前半・女性) 

 

当たり前に医師の治療方針に従う体験者がほとんどでしたが、なかには、治療法の選択は、ひとの意見に左右されず、自分のことは自分で決定したいと、しっかり医師に意見を伝えて治療法を決定した人もいました。

 

・自分のことは自分でちゃんと生きてきた証として、自分のことは自分でケリをつけたいと思います。(60歳代前半・女性)

 

当時(約30年前)、医師からのがん告知はされずに、ただ「こどもを産んでいるんだから(子宮を)取ってしまった方がいい」と説明されて、自分もがんを疑っていたので、早く手術したいという思いで違和感なく手術を受け入れた人もいました。

 

・病気で早く取ったほうがいいのかなと思って、全然、違和感なく手術はしました。(30歳代後半・女性)

 

がんの告知の際、心の準備がないままに手術治療しか選択方法がないと医師に言われて、ショックを受けたと語っていました。

 

・いきなり手術という治療法しかないことにショックを受けました。(テキストのみ)

(診断時40歳代後半、インタビュー時(2009年)は1年、子宮体がん)

 11月6日にMR I、11日にCTを撮り、14日午前に婦人科外来で確定した診断を告げられました。医師は「12月2日に(子宮と卵巣の全摘出十α )手術しましょう」と言いましたが、こちらには心の準備もないし、入ったばかりの会社は、11月末に人が辞めるので月末の処理が大量になることが必至であり、12月15日には姪の結婚式に出席の予定もありました。とりあえず、「12月15日に姪の結婚式があるので、それ以降にしてもらえないか」とお願いしました。医師はあれこれ考えて手術日を翌年1月13日と決め、入院は1月7日からと言いました。

 この間まではⅢaという結果でも大した検査をしていなかったのに、癌が確定したとたんに子宮も卵巣も全摘出の手術になるとは、全く受け入れがたい感じがしました。まずは薬などの治療があるものと思っていました。私は自分の意志で独身で、子供も生む機会もなく、47歳という年齢にもなっていたので、子宮と卵巣を摘出してしまうことに大きな抵抗感はありませんでしたが、いきなり手術という治療法しかないことにショックを受けました。

 

抗がん剤治療については、その副作用の恐怖から抵抗感が多く聞かれました。なかには、がんを薬で治したいと思う人もおりましたが、医師より手術しか選択肢がないと言われ、覚悟を決めて手術治療を受け入れたと語っていました。

 

・「私、抗がん剤やらないと思います。食事療法をやると思います」(50歳代前半・女性)

 

・「お薬とかの治療はないですか」と言ったら、「これは手術したほうがいいと思います。薬はないですね」と言われた(テキストのみ)

(診断時40歳代後半、インタビュー時(2009年)は18年、乳がんも発病)

 結局、個人病院で、「こういうあれですから、多分、手術ということになると思いますよ」と言われて、「お薬とかの治療はないですか」と言ったら、「これは手術したほうがいいと思います。薬はないですね」と言われたので、「私がかかっているところがありますので」と言ったら、「そこに紹介状を書きますから、そっちに行ってください」と言われたので、それも結局、1カ所だけでなく、2カ所通過しているので、紹介状を書かれたほうの病院で、そうだって言われて結果が出ましたので、やっぱりそうかという覚悟ができました。そこで手術をやるという頭は最初からありました。

 

抗がん剤治療については、家族と相談して治療方法を決めた人もいました。

 

・病院にいたほうがわ(私)も安心だじゃ。(50歳代前半・女性) 

 

 

 手術治療を受けるときの思いや手術後の回復時の様子、後遺症・合併症についてご紹介します。

 

 初期の子宮頸がんで病巣がごく小さい場合、子宮頸部の組織を円錐上に切除する方法がとられ、2~3日程度の短期入院となります。しかし、多くの場合、全身麻酔をかけ、子宮、卵巣、卵管を摘出します。同時にリンパ節も切除することがあります。この場合、入院期間は1週間から3週間程度です。

 

 インタビューでは女性の象徴となる、子宮を切除することで生じた葛藤が語られました。しかし、「よくなるために、手術を受ける」という思いも語られました。

 

・(子宮を)取ると言われたときはショックだったけども、やっぱり(子宮を)取ったほうが安心だと思いました。何となく女でなくなるような感じに思って。(文字のみ)

 やっぱりそのときも手術は怖いというか、中のほうを全部取ってしまうと先生が言ったんです。(子宮を)取ると言われたときはショックだったけども、やっぱり(子宮を)取ったほうが安心だと思いました。何となく女でなくなるような感じに思って。でも、そのほうがいいって先生に言われて、(子宮を)取りました。

 

・先生が言うように、あってもなくてもいいような、もう役目がないのであったら、なくて軽くなったほうがいいのかなと、だんだんプラス思考に考えるようになりました。(60歳代前半・女性)

 

・がん、がん、がんが頭に来ていまして、先生が言わなくても自分でそう思っているから、もう手術して、元気になりたいということだけでした。(30歳代後半・女性) 

 

 

 実際の手術では、手術室に入った後の記憶がなく、無事に手術が終わり、目が醒めたとき、生きて帰ってきたことに安心したという人がいました。なかには手術直後一時的に集中治療室や回復室で過ごした人もいました。

 

・終わって目を開けたら、あ、生きて帰って来たって思いました。(50歳代前半・女性)

 

・回復室に2日ほどおり、その後個室へ移動し、歩行ができるようになりました(手記)

 術後は回復室に2日ほどおり、その後個室へ移動し、歩行ができるようになり、リンパ液の左右のドレーンが抜けて、19日(術後6日目)にようやく6人部屋に戻ってきたのでした。手術前とは別の部屋なので初めての方々ばかりでしたが、個室で白い壁を見ている状態から開放されて、ホットしたものです。

 

 

 一方で、子宮がん手術の場合、手術による肺や腸への影響を最小限とするため、手術翌日より歩行を促がされることが多くあります。特に胃や腸の手術と比べると食事開始時期が早いため、早期に腸の動きを活発にさせることが必要です。

 

 インタビューでは、手術後痛みを我慢したこと、初めておならが出るまで苦しい思いをしたこと、手術後初めて歩いたときのことなどが語られました。

 

・手術の後は、痛いのは痛いんですよ。だけども、痛み止めはあまりしないほうがいいですよと言われて、あまり痛み止めをやらなかったんです。(50歳代前半・女性)

 

・傷の痛さよりもガスが出ないのが苦しくて、ベッドの上で転げ回って、「傷口が開かないのかしら」ってみんな心配するくらい。苦しくて寝ていられなかった。(40歳代前半・女性)

 

・(手術によって)あるものがなくなってしまえば、何かペタンと力が入らないんですよね。とにかく、1週間くらいはベッドから動くことができなくて。(40歳代前半・女性) 

 

・手術の直後は傷が痛いし、ベッドから出ることもできず、点滴も始終しているので、動きが制限されて本当に体中の筋肉が凝り固まってしまって(手記)

 手術の直後は傷が痛いし、ベッドから出ることもできず、点滴も始終しているので、動きが制限されて本当に身体中の筋肉が凝り固まってしまって、「マッサージ師を呼びたい!!」と本気で思っていました。動けるようになってからは、傷が痛まない程度に脚の屈伸や身体のストレッチをしました。肩回しなどは、肩こりの解消にもなるし、リンパの流れも良くしてくれるので、知らずにやっていたこととは言え、良い効果があったかもしれません。医師から安静の指示がない限りは、工夫して身体を動かして、退院後の生活に支障ないように備えたいと思いました。

 1回目の入院の時は、日常動作以外であまり動き回ると疲れを覚えたので、1日病棟1周くらいしか歩けませんでした。

 

 

 手術の影響で、腸と腸がよじれ、腸の近くの臓器などにくっつき、腸が締めつけられることでおこる腸閉塞があります。そのため、日頃から排便習慣をつけることが大切となります。

 

 手記では、手術後の食事に対する対応が記されていました。腸閉塞の手術をした人からは、医師よりあと1時間遅かったら、命はなかったと説明されていました。

 

・子宮を取ったらどうなっているんだろうなと思って、ちゃんと縫っているんだそうです。知らない人は穴があいているんじゃないかと言うけども、ちゃんと縫っているそうです。(30歳代後半・女性)

 

・「何を食べても大丈夫」という医師の言葉は5割引きで聞いて、あくまでも自分のお腹と相談して食べ方に気をつけました。(手記)

 私の場合は準広汎での手術でしたので、大腸から引き剥がす部分があったためなのか、腸の働きが悪くなりました。口からは食べられるのですが、なかなか消化が進まないのです。重湯から始まって三分、五分、全粥、1週間位で普通食になるのですが、普通食メニューは術後の人のためのものではないので、自分のお腹と相談しながら食べないと、お腹のトラブルが起きます。

 私の場合は、10日目のカレーが自分には辛過ぎて下痢になってしまいました。また、海藻類や青菜の御浸しなども、よく噛んで食べないと本調子でない腸には負担が大きいようです。癌の手術でなくても腸に影響のある手術をした場合は、腸閉塞の危険が常にあり、「何を食べても大丈夫」という医師の言葉は5割引きで聞いて、あくまでも自分のお腹と相談して食べ方に気をつけなくてはいけません。

 

・手術が終わってから先生に、「命拾いをしましたよ。1時間遅かったら、だめだったんですよ」って言われたときは、自分でも「1時間で私は死んでいたんだ」って思って、そのときのほうが子宮がんのときよりも大変だったような気がします。(40歳代前半・女性)

 

 

 子宮がん手術の日常生活は、退院後1か月間は、お腹に力が入るような重い物を持つこと、入浴、性生活など制限がありますが担当医と相談しながら徐々に元の生活に戻していくことが必要となります。

 

 一方で手術の影響で、排尿感覚がなくなり、尿漏れをするなど排尿障害が生じることがあります。

 

 インタビューでは疲れやすいだけではなく、開腹手術による傷跡の引きつり感や尿漏れなどの身体変化があった人がいました。

 

・縫ったところは引きつってるような感じにはなっています。(40歳代前半・女性)

 

・自分では全然感覚がないけども、手術して、退院しても、半年くらいはしょっちゅう、おもらししていました。(50歳代後半・女性)

 

・ほとんど朝から夕方まで、トイレに行かないことがあるんです。そうすると、具合が悪いですね。ですから、なるべく水を多く飲んでるんですけど、行かないですものね。(40歳代後半・女性)

 

 

手術により、卵巣をすべて切除した場合、女性ホルモンがつくり出されなくなり、更年期症状がみられたり、膣からの分泌物が少なくなることがあります。

 

 インタビュ-では、実際にほてりなどの症状がみられた人がいました。更年期症状を避けるため、片方の卵巣を残した人もいました。性生活に関しては術前と変化はなく、性交痛もなかったと語っていました。

 

・先生は「60歳になると更年期障害というのはないですよ」なんて言ったんだけど、急にあるものがなくなったから、顔が真っ赤、今もちょっとすると、顔に来るんですね。のぼせるように、顔がバーッと熱くなって、入院したときに特にそれがひどかったんですね。(60歳代前半・女性)

 

・ほてりとかそういうのは、私は子どもがいるから、これに負けていられないと、更年期は全然というほど、そのときは感じられなかったです。(30歳代後半・女性)

 

・うちは普通です。初めからそんなに違和感がなくて、私はもったいないから、何となくいたわって使わなきゃと思って。(30歳代後半・女性)

 

 

 子宮がん手術のとき、リンパ節郭清を行なうと、足や外陰部のむくみ、リンパ浮腫が起こることがあります。これらの症状が起こる時期、強さ、期間には個人差があり、症状が出現しない人もいれば、手術後数日で外陰部がむくみ人もいます。

 

 インタビューでは、手術後8~30年以上経過してから症状が現れた人がいました。

 

・恥骨の半分左のほうが痛むんですよね。毎日じゃなくて、たまに痛むの。(50歳代後半・女性) 

 

 

 

 抗がん剤治療についてご紹介します。抗がん剤治療は、血液やリンパ管を通して全身に散らばってしまった可能性のあるがん細胞を縮小する、または再発、転移を予防するための補助療法として行われます。そのため、手術前に行う場合、手術後に行う場合、あるいは両方ともに行なう場合があります。また実施する治療回数や使用薬剤は、子宮体がんと子宮頸がんで異なります。

 

 インタビューでは、抗がん剤治療や副作用に戸惑いながらも、やらなければ助からないのであれば受けようと、治療に臨んだ人がいました。なかには抗がん剤治療を手術前後で12回行った人や、手術後7ヶ月間にわたり、合計24回の抗がん剤治療を行った人がいました。また、実際の抗がん剤治療を体験し、想像を超える身体的ダメ-ジの強さから生命の危機を意識した人もいました。手記では、治療に対する心構えと抗がん剤実施中の様子が記されました。

 

 

はきけ・嘔吐

 はきけは、抗がん剤投与から24時間以内に起こるものとそれ以降に起こるはき気があります。現在では、はきけ止めの開発が進み、上手に薬剤を使用することでコントロールが図れるようになってきました。しかしなかには、「抗がん剤治療を受ける」というプレッシャーから症状が出る人もいます。

 

 インタビューでは、思うように食事がとれないことで一時的に体重が減ってしまったことや症状が強く出てしまったため、抗がん剤を変更、中止した人もいました。手記では、一時的にはきけがでてましたが、次第に回復したことが記されていました。

 

・抗がん剤の前後に吐き気止めの薬も入るのですが、私の場合は1回目から、抗がん剤投与の夜には嘔吐がありました。 (手記)

 抗がん剤の前後に吐き気止めの薬も入るのですが、私の場合は1回目から、抗がん剤投与の夜には嘔吐がありました。嘔吐は翌日いっぱい続き、その間は水や水分補給用の飲料などは辛うじて受け付けますが、ゴクゴクとは飲めなくなります。りんごジュースですら吐いてしまいました。2回目以降は嘔吐に備えて、抗がん剤当日の昼食までは食べて、夜からは控えめにし、翌日もほとんど食べないようにしましたが、吐き気はその後1週間程続きます。元々食べ物の好き嫌いが無い方なのですが、食べられるものが極端に少なくなりました。食べられるものは人によって異なりますが、甘味よりも塩味が好まれるようです。浅漬けやおせんべい、りんごや柑橘類が良いようです。ラーメンは私の大好物ですが、この期間はラーメンの画像はもちろん、ラの字を見るのもイヤになりました。プリンやカスタードも好物なのですが、全く食べる気が起きません。手術の前は、周囲の話しを聞きながら「なんでみんな食べられないって言うのかな― 」と不思議に思っていましたが、わがままでも何でもなく、本当に身体が受け付けなくなるのです。麺類は好まれるのですが、人によっては、麺類が飲み込めなくなることもあるようです。

 

・看護師さんにも先生にも、自分の好きな物を食べてもいいし、飲んでもいいと。でも口が、身体が寄せつけないんだもの。(50歳代前半・女性)

 

・この抗がん剤で死んじゃうかもしれないと思ったんです。だめだと思って、3回と言われた抗がん剤を1回でやめました。(40歳代後半・女性)

 

 

だるさ・疲れ

 「だるい」「身の置き所がない」「何をするにもおっくうになる」などの状態が持続することがあります。「抗がん剤治療をする」ということだけで、気分的にその症状が強くなる人もいます。

 

・とにかく寝ていたいということでした。寝ていても、そうかと言って寝てもいたくはない、起きてもいたくはないという感じです。(50歳代前半・女性)

 

・寝ているのがつらいからと起きて、座っても、なおつらい。どっちを向いてもつらいんです。うつ伏せになってもいられない。思い出しても本当にぞっとします。(40歳代後半・女性) 

 

・がんと闘う決心をしたのですから、抗がん剤もやってみるしかない!(手記)

 抗がん剤の副作用については、入院してから様々見ましたが(その後の入院で更に色々な症状を知ることになるのですが)、自分にどのような症状が出るかは、やってみないと分からないのです。吐き気や脱毛は覚悟していますが、他にも出てくるかもしれないのです。がんと闘う決心をしたのですから、抗がん剤もやってみるしかない!。しかも、3回で終わるなら良い方なのです。周りにはその倍以上の回数を耐えている方々がいるのです。更には、その抗がん剤さえもう効かないと医師に言われて絶望している方もいるのですから。

 点滴での抗がん剤治療は、24時間点滴とも言われますが、入院しながらの点滴は5日間針が入りっぱなしです。その間、大小20数本の点滴を入れます。体勢によっては滴下しなくなったり、滴下が滞ると針が詰まったり、抗がん剤以外の点滴でも注意が必要で、針が抜けるまではリラクッスできません。

 

 

・もうできないと思って、これは生きている価値がなくなる、死んじゃうと思いました。(40歳代後半・女性)

 

・点滴の薬は強くなくて、髪の毛もそんなに抜けなかったんです。でも、具合が悪くなったりしたから、治療を途中でやめるかといってやめました。(50歳代前半・女性) 

                           

 

 がんの種類や性質、進行度によって、使用する抗がん剤の組み合わせや投与回数などは異なります。使用する抗がん剤特有の副作用がみられることがありますが、使用薬剤に関係なく、抗がん剤はがん細胞だけではなく、正常な細胞にも影響を及ぼすため、脱毛、吐き気、口内炎などの症状がみられます。また、骨髄にも影響を及ぼすため、白血球の減少や貧血などが見られます。

 

 

覚障害・食欲不振

 いつも食べていた物なのに治療後、「おいしくない」「変な味がする」「味を感じなくなった」などの味覚の変化があったことが語られました。また、食欲がなくなったり、食べ物のにおいをかいだだけで辛くなる人がいました。そのようななかでどうやって食べることで体力をつければよいのか工夫していた人もいました。手記では、食べ物以外のにおいにも敏感になったことが記されていました。

 

・食べ物の味覚が変わって、何を食べてもおいしくない。人が食べないようなもの、食べたくないようなものを食べたりしていました。(50歳代後半・女性)

 

・抗がん剤をやっているときにはだんだんと、それも全く欲しくなくなったんですよね。(50歳代後半・女性) 

 

・とにかく食べたくないものですから、匂いがすごいんですね。あらゆる匂いが気になるんです。(60歳代前半・女性)

 

・食べ物のにおいより、化粧品類のにおいが苦手なので、近くの人の整髪料や化粧品、衣類に残っている香水の匂いなどから逃げるために、しばしば廊下や階段、食事時間以外の食堂などに避難していました。(手記)

 この時期困るのは『におい』です。食べ物のにおいだけで吐き気がするのです。しかしながら、部屋食の人もいるので、避難する場所がありません。私の場合は、食べ物のにおいより、化粧品類のにおいが苦手なので、近くの人の整髪料や化粧品、衣類に残っている香水の匂いなどから逃げるために、しばしば廊下や階段、食事時間以外の食堂などに避難していました。さて、吐き気が治まって、ようやく食欲が回復してきたのに、食事が美味しくない!次なる副作用『味覚障害』です。普段美味しく食べているものが、いまひとつ美味しく感じない。私の場合は、食べていないときでも日の中に苦味を感じました。黒糖味の飴を食べたり、おしゃべりなどで紛れる程度のものでしたが、チョコレートの味が変になる、と言う人もいました。数日続きましたが、退院する頃には治っていました。

 

 

 現在、初めて抗がん剤治療を行うときは入院しますが、最近では外来化学療法室が充実され、外来通院で行うようになっています。

 

 インタビューでは、入院して抗がん剤治療を行っていました。そのため、思うように食事が取れなくても、少しでも早く退院できるように、医療者の前ではしゃきっとふるまうなどして家に帰れるように努力していた人もいました。

 

・ナースセンターのところに行くときはシャキッとして、エレベーターに乗ればしゃがんで、タクシーで家に帰って来るの(50歳代後半・女性)

 

 

骨髄抑制

 抗がん剤治療により、骨髄が障害され、一時的に感染、出血、貧血などの症状が起こりやすくなります。

 

 インタビューでは白血球数が800/μℓまで減少したことで思うように治療を受けられなかったこと、個室に隔離されたこと、白血球をあげるために毎日注射を行っていたなどについて語られました。一方で感染対策として人ごみにでるときはマスクを着用し、感染しないよう自己管理をしている人もいました。

 

・白血球の注射は何回やったかな。私は3本。一番多くて6本。白血球が上がらない人は10本。しょっちゅうの人は入院したみたいだけども(50歳代後半・女性)

 

・治療するたびに「白血球が下がっています」って個室に行って、何とかどうにか退院してきました。(50歳代前半・女性)

 

・3回目の抗がん剤の後、10日で退院しましたが、18日後には2500まで白血球が下がり、それから1か月経って5000以上に戻りました。赤血球の値は正常値よりやや低いままです。(手記)

 口内炎ができて3日目が2度目の入院予定日で、初日の血液検査で白血球が3800(主治医いわく「低め安定」)になっていました。口内炎は塗り薬を出してもらい1週間で治りましたが、根本は白血球の値が下がったためで、『血液への影響』も必ず起きる副作用です。抗がん剤投与の後は3日ごとに採血し、安全な数値になるまで退院できないのです。

 影響は、白血球下がりやすい人、血小板下がりやすい人など人それぞれですが、白血球を増やすためにする注射で腰が痛む場合もあり、苦痛のない治療はないものかと願うばかりです。私の場合は、3回目の抗がん剤の後、10日で退院しましたが、18日後には2500まで白血球が下がり、それから1か月経って5000以上に戻りました。赤血球の値は正常値よりやや低いままです。

 

 

脱毛

 子宮がん治療で使う抗がん剤は、脱毛がおこることが多くあります。通常、脱毛は抗がん剤投与後、2~3週間頃から始まり、治療後3~6週間で新たな髪が生えますが、かつらなどを外せるまでには6か月~1年はかかります。

 

 インタビュ-では、医師より「また生えてくる」という言葉を励みにしていても、戸惑ったり、ショックを受けている人がいました。なかには眉毛などが抜けた人もいました。

 

 脱毛中の頭髪ケアは、手ぬぐい、帽子、かつらの他、育毛剤を使用していた人がいましたがかつらがあわずに4回も作り直した人もいました。

 

 手記では、「必ず生える」と言われても、元通りに近い状態になるまでどれ位かかるのか分からずに不安であったことが記されていました。

 

・抗がん剤は副作用が強いから、髪の毛は抜けると言われましたね。「でも、6カ月すれば、また、髪の毛は生えてくるから大丈夫だよ」って言われました。(音声なし)

 先生が、「女の人は髪の毛が抜けるのはつらいことだよな。でも大丈夫だ」って言われて、それを聞いて安心しましたけどもね。抗がん剤は副作用が強いから、髪の毛は抜けると言われましたね。「でも、6カ月すれば、また、髪の毛は生えてくるから大丈夫だよ」って。

 

・抜けました。家に帰って2日目くらいから、3日目、4日目とすごく抜けてきました。(音声なし)

 抜けました。家に帰って2日目くらいから、3日目、4日目とすごく抜けてきました。3回やっていたら本当に1本も残らずにツルッとなるでしょうね。1回で終わったから、何本かは残っていましたけども。

 

・抗がん剤治療が終わって2週間が過ぎたら途端に、本当に一気にですね。そしたら、髪の毛が抜けて、このままではとてもでないけども人にも会えないと思いました。(50歳代後半・女性)

 

・あらゆるところが抜けましたよ。まつ毛、眉毛、鼻毛。それから、うぶ毛ですか、全部です。(60歳代前半・女性)

 

・美容院から、かつらを買ったの。そしたら、試着ができないって言われて、注文をすればそれで終わりでしょう。そうしたら、大き過ぎた。(笑)帽子をかぶっているみたいでダメだった。(50歳代後半・女性)

 

・帽子無しで出歩くことは難しい状態です。「必ず生える」と言われても、元通りに近い状態になるまでどれ位かかるのか分かりません。(手記) 

 頭髪がかなり薄くなってしまったことも心を暗くします。現在は、帽子無しで出歩くことは難しい状態です。「必ず生える」と言われても、元通りに近い状態になるまでどれ位かかるのか分かりません。脱毛の後遺症が出てしまった人の共通の悩みです。ウィッグ購入を早々とする人もいますが、生えるまで我慢すれば良いのか、ウィッグにすればいいのか、私はまだ決心がついていません。ウィッグも20万円程だと聞いていますが、シャンプーを変えたり、育毛剤使ってみたり、私も既に通院以外のお金がかかっています。頭髪が無くなると社会復帰の意欲も削がれます。脱毛の後遺症のない抗がん剤が一般化して欲しいものだと切に望みます。

 

 

腎機能障害

 使用する抗がん剤によって、腎臓の機能が低下することがあります。インタビューでは、治療後に治療の影響から腎臓が悪くなった人がいました。

 

・今は、腎臓は半分しか動いていないよ。これも抗がん剤から来ているから、元々、腎臓が悪いほうではないけども、と言われました。(50歳代後半・女性)

 

 

皮膚の黒ずみ

 抗がん剤にはメラニン細胞に作用する成分も含まれるため、抗がん剤投与後に手や爪が黒ずんでくることがあります。インタビュ-では、爪が黒くなってしまったことが語られました。

 

・爪が黒くなって、変形するんですね。(音声なし)

 爪が黒くなって、変形するんですね。今もまだちょっと変形しているけど、黒いのはなくなりましたけどね。大変なものですね。

 

 

 今回のインタビューでは語られませんでしたが、他にも口内炎、しびれ、関節痛、下痢、便秘などの症状がみられることがあります。また、抗がん剤投与中には、アレルギー症状や点滴の場合、血管痛や静脈炎など点滴の針を刺している部分に炎症を起こすこともあります。

 

 

 放射線治療には、小線減といわれる放射性物質を密閉したチューブを身体の中に入れ、膣や子宮の内側からがんに直接照射する膣内照射と、身体の外から広範囲に照射できる外部照射の2つがあります。副作用には、はきけ・嘔吐・便秘・下痢・頻尿・残尿感・血尿・皮膚障害・膣乾燥・膣炎・膣狭窄・膣感覚の低下などがありますが今回のインタビューではこれらの語りはありませんでした。

 

 インタビューでは、腔内照射治療のとき、特別な部屋に隔離されたときの寂しさや線減を支えるための棒を子宮内に挿入した時のことが語られました。

 

・地下に行って治療というのは、特別に隔離されてするという感じがあります。(40歳代後半・女性)

 

・ラジウムを差し込んで子宮の中に入れて。ですから、トイレも流さない。「えっ、先生、これ流さないと大変でない?」「仕方ないでしょ」と言われてね。(40歳代後半・女性)

 

 

 外部照射治療について、語られませんでしたが、唯一、皮膚のただれにより治療が中断し、治療期間の延びることや治療効果が減ってしまうことへの不安が語られました。

 

・どうしても皮膚がただれます。そうすると、放射線をかけられませんから治るまで休まなきゃならないでしょ。(音声なし)

 それは、どうしても皮膚がただれます。そうすると、放射線をかけられませんから治るまで休まなきゃならないでしょ。そうすると、日数がまた延びてしまうんです。あれもまたつらいものですね。短時間でしょうけど。

 

・治療に負ければ、結局、家に帰されるんです。5日でも家に帰れば、その分、日にちがこっちに延びちゃうわけで、60回、80回の治療が終わらないと絶対に帰れない。(30歳代後半・女性)

 

 

 

 卵巣をすべて切除した場合、女性ホルモンがつくり出されなくなるため、からだが熱くなったり、汗がでたりといった更年期障害のような症状や腟からの分泌物が減少したりすることがあります。子宮体がんは、女性ホルモンと関係が深いので、ホルモン療法が有効なことがあり、注目されています。

 

 ここでは、ホルモン療法を経験した人の語りを紹介します。

 

 体験者は、卵巣を切除しているため、医師よりホルモン療法をすすめられた人がいました。しかし、ホルモン療法をはじめてすぐに、胸にしこりができるようになったと言います。乳がんを心配して薬をやめると、再びからだの調子が悪くなり、その薬のコントロールに悩んだと言います。

 

・乳がんになる恐れがあると言われると、やっぱり飲まれなくなるんですよね。(50歳代前半・女性) 

 

 

 

 がんの進行にあわせた治療を受けていても、その状況によって思いは揺らぎます。がんは、今や2人に1人ががんに罹患する時代であるにもかかわらず、がん対策に関する世論調査においては、75.7%ががんについて「こわい」と回答しています(内閣府.2007)。インタビューでは、治療のめどが立たないこと、相談相手がいない、同室者の死による不安な気持ちが語られました。なかには紹介状をこっそり開封してみた人もいました。 手記からは、がんという病気と正面から向き合うようになったことが記されていました。

 

・いつになったら帰れるか、もしかして(もう家には)帰れないかと、それが頭にありました。(音声なし)

 いつになったら帰れるか、もしかして(もう家には)帰れないかと、それが頭にありました。 

 家に帰るというのがうれしいと言ったらいいのか、「家に帰れる、生きているんだな」という実感がしました。「良かった、生きている」という感じがしました。 

 

・治療中は4週間に1回(入院しに)行くでしょう。私よりも健康な人だったのに次々と(亡くなりました)。 (周りの人たちが亡くなって)不安になりますよ。(50歳代後半・女性) 

 

・自分ではどのように生きていけばいいのかなというのが入院中に悩みました。だれに相談するということも結局できないような、どこで聞けばいいのかわからない。(50歳代後半・女性)

 

・あのときもちょっと心配で、この封筒を放射線科に持って行きなさいと言うんです。パチンと封のしてあるのを、もう時効だけども、(診断書の)中を開いて見ました。(30歳代後半・女性)

 

・「がんに負けたくない。自分が作った病気は自分で治すんだ」という決意が湧き、この時からこのがんという病気と正面から向き合う姿勢になったような気がします。(手記)

 しかしながら、泣いた後は、病気は自分が作ったもの。もっと早く医者が発見できれば良かったかもしれないが、過去を変えることはできない。今からしか始めることはできなんだ。何故か悟ることができたのです。痛いのや辛いのは大嫌いな私ですが、「がんに負けたくない。自分が作った病気は自分で治すんだ。」という決意が湧き、この時からこのがんという病気と正面から向き合う姿勢になったような気がします。

 

 

 

 患者が納得いく医療を受けるためには、医療者とどのような関わりを持つかが大きく影響してきます。ここでは、体験者が、医師、看護師、そして病院や医療についてどのような思いを持っているか、どのような経験をしてきたかを紹介しています。

 

 

医師との関係 

 医師を信頼し感謝を感じている人もいましたし、不信感、不満を持っている人もいました。また、医師と良好なコミュニケーションを持つために自分なりにしている工夫についての語りや、こうして欲しいといった要望の語りもありました。

 

何人かの人たちは医師への信頼を語り、「大丈夫だよ」の一言に安心すると言っています。医師が自分にしっかり向き合ってくれたことで信頼が生まれたという人、医師と少しでも話すことで安心感が生まれるという人がいました。診察の時医師の顔を見るとニコッとしたくなると語った人もいます。また、最後までその医師に命を預けたいと思った、主治医を信頼することが患者のプラスになる、とにかく信じることにしている、という人もいました。

 

・主治医は、しっかりと私の眼を見て、誠実にかつ分かり易く話をされる方で、主治医に対する信頼感を持つ事ができたのは本当に幸いでした(音声なし)

 入院の日の朝、タクシーを呼んで立会人である姉と荷物と共に病院へ。前回のCT撮影からlヶ月以上経っているので再度CTを撮り、進行の具合などを調べ、午後14時半頃から手術の説明が一時間ほどされました。主治医は初めて会う医師でしたが、外来の担当医と研修医、看護師も同席。(後から分かつたことですが、産婦人科医師3名程度で2チームになって、患者や研修医を担当しているのでした。)

 主治医は、しっかりと私の眼を見て、誠実にかつ分かり易く話をされる方で、私が感じている憤りにも理解を示す方でした。もし、初診の際の医師が担当であれば、私は手術や治療を受け入れられなかったかもしれません。(初診時の医師の顔を私は覚えていません。患者の私の顔をきちんと見ながら話をした記憶がないからです。当然自己紹介もないので名前も覚えていません。後で外来担当医の表で判断しましたが)自身の病気をまだ完全には受け入れられない状態ではありましたが、主治医に対する信頼感を持つ事ができたのは本当に幸いでした。

 

・「大丈夫だよ」と言ってもらえる、先生の顔を見て帰ってくるだけで良かったと思って、通い続けました(40歳代後半・女性)

 

・先生とちょっと話をしてくれば安心感があるんです(30歳代後半・女性)

 

・私はその先生に命を預けたんだから最後まで預けたいなと思いましたね(60歳代前半・女性)

 

・先生を信頼するということは、患者のためにすごくプラスになります。決めたらそこを絶対信頼しないと(40歳代後半・女性)

 

・先生を信じるしかないなと思って治療してきました(50歳代前半・女性)

 

 

 一方で、医師に対して不信感、不満を持っている人たちもいました。婦人科のがん検診を受けていたのに、子宮頸がんのみの検査で体がんが見逃され、がん発見時に医師に不信感を持った人もいましたし、検査のデータを医師が詳しく示して説明してくれない、患者の顔を見てくれない、という不満を語る人もいました。さらには、病院の医師が次々に変わってしまう、転移・再発した場合にも診療科が少ないので病院を選べないという、地域医療の抱える問題に言及する語りもありました。また医師から冷たい言葉を投げつけられた経験したという人もいます。頸がんのみの検診で体がん検査をしなかった医師を訴えることを考え、最終的に示談にしたという人もいました。

 

・どうして私が出血したと言ったときに、体がんの検診も先生がしてくれなかったのだろうと思って(50歳代後半・女性)

 

・(医師に対して)「今までがんを見つけられなかった責任はどうなのよ!」と心の中で叫んでいました。(手記より)

 (仕事などの都合で)手術を12月から1月に延期したことで、医師には「その間に病状が進んでも責任持てません」と言わわれましたが、「今まで見つけられなかった責任はどうなのよ!」と心の中で叫んでいました。

 11月28日に再来があり、医師からは手術とその後の治療予定などが説明され、入院に関する説明は看護師からとのことでした。医師に「何か準備するものありますか?」と尋ねたところ、「特にないですよ」とのことでした。私は再度カチンときました。

 

・先生に「データをコピーしてください」って言ったら「そんなのわからないでしょう」って言われたの(50歳代後半・女性)

 

・医師が患者と向き合ってくれず、悩みも聞いてくれない(60歳代前半・女性)

 

・先生から「まだ来てるのか」と言われショックでした(音声なし)

 一番最初に細胞を抜き取ってくれた先生だったんですが、結局、それが失敗だった、結果が出なかったという、その先生です。「まだ来てるのか」というみたいな、それを言われたときにはショックでした。

 

・実は裁判は起こさなかったんですけれども(医師と)示談したんです(50歳代前半・女性)

 

 

 ある体験者たちは、医師との付き合い方に、工夫をしていると語っています。医師が話している時は話さないようにしているという人、また本当に聞きたいことはメモに書いて忙しい医師に協力しているという人もいました。

 

・先生がお話をしているときに話せば怒られるんですよ。患者さんがあれもこれも聞けば本当はダメだから黙っているんです(30歳代後半・女性)

 

・本当に聞きたいときは書いて、これだけは聞きたいと言わなければ、患者のほうも協力してあげなきゃだめでしょ、忙しいんだから(60歳代前半・女性)

 

 

 がん体験者たちは、医師に対する様々な要望を語っています。検査や治療、副作用についてもっと説明して欲しかった、メンタル面でも力になって欲しい、もっと患者の話に耳を傾け、専門的な言葉でなくわかるように説明して欲しい、などの語りがありました。がん患者の多さから、医師の負担が大きいのではないかという危惧を抱き、患者を診ず病気だけを診る医療にならないで欲しいという願いを手記に書いている人もいます。

 

・医師が治療法や副作用について説明し、その病気に対しての情報は伝えてほしい(50歳代後半・女性)

 

・医者はサービス業の一種だと思うんですよ。メンタル面でも力になってくれると、相乗効果で病気は治ると思うんですよね(50歳代前半・女性)

 

・愚痴を聞いてもらえば助かる。(60歳代前半・女性)

 

・患者を診るのでなく、病気を診る(≒ 検査数値を見る)だけの診察にならないよう切に願っている。(手記より)

 私が入院したA病院はがん拠点病院であり、医師・スタッフのスキルは高いのだと思う。しかしながら、婦人科病棟について言うなら、日々の新患と腫瘍外来で最低5年は通院する患者、その間に外来と入院を行き来する患者もしばしばで、外来も病棟も限界になっているのではないかと感じる。特に医師には産科の業務もあるので、喜びもある反面、負担も大きいと察する。日々進歩する癌の研究や治療法に対して医師やスタンフが研鎖を積む時間がとれないのではと心配になる。患者を診るのでなく、病気を診る(≒ 検査数値を見る)だけの診察にならないよう切に願っている。

 

 

 

看護師との関係

 入院中、がん体験者が医師よりも接する機会が多い看護師に対しては、自分がわがままを言った、優しかった、話を聞いてもらったという語りがありました。ある体験者たちは、看護師の仕事の忙しさを理解し、患者も協力したほうがよいと語っています。

 

・落ち込んでいたとき1時間ぐらい、看護師さんとじっくり話をしてメンタル面ですごく助かりました(50歳代前半・女性)

 

・看護師さんも忙しいのよ。なるべく病院には協力して(音声なし)

 看護師さんは優しいですよ。

 看護師さんも忙しいのよ。そして、画面があるでしょ。この辺に看護師さんがいるでしょ。そうすると、あまりしゃべらないの。先生が話をして、余計なことを言えば、またその人の時間オーバーになるんじゃない? 看護師さんが叱られるんじゃないの? なるべく病院には協力して。

 

・(看護師さんは)時間の制限とか、体力的にも大変だろうと思います。だから、要望だけでなくて、自分でできることは自分でしよう(40歳代後半・女性)

 

 

 一方で、看護師とは特に深くかかわらなかった人もいました。中には、看護師から怒られた、もっとこちらの気持ちを考えて欲しいという語りもありました。また外来の受診前に看護師が話を聞いて医師に伝えて欲しいという要望もありました。

 

・この患者はこういう症状だからとそんなに深くはね(50歳代前半・女性)

 

・暑くて暑くて、夜も眠れないで、「氷枕ください」って言ったら怒られて(音声なし)

 手術の前も暑がりでしたね。入院しているときも、6月で、暑くて暑くて、夜も眠れないで、「氷枕ください」って言ったら怒られて。(笑) 

 「熱もないのに暑苦しいだけじゃあげられません」って 。

 

・受診する前に看護師さんが話を聞いて、患者の聞きたいことを医師に伝えて欲しい(50歳代後半・女性)

 

 

 

病院との関係

 ここでは、がん体験者が、病院や医療についてどのように感じているか、どんな要望を持っているかについての語りを紹介しています。病院、医療者と良好な関係を保ち、病院スタッフから元気をもらった、病院に助けてもらった、ここに来てよかったという思いを語る人がいる一方、病名が知人に漏洩された経験を語る人もいました。病院の相談窓口について、心のケアをしてくれる雰囲気が感じられなかった、がんについてのパンフレットは相談室ではなく外来の告知の時に渡して欲しいと手記に書いている人もいます。

 

・(病名)告知もなかったけれども、あのときに助けてもらったのは確かに病院です(30歳代後半・女性)

 

・本当によくしてくれました。婦人科のスタッフの人たちはものすごく気を遣っていますね(40歳代後半・女性)

 

・秘密にしていた自分の病名を、病院から外に漏らされた(50歳代後半・女性)

 

・『患者・家族相談支援室』を訪ねたが心のケアをする雰囲気が感じられなかった。がんについてのパンフレットは外来の告知の場で渡して欲しい。(手記より)

 乳癌は主に女性の癌であるが、診祭は外科である。外科病棟にはカウンセラーが設置され、入院患者の相談を受けていると人づてに聞いた。しかし、婦人科病棟にはカウンセラーはいない。病院の1階に、『患者・家族相談支援室』というのがある。私も2度訪ねたが、こちらから声をかけないとデスクから立って来てくれないし、どちらかというとケースワーカー的で、心のケアをする雰囲気が感じられなかった。本当に、ここで心のケアもしてくれるのだろうか?

 私が外来で癌の告知をされた時、確かにここ(相談支援室)を(口頭と用紙で)案内されたが、告知後すぐにこの窓口を訪れる人は少ないのではないかと思う。入院中に病棟の友とも話した事だが、告知された直後は頭が真っ白で、しばらくは病気のことを受け入れられないというのが皆の反応なのだ。そこで、啓蒙用のパンフレットは相談室の棚に置いておくのではなく、外来で告知したらその場で渡して欲しいのだ。それをいつ開いて読むかはその人次第だが、それが病気に立ち向かうきっかけにもなるし、最低限必要な情報を得る手段になると思う。情報はどんどん古くなるので、死蔵しないでどんどん使うべきだと思う。