がん患者の体験 / 乳がん

 

大人の女性の乳房は、乳頭を中心に乳腺が放射状に15~20個並んでいます。それぞれの乳腺は小葉に分かれ、小葉は乳管という管(くだ)でつながっています。

乳がんの約90%はこの乳管から発生し、乳管がんと呼ばれます。小葉から発生する乳がんが約5~10%あり、小葉がんと呼ばれます。乳管がん、小葉がんは、乳がん組織を顕微鏡で検査(病理学的検査)すると区別できます。

この他に特殊な型の乳がんがありますが、あまり多いものではありません。(国立がん研究センターがん情報サービス「各種がんの解説」より)

 

 今回は、再発を経験された方は10人中1人だけでした。全国の乳がんの再発率は、がんの進み具合ごとに異なっています。進み具合はⅠ(1)期からⅣ(4)期で表され、数字が小さいほど早期であることを示しています。Ⅰ期の再発率は10%以下、Ⅱ期になると30~40%、Ⅲ期以上になると50%以上といわれています。

 

 この方は、初発時には乳房切除術を受けています。術後には肩の冷えや、腕の重たさを経験しておられました。定期的に検診をしていることが再発の発見につながったのではと考えているようです。

 

・術後の後遺症があったため、定期的に通院していた。定期的に検診を受けていたからこそ再発が早く見つかったと思う(40歳代後半・女性)

 

 

 病気をしたことで、つらいことや不安なこと、人とのかかわりで嬉しかったことなど、さまざまな経験をします。そういった経験を経て、病気との付き合い方、病気に対する考え方、さらには人生観をも変わっていきます。

 

 今回のインタビュー協力者の方々は、乳がんをどう捉え、どう生きてきたかをそれぞれの視点で語ってくださいました。ここでは、乳がんを経験した人たちがどのように乳がんと向き合い生活をしていったか、など「がんと生きる」ことについての語りを紹介します。

 

 病気の経験をへて、前向きになろうと考えなおしたり、強く生きていこうと考えるようになる人もいます。趣味を持つことで前向きになろうとされる方もいるでしょう。

 

・心配がないと言えばうそだけど、なるべく後ろを向かずに前向きに、趣味を持つことを始めた。(50歳代後半・女性)

 

 

 また、ある方は病気の経験も「授業料」と表現され、その経験を生かして少しでも他の人の役に立てば、という気持ちにもなっていました。

 

・いろいろな経験も授業料だと感じている。(40歳代後半・女性)

 

 

 がん経験を前向きに捉えられている人もいる半面、闘病のつらさから再発・転移を不安に思い、「がんのことは忘れたい」と思われる人もいます。ある方は、「私は、あの苦しみは味わいたくないというのか。」とおっしゃっていました。

 

 病気の経験により、生き方を変えたり、考え方が変わったことによって、その経験自体を前向きに捉えられている人もいます。ある方は自分の生き方を変えることが出来たことで病気に感謝していると話されていました。

 

・病気をしなかったら自分を粗末にしていると思うのでこの病気に感謝している。(40歳代後半・女性)

 

 

 病気をしたことにより、自分の考え方が変わられたことを実感される人もいます。考え方や人生観の変化を前向きにとらえている語りがいくつか聴かれました。

 

・病気になってますます強くなった。自分のことは自分でやるということが何でも大事じゃないかと思う。(40歳代前半・女性)

 

・今は自分を一番大切にしようと思っている。(40歳代後半・女性)

 

・病気とともに生きていくという気持ちが大事だと思う。(40歳代前半・女性)

 

 

 発病してから数年たち、長い年月がたったことで乳がんになったことを後ろ向きにならずに考えられるようになったと語る人もいました。発病直後とは異なり、乳がんになったことをしっかりと受け止め、前向きに考えることが出来るようにもなったと言います。

 

・1回目のがんから15年たち、3回のがん経験を経ても生きたという自分の証があるからこそ、すごく楽な気持ちで受け入れられる。(40歳代後半・女性)

 

・長い年月がかかったが、がんに感謝して楽しく生きることが出来ていると言える。(40歳代後半・女性)

 

 

 また、ある方は「がんとはお友達」と表現され、「がんとともに生きる」ことをご自分なりに受けとめているようでした。

 

 また、自分の経験や生き方を知ってもらうことで、他の人に少しでも元気になってもらいたい、他の人の役に立てたら、という気持ちになる人もいます。

 

自分は3回がんをしてもこれだけ元気。自分が元気な姿を見せて、落ち込んでいる人が少しでも元気になれたらと思う。(40歳代後半・女性)

 

・病気になって周りの人に対する思いやりができた。本当にみんなに感謝している。(40歳代前半・女性)

 

 

 病気の経験をして、趣味を楽しむようにしたり、これまでの生き方を見直すことがあります。趣味や旅をとおして病気に打ち勝つパワーを溜めているのかもしれません。

 

・病気をしても自分の好きなことをすることが最高。旅はすべてを忘れさせてくれて「病気に勝たなくては」という気持ちにしてくれる。(70歳代前半・女性)

 

 

 また、ある方は患者会に入り、いろんな人の話を聞くことで自分の命の考え方を変えられたと語っていました。患者会での話により、不安が吹っ切れて気が楽になった経験をされたそうです。

 

生きた分が自分の命なんだ、もうかった命なんだと思えば、すごく気が楽になった。(70歳代前半・女性)

 

 

 仕事の経験を経て、病気との向き合い方、気持ちの持ち方も変わってくることがあります。ある方は仕事で人と接すること、家庭以外の役割をもつことで、精神面で救われたと話されていました。

 

・うつ病のようになってしまったとき、仕事と家のことをやることで救われたと思う。(70歳代前半・女性)

 

 

 

 がんと向き合い、立ち向かうためには、周囲の人とのかかわりや家庭環境・職場環境など様々な支えが必要になります。それは家族であったり、友人であったり、患者会であったり、人によっても時期によっても異なります。支えとなる人や環境は、その都度がんを乗り越える力と勇気を与えてくれるようです。

 

 ここでは、そういったそれぞれの方が支えとなった人や環境についての語りを紹介します。

 

 

□入院中の支え

 入院時には、突如としてがんという病気に立ち向わなければならない状況下に置かれます。家族はもちろんのこと、同室の人との励ましあいが大切な支えにつながることがあります。

 

 ある方は、母親の朝から晩までの多くのサポートによって入院生活が乗り越えられたことを語られています。

 

・入院中は母親が毎日朝から晩まで一緒にいてくれた。(50歳代前半・女性)

 

 

 また、同室患者に励まされたという人も少なくありません。話し相手がいること、同じ病気をしているため共感できる部分が多いことにより、精神的に救われる部分が多いようです。

 

・最初の入院のときに同室だった同年代の乳がんの患者に励まされ、勇気付けられた。(50歳代前半・女性)

 

 

 また、ある方は、入院中は同室の人や友人と話をすることで支えてもらったと感じており、退院してから抗がん剤を服用している時には家族の支えに助けられたことを語られていました。

 

・入院している間は大部屋に入って同室の人とお友達になったり、話をすることが良かった。また、抗がん剤のときには、家族の人の助けがなければとてもやっていけなかったと思う。(60歳代後半・女性)

 

・入院中同室だった患者との付き合いがいまでも続いている。同じ病気をもった仲間と出会えたことは貴重なことだった。(50歳代後半・女性)

 

 

 ある方は、同室の人だけでなく、入院中に乳がん経験者の友人と電話することで精神的に落ち着こうとされたエピソードについて「退院してからそう思ったけれども、あのときはわからないけれども、とにかく誰かと話がしたかったり、必死なのね。」と話されていました。 

 

 

 

□退院後の生活での支え(患者会のささえ)

 退院しても、がんとの闘いは続きます。日常生活や社会生活においても、入院前との違いを感じたり、精神的に追い込まれたりすることもあります。

 そういった中で、精神面での支えとして、同じ病気をしている仲間や患者会の存在を挙げられる人もいました。特に今回は患者会の参加者にインタビュー協力をお願いしたこともあり、それぞれにとっての患者会の存在の大切さを語られる方が多くいました。

 

・自分の我が強いのもあり、家族に助けてもらおうとは一切しなかった。心細い面については、患者会でカバーしてもらった。(40歳代前半・女性)

 

 

 患者会によって病気を乗り越える力をもらったという人も少なくありませんでした。家族・友人とは異なる患者会という環境により、精神的に回復していった人もいます。

 

・がんへの向き合い方がわからない状況のとき、患者会の記事をみて仲間に入れてもらうことになった。患者会はなくてはらなない存在になった。(40歳代後半・女性)

 

・自分の精神的な部分が回復できたのは、患者会で行われれる年1回の総会で全国大会に出かけられたこととその喜びだと思う。患者会のみなさんに会えることを力にして生きている。(40歳代後半・女性)

 

 

 また、ある方は、患者会に入るきっかけを与えてくれた会長や患者会を運営しているメンバーに出会うことで精神的に乗り越えることが出来たと話されていました。

 

・会長のAさんとそのサポートをされているBさんがいなければ違う意味での病人になっていたと思う。(40歳代後半・女性)

 

 

 

 今回、インタビュー協力をしてくださったのは、患者会に参加者されている方々でした。

 

 協力者のみなさん、ひとりひとりにとっての患者会は大きな存在であり、こころの支えになっていました。それぞれが同じ病気を経験した人同士であり、みなで経験や想いを共有することの大切さを実感されているようでした。

 

 ここでは、患者会での取り組みや出来事について、それぞれにとっての患者会の存在についての語りを紹介します。

 

 

□患者会の運営について

 まず、患者会がどのような活動をし、運営をされているか詳しく説明をしてくださった方がいましたので、それらの語りを紹介します。会運営の方法と内容について、それぞれの立場でお話くださいました。

 

・A患者会の運営内容について(説明)(40歳代前半・女性)

 

・会の運営やがんフォーラムでのイベント運営について(説明)(50歳代後半・女性)

 

 

 また、運営側の視点として、患者会の発起人や事務局スタッフをやられている人の考え方、立ち上げ時のお話などを紹介します。

 

・外来の待合室で知り合った人と一緒に患者会を作ることにした。患者会の育成と同時に、自分のがんに対する気持ちがだんだん高まってきた。(40歳代前半・女性)

 

・事務局の経験ではいろいろとあったが、事務局をやることでみんなの気持ちもわかるので満足している。(40歳代前半・女性)

 

・自分のような者を一人でも救いたいという気持ちで発起人として会運営をしてきた。(40歳代前半・女性)

 

 

 また、運営側ではないものの、初期から入会し必要性を実感したという方もいました。

 

・会が出来たとき、一番初めに入会した。同じ病気の人と話をする場がそれまでなかったが必要だと思った。(30歳代後半・女性)

 

・活動も低下しているかもしれないが、みんなの顔を見て励まされるということで十分会の目的を果たしていると思う。(40歳代前半・女性)

 

 

 

□患者会の魅力

 患者会のもっとも大きな魅力は、同じ経験をした者同士が語り合い、情報交換・想いの共有をしあえることがあります。それぞれのインタビュー協力者がそういった患者会の素晴らしさを話されていました。

 

・健常者ではわからない心の痛みがわかりあえる。話を聞けば元気で良かった、と励みになる。(50歳代後半・女性)

 

・同じ病気の人だと何を言ってもいろいろと参考になるので入って良かったと思う。(40歳代後半・女性)

 

・この場所ではみなさんの気持ちが通じ合っているので、いろいろなことを話しても割といいかなと思っている。(40歳代後半・女性)

 

・患者会の食事会に参加したいために退院を1日早めた。このグループの存在がほかのお薬よりも一番効く薬だと思っている。(40歳代後半・女性)

 

 

また、ある方は患者会に入られている人たちの特徴を話され、それぞれ「十人十色」でいろいろな考え方があるから面白みがあると語っています。

 

・10人いると10人の考え方が違う。それをよく聞いて、自分の生活に当てはめて考えてみる。(40歳代前半・女性)

 

 

 患者会に参加することで不安が軽減したり、悩みが吹っ切れた経験があるからこそ、他の人にも患者会のことを知ってほしい、という思いを持つ方も多いようです。

 

・もし、がんで悩んでいる人がいたら、患者会のことを知ってほしい。この会があるから深刻にならずにいられている。(40歳代後半・女性)

 

 

 患者会での情報収集も魅力の一つであるようです。再発・転移の不安を抱えている人にとっては、患者会での情報は不安を少なくする大切なものだと言えます。

 

・患者会から得ることができた情報があった分、2回目、3回目のがん治療のときは気持ちが楽だった。(40歳代後半・女性)

 

・会に来ると同じ病気の人の話を聞いたり、いろいろなことが出来るから安らぐ。(50歳代前半・女性)

 

・集まった人たちからいろいろな情報をもらうことが出来て助かっている。(60歳代後半・女性)

 

 

 また、入会のきっかけはそれぞれですが、ある方は同じ職場の人からの紹介で、退院後すぐに入会されたことを話されていました。

 

・先に乳がんになった同じ職場の人からの紹介で会に入会した。(50歳代後半・女性)

 

 

 

□患者会のむずかしさ

 患者会に参加されている人の中には、運営面やその会の機能面に対して、十分満足がいっていない人もいました。とくに、乳がん独特の悩みを打ち明けたいと考えたときに、男性もメンバーに入っていたり、がん腫が異なると話しづらいと思うこともあるようです。

 

・会の雑談の中でいろいろな情報は入ってくるが、がん腫もばらばらなのですべてが自分のためになるものばかりではない。(70歳代前半・女性)

 

・乳がんの人たちだけの集まりが青森地域にもあればいいのにと思う。(70歳代前半・女性)

 

 

 また、患者会に入っていたが、運営側の人と考えがあわずに退会してしまったエピソードを話して下さる方もいました。

 

・がんの仲間がそばにいることが大事なこと。もう一つ患者会に入っていたが、運営面での意見が食い違って退会した。(50歳代後半・女性)

 

 

 

 インタビューに協力して下さった方々は、同じく乳がんを発病された人、またその人をサポートされる人へ向けて様々なメッセージを語って下さいました。ここでは、そのような他の人へのメッセージをいくつかご紹介します。

 

 

□病気とのつきあい方

 病気にとらわれず、趣味や仕事など前向きに活動されることが病気と向き合い、病気に打ち勝つ方法であると話されている人もいました。

 

・仕事を辞めてからも自分で趣味をもてるように、準備をしておいた方がストレスも少なくなるのではないか。(40歳代前半・女性)

 

 

 

□早期発見や検診について

 また、メッセージとして、早期発見やそのための検診の必要性を訴えられる人もいました。

 

・早期発見のための健診が一番大切。また、気持ちを強く持たないとだめかなと思う。(40歳代後半・女性)

 

・早期発見すれば誰でも大丈夫だと思う。だから、検査はしておかないと駄目だと思うので娘にも言っている。(50歳代後半・女性)

 

 

 今回のインタビュー協力者は、発病から数十年経過した人も多く、平均年齢も○○歳でした。がんは若い人にとって縁遠いイメージを持たれがちであることを懸念されてか、「若い人たちも早期発見のため検診をしてほしい」というメッセージもみられました。

 

・がんは老人の病気だって言われるけど、若い人でも安心せずに検診をしてほしい。(60歳代後半・女性) 

 

 

 ある方は、20歳を過ぎたら検診をするべきであること、触診だけでなくマンモグラフィーも行う必要があると話されていました。

 

・痛い,怖いじゃなくて、自分のため、家族のために検診はするべき。触診だけでなくマンモグラフィーをやるべきだと思う。(70歳代前半・女性)

 

 

 ある方は、胸のしこりなど徴候がなかったが乳がんと診断された経験を話され、徴候がなくてもきちんと調べてもらった方が良い、と経験をもとに話されています。

 

・コロコロ(胸のしこり)がなくても乳がんと診断された。コロコロが一番の印だと言うけど、それがなくても調べてもらった方がいい。(60歳代後半・女性)

 

 

 また、ある方は、乳がんのことをもっと知ってもらえるように、早期発見をしてもらえるように、という思いから傷あとを隠さずに堂々と浴場に入るようになられたことを語ってくださいました。

 

・早期発見しなさいよということを他の人にも教えてあげる意味で、堂々と隠さないで浴場に入るようになった。(50歳代前半・女性)

 

 

 

 乳がんの手術には、乳房全体を切除する「乳房切除術」と、しこりを含めた乳房の一部分を切除する「乳房温存術」とがあります。がんの進行度や大きさなどから手術の方法を検討します。「乳房温存術」は、病変の部位や広がりによって、乳頭を中心にした扇形に切除、あるいはがんの周囲に2cm程度の安全域をとって円形に切除します。現在では、胸の筋肉(大胸筋と小胸筋)を残して乳房だけを切除する胸筋温存乳房切除術と、乳房温存術後に放射線を照射する乳房温存療法が標準的な治療となっています※1

 

 

□乳房切除術

 乳房切除術を受けることを決めたインタビュー協力者は、手遅れになることや再発することを考え、この治療を受けたことを肯定的に受け止めていました。

 

 

手遅れになったり再発することを考えたら、私は、全部とったほうがいいかと思っています。(40歳代前半・女性)

 

二度目のとき、化学療法も薦められたが私は「切ってください」っていって切ってもらった。(50歳代後半・女性)

 

 

 手術後の傷がなかなか治らず、苦労した協力者もいました。家族などの協力を得て回復できたという語りや、手術の前後は眠っていてわからなかったという、手術の実際に関する語りがありました。

 

けっこう大きくなっていて、悪性のものだといわれた。手術後は傷がなかなか治らず苦労した。(60歳代後半・女性)

 

意外と傷口はぜんぜん痛くなかったけれども、傷の絆創膏に負けて化膿してしまった。(70歳代前半・女性)

 

眠っていたから、朝までわからなかった。(70歳代後半・女性)

 


 

□乳房温存術 

 乳房温存術を受けたインタビュー協力者は、乳房切除術や他の内臓臓器の手術と比較して、それほど苦労や心配がなかったと語っていました。

 

過去の乳房切除術を受けた経験と比べて、身体への負担がだいぶ違うことを身をもって感じた。(40歳代後半・女性)

 

早期だったし、とってしまえばあとば後は大変じゃない。(40歳代後半・女性)

 



 

※1  日本乳癌学会(2006).乳がん診療ガイドラインの解説 2006年版 乳がんいついて知りたい人のために,p.56,金原出版,東京.

 

 

 

 手術療法によってリンパ節を取り除く処置を行った場合、リンパ液の流れが悪くなり、手術をした側の腕が腫れたり(リンパ浮腫)、しびれたり、傷が引きつれて腕や肩の動きが悪くなるという術後後遺症がおきることがあります。そのため、リンパ液の流れをよくするために、手術後できるだけ早い時期から、そして退院後も継続して腕の運動をすることが必要となります。

 

 インタビュー協力者の方々は、様々な術後後遺症を体験していました。手術後から何年もの間ずっと続いていたもの、また、手術後ずっと後になってから生じてくるものなどがありました。

 

5年間、傷の引きつり感が続いた。(50歳代前半・女性)

 

退院したときはなかったけど、去年から痛くなった。(70歳代前半・女性)

 

 

痛みや痺れのために、家事ができない、お風呂で身体を十分洗えないなどの生活に影響が強く現れた方もいました。

 

ザラザラって痛くて、右手でご飯をご飯をよそうへらを持つのも大変だった。(30歳代後半・女性)

 

しびれが辛くて、身体が洗えない。(30歳代後半・女性)

 

痛みの中で手抜きの家事をした。主人も大目に見てくれた。(50歳代後半・女性)

 

 

痛みや腕を動かすことができないために、病気を悪く考えてしまったり、がんばりすぎて自分を追い詰めてしまったという語りもありました。

 

背中が痛かった。私はきっと背中も悪かったんだと思った。(40歳代後半・女性)

 

退院後、母の介護と家事を続け精神的に追い込まれていった。(40歳代後半・女性)

 

 

しかし、インタビュー協力者の方々は、後遺症に苦しむ中にあっても、こうしてはいられないと気持ちを切り替え、仕事を再開する、症状を和らげるための工夫をするなど、自分なりの対処方法を生み出しながら、新しい生活の仕方を模索していくという姿が語りから見出されました。

 

痛みで休んでばかりいたが、こうしちゃいられないという気持ちになって店を再開した。(40歳代後半・女性)

 

肩の痛みに対して、冷えないように掛け物や衣類で気をつけている。(40歳代後半・女性)

 

 

後遺症を防ぐためのリハビリについて、様々な工夫が語られています。山菜を採りに行き夢中になって手を伸ばしていたことが訓練の一つになっていたりと、日常生活そのものが訓練となっているという語りがありました。また、手術直後から、とにかくひたすら真面目に努力をし続けたことが、よくなれたのだという自信につながっている姿も語られていました。

 

普段の生活の中で、つい忘れて手を伸ばしていたことが効果になった。(50歳代後半・女性)

 

お風呂にはいって、腕を回す訓練を一人で続けた。(30歳代後半・女性)

 

同室者と一緒に毎朝ラジオ体操をした。(40歳代前半・女性)

 

 

 

 

 ここでは、リンパ浮腫についての語りを紹介します。乳がんの手術の中で、他の部位への転移を避けるためにリンパ節を取る(リンパ節郭生)こともあわせて行うことがあります。リンパ節は、リンパ液が流れるリンパ管の所々に存在します。リンパ節をとることで、リンパ液の流れが悪くなり、その部分よりも先(腕など)のほうでむくみが現れてきます。これがリンパ浮腫です。

 

 リンパの流れを促すために、どのようにマッサージをすればいいのかということを、ご自分で調べ、実行してきたという語りがありました。もう少し早く医療者からも、リンパ浮腫についての対策を伝えてほしかったという思いもあったようでした。

 

本を買って、自分でどこをマッサージすればいいか全部調べた。浮腫になってだいぶ経ってから医師からマッサージのことを教えてもらった。(70歳代後半・女性)

 

 

リンパ浮腫を気にし過ぎていたら、医師からも通常の生活でもあることといわれたことをきっかけに、気にしないで手術後をした側の腕も使っていこうと思えるようになったという語りもありました。

 

ふつうに仕事をしていたってむくむもの。かばいすぎるのではなく積極的に使おう。(40歳代前半・女性)

 

 

 

 薬によるがんの治療には、いわゆる抗がん剤やホルモン剤などが用いられます。ここではそれらの薬剤を使用した方々の語りを紹介します。

 

 

抗がん剤

 抗がん剤は、がん細胞を死滅させる働きをしますが、同時に正常な細胞も傷害するために、副作用が強く現れます。抗がん剤の主な副作用として、吐き気、嘔吐があります。症状の程度は様々ですが、制吐剤(吐き気止め)によって一時症状が軽減したタイミングを見計らって、食事をしっかりとるという対処を行っていました。

 

吐き気が軽減したタイミングで食事を取った。(50歳代前半・女性)

 

 

 また、免疫力の低下によって、激しい口内炎を起こしていた人もいました。口内炎のために全く食べられないため、かかりつけ医に点滴をしてもらうことで何とかしのぎ、遠方にいる家族の協力も得ながら治療を乗り切っていました。

 

口内炎が続く中で抗がん剤をするのが一番苦しかった。遠方に住む嫁に助けてもらった。(60歳代後半・女性)

 

 

 抗がん剤による脱毛には違いがあり、それほど抜けずにすんでいた人もいました。逆にバサバサと髪が抜け落ちたことへの驚きや不安に関する語りもありました。中には、その恐怖から、抗がん剤を中止し、手術してもらうことを医師に強く希望した人もいました。

 

髪の毛は、治療の後半にぱらぱら落ちてくる程度でした。(50歳代前半・女性)

 

 

 インタビュー協力者の中には、二度の乳がんを経験した後、子宮がんになり、手術療法と抗がん剤治療を受けた人もいました。新たに違う部位のがんにかかったこと、抗がん剤の吐き気が激しく飲むこともできない辛い状態が続いたことで、抗がん剤治療がかえって自分の身体を弱めてしまうのではないかという疑問を感じました。医師とも相談の上、抗がん剤の治療を中止し、自分で自分の身体と相談しながら精神的にも安定した日々を送っているという語りもありました。

 

医師に抗がん剤の中止を相談した数日後、「やっぱりどうしてもやめます」と伝えたら「そうですか」といって、抗がん剤の治療をやめることになりました。今は精神的に安定した状態でいます。(40歳代後半・女性)

 

 

 

□ホルモン療法

 

 乳がんの増殖には、女性ホルモンであるエストロゲンを必要とするものがあります。エストロゲンを必要とするタイプの乳がんの場合、その作用を抑えるホルモン剤を使用することで、転移や再発を少なくさせたり、進行をおさえることができます※2

 

 ホルモン療法を受けたインタビュー協力者たちは、治療への抵抗感や副作用による大きな生活への影響もなくすごすことができていました。

 

先生に言われるように5年間のホルモン剤を飲み、副作用もなかった。(40歳代後半・女性)

 

 

 治療を終了することへの不安から、徐々に投与量を減量することを医師と相談しながら行っていました。

 

医師からホルモン剤の減量を勧められたが、心配だったので少しずつ減らしてもらった。(40歳代後半・女性)

 

 

 また、ホルモン剤治療が必要な期間をはっきりと提示されたことによって、安心して治療に臨むことができているという語りもありました。

 

 

 

□ハーセプチン

 ハーセプチンとは、HER2たんぱくというがん細胞を増殖させる働きのある物質を破壊することで、がんの増殖を抑える働きをする薬剤です。分子標的薬といわれる治療薬のひとつです。ハーセプチンによる治療を受けたインタビュー協力者は、抗がん剤治療を受けていた同じ病気の人々の姿から、苦しい治療になると想像していたようでしたが、特に大きな副作用もなく治療を終了できたことを喜んでいました。

 



※2 日本乳癌学会(2006).乳がん診療ガイドラインの解説 2006年版 乳がんいついて知りたい人のために,p.84,金原出版,東京.

 

 


 

 放射線療法は、放射線を照射した部位のがん細胞を死滅させる治療です。手術療法では、目に見える範囲のしこりを取り除くことができますが、目に見えない部分にがん細胞が残される可能性もあります。そのため、乳房温存術を受けた人、リンパ節への転移が4つ以上あった人、しこりが大きかった人(5cm以上)の場合、放射線療法を受けることで、再発する確率が低くなるとされています※3

 

 しかし、放射線療法は、約5週間(25回)の照射を続けなければなりません。インタビューに協力してくださった方々は、友人や家族の助けを受けながら長い治療の間、毎日病院に通い続けてきたことを語っています。

 

25回は大変だったが、仕事もしながら、同じ時期に放射線療法を受けていた娘と一緒に通い続けた。(40歳代後半・女性)

 

手術をして抗がん剤が終わった後、すぐに放射線を25回、毎日通った。お友達が毎日おかずをつくって来てくれてすごく助かった。(60歳代後半・女性)

 

遠方の病院まで、主人に車で送ってもらって通い続けた。(50歳代後半・女性)

 

 

その日の治療を終えた後に外食をしたり、買い物に行くことを楽しみに通院を続けたという方もいました。

 

放射線治療のあとA町に寄ってご飯を食べたり、買い物をして歩いたことが良かったのかもしれない。(50歳代後半・女性)

 

 

 放射線療法による副作用には、症状が全身に及ぶものと、放射線を当てた部分のみに起きるものに大きく分けられます。

 

 全身に及ぶ副作用として、宿酔(しゅくすい)や倦怠感があります。放射線療法を開始して数日の間に生じる食欲低下、吐き気・嘔吐、身体のだるさなどがその主な症状です。原因ははっきりしていませんが、ほとんどの場合一週間くらいで自然に良くなっていくといわれます。ご家族の差し入れなどで副作用を乗り切った方がいらっしゃいました。

  

近くの中学校に通う子供が、家のものが作った差し入れを届けてくれて、それを食べていた。(30歳代後半・女性)

 

 

 放射線療法を始めて2-3週間ぐらい経ってから、放射線を当てた部分の皮膚が日焼けをしたように赤くなる場合があります。治療が終了した後1-2週間程度でよくなってきますが、皮膚が黒ずんだり、その部分だけ汗をかかないなどの症状が1-2年続くこともあります。

 

皮膚が焼けて黒くなった。(30歳代後半・女性)

 

 

 放射線療法の副作用のために変わってしまった胸を、医師が丁寧に触りながら診察してくれたことが、安心につながっていた人もいます。また、放射線療法を受けたからこそ、今も元気でいられると考えている人もいました。

 

放射線科の先生が必ず放射線をかけたところに異常ないか、全部体に触って診てくれるので安心できるんです。(60歳代後半・女性)

 

 

 放射線療法が終了して、数ヶ月から数年経ってから、肺炎などを起こす場合が稀にあります。今回のインタビュー協力者の方々の中では、それに関する語りはありませんでした。

 

 

 



 ※3 日本乳癌学会(2006).乳がん診療ガイドラインの解説 2006年版 乳がんについて知りたい人のために,76-77,金原出版,東京.

 

 

 

 抗がん剤治療の副作用の一つに脱毛があります。抗がん剤は、がん細胞の細胞分裂が活発であるという特性を利用した治療方法です。そのため、細胞分裂が活発に行われる毛根細胞も抗がん剤によって障害され、脱毛という症状を生じます。 

 

 驚くほど急激に髪の毛が抜けてしまうため、恐怖を感じたという語りもありました。また、家族が用意してくれた帽子をかぶって対処をしたという人もいました。髪の毛が抜けると医療者から説明を受けてはいましたが、眉毛も顔の産毛もなくなったことに驚くとともに、入院中の顔そりの心配がなくなり助かったという意外な語りもありました。

 

ガバッと抜けてつるんとなっちゃいました。娘が買ってきてくれた帽子をかぶって過ごしました。毛という毛が全然なくなってしまってびっくりした。(60歳代後半・女性)

 

髪の毛がいつもより抜けたので、薬のためかと思った。(40歳代前半・女性)

 

 

 

 ここでは、入院生活の様子やその過ごし方についての語りを紹介します。今回のインタビュー協力者の方々は、3-4週間の入院期間だったようですが、最近では入院期間は短くなり、手術を受ける患者さんの場合、手術の2日前に入院し、手術後は約1週間(合計約10日間)程度で退院となることが多いようです。この短い期間に、病院という環境の中で、治療による様々な症状を乗り越え、身体の回復を促し、乳がんであることを受け止めるなど、たくさんの課題に遭遇します。

 

 インタビュー協力者の方々には、手術後の身体の回復を促すために、よく食べることや手術後の腕の訓練を心がけるなど、自分ができる努力を続けながら入院生活をすごしてきたという語りがありました。早く退院したいという強い思いを持って、一生懸命に運動を行い「あんたは優等生だ」と医師に褒められたことでさらにがんばろうという気持ちを高めていたという人もいました。

 

体重は減りましたが、よく食べました。(40歳代後半・女性)

 

 

 同室患者がいる大部屋で、他の人々に気遣いをするよりは、お金がかかっても個室で気兼ねなく過ごすことで、治療に専念しようという対処をしている方もいました。

 

一人部屋で気を使うことなく自由になれた。(70歳代前半・女性)

 

 

 入院し治療を受けるということは、自宅を離れ家事という役割からも離れることでもありました。インタビュー協力者の中には、退院したら、主婦として家事に追われ、しゅうとや姑の世話などで忙しく働かなくてはならないからこそ、入院中はゆっくり過ごすことができてよかったと語る人もいました。

 

家に帰ったら働かなければいけないから、ゆっくり入院していた。(30歳代後半・女性)

 

 

一方、乳がんという病気になったことが受け入れられず、哀しみをじっと耐えて過ごしていた人もいました。

 

何でこんなときに自分ががんに・・・と、自分で自分の殻の中にすっかり閉じこもって過ごしました。(40歳代後半・女性)

 

 

 

 ここでは、医療者との関係に関する語りを紹介します。

 

 医療者と良い関係を築くことは、納得のいく安心できる医療を受ける上で欠かせないものといえるでしょう。インタビュー協力者の方々は、医療者と良好の関係を築き、十分支援を得られていると感じているようでした。よい担当医師に恵まれたこと、他の医療者からもよい支援を受けられていると感じているという語りが聞かれました。逆に、あえて深く関わらないことで関係を維持しているという方々もいました。

 

いい先生に恵まれました。(50歳代後半・女性)

 

 

 昔と比較してずいぶん医療者の態度が変わったことへの驚きも語られています。

 

昔は、自分の聞きたいことが医者から返ってこなかった。(40歳代前半・女性)

 

今は、360度まではいかないけども、340度くらい変わりました。今は良く聞いてくれます。今はいいなと思います。(40歳代前半・女性)

 

 

 医師や看護師のちょっとした何気ない一言にショックを受け、心の傷の痛みを強く感じたという方もいました。ある方は、担当医師とは違う医師に「一番悪いがんだ」と言われたことが頭から離れないほどショックを受けたという語りもありました。

 

ある医師からの何気ない言葉が、すごくショックで傷の痛みより心の痛みのほうが後を引いた。(40歳代後半・女性)

 

手術後、看護師が「走るとゆれるから胸を少しとってほしい」と冗談で話しているのを聞いて傷ついた。(40歳代後半・女性)

 

 

 逆に、ちょっとした一言で、安心感を得られるという体験についても語られていました。

 

進行性だったがよく頑張ったねといわれて、ホロッとうれしくなった。(50歳代前半・女性)

 

ちょっとでも傷に触って、こういうところは大丈夫だよって言う一言があると安心して帰れる。(60歳代後半・女性)

 

 

 医師の移動によって主治医を交代するという体験の語りもありました。がんとの長い付き合いの中で、主治医が交代するという経験をしている方もいました。手術をして1年もたたないうちに主治医が変わってしまったという方もいました。今後の療養生活に対して不安を抱いたり、新しい医師への抵抗感のような感覚を抱いていたようでした。しかし、今回のインタビュー協力者の場合は、医師の間での引き継ぎがうまく行われていたことで、特に困ることもなく、新しい主治医ともよい関係を築き療養生活を送ることができていたという方がほとんどでした。

 

引き継ぎがされていて、よく理解してもらえ安心して病院に通っている。(40歳代後半・女性)

 

 

 

 乳がんの手術で乳房切除を行うことで、自分のからだと向きあうことへ抵抗を感じてしまう人も少なくありません。自分のからだを受け止め、どのように向き合っていくかは人それぞれですが、少なからず葛藤があります。

 

 ここでは、手術後のからだとそれに対する自分の想い、パートナーとのかかわりについてなど、からだと心,パートナーとの関係について,さまざまな語りを紹介します。

 

 

□からだへの意識

 乳がんの手術治療として乳房切除を行うことにより、女性にとっては大きな外見の変化が生じます。その現実とは一生付き合っていくことであり、乳がんと向き合うことは変化した自分のからだと向き合うことから始まるとも言えるかもしれません。

 

 女性としての象徴とも言える部分を切除した経験をどのように感じているか、また生活の中でどう乗り越えようとされているかについて、さまざまな語りを聴くことができました。

 

 まず、女性としての外見の変化をどのように感じているかについて、何人かの語りを紹介します。女性としてのシンボルの変化に大きなショックを受け、「女性としてのシンボルがないということは悲しいし負い目」と話される人もおり、乳房切除が与える女性へのダメージは想像以上に大きいことが分かります。また、お風呂に入る時など、自身の体を見られないという人も少なくありません。

 

・手術の後にお風呂に入る時も自分の体を見ることが出来なかった。女性であるということの悲しさはすごかった。(40歳代後半・女性) 

 

・乳房を取ったということは大きなショックだった。若い女性だったからこそ、嫌な病気だと思う。(30歳代後半・女性)

 

 

 一方で、ある方は患者会でもがん腫が異なると劣等感を感じたり、比較してしまったりしたことを語っていました。また、再建術も一時は検討されたそうですが、青森県内では出来ないのではないかと判断し、あきらめられたそうです。

 

・再建術も考えたが、青森近隣では出来ないと思った。患者会に参加することで落ち着いた面もあったが、がん腫によって自分と比べてしまって劣等感を感じてしまうことも…。(40歳代後半・女性)

 

 

 また、ある方は、年齢が若くなかったので体の変化にも若い人よりは受け止められたと感じていました。しかし、日常生活の中では、孫には裸を見せられなかったり、洋服やブラジャーを気にしたりと人目を気にされてしまうことも多いようです。

 

・年齢が若くなかったから良かったなと思っている。しかし、孫には裸を見せられなかったり、洋服を気にしてしまったり、本当には受け止められていない自分がいる。(40歳代後半・女性)

 

 

 

□手術後の精神的ショック

 乳房切除したことの精神的ショックは、本人だけでなく、周りの人たちとの関係にも影響を及ぼします。精神的ショックは本人が想像していた以上であり、家族にもしばらく告白できない状況に陥ってしまった人もいました。

 

・全部取った衝撃からずっと尾を引きずってしまい、親にも言えなかった。(40歳代後半・女性)

 

 

 インタビュー協力者のなかには、迷わず手術を決めたものの,手術後のショックが大きかった,という人も数名いました.また,下着や洋服を工夫したり,常に人目を気にしてしまう生活を余儀なくされる人もいます.

 

・迷わず手術をきめたが、はじめて見たときはショックだった。病院でもお風呂のときにチラチラ見られているような気がして気になった。(40歳代前半・女性)

 

 

 また,しばらくは自身の傷を見ることができず,抵抗を感じる人もいます.ある方は、病気からしばらく時間が経過したことで,やっといまになって傷を見ることができるようになったそうです。

 

・初めは傷を見られなかった。いまはたまに鏡で見ると傷が薄れてきたように感じる。(60歳代後半・女性)

 

 

 

□温泉や旅行について

 温泉や浴場に行き、他の人に裸を見られることに抵抗を感じる人もいます。病気の前に温泉や旅行を楽しんでいた人も楽しめなくなることもあるようです。

 

・病気になる前は旅行に行くことも多かったが、泊りがけで温泉に行くことはなくなった。(60歳代後半・女性)

 

・自分として乳房切除したことを割り切ることが出来たが、温泉などでは人の目が気になるし、相手に不快感を与えるかと思ってしまう。(70歳代前半・女性)

 

 

 また、人の目が気になり温泉や浴場には行けず、温泉旅行では一人個室の浴室に入る、という人もいます。人前で裸になることの抵抗感は今回のインタビュー協力者の共通点でありました。

 

・3年くらいは見ることもできず、温泉も行かなかった。3年過ぎたら心にゆとりが出来てタオルをかければ温泉に入れるようになった。(50歳代後半・女性)

 

・銭湯とか温泉では人さまの前なのでダメだけど、家族には見せている。(40歳代後半・女性)

 

 

 ある方は、町会のバス旅行などでは温泉に入らないことが多い半面、患者会のバス旅行ではお互いの傷を見せ合ったりもされたエピソードを話されていました。

 

・温泉旅行に行ってもみんなに見せるのがイヤ。患者会でのバス旅行の時にはみんなで見せ合ったりもした。(40歳代前半・女性)

 

 

 

□洋服・下着の工夫

 

 乳房切除したことで、普段の洋服や下着も特別にくふうする必要が出てきます。ある方は、周りの人に知られないようにするため、パットのズレを特に気にされていることを話されていました。

 

・周りの人に知られたくないという想いがあるため、パットのズレを気にすることがある。(40歳代前半・女性)

 

 

 手術後には下着の工夫も必要になります.ある方はブラジャーの購入についての経験と、いまは病院で購入していることを話していました.

 

・ブラジャーは病院でも売っているため病院で買っている。(70歳代前半・女性)

 

 

 ある方も同様に、洋服を気にされていることを話されています。外見の変化は、裸になったときだけでなく、日常生活でも常に気にしなければならないことのようです。

 

・女性としては人に見せたくないし恥ずかしい。首があまりあいた服は着ないようにしている。(30歳代後半・女性)

 

 

 

□パートナーとの関係

 パートナーである夫へ手術後の姿を見せることに抵抗を感じる人も少なくありません。女性として引け目や怖さをも感じてしまうことがあります。

 

・温泉の家族風呂で背中を流してもらうときにこういう体なんだとさりげなく見せた。(50歳代前半・女性)

 

 

 乳房切除をしたことで,夫婦関係にも影響を及ぼすことがあります.パートナーである夫には傷あとを見せたくないという想いにいたる人もいます.また、本人が傷あとを受け止めて,見せられるようになるまで,理解して待ってくれるような夫の姿勢が,夫婦のきずなをより強くさせることもあります.

 

・夫へからだを見せることに抵抗感をどうしても感じてしまったことを夫は理解して待ってくれた。病気をしてから夫婦のきずなを感じている。(40歳代前半・女性)

 

 

 

 青森の方言で「がん巻き(がん家系)」という言葉があるように、がん家系であることを気にされている人は今回のインタビュー協力者の中でも少なくありませんでした。家族のがん体験によって、がんに対する考え方や病気との向き合い方など、なんらかの影響を受けることがあるようです。インタビュー協力者の中で、家族のがん体験を語ってくださった人たちを紹介します。

 

 

□家族数人のがん体験

 家族の中でも、夫やきょうだい、子どもなど数人ががんを患っていたという人もいました。乳がん以外のがん腫であっても、同じがんであるため、早期発見の重要性や治療経過の違いなどを実感している人もいます。

 

・夫は肺がん、兄は前立腺がん、姉は大腸がんであった。兄、姉は早期発見だったのでいまは元気にしている。(40歳代前半・女性)

 

・姉は大腸がん、息子は肺がんだったが2人とも見つかったときには手遅れだった。(60歳代後半・女性)

 

 

 

□きょうだいのがん体験

 同年代であり近い存在と言えるきょうだいのがん体験は、より身近に感じたり、自分と照らし合わせてしまうこともあるようです。きょうだいのがん体験をとおして、病気との向き合い方を改めて考えることもあります。

 

 ある方は、夫婦でがんを患い亡くなられた妹夫婦のエピソードを話され、仕事がハードで早期発見が遅れ、体も酷使されていたこと、偏食など生活習慣の問題があったことなどを振り返っています。

 

・4年前に妹が乳がんで亡くなった。その夫も胃がんで今年亡くなっていて、夫婦ふたりとも自営の仕事でとても忙しくしていた。(40歳代後半・女性)

 

 

 また、ある方は、がんで亡くなった弟が在宅で最期を迎えたことを話され、もっと話をしたかった、会いに行きたかったという後悔の気持ちも話されていました。

 

・亡くなった弟は入院するのが嫌で、自分の希望により家で最期を迎えた。(40歳代後半・女性)

 

 

 

□親のがん体験

 インタビュー協力者のなかで(以下の)は、おふたりがご両親のがん体験を話されています。おふたりともがんが見つかったときには進行しており、がんにより亡くなられています。

 

 ご両親の時代では、「がんと言えば手遅れ」というイメージは少なからずあったようです。

 

・母親は地域で検診を勧める役目であったにもかかわらず、卵巣がんが見つかったときには進行していた。(40歳代後半・女性)

 

・父が胃がんで亡くなっている。当時はがんと言われれば手遅れの時代だった。(40歳代前半・女性)

 

 

 

□  がんを患った家族のサポート

 夫や娘、両親など、近い存在の家族ががん闘病をする場面を一番近くで支える役割になることもあります。ある方は、夫のがん発見時には余命数カ月であったことを語ってくださいました。

 

・夫は肺がんが見つかったときには余命3カ月を宣告された。(40歳代前半・女性)

 

 

 また、ある方は娘さんが同時期に乳がんがわかり、同じ病院に入院されたそうです。娘さんは先に乳がんの治療をしていた母親を見ているため、あまり深刻さはなかったと言います。

 

・自分が2回目の手術をしているとき、娘が同じ病院で乳がんの手術をした。お互いで病人が病人を立ち会いする状況だった。(40歳代後半・女性)

 

 

 

 ここでは、インタビュー協力者が語った家族とのかかわりや家族への想いを紹介します。

 

 言うまでもなく、がんを受けとめ、それを乗り越えるためには、家族のサポートが大きな心のささえになります。また、病気と向き合うと同時に家族とも向き合う時間をもつことができ、家族関係が変化していくこともあります。

 

 

 

□  妻として/夫への想い

 家族の理解やかけられる優しい言葉が余計につらく感じてしまう経験もあります。

 

 ある方は普段何も言わない夫に「元気にいてくれ」と言われたことでつらい気持ちになられたことを語られていました。

 

・夫は心配してくれているため何も言わないが、「元気でいてくれ」「長生きしてくれ」と言われたときはつらかった。(50歳代後半・女性)

 

 

 また、病気をしたことにより、夫が家事などを協力してくれるようになり、夫の変化に気づき、サポートを実感することもあります。

 

・病気をしてから夫が何かと手伝ってくれるようになった。病気をすると、人のありがたみが良くわかる。(50歳代前半・女性)

 

 

 病気を知ったときには、少なからずパートナーである夫にも衝撃を与えます。ある方は、ご主人が本人にショックを受けさせぬよう、気丈にふるまおうとしてくれたエピソードを話してくださいました。

 

・夫は自分が弱みを見せたら私がもっと弱くなると思ってか、気丈にふるまってくれた。(40歳代前半・女性)

 

 

 ある方は、夫との死別後にがんが見つかり闘病生活に入ったため、入院することも療養することもできたと考えていることを語られました。

 

・夫はトイレに行くのもやっとの状態で、病院に行くのもすべて付き添っていた。夫が亡くなってからがんが見つかったから、手術も入院もできたと思っている。(70歳代前半・女性)

 

 

 

□  母として/子どもへの想い

 家族ががんを体験していることから、「がん家系」であると実感する人もいます。また、自分ががんになったことにより、「がん家系」を心配して、子どもたちには同じ病気になってほしくないという想いもあるようです。そのため、子どもには必ずがん検診に行って欲しいと話されている人もいました。

 

・父、姉、兄、妹ががんである「がん家系」であった。だからこそ、自分の子どもたちには遺伝してほしくない。(50歳代後半・女性)

 

・まずは身内から、身近なものからと想い、娘には検診を必ずするように話している。(40歳代後半・女性)

 

 

 母親としては娘にがん検診を受けてほしいと考えますが,母親の闘病をみているがために検診から足が遠のいてしまうという場合もあります.

 

・次女は母親をみていて検診を受けているが、長女は度胸がないのか検診を全然やらない。(70歳代前半・女性)

 

 

 乳がんをきっかけにして、最期の生き方を考える人もいます。ある方は、最期の生き方をどう子どもたちに伝えていけばいいか考えていることを話されていました。

 

・最期は家で死にたいと考えている。みんなにありがとうを言って死にたいと考えている。(40歳代後半・女性)

 

 

 またある方は、乳房切除のきずあとを見たときの反応について、母親として子どもと接するとき、また祖母として孫と接するときのエピソードを語っていました。

 

・切除した乳房を見たときの娘や孫の反応は素直だったので、冗談を言って笑いあっていられる。(40歳代前半・女性)

 

 

 乳がんがわかったとき、家族へどのように話しをするかはとても悩まれると想います。親として子どもの人生を心配するからこそ、隠さずにすべてを話そうと考える方もいます。

 

・乳がんになったことは全て隠さず話したところ,子どもは動揺していた。(40歳代前半・女性)

 

 

 

□  娘として/親への想い

 病気をきっかけに、親にさまざまなサポートをしてもらい、改めて親のありがたみを実感したり、親へ迷惑をかけることで「親不幸だな」と感じることもあります。あらためて、親との関係性を見つめなおすことになることもあるようです。

 

・入院中に母親が隣のベッドに入院している人の手伝いも一緒にやってくれた。親不幸だなとも思ったが親っていいな、とも感じた。(50歳代前半・女性)

 

 

 ある方は、病気をきっかけに,家族の体制が変わってしまったことを話して下さいました.

 

・病気をしたことをきっかけに、同居していた姑と別に暮らすようになった。(60歳代後半・女性)

 

 

 

□  きょうだいへの想い

 同居する家族だけでなく、同じがん体験をしたきょうだいに対する想い、きょうだいへの影響を語る人もいました。

 

・同じ乳がんで亡くなった双子の妹から患者会を紹介してもらった。(50歳代後半・女性)

 

 

 

 今回のインタビュー協力者の中では、再発を経験した方は10人中1人しかいませんでした。ここではこの方が再発の治療に関して、初発時の治療とも比較をしながらどのように治療を選択し、続けてきたのかについての語りを紹介します。

 

 乳がんの再発を経験した方は、はじめてのときは全ての乳房を取り除いたけれども、再発したときには、様々な治療法の説明を家族と共に受け、家族の意見をきいて自分で乳房を温存する手術の仕方を選択できたといいます。

 

1回目は全摘をして、2回目は娘の意見もあり温存術にしたが、それでよかったと思う(40歳代後半・女性)

 

  この方は、再発した際の治療において乳房温存術にしたことが今となってはとてもよい選択であったと感じています。はじめに乳房切除術を受けたのは1980年代であり、まだまだ乳房切除術が手術療法の主流の時代だったのですが、乳房を失ってしまったことに苦しんだといいます。

 

・1回目の治療でも温存術ができたなら、取ったことでこんなに苦しまなかったと思う(40歳代後半・女性)

 

 またこの方は、再発した際、温存術による手術療法を受けた後に、抗がん剤治療も受けていますが、吐き気の副作用がひどく、これを繰り返すよりは自分で食事管理などをしたほうがよいと思い、抗がん剤治療を続けない、という選択をしています。

 

苦しい思い、特にひどい吐き気をこれ以上経験したくなかったので2,3回目の抗がん剤治療は自分から断った。今は患者会の友達と会えるのが薬。(40歳代後半・女性)

 

 

 ここでは、乳がんの兆候となる、身体の異常にどのように気づき、病院の受診に至るまでどのように感じたり行動したのかについての語りを紹介しています。

 

 

 乳がんの発見に至るまでには、胸にしこりや塊といったものがあることに自分で気づいたという経緯がよくあります。今回のインタビュー協力者の大半が胸のしこりをみつけたことで病院に受診しています。普段から乳がんに気を配り、注意して触っている方もいました。

 

 胸のしこりをみつけた際に豆腐のかすが溜まっているのではと思った方が2人いました。そのうち1人は、周囲に相談し触ってもらい、病院の受診を勧められたといいます。

 

ちょっと胸を触るとコリコリしていた。それを知人にも触ってもらったところ病院にいったほうがいいと勧められた。(50歳代後半・女性)

 

 

 もう1人の方は、胸を触っていて、ゴツゴツとはしていたため、豆腐かすが溜まっていると思ったそうです。また、ゴツゴツしていてコリコリとはしていなかったため、これがまさか乳がんであったとは思っていなかった、ということです。その後病院に行ったときにがんだと言われてもはじめは何かの間違いだと思い、乳がんだと信じるのに時間がかかったといいます。

 

・乳がんによるしこりだとは思わず、ゴツゴツした豆腐カスみたいなものだと思っていた。(60歳代後半・女性)

 

 

 しこりを見つけたというだけではなく、体調が優れなかったり、腕を重く感じていたり、というような他の身体の不調を同時に感じていた方もいました。ある方は、バイクに乗っていて腕の重みを感じ、母親ががんだったことから何気なく胸を触ったらしこりをみつけたそうです。

 

バイクに乗っている時に腕が重い感じがした。母親ががんだったため気になって、何気なく胸を触ったらしこりのようなものを感じてまさかと思った。(40歳代後半・女性)

 

 

 ある方は日々疲れやすいと感じていたそうです。身体のケアのためにはじめたマッサージのようなものでしこりを見つけたそうですが、普段は元気だったため周囲にも大丈夫と言われたそうです。ただ、疲れやすさやだるさは続いていたため、病院に行こうと思ったそうです。

 

疲れやすかったりだるかったりしていたが、それは夫が亡くなった後の心労がたたったと思っていた。そのため、しこりを見つけてもすぐに乳がんだとは思わなかった。(40歳代後半・女性)

 

 

 異常を感じて病院を受診した際には、乳がんではなく乳腺が炎症を起こしていると診断された方が2人いらっしゃいました。

 

 ある方は、しこりに気づいて病院に行った際には乳腺の炎症を指摘されたといいます。それでも定期的に検診を重ねていたそうですが、体のだるさやなんとなく熱っぽい感じなど、からだが何か違うという感じを持ち続けたことで、がんが発見された人もいました。

 

しこりができて病院にいったら乳腺といわれたが、微熱がある感じや体調への違和感があった。(40歳代前半・女性)

 

 はじめにしこりを発見したわけではなく、ギュ-っと引っ張られる痛みを感じた方もいました。その痛みを感じたときに自分で「がんができたみたい」と直感的に思ったそうですが、乳がんではなく乳腺の腫れと診断されたといいます。

 

昼寝のとき胸が引っ張られる感じがして、がんだと思った。次の日病院に行ったら乳腺の腫れと言われた。(30歳代後半・女性)

 

 

 この方は、その後しばらくは湿布を貼って経過観察をしていたのですが、3ヶ月後にしこりができ、そのままにしておくと乳がんになる恐れがあると医師に告げられたといいます。

 

病院では乳腺の腫れと言われ、その後痛みはとれた。しかし3ヶ月後にしこりができ、放っておけばがんになると言われた。(30歳代後半・女性)

 

 

 また、しこりの発見以外にも、胸の痛みを感じたり、出産後に母乳ではなく出血があった、という異常の発見の仕方もありました。

 

 ある方は乳がんの兆候としてはしこりができるという認識しかなかったため、胸の痛みがあっても乳がんを疑うことはなかったといいます。

 

胸がズキンズキンと痛くなったが、乳がんは痛くならないものだと思っていた。(50歳代前半・女性)

 

 

 子どもが生まれ、授乳をしている際に母乳ではなく出血が認められたため、おかしいと思い、健診を受けにいった方もいらっしゃいました。

 

娘が1歳くらいのときに母乳ではない出血があっておかしいと思った。(40歳代前半・女性)

 


 

 乳がん検診に関する語りをここでは紹介します。乳がんの発見は、定期的な乳がん検診で見つかることも多いです。普段から健康診断を受けている方でもあらためて乳がん検診を受診することは欠かせません。

 

 青森県は、全国的にみてもがんの罹患率が高く、75歳未満のがん罹患率はワースト6位となっています。そのような状況の中、青森県民の乳がん検診の受診率は35.6%となっており、全国で7位という受診率の高さがうかがえます。※1

 それだけ全国の中でも青森県に住む女性は乳がんへの関心が高いということがいえるでしょう。

 

 インタビュー協力者の中には、普段の健康診断では乳がんに対する異常がないと言われたり、触診では異常がないと言われたにもかかわらず、きちんと乳がんのための検診をしたことが乳がんの発見につながった方がいました。

 

・触診に異常はなかったが、医師にお願いしてマンモグラフィーを受けたら異常がみつかった。(70歳代前半・女性)

 

 

 また、自らの違和感がなくならなかったことから乳がん検診に受けられる病院に出向いた方もいます。他にも、触診では異常なしと言われ続けながらも、しこりがなくならずに心配になり、自ら大きな病院を受診したという方もいました。

 

 一方で、乳がん検診や子宮がん検診は、総合病院など大きなところに行かないとできなかったために足が遠のいてしまったり、自分で確認した際に異常がないからという理由で受けずにきてしまった方もいました。

 

・乳がんや子宮がんは手軽に検診を受けられるものではないからおろそかになってしまう。(60歳代後半・女性)

 

 

 他にも、自分ががん家系であるという思いから、青森県民の中で特に罹患率が高い胃がん※2などに関心がいってしまい、がん検診のなかでも乳がん検診だけ忘れてしまった方もいました。

 

・胃がんには気をつけていたし、子宮も摘出したことがあるが、乳がんは調べるのを忘れていた。(50歳代前半・女性)

 

 

 

 

 

 胸の痛みや出血、しこりの発見といったような異常を発見した後や、乳がん検診を受けて精密検査が必要と判断された方は、後に乳がんかどうか診断をするための詳細な検査を受けることになります。

 

 その検査には、マンモグラフィーや超音波検査(エコー)、CT検査、MRI検査などの画像検査があります。また、実際の細胞や組織を採りだし、観察してがん細胞の種類や性質を調べる組織・細胞検査というものもあります。ここでは、診断のための検査に関する体験の語りを紹介します。

 

 上に述べたように、診断の検査にもさまざまな種類がありますが、大きな流れとしては、画像検査を受けた後に、診断をより明確にするためのさらなる検査ということで、組織検査が行われることが多いと言われています。

 

 ある方は、マンモグラフィーを撮った後に精密検査の必要性を指摘され、CT検査と細胞検査を受けたといいます。

 

・マンモグラフィーで精密検査の必要性がわかった。その後、診断のためにCTも撮ったし細胞検査もした。(70歳代前半・女性)

 

 

 授乳の際に出血が続いていたある方は、組織検査を3回受けたときには異常が発見されなかったそうです。その後、たまたま別の病院で画像検査を受けた際に異常を指摘され、普段からかかっている病院でエコー検査と組織検査をして乳がんの診断がなされたということです。

 

・授乳の際に出血があっておかしいと思っていたのだが、組織検査を3回受けても異常はなかった。しかし別の病院で異常を指摘され、組織検査をした。(40歳代前半・女性)

 

 

 画像検査は受けずに、細胞・組織検査のみを受けた方もいます。細胞検査は、針生検とも呼ばれ、非常に細い注射針を皮膚の上からさして細胞をとる検査です。組織検査は、皮膚を切開し、細胞のかたまりである組織をとる検査です。

 

・手術台で皮膚を切って細胞をとって検査をした。結果は、そのままにしておいたらがんになるといわれた。(30歳代後半・女性)

 

 

 中には、1回の検査でうまく細胞がとれずに、数回にわたって検査を受けなければならなかった方も1人いらっしゃいました。

 

・1回目の細胞検査が失敗し、2回も針を刺されて検査を受けた。そんなことあるのかと思った。(40歳代後半・女性)

 

 

 また、画像診断のみを受けた人もいます。そして、検査についても、「マンモグラフィは痛い」ということを周りから聞いていても実際はそれほどでもなかったという経験から、ただ人の話を鵜呑みにしているだけではいけない、ということを思った方もいました。

 

・CTをとってからマンモグラフィを撮ったが、マンモグラフィは言うほど痛くなかった。(50歳代前半・女性)

 

 

 

 ここでは、はじめて乳がんと診断されたときに気持ちについての語りを紹介しています。

 

 インタビュー協力者のうち多くの方がショックを受け、落ち込んだり、この先のことをどうしようかと考えたりしていました。また、子どもがいる方は、子どもにしっかりするように伝えたり、子どもを残していくわけにはいかない、と自分のこれからと同じように子どものことを考えていらっしゃいました。

 

たとえ母ががんにかかっていても、自分は健康だと思っていたからショックを受けた。これからどうしようかと思った。入院と言われて半分以上は死を覚悟した。(40歳代後半・女性)

 

 

 診断を受けたときにはがんということだけ聞き、どのステージにいるのか、どのような状態なのかといった詳細な情報は一切尋ねることができなかったといいます。がんと告げられてからはただ落ち込んでいたそうです。

 

告げられた時は頭の中が真っ白になり落ち込んで、がんのステージといった詳細は5年目にして初めてきけた。(50歳代前半・女性)

 

 

 ある方は、しこりがあっても乳がんとは診断されなかったため、長いこと定期検診を受けては異常なしが続いていたといいます。また異常なしと言って欲しいと思っていたところに乳がんと言われたのでショックがとても大きかったといいます。

 

また異常なしといわれると思っていたらがんだったのでいきなりがんが見つかるよりも返ってショックだった。(40歳代前半・女性)

 

 

 自分にはしこりがなかったため、医師から伝えられたがんだという診断を、何かの間違いだと思ってはじめは信用しなかったという方もいます。

 

しこりも何もなかったから手術と言われても診断は間違いだと思っていた。(60歳代後半・女性)

 

家族もがんにかかっていたし、やっぱり自分もそうなんだと驚きもしなかったし、心が座っていて平常心を失うことはなかった。(50歳代後半・女性)

 

 

 自分ががんになったことを悲しむこともなく、治療や入院をしたという方もいました。

 

病気というものがどういうものかもよくわからなかったから怖くなかった。(40歳代後半・女性)

 

 

 

 乳がんと診断された方は、その後の治療をどの病院のどの医師のもとで進めていくかを決めなくてはなりません。病院の選択にあたっては、通院可能な範囲であるか、治療体系が充実していると思われる大きめの病院か、などさまざまな基準を比較して決められます。

 

 ここでは、治療をするにあたって病院や医師の選択に関する語りを紹介しています。

 

 

 はじめに、利便性を考えて、自宅から最も近い病院を選択している方がいます。入院中に家族が通うことや、退院後の外来治療に通う必要も考え、自宅から遠い病院はどうしても大変だということです。

 

・徒歩でも行けるA病院が一番近かったので、冬になれば通うのが大変になるし、他の病院に行くことは考えなかった。(60歳代後半・女性)

 

 

 また、大きな病院での入院治療には付き添いが必要だったこともあり、付き添ってくれる家族のことを考えて、近くの病院を選択したといいます。

 

・義父にはB市の病院を勧められたが、付き添いが必要だったこともあり、母が来られる近くの病院にした。(30歳代前半・女性)

 

 

 また、近いという理由を一番にするわけではなく、自ら病院を選択している方もいます。公立の病院では待たされるのではと思ったことから、私立の病院を選択した方もいました。また、その病院には婦人科関連の名医がいるという話を周囲から聞いていたことも選択の理由のひとつになったようです。

 

・後回しと言われないようA病院にいった。乳がん治療についてはわからないが、婦人科の名医もいると聞いたことがあったからよいと思った。(70歳代前半・女性)

 

 

 周囲の人の乳がん体験を聞いて、病院を選択した方もいました。しかし、病院を選択はできても、手術の執刀医までは希望を自ら出すのには気が引けてできなかったといいます。 

 

・周囲の経験を参考に自ら病院を選択したが、執刀の先生は自分で選べなかったけど運よくいい先生にあたった。(50歳代後半・女性)

 

 

 また、これまで乳がん検診を定期的に受診してきた中で乳がんが発見された方は、ずっと経過を診てもらっており信頼していたことから、その医師に治療をお願いしたいと思ったということです。

 

・検診のときから診てもらっている先生にお願いしたいと思った。(40歳代前半・女性)

 

 

 他にも、何かあれば行きつけの病院にいき、その先生が適確にどの科いくとよいかを判断してくださっていたという経緯から、そこに通い続けていたという方もいます。

 

・いつもA病院の先生に従っている。たまたまいい先生にめぐり合えたからよかった。(50歳代前半・女性)

 

 

 

 乳がんが発見されてからは、治療の項目にあるとおり、手術療法や放射線療法、そして薬物療法といったさまざまな治療の選択肢の中から自分にあう治療法を選択することができます。数ある治療法から何をどのように選択したか、その意志決定についての語りをここではまとめています。

 

 手術療法には、乳房全体を切除する乳房切除術と乳房の一部分を切除する乳房温存術があります。インタビュー協力者のほとんどの方々が1980年代に治療をしており、当時の手術療法は乳房切除術が主流だったようです。

 

 インタビュー協力者の方々もいわゆる全摘と呼ばれる、乳房切除術を選択しています。理由としては、全部切除したほうがさっぱり、あるいはすっきりするし、乳房温存術では再発する可能性があるのではないか、と考えていたからです。

 

全部取ったほうが一番さっぱりするのかなという感じ。(50歳代前半・女性)

 

 

 医師からは全体を切除する必要がないからと乳房を温存する手術の提案があっても、再発の危険性を恐れることや、自分ががん家系であるという思いもあったことから、すっきりするので自ら全部とってください、と乳房切除術をお願いしたという方も数人いました。

 

・医師からは温存術の話もあったが、再発の恐れもあるので私から全摘をお願いした。(40歳代後半・女性)

 

 

 もちろん自らが治療法の選択をしているわけですが、その過程においては、医師や家族の後押しを受けたからこそ、最終的に治療法を決めて、治療を継続できたという方もいます。

 

途中で治療をやめたいと思ったが、娘や医師に言われて続けたからこそ今がある。(60歳代後半・女性)

 

 

 抗がん剤治療を行なっていた周囲の患者さんの様子がつらそうだったのをみて手術を選択した方もいます。この方は、自らの年齢や体力を考え、抗がん剤治療ではなく、全摘を選択した方もいます。

 

他の治療よりも今後長く生きられるという言葉をきいて、医師も勧めてきたこともあり全摘にした。(40歳代後半・女性)

 

 

 

□セカンドオピニオン

 

 病気の診断や、よりよい治療法の選択のために、主治医以外の医師や他病院の医師に病状についての意見を求めることをセカンドオピニオンといいます。

 

 今回のインタビュー協力者の中には、セカンドオピニオンを受けた人はひとりもおりませんでした。その大きな理由のひとつが、インタビュー協力者の多くの方が治療を受けた1980年代にはまだセカンドオピニオンが広まっていない時代であったということです。

 

今こそそういう話ができるようになったが、当時はセカンドオピニオンというものはなかった。(40歳代前半・女性)

 

 

 また、セカンドオピニオンをとらない他の理由のひとつには、医師から告げられた時に自分もがんだということに疑いを持たなかったため、必要がなかったということも語られていました。

 

自分はがんだという気持ちが強かった。(50歳代後半・女性)

 

 

 また、数年にわたり乳房の異常について経過を観察してきてもらっていたからこそ、その医師を信頼しており、セカンドオピニオンの必要性を感じなかったという方もいます。

 

ずっと診てくださった先生だから頼っていたし、よそへ行こうとは思わなかった。(40歳代前半・女性)

 

 

 再発を経験した方は、1回目の当時はセカンドオピニオンに関する情報がなかったということですが、2回目の場合は、1回目の経験があったからこそ病院を信頼し、安心して医師の話も聞けたため、セカンドオピニオンをとろうとは考えなかったということです。

 

1回目のときはセカンドオピニオンの情報もなかったが、2回目では安心して医師の話をきけていたのでセカンドオピニオンについては考えなかった。(40歳代後半・女性)

 

 

 

 乳がんを経験した方は、その後の再発を予防するためということもあり、日頃から健康に気を遣うようになるという方が多くいらっしゃいます。ここでは、乳がんの治療後に皆さんが再発予防に向けて、実際にどのようなことをしているかを紹介します。

 

 大きくは医療機関での健診を定期的に受診することと、日々の自己管理という2つが挙げられます。

 

 

 

□定期的な受診

 

 インタビュー協力者のうちの半数以上の方が、病院での定期検診や人間ドックを積極的に受けています。「経過観察の検査」の項目でも取り上げられていますが、定期的に医療機関でチェックをすることが非常に大切であると言われています。

 

人間ドックを10何年も受けている。検査が一番大事なことだと思う。(40歳代前半・女性)

 

 

 健康に気を遣って健康診断を受ける中で、他の病気の早期発見につながったという方もいます。ある方は毎年がんの再発予防のために人間ドックを受診していますが、その検査で膀胱にポリープが見つかったといいます。

 

人間ドックとCTを受けて、膀胱のポリープもみつかった。(50歳代後半・女性)

 

 

 他にも、健診を受けた際に、肺に影があるということで、肺炎を疑われた方がおひとりいらっしゃいました。しかし、詳細な検査を大きい病院でしたことで、実は40年前(1970年代)に受けた放射線による後遺症だということが判明したという方もいました。

 

 がんに関する定期検診はとても大切です。しかし、ただがんの再発に注意をしていればよいのかというとそれだけではありません。インタビュー時に75歳を超えていたある方は、年齢を重ねるとにともなうリスクが高いと言われている脳梗塞などにも気をつけて、国民健康保険者が受診できる脳ドックを定期的に受けています。

 

がんも大事だけど、脳のほうも大事なので、年に1回脳ドックをやっている。(70歳代前半・女性)

 

 

 

□日常における健康管理

 

 健康診断を受ける以外にも、皆さんはさまざまな工夫を日々しています。ひとつには、体力づくりがあります。日頃から自転車に乗るようにする、フィットネスに通う、といった運動をして、意識して筋肉づくりや身体づくりに取り組んでいる方がいます。ふたつめには、身体によいものを食べるように気をつける、ということです。

 

健康すべてには気をつけようとしている。歩いたほうがいいと言われるが、膝に悪いので自転車に乗っている。油ものはなるべくとらないようにしている。(40歳代前半・女性)

 

 

 特に食べるものには気を遣い、なるべく自然のものや、手作りのものを食べるようにしているという方もいます。日々の生活では無理をせず、少しでも疲れたら休むように心がけているということです。

 

食べ物には一番気を遣って手をかけて普段は家で食べる。疲れたら休むことを心がけている。(40歳代後半・女性)

 

 

 また、健康に気を遣ううえで、サプリメントを取り入れている方もいます。中には、再発予防に効くということで健康食品の販売員に勧められてカニの甲羅が含まれている高価なサプリメントを飲んでいる方もひとりだけいらっしゃいました。

 

 周囲にサプリメントを飲んでいる方が多く、勧められることもよくあるという方もいます。ある方は、最終的には具合が悪くなったときに頼るのは医師だ、ということを考えてはいるようですが、周囲が良いというサプリメントも気にはなるので飲むということです。

 

周囲の勧めでサプリメントを飲んだりもするが、最終的には医師の指示に従う。(60歳代後半・女性)

 

 

 また、ある方は、友達の勧めで飲んだサプリメントを飲み始めたということですが、それが食欲増進に効いたと感じています。

 

友達に相談して取り寄せてもらったサプリメントを飲んだら食欲がでた。(50歳代前半・女性)

 

 

 ここでは、再発の予防と体調の管理についての語りを紹介してきました。定期的な検診や日々の健康管理のどちらも大切ということが言われていますが、インタビュー協力者の中には、定期検診も含め、病院にはあえて行かないようにしているという方も1人だけいました。理由として、この方はあまり薬に頼りたくないと思っているのですが、病院にかかるとどうしても薬が出されるからだといいます。体調を悪くしても、まず3日間は食べるものに配慮しながら、自宅で様子をみるということをしているそうです。

 

 

 

 乳がんを経験した方は、いつか再発するのではないかという、治療後に出てくる不安と常に隣り合わせで生きています。全国の乳がんの再発率は、がんの進み具合ごとに異なっており、より早期であるI期の再発率は10%以下、Ⅱ期になると30~40%、Ⅲ期以上になると50%以上といわれています。

 

 乳がんの場合は、進み具合の他に、5年以上または10年以上後に再発する人も他のがんに比べて多いことも再発の不安に関わっているようです。それゆえに、インタビュー協力者のなかには、再発率のような確率だけに左右されるでもない生活を送っているようにも思われます。

 

 がんという病気の性質から再発の不安を多くのインタビュー協力者が抱えています。たとえば、体調不良を感じたり、特定の場所に痛みを感じたりすると、そこにがんが転移したり、再発したりしているのでは、と考えてしまう人もいます。

 

喉が痛むと咽頭がんなのではと思ってしまうほど、どこか痛むようになると再発したのではないかと心配になる。10年経ったから安心というわけではない。(50歳代前半・女性)

 

 

 また、常に再発の不安と隣り合わせで共に生きている方もいます。その中でもある方は、定期検診を重ね、年数が経過するにつれ少しずつ安心が生まれてきたといいます。

 

再発の不安は常にあるものだが、健診することで安心感がでる。(40歳代後半・女性)

 

 

 再発の心配のみならず、転移など他の箇所のがんにも気を遣うようになっている方もいます。中には、定期的に健診を受ける過程で大腸ポリープが見つかったという方もいます。

 

1,2年前はどこかが痛むと落ち込んでいたが、よくなった。大腸ポリープがあったため、大腸がんにも気をつけている。(60歳代後半・女性)

 

 

 不安がある中で、すでに再発の覚悟をしており、いつ再発してもいいように心構えをしている方もいます。その心構えを持ち続けながら、健康診断や人間ドックを受けて日々健康の管理をしているといいます。

 

いつ再発してもいいような心構えと、健康診断を受け続けることが大切。(40歳代前半・女性)

 

いつまたどこにがんができるかわからないから、人間ドックを受けている。(70歳代前半・女性)

 

 

 不安がありながらも再発が怖いというわけでない、ということを語る方もいます。再発することを覚悟しているようにもみえますが、乳がんを一度乗り越えてきた自分の経験を生かし、もし再発したら自分なりに受け止めて対処ができるのではないかとこの方は考えています。

 

再発の不安はいつもはなれないもの、でも怖くはない。(40歳代後半・女性)

 

 

 

 手術治療や放射線治療、化学治療が終了しても、定期的な検査や診察はつづきます。ここでは、そういった治療終了後の定期的な検査・診察をどのようにされているかについて語られた内容を紹介します。

 

 インタビュー協力者の中には、病院での定期診察だけでなく、自身でしこりのチェックを行ったり、手の上がり具合を確認したり、自己チェックも欠かさず行っている人もいました。

 

 定期検査はCTやRIの検査が代表的です。また、定期的な診察をして、医師の問診も受けています。頻度は半年から1年に1度くらいで検査が行われており、RIは数年で終了するという話がありました。

 

・検査すれば異常なしで来ており、昨年からRIもやらなくていいことになった。(50歳代後半・女性)

 

・骨シンチ検査は1年に1度、数年行ったが、あるとき突然「あといいよ」と言われてなくなった。(50歳代前半・女性)

 

・放射線の画像検査や採血検査を半年に1度実施している。外科の診察は年に1度行っている。(50歳代前半・女性)

 

 

 ある方は、継続して診察を続けることの大切さを語られています。その裏には、再発の不安もあるように思われます。

 

・医師から病院に来なくていいと言われるまで最低10年は行く。10年は最低でも必要だと思う。(70歳代前半・女性)

 

 

 経過観察中は、少なからずがん再発の不安を抱えています。病院での定期診察や検査だけでなく、自己チェックを続ける方もいらっしゃいます。

 

 ある方は、がん家系であることから、胸のしこりのチェックを常に行い、自己チェックを怠らなかったそうです。

 

・がん家系であったため、しょっちゅう胸を触るなどして気をつけていた。(50歳代後半・女性)

 

 

 また、ある方は、術後後遺症の程度をはかるため、どこまで手があがるか入院中から確認するようにしていたそうです。こういった自己チェックも、経過観察の大切な要素となっているようです。

 

・手術後に、どこまで手が上がるか確認するようにしていた。家事や体操を毎日することで上がるようになった。(50歳代後半・女性)

 

 

 

 がんと告げられたとき、自分なりにがんになった原因を考えます。生活習慣や食生活を考えなおしたり、がん家系の問題を考えたりされるようです。

 

 ここでは、本人が考えるがんになった原因についての語りを紹介します。

 

 ある方は、父親をがんで亡くしたことからもがん家系だという自覚があり、乳がんのチェックを常にしていたことを語ってくださいました。

 

・父が早くに亡くなっていることもあり、がん家系なんだと思っていた。そのため、しょっちゅう胸を触ったりして注意はしていた。(50歳代後半・女性)

 

 

 ある方も、同じくがん家系が原因でがんになったのではないかと考えていました。このように、家族のがん体験を語られる人は、インタビュー協力者のなかに何人かいらっしゃり、がん家系を気にされている人は多いように思われます。

 

・健康だけが取り柄だったからがんになったのは不思議。がん巻き(がんの家系)が原因かと思う。(50歳代前半・女性)

 

 

 また、ハードな仕事やストレスが溜まっていたことにより、乳がんになったのではないかと考えている人も何人かいました。女性の場合は、職場だけでなく家庭内のストレスにより病気になってしまったのでは、と原因を考える人もいます。

 

 ある方は、仕事が忙しく、四六時中仕事のことを考えるような生活(で)によってストレスが溜まってしまったことががんになった原因ではないかと話されていました。また、仕事だけでなく、家庭内での役割や両親の世話などで土日も休みなく働いていたことによるストレスについても話されています。

 

・生活指導員の仕事ではプライベートでも仕事のことをずっと考えていた。そういうストレスが溜まって病気になったのかもしれない。(40歳代前半・女性)

 

仕事も忙しいうえに、家では義理の両親2人を抱えていた。土日も休みなしで仕事をしていたこともありストレスで病気になったと思う。(40歳代前半・女性)

 

 

 また、同様に、家庭内での嫁としての仕事でからだを粗末にしたことががんの原因につながっていると考えている方もいました。

 

大家族に嫁にはいって、からだを粗末にしすぎたから、がんにつながっていったかもしれない。(30歳代後半・女性)

 

 

 同じく家庭内でのストレスががん発病の原因とかんがえている方もいました。妻としての役割と子育て、そして仕事とのバランスに加え、夫との関係で苦労が多かったと語っていました。

 

・家庭内でのストレスが原因ではないかと思っている。(70歳代前半・女性)

 

 

 これまで数人の方が原因として話されていたがん家系の問題やストレスなどとは異なり、独自の見解でがんになった原因を語られる人もいました。

 

・夜遅くまで起きているのが原因ではないかと思うが、それだけではないと思うのでよく分からない。(40歳代後半・女性)

 

 

 

 乳がんを発病されてからも、仕事を続ける人、辞めざるを得ない人、仕事の取り組み方をかえた人など、仕事との関わりはそれぞれです。病気のあと、仕事にもどるにはその人の仕事への想いと、周りの人の理解が必要のようです。

 

 病気をしてから仕事にしばらく復帰しなかった場合も、体力が戻り落ち着いたころに、ふたたび以前していた仕事を再開される人もいます。病気をした後、改めて仕事の楽しさを感じることもあるようです。

 

・ある程度回復してからまた仕事を始めるようになった。(40歳代後半・女性)

 

 

 仕事に復帰するのには少なからず不安はつきものです。しかし、仕事をすることへの希望もあるようです。仕事に行きたいという想いからか、仕事に復帰したことで回復が早くすすむ人もいます。

 

 また、職場へ病気のことをどのように伝えるかということも、人それぞれちがいます。ある方は病気のことをすべての人に伝えず、上司にだけ伝えたと話されていました。

 

・最初は仕事に不安もあったが、上司の理解もあり、行きたいという希望の方が強かった。(40歳代後半・女性)

 

 

 後遺症によりこれまで出来ていた仕事が十分にできない場合もあります。見た目では後遺症がわからないため、周りの人から理解されないこともあるようです。

 

・右手の力が入らないため農作業はとても苦労しているが、近所の人には理解してもらえない。(30歳代後半・女性)

 

 

 

 乳がんを発病すると入院、手術、退院後の治療や検査など医療費にたいしての経済的負担はつきものです。また、これまで行っていた仕事ができなくなる場合もあり、収入が減ることでの経済的負担もあるでしょう。

 

 ここでは、経済的負担についてのそれぞれの体験と、その対応について紹介します。

 

 

 医療費が高額になると高額療養費制度が利用でき、自己負担を軽減することができます。がん治療をされる方のほとんどがこの制度の対象になり、利用したことで負担を減らすことができているようです。

 

・高額医療は市役所からちゃんと知らせが来るので知ることができた。(60歳代後半・女性)

 

 

 病気になる前に民間保険に加入したために負担が減り、負担をほとんど感じなかったという人もいます。

 

・奇跡的に民間保険にセットで入っていたため医療費は助かった。個室に入ることもできた。(70歳代前半・女性)

 

 

 医療費に対する支出は高額療養費制度などを利用して負担を軽減できても、長期間の治療におよぶと医療費負担はたまっていきます。また、仕事ができず収入が減ることも大きな経済的な打撃になるようです。

 

・高額医療は使ったが、民間保険にははいっていない上に収入も減ることになり、経済的にはたいへんな状況だった。(40歳代後半・女性)

 

 

 青森県独自のとくちょうとして、がん治療ができる病院への移動にかかる費用の問題があります。病院が近くになければそれだけ移動にともなう費用がかかります。医療費だけでなく、病院への交通費も負担になることがあるようです。

 

・青森県の場合、治療費だけでなく病院までの移動にもお金がかかる。医療費については保険で自己負担はなかった。(40歳代前半・女性)

 

 

 がん治療はお金がかかるというイメージをもつ人は多く、「お金がなければ治せない病気」といった感想をもつこともあるようです。

 

・いままで働いてきたのはがん治療のためだったのかもしれない。(50歳代前半・女性)

 

 

 

 治療・療養中は周囲の人にさまざまなサポートを受けることがあります.今回のインタビュー協力者の中でも、周囲の人のサポートに対する感謝の気持ちを話される人が多くいらっしゃいました,家族や友人,職場の同僚など,周りの人のサポートは病気を乗り越えるきっかけにもなるようです.しかしその半面,病気になったことで周りの人に傷つけられるような経験も語られていました。

 

 ここでは,周囲の人から受けたサポートや(その関係性)周囲の人との関係性についての語りを紹介します.

 

 

 

□職場の人とのかかわり

 病気をされてからしばらく仕事をお休みし,その後復帰される人もいます.その場合には,職場の人との関係やコミュニケーションにも大きな影響(を受ける)があるようです.ある方は、職場の人との関係で傷ついた経験と救われた経験の両方があり、そのエピソードを話してくださいました.

 

・職場の人とは普段と変わらない振りをしていた。陰口を言われたこともあり、傷ついたこともあるが、上司の「必ず戻ってこいよ」という言葉に救われた。(50歳代後半・女性)

 

 

 またある方は、仕事の中で役割を得て、人と話したりする時間ができたことで精神的に落ち着かれ,そういった時間ができたことで「救われた」と話していました.

 

・病気になってからうつ病のようになっていたが、仕事を短時間からするようになった。仕事で人と話したりする時間ができたことで救われたと思う。(40歳代前半・女性)

 

 

 また、病気のことをどのように職場の人に伝えるかについても、それぞれ考え方があります。職場内でうわさや偏見などが広まることに不安を感じる方もいるようです。ある方は、職場では本当に親しい人にしか病気のことは話さなかったそうです。

 

・親戚には病気のことを話していたが、会社の人には本当に親しい人にしか話していない。(40歳代前半・女性)

 

・患者会に入ったことで病気のことを内に秘めるのではなく言えるという環境に救われた。逆に会社では噂をされるのが嫌で話したくなかった。(40歳代前半・女性)

 

 

 

□以前からの知人との関係

 職場や親せきとは異なり、近所の人や以前からの知人とのつきあいでは、どのように病気のことを伝えるか、また病気以前と同じようなつきあいができるか、など悩まれる方もいるようです。

 

 ある方は,もともと食生活をアドバイスするような仕事であったため,「がんの要因=(イコール)食生活」という考えから,「口ばかり達者で…」と言われたことで嫌な気持ちになられたことを語っています.

 

・周りの人からがんになった原因について、容易に言われることが嫌だった。(40歳代前半・女性)

 

 

 周囲の人に病気のことをどう話すか,ということについても,それぞれの人で選択がさまざまです.あえて周囲の人には病気のことを話さないという方もいます。また、話さないだけでなく、別の病気だったと嘘をつくことを選択されることもあるようです。

 

・病気のことは職場の人や隣近所の人に話す必要はないと思ったし、話さないで済むのであえて話さなかった。(40歳代後半・女性)

 

・最初の頃は恥ずかしくて周りの人には話せなかった。だんだんと時間が経って自信がついてきたのか周りの人にも普通に話すようになった。(50歳代後半・女性)

 

・周りの人に言いたくないという想いがあり、盲腸手術をしたと嘘をついたこともあった。恥ずかしくて、人に言いたくなくて辛かった。(30歳代後半・女性)

 

 

 以前は、がんという病気に対してのイメージがあまり良くなかったためか、部落によっては差別に似た扱いをされることもあったそうです。昔といまでは、がんに対しての周囲の認識がだいぶん異なることが語りからもわかります。

 

・昔はがんという病気が恥ずかしい病気というイメージがあった。自分の体ことより家の人に申し訳ないなという気持ちだった。(30歳代後半・女性)

 

 

 周囲の人へ自分の病気についてオープンに話すだけでなく,体験者として病気の相談にのってあげることもできる場合があります.ある方は,働いている飲食店のお客さんへ自分の病気のことを話したうえで、自分が元気であることをあえて知ってもらうようにしていると話されていました。

 

・お店のお客さんやその知人などに対してもオープンに病気のことを話している。元気な姿を見せて、安心してもらいたいという気持ちもある。(50歳代前半・女性) 

 

 

 

 ここでは、病気や治療についてどのように情報を集めたのかという語りについて紹介します。

 

 乳がんという病気を患うことは、診断、治療、その後の生活を通して、はじめて経験することに対処していく必要があります。そのためには、よりよい情報を集めることが大切になります。

 

 インタビュー協力者の方々は、がんという病気に限らず健康に関して、インターネット、本、新聞、講演会、友人など様々な方法で、情報を集めていました。しかし、情報があふれているインターネットへの不信感も語られていました。

 

健康の講座があれば、がんの関係のものは応募ハガキを出して行くようにしている。(70歳代前半・女性)

 

 

 患者会が重要な情報収集の場ではあっても、それをきっかけに、保健師など専門職との関係つくり、さらに情報を集めていた人もいました。

 

患者会をきっかけに保健師とも結びつきがいっそう濃くなった。(40歳代前半・女性)

 

 

 医療のことは保健師などの専門家に、気持ちの整理には患者会をと、自分なりの目的に応じて情報収集の方法を変えている人もいました。

 

・確実なのは専門家からアドバイス。「患者会」は自分の気持ちの処理に役に立つ。(40歳代前半・女性)

 

 

 病気になる前までは関心を持っていたがんに関する情報も、がんになったら、一切見たくないという思いを感じるほどだったという人もいました。逆に、一時期は情報をたくさん集めていたけれども、今は情報に振り回されない生活をしているという方もいました。その時の気持ちや状況によって、情報への向かい方にも違いがあるようです。

 

病気をする前は、よくテレビや新聞などで健康のことなどを見ていたけれども、いざ自分でなったら、そういうのは一切見たくなくなりました。最近はやっと見れるようになった。(60歳代後半・女性)

 

 

 その他、治療中などにはたくさん本などを集めていたけれども、治療がひと段落ついた今は、何も残していないという方もいました。