ここでは、標準的な治療法、肝移植、そして抗がん剤治療など、治療の詳細について伺いました。

 

 大腸がんは、早期に発見し治療をすれば、完全に治る可能性が高いといわれていますが、早期の大腸がんでは症状がないものも少なくありません※1

 ここでは、大腸がんの兆候がどのようにして現れたのか、そして、日常生活を送る中で、“いつもと違う”、“何かおかしい”と気付いたことについてのお話をご紹介します。

 

 大腸がんの自覚症状は、がんの発生した場所や病状によって異なるといわれています※1。インタビューにご協力くださった方々が語られている大腸がんの兆候としては、便の変化をはじめ、複数の自覚症状が挙げられていました。 



便の変化

 何らかの兆候があって大腸がんと診断された9名中4名の方が、日常生活で、ほとんど毎日かかわっていた便が変化してきたことから異常に気付いていました。太さや色、軟らかさ、そして、排便の回数などの変化が、何かおかしいと気付くきっかけになっていました。細くなった便が、時間の経過とともに、軟らかくなり、そして血便へと変化していく状態を経験されていた方や、便の異常とともに食欲の低下や痛みといった複数の症状を同時に経験されていた方もいました。

 

・便が細くなり、そのうちに赤い血が混じるようになった。トイレに行く回数が増えたころには、便が赤くなっていた。(60歳代後半・男性)

  

・少し食欲が落ち、下腹部の痛みが続く中、便が黒く、軟らかくなり、ひっきりなしにトイレに通っていた。(50歳代前半・男性)

 

 本当は便に何らかの変化があったのかもしれないのに、水洗トイレだったので見逃してしまっていたのではないかと語られている方もいました。 国立がん研究センター監修のがんの冊子※2でも、「流す前に必ず自分の便の状態を確認しましょう」と注意を呼び掛けているように、ほとんどが水洗トイレになった今では、便を観察する機会が少なくなっているようです。

 

・水洗トイレなので、便の異常を見逃していたのかもしれない。(60歳代後半・女性)

 

 

便以外の自覚症状

 便の変化以外に、体重の減少、食欲の低下、倦怠感(けんたいかん)、おう吐、痛みなどといった、他のがんや疾患にもみられる症状を経験されていた方もいました。インタビューでは、必ずしも、大腸がんだけに特有の自覚症状とばかりはいえないものが、重要な兆候の1つとして語られていました。

 自動車免許の更新時に撮影した自分の顔写真を見てやせたと感じたり、食事の量が減ってきたり、また、異常な疲れを感じていた方もいました。

 

・食事の支度をするだけでも横になりたいほど、疲れを感じていた。(60歳代前半・女性)

 

 胃腸薬を飲んでも、おう吐がおさまらないことに異常を感じていた方もいました。腫瘍が大きくなってくると、腸(ちょう)閉塞(へいそく)(腸管がふさがり、食物やガスなどが通らなくなる状態)を起こし、吐き気やおう吐、腹痛などの症状が現れることもあるといわれています※3。 

 

・おう吐が続いていた。(60歳代後半・女性)

 

 

 成長した腫瘍に押されて、がんに侵されていない近隣の臓器に痛みを感じていた方もいました。

 

・膀胱にまで達していた腫瘍に押されることにより、睾丸に痛みが生じた。(60歳代前半・男性)

 

 

思い違い

 自分が日常的に経験していた他の疾患の症状と似ていたために、大腸がんの兆候とは思わず、がんの専門医を訪ねることはなかったという方もいました。

 

 肛門からの出血を、痔だと思い込まれていた方がいましたが、がん以外の大腸の病気でも大腸がんと似たような症状が起こることがあり、一番、間違えやすいのが痔疾患といわれています※3。痔の傾向がある方にとっては、なかなか痔との区別がつきにくいようです。

 

・何となく具合は悪かったが、肛門からの出血は痔のせいかなと思っていた。(60歳代後半・男性)

 

 フラフラする貧血の症状を、特に気にとめることもなく、検査の結果を知らされた時に初めて、がんの兆候だったことを知ったという方もいました。大腸がんが、直腸から遠く離れた場所(横行結腸、上行結腸、盲腸)にあり、慢性の出血が起こっている場合は、貧血の症状が現れて、がんが発見されることもあるといわれています※1※3

 

・痛みもなかったので、湯上りにフラフラして倒れたのは、いつものことだから、病気じゃないと思っていた。(60歳代前半・女性)

 

 

 

兆候がない

 大腸がんと診断された場合でも、必ずしも全ての方に何らかの兆候が現れるとは限らないようです。早期がんでは症状はほとんどみられないことが多いといわれています※1。今回のインタビューでも、無症状のうちに健康診断を受けたことがきっかけで、がんが発見された方がいました。中には、「もし出血しているのであれば、排便の時に水が赤くなって気付くだろう」 といったように、がんであれば、必ず、何らかの異常を知らせるサインがあるのではないかと考えていた方もいました。

 

・何の兆候もなかったのに、職場で受けた健康診断の便潜血検査で陽性という結果が出た(60歳代前半・男性)

 



【参考資料】

※1 大腸癌研究会(編):大腸癌治療ガイドラインの解説(2009年版)

※2 国立がん研究センター(監修):がんとどう付き合うか-大腸がん.がん研究振興財団発行 2007年

※3 藤田伸,島田安博ほか(監修):国立がん研究センターのがんの本-大腸がん:治療・検査・療養.小学館クリエイティブ.2011年

 

 

 ここでは、大腸がんに特有の問題である、ストーマや排泄に関する体験をご紹介します。

 

ストーマ(人工肛門)

 大腸がんでは、外科手術でがんを切り取った後、ストーマ(人工肛門)を造る場合があります。ストーマには、「永久的ストーマ」と、あとで閉鎖する予定の「一時的ストーマ」とがあります。インタビューに参加してくださった体験者の中で、永久的ストーマを造った方はいらっしゃいませんでした。今回のインタビューでは、一時的ストーマを経験された方が11人中2名いらっしゃいましたので、ここでは、一時的ストーマを造った方々のお話から、ストーマに関する体験の一部をご紹介したいと思います。

 

 ストーマを造ったことに対して、手術後にストーマが造られたことを知ってショックだったという方や、いずれは取れる、という思いから強く気にすることはなかったという方がいました。

 

集中治療室を出てきてから、自分にストーマが造られたことを知った。(50歳代前半・男性)

 

 

 ストーマを造った場合、自宅に戻る前に、病院でストーマ管理の練習をすることになります。インタビューでは、ストーマが造られてから、痛みを感じたり、皮膚のトラブルがあったり、装置が合わなくて便が漏れたり、といった体験が語られていました。ストーマ管理に慣れるまで、一定の時間と労力を要することがうかがえました。

 

気圧の変化のような、押されたり縮まったりでストーマに痛みがあった。(50歳代前半・男性)

 

 

 ストーマを閉じた後、軟便になったり排便回数が増えるなど、排泄で苦労されていましたが、ストーマについては、「慣れてからは楽だった」「さほど苦にならなかった」ということが語られていました。

 

装置や形が合うものと合わないものがあり、慣れるまで大変だった。いろいろあったが、コツをつかんで慣れてからは楽だった。(50歳代前半・男性)

 

 

 2つのストーマを造った方は、両方の管理をしなければならないことが時に負担となったことを語っておられました。

 

ストーマは小腸と大腸に2つで、下の方がたくさん出た。2つもつけているとちょっと疲れることもあった。(50歳代前半・男性)

 

 

排泄のコントロール

 大腸がんの手術をした場合、大腸のどの部分を切除したかによって、術後に排泄のコントロールが難しくなるという問題が生じます※1。結腸を切除した場合は、排泄のコントロールは以前と同じ程度に保たれ、問題はほとんど残らないことが多いようです※1。一方、直腸を切除した場合には、便をためる能力と押し出す能力が低下し、排泄のコントロールに問題をきたすことになります※1

 

 インタビューでは、複数の方が、手術後、排便の回数が増え、軟便になったことを語っておられました。一時的ストーマを造られた方も、ストーマを閉じた後、排泄コントロールで苦労されていました。排泄のコントロールがどの程度難しいのかは、人によって異なっていました。

 

 排泄のコントロールに問題があると、長時間の外出が難しくなったり、不安や気遣いが増すといった影響が出ていました。

 

 時間が経つにつれ、排泄のコントロールは徐々に改善がみられるようです。どの程度改善するかについて、医師からの説明では、1年かかると言われている方や、2年が目安だが完全に治らないということを告げられた方もいました。 

 

手術後、トイレの回数が増えて軟便になったが、3ヶ月経って改善してきた。医師から1年くらいかかると言われている。(50歳代前半・男性)

 

 時間が経過すると、ご本人が経験的にコツをつかんで対応が上達してくることもうかがえました。排便のタイミングが分かってきたり、軟便になりやすい食べ物が分かってそれを避けられるようになったことが語られていました。 

 

長い外出はまだ無理はできないなと思うが、こうなってくるなというのが分かってきた。(60歳代後半・男性)

 

 

 

参考文献

1.大腸癌研究会:大腸癌治療ガイドラインの解説(2009年度版)

 

 

 大腸がんの治療のなかで、手術の傷跡や脱毛、むくみなど、外見の変化が生じることがあります。治療の合併症や副作用のなかでも、そのような外見の変化は、医療的な対応がなされないことが多いようです。しかし、実際に生活を送るうえでは、外見の変化によってさまざまな影響があると思われます。

 

 インタビューでは、体重の減少、脱毛、手術の傷跡、爪や皮膚の変化・むくみについて語られていました。ここでは、そうした外見の変化が、生活の中でどのように体験され、対処されているのかをご紹介したいと思います。

 

 合併症や副作用の症状については<抗がん剤治療><外科手術>にもご紹介していますので、あわせてご覧ください。

 

 

体重の減少

 インタビューに協力してくださった方のなかには、手術や抗がん剤治療の過程で、大幅な体重減少を体験している方がいました。入院中あまり食事をとれず、2週間で20キロ以上やせたという方、退院後に10キロ以上減ったという方がいました。体重減少は、周りの人から一見してわかる外見の変化といえます。いいダイエットになった、と肯定的に語る方もいました。一方、やせたことに周囲が驚き、その周囲の反応を見て不安を感じ、急きょ受診したという方もいました。 

 

入院したときは69キロあった体重が43キロになり、自分でも驚いた。(50歳代前半・男性)

 

入院中は食事をしていなかったが、点滴をしている間は体重は減らなかった。退院後に自分で食べるようになってから12〜13キロ減った。(60歳代後半・男性)

 

・抗がん剤の副作用で味覚が変化し、食欲がなくなった。体重がどんどん落ちて、しわだらけになった。味覚が戻ったら、体重が戻ってきた。(60歳代前半・女性)

 

 

脱毛

 抗がん剤治療を受けた方のなかで、複数の方が脱毛を体験していました。男性は脱毛してもそのままにしていた方が多いようでしたが、女性はかつらを使ったという方が複数いらっしゃいました。治療の始まる前にかつらを準備して2年以上使っているという方や、かつらを作ったものの1回しかかぶらなかったため、自分にとっては必要なかったという方がいました。

 

抗がん剤の副作用で髪の毛が薄くなり、頭皮のただれもあった。副作用が出る前からかつらを準備していた。(50歳代前半・女性)

 

自分に合ったかつらがいいと思って高額だったが型をとって作った。結局1回しかかぶらず、自分にとっては必要なかった。(60歳代後半・女性)

 

 

◆ 手術の傷跡

 体に残った手術の傷跡を気にするかどうかには、個人差があるようでした。傷跡を気にせずに銭湯や温泉に入っている方もいれば、公共のお風呂を避けるという方もいました。時間が経つにつれて、傷跡の色や形がおちついてきて、気にならなくなってくることが多いようです。

 

温泉や銭湯が好きで、大きな傷跡も気にせずに通った。周りの人もあっけらかんと接してくれた。(60歳代前半・女性)

 

・傷があると温泉などに行きにくい感覚があった。(50歳代前半・男性) 

 

 

 また、配偶者との関係で、傷跡がどのくらい気になるかについてもうかがいました。今回のインタビューでは、傷跡の影響が大きいというお話は聞かれませんでした。このことは、大腸がんの罹患(りかん)年齢が比較的高いことが関係しているのかもしれません。

 

夫に傷を見られる時は、この年だから全然考えなかった。婦人科の病気ではないので、夫婦関係を持つときも気にならなかった。(60歳代前半・女性)

 

 

爪や皮膚の変化・むくみ

 抗がん剤治療の副作用で、爪の色が変わったり、爪の表面が波打ったという方が複数いらっしゃいました。爪の変色は、治療が終わった後も1年ほど残ることがあるようです。テープで巻いて爪が割れるのを予防したり、爪や皮膚が日光に当たって黒ずむのを防ぐため、手袋や長袖を着て対策しているというお話が聞かれました。顔に発疹やむくみが強く出て、以前の写真と比べて顔の印象が大きく変わってしまったという方もいました。

 

副作用で爪が細かい波を打って生えてきた。爪が弱くなり、洋服のボタンをかける時にも爪が割れてしまい、一つずつ爪にテープを巻いていた。(60歳代後半・女性)

 

日光に当たると爪が黒くなるので、手袋をして外出している。皮膚に日光が当たらないように、長袖を着たり、日焼け止めを塗ったりしている。(60歳代後半・女性)

 

 

 ここでは、大腸がんと診断を受けてから、どのように仕事と関わってきたかについて、体験者のお話をご紹介します。

 

仕事と治療

 がんと診断されたときに仕事を持っている人は、治療と仕事との兼ね合いについて選択をせまられます。インタビューに協力してくださった方の中には、病気をきっかけにして、仕事の時間や仕事の量を減らしたという方がいました。減らした理由として、無理はできないという体の事情に加え、仕事優先の生活を見直したという気持ちの変化を語る方もいました。

 

今まで仕事優先の生活だったが、病気をしたことをきっかけに意識して休みをとり、仕事量を減らしている。(60歳代後半・女性)

 

 

 復帰後、フルタイム勤務となりましたが、残業がなかったり仕事の内容が変わるなど、負担が減るように会社が配慮してくれたという方もいました。

 

抗がん剤治療のため、休みをとった。会社に復帰後、最初からフルタイムだったが、会社も気を遣ってくれた。(50歳代前半・女性)

 

 

 一方で、職場で責任ある立場だったことと、経済的な理由で、退院後まもないうちから以前とほとんど変わらない仕事をこなしているという方もいました。

 

退院2週間後に会社に復帰した。点滴のポンプを下げたまま、病気になる前と同じ仕事量をこなしている。(50歳代後半・男性)

 

 

 今後の仕事について、病状の変化を見て考えていかなければならないという思いが語られていました。家族のために働かなければならないが、検査結果によって本格的に働けるかどうかを考えたいという方や、副作用が強まったため、今後仕事をどの程度引き受けるか迷いや不安を感じているという方がいました。

 

体調や今後の入院の可能性を考えて、仕事をどの程度ひきうけるか見極めなければならない。引け時は自分で判断するしかないかなと思う。(50歳代前半・女性)

 

 

 今後の働き方について、体のことを優先して考えるしかない、という思いも語られていました。

 

再就職は厳しい。しかし、仕事よりも体を中心に考えるしかないと半分割り切っている。(50歳代前半・女性)

 

 

仕事に対する思い

 仕事を続けていることによって、不安を忘れて過ごせる、気持ちの張りになる、元気の素になる、副作用のつらさが紛れる、昼間動いている分夜眠ることができる、など、気持ちや体の面でメリットがあると感じている方が複数いらっしゃいました。

 

仕事復帰後は、副作用に関して、仕事で紛れている部分がある。(50歳代前半・女性)

 

仕事の忙しさにかまけて落ち込まないでいられた。昼間動いている分、夜眠ることができた。(60歳代前半・女性)

 

 

 仕事を続けていることのメリットを語る方がいる一方で、インタビューに協力してくださった方の中には、不規則な生活や人間関係の負担など、仕事に関連するストレスが、自分ががんになった原因の一つではないかと考えている方がいました。

 

不規則な生活をしていたツケや環境の変化が、病気につながったのではないかと思う。(60歳代前半・男性) 

 

仕事の時間的、体力的な負担や、人間関係のきつさが負担になって、病気の原因になったのではないかと思う。(50歳代前半・女性)

 

 

 インタビューに協力してくださった方は、がんになった原因について、仕事のストレスの他にもさまざまな原因を考えていらっしゃいました。詳しくは<なぜがんに?>をご覧ください。

 

 

 インタビューでは、がんの治療に必要な経済的負担について、体験が語られました。ここでは、そうしたお金に関する体験をご紹介します。

 

 

治療費の負担

 治療費に関しては、多くの方が健康保険適用の診療を受けていました。しかし、健康保険で3割負担になっていても、手術、抗がん剤、検査の費用の負担が大きいことが語られていました。治療費のほか、交通費など治療に伴う出費が負担となっていました。抗がん剤の補助的な薬や、温泉など相補代替療法の費用が負担だということを語る方もいました。

 

抗がん剤そのものより、補助的な薬が高かった。別の医師に漢方薬を処方してもらっていて、足すと月に8万円は超えてしまう。(60歳代後半・女性)

 

15万を超えないときは高額医療保険制度が効かず、がん保険も活用したが、もう足りなくなった。(50歳代後半・男性)

 

 

 インタビューでは、経済的に大変でも治療をやめるわけにはいかなかったという方や、仕事を辞めて治療に専念することを考えたが、収入が断たれてしまうので仕事を辞めることはできない、という方もいらっしゃいました。

 

 がんの治療のときに、子どもの教育費が必要な時期が重なったという方もいました。人生のどの時期にがんと診断されたかによって、経済的な負担が重くなることもあるようです。また、青森県の県民所得の低さにふれ、経済的な事情から治療を受けられないという人に対する思いを語っておられた方もいました。

 

がん患者は60代以上の人が多く、年金収入だけだと治療が難しいのではないか。(60歳代後半・男性)

 

 

高額医療保険制度

 毎月の医療費が高額になるため、高額医療保険制度を活用している方がいました。この制度について知った経緯は、病院で看護師から聞いたという方や、パンフレットをもらった方、市役所から対象になっているという通知が来たという方がいました。

 

 自己負担の軽減につながった方がいる一方で、一ヶ月の医療費が基準額を満たさず、高額医療保険制度の対象とならないため、自己負担が大きくなっていた方もいました。

 

抗がん剤が月2530万かかったが、88千円が3ヶ月続くと高額医療保険制度のハードルが低くなり、自分の負担が軽減されている。(50歳代前半・女性)

 

 

 返金されるまでの間に医療費を立て替えなければいけない(注1)ことが負担だという方もいました。

(注1)必要な手続きを行うことによって、最初から立て替えせずに済む場合もある。

 

月に約8万を超えた分は返金があるので、ないよりはいいのだが、抗がん剤治療を受けるたびに立て替えて支払うことになる。(60歳代後半・女性)

 

 

がん保険

 就職や結婚などをきっかけに、または職場で保険業者に勧誘されるなどして、民間のがん保険にたまたま加入していたという方が複数いました。がん保険に加入していた方は、加入していてよかった、入っていなければ経済的にも破綻している、など、がん保険への加入の重要性を強調していました。

 

40代の頃、職場に保険業者が勧誘に来た。働き盛りで自分ががんになることなんて考えなかったが、思いがけず加入しておいてよかった。(60歳代前半・男性)

 

がん保険に加入していてよかった。入ろうかなと言っていた矢先にがんになった人を多く見た。(60歳代後半・女性)


 

 ここでは、がんと診断された後、家族・親戚とどのように関わってきたか、インタビューで語られた体験をご紹介したいと思います。

 

 

家族・親戚への思い

 がんという診断を聞いて、家族も大きなショックを受けていました。ショックを受ける家族の様子を見て、ご本人も心を痛めていました。自分よりもショックを受けている家族を見て、家族に病名を伝えない方が負担をかけずにすむと感じたという方がいらっしゃいました。(診断を聞いた時の家族の反応については、<がんと診断された時>に詳しくご紹介していますので、そちらもあわせてご覧ください。)

 

自分よりも家族がかなりショックを受けていたので、自分が分かっていれば、周りの人にはあまり細かく教えなくてもいいなとも思う。(60歳代後半・女性)

 

 

 また、治療中、家族がどれほど心配しているかを想像し、心配をかけないように自分の言動に気をつけるようになったと、複数の方が語っていらっしゃいました。家族が好きなことを楽しめなくなった様子から、家族の気持ちを想像したという方や、家族に心配をかけないようにあまり苦しそうな表情をしないようにふるまっているという方がいました。

 

海も山も好きな夫が、友達に誘われても全然出かけなくなってしまった。自分だけ騒いでいられないなと思った。(60歳代前半・女性)

 

自宅で点滴をしているときも、妻に心配をかけないようにふるまっている。(50歳代後半・男性)

 

 

 複数の方が、がんと診断されたことで、自分の命を意識し、自分がいなくなった後の家族のことを考えていました。自分がいなくなった後の財産分与のことを考えたという方や、大腸がんの治療後に肝転移が発見された際、家族への思いを手紙に書いたという方がいました。これが最後かもしれないとの思いから、体調の悪い中、親戚の結婚式に出たという方もいました。 

 

これが最後かもしれないと思って姪の結婚式に頑張って出た。みんなが優しくしてくれたことが、本当はありがたいのに、嫌だと思う自分もいた。(60歳代前半・女性)

 

 

 また、子どもさんから、遺伝を考え、治療法を書いて残しておいてと言われたという方もいました。

 

子どもから、同じDNAを持っているんだから、治療方法を記録して残してほしいと言われた。(60歳代前半・女性)

 

 

家族・親戚との関係

 がんという困難を体験する中で、家族や親戚との関係について、改めて認識することもあるようです。配偶者がいる方にとって、夫や妻の存在が大きな支えになっていたということが、インタビューからうかがえました。一方で、女性の体験者の中には、一番の相談相手として子どもの存在を挙げる方もいました。

 

夫とは病気のことはあまり話さないようにしている。一番に相談するのは娘。(60歳代後半・女性)

 

 

 きょうだいも大きな支えになっていました。一人暮らしの方は、地元にいるきょうだいが実際的なサポートを担ってくれたそうです。また、親戚にどの程度まで話すかということは、それぞれの事情によって異なるようです。

 

母方の親戚、兄弟には話しているが、内緒にしている親戚もいる。入院中は、地元にいる妹が身の回りの世話をしてくれていた。(50歳代前半・女性)

 

 

 インタビューでは、夫婦生活についてもうかがいました。手術の傷跡を見られることを気にするかどうかという質問に対して、60代の女性の方は、年齢的に全然考えていないと答えておられました。

 

年齢的に、夫婦関係を持つことや傷を見られることは全然考えなかった。(60歳代前半・女性)

 

 

治療や生活の中での関わり

 受診、治療、退院後の生活の中での、家族・親戚の実際の関わりについて、インタビューで語られた体験をご紹介します。

 

 最初の受診のとき、娘や息子が受診を勧めてくれたり、病院に一緒に行ってくれたという体験が複数の方から語られていました。また、治療の選択に関して、家族が積極的に関わってくれたり自分の選択を支持してくれたことが語られていました。医師から治療の説明を受ける際に家族が同席し、医師に「先生の家族ならどうしますか」と積極的に質問をしてくれたという方がいらっしゃいました。また、抗がん剤治療を受けることについて、子どもが背中を押してくれたという方がいました。

 

娘は、抗がん剤治療について、お母さんがやってみたいなら、と背中を押してくれた。(60歳代後半・女性)

 

 

 手術のときに、配偶者やきょうだいが付き添ってくれたり、遠方に住む子どもが駆けつけてくれたりしたことで、心強くいられたということが、複数の方から語られていました。また、入院中、家族がお見舞いに来て顔を見せてくれたことは、多くの人にとって励みになっていたようです。

 

3番目の娘が会社が終われば必ず毎日寄ってくれた。妻は毎日来てくれて一番世話になった。(60歳代後半・男性)

 

 

 入院したことで、疎遠だった家族と交流を深める機会になったという方もいました。

 お見舞いは、複数の方が励みになったと語る一方、体調が優れない時のお見舞いは負担になることを語った方もいました。負担ではあるが断ることも難しい、という思いも語られていました。

 

・体調が落ち着くまでは、見舞いは遠慮してほしいが「来るな」とも言えない。(60歳代後半・男性)

 

 

 退院後の生活では、特に女性にとって、家事が問題になります。ある方は、慣れない夫が家事をやってくれて助かっていることを話されていました。一方で、夫に家事をまかせられなくて退院を急いだという女性もいました。

 

家事を何もやらなかった夫が、いざとなればご飯や洗濯をやってくれるようになった。(60歳代後半・女性)

 

家事は夫にまかせられず、退院を早めて帰ってきた。(60歳代前半・女性)

 

 

 同居していない家族・親戚からの気遣いやサポートについても語られていました。子どもが孫の顔を見せに来てくれたという方は、「孫を見ると一番体にいい」と語っておられました。ほかにも、家族・親戚が、食事に関する本を送ってくれた、閉じこもらないように習い事の先生を紹介してくれた、という体験が語られていました。

 

娘の姑が、本屋で食事療法の本を見つけたといって送ってくれた。(60歳代後半・女性)

 

家に閉じこもらないように、妹が大正琴や絵手紙の先生を紹介してくれてありがたかった。(60歳代前半・女性)

 

 

 ここでは、友人、職場の人、近所の人との関わりについての体験をご紹介します。

 

 

友人・知人の反応

 友人・知人にどのように伝えたか、そして、友人・知人ががんを知ったときの反応について、ご自身が意図せず伝わった場合も含めて、インタビューに参加してくださった方のお話をご紹介します。

 

 友人・知人に伝えるかどうかについては、相手とのこれまでの関係や、ご本人の性格などによって異なっていました。インタビューに協力してくださった方の中には、周囲に病気のことを話すことにあまり抵抗がなかったという方がいました。周囲の人に話すことによって、他の人の体験を聞きたいという気持ちがあったそうです。

 

病気を隠さずに大っぴらに言った。退院後ポストに宗教の案内などがいっぱい入っていてびっくりした。(60歳代前半・女性)

 

 

 知人や仕事関係の人に自分からは伝えていませんでしたが、患者会の取材でテレビに顔が映ったために知られたという方もいました。

 

テレビ番組で患者会の紹介があり、顔が映って知人にバレた。(60歳代後半・女性)

 

 

 仕事を持っている人にとって、職場の人にどの程度伝えるかは悩ましい問題であると思われます。治療のために休みをとる場合には、上司には伝える必要があるでしょうが、同僚や取引先など、どのくらいまで伝えるか、ということに関しては、それぞれ事情があるようです。ある方は、ご自分では言ってもいいと思っていたそうですが、上司が内緒にしてくれていたことが分かり、気を遣って周囲には伝えなかったと語っておられました。

 

会社の上司や一部の人には伝えてある。同僚には自分としては言ってもいいと思ったが、上司の気遣いを知り、伝えていない。(50歳代前半・女性)

 

 

 近所づきあいに関して、複数の方のお話から、病気のことを近所にはできるだけ知られたくないと考えていることがうかがえました。手術後、トイレの回数が増え、水を流す音が多いことで近所の人に気づかれるのではないかという不安を感じている方もいました。 

 

 

治療中や退院後の関わり

 治療中やその後の生活の中での、友人・知人との関わりについてご紹介します。

 

 入院中のお見舞いは励みになったということを、複数の方が語っていました。一方で、体がつらい時やねむい時はお見舞いは避けてほしいというお話も聞かれました。

 

 また、一人暮らしの方からは、家族や親戚でなく友人が、退院後の食事の世話など日常生活をサポートしてくれたというお話が語られました。

 

 信頼できる友人に、治療の苦しみや不安を話せることは、多くの人にとって助けになることだと思われます。高校時代からの親友に毎週会える環境にいるため、転移の不安や苦しさなどを気兼ねなく話せているという方がいました。

 

高校2年のときからの親友と、転移の心配や苦しさについて、いろんな話ができる。(50歳代後半・男性)

 

 

 がんを経験された方にとって、同じ病気の人との関わりは特別なものとして捉えられているようです。同じ病気の人と、これまでの友人との関わりを比較して、ギャップを感じることを語っておられた方がいました。同じ病気の人との関わりについては、<同じ病気の人との関わり>もあわせてご覧ください。

 

患者友達は分かってくれると思う。今までの友達は心配はしてくれるが、ギャップを感じる時がある。(50歳代前半・女性)

 

 

 趣味の仲間が支えになっていることを語る方も複数いました。直接病気のことを話さなくても、さりげなく気を遣ってくれたことがありがたかった、一緒に出かけることが楽しい、というお話が聞かれました。また、病気のことと関係のない雑談をして笑うことで気持ちが楽になるという方もいました。 

 

 

 がんを体験された方にとって、同じ病気の人との関わりは特別なものとして捉えられているようです。ここでは、同じ病院で出会った人との関わりや、患者会での体験についてご紹介します。

 

 

入院・通院中の関わり

 入院中、がん患者同士で、治療や副作用のつらさを話せたことが気持ちの支えとなったという体験が、複数の方から語られていました。

 

同じ病室の人と、抗がん剤の副作用の脱毛の話で盛り上がった。(60歳代後半・女性)

 

何年経っても疲れると腫れるとか無理できないとか、症状のことを共有できる。自分だけじゃないと思うと落ち着く。(60歳代後半・女性)

 

 

 がん患者以外の友人関係と比べて、違いを感じるということを語ってくださった方がいました。病気の症状のことなどを話すとき、他の友人とギャップを感じ、「がん友はわかってくれる」という思いが強く意識されるようでした。

 

がん患者の友達と、今までつき合ってきた友達と違う気がする。友達のとらえかたや関わり方が変わってきたように感じる。(50歳代前半・女性)

 

 

 入院仲間との関わりが退院後にも続き、その関係が気持ちの支えになっていることが語られていました。

 

入院仲間のネットワークは強く、仲間との関係は退院後も続いている。(50歳代前半・女性)

 

 

 インタビューに協力してくださった方の中には、インターネットで同じ病気の人のブログを探し、頻繁に読んでいたという方もいました。書かれている気持ちに共感し、仲間意識を感じることができたということをお話しされていました。

 同じ病気の仲間や知人が亡くなったことが、重くひびいたという体験も語られていました。

 

先に亡くなった仲間のことを思えば、生かさせてもらっているという感じがある。(50歳代前半・女性)

 

 

患者会の存在

 「患者会」は、がん体験者が集まって体験を語り合ったり、情報を交換したり、共に活動を行ったりする相互支援のグループです。今回、インタビューに協力してくださる方を募るにあたって、県からの公募に加え、患者会や病院の医師からご紹介いただくという方法をとりました。そのため、インタビューに協力してくださった方の中には、患者会に参加している方が複数いらっしゃいました。患者会についての体験談を、ここでご紹介したいと思います。

 

 患者会に関する情報は、退院してから、もしくは病状がある程度安定してから探し始めたという人が多いようでした。病院に貼ってあったポスターで知った方や、がん体験者等が参加できる手づくり講習会についての新聞記事を見て知ったという方がいました。

 

 同じ病気の人と、気持ちを共有できたり、経験者ならではの情報を得ることができることが、患者会に参加するよさの一つとして語られていました。

 

同じ病気の人は、普通の友達と比べてわかり方が違う。何十年もつき合った友達と同じくらいに密度が濃く、何か通じるものがある。(60歳代前半・女性)

 

いろんな治療法があること、こういうときはこうすればいいということが分かる。(60歳代前半・女性)

 

 

 また、普段は入れない公共のお風呂に、患者会の仲間と一緒になら入れることをお話しくださった方もいました。

 

患者会の旅行では、いつもは入らない人でも、お風呂に一緒に入ることができる。(60歳代前半・女性)

 

 

 インタビューでは、患者会に参加している方が、現在の活動内容やメンバー構成についての思いや考えも語ってくださいました。入ってみると当初の期待とずれがあったという体験や、現在女性の参加者が多いので男性が増えるといい、という思いが語られていました。

 

大腸がんの患者がいなかった。高齢の人や治療後の経過時間が長く落ち着いている人が多くて、病院仲間とはちょっとグレードが違う。(50歳代前半・女性)

 

地域を広げること、男性の参加者が増えることを望んでいる。(60歳代前半・男性)

 

 

 近年では、テレビや雑誌といったメディアで「がん」に関する特集が組まれたり、表紙に「がん」と書かれた本が出版されたりして、いたるところで、がんに関する情報が発信されています。

 インタビューでは、医療者に与えられる情報をただ受動的に受け取るだけでなく、さまざまな方法を使って積極的に情報を集めたというお話もありました。情報を収集するための主なルートには、医療者からの説明、本やテレビ、雑誌、インターネット、家族や知人などが挙げられました。

 このトピックでは、大腸がんを経験された方たちが、どのように病気や治療法、病後の生活に関する情報を集めたのかを、まとめました。また、病気がわかった直後には、情報があまりなくて困ったというお話が聞かれたので、この点についても併せてご紹介します。

 

 

医師などから医療的な説明を聞く

 医師から病気や治療法について説明を受けるのは当然ですが、人によって、十分に説明を受けている人もいれば、診察のときに質問をしそびれてしまうという人もいました。また、担当医以外の医療者や医療関係の仕事をしている家族を通して専門的な情報を得ている方もいらっしゃいました。

 ここでは、医師や医療者から詳しい情報を得ることができていたエピソードだけでなく、医師に質問しようと思ってはいたけれど、いざとなると質問しそびれてしまったという経験も併せてご紹介します。

 

・心配なことは医師に質問している。医師からも、きちんと知りたい患者だと思われていて、検査のデータなどを渡してもらえる。(60歳代後半・女性)

 

・インターネットの掲示板を利用して、具体的な情報を調べた。病院で医師に聞きそびれた時や、次の受診日まで日があく場合なども、ネットが役に立った。(50歳代後半・男性)

 

・腫瘍マーカーの値が下がるということの意味を知りたくて、看護師をしている娘などを通して情報を得る。(60歳代後半・女性)

 

 

本やテレビから情報を得る

 インタビューに協力してくださった方たちは、がんに関する本やテレビ番組に関心をもっておられました。しかし、本やテレビからは、がんに関する一般的な情報を手軽に得ることができますが、大腸がんに特化した詳細な情報にはあまり触れていなくてがっかりすることもあるようでした。病気に関する医学的な情報が書かれた本よりも、生き方や心の持ち方といったことについて書かれた本が、自分にとっては役に立ったという人もいました。

 

・病気に関する本を読んでも、大腸がんに特化した情報が少なかった。(60歳代後半・女性)

 

・タオに関する本を読んで、仕事中心から自分の体中心に考えを切り替えることができた。(50歳代前半・女性)

 

 

インターネットを活用して病気について調べる

 インターネット上では、がんセンターのような専門的な機関のサイトが公開している医学的な情報が得られる一方、ブログのように患者が個人的な体験を綴ったものも公開されています。インターネット上の情報は、本やテレビの情報に比べると、部位別や個人的な体験など、細かい情報が得られやすいようです。特に、珍しい場所にがんができた方などは、インターネットが重要な情報源となっていました。

 

・同じ治療を受けている人のブログを読んで、治療費を比較する。(60歳代後半・女性)

 

 

家族・友人・同僚などから話をきく

 個人的な情報ルートからは、既にがんを経験した人や家族の話として、食事のメニューや副作用の症状など、具体的な細かい情報が得られていました。病院の評判など、あまり公には伝わってこないような貴重な情報が得られることもあるようでした。

 

・睾丸がんになった甥の抗がん剤の経験を事前に聞いていた。(60歳代後半・女性)

 

・勤め先に、がんの経験者が多くいて、病院に関する情報などを教えてもらった。(50歳代前半・男性)

 

 

病気がわかった直後の情報不足

 ここまで見てきたような様々なルートを駆使して情報を得てきた方でも、大腸がんがわかった直後の頃は、まだ何も知らない状態で急いで治療を受けなければならないというお話がありました。退院後に自分で調べて、他にも治療法があったと知ることもあったようです。できれば、病気になってすぐに、がんに関する基本的なことを教えてほしかったという思いも聞かれました。

 

・手術が終わってから自分で本を読んで、いろいろなことを知った。薬を飲むという方法も、本を読んで初めて知った。(60歳代前半・女性)

 

・がんのことや抗がん剤の副作用のことなど、基本的なことを最初から教えてほしかった。退院後に自分で本などで調べて、だいたいわかるようになった。(50歳代前半・男性)

 

 

 がんになった人なら誰しも、多かれ少なかれ、「なぜ?」という疑問が頭に浮かびます。ここでは、何が原因だったのか、なぜ私なのか、といった疑問を抱いた経験について、今回インタビューに応じてくださった方々のお話をまとめました。

 

 

なぜ自分ががんに?

 なぜがんができるのか、どのように発生していくのかということは、まだよくわかっていません。しかし、がんの原因を知りたいという思いは、多くの方に共通するもののようです。

 今回のインタビューでも、複数の方が、自分が大腸がんになった原因について、自分なりの考えを話してくださいました。また、思い当たる原因がなく、「なぜ自分が?」という納得のいかなさを感じている人もいらっしゃいました。

 

・原因がわかれば、がんも治せると思うけど、誰も原因を教えてくれなかった。(60歳代後半・男性)

 

・思い当たる原因がまったくない。なぜなんだろうという思いがある。(60歳代後半・男性)

 

 

不健康な生活が原因

 大腸がんになった原因として様々なことを考える中で、生活習慣が原因と考えている方が複数いらっしゃいました。たとえば、食事の量や内容、そして肥満も、自分なりに考えられる原因として挙げられていました。また、運動不足や不規則な生活が病気につながったという考え方も語られました。

 

・太っていることが原因なのではないかと思った。(60歳代前半・女性)

 

・不規則な生活とストレスが原因だったと思う。(60歳代前半・男性)

 

 

 一方で、生活習慣に気をつけていたのに、もっと不健康な生活をしている人もいるのに、がんになってしまい、「まさか自分ががんになるとは」というショックを受けた方もおられました。続いては、生活習慣に気をつけていたにも関わらず病気になり、ストレスが原因だったと考えておられる方のお話をご紹介します。

 

 

ストレスが原因

 ここまでにご紹介した方の場合、生活習慣とストレスの両方が原因になったと考えていらっしゃいましたが、生活習慣に気をつけていた場合などには、ストレスが一番の原因と考えられているようでした。仕事のストレスについては、特に、自分にあまり向いていない仕事で頑張りすぎてしまったことが、がんを招いたのではないかという思いがあるようでした。また、人間関係で悩んだこと、経済的な問題とその他の問題が重なってしまったことなど、病気になる少し前の生活の中で、強いストレスを経験していたことが、病気につながったというふうに考えていらっしゃいました。

 

・原因は、食生活よりも、むしろストレスだと思う。(60歳代前半・女性)

 

・食事には気をつけていたので、ストレスが原因だったのかなと思う。(50歳代前半・女性)

 

・がんになる2~3年前から仕事のストレスがあり、がんとわかったときは、やっぱりストレスだなと思った。(60歳代後半・男性)

 

 

遺伝が原因

 家族や親戚にがんになった人がいる場合、遺伝的にがんになる体質だったという説明がされていました。家族や親戚にがんになった方が多い場合、遺伝が原因と考えることで、納得したり諦めたりすることがあるようです。血縁者が、大腸や直腸のがんになっていた場合だけでなく、他の部位のがんになっていた場合も、やはり遺伝的にがんになりやすい体質と考えられていました。

 

・兄弟のうち3人ががんになっているので、家族性もあるのかなと思う。(60歳代後半・女性)

 

・がん家系で、がんになりやすい体質と思って、あきらめもつく。(60歳代後半・女性)

 

 

 最近では、がんは糖尿病などと同様、慢性病のようなものだといわれることもあります。治療ができるケースが多くなった反面、がんと長期間の付き合いを余儀なくされる人も増えてきました。今回、インタビューに応じてくださった方々も、再発や転移の有無に関わらず、治療が終わってからも何らかの形で、がんを意識しながら日々の生活を送っておられました。インタビューの中では、がんという病気と向き合いながら、どのような姿勢で日々を送ろうとしているか、どのように気持ちを保っていくか、それぞれの工夫をお聞きすることができました。このトピックでは、がんを経験された後の、<がんと向き合う姿勢>について語られた部分に着目して、経験談をご紹介いたします。

 

 

がんと付き合う

 がんを一度でも経験された方は、たとえ再発・転移していない方であっても、がんにまつわる思いが頭を離れず、どこかで常にがんという病気を意識してしまうようです。インタビューに応じた方々は、この病気を、なんとか付き合っていくしかないものと捉えて、それぞれに気持ちの持ち方を工夫されていました。たとえば、ある方は、がんを征圧しようと考えるより、「がんとどういうふうに付き合っていくか。」を考えるのだと話されました。

 がんと付き合うにあたり、がんとはどのような病気なのか、といったことも語られました。たとえば、がんとは、「だれでもかかる」病気で、「仕方ない」ものと考えて、がんと付き合うというお話がありました。他にも、「運命かなという受け取り方」や「共存していかなければならない病気」という捉え方など、それぞれの病気の受け止め方が語られました。

 さらに、がんと付き合う上での工夫についても、お話をお聞きできました。たとえば、「真剣に悩まない」ようする、「何でもいいほうに考え」る、できるだけ忘れるようにする、といったように、それぞれに工夫して様々なことを心がけておられました。

 

・先の心配はあるけれど、区切りを迎えたら、がんとは「さよなら」だと思うようにしている。(60歳代前半・男性)

 

・がん細胞は自分と共存していると考えて、ともに生きる。(60歳代後半・女性)

 

 

得られたものに注目する

 病気を経験する過程では、さまざまな苦しみにであい、いろいろなものを失うこともあります。しかし、インタビューの中では、病気の経験を経て手に入れたものにも注目したお話をうかがうことができました。病気の経験自体は決してよいものとは言えませんが、そこから何かしら得るものがあったという考え方をもつことはできるようです。たとえば、「病気が自分を進化させるね。間違いないと思う。」というふうに、病気の経験を通して自分が成長することができたと前向きに捉えて語ってくださる方もおられました。

 

・病気を経験して、周囲も自分も互いに優しくなった。動じなくなったし、時間を大切にするようにもなった。(50歳代後半・男性)

 

・「がん友」という、わかってくれる仲間に巡り会うことができた。「がん友」と出会うために病気になったのかなと思ったりもする。(50歳代前半・女性)

 

・これまでは時間に追われていたが、病気をして自分を見つめる時間ができた。(60歳代前半・男性)

 

 

幸運に注目する

 意外に感じるかもしれませんが、インタビューでは、「運がよかった」とか「ラッキーだった」という言葉を使う方が複数いました。病気になったこと自体は不運と捉えていても、発見が早くて運がよかった、辛い抗がん剤治療がなくてラッキーだった、がんになるのが今の年齢でよかったなど、不運の中に見つけた幸運に注目する捉え方をされる方がおられました。また、誰でもいずれは死ぬのであれば、がんで死ぬのは比較的幸運な死に方だという考え方も、2人の方から語られました。

 すべての方が、がんの経験の中から幸運だったことに注目するお話をしてくださったわけではありませんでした。むしろ、「運がよかった」という捉え方をする方は、少数派でした。そして、病気に関して「運がよかった」と語る人は、病気のこと以外にも様々な出来事について、幸運に注目して語る傾向がみられました。一部の人にとっては、辛い病気の経験の中に幸運を見つけようとすることが、病気と向き合う上で役に立つ場合があるということかもしれません。

 

・術後の経過もよかったし、抗がん剤の副作用も軽くて、幸いだった。(60歳代後半・女性)

 

・担当の医師に恵まれ、すぐに手術を受けられたし、その後の対応もよかった。(60歳代後半・男性)

 

・がんになるのが、5年、10年後ではなく、今でちょうどいい時期だったと思う。(60歳代後半・女性)

 

・がんで死ぬのも決して悪くはないし、長生きすればよいわけでもないと思っている。(60歳代後半・女性)

 

・副作用や痛みに苦しむことも少なかったし、突然の事故と違って考える時間が持てたので、ラッキーなのかなと思う。(50歳代前半・女性)

 

 

主体的に日々を生きる

 インタビューの中では、病気をして、自分のしたいことをして生きていこうと思うようになったというお話が複数の方から聞かれました。それまでは、仕事や対人関係の中で、心身ともに我慢したり無理をしたりすることが多かったけれど、病気をしてからは、無理なことは断ろうと考えるようになるようです。また、残された時間の短さを感じている方の場合、これが最後かもしれないという思いから、周囲に遠慮するよりも自分のしたいことを優先したというお話をお聞きしました。

 

・できないことはできないと、はっきり線引きをして、無理をしないようになった。(50歳代前半・男性)

 

・新しいことにチャレンジしたり、仕事を引き受けたりする一方で、あまりに大変な場合には断ることも考える。(50歳代前半・女性)

 

・見納めかもしれないと思い、周りの反応を気にせず、多少は無理をしてでも姪の結婚式に出席した。(60歳代前半・女性)

 

 

 かつては、がんは死に至る病気と考えられていましたが、医学・医療技術の進歩により、現在では、治療が可能なケースが増えています。とはいえ、残念ながら、すべてのがんが治るわけではなく、がんという病気によって亡くなる方がまだまだたくさんいらっしゃるのも事実です。インタビューに応えてくださった方の多くは、病気の経験を通して、命の終わりを意識させられたとおっしゃっていました。そして、これからの時間の過ごし方を考えたり、今後に備えて準備をしたりしていました。

 このトピックでは、インタビューに応えてくださった方たちが、病気と向き合いながら自分の命の終わりを意識する中で、どのようなことを考え、どのような準備を実際にしているかといった語りをとりあげました。また、一部の人から聞かれたホスピスに関するお話も、このトピックの最後に紹介いたします。

 

 

病気の進行にまつわる不安

 病気が進んでくると、様々な不安を抱くようになります。病状がどのように変わっていくのか、はっきりしたことがわからないという見通しのなさもまた、不安の元になるようです。再発・転移もなく現状は落ち着いている人であっても、今後はどうなるかわからない、あとどのくらい生きられるかわからない、という思いをもたれていました。また、ちょっとした体調の変化から、病気が進行したのではないかと不安になるということもあるようです。

 

・自分と同じ虫垂がんの患者が亡くなっていくのをブログで見て、今は薬が効いているが、いつ効かなくなるのかと思うと怖い。(60歳代後半・女性)

 

・病気が進んで最後は脳に転移すると書かれた本を読んで、これからの病気の進行が心配になる。(60歳代後半・女性)

 

 

残りの時間の生き方を考える

 インタビューに応えてくださった方たちは、これからの人生をどのように生きるか、何をしたいか、といったことを考えておられました。それは、今後の見通しがないと感じている方だけでなく、余命を意識して覚悟を固めているような方もやはり、残された時間をどのように生きるかという問題を意識されていました。そして、どのように生きたいかということは、どのように死んでいきたいかということも含めた希望として語られていました。

                                                                                              

・今後の生き方について、家族や親類にも希望を伝えてある。(50歳代前半・男性)

 

・どう生き、どう死ぬか、死生観ということも考えるが、本音をいえば、ポックリいきたいと思っている。(60歳代後半・女性)

 

・病気になって、仕事より体中心の考え方に切り替えた。最後はホスピスで好きなビデオを観て、好きな本を読んで過ごせたらよいと思う。(50歳代前半・女性)

 

 

命の終わりを自覚する

 病状が進んでしまった方は、病気が治癒する可能性が極めて低いことを知ることにより、命の終わりを意識せざるを得なくなります。また、病状がそれほど深刻でない方からも、がんになったからには、いつ亡くなってもよいように心構えをしておこうというお話をお聞きしました。 

 

・告知を受けてから自分でも調べて、とても珍しく、治療法が確立されていない難しいがんであることを知った。(60歳代後半・女性)

 

・がんになったんだから、心に余裕をもって、いつ逝ってもいいようにしている。(60歳代前半・男性)

 

 

旅立ちの準備をする

 自分の命の終わりを覚悟された方の中には、今後に向けて準備を進めている方もおられました。今回のインタビュー調査で、そうした具体的な準備について教えてくださった2人の方のお話をご紹介します。おひとりは、今後の病状によっては、ホスピスへの入院を考えていて、準備を始めようとされていました。また、別のおひとりは、ご自分の亡き後に向けて、身辺の整理を始められていました。

 

・まだ先のことだとは思うが、ホスピスのことなども準備を進めていた方が安心できる。(50歳代前半・女性)

 

・告知されたときに、身辺整理をしたが、財産のことなど、まだ済んでいないこともある。(60歳代後半・女性)

 

・遺していく夫や子どもたちのために、土地や家、ローンのことなどを片付けておかなければと思っている。(60歳代後半・女性)

 

 

ホスピスのことを考える

 命の終わりを意識しはじめた方にとって、最期の時期をどこでどのように過ごすかということは大切な関心事となります。インタビューに答えてくださった方たちの中には、最期の時間をホスピスで過ごすことを考えている方もいらっしゃいました。医師から初めてホスピスという話を聞かされて、ショックを受けたという方がおられました。一方で、自ら積極的にホスピスのことを考える方もおられました。

 

・手術ができなくて延命治療を受けることになり、最終的にはホスピスと言われて、びっくりした。(60歳代後半・女性)

 

・ホスピスのことを考え始めていたら、たまたまテレビでホスピスが採りあげられていて、そういう巡り合わせなのかなと思った。(50歳代前半・女性)

 

 

 大腸がんを手術で切り取っても、少数のがん細胞が目にみえない形で体内に残っていることがあり、再発や転移の可能性があります。大腸がんを経験された方は、定期的に検査を受け、再発や転移のチェックをします。ここでは、再発・転移の不安について、インタビューで語られたお話をご紹介します。

 

 定期検査の経験については<術後の定期検査>、再発・転移を経験した方たちのお話は<再発・転移の発見><再発・転移を告げられたときの思い>でご紹介していますので、そちらもあわせてご覧ください。

 

 

日常生活の中で感じる不安

 インタビューでは、複数の方が、何らかの自覚症状がなくても、常にどこかで再発・転移の不安を感じていると語っておられました。考えないようにしていても、つい考えてしまうという方もいれば、本で転移について読んで、具体的な不安を感じている方もいました。

 

・考えないようにしているけれども、転移しているんじゃないかという考えが頭の中についつい出てきてしまう。(60歳代後半・男性)

 

自分のがんがこれからどういう状態をたどっていくのかという心配はいつも頭の中にある。(60歳代前半・女性)

 

 

術後5年を経過したあと

 手術後は、再発・転移の発見のための検査が一定のスケジュールで行われます。一般的には、術後5年間まで検査が行われます。大腸がんは5年以上たって再発する人は1%以下であるため、5年間、再発や転移を認めない場合、「そのがんが治った」と考えてよいとされています※1

 

 術後5年間の検査を終えたという方は、検査結果に安心した一方で、再発や転移の不安はずっと消えないのではないか、という思いを語っていました。不安があるため、自主的に検診を受けるようにしているそうです。そして、検診で乳がんの可能性を指摘されたとき、苦しい治療の過程が一瞬のうちに思い出され、頭が真っ白になったことをお話されていました。

 

術後5年の検査結果が良かったことは嬉しかったが、頭の中の4分の1はもしかしてどこかにあるんじゃないかという不安がある。(60歳代前半・女性)

 

普段は周囲の人に「もう覚悟している」と言っていたが、検診で乳がんの可能性を指摘され、「とうとう来たか」と頭が真っ白になった。(60歳代前半・女性)

 

 

 

参考文献

1.大腸癌研究会:大腸癌治療ガイドラインの解説(2009年度版)

 

 

 インタビューに協力してくださった方は、大腸がんと診断されたことをきっかけに、これまでの生活を振り返り、食事や運動などの生活習慣に気をつけるようになっていました。また、退院後の日常生活で、気晴らしや気分転換として、趣味や外出などの余暇活動も大切なものだと考えられているようでした。

 

 ここでは、大腸がんを経験された方たちの、生活習慣の工夫や余暇活動についてのお話をご紹介したいと思います。

 

 

食生活

 大腸がんの術後は、腸の運動が十分に回復していないこともあり,食物繊維の多い食べ物や、消化しにくいものは避ける必要があります※1。手術後半年〜1年経てば、特に制限はなくなることが多いようです※1

 

 食事にどの程度気をつけているかは人によって差があるようでしたが、それには、術後の経過時間や、排泄のコントロールがどの程度保たれているか、また、再発・転移の状態などが関係しているようです。便がゆるくならないことを意識して食事に気をつけているという方もいました。このことに関しては、<ストーマ・排泄>をあわせてご覧ください。 

 

 食生活についての情報は、医師や看護師から聞いたという方もいれば、自分でインターネットや本を調べたという方もいました。食事の制限により、好きな物を食べられなくなることがストレスになる場合もあるようです。

 

・手術後、食物繊維の多い食べ物はあまり食べるなと言われている。好きなきのこや天ぷらが食べられない。(60歳代後半・男性) 

 

 

 肉や魚を控え、大豆食品や野菜を多く摂る、感染の可能性のある生ものやカビを避ける、ショウガや唐辛子などで体の冷え対策をしている、というお話が聞かれました。

 

手術後、消化に悪いものは食べないようにし、今もなるべく食べないようにしている。妻と二人で本やインターネットで調べた。(50歳代後半・男性)

 

娘が送ってくれた食事療法の情報を参考に、肉や魚(小魚は除く)を減らし、野菜を多く摂るように心がけている。(60歳代前半・女性)

 

食事療法の本を読んで、四つ足のお肉を控え、鶏肉や卵、大豆食品をとるようにしている。生ものやカビなどからの感染にも気をつけている。(60歳代後半・女性)

 

 

その他の生活習慣(体重管理、運動、お酒など)

 大腸がんと診断されたことをきっかけに、運動や体重管理を心がけたり、お酒やタバコをやめるなど、食事以外の生活習慣を気をつけているという方もいました。高血圧や心筋梗塞など、がん以外の病気も持っている方は、がんと併せて注意しなければならないと語っていました。また、体調管理のために、血圧などを自分で記録する習慣が身についたという方もいました。

 

・自分の健康について気にするようになった。検査結果をはじめ、体調や行動を記録して、受診のときに医師に見せている。(60歳代後半・男性)

 

 

 大腸がんを経験して以降、健康診断に行くという習慣が身についたという方もいました。

 

手術後は、がんに対する意識が高まり、毎年検診に行くように心がけている。(60歳代前半・女性)

 

 

術後5年経過後の生活習慣の変化

 ここまで、食事や体重管理、運動などの生活習慣に、意識して取り組んでいるというお話をご紹介しました。一方で、手術から時間が経つと、生活習慣への意識が薄れてくることもあるようです。特に、術後の経過が順調だった場合、生活習慣への意識が薄れやすいようです。ウォーキングに熱心に取り組んでいたという方は、術後5年経過して「卒業」した途端に、ウォーキングをやめたことを語っていました。

 

術後、5年目の検査まではせっせか歩いたが、検査結果が大丈夫だと分かったら、だんだん病気の怖さを忘れて運動しなくなった。(60歳代前半・女性)

 

 

気晴らしや気分転換

 趣味や外出など、気晴らしや気分転換となる余暇活動についてのお話をご紹介します。

 家にいるといろいろ考え過ぎてしまうから、できるだけ外に出るようにしているという方がいました。また、笑いががんにいいと聞き、落語を聴きに出かけるという方もいました。

 

がんには笑いが一番いいと知り、落語を聞きにいく。(50歳代後半・男性)

 

 

 他に、ペットの犬と過ごす時間が一番癒されるという方もいました。 

 

 複数の方が、がんになる前から続けていた趣味(ゴルフや山歩き、家庭菜園、陶芸、歌、編み物など)を楽しむようにしているということを語っていました。病気になった後に、新たな趣味や習い事を始めたという方もいました。趣味の活動の中で、話し相手ができたり仲間と一緒に過ごせたりすることも、よい気晴らしや気分転換になっているようです。 

 

趣味や習い事などの仲間と過ごすなど、家に閉じこもらないで過ごせたのがよかったと思う。(60歳代前半・女性)

 

 

 病気によって体力が落ちたり、排便のコントロールの問題から、余暇活動が制限される場合もあるようです。温泉につかるのが楽しみだったという方は、排便がコントロールできるか不安があるため、温泉に行くことができなくなったことを語っていました。

 余暇活動に関して、これからどんなことをしていきたいか、希望や期待についてもインタビューでおききしました。体力が回復したら趣味の活動範囲を広げていきたいという方や、排便のコントロールが改善したら旅行など遠出したいという思いを語る方がいました。好きな料理を活かしてお店を持ちたいという夢や、寺を管理したいという夢を語ってくださった方もいました。今後の夢や期待を持つことは、病気と向き合うためのエネルギーにつながっているようです。

 

好きな料理をこれから続けていって、お店をやれたらいいなという夢がある。(50歳代後半・男性)

 

 

 

参考文献

1.大腸癌研究会:大腸癌治療ガイドラインの解説(2009年度版)

 

 

 ここでは、何らかの自覚症状に気付いた後、受診するまでと、最終的に大腸がんと診断されるまでの経緯をご紹介します。

 大腸がんは、一般の健康診断や人間ドック、大腸がん検診などで、便潜血反応が陽性(便の中に血液が混じっている)という結果が出たり、または、何らかの症状に気付いてから受診し、精密検査などを経て診断されることがほとんどです。今回のインタビューでは11名中9名の方が、がんの発見にいたる前に、何らかの症状を自覚されていました。

 がんの進行度を表す言葉にステージ(病期)と呼ばれるものがあります。最も早期の0期から最も進んだ状態のⅣ期まで、進行の度合いに合わせて分類されていますが※1、診断された時点で、Ⅲ期またはⅣ期と伝えられていた方もいました。大腸がんのステージに関する説明は、『がんを学ぶ-大腸がん』に詳しく掲載されていますのでご覧下さい。

 また、「病院に行くのが遅すぎた」「わかった段階で手遅れだった」「もっと早くわかっていれば」と受診するタイミングの遅れや早期に発見できなかったといった“発見の遅れ”を感じていることが、複数の語りからうかがわれました。インタビューでは、がんの発見にいたるまでの経緯の中で、発見の遅れを感じさせるようなさまざまな事情が語られており、ご本人の事情と医療側の事情の2つの側面が浮き彫りになりました。

 

 

本人の事情

 ご本人の事情により発見が遅れてしまったと感じられるケースでは、医療機関を受診したり、精密検査を受けるまでに時間を要していたことが挙げられます。その理由として、健診を受けていなかったことや、症状を自覚していながらも直ぐには受診できなかった何らかの事情が語られていました。

 

 兆候に気付いていたにもかかわらず、受診のタイミングを逃していた方がいました。自分が日常的に経験していた症状が、がんの兆候と結び付かなかったことや、数年間に渡って異常な数値を示していた定期健診の結果を生かすことができなかったという事情が、受診の遅れを招いていました。

 

・痛みもなく、銭湯で倒れたのを、ただの貧血かなと思って、1年間ほったらかしていた。(60歳代前半・女性)

 

数年間、定期健診で指摘されていた便潜血反応がプラスという表示は気になっていたが、大したことはないと思って、精密検査は受けていなかった。(50歳代後半・男性)

 

 仕事を優先するがために受診が遅れ、その結果が発見の遅れにつながってしまった方もいました。仕事が忙しくて、健診を受ける時間を作ることができなかったり、たとえ症状があっても、そして、その症状が少しずつ進んでいるだろうと感じていても、仕事のけじめがつくまで受診せずに働き続けていた方もいました。

 

・血便が出て、トイレに行く回数が増え、がんかもしれないと思いながらも仕事を優先していた。(60歳代前半・男性)

 

・約半年前から異常に気づき、更に痛みが出現しても、仕事のけじめがつくまで働き続けているうちに、腹膜炎を起こす寸前までいってしまった。(50歳代前半・男性)

 

 

医療側の事情  

 がんという診断にたどりつくまでに時間がかかってしまい、発見の遅れを感じているケースは、何もご本人の事情だけに限ったことではないことが、今回のインタビューからうかがわれました。毎年、検診を受けていたにもかかわらず、がんができた場所が検診の範囲外であったために、なかなか見つからなかったり、自覚症状が現れてから医療機関を受診したにもかかわらず、生じていた症状に対して、他の疾患名がついてしまったりといった医療側の事情も語られていました。

 

・一般の検診ではやらない小腸と大腸の間にがんが出来てしまったために、発見が遅れた。(60歳代後半・男性)

 

 今回のインタビューでは、1名の方が虫垂がんの診断を受けていました。虫垂は、大腸の一部である盲腸から垂(た)れ下がっている部分にあります。虫垂がんは、比較的まれな疾患であるため、他の大腸がんに比べて、治療の数や病気に関する情報が少なく、また、部位の関係から発見が難しいと言われています※2。この方も症状や異常な数値を示す腫瘍マーカーの検査結果が出ているにもかかわらず、発見にいたるまでに時間を要していました。原発性虫垂がんは、多くの場合、手術の前に確定診断を得ることは極めて難しいと言われています※3。学会誌などでは、急性虫垂炎との診断で手術が行われ、開腹した時点や術後の病理検査で、がんと診断されることも多いとの報告もあります※4。従って、お腹を開けてみるまではわからないというケースは、決してこの方に限ったことではないようです。

 

・あちこちの科を周ったが「検査の結果は異常なし」と言われ、それでも腫瘍マーカーの値が上がり続け、盲腸らしいと思って切ってみたら、虫垂がんだった(60歳代後半・女性)

 

 

本人と医療側の事情

 ご本人と医療側との両方の事情で、発見までに時間がかかってしまったケースもありました。最終的に大腸がんが発見されるまでには、2つ以上の事情が重なっていたことが語られていました。

 

 健康診断では、便の検査だけを受けておられなかったというご本人の事情に加えて、具合が悪くなり、医療機関を受診したにもかかわらず、症状の原因となっていた大腸がんが見つかるまでに時間を要していた方がいました。

 

・数年前から体調がすぐれず、いろいろな病院を受診したが、別の診断名がつき、なかなか大腸がんの診断までたどりつかなかった。(50歳代前半・女性)

 

 自分の健康を過信しすぎて、ほとんど健診は受けていなかったという方がいました。実際におう吐の症状が出て受診した時には、腸ではなく胃の検査を受け、異常が認められなかったことから、なかなか大腸がんにたどりつかなかったと語られていました。

 

・おう吐が続く中、なかなか原因がわからず、いろいろな検査を受けた。紹介された大病院での検査中、モニターを見たら腸がふさがるほど大きくなっていた(60歳代後半女性)

 

 

【参考資料】

※1 大腸癌研究会(編):大腸癌治療ガイドラインの解説(2009年版)

※2 大津智,白尾国昭:稀少がんの臨床 (7)虫垂がん.腫瘍内科 2010;6(6)

※3 鈴木公孝:虫垂癌.武藤徹一郎(編):大腸・肛門外科,11章,2006

※4 稲荷均,熊本吉一ほか:術前に診断しえた虫垂癌の1例.臨床外科 2005;60(4)

 

 

 ここでは、大腸がんであることを知らされた時の状況と、ご自分が大腸がんであることを知った時の気持ちを、ご家族の反応もあわせてご紹介します。

 

 

診断の内容を伝えられた時の状況

 “がんである”という事実が伝えられる時には、“告知”という言葉が使われ、社会でも広く浸透してきました。がんが不治の病と考えられていた時代は過ぎ去り、告知を希望する方も増えています※1

 また、医学の進歩により治療方針の選択の幅が増え、がんを患っていらっしゃる方々の価値観も多様化してきていることから、自分の病状を知り、受ける治療を自分の意志で選択することができるように、多くの場合、本人に告知されるようになってきました※2※

 

紹介先の病院で、あっさりと、がんであることを告げられた。(50歳代後半・男性)

 

 検査の結果、がんであったことを伝えられる時には、医師から単に病名を告げられるだけではなく、がんが、どこの場所にできていて、今、どのような状態にあるか、更には、今後の治療方針としてどのようなことが考えられるかといった見通しについてもあわせて説明されていました。

 

・検査直後に、いきなり、がんであることとステージ(進行の程度)が伝えられた。(50歳代前半・女性)

 

・進行した直腸がんであり、治療を急いだ方がよいことを伝えられた。(60歳代後半・男性)

 

・人工肛門になる可能性も含めて、結腸の下にがんがあることを伝えられた。(60歳代前半・男性)

 

 中には、大腸がんが発見された時に、肝臓への転移も見つかっていた方がいました。医師から、その時の病状を説明してもらいながら、更に、今後の治療方針に加えて、ホスピスの話も伝えられていました。

 

・大腸は手術できるが、肝臓は転移していた腫瘍の数が多いので難しいと言われ、最終的にはホスピスへの移行もあることを告げられた。(60歳代後半・女性)

 

 大腸がんかどうかを調べるための精密検査の1つに内視鏡検査があります。肛門から大腸内視鏡を挿入して大腸を内側から調べる方法で、ポリープや、がんを直接観察できると同時に、がんの疑いのある組織を採取し、病理検査に回して、がんかどうかを診断することができます※4※5

(大腸がん検査に関する詳しい内容は、『がんを学ぶ-大腸がん』に掲載されていますので、ご覧ください)

 今回のインタビューでは、検査中に治療を兼ねて内視鏡で切除したポリープが、がんであったと伝えられた方がいました。「検診で指摘された便潜血反応の結果を持って受診した病院で、ポリープだといわれてレーザーで切除したものが、病理検査の結果、がんであったことがわかって、どうしたら良いかわからなかった。」と語られていました。

 

 治療を兼ねた大腸内視鏡や病理検査の後に、がんと診断された方がいる一方で、実際に外科手術を行った後に、がんであることを知らされた方もいました。

 

・医師から「腫瘍を取る」とだけ言われていたが、手術後に、がんであったことを伝えられた。(60歳代後半・男性)

 

 盲腸だろうと言われて手術を行なったが、退院後の外来診察の時に、医師から、実は虫垂がんであり、播種(はしゅ)(種が播かれるようにがん細胞がバラバラと広がっている※6)の状態になっていたことを知らされた方がいました。

 原発性虫垂がんは比較的まれな疾患であり、手術の前に確定診断を得ることは難しい場合が多く、急性虫垂炎との診断で、お腹を開けてみてはじめて、がんであったことがわかったという報告もあります※7

 

・手術の結果は、かなり進んだ虫垂がんであった。手術後に相談に行った紹介先の東京の病院では地元での緩和ケアを勧められた。(60歳代後半・女性)

 

 

がんであることを伝えられた時の気持ち

“がんである”と告げられることは、誰にとっても決して良い知らせとはいえません。自分が、がんであることを知った時、多くの方が、その時の気持ちを「ショック」という言葉で表現されていました。インタビューの中では、予期せぬ出来事への心の動揺や、辛い状況の中にありながらも家族や医師に見せた思いやりの気持ちが語られていました。また、一方では、検査の結果を聴く前に、がんかもしれないということを予想していたために、あまり驚くことはなかったと語られていた方もいました。ここでは、がんであることを伝えられた時に湧き上がってきた、さまざまな思いが錯綜(さくそう)する中での語りをご紹介します。

 

・「がんですよ」と言われた時は、すごくショックで、「自分も終わりかな」と思った。(60歳代前半・男性)

 

・ポワンとなって頭が受け付けなかったが、夜になるにつれ怖さを実感し、パニックになった。(60歳代前半・女性)

 

 がんと診断された時、ご自分がおかれている立場によって、異なった思いが湧き上がっていた方もいました。

 

・妻や子供のショックに比べたら、自分はそれほどではなかったとはいうものの、やはりショックだった。(50歳代後半・男性)

 

 自分が病名を伝えられ、辛い思いの中にあっても、自分ががんであることをご家族が知った時の気持ちを考えたり、検査の結果を伝えてくれた医師の気持ちを思いやる方もいました。

 

・家族に何て言おうか考えながら、ひたすら事故を起こさないように慎重に運転して帰った。自分が思っていた以上に、家族のショックの方が大きかった。(60歳代後半・女性)

 

・自分の病状が相当に重く、肝臓にも転移しており、ホスピスとまで言われて驚いたが、その病状を伝える先生もつらかったと思う。(60歳代後半・女性)

 

 医師から正式に病名を伝えられる前に、がんであることを予想していた方もいました。検査の結果を伝えられる時に、ご家族の同席をうながすような医師の言葉や、内視鏡検査の時にモニターに映し出された自分の腸内の画像の様子とその時の医師とのやりとりなどから、検査の結果を伝えられる前に、がんかもしれないと気付いていた方もいました。その語りからは、あまり驚くことはなく、覚悟を決めて、家族と共に淡々と説明を聴いていたり、逆に、ご家族を気遣って独りで検査結果を聴きに行ったなど、いきなり検査の結果を伝えられた方とは、少し違った反応が見られました。

 

・既に血便の症状もあり、予想していたので、びっくりもしなかったし、妻も説明をしたら納得していた。(60歳代後半・男性)

 

・覚悟をして、家族と一緒に医師からの話を淡々と聴いた。(60歳代前半・男性)

 

・医師の言葉や検査時の状況から「がんかもしれない」という予感があり、独りで結果を聞いた。その後、いきなり夫に伝えたので、かなり驚かせてしまった(60歳代前半・女性)

 

 

【参考資料】

※1 斎藤和好:わが国における癌告知とインフォームド・コンセントの現状.臨床外科 2005;60(9)

※2 問山裕二,楠正人:患者目線のがん医療:概論(インフォームドコンセントについて).日本臨床 2011;69(増刊号3)

※3 阪真,笹子三津留ほか:がん告知とインフォームド・コンセントにおける一般的留意点.臨床外科 2005;60(9)

※4 大腸癌研究会(編):大腸癌治療ガイドラインの解説(2009年版)

※5 藤田伸,島田安博ほか(監修):国立がん研究センターのがんの本-大腸がん:治療・検査・療養.小学館クリエイティブ.2011年

※6 国立がん研究センターがん対策情報センター(編著):患者必携-がんになったら手にとるガイド,第1版.学研メディカル秀潤社. 2011年 

※7 稲荷均,熊本吉一ほか:術前に診断しえた虫垂癌の1例.臨床外科 2005;60(4)

 

 

 

 病気になったとき、どの病院に行くか、いい医師に出会えるか、治療法をどのように選ぶか、ということは重要な問題だと思われます。ここでは、病院や医師、および治療法をどのように選択したかについて、インタビューで語られた体験をご紹介します。

 

 

病院・医師の選択

 今回のインタビューでは、複数の方が、最初にかかりつけ医や近所の病院を受診し、その後、総合病院やがん専門病院などを紹介されて転院したことを語っていました。

 

はじめに受診した病院で大きい病院を紹介された。はじめの病院で検査を受け、検査結果を持たせてくれたのが、負担がなくてよかった。(60歳代後半・男性)

 

 治療のための抗がん剤が国で使用が認められた病院でしか使えないため、転院したという方もいました。また、最初に受診した病院で、2つの総合病院を紹介されたという方もいました。どちらの病院にするか選ぶとき、この方は、受診したことがあってなじみがある病院の方を選んだそうです。

 大きな病院である程度の治療が進んだ後、経過観察のために個人病院を紹介されたという方もいらっしゃいました。この方は、ご自分で転院を希望したわけではありませんでしたが、個人病院は土日もやっていて待ち時間が短くなったことなど、転院したメリットを感じていることを話されていました。

 

 

治療法の選択

 大腸がんの治療は外科手術が中心といわれています。がんが外科手術で切除しきれないときや、あるいは、再発や転移の予防のために、抗がん剤や放射線の治療が行われる場合もあります。

 今回のインタビューにご協力くださった方たちは、全員外科手術を受けておられました。ある方は、医師から手術について説明を受け、不安を感じましたが、どうしようもない、やるしかないと思って手術を受けることに決めたと語っておられました。

 

手術中の容態悪化や転移の可能性をきいた。手術は避けられないし、やった方がいいと思った。(50歳代後半・男性)

 

 ある方は、内視鏡で切り取ったポリープが、がんと診断されましたが、その後のPET(陽電子断層検査法)などの検査では、がんはみつからなかったそうです。ご本人は手術を受けたくないことを訴えましたが、医師に将来体が衰弱してから手術をするより体力のある今手術をするように説明され、親族にも手術を勧められて、手術を受けることを決めたと語っておられました。

 外科手術の後、抗がん剤治療を受けていた方も複数いらっしゃいました。進行がんなので抗がん剤をやった方がいいと勧められ、どうしようかと迷った末、結局、医師と家族の会話を聞いて、抗がん剤治療をやることに決めたという方がいました。この方は、あとから本を読んで他の治療法があることを知ったそうですが、実際に治療を受けたときは、そうするしかないと思って応じたという心情を語っていました。

 

進行がんは抗がん剤をやった方がいいと言われた。やったほうがいいのであればしなければならないな、死ぬよりはいいかなと思った。(60歳代前半・女性)

 

 他に治療法がないために、抗がん剤治療を受けることを決めたという方もいました。大腸がんと同時に肝臓への転移を発見されたという方は、大腸がんを手術で切除した後、肝臓の腫瘍への治療として、抗がん剤治療を行う決断をしていました。

 

延命はやってみなければ分からないと言われ、抗がん剤治療に応じた。(60歳代後半・女性)

 

 また、再発や転移の予防のために抗がん剤治療を勧められ、粉薬か点滴にするかを選んだという方もいらっしゃいました。この方は、薬だと一生飲まなければならないという説明を受け、半年間、月2回抗がん剤を点滴で行う治療の方を選んだそうです。

 治療法を選択することについて、医師に任せるほかないという思いを語っておられた方もいました。

 

医師に任せるよりない。予算さえ合えば治療をしたい。(60歳代後半・男性)

 

 一方、医師から勧められた治療でも、説明を聞いて応じなかったという体験も語られていました。医師に新薬を提案されたが選択しなかったという方がいらっしゃいました。

 

新薬による治療を勧められたが、100人に1人は死ぬ可能性があるといわれ怖いのでやめた。(50歳代後半・男性)

 

 

セカンドオピニオン

 セカンドオピニオンとは、患者が納得のいく治療法を選択することができるように、現在診療を受けている担当医とは別に、ちがう医療機関の医師に「第2の意見」を求めることです。国立がん研究センターがん対策情報センターでは、セカンドオピニオンとは担当医を替えたり、転院したり、治療を受けたりすることだと思っている方もいますが、そうではなく、ほかの医師に意見を聞くことがセカンドオピニオンであると説明しています。(国立がん研究センターがん対策情報センターがん情報サービス「がんに関する用語集」より)

 今回のインタビューでは、セカンドオピニオンという言葉を、転院することや医師を替えることだと捉えている方も中にはいらっしゃいました。ここでは、インタビューにご協力くださった方が「セカンドオピニオン」と捉えておられる体験を、そのままご紹介したいと思います。

 虫垂がんと診断された方は、インターネットや家族の知り合いの医師を通して治療法を調べた結果、まだ治療法が確立されていないということが分かったそうです。東京に行けば症例があるのではないかと考え、東京の病院でセカンドオピニオンを受けていました。また中には、最初に受診した病院で、抗がん剤か人工肛門かと言われましたが、紹介状を書いてもらい受診した病院で、一時的ストーマ(人工肛門)と言われた人もいらっしゃいました。

 

播種で、手術で全部切除できなかった。紹介状を持って東京の病院に行ったが、結局、化学療法しかなかった。(60歳代後半・女性)

 

 セカンドオピニオンを求めなかった方からは、いくつかの理由が語られていました。

発見が遅れたため、セカンドオピニオンを受ける時間の余裕がなかったという方がいました。

 

病院に行くのが遅過ぎた。セカンドオピニオンは考えたが、もう暇がなかった。(60歳代前半・女性)

 

 一方、医師と相談したり自分なりに考えた上で、セカンドオピニオンを受けないと決めたという方もいらっしゃいました。受診した病院を全面的に信頼していたという方や、どこに行っても受けられる標準的な治療だと聞いて今の病院に決めたという方がいました。

 

受診した病院を全面的に信頼していた。(60歳代前半・男性)

 

医師と相談して、「どこにいっても同じですよ。」といわれたので今の病院に決めた。(50歳代前半・男性)

 

 また、セカンドオピニオンを受けても、結局最初の医師に戻る可能性があるからセカンドオピニオンは考えなかったという方もいらっしゃいました。 

 

どこに行っても受けられる治療だから、結局最初の医師のところに戻る可能性が高いのでセカンドオピニオンは考えなかった。(60歳代後半・女性)

 

 セカンドオピニオンを受けなかったという方の中には、主治医が自ら、他の医師に治療について意見を聞いてくれているという方がいました。医師同士でやりとりしてもらう方が、自分でセカンドオピニオンを求めるよりも効率がよいと感じているそうです。

 

素人の私が聞き回るよりも、医師に任せていろいろ聞いてもらったほうが効率がいいと思った。(50歳代前半・女性)

 

 セカンドオピニオンを受けることを考えなかった方の中には、機会があれば受けたかもしれないと語る方もいました。行きやすい病院が増えたり、セカンドオピニオンを受けることがより一般的になれば、希望する人がさらに受けやすくなるのかもしれません。

 

セカンドオピニオンは全然考えなかった。そういう説明があったら行ったかもしれない。(60歳代後半・男性)

 

 

 

 大腸がん治療の外科手術の後におこなわれる定期検査は、手術後の経過を見るためや再発や転移の有無を調べるために行われるものです。

 今回インタビューに応じてくださった方も、定期検査を受ける中で、再発・転移が見つかった方がいました。ここでは、術後の定期検査を受ける前の気持ちと結果を聞いた時の気持ちも併せてご紹介します。

 

 手術を終わって、経過を見るために、定期検査を受けられている人の中には、手術後5年たっても再発・転移がなく、その時の気持ちを、「喜びはひとしおだった」と語られていました。

 

検査を受けて、合格するたびに「万歳」といっていた。最後に5年たってもういいですよと言われた。(60歳代前半・女性)

 

 術後の定期検査は、はじめは1ヶ月、3ヶ月と、次第に間隔が空き、6ヶ月毎といった具合になっていくようです。そんな中で、一年半後の定期検査で肺への転移が発見された方もいました。

 

術後の検診で、1年半後にPETを撮った時には転移がはっきりしなかった。しかし、その後のCT検査で両方の肺転移がわかった。(60歳代前半・男性)

 

 また、定期検査は、安心感につながったと語られ、定期検査の結果肺への転移がわかった時も「人生のプラスになった。」と、肯定的に捉えていらっしゃる方もいました。

 

年2回の定期検査で、生活の安心感が持てる。そして、定期検診で肝臓への転移がわかった。(60歳代前半・男性)

 

 術後の定期検査は、がんの再発や転移の有無の確認のほかに、術後の経過を見るためにも行われます。今回インタビューに応じてくださった方の中にも、2年以上病状の変化(CT検査で転移を疑われている影の大きさの変化)を定期的に見て経過を追っていらっしゃる方がいました。

 

・本当に影かわからない。取りあえず定期検査は続けましょうと言われている。(50歳代後半・男性)

 

 この他にも、定期検査を受けるために病院に行く場合の、通院時間や通院手段について語られた人もいました。

 例えば、医師が患者への負担を考えて通常2回の検査日を設定されるところを、腸と胃の内視鏡を一度に予約をしてくれたので通院回数が少なくなったという方もいました。

 また病院までの距離が近いことや車での通院ができるなどの通院のしやすさを語られる方もいました。

 一方定期受診の楽しみを見出して、「病院に行った帰りには、ちょっと寄り道をし、病院の食堂で食事をする。」など語られた人もいました。

 

 

 

 抗がん剤治療は、化学療法、薬物療法とも呼ばれ、点滴や飲み薬などによって、抗がん剤を体内に入れる治療です。

 抗がん剤治療は、外科手術の補助的治療法として再発・転移を予防するために行われる場合と、手術が不可能ながんや再発・転移のがんの進行を抑えるために行われる場合があります。がんの場所や性質によって、抗がん剤の種類や使い方は異なります。大腸がんで使われる抗がん剤の種類や使い方などの詳しい情報については、国立がんセンターがん対策情報センターがん情報サービス「各種がんの解説」などをご覧ください。

 

 今回のインタビューでは、11人の方が、抗がん剤治療を受けていました。ここでは、抗がん剤治療を受けた経験を、「抗がん剤治療の流れ」、「抗がん剤治療を受けるときの気持ち」、「抗がん剤治療に伴う苦労」の順にまとめてご紹介します。多くの方が悩まされる副作用については、別に「抗がん剤治療による副作用」というトピックを設けましたので、そちらをご覧ください。

 

 

抗がん剤治療の流れ

 ここでは、抗がん剤治療を受けることが決まってから、実際に治療を受け、終了するまでの間の流れをご紹介します。もちろん、抗がん剤治療の流れは人によって違いますが、治療の過程のおおまかな流れを追いたいと思います。

 抗がん剤治療を開始する際には、医師からの説明を受けたという方が複数いました。また、手術を受けた外科から、内科に転科して抗がん剤治療を始めた方もいました。

 

医師の勧めに従うような形で、抗がん剤治療を始めた。(60歳代前半・女性)

 

 外科手術と抗がん剤治療を両方とも受ける場合、従来は外科手術を先に受ける場合が多かったようですが、今回インタビューに協力してくださった人の中には、外科手術の前にも抗がん剤治療を受けた方もおられました。

 

手術を待つ間に抗がん剤治療を受け、手術の後にまた抗がん剤治療を再開した。(50歳代前半・女性)

 

 抗がん剤治療は、週に1回、2週間に1回、また、何週間か受けたら1回休みなど、抗がん剤の種類や病状によって、治療を受ける頻度やペースが異なります。また、入院して抗がん剤治療を始め、その後は自宅から通院して外来で治療を受けるということもありました。

 

抗がん剤は週に1回ぐらいだった。最初は入院で、後は通院で受けた。(60歳代前半・男性)

 

 最初は看護師などから教えてもらっていましが、通院して外来で抗がん剤治療を受けるようになると、およそ2日間の抗がん剤の注入が終わったら、針を抜くなどの処理を自分でされていました。

 

最初の入院でポートの針の抜き方を教わった。最初は不安だったが、すんなりできて不安は消えた。(60歳代後半・女性)

 

 抗がん剤治療中、治療の効果を調べるための検査を受けることになります。検査の結果で抗がん剤の効果が認められない場合、その抗がん剤は中止となり、他の抗がん剤を開始していました。また、副作用が強すぎる場合にも、抗がん剤が中止されることがありました。

 

副作用のために中断したり、効果がなくなって終了したりして、4種類ほどの抗がん剤を使ってきた。(50歳代前半・女性)

 

 

抗がん剤治療にまつわる気持ち

 ここでは、抗がん剤治療を受けるときや終了するときの気持ちについてまとめました。事前に抗がん剤について耳にした知識から様々な不安をいだく方もいれば、前向きに闘病しようと決心する方もいて、いろいろなお気持ちを抱えて抗がん剤治療に臨まれる様子がうかがわれました。

 苦しい抗がん剤治療がいつまで続くのか、先が見えないことがつらいというお話もありました。また、抗がん剤治療が終わったからといって、手放しで喜べるわけでもないという、がん経験者の複雑な気持ちも語られました。

 

何かわからないものを3日間も入れる怖さや、副作用のことなど、最初は色々な不安があった。(60歳代後半・男性)

 

抗がん剤治療がいつまで続くのか、わからない。早く終わってほしい。(50歳代後半・男性)

 

副作用で死の不安を感じたが、残りの回数を数えながら頑張った。抗がん剤が終わったときは嬉しかったが、再発の不安は残っている。(60歳代前半・女性)

 

 

抗がん剤治療に伴う苦労と工夫

 抗がん剤治療は、時間的にも体力的にも、大きな負担を伴います。ここでは、インタビューに答えてくださった方たちが、抗がん剤治療を受ける中で、どのようなことが大変だと感じたか、またそれに対してどのような工夫をして対処してきたかといったことについてご紹介します。

 

抗がん剤治療の日は、9時から4時までかかるので、1日病院と仲良くするつもりで行く。(60歳代後半・男性)

 

 抗がん剤治療を受ける中で最も悩まされるのは、副作用でした。副作用そのものについては、種類も多く、様々なことが語られたので、別のトピックでまとめてご紹介します。ここでは、副作用によって生じた日常生活の様々な不便に対処する工夫をご紹介します。

 

副作用で冷たいものを触れなくなったが、手袋を使うなどの工夫をして、家事をこなしている。(60歳代後半・女性)

 

 

 

 このトピックでは、抗がん剤治療の中で特に悩まされる人が多い、副作用に関わるお話をご紹介します。

 抗がん剤治療を受けると、多くの場合、何らかの副作用があらわれます。最近は、比較的副作用の軽い抗がん剤が開発されるとともに、副作用の症状を抑える方法も進歩しています。とはいえ、軽い副作用であっても日常生活に支障が出ることもありますし、重い副作用に悩まされる方もまだまだいます。抗がん剤治療を受ける中で、副作用とどのように付き合っていくかということは、多くの人にとって関心のある課題と思われます。

 副作用の種類や重さは、使用する薬によって異なり、個人差も大きいようです。今回、インタビューに協力してくださった方は、血液の変化、末梢神経の障害、脱毛、味覚障害・嗅覚障害、だるさ・疲労感、爪・皮膚の変化などの副作用を経験されていました。また、初めは何ともなかったのに、だんだん副作用が強くなったり、症状が続く期間が長くなったりするという場合もあるようでした。

 

抗がん剤の治療を続けるうちに、副作用の症状がおさまるまでの日数が長くなってきた。(50歳代前半・女性)

 

はじめは副作用を感じなかったのに、3クール目から体のつらさや白血球の減少が出てきた。(60歳代前半・女性)

 

 この後は、抗がん剤の副作用に関するお話を、症状ごとにご紹介していきます。ただし、実際は、同時にいくつかの副作用が出る場合が多いようです。次にご紹介する例の中でも、同時に複数の副作用に悩まされた経験が語られていました。

 

 

血液の変化──白血球の減少・貧血

 抗がん剤治療を受けると、貧血、白血球や血小板の減少など、血液への影響があらわれることがあります。特に、白血球の減少は、頻繁に見られる副作用です。白血球が減ると、感染症の危険が高くなるため、白血球が減りすぎた時は、抗がん剤の治療を一旦お休みすることになります。

 インタビューに参加してくださった方たちも、抗がん剤治療の前に受ける血液検査で白血球が減少していたために、治療を延期したことがあると話されていました。他にも、血小板が減少して出血がとまりにくい状態になっているため、怪我をしないように注意された方や、鼻血や歯茎からの出血を経験された方もいました。

 

抗がん剤治療の前に血液検査をして白血球が減っていたりすると延期になる。2回ほど治療を受けられないことがあった。(60歳代前半・男性)

 

 

末梢神経の障害──指先・足先のしびれ・ほてり

 抗がん剤の副作用として、指先や足先など、体の末端の末梢神経に影響が出ることがあります。手足の感覚が鈍くなるため、日常生活の中で手先を使う動きが不便になったり、常にしびれがあるなどの不快感がつきまとったりします。

 今回のインタビューでは、しびれを訴えた方が多くいましたが、他に、「足の裏に水ぶくれができている感じ」、「足の裏がほてってくる」という症状が出た方もおり、副作用の出方は人によって違いがみられました。また、「(抗がん剤治療の終了後)半年ぐらいたつんだけど、また残ってる」というように、抗がん剤を中止した後も症状が続いているというお話がありました。末梢神経の障害は、温度と関係することが多く、冷たいものを触るとひどくなったりするようです。下に最初にご紹介するお話では、青森は寒さが厳しいので、冬になると症状が悪化するのではないかという心配をされていました。

 

冷蔵庫から出した大根の冷たさが一番最初にピリッと来た。(60歳代前半・女性)

 

冷蔵庫に物を取るために手を入れるだけで、手がしびれてくる。(60歳代後半・男性)

 

 

脱毛

 今回インタビューに協力してくださった11人の方の中で4人の方が、脱毛について語られました。4人とも、髪はいったん抜けたけれども、抗がん剤をやめた後で、また生えてきたということでした。

 

薬剤師はこの薬は「髪は抜けない」といっていたが、起きるたびにベッタリ抜けた。今は自毛になった。(60歳代後半・女性)

 

 

吐き気・食欲低下

 抗がん剤治療の副作用として、吐き気や食欲低下も頻繁に起こります。今回インタビューに協力してくださった方たちの中には、強い吐き気で苦しんだ方もいれば、まったく吐き気を感じなかった方もいました。また、吐き気を抑える薬を併用しているというお話もありました。

 

あまり一般的でない副作用があらわれたが、吐き気は一回もこなかった。(60歳代後半・女性)

 

 

味覚障害・嗅覚障害

 副作用で味覚や嗅覚が変わってしまうこともあります。具体的には、味覚や嗅覚が麻痺して味やニオイを感じない、違う味・食感やニオイがする、好きな食べ物やニオイが変わるといったことがあるようです。

 今回のインタビューでも、味覚や嗅覚の変化を感じたという方が複数いました。周囲の人から「これはおいしいよと言われても、何も味ないじゃないかって感じだった」というように、味を感じなくなることがあるようでした。また、味覚はある場合でも、治療前と変わってしまって、「食べたいものも違ってくる」、「砂糖が苦く感じる」という症状も経験されていました。

 

抗がん剤の後1週間は、味覚がだめだったり、舌がピリピリ痛かったりが続いた。(50歳代前半・男性)

 

 

だるさ・疲労感

 だるさや疲労感は、抗がん剤の副作用として頻繁に経験されるものです。

 今回のインタビューでは、3人の方が、抗がん剤の副作用による、だるさや疲労感について語ってくださいました。これらの方たちは、だるさや疲労感だけでなく、同時に他の副作用にも苦しめられていました。また、手術で体力が落ちているところに、さらに抗がん剤治療を受けることによって、しんどさをより強く感じたというお話もありました。

 

吐き気とだるさがあり、抗がん剤を注入している3日間もきついが、針を抜いた後の2日間は何もできないほどきつかった。(50歳代後半・男性)

 

 

爪・皮膚の変化

 抗がん剤の種類によっては、爪や皮膚に様々な症状があらわれることがあります。多くの場合、命に関わるようなものではありませんが、痛みやかゆみなどの不快感があったり、外見が変化してしまったりして、本人にとっては非常に気になる症状だと思われます。

 今回のインタビューでは、4人の方が爪や皮膚にあらわれた副作用についてお話されていました。片方の膝から下に、びっしりと湿疹が出てしまった方や、色素沈着で手指が黒ずんでしまった方がおられました。指先に出た副作用を治療するために、がんの治療とは別に皮膚科にも通っているというお話もありました。

 

抗がん剤の種類によって、皮膚のただれの色素沈着があったり、爪が欠けやすくなったりした。皮膚科も並行して受診している。(50歳代前半・女性)

 

 

その他の副作用

 抗がん剤の副作用は、人によって症状の種類や重さに違いがあります。ここまでご紹介した副作用以外にも、インタビューの中では、酷い口内炎や、便秘・軟便・下痢などの便の問題、全身の痛みなどを感じた人もいました。すべてはご紹介しきれませんが、ここでは2人のお話をご覧ください。

 

口内炎ができて、歯磨きが少ししかできないほど痛かった。(60歳代後半・男性)

 

医師が男性だったので言えなかったが、色々な副作用が出る中で、後産のような膣の痛みもあった。(60歳代後半・女性)

 

 

 

 大腸がんの手術は、出来る限り排便、排尿、性機能などを保ちつつ、がんが治ることを目指して行なわれます(「がんとどう付き合うか(大腸がん)」:がん研究振興財団 監修/国立がんセンター)。

 結腸や直腸といった、がんが出来ている位置によっても、切り取る範囲が違ってきます。また、病状や手術の方法によっては、ストーマ(人工肛門)と呼ばれる便の排出口をお腹に造ることもあります。外科手術の詳しい内容については、当サイトの「がんを学ぶ」をご覧ください。

 国立がん研究センターがん対策情報センターがん情報サービスによると、大腸がんの治療は、手術による切除が基本であるといわれています。

 今回のインタビューでは、11人全員の方が外科手術を受けられていました。ここでは、診断されてから手術を受けるまでにどの位の時間を、どのような気持ちで過ごされていたのか、そして、手術の内容、術後の経過、更には退院に向けての準備について、外科手術にかかわるお話をご紹介します。

 

 

手術までの待機時間

 今回のインタビューでは、受診してから手術を受けるまでの期間に、即日から約2カ月といった開きがありました。待機入院をしていたり、検査や抗がん剤の治療を受けながら手術の日を待っていた方がおられる一方で、受診した当日に緊急手術を受けることになった方もいました。

 

手術が決まるまで別の病院で1カ月待ち、手術を受ける病院で、更に約1カ月の間、検査を受けながら待っていた。(60歳代前半・男性)

 

麻酔科医が不足していたため、一ヶ月間、待機していた。その間に、抗がん剤治療を受けた。(50歳代前半・女性)

 

中には、手術の日が予定よりも早まった方もいました。

 

250番目と言われて、まだまだと思っていたら、急に手術日が早まった。心の準備ができていなかったが、今思えば、早まって良かったと思う。(60歳代後半・男性)

 

 受診した日に、すぐに手術を受けていた方もいました。走るような痛みを感じて受診したところ、検査後の点滴を受けている最中に緊急手術をすることになった方や、救急外来を受診した時点で思ったより病状が進んでおり、そのまま入院して手術を受けた方もいました。

 

救急外来を受診した時には、腹膜炎の状態になっており、そのまま入院して手術を受けた。(50歳代前半・男性)

 

 

手術を受ける前の気持ち

 手術を受ける前には、不安と同時に覚悟や期待などといった、さまざまな思いを抱かれていました。

 「体力的には乗り切れるだろう」という、手術前に医師からの説明を受けた時の気持ちをはじめ、手術の朝や手術室に向かっている時に湧き上がってきた思いが語られていました。

 

悪いところを取れば回復するんだからという気持ちでいたので、恐くはなかった。(60歳代前半・男性)

 

不安はあったが、やるしかない、うまくいけばいいなと思って手術室に向かった。(50歳代後半・男性)

 

 

手術の実際

 ここでは、どのような手術を受けたのか、そして、手術が終わった後の気持ちも併せてご紹介します。

 手術時間に関しては、早く終わったほうだといわれた2時間の方から、4~5時間、そして、早朝から夕方6時頃までかかった方とさまざまでした。

 手術の様子については、複数の方が、まず手術直後にご家族だけが呼ばれて摘出したものを見せられ、ご本人より前に医師からの説明を受けたと語っておられました。

 ご本人は麻酔で眠っていたため、後日、医師に説明してもらっていました。切り取った範囲や、つなぎ合わせた場所などを、レントゲン写真を見ながら説明してもらっている方もいました。

 目で見た限りのがんは全て取ったことを説明され、後は、血液やリンパの中に入っている可能性があるかもしれないがんについての抗がん剤治療を勧められていた方もいました。

 

やぶれた腸から汚物が散らばるのを盲腸が食い止めていたことが、手術後にわかった。(50歳代前半・男性)

 

 大腸がんの発見と同時に肝臓への転移と胆石がみつかった方がいました。手術では、数が多いので難しいといわれた肝臓には触れずに、大腸がんと胆のうを切除されていました。

 

大腸の手術の時に、医師に頼んで胆石の治療もしてもらった。(60歳代後半・女性)

 

 今回のインタビューでは、11人中2人の方がストーマ(人工肛門)を造られていました。大腸がんの切除に加えて、ストーマの着脱に関する手術も受けられており、中には、合併症の治療や転移したがんの切除も含めると、4回の手術を経験されていた方もいました。

 

大腸がんの手術、3日後に再手術、更に合併症のための手術、そして約1年後にストーマ閉鎖と転移したがんの治療で4度目の手術を行った。(50歳代前半・男性)

 

 ご自分の手術後の状態を知った時のお気持ちも語られていました。手術前には、ストーマ(人工肛門)をつける可能性があることを説明されていたため、麻酔から覚めた時に、一番先に手をやって確かめたら付いていなかったので、ホッとしたという方もいました。一方で、歩けるようになった頃に医師から受けた、がんの進行度についての説明を聴いて、ショックを受けられていた方もいました。

 

がんを取ったから、もう治ったと思っていたのに、残念ながら進行がんだったといわれてショックだった。(60歳代前半・女性)

 

 

 大腸内視鏡で切り取ったポリープが、病理検査の結果、がんと診断された方がいました。

 

 温泉に行った後、再度、PET(陽電子断層検査法)などの検査を受けたところ、その時はがんは見つかりませんでした。がんがないなら手術は受けたくないと訴えましたが、医師に説得されて手術を受け、人工肛門も造りました。結局、摘出した臓器からも、がんはみつかりませんでした。

 

 ご本人は温泉ががんに効いたと考えておられるようですが、温泉のせいなのか、内視鏡で採りきってしまったからなのか、がんが見つからない明確な理由はわかりません。しかし、病理検査の結果ががんではなかったということに対しては、喜んでおられました。

 

 

 

手術後の経過

 手術後の回復の状態には個人差があり、さまざまな経過をたどられていました。

 順調に回復されたと語られる方がいる一方で、合併症などの症状が現れた方もいました。

 抗がん剤の治療もなく、手術してから1カ月後に退院し、自分では完全に治ったという気持ちでいたけれど、普通の生活に戻るまでに約6カ月かかったという方もいました。

 また、手術後、吐き気以外は特にトラブルもなく、1カ月後には大腸がんが発見された時に既に転移が見つかっていた肝臓の治療のために消化器科へ移ったという方もいました。

 

手術後は貧血もなくなり、体がすごく楽になった。(60歳代前半・女性)

 

 中には、術後に、いろいろな症状が現れた方がいました。ICU(集中治療室)にいる時に合併症が発見され、緊急手術を行った方もいました。

 

術後心筋梗塞になり、緊急手術を行なった。人工呼吸器のために話すことができなかった。回復して歩けるようになり話ができるようになった。(50歳代前半・男性)

 

 

 手術後に、記憶がうすれている中で、幻想のようなものを見た方もいました。

 

 意識がもうろうとする中で思考が乱れたり、幻想といって存在しないものが見えたり、現実的にあり得ないような事柄を事実であると確信してしまう妄想などの症状が出現する、一過性の精神状態で術後せん妄といわれるものがあります。

 

合併症の手術の後、幻想みたいなものを感じたが、1週間ぐらいで消えた。(50歳代前半・男性)

 

 退院後、1度だけ緊急で受診したことがあるけれど、それ以外の症状は落ち着いていたという方もいました。

 

夜間にお腹が痛くなり、緊急受診をした。腸が詰まり気味だったが腸閉塞にはならなかった。(50歳代前半・男性)

 

 

 

術後の早期離床

 手術後、横になっている状態が続くと合併症が起こりやすくなったり、起き上がることが困難になってしまうこともあります。そのような状況を予防して、少しでも早く日常生活に戻ることができるように、手術後の早いうちから座ったり、立ち上がったり、歩いたりする動作を行うことを早期離床といいます。

 

 お腹を切った直後は、体に管がたくさん入っているため、歩くことはおろか、なかなか動くこともできない状態であったことを、数名の方が話されていました。インタビューでは、起き上がって、1回目の便を出す時のご苦労や、歩く練習をしている時のご様子が語られていました。

 

開腹手術の直後は、起き上がることができず、1回目の便を出す時は、精神的にも大変だった。(60歳代前半・男性)

 

 今回のインタビューでは、手術後のつらい状態の中でも、早いうちから歩く練習をされていた方が複数いました。術後3~4日で歩き始めて、約2週間で退院された方、また、2回目の手術で段取りがわかっていたこともあり、ご自分の体調に合わせて無理をせずにマイペースで歩かれて、約1カ月後に退院された方もいました。

 

歩かないと治らないからといわれて、管を付けたまま、点滴を持って、手術後3~4日目から歩く練習を始め、約2週間後に退院した。(50歳代後半・男性)

 

 

 

 最近は健康志向ブームの中で、日常生活における健康食品の活用や健康維持増進へのさまざまな試みへの関心が高まっています。がん治療を受けている人の間にも、病院での治療に併せて健康を増進し、自然治癒力を高めるために、相補代替療法への関心が高まっています。

 相補代替療法には、例えば、鍼灸、気功、免疫療法、健康食品、ハーブ療法、温泉療法、心理療法、食事療法などさまざまなものが含まれます。 

 今回インタビューに応えてくださった方で、相補代替療法をおこなっている方は3人でした。その中には、漢方薬の処方を受けた人、温泉療法を行った人、食事療法の本を参考にして、健康に良い食品を食べるように心がけたり、避けた方がよい食品を避けたりして、自分のできる範囲の食事療法を取り入れている人がいました。

 

 

漢方薬

 補完代替医療の最も代表的なものである漢方薬は、がんのみならず多くの病気に用いられます。最近では、保健医療の範囲で使用できる薬も多くあります。家族からの勧めで、健康増進のために、治すためでなく体力をつけるために医師から処方を受けた人もいらっしゃいました。

 

乳がんの経験のある妹がずっと使っている漢方薬を処方してもらった。(60歳代後半・女性)

 

 

温泉療法

 日本には、昔から随所に、「…に効く温泉」と言われる場所が沢山あります。最近は、特に温泉ブームが高まり身近な日帰り温泉にも「…に効く」と効用書きがされているのを目にします。がんになった人も、「…温泉は、がんに効く」と勧められて温泉に行っていらっしゃいます。実際に温泉入浴の後の検査で、がんが見つからなかったと体験を話されている人もいました。

 

病気に勝とうと思って、皮膚に効くという熱い風呂や、八甲田の硫黄温泉に行った。(60歳代前半・女性)

 

 

食事療法

 補完代替療法の一つに食事療法があります。娘の姑さんから贈られた『食事でがんが消える』という本を参考に、控えた方が良いという食品を避けて、良いと言われている食品をとるようにして、自分にできる食事療法を取り入れている人もいました。「食事療法」として意識していない場合もありますが、日常生活のなかで、食事に関して気をつけているという方が他にも複数いらっしゃいました。食事に関して語られたお話は、【生活】の<病気になってからの生活習慣や気晴らし>にもご紹介していますので、そちらも併せてご覧ください。

 

食事療法の本に書いてある悪いものは取らないように心がけ、良いといわれている鶏肉と卵とか、大豆食品とかを取るようにした。(60歳代後半・女性)

 

 

 

 がんの治療を受ける中で、患者は医療者(医師や看護師など)と日常的に関わっていくことになります。ここでは、医療者との関わりについて、インタビューで語られたお話をご紹介します。

 

 

治療について説明を聞く 

 病院で治療を受けるとき、患者は、医師や看護師から治療についての説明を聞き、納得した上で治療を受けることになります。説明を理解するために、患者が自分から質問をして、やりとりをすることが時に必要だと考えられます。インタビューでは、自分の質問に対し、医療者がていねいに答えてくれたことを「ありがたかった」と語っておられた方が複数いました。自分からはなかなか質問しづらいと感じていた方も複数いらっしゃいました。その方々は、医療者が、こちらから聞く前に説明してくれたり、こちらが質問しやすい雰囲気をつくってくれていたことがありがたかったという思いを語っていました。 

 

何かあったら聞いてと言われてありがたいと思った。無知なので何を聞けばいいんだか分からなかった。(60歳代前半・女性)

 

 一方、インタビューに協力してくださった人の中には、治療の方法や予後に関して十分な説明をしてもらえなかったと感じている方がいらっしゃいました。外科手術を全身麻酔で行うことを聞いておらず、手術の直前に知ってショックを受けたことや、治療についての基礎的な情報を事前に説明してほしかったという思いが語られていました。また、手術後にトイレが近くなり、困って医師に話したら、年齢的に完全に回復することは難しいと、そこで初めて説明された人もいらっしゃいました。

 

抗がん剤の期間や副作用などについて、基礎的なことを教えてもらえた方がよかった。全部はじめての体験だった。(50歳代前半・男性)

 

 医療者の説明に対し、不満を感じた体験も語られていました。転移が発見されて受診した呼吸器科の医師の言葉に「ムカムカときた」ことや、医師に質問をしたときの対応に不満を感じたことが語られていました。

 

「がんを取ってどうするの?またすぐ出たらどうするの?」などと言われてムカムカときた。(60歳代前半・男性)

 

同じ治療をして金額が違うようだったので質問したが、「どうなのかね」と言うだけだった。医療者が足を運んだり聞いてみてほしかった。(60歳代前半・男性)

 

 

入院・通院中のやりとり

 入院中、医師が顔を見せてくれたことが励みになったと、複数の方が語っていらっしゃいました。1日1回医師が回ってきてくれたという方や、朝・昼・晩と医師が顔を出してくれたという方など、頻度や回数は人によって異なっていましたが、忙しい医師への感謝の気持ちが語られていました。

 

執刀医が朝、昼、晩と私のところに来てくれたのが、励みになった。(60歳代後半・男性)

 

 治療中に気になることや症状に関する医療者とのやりとりについても語られていました。入院中、それほど強い痛みでなくても痛み止めを頼むなど、自分の「わがまま」に医療者が応じてくれたことや、ストーマについての相談に看護師が応じてくれたこと、抗がん剤治療の副作用への対処を医師がさりげなく見てくれていたことなどが、感謝の気持ちとともに語られていました。

 

みんな良くしてくれて家族に近いようなあんばいで、結構わがままも聞いてくれた。(60歳代後半・男性)

 

抗がん剤の副作用への対処の仕方について、医師がさりげなく気をつけて見ていてくれた。(60歳代後半・女性)

 

 治療の経過がよいとき、医師がほめたり喜んでくれることが励みになったという方が複数いらっしゃいました。医師が検査結果を見て「すごくおだてるのでその気になった」と語る方や、結果を見た医師の笑顔が励みになったという方もいました。

 

医師も告知をするのはつらかっただろうが、最近、がんが小さくなったことを笑顔で喜んでくれたのを見て、これで良かったと思っている。(60歳代後半・女性)

 

 医師や看護師が声をかけてくれたり、優しく接してくれたことが、「治さなければ」という気力につながっていたと語る方もいました。

 

声を掛けてもらうとか、やさしい人たちに接したら、治さなければだめだという気力が沸き起こってくる。(60歳代後半・男性)

 

 がんの治療では、入院や通院などが長期にわたる場合があります。インタビューでは、医師や看護師とのつきあいが長くなってくると、お互いの理解が深まっていくことが語られていました。

 

1年も通うと、緊張感がなくなり医師と話がしやすくなった。(60歳代前半・男性)

 

最初はとっつき悪かったが、ジョークを言ったり、からかったりできる関係になった。(50歳代前半・女性)

 

 診察について、複数の方が、患者の話をもっと聞いてほしいという思いを語っていらっしゃいました。患者としては、検査の結果に表れない症状や気になっていることを話したいと思っているとのことです。医師が、検査結果だけを診て大丈夫だと言ったり、積極的に治療のことを説明したりするだけで診察が終わってしまうことへの不満の気持ちが語られていました。

 また、入院生活の中で、医療者のアドバイス(指導)が一貫しておらず、とまどった体験も語られていました。

 

医師と看護師のアドバイスが違っていて、とまどったことがあった。(50歳代前半・女性)

 

 また、入院中の医療者の何気ない言葉に嫌な思いをしたという体験も語られていました。ある方は、携帯電話を使用できるか質問したとき、看護師から「あ、だめだめ」と言われ、看護師の口調や態度がそっけなく感じ、嫌な気持ちになったそうです。言われていることがたとえ正くても、伝える側の口調や態度などが、受けとる側の気持ちに影響を与えてしまうこともあるようです。

 医師に対して気を遣うというお話もありました。主治医に何か言うと自分が粗末にされるのではないか、転院したことで気分を害してしまったのではないか、と不安を感じていることが語られていました。

 

主治医に何だかんだ言ったら自分が粗末にされるのではないかと不安で、気を遣う。(60歳代前半・男性)

 

 

 

 再発とは、「治ったと思われていたがんが、再び出現すること」、転移とは、「がん細胞が血管やリンパ管を介して、身体のあちこちに飛び火すること」です。大腸がんは、肝臓や肺・骨盤内に転移する場合が多いとされています。また、がんをとり除いた部位に再発がおこることもあります。 

 ここでは、大腸がんと診断されて治療を開始してから、再発や転移をした人の体験談をまとめました。

 今回のインタビューでは、再発・転移は症状があらわれてから発見されるより、むしろ大腸がんの手術の後の、定期的な検査を受けるなかで発見されていました。治療のカテゴリーのトピック<術後の定期検査>にも、術後の定期検査の大切さを語ってくださった方の体験談をご紹介していますので、あわせてご覧ください。

 

 再発・転移の診断は、始めからはっきり再発や転移が診断される場合と再発・転移の疑いが説明されて、経過を見られる場合があるようです。今回インタビューに応じてくださった人の中には、転移の疑いがあると説明され、抗がん剤治療を受けながら経過を見ている方が複数いました。

 

大腸がんと同時に肝臓に転移が見つかり、その後子宮にも腫瘤が見つかり炎症といわれているが、がんに移行するかもしれない。(60歳代後半・女性)

 

・手術後約1年経過した。今度はCT検査で肺転移の疑いがあるといわれて、今は抗がん剤を続けて様子を見ている。症状は全くない。(50歳代前半・男性)

 

 手術の1年半後の検査で転移の疑いがあるといわれて、他の病院で詳しい検査を受けた結果「がんは無い」と一度は否定されたにもかかわらず、その後の検査で肺への転移が発見されたた方もいました。

 

・PETでは、がんはないと言われたが、その2カ月後にCT検査で左と右の肺転移がわかった。(60歳代前半・男性)

 

 その他、はっきり転移と診断はされませんでしたが、手術の時の「がんの取り残し」という説明を受けたと語られる人もいました。

 

・他の病院にPET検査を受けにいき、リンパ節に影が見つかった。主治医からは転移ではなく、手術の時に取りきれなかったと説明を受けた。(50歳代後半・男性)

 

 更に、外科手術の後の詳しい検査の結果、手術前の診断とは異なる場合もあるようです。手術前には盲腸の手術をすると思い手術を受けましたが、退院後20日目の診察の際に、お腹全体にがんが広がった播種(はしゅ)転移であったことを知らされた方もいました。

 

・盲腸の手術をうけたつもりだったが、退院後に虫垂がんであったこと、既に「播種(はしゅ)転移」をおこしていることを告げられた。(60歳代前半・女性)

 

がんの治療は一般的には、5年を目途に治癒と判断されていますが、今回インタビューに応じてくださった方の中には、はじめて大腸がんの手術を受けてから、7年目に肝臓への転移がわかった人もいました。

 

・初めのがん治療後7年目に、CT検査で肝臓に転移していることがわかった。(60歳代前半・男性)

 

 

 がん治療を受けている人の多くは、再発や転移の不安のある中で日々を過ごされています。そして、再発や転移がわかったときには、多くの人が「なぜ」と思ったりショックを受けたりすることもあると思われます。ここでは、再発・転移を告げられた時の思いをご紹介します。

 なお、大腸がんの診断を初めて受けると同時に、転移を告げられた人の語りは、【発見】<がんと診断された時>の項でご紹介していますので、ご覧ください。また、再発・転移を知らされて、その後どのようにがんと向き合っていくかということに関する語りは、【がんと向き合う姿勢】のトピックでご紹介していますので併せてご覧ください。

 

 がんの転移が疑われても、自覚症状があらわれないこともあります。がんは、目に見えないから、どう対応してよいか誰にも分からないという気持ちを語ってくれる方がいました。

 

・がんは見えないから、どう対応したらいいか分からないし、色々考えても仕方ない。(50歳代前半・男性)

 

再発や転移は、いつ発見されるか分からないといった不安があります。そういった中で、再発や転移を知らされて驚いたり、ショックを受けたりしたと話される方が複数いました。

 

・3か月前にはなかったのに、少しの期間で大きくなっているとビックリした。(60歳代後半・女性)

 

・再発はないと言われたのに再発があった。これで終わりかなとショックだった。(60歳代前半・男性)

 

 一方、最初の手術後7年目に肝臓への転移が発見された方もいました。その時の気持ちを、大抵の人は再発や転移が発見されることを怖がりますが、早く発見して治療をしようという前向きに生活されて積極的に検査を受けたと語られています。

 

・転移を告げられたときは、早く発見して治療すれば、早く治るという前向きな気持ちだった。(60歳代前半・男性)

  

 

 インタビューの中では、がんの経験者という立場から、医療や青森県に対する要望や期待についてもお話しいただきました。また、現在治療を受けている方や、将来がんになるかもしれない人々に対する助言や励ましなども、聞かせていただきました。今回のインタビューに応じてくださった方たちからのメッセージを、このトピックの中で発信したいと思います。

 

 

医学・医療に対する要望

 がんになって出会う様々な困難の中には、現在の医学界や医療保健制度に由来する問題も含まれます。インタビューでは、こうした問題点の指摘とともに、要望や期待について語られました。具体的な改善の希望を語られた3人の方のお話をご紹介いたします。

 

・病気になると不安になるので、気軽に相談できるようなところがあるのはいいと思う。かかりつけ医もいた方がいい。(50歳代後半・男性)

 

・がんに関する情報をもっと公開してほしい。抗がん剤の認可にかかる時間を短縮してほしい。(50歳代前半・女性)

 

・小腸の方まで検査をしてくれていたら、もっと早く見つかったはず。今後は小腸も検査の対象に入れてほしいと個人的に思う。(60歳代後半・男性)

 

 

県に対する要望・期待

 青森県は、人口に対するがんによる死亡者の数が全国で最も多く、がん検診の受診率は全国平均以上ではあるものの、3割にも満たないことがわかっています。(厚生労働省(2008年)「平成18年度地域保健老人保健事業報告の概況」より)

 インタビューでは、受診率を上げるために、青森県が積極的なはたらきかけをしてほしいという要望が語られました。また、経済的な対策を頑張ってほしい、ホスピスを増やしてほしいといった期待も聞かれました。がんで亡くなる方を減らすために、がん患者がよりよいケアを受けるために、県に対する期待が大きいようでした。

 

・がん検診の受診率が上がるように、他県の制度も参考にして県が工夫をしてほしい。(50歳代前半・男性)

 

・経済的な問題で十分な治療を受けられていない人がいる。県として経済的な問題に取り組んでほしい。(60歳代後半・男性)

 

・今は、近くにホスピスがない。通っている病院にもホスピスを設置してもらいたい。(60歳代後半・女性)

 

 

がん患者へのメッセージ

 インタビューでは、他のがん患者の方たちへのメッセージも語られました。ご自分のがん経験を通して、こうした方がいいと自分は思うといった助言や、自分も大丈夫だったからきっと大丈夫といった励ましなどを、ここでご紹介いたします。

 

・以前は、がんになったら終わりというイメージを持っていたが、今は、再発しても、こうして無事な自分を見なさい、大丈夫、と言いたい。(60歳代前半・男性)

 

・医師を信じること、早く治したいという気力をもつことが大事。(60歳代後半・男性)

 

 

 ここでは、どのように子宮がんの徴候に気づいたのか、受診をするまでに、どのように感じて行動したのかについて、体験者の声を紹介しています。

 

 子宮がんの発見には、自分自身で異常を自覚した場合と、検診で異常を指摘された場合がありました。子宮がんの主な症状は、不正性器出血であり、閉経後の出血のほか、閉経前では月経と無関係な出血、月経時に出血量が多い、おりものに血が混ざるなどが見られます。特に、子宮頸がんの初期の段階では無症状のことが多く、進行すると接触出血(性交渉後の出血など)を訴える方が多いようです。一方、子宮体がんは、病状が進行していない早い段階で出血をきたすことが多く、不正性器出血での発見が約90%と言われています。

*参考リンク:国立がん研究センターがん対策情報センター

 

 手記およびインタビューの中で体験者は、おりものの変化や不正性器出血など何らかの徴候を感じていました。しかし、なかには、自覚症状がなく、たまたま受けた婦人科検診で見つかった人や吐き気などの体調不良をきっかけに受診して発見される人もいました。このように、子宮がんの症状には個人によって大きな違いがありました。

 また、受診するきっかけやタイミングには、異常を感じてすぐに受診する人や人から勧められて受診した人、異常を感じながらも、孫の子守があるために受診する機会が持てなかった人など、個人差がありました。

 

不正性器出血・おりもの

 

・また生理かなと思ったら、それが出血しているんです。(50歳代前半・女性)

 

・微妙な出血は確かにちょっとあったかな(40歳代前半・女性)

 

・ある日突然、トイレで、ピンクのボールペンでシュッといたずらしたみたいにペーパーについたの。(テキストのみ)

(診断時50歳代後半、インタビュー時(2009年)は診断から15年)

 自分で気がついたのは、平成6年9月ころかな、ある日突然、トイレで、ピンクのボールペンでシュッといたずらしたみたいにペーパーについたの。 

 これはおかしいと思って婦人科の病院に行ったんですよ 。

 

・出血があったんですよ。最初は軽いおりもので、「あれ」と思っていましたけども(40歳代後半・女性)

 

 長らく不正性器出血があり通院していたにもかかわらず、医師より「検査は必要ない」「更年期による機能性出血」と言われ、体験者は更年期によるものと思い込んでいたところ、たまたま会社の健診で卵巣の異常を指摘され、別な病院を受診したことでがんが発見された人もいました。

 また、出血の症状があり子宮がん検診を受けときに「異常なし」と言われ安心していましたが、のちに症状が悪化して子宮がんが見つかった人もいました。体験者は不正性器出血について、年齢的な身体の変化と思いこんで安心していたことや、子宮がん検診の知識がなかったこと、結婚や出産の経験がないために、婦人科の病気を意識していなかったことが発見の遅れにつながったとの語りも聞かれました。

 

・米粒くらいの出血がありました(50歳代後半・女性)

 

・私は更年期なんだ、そのための出血なんだと私もそこで思い込んで(50歳代前半・女性)

 

・生理痛以外の痛みを感じたり、おりものが時々茶色になったりとの異常を感じていました(テキストのみ)

(診断時40歳代後半、インタビュー時(2009年)は診断から1年、子宮体がん)

 平成11年から会社で毎年健康診断を受けていましたが、婦人科検診がない時もあるので、乳癌・子宮癌の検診は平成12年から市内のクリニックで毎年受けるようにしていました。

 平成15年に腰痛などの体調不良があり、A病院の婦人科も受診しましたがホルモンの異常等はなしとの所見でした。

 平成18年3月にリストラに遭い、9月に転職するも、怪我のため12月に退職。18年9月に婦人科を受診し、内診等もしてもらいましたが、子宮も卵巣も異常なしとのことでした。

 再度就職できたのは平成19年の2月で、3月に会社で健康診断がありましたが、婦人科の検診はありませんでした。

 もともと、生理痛は毎回あり、 1・2日目は鎮痛剤を飲んでいましたが、この頃から生理痛以外の痛みを感じたり、おりものが時々茶色になったりとの異常を感じていました。

 平成19年度は会社の健康診断が行われないまま、平成20年3月解雇。血液検査や癌検診を含んだ健康診断は自費では無理だったのですが(国保ではなく社保継続のため)、婦人科は気になっていたので、平成20年3月31日に、いつものクリニックで子宮がん検診をしたところ、「精密検査が必要」との結果が送られてきました。前回の検診から1年半が過ぎていました。

 その当時のカレンダーを見てみると、腹痛とか「ドバドバ」とかのメモがあるのです。

 今になって思い返せば、平成18年頃は「もう閉経なのか?」と思うくらい生理の出血量も少ないし、日数も5日位で終わっていたのですが生理日以外の腹痛や出血、生理の2~3日目の出血が多いのが常態化していたのです。但し、多いと言ってもナプキンが1時間ももたないとか言うほどではないし、小さい血の塊が時々あるという程度でしたので、「出血が多い」との自覚が当時の自分にはなかったのです。腹痛については、クリニックの医師には「排卵痛だろう」と言われ、不正出血の件は誰も応えてくれなかったけど、自分では「そろそろ更年期だしいろいろあるさ」位に思っていましたので、市販薬で不快な症状が治まるかな― と思い、ラムールQを5月中ごろから飲み始めました。

 

 

無症状

 

・痛くもかゆくもない、出血もない、おりものもない、全然です(30歳代後半・女性)

 

 

体調不良

 

・何も全然前ぶれもなくて、夕方に帰ってきたときに、具合が悪くて吐いたんです。(50歳代前半・女性)

 

 

 ここでは、治療後の経過や定期検診に関する体験者の声を紹介します。治療が終了した後は、治療の後遺症の確認と、再発や転移の早期発見のために、定期的に外来受診が必要になります。通院の頻度は、治療内容やからだの状態に応じて変わりますが、手術後1~3年間は1~3ヵ月ごと、その後は半年から1年ごとが一般的です。患者さんによって違いはありますが、受診のときは、問診、内診、直腸診、血液検査、細胞診、超音波(エコー)検査、胸部レントゲン検査、CT、MRIなどの検査を行いながら、おおよそ5~10年間経過を観察します。

 

 

 インタビューでは、定期検診時の具体的な様子が聞かれました。体験者たちは、退院後、定期的に受診し検診を受けていることで、安心感を得ていました。特に、医師からの「大丈夫、異常ありません」という言葉が、何よりも心強くなれると語っていました。

 

・検診していることが私にとってはある程度の強み(40歳代後半・女性) 

 

・とにかく「大丈夫。これで再発しないから大丈夫だ」と言うまでとにかく通って、薬を飲みました。(40歳代後半・女性)

 

・血液検査をすると、次の検査のときまでわからないんですよね。血液検査してもし何かあったときはすぐお電話しますということにして。(50歳代前半・女性)

 

 

 子宮がん治療後の定期検診は、人によって違いはありますが、5年または10年たって終了していました。

 

・5年たったので、「おめでとうございます」って言われてね。(40歳代前半・女性)

 

・「10年以上たっているからいいでしょう」って言われました。(50歳代後半・女性)

 

・「あなたは安定期ですから、ここの病院には来なくてもよろしい」と(音声なし)

 今年の4月で「あなたは安定期ですから、ここの病院には来なくてもよろしい」と、お墨付きであるのか何だかわからないですけれども、言われまして、それで、今は個人の病院で半年に一遍、検診を受けています。

 

 

 医師からの「大丈夫です」という言葉に安心する一方で、再発や転移への不安をもち、より一層、自分の身体に気を遣っていました。卵巣を残している体験者は、特に再発や転移を心配して検診を心がけていました。また、子宮がんだけでなく、乳がんも心配して、定期的に検診を行う人もいました。

 

・良くなったとはいえ、まだお友達なので(30歳代後半・女性)

 

・まだ許されてはいない。(50歳代後半・女性) 

   

 

 

 ここでは、なぜ、自分ががんになったと考えているのか、そして、がんの再発や転移を予防するために、どのような体調管理をしているのかについて、体験者の声をご紹介します。

 

 体験者は、がんの診断を受けると、これまでの生活を振り返り、がんになった原因を探しはじめていました。そして、食生活や睡眠時間、運動習慣を改善するなど、今まで以上に身体に気を遣うようになったと語っています。また、免疫力を高めてがんに負けないからだ作りをしたいと考えていました。

 

 

体験者が思うがんの原因

 多くの体験者は、不規則な食習慣や睡眠習慣、ストレスが原因であったと語っていました。精神的にくよくよしやすく、ストレスを溜めやすい人は、がんになりやすいのではないかと考える人がいました。なかには、がん細胞は誰でも持っており、免疫力や体力が落ちた時になりやすいと考える人もいました。

 

・私たちが生きている限り、私たちの身体のどこかで癌細胞も発生し、ある条件が整えば劇的に増えてしまう。(音声なし)

 今は「がん=死」ではないと言われますが、完治が困難な病気であることに変わりがないと感じます。私たちが生きている限り、私たちの身体のどこかでがん細胞も発生し、ある条件が整えば劇的に増えてしまう。寿命との追い駆けっこであり、がんが増える条件を作らないように日々努力することしかできないような気がします。

 

・がんになり得るものはみんな持っているけど、どういうあれで発症するかは、それぞれの生活の環境でということだけれど、環境をどう変えたらならないのか教えてほしいですよ。(笑)(40歳代後半・女性)

 

・生活の不規則が病気をする原因だったって、今だとそういうふうに思えます(50歳代後半・女性)

 

・ストレスといえば聞こえはいいですけれども、自分でつくってしまったようなところがありますね。(50歳代前半・女性) 

 

・だれかが言っていたのは、「気を遣わなければがんにならないよ」って。(音声なし)

 だれかが言っていたのは、「気を遣わなければがんにならないよ」って。「わがままだとか、人の分まで気を遣ったりして、ストレスを抱え込むような人はわりかしがんになるんだよ」とかって笑い話をしていた人がいたけどね。それだけではないでしょうけど、何かやっぱり原因があったんでしょうね。それはわからないです。

 

 

体調管理

 体験者は、これまでの生活習慣を振り返っており、がんに負けないからだ作りをするために、さまざまな方法を実践していました。特に食事療法は自分なりに工夫をしており、玄米や野菜、鶏肉や魚を中心とした食品、薄味にした調理方法など、日々の食事を重視していました。

 

 

〈食事〉

 

・食べるものは意外と気を遣います。(40歳代後半・女性)

 

・何でも食べて、お仕事もできるようになりました。(40歳代後半・女性)

 

・このごろは食べ物とか飲み物に気をつけて食べています。(50歳代前半・女性)

 

・いろいろながんにならないための食事の仕方とか何とかって何も決まったものはないでしょうけども、一生懸命それにやっていこうと思ってやってきたわけです。(50歳代後半・女性)

 

 

 体験者のなかには、我慢することがかえってストレスになると考える人もいました。

 

・私、もともとお菓子とかも好きな人間なので、最初は我慢してたんですけれども、我慢するのもストレスになっちゃうので、そこそこ食べたりして、何でもストレスに感じないようにしてやっています。(50歳代後半・女性)

 

 

 子宮がんの手術後は、便秘になる場合が多いので、下剤を使用したり、ヨーグルトなどの乳製品をとったり、運動をしたりして、体調を管理していました。その他、風邪をひかないように、食事や衣類の調整をして身体に気を遣っていました。また、手術後の合併症や冷え性を予防する目的で、漢方薬を飲んでいる人もいました。

 

・子宮を手術してから、毎日下剤をかけているんですよ。(音声なし) 

 そうでないと便秘するの。だから、自分ではこの薬を10何年も飲んでるから、どこか悪くなるんじゃないかなと。それは覚悟をしています。 

 

・なるべくヨーグルトとか、毎日自分でつくったものを食べるようにしています。(40歳代前半・女性)

 

 

〈漢方薬〉

 

・この寒さがとてもこたえるようになって、最初は漢方薬を、手術をしてすぐに、癒着しないようにいただいていたんですけども

 この寒さがとてもこたえるようになって、最初は漢方薬を、手術をしてすぐに、癒着しないようにいただいていたんですけども、1年以上過ぎたくらいから、冷えの予防のためにそっちのほうの漢方薬をもらって、ずっと飲んでいましたね。

 

 

〈運動〉

 

・犬の散歩をしてあげたり、洗濯もなるべく、2階に洗濯場があるんですけども、2階に上がったり下がったり何回も、自分の運動だと思って歩いています。(50歳代前半・女性)

 

・太らないように、できるだけ体を動かして、食べるのもあまりおなかいっぱいにしないようにしようとか。(40歳代前半・女性)

 

 

 体験者のなかには、免疫力や自然治癒力を高めるために、イメージ療法を行ったり、岩盤浴に通ったり、気功を取り入れたりする人もいました。

 

〈免疫力〉

 

・やっぱり免疫力。だって、自然治癒力は自分が持っているものですよね。(50歳代前半・女性)

 

 

〈イメージ療法〉

 

・がんに対してのイメージ療法というのがあって、言い聞かせる。(50歳代前半・女性)

 

 

〈気功〉

 

・呼吸法を身につけたいなと思って、どこかに習いに行かなきゃと思ってNHKの講座を見たら、夜の部に「気功」というのがありまして、たった月2回ですけれども、自分に負担にならないなと思って、今もそこに通っています。(50歳代前半・女性)

 

 

 

 子宮がん治療を受けることによる経済的負担についてご紹介します。

 

 がん体験者の就労状況調査では、がん体験者の3人に1人は、転職・離職・失職、4割は減収という厳しい就労環境が浮き彫りになっています(がん患者の就労・雇用支援に関する提言,桜井なおみ他.2010)。

 

 

 インタビュ-でも、治療により仕事との両立が困難となり、収入が減るのに、治療による高額な支出が増えていることが語られました。また、抗がん剤治療の影響により脱毛が起こることからかつら代、リンパ浮腫予防のための費用、がんと闘うための体調管理、維持などにお金がかかることが語られました。

 

・仕事をしている身としては、仕事は休まなければならないし、収入はない、挙げ句の果てに支出はあるという状況に置かれます。(40歳代後半・女性) 

 

・本当に抗がん剤とか、高いお金がかかるでしょ。何とかならないのかなと思います。なぜ、がんだけ別なのかしらと思います。(40歳代後半・女性) 

 

・美容院のかつらは3万円くらいだからよかったけど。(音声なし)   

 美容院の(かつら)は3万円くらいだからよかったけども、あっち(デパ-ト)のはちょっと(高くて・・。)。取っておいて、うちの娘が、髪が抜けたという患者さんにあげるって1個持って行ったの。1個は家にある。「あんた、かぶる?」って言ったら、いらないって。

 

・がんをすればお金がかかります。あれも食べなきゃだめ、これも食べなきゃだめと言えば、お金に関係なく栄養をつけていました。(30歳代後半・女性)

 

 

 手記では、このように多くのお金が必要となりますが、医療者から治療費に関する詳細な説明がなかったため、戸惑いがあったことが記されていました。

 

・パンフレットには費用のことが書いてありますが、自分の入院や治療がどれだけの金額になるのかは、分からないのです。(手記より) 

 看護師から、入院に関する説明もありましたが、費用のことには、全く触れませんでした。パンフレットには費用のことが書いてありますが、自分の入院や治療がどれだけの金額になるのかは、分からないのです。いくら健康保険限度額認定の手続きをするとは言え、入院にかかる期間・費用の問題は、その日暮らしのサラリーマンには一番大きな問題なのです。

 お金を支払うアテがなければ、治療拒否だってありうるのです。安心して治療を受けるには、まずお金が必要なのです。怒りつつ、費用の質問をしたところ、目安となる金額を示してくれました。お金を払えない人にも治療を施す方針なのかもしれませんが、「この程度の費用がかかりますが大丈夫ですか?」程度の確認が必要だと思います。

 

 

 一方で、インタビュ-では高額療養費制度や民間の医療保険を活用していることが語られました。

 

 手術治療を受けた場合は高額療養費制度の適応となりますが、外来通院による抗がん剤治療の場合では、一定額に達せず、生活費や貯蓄を切り崩して治療費に充てていた人がいました。

 高額療養費制度については下記(厚生労働省HP)をご参照下さい。http://www.mhlw.go.jp/bunya/iryouhoken/iryouhoken13/100714.html

 

・退院してしまえば高額医療費までいかないけども、月に医療費が2万円、3万円と出るのが一番きついですね。(30歳代後半・女性)

 

 

 在職中の人は傷病手当金、他の人は民間の医療保険に加入しており、お金の面で家族に迷惑をかけないで済んだ、あるいはさほどお金に困らなかったと話していました。

 しかし、民間の医療保険への加入タイミング、歳をとることや病気既往に伴なう、保険料増額から、民間の医療保険を維持することが負担、あるいは見直したと語る人もいました。

 また、歳をとることにより公的医療保険が老人保健法の適応となり、従来の自己負担額が軽減され、民間の医療保険を解約した人もいました。

※現在は、平成20年より高齢者の医療の確保に関する法律が導入され、長寿医療制度が変更になっています。

 

・入院費はそんなにね、自分でそういうのを掛けていたからそんなに苦にならなかった。(50歳代後半・女性)

 

・入っていた保険が68歳になったら保険料がグンと高くなったんですよ。倍くらい払わなければならないもので、ちょっと馬鹿らしいなと思ってやめちゃった。(40歳代前半・女性)

 

・自分が病気したもので家族全部の、(民間の医療)保険を見直ししなければと思って、ただ無駄に掛けてもと思ったりしています。だからみんな直しました。(50歳代前半・女性)

 

 

 がんの進行度によって、治療内容が異なるため医療費にも違いが生じます。なかには、命はお金に代えられないと話す人もいました。

 手記からは、がんにより仕事を失なうことで、収入源だけではなく、社会的な自分の居場所がなくなることに危機や不安を感じていたことが記されていました。

 

・お金で命が買えるんだったら、何ぼでも出してもいいなとだれでも思いますものね(60歳代前半・女性)

 

・一人世帯なので、仕事を失うと収入源を失うだけでなく、社会的な自分の居場所も無くなることになり、退院しても気持ちが晴れやかではありませんでした。(手記より)

 私の場合は一人世帯なので、仕事を失うと収入源を失うだけでなく、社会的な自分の居場所も無くなることになり、退院しても気持ちが晴れやかではありませんでした。このときばかりは、主婦という立場のある人が少々羨ましく感じました。この不況の嵐の中、青森という土地で、病気を隠さないで就職できるのか、正直不安です。

 

 

 

 ここでは子宮がんと共存しながらどのように仕事や家事と両立してきたのかについてご紹介します。

 

 インタビューでは、子宮がんが発見されたとき、すでに9名の人がご結婚され、なかには小学生以下のお子さんを育てていた人がいました。そのため、退院直後は主婦業や母親業に支障をきたし、夫や子どもに申し訳なさを感じていた人もいました。しかし、家族や親戚などの支援を受け、体力的に無理がないように工夫していました。

 

・子供たちがいるとなおさら、こうしてあげたい、ああしてあげたいというのがありますでしょ。自分の思うようにできないというのは、すごくつらかったですよ。(音声のみ)

 帰ってきて家事をするのにまずしんどいという感じ。自分では(家のことを)したくても体力がないから、いい加減なところでやめてしまう。それが、子供たちがいるとなおさら、こうしてあげたい、ああしてあげたいというのがありますでしょ。自分の思うようにできないというのは、すごくつらかったですよ。

 

・重労働の仕事も何もないし、普段の家事ですよね。でも、1カ月くらいほとんど何もしないで、大事にされました 。(40歳代前半・女性)

 

 

 仕事に就いていた人は、病気になったとき、職場へどのように伝えたらよいのか悩んでいる人がいました。しかし職場の理解や配慮があり、退院後の仕事復帰は、体力や体調にあわせて徐々に身体を慣らしながら社会復帰していました。なかには、抗がん剤治療と仕事を両立していた人がいました。

 

・「いや、実はちょっとお休みをいただきたいんです」と恐る恐る聞いたら、「ああ、いいですよ」とお休みをもらえたんですよ。(50歳代前半・女性)

 

・初めは(病気のことは)内緒にしておいたんですよ。でも、さすがに手術をするときは、言わないと休みが取れないから 。(50歳代後半・女性)

 

・身体を慣らしなさいと言われて、3~4日間は半日くらいで帰って、次からは普通に働けるようになりました。(40歳代後半・女性) 

 

 

 なかには、医師の勧めやこれ以上病気を悪化させないように、仕事継続の意思があっても、退職した人がいました。手記からは、自分の意思と反して、治療の継続を理由に解雇されたという内容が記されていました。

 

・入院、検査をしているときはやめるとも何も届けなかったけども、自然にこうやっているうちに、最後に手続きをしてやめました。病気が病気だからやむを得なくやめました。(50歳代前半・女性)

 

・頑張って働きますといっても、やっぱり病気も悪化させるし、だから思い切って仕事を辞めた。(50歳代後半・女性)

 

・これ(仕事)を辞めなければこの病気はクリアできない、また再び(病気に)なると思って、辞めた。(50歳代後半・女性)

 

・社長は自分もがんであると言い、私の闘病に対しても励ましてくれましたが、最終的には2月末で解雇されました。(手記より)

 病気と入院の件を社長に報告したとき、社長は自分も胆癌がんであると言い、私の闘病に対しても励ましてくれましたが、最終的には2月末で解雇されました。

 その経過は次に述べる様なものです。1月29日になり、会社へは月末までの予定と話していた入院が、今後の抗がん剤治療で2週間の入院が更に3回必要になる旨説明する手紙を病院から書き送りました。退院後は一日も早く職場復帰したいという希望とお願いも書きました。ところが、それを受け取った会社はlヶ月前解雇通知にギリギリ間に合うと思ったのでしょう。私が不在の家に、 1月31日に解雇通知を持ち込んだようなのです。解雇通知には日付も社印もなく、有効性が全く怪しい文書でした。もともと福利厚生に関して法令遵守とは言い難い会社でしたし、入院中でしかも1月30日の抗がん剤投与で具合悪くなっている自分には、反論の機会も体力もなく、その通知を甘んじて受け入れるしかありませんでした。2回目の抗がん剤の入院前に、会社に顔を出しあいさつや退職の手続きについて話しました。2月末には退院するので、2月末以降に提出する離職票などにサインをする為に、3月頭に再度来社する旨を伝えました。しかしながら、3月になって会社に連絡し、指定された日に来社してみると、離職票は既に提出され、解雇の理由である就業規則とやらを一度も提示されることもなく、辞めたことになっていました。これも不当な扱いなのではないでしょうか。その会社への在籍は7ヶ月ありましたが、就労日数を満たしていたのは5ヶ月しかないとのことで、雇用保険も出ない結果になったのは重ね重ね残念なことでした。

 

 

 自己の体調と相談しながら長年主婦業を行なってきたことで自分の役割を果たし、自信を取り戻した人もいました。退職した人のなかには、家族と過ごす時間や患者会に参加する時間ができたことに喜びを感じていた人もいました。

 

・うちのことを一切やっているから感謝されています。やらなくなると、何か寂しくなる(40歳代前半・女性)

 

 

 一方で、新たに仕事を始めた人や運転免許書の習得など新しいものに挑戦した人もいました。

 

・5年たってなかったので、だから、ちょっとアルバイトに出ようかなと思って先生に聞いたんです(30歳代後半・女性) 

 

・もう(運転免許は)取れないと思って、本当に1回やめたんですよ。でも頑張って運転免許も取りました。(40歳代前半・女性)

 

 

 

 ここでは、体験者が「子宮がん」と打ち明けたとき、周囲の人たちはどのような反応を示したのか、そして、その反応や対応に対して、体験者はどのように感じたのかについて、体験者の声を紹介します。

 

 周囲の人たちに、がんイコール死という受け止め方をされたり、子宮がんで子宮を失くしたら女性ではないという見方をされたり、多くの体験者は、その反応に深く傷ついていました。また、自分が直接、話していない人にまで病気のことが伝わっていて、知らない人に「元気になった?」と声をかけられ、複雑な思いをした人もいました。また、親しい友人からの、なにげない一言に憤りを感じた人もいました。子宮がんに対する偏見があり、当時は、他人にがんとは言いたくなかったと語っていました。その他、周囲の目が気になって、温泉などで、裸になることに抵抗を示す人もいました。

 

・がんと言うと、本当に死ぬという感じで受け取られるんですよ 。(音声なし)

 自分で「がんだった」って言っても、ほかの人は信じないみたいで、「えっ、そうだったの」と言われるんだけれども。

 がんと言うと、本当に死ぬという感じで受け取られるんですよ 。

 

・子宮を取られたら女じゃないという見方をされます。(音声なし)

 今はそうじゃないかもわかりませんけれどもね。子宮を取られたら女じゃないという見方をされます。

 

・ただ、人の言葉は一番つらかったね。退院してからの言葉がね。(30歳代後半・女性)  

 

・やっぱり、病気をしてない人には言ってもわからないから、勝手なことや人を傷つけるようなことも言うでしょう。友達に言われたのが悔しかったんですよ。(50歳代前半・女性)

 

・知らない人に声をかけられるんですよ。「元気になった?」って。この言葉がきついんですね。(60歳代前半・女性)

 

・(温泉)やっぱり初めは嫌だったね、タオルで隠して入りました。(40歳代後半・女性)

 

 

 

 ここでは、がんを体験して、どのような気持ちの変化があったのか、そして、どのようなことを感じて生活しているのかについて、体験者の声を紹介します。

 

 

 体験手記やインタビューの中で体験者は、病気になって得たもの、教えられたものがたくさんあったと言います。また、これまで気づかなかったものを気づかせてくれた病気に感謝したいと考える人がいました。なかには、普通の暮らしがこんなにすばらしいことなのだということを病気から教えられたと言います。多くの人に支えられている命だからこそ、悔いのない生き方をしたいと考えて、自分の生き方を捉え直していました。

 

・病気をしたことによって、悪くじゃなくて、いい意味で、与えられたものだから、それを与えられたように受け止めていけばいいと思って過ごしていますね。(50歳代後半・女性) 

 

・気づかなかったものを気づかせてくれたのも、この病気のおかげかなと思って。(60歳代前半・女性)

 

・がんに感謝して、楽しく生きることができますと言えるまでになりました。(40歳代後半・女性)

 

・色々な人に支えられている命だからこそ、しっかりと生きる責任がある、長生きする必要もないけれど、悔いなく生きなくてはいけないと思わされている。(手記より)

 今回の手術や入院は、自分の人生の中では3番目に大きな痛みを伴う出来事であったし、色々な人に支えられている人生なのだと改めて思わされる経験だった。色々な人に支えられている命だからこそ、しっかりと生きる責任がある、長生きする必要もないけれど、悔いなく生きなくてはいけないと思わされている。

 がんになれば、常に再発・転移の不安がつきまとう。癌とひとりでは闘えない。信頼できる医師や医療スタッフ、そして先達であり戦友である病棟の友との交流。支えてくれる家族がいればなお心強い。そしてやはりお金。先々の不安を先取りしてもつまらない。再発・転移も覚悟して、今日の一日にできる限りのことをするだけだと達観してみる。マーカの値や日々の体調には多少ビクビクしていても。お金のこともいざとなったら、出家のようにあるいは、敬愛する雫石とみさんのように、身ひとつになって病と闘う潔い人生でありたいと思う。

 

・私は子宮がんになって良かったなと思います。(音声なし)

 私は子宮がんになって良かったなと思います。

 とにかく今を大事にして生きなきゃ。そうでないと、だれも明日のことがわからないんですもの。

 

 

 当時は、手術することを納得して受け入れたはずなのに、改めて自分に子宮がないことを思って、女性である自分に葛藤を抱く人もいました。

 また、身体の調子によって、元気になったり、落ち込んだりと気持ちが変化しやすいと語る人もいりました。

 

・やっぱりまだ、本当には受け入れられていない自分がいるんですね。(40歳代後半・女性)

 

・やっぱりくよくよしない、前向きに生きるということですね、それが何よりだと思います。(50歳代前半・女性)

 

 

 がんになって、自分自身の生き方や死についての価値観が変わったと語る人もいました。

 

・ピンピンコロリで、死ぬまでピンピンしてコロリと死にたいから。(笑)(50歳代前半・女性)

 

 

 一般に5年間、再発または転移がなく過ごせた場合、がんを克服したと言われています。

 インタビューでは、がんを克服した人が多くいました。体験者たちは、いつ再発や転移するのかわからないという恐怖や不安を抱えながら、現在まで生活してきたと語っています。

 

・自分では気をつけているつもりだけども、いつどういうふうになるかわからない(50歳代前半・女性)

 

・どうしたらいいのかなと。そういう不安がずっと、1年以上続きました(音声なし)

 がんの場合は特にね。いつほかのところに出るかわからない。そのときどうしたらいいのかなと。そういう不安がずっと、1年以上続きました。そういう思いで生きている人は多いんじゃないでしょうかね。

 

・絶えず常に頭のどこかでがんを考えます。そしてイコールで最悪のことを考えています。(60歳代前半・女性)

 

・転移が来るんじゃないか、何が来るんじゃないかと。卵巣がんは大変だっていうから、1つ残さないで全部取ってもらればよかったです(30歳代後半・女性)

 

・常に再発・転移の不安がつきまとう。癌とひとりでは闘えない。(手記より)

 がんになれば、常に再発・転移の不安がつきまとう。がんとひとりでは闘えない。信頼できる医師や医療スタッフ、そして先達であり戦友である病棟の友との交流。支えてくれる家族がいればなお心強い。そしてやはりお金。先々の不安を先取りしてもつまらない。再発・転移も覚悟して、今日の一日にできる限りのことをするだけだと達観してみる。マーカの値や日々の体調には多少ビクビクしていても。

 

 

 

 がん体験者達は、がんの告知から治療、そして現在に至るまでの間、多くの不安や苦しみを経験してきたと語ります。それと同時に、周りからの支えや病気の好転などによる励ましや嬉しさをも経験したと語る人も多く存在しています。多くのがん体験者は、そのような経験の中で、がんになる前とは違う考え方や思いを持つようになり、またそのような経験を一つの教訓として自分の中に位置づけ、人々に伝えていきたいと語る人もいました。そして、自分達の語りが役立つと嬉しいという言葉が多く語られています。ここでは、女性特有のがんを体験したからこそ、すべての女性に伝えたいという子宮がん体験者達のメッセージを紹介します。

 

 中には、他の人は自分のような体験をしてほしくないとの思いから、自分の失敗を教訓として伝えたいと語る人もいます。

 

・とにかく病気をした人が病気をしていない人に検診を受けるということを伝えていかなければいけないし(50歳代後半・女性)

 

 

 がんを告知されたときというのは、その部位にかかわらず、本人や周りにとってなかなか受け入れがたいものです。インタビューに協力してくださったがん体験者達も、かつては自分のがんを受け入れることができず、何度も人生をあきらめようとしたと語ります。しかし、今になっては、抗がん剤治療による副作用で髪の毛が抜け、手術によって子宮をなくしたとしても本当の自分は変わりなく、そこに存在していることを認めるのが重要であると語っていました。また、そのような辛さや苦しみを肯定的に捉えることで乗り越えることができ、だからこそ今の自分が存在していると自分を誇らしく語る人もいました。

 

・つらさを乗り越えると、気持ちから何から違ってくると思います(50歳代前半・女性)

 

 

 多くの人が、「自分はがんになることはない」という考えから定期健診やがん検診を受けないでいます。特に、女性特有のがんである子宮がん検診の場合、女性達は婦人科に行かなければいけないという事実に不安や迷いを感じることが多いです。がん体験者達は、告知される前の自分達もそのような安易な考え方や迷いを感じていたせいで、更なる手遅れをもたらしてしまったとの後悔の気持ちを語っています。また、多くの人々が自分たちのような後悔を他の人が経験しないためにも自ら検診を受けること、そして自分の体調管理に気をつけてほしいとのメッセージを伝えていました。

 

・自分の病気がどの程度のものか、そして、自分の現在の状態はどうなのかを知らないとだめだと私は思っています(40歳代後半・女性)

 

・早く検査して、早く治療したほうが日にちはかからないから、検診だけは受けたほうがいいとつくづく思います(50歳代前半・女性)

 

・規則正しい食事とか、軽い運動とか、大事だと思います(音声なし)

 だから、年配の方たちはふくよかな方が多いので、やっぱり少し体重を減らしたほうがいいんじゃないかなと思うんですよね。だから、規則正しい食事とか、軽い運動とか、大事だと思います。

 

 

 “定期検診や体調管理を怠けず、また手遅れさせず”といった「自ら自分の身体を守る」という考え方は、がんになった後も同じく重要であるように考えられます。ある人は、がんの治療にあたって、すべての決定を医師に任せっぱなしの患者にはなってほしくないと語ります。その代り、たとえば、自分のがんについてもっと勉強する、自分に合うがんの治療方法や体調管理法を工夫するなど、患者自身がより積極的に自分のがんと正面から向き合ってほしいとのメッセージを伝える人もいました。

 

・正しい情報を得ていかなければいけないと私は思います(50歳代後半・女性)

 

・患者さんがもう少し勉強してほしいなというのが願いです(40歳代後半・女性)

 

・自分で考えなきゃだめですよ(40歳代後半・女性)

 

 

 がんの告知を受けた際、周りに心配かけまいと、自分ががんになったことを秘密にしたがる人は少なくありません。インタビューに協力したがん体験者達も、最初はそのような考え方から、自ら自分を孤立してしまっていたとのことを語ります。がん体験者達は、自分たちもそうであったからこそ、周りに知らせたくない気持ちは共感できるとも語っています。しかし、がんとの闘いを自分一人で続けるのは、とてもさびしくて辛いことであり、むしろ、がんに勝つための助けにはならないとの語りもありました。また、自分のがんを周りに知らせることによって、周りとの新しい関係や援助をもらうことができたため、がんとの闘いの中で多くの励ましや力を得ることができたと語る人もいました。

 

・悩みは一人では解決できない場合もありますから(40歳代後半・女性)

 

・一人というのは寂しいですよ(40歳代後半・女性)  

 

 

 

 ここでは、子宮がん体験者が、パートナーや子ども、そして親族に対し、どのような思いを持っているか、そしてそれらの人々がどのように病気に対応したかについての語りを紹介しています。

 

 

パートナーとの関係 

 子宮がんの治療は、子宮や卵巣、卵管を摘出する方法が中心となるため、(手術治療のページ参照)その後の性生活を含め、パートナーとの関係に変化を及ぼす可能性があります。またがん体験者自身も、子宮や卵巣を失ったことで自分に対するイメージが変化する場合があります。心に様々な葛藤や心配を抱えながら、パートナーとの関係を築きなおしていく時、子宮がん体験者はどのような経験をしてきたのでしょうか。ここでは、パートナーが、がん告知をどう受け止めたか、またパートナーからの治療中のサポートや、治療後の性生活についての語りを紹介します。

 

 

 がんを告知され本人が精神的につらい時期、パートナーも同じようにショックを受けることがあります。中には夫が体調不良になったと語った人もいました。

 

・夫はすごく心配し落ち込んでいました(音声なし)

 (夫は)すごく心配したと思いますよ。落ち込んでいましたもの。先生にお話を聞くでしょ。明日手術ですからといって同意書みたいのを書くでしょ。そのとき、ショックであまり聞けなかったですよ。

 

・お父さんは天井がグルグル回ったって(50歳代前半・女性)

 

 

 闘病中、パートナーが病院にお見舞いにきてくれたり、家事を担ってくれたのが何より支えになったと体験者たちは語っています。そのサポートがあったから、がんになっても大丈夫なんだと感じたと言う人もいました。病気をきっかけに、これまでのパートナーの態度が変化したと話す人もいます。

 

・お父さんが家の中のことを全部、1から10までやってくれたんですよ。(50歳代前半・女性)

 

・夫の支えで、がんになっても大丈夫なんだなと感じました(40歳代後半・女性)

 

・夫は病気をきっかけに変わりましたね、もう全然(30歳代後半・女性)

 

 

 病気になったとき、必ずしもパートナーが初めから協力的であるとは限りません。最初は夫が入院に難色を示した、また終始夫が無関心だったと語る人もいました。

 

・「おれ、お正月に何食べればいいの?」って主人は言いました。(30歳代後半・女性)

 

・うちの旦那は丈夫な人で、病気にあまり関心ないんですよ(50歳代前半・女性)

 

 

 子宮を手術した場合の治療後の性生活は、ある程度の期間(通常1ヶ月から2ヶ月)制限されます。子宮や卵巣を取っても、性生活は変わらずに行えますが、初めは痛みや出血がある場合があります。また卵巣を取ると分泌物が少なくなって、摩擦による痛みが生じることもあるので、市販の性交用ゼリーを使うと不快感が軽減されます。以上のことをパートナーが理解し、体験者の気持ちと体を思いやることが必要です。(注1)

 

(注1)参考:国立がん研究センターがん対策情報センター

     「性機能障害とリハビリテーション」

 

 

 術後の性生活について、入院中医療者から説明を受けた人もいました。ある方は「副腎からホルモンが出る」と看護師から説明をされたと受け止めていました。女性ホルモンは主に卵巣から分泌されるので、看護師が何を伝えたのか正確にはわかりませんが、この方の場合は説明を受けたことが不安の軽減につながっていました。また、治療中、術後の性生活のことまでは考えなかったと語る人もいました。

 

・看護師さんがちゃんと説明してくれて夫婦生活は心配しないで帰ったんです(30歳代後半・女性)

 

・(術後の性生活について)聞きたければ教えますと病院では言われました(50歳代前半・女性)

 

 

 退院した後、性生活を再開するまでの期間は、今回お話を聞いた体験者の中でも1ヶ月から半年くらい、あるいは覚えていないと様々でした。ほとんどの人は、性生活再開後は、違和感なく性生活を送れたということですが、パートナーのことを思うといつも性生活を拒否ばかりはできないので、時に受け入れ、時に拒否し、工夫して生活してきたという語りもありました。また、子宮全摘すると周囲から「もう女じゃない」と見られるが、夫婦の間の愛情はそれには左右されないという人いうもいました。一方、全く性生活が無くなったという人もいます。これはがんになって手術を受けた時の年齢も関係している可能性があります。

 

・1カ月くらいは、先生がいいって言うまではだめだったんです(40歳代前半・女性)

 

・半年はもったいないから(体を)大事にしました。(その後の性生活は)拒否するときも受け入れるときもあります(30歳代前半・女性)

 

・(子宮や卵巣を)全部取ってるから体がもたないというか、要求してないんです(50歳代前半・女性)

 

 

 がんになって心配させたこと、また入院中家事などの苦労をかけたことについて、パートナーに申し訳なく感じていると語った体験者もいます。

 

・夫がエプロンかけて歩いていたとよその人から聞いて申し訳なかったと思いました(40歳代後半・女性)

 

・私ががんになっちゃったから心配かけて申しわけないなと思ったのは事実です(50歳代前半・女性)

 

 

 

子どもとの関係

 子どもにどのように病気を説明するか、そして子どもとどのように関わっていくかは、病気になったときの子どもの年齢によって大きく違います。今回インタビューした中で、子どもが小さかった人は、病名は詳しく伝えてはいませんでした。そして治療のために子どもと離れて入院するのが、何よりつらかったとを語っています。また子どもが、母親のいない寂しさを紛らわせるため、近くのゲームセンターに通っていたと話す人もいました。

 

・やっぱり、何がつらいと言われれば子供ですね。子供が小さいから、家に帰りたい(30歳代後半・女性)

 

・娘が寂しくてゲームばかりやりに行ってお金がすっからかんになったと(40歳代前半・女性)

 

 

 病気になったときすでに子どもが成人していた人たちは、病名を告げています。そして治療の間も子どもたちが大きな支えになってくれたと語っていました。娘から、具合が悪くなったら救急車を呼ぶようにといった冷静な助言を受けた体験や、子宮全摘が子どもを3人も生んだあとでよかったねと言われ、その言葉に納得したという体験を語った人もいます。

 

・私がいないと、料理なんかも息子がやるそうですよ(50歳代前半・女性)

 

・娘が、「私は忙しいから救急車を呼びなさい」って(音声なし)

 病気のときなんか、うちの娘がこう言ったんですよ。「具合が悪くなったら救急車を頼みなさい。私は忙しい。私が駆けつけても何の手助けもできない。医学的なこともわからないから、病院にお願いするのが一番だから、救急車を頼みなさい」って、そう言うの。「確かにそうだけれども、あなたは冷たいね」って。(笑)

 

・「お母さん、もう3人も子供を産んだし、子供も要らないし」って娘に言われたんです(50歳代前半・女性)

 

 

 また、自分ががんになったことで、娘もがんになるのではという不安を感じたという人や、娘自身が心配していると語った人もいました。がんの原因には、遺伝子の類似性と、生活習慣の類似性が関係しています。ほとんどのがんでは遺伝子的な要因は関係していませんが、全てのがんの中で5パーセント以下は「遺伝するがん」といわれるもので、遺伝性腫瘍・家族性腫瘍と呼ばれます。(注2)

 

(注2)参考:国立がん研究センターがん対策情報センター

     「人のがんにかかわる要因」

     「遺伝性腫瘍・家族性腫瘍」

 

 

・娘もがんになるのではという不安はすごく大きかったです(60歳代前半・女性)

 

・親や兄弟ががんになると似ているみたいでよくなるでしょう。だから、娘も心配しているんですよ(音声なし)

 やっぱり今、親とか兄弟ががんになると、似ているみたいで、よくなるでしょう。だから、娘も心配しているんですよ。今、40歳ですので、そろそろ検診をしなければなと言っているんですよ。

 

 

 

家族・親戚との関係

 ここでは、パートナーや子どもだけでなく、嫁、夫の妹、兄、姉、妹、がん体験者自身の親など、少し広い意味での家族・親戚についての語りや、特定の人を指さない「家族」という単位についての語りを紹介しています。

 

 

 血縁、そして姻戚を含む家族の支えは大きかったと何人かの人は語っています。親戚の見舞いが涙が出るくらい嬉しかった、息子の嫁が病気の相談に乗ってくれている、妹が医師の説明を聞いてくれた、入院中は同居の兄の妹が子どもの世話をしてくれた、また兄や兄嫁が食事療法に理解を示してくれたなど、サポートの提供者は様々です。病気を機に家族の絆が強くなったと語る人もしました。

 

・(子宮全摘して)女じゃないという気持ちになったけれど家族の支えがすごく力になりました(40歳代後半・女性)

 

・みんなから支えられてここまで生きてきました(50歳代前半・女性)

 

・病院に勤めている嫁に検査結果を見て判断してもらっています(音声なし)

 息子の嫁は病院に勤めているから、わりと話をするんですけども。

 また引っかかったから検査に行くとか、そういうのは言っていますのでね、家の人たちにも。検査の結果が引っかかってくるでしょう。再検査してくださいって。それもデータをみんな出してもらって、うちのお母さん(嫁)から見てもらっています。どこに行けばいいかなとか、内科に行けとか、外科のほうがいいとかってお母さん(嫁)が判断してくれるから。

 

・兄嫁も心配してくれたと思うんですけど兄が「自分で食事療法決めてるんだからそれもいいんだよ」って言ってくれて(50歳代前半・女性)

 

 

 一方で、身近な家族にこそ、心配をかけたくないのでつらいところを見せないようにし、治療の選択も家族の意見ではなく、自分自身で決めたいという語りもありました。高齢の親に病気のことを話していない人もいますし、家族を思えばこそ、負担になりたくないと考える人もいます。自分が死んだ方が家族は楽になるのではないかと治療中の切実な思いを語った人もいました。

 

・弱音を吐くと家族の者にも心配をかけるからなるべくそういう面を見せないような感じで過ごしました(60歳代前半・女性)

 

・私一人のおかげで(家族が)こんなに苦しむんなら、死んだほうがいいと思ったんです(50歳代前半・女性)

 

 

 

 ここでは家族や親戚以外の、周囲の人たちにがん体験者がどのような思いを持っているかを紹介しています。周囲の人たちとは、病院で同室になった人や、同病者グループ(がん患者会)のメンバー、知人、友人、近隣の人たちを含みます。

 

 

同室者との関係

 治療で入院中、ほとんどの人は同病者たちと同室で毎日を過ごします。同じ病気の人同士、自然と顔見知りになり、友人ができたと体験者は語っています。ある同室者とずっと行動を共にして助け合ったという人もいましたし、治療の副作用で白血球が減少し(副作用のページ参照—リンク)友達と離れ別室に移るのが、つらかったという人もいました。

 

・抗がん剤の人は同じサイクルで入退院するから大体顔見知りになる(50歳代後半・女性)

 

・ずっと行動を共にして、助けられて、さまざまです(30歳代後半・女性)

 

・友だちと別れるというのがつらかったですね(50歳代前半・女性)

 

 

 病院によっては、子宮がんだけでなく、乳がん、子宮筋腫などで入院する人と同室である場合もありますが、女性だけの部屋で、楽しく話をして励まされた、救いになったと体験者は語っています。同室の人たちとの語り合い、支え合いは、入院中の体験者にとっては、生活の大きな部分を占めていたようです。先に治療を始めた人から副作用についての経験を聞くことができ、「自分一人ではない」という思いを持ったという人もいます。子宮筋腫で入院した人に自分の病気を話し「気をつけてね」と伝えた人もいました。入院中に親しくなった人を自分が退院した後も訪ね、その後その人は亡くなったけれど、状態が悪い中での明るさに勇気づけられたという語りや、さらに退院後も連絡を取って集まったなど、同室者との関係がその場で終わらずに続いたという語りもありました。また同室者を家族と同じくらい大切な存在であると手記に記した人もいます。

 

・楽しいお話をして。だって、病気のことを忘れるもの、みんな同じ病気だから(30歳代後半・女性)

 

・私一人じゃない、みんなが(髪が)抜けているんだなと思いました(50歳代前半・女性)

 

・すごく明るい方でしたので私が退院した後もその方の病室に行って、いろいろなお話をしたことを思い出します(音声なし)

 励まされたのは、一番最初のがん(乳がん)がわかったときに、入院したときに、同じ病室に乳がんをやった方がいらして、すごい明るい方がいて。私が退院した後もその方はまた何回か入院したりしていたので、私は通院をしながら、その方の病室に行きながら、いろいろなお話をしたことを思い出します。最初にベッドに上がったときに明るかった、そのあれが、すごく印象に残っています、はい。そんなに悪くても、本当にその明るさで、そのときは勇気づけられましたね。

  

・退院してから年2回、みんなでどうしてるかということをおしゃべりしようと(40歳代後半・女性)

 

・私にとって、病棟の友は家族と同じくらい大切な存在であると思う(手記より)

 最初は、自ら病名を口に出すこともできず、不安な面持ちで周囲を観察していた私でしたが、癌という病を受け入れながらも、自分らしさを保ちつつ日々を過ごす姿一笑顔で挨拶したり、互いの病状を話して励ましあったり、情報交換をしたり、他愛のないおしゃべりで笑いあったリ、を見るうちに、だんだんと恐怖感も薄れていったのでした。

 入院中は不自由も多いが、同じ病棟で知り合った人達とは、病気のことを率直に語り合え、弱さも分かち合える。同じ痛みを知るもの同士の連帯感のようなものがある。きっと戦友とはこのような関係なのだろう。私はその人達を「病棟の友」と呼ぶ。正直、医師に「大丈夫」と言われるよりも、実際に苦痛を体験し乗り越えた病棟の友に「大丈夫」と言われる方が信じられるのである。病気のことは、家族であっても分かち合う事が難しいかもしれない。今回の入院で得たものの第一は命であると思うが、これからの私にとって、病棟の友は家族と同じくらい大切な存在であると思う。

 

 

 しかし、一方で、同室の人が副作用で苦しんでいるのを見たり、亡くなっていくのを見て不安になった、あるいは、同じ子宮がんでも治療の方法や進み方に差があり、他人と比較して悔しさや葛藤を抱えることがあったと体験者は語っています。

 

・同室の人が次々に亡くなって次は私かなと思ったりして(50歳代後半・女性)

 

・私より遅く入って私より早く退院していくんだもの、それの悔しかったこと(50歳代前半・女性)

 

・あの人は(治療に)行かなくてもいい、なぜなんだろうとか、そういう葛藤が出てきましたね(40歳代後半・女性)

 

 

 

患者会のメンバーとの関係

 多くのがん体験者達は、がんそのものとの闘いだけでなく、病院および治療法の選択など、がん治療過程における不十分な情報やそれによる精神的な不安、辛さとの闘いをも経験しています。がん患者会では、それぞれのがん発症部位は違うものの、がんとの闘いを経験している、または経験した人々が集まり、そこでの活動や交流を通して、がん治療過程における、または治療後の再発・転移を防止する体調管理に関する情報などを得ることができます。また、がん告知から治療後までの間、がん患者たちが経験し得る精神的な不安や辛さなどを緩和させることをもできます。

 

 ここでは、そのような患者会での活動や交流を通して、子宮がん体験者がどのような人間関係を作っているのかについての語りを紹介します。

 

 

 患者会によって、その特徴は多肢にわたっていて、それぞれのがん体験者にとっての患者会の参加状況は様々であります。しかし、患者会を知ったきっかけに関しては、新聞や知人・病院側からの紹介で患者会の存在を知ったという共通した語りが多く得られました。

 

・1年ぐらい前に新聞に載っていたのを見て、その半年ぐらい前に(60歳代前半・女性) 

 

・「A患者会」のB会長さんの新聞の投書欄のところに、「こういう会がありますけど、お話しませんか」というのが載っていたもので(40歳代後半・女性) 

 

・「こういう会があるんだけども入らない?」って、誘われたんですよね(40歳代前半・女性)

 

 

 患者会の情報を得た経緯において、多くのがん体験者が“周りからの紹介で”という点で共通しています。しかし、実際に入会することを決心したきっかけやその過程にあったっては、がん体験者によってそれぞれ異なった形で行われていました。中には、患者会に対して何の抵抗もなく、むしろ自ら望んで入られた人もいます。その反面、やはり最初は患者会に抵抗を感じ、入会を迷っていたと語る人もいました。

 

・別に抵抗も感じなく入ったんです(音声なし)

 こういう会があるから入らないかと言われて、別に抵抗も感じなく入ったんです。会のほうに入らないかと誘われたとき、何でも抑えておくことなくみんなに相談したり、その人の話も聞いたりしてもいいのかなと思って入ったんです。私は1年くらいしてから入ったと思いますよ。

 

・ほかにももっと情報を得たいと思って、患者会に入りたいと思って(50歳代前半・女性)

 

・私は嫌だから入らなかったんです(30歳代後半・女性)

 

 

 では、患者会とはどのような集まりであり、その中で、がん体験者たちは具体的にどのような活動を行っているのでしょうか。ここでは、それぞれのがん体験者達が所属している患者会の特徴および活動に関する語りを紹介します。

 自分が入っている患者会についてのがん体験者の語りから、患者会の活動は患者会メンバーの年齢と性別、そしてがん発症部位やその状態によって多様な形をとっていることがわかりました。

 

・今、進行中の人とかはあまりいなくて、もう元気な人がわりと多いんです(40歳代前半・女性)

 

・この会は年に何回も集まらないけれど会合では話し合います(50歳代後半・女性)

 

 

 多くの患者会は、がんに関する情報交換の活動、そしてそれらの情報をがん体験者だけでなく、体験していない人たちにまでも伝えていく宣伝活動を行っています。多くのがん体験者達は、このような患者会メンバーとの情報交換、宣伝活動を通してがんに関する情報の共有ができるようになっています。中では、そのような情報収集、共有の経験が自分にとって大きな支えとなっていると語る人もいました。また、そのような支えへの恩返しとして自分も情報交換活動の手伝いを頑張っていると語る人も多くいました。

 

・いろいろな人の話を聞いたり、体験を聞いたりしているから、そんなにビックリしないんですよ(50歳代前半・女性)

 

・いろんな方の話を聞くのも大事ですよね(50歳代前半・女性)

 

・がんを体験した方たちのお話が耳に入ることによって、自分の気持ちがどんどん癒されていって(40歳代後半・女性)

 

 

 また、情報交換や宣伝活動以外にも患者会メンバー同士で旅行に出かけたり、食事会を開いておしゃべりを楽しんだり、別個の患者会活動だけでなく、全国の患者会が集まって交流するなどの語りもありました。さらに、そのようなメンバー同士の娯楽活動が、大きい励ましや楽しみであるとの語る人もいました。

 

・6月に全国の「患者会」で北海道に行って来たんです(50歳代前半・女性)

 

・ワーッとしゃべって笑って帰ってくるから楽しみで (音声なし)

 私たちも行き帰りもワーッとしゃべって笑って帰ってくるから楽しみで、樋口さんの講演を聞いて、落語を聞いて、楽しみがありますからね。参加して、いいこと尽くしです。

 

・私の手料理で1日おしゃべりしようというのはずっと続いています。それは私も大好き。(40歳代後半・女性)

 

 

 患者会メンバーとの交流から、家族や親族、または病院側との関係では得られない癒しや励ましをもらっていると語る人もいました。このような精神的なサポートは、自分と同じくがんとの闘いを知っている同士であるからこそ気楽に話せること、そしてお互いその話に共感・理解できるという患者会特有の関係から来ているのではないかと思われます。実際に、患者会メンバーのことを“仲間”という言葉で表現し、心から支えにしつつされつつあることを語る体験者が、多く存在していました。

 

・会の友だちのほうがいろいろなことを話せて、気楽でいいですよ。(50歳代前半・女性)

 

・会の人のほうがしゃべりやすいから(40歳代前半・女性)

 

・やっぱり同じ病気だからこそ、話せるのかなと思うんです(50歳代前半・女性)

 

・何も飾らなくてもいい場所だから、特に言いたい放題言っていますからね、皆さん(40歳代後半・女性)

 

 

 患者会活動やメンバーとの交流から得られる情報交換や精神的なサポートは、多くのがん体験者にとって肯定的な変化をもたらしていました。がん体験者の中では、患者会メンバーとの交流を通して自分のがんを肯定的に受け入れることができるようになったと語る人もいます。また、中には、ある体験者は自分のがんに対して感謝できるようになったとも語る人もいました。

 

・病気をして良かったこともありますよ(30歳代後半・女性)

 

・前向きに生きなさいと言われましたね。それもそうだがもしれねなと考えるようになりました(50歳代前半・女性)

 

・いろんなことが、がんによって、結局、がんになったおかげで(50歳代前半・女性)

 

 

 では、がん体験者にとって患者会の存在やそのメンバーとの関係は、どのような意義を持っているのでしょうか。また、それぞれのがん体験者は、どのような思いを抱いて現在までそれらの関係を続けているのでしょうか。

 

 ここでは、がん体験者が語る、自分にとっての患者会の存在およびその意義、そしてどのような思いを抱いているかに関する語りを紹介します。

 

・入ってすごく幸せに思っております(60歳代前半・女性)

 

・だから患者会があって良かったなと思うし(30歳代後半・女性)

 

・グループの存在がすごく私には、ほかのお薬よりも一番効く薬だと思っています(40歳代後半・女性)

 

 

 

友人・知人との関係

 家族以外の友人や知人、また近隣の人に、病気について伝えるかどうか、どこまで伝えるか、体験者はそれぞれに考えていました。体験者がなぜ病気を伝えなかったか、また伝えた場合はどのように友人、知人に病気を伝えたかについての語りを紹介しています。また友人から得たサポートについて語っている人もいます。

 

 

がんと診断されたことを周りの人に伝えなかった、伝えたくなかったという人たちは、気を遣われたくないから、明るい話題ではないから、ぞれぞれの理由を語っています。

 

・「大変だね」と言って何か気を遣われるのが嫌なものだから、(病名を)言わないの。(40歳代後半・女性)

 

・私は本当にがんというのが嫌だったものね。がんと言えば明るくないでしょう(30歳代後半・女性)

 

 

 反対に、周囲に病気について隠さずに話している、人から話が伝わるより自分から言うことにしている、という人たちもいました。また、会社には病名を告げ説明する必要があったと手記に書いた人もいます。

 

・みんなにざっくばらんに言っています(音声なし)

 (がんを告知した後も周囲の人は)別に同じですよ。変わってないです。私も、自分の病気のことを隠しているわけじゃないから、みんなにざっくばらんに言っていますから。

 

・人から話が広まっていくよりも、自分で言ったほうがいいなと思って(50歳代前半・女性)

 

・会社に対しては、きちんと説明をする必要がありました。(手記より)

 会社に対しては、自分が有給休暇のない身分であるにも関わらず、10月は2回、11月は4回も通院で休んでいたので、きちんと説明をする必要がありました。病名を告げ、実際に開腹して調べないと詳しい事は分からないが、とりあえず1月末まで入院となるだろうと話しました。

 告知後も、仕事はこれまで同様に行い、年内は29日まで出社、年明けは3日、5日と仕事をし、6日から休みに入りました。請求書に関わる月末の処理は残さずにやって休みに入り、入院中会社から私に電話が入ることも、誰かが訪ねて来るようなこともありませんでした。

 

 

 がんと知った友人や知人から、いろいろな形で得たサポートを体験者たちは語っています。ある人は、友人たちが自分を病人としてではなく対等に接してくれたことがうれしかったと言います。またある人は、恩師が体を休めるよう助言してくれたと言っています。さらに、友人が料理を作ってくれたり、献血を申し出てくれたりといった実質的な手助けをしてくれたことに感謝している人もいました。(ただし、友人からの献血は検査等必要なため実現しなかったと体験者は語っていました。)

 

・全く同じく扱ってくれたのがうれしかったです。私を病人としてでなく(60歳代前半・女性)

 

・先生が私の肩をつかまえて「とにかく体を休めろ」と言われて(50歳代前半・女性)

 

・料理を作って持ってきてくれたり、娘の幼稚園のバッグをつくってくれたり。あれは絶対に忘れないです(30歳代後半・女性)

 

 

 

 新たに再発・転移による治療を受けることで多くの苦痛を体験していても、「今を生きている」ということに感謝している人がいました。 

 

 

・生きているだけでいいでしょう。(笑)生きられることはありがたいことです。だって、周りの人が次々に亡くなっていくんだもの。(音声なし)

 

 今はどうってことない。(笑)

 

 強い考えといっても、生きているだけでいいでしょう。(笑)生きられることはありがたいことです。だって、周りの人が次々に亡くなっていくんだもの。やっぱり、自分は生きれるんだなと思って。

 

 

 

 再発・転移の治療にも、手術、抗がん剤、放射線、ホルモン療法などが行われます。

 

 インタビュ-では、肺腫瘍があった人は、数年間の経過観察を得て、手術治療と抗がん剤治療を受けていました。また、新たに口腔内のがんや乳がんが発見された人は、切除手術や抗がん剤治療を受けました。皮膚がんの部分切除手術を受けた人からは、子宮がんの手術と比べて身体的に楽であったことが語られました。

 

・でも、今は、去年なんか手術しても、そんなには悲しまなくて。(手術の後)1種類だけだからと先生に言われて。それは2年半くらい飲んでいました。(50歳代後半・女性)  

 

・抗がん剤となったときに、私がすごくショックを受けて沈んでいる姿を見て、多分子どもたちもね……。(音声なし)

 抗がん剤となったときに、私がすごくショックを受けて沈んでいる姿を見て、多分子どもたちもね……。一旦3人で病室に帰ってきたんですけれども、「いいよ、あなたたち帰って」と言って(子どもたちを)帰らせて、その後、私は一人で沈み込みました。 

 

・皮膚がんのほうは、あ、大したことないという感じ。皮膚がんそのものを知らなかったでしょ。手術も簡単に部分麻酔で済みました。(40歳代後半・女性)

 

 

 

検査と診断

 

 ここでは、子宮がんと診断されるまでに受けた検査に関する体験者の語りを紹介します。

 わが国では、2004年より子宮頸がん検診の対象を20歳以上の女性に広げ、2年に1回の受診を推奨しています。一般的に「子宮がん検診」と言われるものには、子宮頸部と子宮体部の2種類の検査があります。

 今回のインタビューや体験手記では、子宮がんには頸部と体部のがんがあることを知らない人が多く、それが子宮がん検診にも影響していました。体験者たちは、子宮がんの知識が不足していたことで、がんの発見が遅れてしまったという後悔や憤りを感じていました。

 

・この体がんというのを知らなかったから、子宮を診てもらったら子宮全部がわかるものだと思っていたの。(50歳代後半・女性) 

 

・どのような検査があるのかも分からなかったので、医師に働きかけることもできなかったのです。(テキストのみ)

(診断時40歳代後半、インタビュー時(2009年)は診断から1年、子宮体がん)

 検診結果はⅢaだったらしいのですが、結果の見方も分からないし、説明も同封されていなかったので、自分がどのような状態なのかも分からないまま、不安な気持ちで4月(中旬)にA病院を受診しました。

 精密検査を期待して行きましたが、不正出血や腹痛の自覚症状を詳しく問診票に記入しているにも関わらず、エコーも血液検査もなく通常の子宮がん検診(頚部)を再度し、lヶ月後に来なさいというものでした。

 4月の結果はIでした。医師が変わり、結果の説明を詳しくしてくれ、3ヶ月ごとの検査をして経過観察をするとのことでした。しかし、改めて考えてみると、がん検診の結果には適切な対応なのかもしれませんが、問診票の内容には全く対応していないし、私も「癌ではなかったんだ」という安心感からか、自覚症状について訴えるのを忘れているのです。

 医師の対応には不満や不安がありつつも、自分自身も子宮癌の疑いをもつて自分を観察したり、子宮癌について調べることをしていませんでした。この時に、「子宮癌かも?」と思って、病気のことを少しでも調べていれば、「子宮体癌の検査もしてください!」と自分から医師に言えたのかもしれませんが、どのような検査があるのかも分からなかつたので、医師に働きかけることもできなかったのです。

 7月(中旬)に再来。医師は内視鏡で内診もしてくれたのですが、検査はやはり頚部の検査のみでした。当時の自分はまだ失業中で、身体のだるさや腹痛を感じながらも、就職活動第一で過ごしていました。

 8月(上旬)に結果を聞きに行きました。結果はⅢa。「次回には細胞の検査を詳しくしましょう」とのことでした。そして、10月(中旬)の再来。医師は初めて自覚症状について触れ、やはり奥も調べた方がいいと判断し、子宮体部の細胞検査をしました。

 10月(下旬)に結果を聞きに行きました。細胞は癌でした。

 

 体験手記やインタビューでは、「ひとに見られたくない」「結果を聞くのが怖い」という気持ちから子宮がん検診や受診に抵抗を感じる人がいました。

 

・婦人科は下を診てもらうわけですけども、それを自分で納得することがなかなかできない(50歳代後半・女性)

 

・結果を聞くのが怖い(テキストのみ) 

(診断時50歳代前半、インタビュー時(2009年)は診断時から7年)

 やっぱり健診した後の結果を聞くのが、良ければいいけども、その結果を聞くのが怖いというのもあったし、それを怖がっていれば受けられないかもしれないけども、今さら後悔したって遅いですね。

 

・子宮の病気とかになると、何となしに恐れを感じて行きたくないんですね。(40歳代後半・女性)

 

・女の人はあまり進んで行きたいところではないですよね。(40歳代後半・女性) 

 

子宮体がん検診を受けた体験者は、検査中や検査後に、腹痛や出血などの症状がみられたことを語っていましたが、個人によって、症状の現れ方や感じ方は様々でした。

 

・ものすごく痛かったです。(テキストのみ) 

(診断時50歳代前半、インタビュー時(2009年)は診断から4年、子宮体がん)

 あれは多分、体がんの検査だと思うんですけれども、ものすごく痛くて、家に帰るときも、車を運転してもお腹が痛いですし、本当はスーパーに寄っていくつもりが寄れないで家に帰って、30分横になりました。

 

 

・強い痛みはなく、多少の出血がありました。(テキストのみ)

(診断時40歳代後半、インタビュー時(2009年)は診断から1年)

 子宮体部の細胞検査をしました。「痛いと思いますが・・・」と言われましたが、強い痛みはなく、多少の出血がありました。不正出血と違い、鮮血でした。

 

健康診断で卵巣の異常を指摘され、確定診断のために手術で組織の一部をとり検査することで、子宮体がんが見つかった人もいました。

 

・開けてみなければどうかわからない(60歳代前半・女性)

 

 

 診断されたときの気持ち

 

ここでは、医師より子宮がんと告知を受けたときの気持ちとそのときの状況について、体験者の声を紹介します。

体験者たちは、医師による突然のがん告知に大きな衝撃を受けていました。告知直後は、頭が真っ白になって医師の説明を聞くことができずパニック状態になったり、もうだめかもしれないという死の恐怖と不安を感じたりしていました。

なかには、子どもを残して死んでしまうのかという母親としての思いも聞かれました。

 

・だめかなと。(テキストのみ)

(診断時40歳代後半、インタビュー時(2009年)は診断から30年) 

 (がんを)疑っていて、「あなたはがんです」と言われたとき、嫌でしたね。だめかなと。

 一番下が中1かな。だから、この子がまだ小さいのに死ぬのかなというのがまず一番先でしたね。

 

・とにかく真っ白になって、何が何だか全然わからなかったんです。(50歳代前半・女性)

 

・がんになったというのは、ショックですよね。(60歳代前半・女性) 

 

自分でがんの疑いを持ちながらも、医師よりがん告知を受けないまま、入院をすすめられ医療者の言動からがんと知ってショックを受けた人もいました。

 

・がんイコール死。もう帰って来られないかなと思う感じです。(30歳代後半・女性)  

 

2度にわたり乳がんを経験し、3度目に子宮がんが見つかった人は、最初の時とは違うショックを受けたと語っていました。

 

・「もうたくさんだ。何で?」という感じでした。(40歳代後半・女性)

 

子宮がんを経験して、その後、肺の異常を指摘された人もいました。

 

・初めはやっぱり悲しかった。でも、2回目に(肺がん)なったら、さすがに、自分でも度胸がついてケロっとしていたけど。(50歳代後半・女性) 

 

長い間、婦人科に通院しており、定期的に子宮がん検診を受けていたにもかかわらず、別なルートでがんが見つかった人もいました。そのため、体験者は、子宮がん検診や医師への不信感を募らせていました。

 

・頭の中で、えっ、頸がんって何ですか、がん検診はがん検診じゃないんですか。(50歳代前半・女性)

 

医師によるがん告知や説明のされかたによって、前向きに受け止める人もいました。

 

・先生にも、「あなたは本当に運がいいですよ」って言われてね。こんなに早く見つかる人はめったにいないですって。(40歳代前半・女性)

 

・とにかく治るって言われたのが頭にあるから。(50歳代前半・女性)

 

婦人科に受診して検査前の段階で、突然、医師よりがんを告知された人もいました。告知を受けた直後は、「ここで人生が終わってもいい」と思うこともあったようです。また、がんになったことで結婚など女性としての生き方についても考え直す機会になっていました。

 

・一瞬にこれで人生が終わってもいいってそのときに思ったんですね。(50歳代後半・女性)

 

 

病院・医師の選択

 

 どこの病院にかかり治療を受けるのか、自分にとって納得のできる治療を提供してくれる医師をどうやって選んだらいいのかについては、患者にとって非常に重大な問題です。

 ここでは、インタビューを受けた人たちが、どのように治療する病院や医師を決めたのかについて紹介します。

 インタビューでは、検診で異常が見つかると、個人病院を受診後、総合病院を紹介されるというケースが多く聞かれました。体験者たちは、地域的に治療する場所が限られているため、あまり病院の選択肢がないことや、治療後の通院環境や家族のサポートを考えて、自宅から近い病院を選択していました。

 

・地方ですと、病院は限られています。(40歳代後半・女性) 

 

・やっぱり、自分で通える近いところがいいということで、A市のD病院で手術しました。(テキストのみ)

(診断時50歳代前半、インタビュー時(2009年)は診断から7年)

 そこで10日くらい、いろいろと検査をしたけども、やっぱり大きい病院に行ってもう少し詳しく調べたほうがいいということで、そこで撮った写真を持って大きい病院に行って、さらに詳しく調べてもらったんです。

 初めに行った個人の病院の先生が、どこの病院がいいって聞かれたんです。やっぱり、自分で通える近いところがいいということで、A市のD病院で手術しました。

 

・早いほうがいいって言われて、B病院がいいかなと思って、そちらへ行ったんですよね。(40歳代前半・女性)

 

・やはり遠くのほうに行けば、娘の仕事があるため、なかなか来れないでしょう。(50歳代後半・女性)

 

・遠いところに行くと、家族にも負担がかかるわけでしょ。(60歳代前半・女性)

 

 体験者たちは、主治医を信頼してその方針に従っており、他の医師に相談しようとは思わなかったと語っていました。しかし、なかには、自宅から遠く離れた病院であっても評判のいい先生を求めた人や、主治医の治療に疑問を感じて苦渋の選択のもと、夫や友人からの後押しもあり別な病院を受診した人もいました。 

 

・距離はあるんですけれども、だけども、先生は、F病院にはいい先生がいないから、自分の知っている先生がE病院にいて、その先生に紹介状を書いてあげるからって。(テキストのみ)

(診断時50歳代前半、インタビュー時(2009年)は診断から13年)

 まだ早いから、今のうちだったら治るから、どこか大きい病院を紹介しますと言われて、E病院に行ったんです

 距離はあるんですけれども、だけども、先生は、F病院にはいい先生がいないから、自分の知っている先生がE病院にいて、その先生に紹介状を書いてあげるからって。今のうちだったら治るから早く行きなさいって言って、私がいる前で先生に電話してくれて、ちゃんと紹介状を書いてくれたんです。それですぐに行ったんです。

 

・病院を変えて、別な産婦人科に行ったんです。本当に意を決して。(50歳代前半・女性)

 

・セカンドオピニオンとは、第2の意見、つまり、患者が現在かかっている医療機関から提供されている医療行為(治療法のみならず、主治医の診断も含まれる)に疑問を感じ、納得のために別の第2の医療機関を受診して求める意見をいいます(医学大辞典)。さらに、それは、医者をかえることではなく、 主治医との良好な関係を保ちながら、複数の医師の意見を聞くことであるという考えもあります(セカンドオピニオンネットワーク)。

インタビューでは、体験者たちは、医師との関係の善し悪しではなく、単純に第2の意見を求めることであると捉えていました。その一方で、病気をするまでセカンドオピニオンについて知らなかった人もいました。

 

・(セカンドオピニオンについて)全然そういうことを聞いたことがなかったんです。(テキストのみ)

(診断時50歳代前半、インタビュー時(2009年)は診断から7年) 

 (セカンドオピニオンについて)全然そういうことを聞いたことがなかったんです。病気になってから初めてこういう言葉を聞きました。

 

・私が手術したころはセカンドオピニオンも何もなかったです。(テキストのみ)

(診断時30歳代後半、インタビュー時(2009年)は診断から31年)

 私が手術したころはセカンドオピニオンも何もなかったです。それこそ、この田舎じゃ通用しませんよ。東京と違いますよ。だから、もし何かあれば今は使いたいです。

 

 

治療法の選択・意思決定

 

 治療法は、がんの種類や大きさ、広がり方、悪性度、再発のリスク、年齢、合併症の有無、患者さんの置かれている生活環境によって、異なってきます。特に、子宮がんの治療の場合には、命の問題だけでなく、治療後の後遺症、妊娠や出産など、女性としての生き方にも大きな影響があります。ここでは、体験者がどのように考えて治療を選択したのかについて紹介します。

 

体験者たちは、早くがんをとりたい、早く治りたいという思いから、体験者たちは手術治療を選択していました。なかには、がんになってしまったことを運命として受け入れて、これから自分がどうすべきかを冷静に考えて、医師を信頼して手術を決めた人もいました。また、医師から「今のうちなら治せる」という説明を信じて、全く不安を感じることなく手術治療を受けいれていました。

 

・とにかくここでやってみようと思って先生を信頼して受けることにして手術をしましたね(50歳代後半・女性)

 

・迷わなかったんですよ。今のうちだったら治るって先生に言われたものだから、それを信じて行ったものだから、全然、心配はしなかったんです。(50歳代前半・女性)

 

子宮がんやその治療法の知識がないことから、医師にすべてお任せするという人もおりました。

 

・かえって、その知識のなさが、先生の言うとおりにしようという感じでした。(40歳代前半・女性) 

 

当たり前に医師の治療方針に従う体験者がほとんどでしたが、なかには、治療法の選択は、ひとの意見に左右されず、自分のことは自分で決定したいと、しっかり医師に意見を伝えて治療法を決定した人もいました。

 

・自分のことは自分でちゃんと生きてきた証として、自分のことは自分でケリをつけたいと思います。(60歳代前半・女性)

 

当時(約30年前)、医師からのがん告知はされずに、ただ「こどもを産んでいるんだから(子宮を)取ってしまった方がいい」と説明されて、自分もがんを疑っていたので、早く手術したいという思いで違和感なく手術を受け入れた人もいました。

 

・病気で早く取ったほうがいいのかなと思って、全然、違和感なく手術はしました。(30歳代後半・女性)

 

がんの告知の際、心の準備がないままに手術治療しか選択方法がないと医師に言われて、ショックを受けたと語っていました。

 

・いきなり手術という治療法しかないことにショックを受けました。(テキストのみ)

(診断時40歳代後半、インタビュー時(2009年)は1年、子宮体がん)

 11月6日にMR I、11日にCTを撮り、14日午前に婦人科外来で確定した診断を告げられました。医師は「12月2日に(子宮と卵巣の全摘出十α )手術しましょう」と言いましたが、こちらには心の準備もないし、入ったばかりの会社は、11月末に人が辞めるので月末の処理が大量になることが必至であり、12月15日には姪の結婚式に出席の予定もありました。とりあえず、「12月15日に姪の結婚式があるので、それ以降にしてもらえないか」とお願いしました。医師はあれこれ考えて手術日を翌年1月13日と決め、入院は1月7日からと言いました。

 この間まではⅢaという結果でも大した検査をしていなかったのに、癌が確定したとたんに子宮も卵巣も全摘出の手術になるとは、全く受け入れがたい感じがしました。まずは薬などの治療があるものと思っていました。私は自分の意志で独身で、子供も生む機会もなく、47歳という年齢にもなっていたので、子宮と卵巣を摘出してしまうことに大きな抵抗感はありませんでしたが、いきなり手術という治療法しかないことにショックを受けました。

 

抗がん剤治療については、その副作用の恐怖から抵抗感が多く聞かれました。なかには、がんを薬で治したいと思う人もおりましたが、医師より手術しか選択肢がないと言われ、覚悟を決めて手術治療を受け入れたと語っていました。

 

・「私、抗がん剤やらないと思います。食事療法をやると思います」(50歳代前半・女性)

 

・「お薬とかの治療はないですか」と言ったら、「これは手術したほうがいいと思います。薬はないですね」と言われた(テキストのみ)

(診断時40歳代後半、インタビュー時(2009年)は18年、乳がんも発病)

 結局、個人病院で、「こういうあれですから、多分、手術ということになると思いますよ」と言われて、「お薬とかの治療はないですか」と言ったら、「これは手術したほうがいいと思います。薬はないですね」と言われたので、「私がかかっているところがありますので」と言ったら、「そこに紹介状を書きますから、そっちに行ってください」と言われたので、それも結局、1カ所だけでなく、2カ所通過しているので、紹介状を書かれたほうの病院で、そうだって言われて結果が出ましたので、やっぱりそうかという覚悟ができました。そこで手術をやるという頭は最初からありました。

 

抗がん剤治療については、家族と相談して治療方法を決めた人もいました。

 

・病院にいたほうがわ(私)も安心だじゃ。(50歳代前半・女性) 

 

 

 手術治療を受けるときの思いや手術後の回復時の様子、後遺症・合併症についてご紹介します。

 

 初期の子宮頸がんで病巣がごく小さい場合、子宮頸部の組織を円錐上に切除する方法がとられ、2~3日程度の短期入院となります。しかし、多くの場合、全身麻酔をかけ、子宮、卵巣、卵管を摘出します。同時にリンパ節も切除することがあります。この場合、入院期間は1週間から3週間程度です。

 

 インタビューでは女性の象徴となる、子宮を切除することで生じた葛藤が語られました。しかし、「よくなるために、手術を受ける」という思いも語られました。

 

・(子宮を)取ると言われたときはショックだったけども、やっぱり(子宮を)取ったほうが安心だと思いました。何となく女でなくなるような感じに思って。(文字のみ)

 やっぱりそのときも手術は怖いというか、中のほうを全部取ってしまうと先生が言ったんです。(子宮を)取ると言われたときはショックだったけども、やっぱり(子宮を)取ったほうが安心だと思いました。何となく女でなくなるような感じに思って。でも、そのほうがいいって先生に言われて、(子宮を)取りました。

 

・先生が言うように、あってもなくてもいいような、もう役目がないのであったら、なくて軽くなったほうがいいのかなと、だんだんプラス思考に考えるようになりました。(60歳代前半・女性)

 

・がん、がん、がんが頭に来ていまして、先生が言わなくても自分でそう思っているから、もう手術して、元気になりたいということだけでした。(30歳代後半・女性) 

 

 

 実際の手術では、手術室に入った後の記憶がなく、無事に手術が終わり、目が醒めたとき、生きて帰ってきたことに安心したという人がいました。なかには手術直後一時的に集中治療室や回復室で過ごした人もいました。

 

・終わって目を開けたら、あ、生きて帰って来たって思いました。(50歳代前半・女性)

 

・回復室に2日ほどおり、その後個室へ移動し、歩行ができるようになりました(手記)

 術後は回復室に2日ほどおり、その後個室へ移動し、歩行ができるようになり、リンパ液の左右のドレーンが抜けて、19日(術後6日目)にようやく6人部屋に戻ってきたのでした。手術前とは別の部屋なので初めての方々ばかりでしたが、個室で白い壁を見ている状態から開放されて、ホットしたものです。

 

 

 一方で、子宮がん手術の場合、手術による肺や腸への影響を最小限とするため、手術翌日より歩行を促がされることが多くあります。特に胃や腸の手術と比べると食事開始時期が早いため、早期に腸の動きを活発にさせることが必要です。

 

 インタビューでは、手術後痛みを我慢したこと、初めておならが出るまで苦しい思いをしたこと、手術後初めて歩いたときのことなどが語られました。

 

・手術の後は、痛いのは痛いんですよ。だけども、痛み止めはあまりしないほうがいいですよと言われて、あまり痛み止めをやらなかったんです。(50歳代前半・女性)

 

・傷の痛さよりもガスが出ないのが苦しくて、ベッドの上で転げ回って、「傷口が開かないのかしら」ってみんな心配するくらい。苦しくて寝ていられなかった。(40歳代前半・女性)

 

・(手術によって)あるものがなくなってしまえば、何かペタンと力が入らないんですよね。とにかく、1週間くらいはベッドから動くことができなくて。(40歳代前半・女性) 

 

・手術の直後は傷が痛いし、ベッドから出ることもできず、点滴も始終しているので、動きが制限されて本当に体中の筋肉が凝り固まってしまって(手記)

 手術の直後は傷が痛いし、ベッドから出ることもできず、点滴も始終しているので、動きが制限されて本当に身体中の筋肉が凝り固まってしまって、「マッサージ師を呼びたい!!」と本気で思っていました。動けるようになってからは、傷が痛まない程度に脚の屈伸や身体のストレッチをしました。肩回しなどは、肩こりの解消にもなるし、リンパの流れも良くしてくれるので、知らずにやっていたこととは言え、良い効果があったかもしれません。医師から安静の指示がない限りは、工夫して身体を動かして、退院後の生活に支障ないように備えたいと思いました。

 1回目の入院の時は、日常動作以外であまり動き回ると疲れを覚えたので、1日病棟1周くらいしか歩けませんでした。

 

 

 手術の影響で、腸と腸がよじれ、腸の近くの臓器などにくっつき、腸が締めつけられることでおこる腸閉塞があります。そのため、日頃から排便習慣をつけることが大切となります。

 

 手記では、手術後の食事に対する対応が記されていました。腸閉塞の手術をした人からは、医師よりあと1時間遅かったら、命はなかったと説明されていました。

 

・子宮を取ったらどうなっているんだろうなと思って、ちゃんと縫っているんだそうです。知らない人は穴があいているんじゃないかと言うけども、ちゃんと縫っているそうです。(30歳代後半・女性)

 

・「何を食べても大丈夫」という医師の言葉は5割引きで聞いて、あくまでも自分のお腹と相談して食べ方に気をつけました。(手記)

 私の場合は準広汎での手術でしたので、大腸から引き剥がす部分があったためなのか、腸の働きが悪くなりました。口からは食べられるのですが、なかなか消化が進まないのです。重湯から始まって三分、五分、全粥、1週間位で普通食になるのですが、普通食メニューは術後の人のためのものではないので、自分のお腹と相談しながら食べないと、お腹のトラブルが起きます。

 私の場合は、10日目のカレーが自分には辛過ぎて下痢になってしまいました。また、海藻類や青菜の御浸しなども、よく噛んで食べないと本調子でない腸には負担が大きいようです。癌の手術でなくても腸に影響のある手術をした場合は、腸閉塞の危険が常にあり、「何を食べても大丈夫」という医師の言葉は5割引きで聞いて、あくまでも自分のお腹と相談して食べ方に気をつけなくてはいけません。

 

・手術が終わってから先生に、「命拾いをしましたよ。1時間遅かったら、だめだったんですよ」って言われたときは、自分でも「1時間で私は死んでいたんだ」って思って、そのときのほうが子宮がんのときよりも大変だったような気がします。(40歳代前半・女性)

 

 

 子宮がん手術の日常生活は、退院後1か月間は、お腹に力が入るような重い物を持つこと、入浴、性生活など制限がありますが担当医と相談しながら徐々に元の生活に戻していくことが必要となります。

 

 一方で手術の影響で、排尿感覚がなくなり、尿漏れをするなど排尿障害が生じることがあります。

 

 インタビューでは疲れやすいだけではなく、開腹手術による傷跡の引きつり感や尿漏れなどの身体変化があった人がいました。

 

・縫ったところは引きつってるような感じにはなっています。(40歳代前半・女性)

 

・自分では全然感覚がないけども、手術して、退院しても、半年くらいはしょっちゅう、おもらししていました。(50歳代後半・女性)

 

・ほとんど朝から夕方まで、トイレに行かないことがあるんです。そうすると、具合が悪いですね。ですから、なるべく水を多く飲んでるんですけど、行かないですものね。(40歳代後半・女性)

 

 

手術により、卵巣をすべて切除した場合、女性ホルモンがつくり出されなくなり、更年期症状がみられたり、膣からの分泌物が少なくなることがあります。

 

 インタビュ-では、実際にほてりなどの症状がみられた人がいました。更年期症状を避けるため、片方の卵巣を残した人もいました。性生活に関しては術前と変化はなく、性交痛もなかったと語っていました。

 

・先生は「60歳になると更年期障害というのはないですよ」なんて言ったんだけど、急にあるものがなくなったから、顔が真っ赤、今もちょっとすると、顔に来るんですね。のぼせるように、顔がバーッと熱くなって、入院したときに特にそれがひどかったんですね。(60歳代前半・女性)

 

・ほてりとかそういうのは、私は子どもがいるから、これに負けていられないと、更年期は全然というほど、そのときは感じられなかったです。(30歳代後半・女性)

 

・うちは普通です。初めからそんなに違和感がなくて、私はもったいないから、何となくいたわって使わなきゃと思って。(30歳代後半・女性)

 

 

 子宮がん手術のとき、リンパ節郭清を行なうと、足や外陰部のむくみ、リンパ浮腫が起こることがあります。これらの症状が起こる時期、強さ、期間には個人差があり、症状が出現しない人もいれば、手術後数日で外陰部がむくみ人もいます。

 

 インタビューでは、手術後8~30年以上経過してから症状が現れた人がいました。

 

・恥骨の半分左のほうが痛むんですよね。毎日じゃなくて、たまに痛むの。(50歳代後半・女性) 

 

 

 

 抗がん剤治療についてご紹介します。抗がん剤治療は、血液やリンパ管を通して全身に散らばってしまった可能性のあるがん細胞を縮小する、または再発、転移を予防するための補助療法として行われます。そのため、手術前に行う場合、手術後に行う場合、あるいは両方ともに行なう場合があります。また実施する治療回数や使用薬剤は、子宮体がんと子宮頸がんで異なります。

 

 インタビューでは、抗がん剤治療や副作用に戸惑いながらも、やらなければ助からないのであれば受けようと、治療に臨んだ人がいました。なかには抗がん剤治療を手術前後で12回行った人や、手術後7ヶ月間にわたり、合計24回の抗がん剤治療を行った人がいました。また、実際の抗がん剤治療を体験し、想像を超える身体的ダメ-ジの強さから生命の危機を意識した人もいました。手記では、治療に対する心構えと抗がん剤実施中の様子が記されました。

 

 

はきけ・嘔吐

 はきけは、抗がん剤投与から24時間以内に起こるものとそれ以降に起こるはき気があります。現在では、はきけ止めの開発が進み、上手に薬剤を使用することでコントロールが図れるようになってきました。しかしなかには、「抗がん剤治療を受ける」というプレッシャーから症状が出る人もいます。

 

 インタビューでは、思うように食事がとれないことで一時的に体重が減ってしまったことや症状が強く出てしまったため、抗がん剤を変更、中止した人もいました。手記では、一時的にはきけがでてましたが、次第に回復したことが記されていました。

 

・抗がん剤の前後に吐き気止めの薬も入るのですが、私の場合は1回目から、抗がん剤投与の夜には嘔吐がありました。 (手記)

 抗がん剤の前後に吐き気止めの薬も入るのですが、私の場合は1回目から、抗がん剤投与の夜には嘔吐がありました。嘔吐は翌日いっぱい続き、その間は水や水分補給用の飲料などは辛うじて受け付けますが、ゴクゴクとは飲めなくなります。りんごジュースですら吐いてしまいました。2回目以降は嘔吐に備えて、抗がん剤当日の昼食までは食べて、夜からは控えめにし、翌日もほとんど食べないようにしましたが、吐き気はその後1週間程続きます。元々食べ物の好き嫌いが無い方なのですが、食べられるものが極端に少なくなりました。食べられるものは人によって異なりますが、甘味よりも塩味が好まれるようです。浅漬けやおせんべい、りんごや柑橘類が良いようです。ラーメンは私の大好物ですが、この期間はラーメンの画像はもちろん、ラの字を見るのもイヤになりました。プリンやカスタードも好物なのですが、全く食べる気が起きません。手術の前は、周囲の話しを聞きながら「なんでみんな食べられないって言うのかな― 」と不思議に思っていましたが、わがままでも何でもなく、本当に身体が受け付けなくなるのです。麺類は好まれるのですが、人によっては、麺類が飲み込めなくなることもあるようです。

 

・看護師さんにも先生にも、自分の好きな物を食べてもいいし、飲んでもいいと。でも口が、身体が寄せつけないんだもの。(50歳代前半・女性)

 

・この抗がん剤で死んじゃうかもしれないと思ったんです。だめだと思って、3回と言われた抗がん剤を1回でやめました。(40歳代後半・女性)

 

 

だるさ・疲れ

 「だるい」「身の置き所がない」「何をするにもおっくうになる」などの状態が持続することがあります。「抗がん剤治療をする」ということだけで、気分的にその症状が強くなる人もいます。

 

・とにかく寝ていたいということでした。寝ていても、そうかと言って寝てもいたくはない、起きてもいたくはないという感じです。(50歳代前半・女性)

 

・寝ているのがつらいからと起きて、座っても、なおつらい。どっちを向いてもつらいんです。うつ伏せになってもいられない。思い出しても本当にぞっとします。(40歳代後半・女性) 

 

・がんと闘う決心をしたのですから、抗がん剤もやってみるしかない!(手記)

 抗がん剤の副作用については、入院してから様々見ましたが(その後の入院で更に色々な症状を知ることになるのですが)、自分にどのような症状が出るかは、やってみないと分からないのです。吐き気や脱毛は覚悟していますが、他にも出てくるかもしれないのです。がんと闘う決心をしたのですから、抗がん剤もやってみるしかない!。しかも、3回で終わるなら良い方なのです。周りにはその倍以上の回数を耐えている方々がいるのです。更には、その抗がん剤さえもう効かないと医師に言われて絶望している方もいるのですから。

 点滴での抗がん剤治療は、24時間点滴とも言われますが、入院しながらの点滴は5日間針が入りっぱなしです。その間、大小20数本の点滴を入れます。体勢によっては滴下しなくなったり、滴下が滞ると針が詰まったり、抗がん剤以外の点滴でも注意が必要で、針が抜けるまではリラクッスできません。

 

 

・もうできないと思って、これは生きている価値がなくなる、死んじゃうと思いました。(40歳代後半・女性)

 

・点滴の薬は強くなくて、髪の毛もそんなに抜けなかったんです。でも、具合が悪くなったりしたから、治療を途中でやめるかといってやめました。(50歳代前半・女性) 

                           

 

 がんの種類や性質、進行度によって、使用する抗がん剤の組み合わせや投与回数などは異なります。使用する抗がん剤特有の副作用がみられることがありますが、使用薬剤に関係なく、抗がん剤はがん細胞だけではなく、正常な細胞にも影響を及ぼすため、脱毛、吐き気、口内炎などの症状がみられます。また、骨髄にも影響を及ぼすため、白血球の減少や貧血などが見られます。

 

 

覚障害・食欲不振

 いつも食べていた物なのに治療後、「おいしくない」「変な味がする」「味を感じなくなった」などの味覚の変化があったことが語られました。また、食欲がなくなったり、食べ物のにおいをかいだだけで辛くなる人がいました。そのようななかでどうやって食べることで体力をつければよいのか工夫していた人もいました。手記では、食べ物以外のにおいにも敏感になったことが記されていました。

 

・食べ物の味覚が変わって、何を食べてもおいしくない。人が食べないようなもの、食べたくないようなものを食べたりしていました。(50歳代後半・女性)

 

・抗がん剤をやっているときにはだんだんと、それも全く欲しくなくなったんですよね。(50歳代後半・女性) 

 

・とにかく食べたくないものですから、匂いがすごいんですね。あらゆる匂いが気になるんです。(60歳代前半・女性)

 

・食べ物のにおいより、化粧品類のにおいが苦手なので、近くの人の整髪料や化粧品、衣類に残っている香水の匂いなどから逃げるために、しばしば廊下や階段、食事時間以外の食堂などに避難していました。(手記)

 この時期困るのは『におい』です。食べ物のにおいだけで吐き気がするのです。しかしながら、部屋食の人もいるので、避難する場所がありません。私の場合は、食べ物のにおいより、化粧品類のにおいが苦手なので、近くの人の整髪料や化粧品、衣類に残っている香水の匂いなどから逃げるために、しばしば廊下や階段、食事時間以外の食堂などに避難していました。さて、吐き気が治まって、ようやく食欲が回復してきたのに、食事が美味しくない!次なる副作用『味覚障害』です。普段美味しく食べているものが、いまひとつ美味しく感じない。私の場合は、食べていないときでも日の中に苦味を感じました。黒糖味の飴を食べたり、おしゃべりなどで紛れる程度のものでしたが、チョコレートの味が変になる、と言う人もいました。数日続きましたが、退院する頃には治っていました。

 

 

 現在、初めて抗がん剤治療を行うときは入院しますが、最近では外来化学療法室が充実され、外来通院で行うようになっています。

 

 インタビューでは、入院して抗がん剤治療を行っていました。そのため、思うように食事が取れなくても、少しでも早く退院できるように、医療者の前ではしゃきっとふるまうなどして家に帰れるように努力していた人もいました。

 

・ナースセンターのところに行くときはシャキッとして、エレベーターに乗ればしゃがんで、タクシーで家に帰って来るの(50歳代後半・女性)

 

 

骨髄抑制

 抗がん剤治療により、骨髄が障害され、一時的に感染、出血、貧血などの症状が起こりやすくなります。

 

 インタビューでは白血球数が800/μℓまで減少したことで思うように治療を受けられなかったこと、個室に隔離されたこと、白血球をあげるために毎日注射を行っていたなどについて語られました。一方で感染対策として人ごみにでるときはマスクを着用し、感染しないよう自己管理をしている人もいました。

 

・白血球の注射は何回やったかな。私は3本。一番多くて6本。白血球が上がらない人は10本。しょっちゅうの人は入院したみたいだけども(50歳代後半・女性)

 

・治療するたびに「白血球が下がっています」って個室に行って、何とかどうにか退院してきました。(50歳代前半・女性)

 

・3回目の抗がん剤の後、10日で退院しましたが、18日後には2500まで白血球が下がり、それから1か月経って5000以上に戻りました。赤血球の値は正常値よりやや低いままです。(手記)

 口内炎ができて3日目が2度目の入院予定日で、初日の血液検査で白血球が3800(主治医いわく「低め安定」)になっていました。口内炎は塗り薬を出してもらい1週間で治りましたが、根本は白血球の値が下がったためで、『血液への影響』も必ず起きる副作用です。抗がん剤投与の後は3日ごとに採血し、安全な数値になるまで退院できないのです。

 影響は、白血球下がりやすい人、血小板下がりやすい人など人それぞれですが、白血球を増やすためにする注射で腰が痛む場合もあり、苦痛のない治療はないものかと願うばかりです。私の場合は、3回目の抗がん剤の後、10日で退院しましたが、18日後には2500まで白血球が下がり、それから1か月経って5000以上に戻りました。赤血球の値は正常値よりやや低いままです。

 

 

脱毛

 子宮がん治療で使う抗がん剤は、脱毛がおこることが多くあります。通常、脱毛は抗がん剤投与後、2~3週間頃から始まり、治療後3~6週間で新たな髪が生えますが、かつらなどを外せるまでには6か月~1年はかかります。

 

 インタビュ-では、医師より「また生えてくる」という言葉を励みにしていても、戸惑ったり、ショックを受けている人がいました。なかには眉毛などが抜けた人もいました。

 

 脱毛中の頭髪ケアは、手ぬぐい、帽子、かつらの他、育毛剤を使用していた人がいましたがかつらがあわずに4回も作り直した人もいました。

 

 手記では、「必ず生える」と言われても、元通りに近い状態になるまでどれ位かかるのか分からずに不安であったことが記されていました。

 

・抗がん剤は副作用が強いから、髪の毛は抜けると言われましたね。「でも、6カ月すれば、また、髪の毛は生えてくるから大丈夫だよ」って言われました。(音声なし)

 先生が、「女の人は髪の毛が抜けるのはつらいことだよな。でも大丈夫だ」って言われて、それを聞いて安心しましたけどもね。抗がん剤は副作用が強いから、髪の毛は抜けると言われましたね。「でも、6カ月すれば、また、髪の毛は生えてくるから大丈夫だよ」って。

 

・抜けました。家に帰って2日目くらいから、3日目、4日目とすごく抜けてきました。(音声なし)

 抜けました。家に帰って2日目くらいから、3日目、4日目とすごく抜けてきました。3回やっていたら本当に1本も残らずにツルッとなるでしょうね。1回で終わったから、何本かは残っていましたけども。

 

・抗がん剤治療が終わって2週間が過ぎたら途端に、本当に一気にですね。そしたら、髪の毛が抜けて、このままではとてもでないけども人にも会えないと思いました。(50歳代後半・女性)

 

・あらゆるところが抜けましたよ。まつ毛、眉毛、鼻毛。それから、うぶ毛ですか、全部です。(60歳代前半・女性)

 

・美容院から、かつらを買ったの。そしたら、試着ができないって言われて、注文をすればそれで終わりでしょう。そうしたら、大き過ぎた。(笑)帽子をかぶっているみたいでダメだった。(50歳代後半・女性)

 

・帽子無しで出歩くことは難しい状態です。「必ず生える」と言われても、元通りに近い状態になるまでどれ位かかるのか分かりません。(手記) 

 頭髪がかなり薄くなってしまったことも心を暗くします。現在は、帽子無しで出歩くことは難しい状態です。「必ず生える」と言われても、元通りに近い状態になるまでどれ位かかるのか分かりません。脱毛の後遺症が出てしまった人の共通の悩みです。ウィッグ購入を早々とする人もいますが、生えるまで我慢すれば良いのか、ウィッグにすればいいのか、私はまだ決心がついていません。ウィッグも20万円程だと聞いていますが、シャンプーを変えたり、育毛剤使ってみたり、私も既に通院以外のお金がかかっています。頭髪が無くなると社会復帰の意欲も削がれます。脱毛の後遺症のない抗がん剤が一般化して欲しいものだと切に望みます。

 

 

腎機能障害

 使用する抗がん剤によって、腎臓の機能が低下することがあります。インタビューでは、治療後に治療の影響から腎臓が悪くなった人がいました。

 

・今は、腎臓は半分しか動いていないよ。これも抗がん剤から来ているから、元々、腎臓が悪いほうではないけども、と言われました。(50歳代後半・女性)

 

 

皮膚の黒ずみ

 抗がん剤にはメラニン細胞に作用する成分も含まれるため、抗がん剤投与後に手や爪が黒ずんでくることがあります。インタビュ-では、爪が黒くなってしまったことが語られました。

 

・爪が黒くなって、変形するんですね。(音声なし)

 爪が黒くなって、変形するんですね。今もまだちょっと変形しているけど、黒いのはなくなりましたけどね。大変なものですね。

 

 

 今回のインタビューでは語られませんでしたが、他にも口内炎、しびれ、関節痛、下痢、便秘などの症状がみられることがあります。また、抗がん剤投与中には、アレルギー症状や点滴の場合、血管痛や静脈炎など点滴の針を刺している部分に炎症を起こすこともあります。

 

 

 放射線治療には、小線減といわれる放射性物質を密閉したチューブを身体の中に入れ、膣や子宮の内側からがんに直接照射する膣内照射と、身体の外から広範囲に照射できる外部照射の2つがあります。副作用には、はきけ・嘔吐・便秘・下痢・頻尿・残尿感・血尿・皮膚障害・膣乾燥・膣炎・膣狭窄・膣感覚の低下などがありますが今回のインタビューではこれらの語りはありませんでした。

 

 インタビューでは、腔内照射治療のとき、特別な部屋に隔離されたときの寂しさや線減を支えるための棒を子宮内に挿入した時のことが語られました。

 

・地下に行って治療というのは、特別に隔離されてするという感じがあります。(40歳代後半・女性)

 

・ラジウムを差し込んで子宮の中に入れて。ですから、トイレも流さない。「えっ、先生、これ流さないと大変でない?」「仕方ないでしょ」と言われてね。(40歳代後半・女性)

 

 

 外部照射治療について、語られませんでしたが、唯一、皮膚のただれにより治療が中断し、治療期間の延びることや治療効果が減ってしまうことへの不安が語られました。

 

・どうしても皮膚がただれます。そうすると、放射線をかけられませんから治るまで休まなきゃならないでしょ。(音声なし)

 それは、どうしても皮膚がただれます。そうすると、放射線をかけられませんから治るまで休まなきゃならないでしょ。そうすると、日数がまた延びてしまうんです。あれもまたつらいものですね。短時間でしょうけど。

 

・治療に負ければ、結局、家に帰されるんです。5日でも家に帰れば、その分、日にちがこっちに延びちゃうわけで、60回、80回の治療が終わらないと絶対に帰れない。(30歳代後半・女性)

 

 

 

 卵巣をすべて切除した場合、女性ホルモンがつくり出されなくなるため、からだが熱くなったり、汗がでたりといった更年期障害のような症状や腟からの分泌物が減少したりすることがあります。子宮体がんは、女性ホルモンと関係が深いので、ホルモン療法が有効なことがあり、注目されています。

 

 ここでは、ホルモン療法を経験した人の語りを紹介します。

 

 体験者は、卵巣を切除しているため、医師よりホルモン療法をすすめられた人がいました。しかし、ホルモン療法をはじめてすぐに、胸にしこりができるようになったと言います。乳がんを心配して薬をやめると、再びからだの調子が悪くなり、その薬のコントロールに悩んだと言います。

 

・乳がんになる恐れがあると言われると、やっぱり飲まれなくなるんですよね。(50歳代前半・女性) 

 

 

 

 がんの進行にあわせた治療を受けていても、その状況によって思いは揺らぎます。がんは、今や2人に1人ががんに罹患する時代であるにもかかわらず、がん対策に関する世論調査においては、75.7%ががんについて「こわい」と回答しています(内閣府.2007)。インタビューでは、治療のめどが立たないこと、相談相手がいない、同室者の死による不安な気持ちが語られました。なかには紹介状をこっそり開封してみた人もいました。 手記からは、がんという病気と正面から向き合うようになったことが記されていました。

 

・いつになったら帰れるか、もしかして(もう家には)帰れないかと、それが頭にありました。(音声なし)

 いつになったら帰れるか、もしかして(もう家には)帰れないかと、それが頭にありました。 

 家に帰るというのがうれしいと言ったらいいのか、「家に帰れる、生きているんだな」という実感がしました。「良かった、生きている」という感じがしました。 

 

・治療中は4週間に1回(入院しに)行くでしょう。私よりも健康な人だったのに次々と(亡くなりました)。 (周りの人たちが亡くなって)不安になりますよ。(50歳代後半・女性) 

 

・自分ではどのように生きていけばいいのかなというのが入院中に悩みました。だれに相談するということも結局できないような、どこで聞けばいいのかわからない。(50歳代後半・女性)

 

・あのときもちょっと心配で、この封筒を放射線科に持って行きなさいと言うんです。パチンと封のしてあるのを、もう時効だけども、(診断書の)中を開いて見ました。(30歳代後半・女性)

 

・「がんに負けたくない。自分が作った病気は自分で治すんだ」という決意が湧き、この時からこのがんという病気と正面から向き合う姿勢になったような気がします。(手記)

 しかしながら、泣いた後は、病気は自分が作ったもの。もっと早く医者が発見できれば良かったかもしれないが、過去を変えることはできない。今からしか始めることはできなんだ。何故か悟ることができたのです。痛いのや辛いのは大嫌いな私ですが、「がんに負けたくない。自分が作った病気は自分で治すんだ。」という決意が湧き、この時からこのがんという病気と正面から向き合う姿勢になったような気がします。

 

 

 

 患者が納得いく医療を受けるためには、医療者とどのような関わりを持つかが大きく影響してきます。ここでは、体験者が、医師、看護師、そして病院や医療についてどのような思いを持っているか、どのような経験をしてきたかを紹介しています。

 

 

医師との関係 

 医師を信頼し感謝を感じている人もいましたし、不信感、不満を持っている人もいました。また、医師と良好なコミュニケーションを持つために自分なりにしている工夫についての語りや、こうして欲しいといった要望の語りもありました。

 

何人かの人たちは医師への信頼を語り、「大丈夫だよ」の一言に安心すると言っています。医師が自分にしっかり向き合ってくれたことで信頼が生まれたという人、医師と少しでも話すことで安心感が生まれるという人がいました。診察の時医師の顔を見るとニコッとしたくなると語った人もいます。また、最後までその医師に命を預けたいと思った、主治医を信頼することが患者のプラスになる、とにかく信じることにしている、という人もいました。

 

・主治医は、しっかりと私の眼を見て、誠実にかつ分かり易く話をされる方で、主治医に対する信頼感を持つ事ができたのは本当に幸いでした(音声なし)

 入院の日の朝、タクシーを呼んで立会人である姉と荷物と共に病院へ。前回のCT撮影からlヶ月以上経っているので再度CTを撮り、進行の具合などを調べ、午後14時半頃から手術の説明が一時間ほどされました。主治医は初めて会う医師でしたが、外来の担当医と研修医、看護師も同席。(後から分かつたことですが、産婦人科医師3名程度で2チームになって、患者や研修医を担当しているのでした。)

 主治医は、しっかりと私の眼を見て、誠実にかつ分かり易く話をされる方で、私が感じている憤りにも理解を示す方でした。もし、初診の際の医師が担当であれば、私は手術や治療を受け入れられなかったかもしれません。(初診時の医師の顔を私は覚えていません。患者の私の顔をきちんと見ながら話をした記憶がないからです。当然自己紹介もないので名前も覚えていません。後で外来担当医の表で判断しましたが)自身の病気をまだ完全には受け入れられない状態ではありましたが、主治医に対する信頼感を持つ事ができたのは本当に幸いでした。

 

・「大丈夫だよ」と言ってもらえる、先生の顔を見て帰ってくるだけで良かったと思って、通い続けました(40歳代後半・女性)

 

・先生とちょっと話をしてくれば安心感があるんです(30歳代後半・女性)

 

・私はその先生に命を預けたんだから最後まで預けたいなと思いましたね(60歳代前半・女性)

 

・先生を信頼するということは、患者のためにすごくプラスになります。決めたらそこを絶対信頼しないと(40歳代後半・女性)

 

・先生を信じるしかないなと思って治療してきました(50歳代前半・女性)

 

 

 一方で、医師に対して不信感、不満を持っている人たちもいました。婦人科のがん検診を受けていたのに、子宮頸がんのみの検査で体がんが見逃され、がん発見時に医師に不信感を持った人もいましたし、検査のデータを医師が詳しく示して説明してくれない、患者の顔を見てくれない、という不満を語る人もいました。さらには、病院の医師が次々に変わってしまう、転移・再発した場合にも診療科が少ないので病院を選べないという、地域医療の抱える問題に言及する語りもありました。また医師から冷たい言葉を投げつけられた経験したという人もいます。頸がんのみの検診で体がん検査をしなかった医師を訴えることを考え、最終的に示談にしたという人もいました。

 

・どうして私が出血したと言ったときに、体がんの検診も先生がしてくれなかったのだろうと思って(50歳代後半・女性)

 

・(医師に対して)「今までがんを見つけられなかった責任はどうなのよ!」と心の中で叫んでいました。(手記より)

 (仕事などの都合で)手術を12月から1月に延期したことで、医師には「その間に病状が進んでも責任持てません」と言わわれましたが、「今まで見つけられなかった責任はどうなのよ!」と心の中で叫んでいました。

 11月28日に再来があり、医師からは手術とその後の治療予定などが説明され、入院に関する説明は看護師からとのことでした。医師に「何か準備するものありますか?」と尋ねたところ、「特にないですよ」とのことでした。私は再度カチンときました。

 

・先生に「データをコピーしてください」って言ったら「そんなのわからないでしょう」って言われたの(50歳代後半・女性)

 

・医師が患者と向き合ってくれず、悩みも聞いてくれない(60歳代前半・女性)

 

・先生から「まだ来てるのか」と言われショックでした(音声なし)

 一番最初に細胞を抜き取ってくれた先生だったんですが、結局、それが失敗だった、結果が出なかったという、その先生です。「まだ来てるのか」というみたいな、それを言われたときにはショックでした。

 

・実は裁判は起こさなかったんですけれども(医師と)示談したんです(50歳代前半・女性)

 

 

 ある体験者たちは、医師との付き合い方に、工夫をしていると語っています。医師が話している時は話さないようにしているという人、また本当に聞きたいことはメモに書いて忙しい医師に協力しているという人もいました。

 

・先生がお話をしているときに話せば怒られるんですよ。患者さんがあれもこれも聞けば本当はダメだから黙っているんです(30歳代後半・女性)

 

・本当に聞きたいときは書いて、これだけは聞きたいと言わなければ、患者のほうも協力してあげなきゃだめでしょ、忙しいんだから(60歳代前半・女性)

 

 

 がん体験者たちは、医師に対する様々な要望を語っています。検査や治療、副作用についてもっと説明して欲しかった、メンタル面でも力になって欲しい、もっと患者の話に耳を傾け、専門的な言葉でなくわかるように説明して欲しい、などの語りがありました。がん患者の多さから、医師の負担が大きいのではないかという危惧を抱き、患者を診ず病気だけを診る医療にならないで欲しいという願いを手記に書いている人もいます。

 

・医師が治療法や副作用について説明し、その病気に対しての情報は伝えてほしい(50歳代後半・女性)

 

・医者はサービス業の一種だと思うんですよ。メンタル面でも力になってくれると、相乗効果で病気は治ると思うんですよね(50歳代前半・女性)

 

・愚痴を聞いてもらえば助かる。(60歳代前半・女性)

 

・患者を診るのでなく、病気を診る(≒ 検査数値を見る)だけの診察にならないよう切に願っている。(手記より)

 私が入院したA病院はがん拠点病院であり、医師・スタッフのスキルは高いのだと思う。しかしながら、婦人科病棟について言うなら、日々の新患と腫瘍外来で最低5年は通院する患者、その間に外来と入院を行き来する患者もしばしばで、外来も病棟も限界になっているのではないかと感じる。特に医師には産科の業務もあるので、喜びもある反面、負担も大きいと察する。日々進歩する癌の研究や治療法に対して医師やスタンフが研鎖を積む時間がとれないのではと心配になる。患者を診るのでなく、病気を診る(≒ 検査数値を見る)だけの診察にならないよう切に願っている。

 

 

 

看護師との関係

 入院中、がん体験者が医師よりも接する機会が多い看護師に対しては、自分がわがままを言った、優しかった、話を聞いてもらったという語りがありました。ある体験者たちは、看護師の仕事の忙しさを理解し、患者も協力したほうがよいと語っています。

 

・落ち込んでいたとき1時間ぐらい、看護師さんとじっくり話をしてメンタル面ですごく助かりました(50歳代前半・女性)

 

・看護師さんも忙しいのよ。なるべく病院には協力して(音声なし)

 看護師さんは優しいですよ。

 看護師さんも忙しいのよ。そして、画面があるでしょ。この辺に看護師さんがいるでしょ。そうすると、あまりしゃべらないの。先生が話をして、余計なことを言えば、またその人の時間オーバーになるんじゃない? 看護師さんが叱られるんじゃないの? なるべく病院には協力して。

 

・(看護師さんは)時間の制限とか、体力的にも大変だろうと思います。だから、要望だけでなくて、自分でできることは自分でしよう(40歳代後半・女性)

 

 

 一方で、看護師とは特に深くかかわらなかった人もいました。中には、看護師から怒られた、もっとこちらの気持ちを考えて欲しいという語りもありました。また外来の受診前に看護師が話を聞いて医師に伝えて欲しいという要望もありました。

 

・この患者はこういう症状だからとそんなに深くはね(50歳代前半・女性)

 

・暑くて暑くて、夜も眠れないで、「氷枕ください」って言ったら怒られて(音声なし)

 手術の前も暑がりでしたね。入院しているときも、6月で、暑くて暑くて、夜も眠れないで、「氷枕ください」って言ったら怒られて。(笑) 

 「熱もないのに暑苦しいだけじゃあげられません」って 。

 

・受診する前に看護師さんが話を聞いて、患者の聞きたいことを医師に伝えて欲しい(50歳代後半・女性)

 

 

 

病院との関係

 ここでは、がん体験者が、病院や医療についてどのように感じているか、どんな要望を持っているかについての語りを紹介しています。病院、医療者と良好な関係を保ち、病院スタッフから元気をもらった、病院に助けてもらった、ここに来てよかったという思いを語る人がいる一方、病名が知人に漏洩された経験を語る人もいました。病院の相談窓口について、心のケアをしてくれる雰囲気が感じられなかった、がんについてのパンフレットは相談室ではなく外来の告知の時に渡して欲しいと手記に書いている人もいます。

 

・(病名)告知もなかったけれども、あのときに助けてもらったのは確かに病院です(30歳代後半・女性)

 

・本当によくしてくれました。婦人科のスタッフの人たちはものすごく気を遣っていますね(40歳代後半・女性)

 

・秘密にしていた自分の病名を、病院から外に漏らされた(50歳代後半・女性)

 

・『患者・家族相談支援室』を訪ねたが心のケアをする雰囲気が感じられなかった。がんについてのパンフレットは外来の告知の場で渡して欲しい。(手記より)

 乳癌は主に女性の癌であるが、診祭は外科である。外科病棟にはカウンセラーが設置され、入院患者の相談を受けていると人づてに聞いた。しかし、婦人科病棟にはカウンセラーはいない。病院の1階に、『患者・家族相談支援室』というのがある。私も2度訪ねたが、こちらから声をかけないとデスクから立って来てくれないし、どちらかというとケースワーカー的で、心のケアをする雰囲気が感じられなかった。本当に、ここで心のケアもしてくれるのだろうか?

 私が外来で癌の告知をされた時、確かにここ(相談支援室)を(口頭と用紙で)案内されたが、告知後すぐにこの窓口を訪れる人は少ないのではないかと思う。入院中に病棟の友とも話した事だが、告知された直後は頭が真っ白で、しばらくは病気のことを受け入れられないというのが皆の反応なのだ。そこで、啓蒙用のパンフレットは相談室の棚に置いておくのではなく、外来で告知したらその場で渡して欲しいのだ。それをいつ開いて読むかはその人次第だが、それが病気に立ち向かうきっかけにもなるし、最低限必要な情報を得る手段になると思う。情報はどんどん古くなるので、死蔵しないでどんどん使うべきだと思う。

 

 

早期の前立腺がんでは、特有の症状が現れることは、ほとんどありませんが、がんが大きくなってくると尿道を刺激したり圧迫したりして、尿が近い、出にくい、尿に血が混じるなどの、さまざまな症状が出てくることもあります※1。しかし、尿にかかわる症状があったからといって、必ずしも、その全てが、がんに結びつくわけではなく、多くの場合は、前立腺肥大症などの良性疾患によるものです※1。症状については、がんを学ぶ-前立腺がんの症状のコーナーで、医師が詳しく説明しておりますのでご覧ください。

 

ここでは、前立腺がんと診断される前に経験されていた症状と受診のきっかけ、そして、受診後の成り行きについての語りをご紹介します。今回のインタビューでは、11人中8人の方が、前立腺がんが発見される以前に、何らかの症状を自覚されていました。中でも、尿にかかわる症状について語られていた方が7人いました。症状としては、尿が近い、夜間にトイレに起きる回数が多い、尿が出にくい、出そうとしても勢いよく出ない、そして、尿に血が混じっているなどが挙げられていました。(こちらの体験談は、どれも貴重なものですが、すべての前立腺がんの方にあてはまるとは限りません。)

 

おしっこが近くなったと感じて、すぐに、専門医を受診した方がいる一方で、単に加齢のせいであると思って、そのままにしていた方もいました。

 

昼間だけでなく、夜中のトイレも異常に近かった。町の泌尿器科を受診したら、血液検査のために大きな病院を紹介された(60歳代前半・男性)

 

おしっこが我慢できなくなったが、年のせいだと思って、そのままにしていた。検診でPSA検査の数値が、昨年と比べて上昇したため、病院を紹介された(70歳代前半・男性)(テキストのみ)

 

早期の前立腺がんでは、特徴的な症状が現れることはなく、排尿などの自覚症状があるとしても、その多くは、たまたま同時に存在していた前立腺肥大症などによるものです※1。今回の体験談では、尿にかかわる自覚症状があって医療機関を受診されてから、最終的にがんが発見されるまでに、前立腺肥大症や前立腺炎などの良性疾患の治療を受けていた方がいました。中には、15年間に渡って前立腺肥大症の治療や経過観察を行なう中で、がんが見つかった方もいました。

 

次の方々も、尿にかかわる症状が出て、受診した当初は、病院からもらった前立腺肥大症や炎症の薬を飲んでいました。

 

お酒を飲むとおしっこが近くなるのに、チョロチョロしか出ない。薬を飲んだが症状は改善されず、暫く)放っておいたが友人の話に触発されて再受診した(60歳代前半・男性)

 

血が混じったおしっこが出た。泌尿器科を受診して、炎症の薬を服用したが、血液検査の数値は高いままだった(50歳代前半・男性)(テキストのみ)

 

尿にかかわるものとは別の症状で、泌尿器科を受診したことがきっかけで、PSA検査を受けることになり、がんの発見につながった方もいました。前立腺がんの症状とは、直接、関係があるとは言えませんが、貴重な体験談の1つとしてご紹介します。

 

陰部がかゆくなった。塗り薬をもらおうと泌尿器科を受診した時、たまたま、待合室でPSA検査の情報を見て、検査を受けてみた(50歳代後半・男性)

 

思い当たる症状が全くないのに、がんと診断された方もいました。偶然に見つかった前立腺肥大症の治療をしている間に、定期的に受けていたPSA検査の数値が上昇してきたのがきっかけで、がんが発見された方や、次の方のように、健康診断で要精密検査という結果が出て、医療機関を受診することになった方もいました。

 

自覚症状は全くなかった。健康診断に導入された前立腺のがん検診を受けたら、要精密検査という結果が出た(60歳代後半・男性)

 

【参考資料】

※1. 国立がん研究センターがん対策情報センター編集:がんの冊子 各種がんシリーズ 前立腺がん. 2012年5月 第2版

 

前立腺がんの治療では、副作用として排尿に関する影響が出ることがあります。

手術では、性機能障害のほかに尿失禁が主な副作用としてあげられます。

また、放射線治療では、治療後しばらくして直腸や膀胱に影響が出ることがあります。頻尿や尿意切迫などが起こると言われますが、ほとんどは数ヶ月のうちに解消します。

ここでは、治療によって排尿にどんな影響が出たか、体験者の語りをご紹介します。

〈参照〉

独立行政法人国立がん研究センターがん対策情報センター

がんの冊子 各種がんシリーズ 前立腺がん

http://ganjoho.jp/data/public/qa_links/brochure/odjrh3000000ul0v-att/153.pdf

 

手術の後、尿の量が減ったり、尿が出にくくなったという方や、排尿の回数が増えたという方がいらっしゃいました。

また、尿漏れが生じ、対処に苦労しているということを複数の方がお話されていました。尿漏れパッドを使ったり、お尻に力を入れて漏れないようにするなど、それぞれの方が工夫しておられました。時間の経過とともに改善したという方もいました。

 

尿が出にくかった時、尿道に長い針金のようなものを入れる処置をした。現在も、若い時より尿が出にくい(70歳代後半・男性)

 

手術から1ヶ月だが、立った瞬間にちびる。おしりに力を入れると大丈夫だが、そればかり気にしていられない(60歳代後半・男性)

 

手術の後、尿漏れパッドが手放せなかった。夜トイレに起きる回数が増えた(70歳代後半・男性)

 

パッドのついた下着などを準備したが、慣れていないから履きたくない。普通の下着で過ごしている。夜のトイレの回数が減った(70歳代後半・男性)

 

インタビューに協力してくださった皆さんは、病気になったことをきっかけに、日々の生活に対する気持ちの持ちようや、人生に対する意識が変化したと感じていました。

ここでは、病気とどのように向き合っているか、体験者の語りをご紹介します。

 

病気をきっかけに、自分に残されている時間が有限だということを意識するようになり、人に対する関わり方が変わったという方がいらっしゃいました。

 

病気になって、時間が限られているので、一生懸命になってちょっと密度が濃くなった気がする。人に対して、何か手助けできないかと思うようになった(50歳代後半・男性) 

 

ある方は、がん以外にも病気をお持ちで、死に対する不安を常に感じているそうです。できるだけポジティブに考えようとしたり、読書や音楽などの趣味の時間を持ったりすることで、気持ちを癒そうとしていらっしゃるとのことでした。

 

がんに加えて他の病気もあり、座して死を待つほかないだろうが、マイナス思考が強くなる。趣味で癒そうと毎日を過ごしている(60歳代後半・男性)

 

治療が終わっても、再発や転移の不安がつきまといます。インタビューに協力してくださった方々は、人と話をして忘れるようにしている、趣味を続けるようにしている、など、それぞれの方法で不安に対処していらっしゃいました。

 

医師から「体質的に2、3年後になる可能性がある」と言われ、他の場所にがんが出るのかなという不安がある(50歳代後半・男性)

 

違和感があるときがあり、少し心配になるが、人と話したりして忘れるようにしている。いつもそればかり気にしていたら大変だと思う(60歳代前半・男性)

 

現在治療中の方は、治療の効果が出るかどうかという不安についてお話されていました。

 

放射線治療の効果があればいいが、なければ何をすればいいかが心配。勘弁してほしいと言いたくなる(60歳代前半・男性)

 

インタビューに協力してくださった方は、なぜがんになったのか、ご自分でさまざまな原因を考えておられました。

家族や親戚にがんを経験した方がいるために、体質や遺伝が原因と考えていた方がいらっしゃいました。一方、ご家族や親戚にがんになった人がいないという方は、「原因が思いあたらない」とお話されていたり、自分ががんになったのは“突然変異”だと話す方もいらっしゃいました。

 

母が胃がん、母の兄弟二人もがんになっている。自分も胃がんや腸がんになる可能性があると昔から思っていたが、前立腺がんとはびっくりした(60歳代後半・男性)

 

畑作業で農薬を使うことが、がんになった原因のひとつではないかと考えている方もいらっしゃいました。

 

素人の勝手な想像だが、畑作業で農薬を使うことが原因じゃないかと思う(50歳代後半・男性)

 

がんの治療にかかる経済的な負担について、体験者のお話をご紹介します。

民間の医療保険や、高額医療保険制度を利用しているという方が複数いらっしゃいました。

民間の医療保険に入っていた方の中には、昔勧められてたまたま入ったという方もいれば、家族や親戚にがんを体験した方がいたため、自分も逃れられないと考えて入ったという方がいました。医療保険で入院や手術の費用が出て助かったという方もいれば、昔入った時からプランを変えていなかったために一時金が出るのみで十分でなかったという方もいました。

高額医療保険制度については、自己負担の軽減につながった方がいる一方で、一ヶ月の医療費が基準額を満たさず、高額医療保険制度の対象とならなくて負担が大きかったという方もいました。

 

たまたま父親が自分のためにがん保険に入っていたのと、高額医療保険制度を使って、治療費の心配は特別なかった(50歳代後半・男性)

 

検査や治療で、3ヶ月で27〜28万円かかった。一ヶ月で8万円以上にならなくて高額医療保険制度が使えない月もあった。昔入ったがん保険から一時金が出た(60歳代前半・男性)

 

手術の後、県外の病院で活性化免疫療法(※)を受けているという方や、健康食品を活用しているという方は、治療が自由診療であったり、健康食品は高額だが保険が効かないということで、経済的な負担が大きいとお話されていました。

※ 免疫細胞療法のこと。試験的医療であり効果と副作用についての評価は定まっていません。

〈参照〉

独立行政法人国立がん研究センターがん対策情報センター

がん情報サービス 免疫療法

http://ganjoho.jp/public/dia_tre/treatment/immunotherapy.html 

 

手術の費用は、高額医療保険制度で戻ってきたので大丈夫だったが、活性化免疫療法は自由診療のため、交通費も含めて大きい出費だった(60歳代後半・男性)

 

アガリクスなど健康食品は高額だが保険が効かない。検査やホルモン療法は保険が効くが、保険に入っていなかったらやれないと思う(60歳代前半・男性)

 

経済的な負担は二の次で、いいと思うことはやるという考えの方もいらっしゃいました。

 

高額医療保険制度などで、今はそんなにかからないと感じている。いいと思ったことは経済的なことは二の次でやっている(50歳代後半・男性)

 

前立腺がんの治療中や治療後の生活の中で、複数の方が、食事や生活習慣などに気をつけて生活するようになったと話しておられます。

食事に関しては、乳製品を食べないようにしている、お酒の量を減らしている、家族に塩分を減らすように言われ気をつけている、といったお話がありました。

生活習慣に関しては、以前より休みをとるように心掛けているという方や、手術後に歩くようにして体力をつけたという方がいらっしゃいました。

病気の前後で、特に日常生活に変わりはないという方もいらっしゃいました。

 

乳製品があまりよくないと聞いて、食べなくなった(50歳代後半・男性)

 

飲み会になるべく参加せず、野菜中心の食事にしている(60歳代前半・男性)

 

前と同じようではいけないと思う。お酒の量を減らしたり、休みを増やしたりしている(50歳代後半・男性)

 

食事に気をつけている。今まで以上に妻が口やかましくなったが、以前のように一喝しない(60歳代後半・男性)

 

日常生活は、手術する前と全く同じ(60歳代後半・男性)

 

手術してから1週間、2時間くらい歩いた。体力が回復し、日常生活に戻るのに支障はなかった(60歳代後半・男性)

 

診断、治療、入院、通院などを通して、体験者の方はさまざまな問題意識や要望を感じていらっしゃいました。

医療スタッフや病院への要望と、一般の方へのメッセージを、ここでご紹介します。

 

病院や医療のシステムとして、泌尿器科の専任の看護師がいるとよいという意見や、検診を受けられるがんの種類が増えるといい、といった意見がありました。

病院には病気に関するさまざまなパンフレットがありますが、前立腺がんのパンフレットに載っている基準値について、個人差を考慮する方がよいというお話もありました。

 

今までよりも多くの種類のがんの検診をスムーズに受けられるようなシステムがあるとよい(50歳代後半・男性)

 

前立腺がんの体験を通して、検査や検診を受けた方がいいと改めて感じたという方がいらっしゃいました。

より多くの人が検査や検診を受けやすくなるように、情報のPRを行う、相談窓口を設けるという提案がありました。

また、検査の基準値に関して、個人差を考慮して検討する必要があるのではないか、という意見がありました。

 

検査はやった方がいいと今回つくづく思った(60歳代後半・男性)

 

前立腺がんの検診は採血だけでできるということを大々的にPRする必要がある。局部の検査を受けると思ってやらない人がいると思う(60歳代後半・男性)

 

前立腺がんの疑いがあった時に、早めに健康診断を受けたり家庭医に相談できる窓口があるとよい(70歳代後半・男性)

 

前立腺がんになったことで出会う病院の先生や看護師さんたちと、どのような関係をつくり、保っていくのかは、多くの患者さんにとって、とてもたいせつな問題です。インタビューにこたえてくださった方々の体験や思いをここでご紹介したいと思います。

 

信頼できる先生にであい、良い関係をたもっていることを喜んでいる方々がいます。

 

主治医の先生は、非常に信頼できました(60歳代後半・男性)

 

先生を信用してるんだよ、ものすごくいい関係(60歳代前半・男性) 

 

 

一方、定期的にみてもらっていた先生や、以前みてもらった先生に対して不信感をいだかれた方々もいます。

 

「そういえばPSAの数値が高いんだよね」と、あとになって言われても(50歳代後半・男性)(PSAについては発見カテゴリーをご参照ください)

 

前のお医者さんに「死ぬまでがんになりませんよ」と言われたのに(70歳代後半・男性)

 

 

ご自身の体験から、医者に対して、もっとこうしたら良いのではないかというご提案もいくつかいただきました。治療方法を決めるときに、がん患者さんはしろうとなので、選べといわれても選べない悩みがある、また、75歳以上か未満かで、治療方法をかんたんに分けて良いのか、といったご意見を紹介します。

 

先生は、治療の方法を選びなさいというより、ある程度、助言してくれた方がいいんじゃないか(70歳代後半・男性)

 

「75歳以上の人にはすすめないけども、74歳ですから手術をすすめる」と言われても、個人的な体力は違うでしょう(70歳代前半・男性)(テキストのみ)

 

前立腺がんの告知を受けたとき、そして入院したとき、治療を続けている今も、どのようなご家族との関係をもたれているのでしょうか。それは皆さんの状況によって、ずいぶんと違ったものでした。

 

家族がとても気を遣っているとこたえた方も、反対に普段のとおりにふるまっているとこたえた方もいます。また、家族みんなで協力したと話してくれた方もいました。

 

母も姉も体調が良くないのに、私に負担をかけないようにしているんです(50歳代後半・男性)

 

妻も子もべつに驚かず、生活もそんなに変わらなかった(60歳代後半・男性)

 

暗くなってもしようがないから明るく治療に専念しようと、そうやって家族とやってきたんです(50歳代前半・男性)(テキストのみ)

 

きっと家族は私に意識をさせない気遣いをしているんだなと思っています(60歳代後半・男性)

 

ご本人自身がご家族の看病をしていたので、うまくタイミングを合わせて同じ時期に入院した方、財産分与などについて遺言状のようなものを書いている方、など、より具体的にしたことやしていることをお話くださる方もいました。

 

自分でおやじの面倒も見ているので、私、手術するとなると、おやじが大変になるのさ(60歳代前半・男性)

 

一応、遺言みたいなのを書いて、毎年書き換えてるけどね、すっきりするよ(60歳代前半・男性)

 

ご自身の病気のことは、あまり知人や友人には話していないという方が複数みられました。でもその理由はさまざまに異なっていました。

 

入院した時におみまいに来てもらうのが悪いからという方や、お酒を飲めないことを伝えたら飲み会に誘ってくれなくなったことが、つまはじきになったようで寂しいという方がいました。また、治療法が決まっていないし、心配をかけてしまうからという方もいました。

 

がんそのものはいいんだけども、入院したとなるとお見舞いがあるでしょう、それが悪いから教えないの(60歳代後半・男性)

 

飲めないからって言ったら、ああせばって気を遣ってくれて、誘ってくれないんですよ(60歳代前半・男性)

 

まだ何をどういうふうにするかも決まっていないのに、友達にも近所にもしられたくないしね(50歳代後半・男性)

 

一方で、知られても別にかまわないというお考えの方もいました。

 

特別、おれはがんだとしゃべって歩くわけでもないんですけど、別に知られてどうということでもないなと(60歳代後半・男性)

 

前立腺がんの治療の副作用として、男性機能に影響が出ることがあります。

手術による治療を行った場合、性機能障害は主な副作用の一つです。性機能障害とは、勃起障害が起こったり、射精することができなくなったりすることです。病態によっては神経を温存することも可能で、治療を選択する際に医師から説明がなされます。

また、内分泌療法や放射線治療を行った場合にも、勃起障害が起こることがあります。

ここでは、前立腺がんの治療による男性機能への影響について、体験者のお話をご紹介します。

〈参照〉

独立行政法人国立がん研究センターがん対策情報センター

各種がんの解説 前立腺がん

http://ganjoho.jp/public/cancer/prostate/index.html

がんの冊子 各種がんシリーズ 前立腺がん

http://ganjoho.jp/data/public/qa_links/brochure/odjrh3000000ul0v-att/153.pdf

 

インタビューでは、複数の方が、手術で前立腺を摘出し、性機能障害が生じたことをお話されていました。 

 

前立腺をとって、夜の方は完全にだめになった(60歳代後半・男性)

 

内分泌療法や放射線治療によって、性機能に影響があったというお話もありました。

 

睾丸(こうがん)が凝縮されるような感じがはっきり分かる(50歳代後半・男性)

 

体験者の皆さんは、治療を選択する際に、医師から性機能障害について説明を受けています。性機能を残すことに強く固執することはない、という思いが語られた一方で、なくなることは寂しいと感じていたり、もし残せるものなら残したいという思いを語る方もいました。どのように感じるかは、ご本人の年齢や、子どもがいるかどうかということも影響するようです。

 

自分のように70歳代であれば、性機能がだめになってもいいけど、使う、使わないは別として、やっぱり寂しい(60歳代前半・男性)

 

性機能は、男性としての矜持として保っていたいという気はあるが、固執するつもりはない(60歳代後半・男性)

 

性機能を温存するかどうかについて医師から説明があった際に、妻や子どもが同席していると、ご本人は率直に話しづらくなることがあるようです。ある方は、性機能を残すかどうかの話は、子どもの前ではしにくかったという思いを話していました。

 

性機能に関して、治療の前後でそう変わりはないという方もいらっしゃいました。

 

年齢的なものもあるだろうが、性機能に関して、そう変わりはない。医師から効く薬を2、3回もらったことがある(70歳代後半・男性)

 

前立腺がんの診断、再発・転移の指標のひとつが前立腺特異抗原(PSAピーエスエー)の値です。

〈参照〉

発見

症状と受診のきっかけ

診断のための検査

 

PSA値は前立腺がんの発見、診断の時だけでなく、治療後の効果や経過をみていくときにも用いられます。前立腺がんの再発・転移とは、治療後に下がったPSA値が上がったり、リンパ節や他の臓器に病変が新しくみつかることを言います。また、ホルモン療法の後、一旦下がったPSA値がまた上がることを「再燃」と呼びます。治療後のPSAの基準値(いくつ以上なら再発の疑いがあるかの値)は、受けた治療によって違うので単純に数値だけでは判断できません。

詳しくは下記を参照してください。

〈参照〉

独立行政法人国立がん研究センターがん対策情報センター

がん情報サービス 前立腺がん 再発

 

手術療法のみを受けた場合一般的にPSA値が0.2ng/mlを超えると、再発の疑いがあるとされていますが、このほかにも手術療法の後、どのくらいの期間でPSA値が上昇しているかなど、考慮しなければならない要素があります。また放射線治療のみを受けたあとでは1.0ng/mlを超えると再発が疑われます。ただ、いくつかの治療を併用している場合にはこの基準はあてはまりません。

ここでは、PSA値の経過観察やその後の対応についての語りを紹介していますが、上記のようにその方の受けた治療法によってもその後のPSA値の基準は異なっています。またPSA値が上がった後の対応もさまざまです。

 

手術後PSA値が上がって再手術を受け、さらにホルモン療法を併用している方もいましたし、放射線治療をした方もいました。

手術後PSA値が0.4か0.5に下がったが1年後に2.0になり睾丸切除の手術。一時的には下がったが、再度上昇でホルモン剤を併用したがまた上がってきている(60歳代前半・男性)

 

手術後PSA値が1.8になりMRIを撮ると手術ではがんが取り切れていないことがわかった。それで放射線をやろうと(60歳代前半・男性)

 

ホルモン療法を受けながらPSA値を経過観察し、上がれば薬を変えることによって対応している方もいます。

PSA値はだいたい6.4できているが、上がれば薬(ホルモン剤)を変えている。今年21.4になったが薬を変えてまた下がった(60歳代前半・男性)

 

一方で手術の後PSA値が下がったまま安定し、定期的に血液検査のため病院に行く以外は特に治療の必要のない方たちもいました。

手術してから2年目だがPSA値はずっと0で、今は薬も飲んでいない。医師は5年間は気をつけるよう言われていて4ヶ月に1回検査に通っている(70歳代後半・男性)

 

前立腺がんの検査には、PSA検査、直腸診、超音波検査、前立腺生検などがあります。生検の結果、がんであることが確定すると、転移の有無や広がり具合などを調べるために、CT検査、MRI検査や骨シンチグラフィーなどが行なわれます※1

 

ここでは、前立腺がんと診断されるまでに受けた検査の中で、PSA検査と前立腺生検についての体験談を中心にご紹介します。(こちらの体験談は、どれも貴重なものですが、すべての前立腺がんの方にあてはまるとは限りません。)

 

前立腺がんを発見するためのきっかけとなっている検査の1つに、血清PSA(前立腺特異抗原)測定があり、がんの可能性を探るスクリーニング(ふるいわけ)の役割を果たしています※2。年齢や前立腺の状態にもよりますが、一般的に、このPSAの値が4ng/mlを超えると、前立腺がんの心配があるとされています※2。しかし、前立腺肥大症や前立腺炎などでも、高値になることがあるため、前立腺の組織の一部を採って顕微鏡で調べる前立腺生検を行なって確定診断をします※3。最近では、超音波を発する器具を肛門から挿入して、画像上で位置を確認しながら、6~10ヶ所以上から組織を採取する検査方法(系統的生検)が多く行なわれています※1

前立腺がんの検査についての詳しい説明は、がんを学ぶ-前立腺がん-診断のコーナーや、全国のがん拠点病院の相談支援センターなどで配布されているがんの冊子※1等をご覧ください。また、PSAについての語りは、治療-PSA値の推移と再発・転移でもご紹介しております。

 

検診で受けたPSA検査の結果が、前年度から1ポイント上がって、基準値といわれている4ng/mlを超えたため、紹介された病院で生検を行なったところ、がんが見つかった方がいました。

PSA検査の数値が上がってきたので、生検を受けた。12か所から採った細胞の1つにがんが見つかった(70歳代前半・男性)(テキストのみ) 

 

前立腺生検は、比較的安全な検査といわれていますが、まれに感染や直腸出血、血尿などが出現することもあります※3, ※4。今回の体験談では、11人中1人の方から、生検後におしっこに血が混じったというお話を伺いました。

エコーの器具を入れて生検を行なった。検査の後、おしっこと一緒に血液が出たが、医師からはだんだん薄くなって治るといわれた(70歳代後半・男性)

 

前立腺生検でがん細胞が検出されない場合でも、がんが完全に否定されるわけではないので、専門医の定期的な診察が必要です※3。次の方は、1回目の生検でがんが否定されてから、5年後に、がんが発見されたそうです。

PSAの値が上昇した1回目の生検では、がんは見つからず、2回目の生検で、がんが見つかった(70歳代後半・男性)

 

生検で前立腺がんであることが確定すると、多くの場合、転移や臓器への広がり具合などに関して、更に正確な診断をするために、CT、MRI、骨シンチグラフィーなどの画像検査を行ないます※5。次の方は、前立腺肥大症の治療中にPSAの値がグレーゾーン(注1)に上昇したため、生検を受けたら、がんがみつかり、その後に画像検査を受けられていました。

CTや骨シンチの検査で転移はないことがわかった(50歳代後半・男性)

(注1) 血清PSAの値が4~10ng/mlの領域は、グレーゾーンと呼ばれており、陽性率は一般に25~30%といわれています※6

 

中には、直腸診(触診)を行なっただけで、いきなり、がんであることを告げられ、生検は、入院後に、手術前の検査と一緒に行なっていた方もいました。

触診をしただけで、がんであることを告げられた(60歳代前半・男性)

 

【参考資料】

※1. 国立がん研究センターがん対策情報センター編集:がんの冊子 各種がんシリーズ 前立腺がん. 2012年5月 第2版

※2. 武藤智(監修):前立腺がん、どんな検査でどう診断するか? がんサポート. 2012;110

※3. 日本泌尿器科学会編:前立腺癌診療ガイドライン(2012年版)

※4. 日本泌尿器科学会編:前立腺がん検診ガイドライン(2010年増補版)

※5. 高山幸久,西江昭弘ほか:前立腺癌の画像診断 -CT,MRI,骨シンチグラフィ-.臨牀と研究. 2011;88(11)

※6. 川村幸治,坂本信一ほか:前立腺がんの腫瘍マーカー.臨牀と研究. 2011;88(11)

 

ここでは、前立腺がんであることを知った時の状況と、その時の体験者の方々の気持ちをご紹介します。

 

がんと告げられることは、誰にとっても衝撃的な出来事です。今回の体験談でも、「ショックだった」、「頭が真っ白になった」、「びっくりした」など、医師に、がんであることを伝えられた時の動揺した様子が、多くの語りから伺えました。

 

単刀直入に伝えられると思っていなかったので、瞬間的に頭が真っ白になった(60歳代後半・男性)

 

自分ががんになるとは考えてもみなかったから、意外で、びっくりした(60歳代前半・男性)

 

動揺まではいかなくても、平静ではいられなかった思いと共に、医師との会話の中に出てきた後遺症のことを心配されていた方もいました。

いよいよ来たかと思った。治る、治らないよりも後遺症の方が心配だった(60歳代後半・男性)

 

がんであることを医師から告げられて、動揺された方々がいらっしゃる一方で、驚かなかったという方もいました。

取ってしまえばいいと思ったから、びっくりしなかった(60歳代後半・男性)

 

ここではがん体験者が、治療法をどのように決めたのか語っています。

手術治療を選んだ方たちは、長くかかる他の治療法より手術でがんを取ってしまったほうがいいという思いを語っています。また、この他に家族のすすめで手術を決めたという方もいました。

 

病院でがんのパンフレットをもらってきて、手術をしようと決めた(70歳代後半・男性)

 

がんを取れるなら取ってしまったほうがいいと手術を選んだ(60歳代後半・男性)

 

放射線でがんが残るより手術で取った方がいいと思い手術した(50歳代前半・男性)(テキストのみ)

 

一方で、手術の傷の痛みや入院することなどデメリットを考え、ホルモン療法を選んだ方たちもいます。また医師のすすめでホルモン治療を長くしていたが担当医が替わり手術をした方もいました。

 

別のがんを手術した傷が今も痛むことと、家にいなければならない事情があり、放射線治療を選んだ(50歳代後半・男性)

 

定年後でこれから働くわけでもないから、手術はせずホルモン剤の注射でカバーしようと医師と話がついた(70歳代後半・男性)

 

医師のすすめで3年間薬を飲んでいたがその後担当医が替わり即手術した(60歳代前半・男性)

 

中には、様々な治療法の中から選択することの難しさを語った方もいます。

治療について決めるよう医師から言われても、検査結果から自分で判断するのは難しい(50歳代後半・男性)

 

ここでは医師や病院をどう選んだかについての語りを紹介します。

自分で病院の情報を集め、そこでできる治療法や症例数を調べて決めた方、家の近くだから選び医師への信頼からその後も通ったという方がいました。また、この他にもかかりつけ医の推薦で病院を選んだ方もいます。

 

各病院でできる治療法や患者数を調べて選んだ(70歳代前半・男性)(テキストのみ)

 

当時の住まいの近くだったのでその病院を選び、医師を信用していたので引越し後も通った(70歳代後半・男性)

 

セカンド・オピニオンとは、患者が診断や治療法について主治医以外の医師に意見を聞くことです。専門のセカンド・オピニオン外来を設けている病院もあり、受診する場合はまず主治医から今までの検査・診断の結果の資料を提供してもらい、それを持って別の医師の意見を聞くことになります。しかし一般的には、それだけでなく、単に別の病院を受診することも広くセカンド・オピニオンと捉えられています。

今回インタビューした体験者の中には、主治医には言わずに別の病院を受診した方もいましたし、主治医に話して他の病院を受診した方もいました。また、検査結果のコピーなどにお金がかかっても、セカンド・オピニオン外来のほうが結果が出るまでの時間が短縮されると語る方もいました。

 

知人から「前立腺の権威」と聞いた東京の大学病院に行ったが診断は同じだった(60歳代前半・男性)

 

別の病院に行こうとしたら病院スタッフが難色を示した感じがした。セカンド・オピニオンへの対応は医師やその機関によって違いがあると痛感した(50歳代後半・男性)

 

手術療法では、前立腺、精嚢の摘出が行われます。術後の副作用として尿失禁と性機能障害があります。

〈参照〉

生活

男性機能への影響

排尿への影響

 

ここでは、手術の体験を紹介しています。体験者は、3時間あまりの手術の間全身麻酔で眠っており、痛みは全く無かったと語っています。ある方は心臓に持病があり、目が覚めたあと本当に3時間半手術したのか麻酔医に確かめたという体験を話しています。

 

3時間の手術だったが全身麻酔で痛みもなく、あっという間だった(60歳代後半・男性)

 

心臓の持病があり心配だったので目が覚めたとき麻酔科の先生に「本当に3時間半やったのでしょうか」と聞いた(60歳代後半・男性)

 

3時間の手術だと聞き医師に全身麻酔でと頼んだ。術後も痛みは何もなかった(60歳代前半・男性)

 

放射線療法は、放射線を使ってがん細胞の遺伝子を破壊する方法です。これにより、がんが細胞分裂できなくなります。からだの外から放射線をあてる外照射法と、放射性物質のカプセルを前立腺に埋め込む密封小線源療法(組織内照射法)があります。

今回のインタビュー協力者は、外照射法を受けています。放射線療法とホルモン治療を組み合わせて受けている方、手術のあとさらにがんが見つかり放射線治療を受けた方がいました。また放射線治療をしている間は体型が変わらないよう医師から言われているという語りもありました。副作用として体のだるさや肛門のただれをあげ、禁酒のつらさを語った方もいます。

 

放射線療法とホルモン療法を併用している(50歳代後半・男性)

 

放射線治療の35日間は体重や体型を変えないよう医師から言われている(50歳代後半・男性)

 

2回の手術治療をしたが、またがんが見つかり放射線治療をした(60歳代前半・男性)

 

体がだるい、肛門のただれ、おしっこが急にしたくなるなどの副作用があった。一番苦しかったのは酒が飲めなかったこと(60歳代前半・男性)

 

前立腺がんは男性ホルモンの影響で進行する特徴があり、男性ホルモンを押さえるための治療を「ホルモン療法」(内分泌療法)といいます。ホルモン療法には精巣を手術で取る方法と、注射や飲み薬による方法があります。ホルモン療法でよくあらわれる副作用として、ホットフラッシュ(急な発汗、のぼせ、ほてり)や性機能障害があげられます。

ここでは、注射や飲み薬による副作用のつらさについての語りを紹介しています。女性の更年期のようなホットフラッシュを経験した方、湿疹で皮膚がかゆくなった方、体のだるさを感じた方、不眠になった方など、それぞれの方がさまざまな副作用を経験しています。

 

治療を始めてからは1日に2~3回体が熱くなり顔が真っ赤になった(60歳代前半・男性)

 

ホルモンの注射をして半月ぐらいすると脇の下や太ももに湿疹のようなものができてかゆくてたまらない(70歳代後半・男性)

 

汗が出るし、体はだるいし、治療を始めてからは仕事を休んでいる(50歳代前半・男性)(テキストのみ)

 

副作用で眠れなくなり、薬を2〜3回変えた(60歳代前半・男性)

 

現代の医療では安全性や効果がはっきりしていない民間療法、サプリメント、試験的医療などを総称し「補完代替療法」と呼びます。今回インタビューした方の中には、医療機関による治療に加え、サプリメントを飲む、温泉に行くなどの「補完代替療法」をご自身でやっていると語る方もいました。また青森県外で試験的医療を受けた方もいました。

 

クロレラなどのサプリメントを飲み、効果があったと感じる方もいますし、効果があるかどうか分からないと感じている方もいます。また、数値を下げるため飲みたい気持ちと、要らないという気持ちの間で揺れている思いを語った方もいます。

本を見て、クロレラ、アガリクス、を飲んだらPSA値がガクンと下がった。高額なフコイダンは3回ぐらい飲んでやめた(60歳代前半・男性)

 

効いているのか効いていないかわからないがフコイダンと米ぬかを発酵させたサプリメントを飲んでいる(60歳代後半・男性)

 

できるだけ数値を下げたいので医師のすすめがあればサプリメントを購入したい気持ちはある。しかし逆に「何も要らない」とい思うこともある(60歳代後半・男性)

 

一方で、商業的に宣伝で効能をうたうサプリメントは信じないという方もいました。

宣伝でいろいろな効能が言われているものもあるがあまり信じない(50歳代後半・男性)

 

他にもがんに効くという温泉に湯治に行っている方や、試験的医療の免疫療法のため東京の病院へ行った方がいます。

がんに効くという温泉に行くと何年も闘病している人が来ている。自分も苦しい自覚症状がないのが効いている証かなと思っている(60歳代後半・男性)

 

自分の血液を採り、赤血球を培養して戻す免疫療法を10回やった(60歳代後半・男性)

 

今回インタビューに答えてくださった方々の中では、ほかの患者さんとあまりお付きあいがない、話したことがないという方が多くみうけられましたが、同じがんの患者さん同士が、自分の体験を語りあったり、気持ちを共有したりすることは、よくあることのようです。

 

初めて他の患者さんとがんについて話をした時のことを語ってくれた方がいました。それまでは、自分の治療のことを話すこともなかったし、話す気もなかったそうです。

 

病院で知人とばったり会って、初めて他人とがんのことについて話をした(70歳代後半・男性)

 

大部屋で同じ患者さん同士が、冗談を言いあいながら情報を交換していたときのようすをお話してくれた人もいました。

 

みんな大体同じ、「がん連盟だな」って笑いながら、私が情報源になったわけです(60歳代前半・男性)

 

その一方、複数の方が、大部屋でもまったく会話がなかったと語ってくださいました。こちらから挨拶をしても返事がなかったと話してくれた方は、泌尿器科の患者さん特有のものかと感じているようです。また、いろいろな病気の人が入っていた大部屋では、主治医の先生と看護師さん以外の人とは、病気の話をまったくしなかったばかりか、みんなそれぞれに、ずっとカーテンを閉め切ったままだったことを教えてくださった方もいました。

 

挨拶しても返事もないし、お互いに会話がないんです、「ええっ?」と思ったね(60歳代後半・男性)

 

 

 がんに関わる要因として、「年齢」「喫煙」「肥満」「飲酒」「食生活」のほか、「がん家系」についてもお話をお伺いしました。

 

 がん予防として重要な「がん検診」、また年齢が若いときからの「健康教育」の重要性についてお話をお伺いしました。

 

 ここでは、肺そのものや肺がん、その予防と原因について伺いました。

 ここでは、肺がんの発見、診断方法、気管支鏡検査から術中迅速診断まで、診断全般について伺いました。

 ここでは、肺がんの病気(ステージ)についてと、その治療法について伺いました。

 ここでは、様々な治療法について詳しく伺いました。

 乳がんに関する一般的な知識から、その予防について伺いました。

 乳がんの診断には、マンモグラフィー検査や、超音波検査、経細胞診などがあります。それぞれの検査方法から診断まで、詳しく伺いました。

 乳がん再発の可能性には、その病期(ステージ)が深く関わっています。

 ここでは、病期(ステージ)と再発について詳しく伺いました。

 乳がんの外科療法には、乳房切除術と乳房温存術があります。それぞれの術式についてと、術式を判断する基準となる検査について伺いました。

 胃がんに関する一般的な知識から、その罹患率と死亡率について伺いました。

 ここでは、胃がん検診から精密検査、そして進行度について伺いました。

 ここでは、様々な治療方法について伺いました。

 ここでは、再発と転移について伺いました。

 大腸がんに関する一般的な知識から、その原因と予防について伺いました。

 ここでは、がんの症状と診断について伺いました。

 ここでは、手術に関することと、化学療法、放射線療法、免疫療法といった治療法に関することについて詳しく伺いました。

 前立腺がんに関する一般的な知識から、その予防について伺いました。

 ここでは、PSA検査と超音波検査について伺いました。

 ここでは手術療法、放射線療法、内分泌療法、化学療法と、様々な治療法について伺いました。

 ここでは、前立腺がんの再発と移転について伺いました。

 

ここでは、胃がんと診断される前の症状、受診するきっかけについての語りを紹介します。今回の体験談では、胃がんと診断される前に、胃の調子がいつもと違うと感じていた方は、8名のうち2名いました。

 

・すごくみぞおちが病んで痛くて、いやぁと思って病院へ行ったんです。(60歳代前半・男性)

 

・何か食事が下がらないな、胃に2時間くらい留まっているなというのが気になっていました。(50歳代前半・女性)

 

8名のうち5名の方は自覚症状はなく、健康診断で再検査をするように結果が届き、胃がんがみつかっていました。

 

別におかしいとか、そういうのは全然なかったです。(60歳代後半・男性)

 

・胃は丈夫な方ではなかったけど、それまでの健診では「異常なし」でした。(50歳代後半・女性)

 

・毎年検診を受けて4回目、4年目。もう一回やりなさいと通知が来て、病院に行ったら、がんだって。(70歳代前半・男性)

 

自覚症状がない中、いつも健診をうけている病院で検査をしたら手術が必要かもしれないといわれ、家族のすすめもあり、別の病院で検査をした方もいました。

 

 

・もう一度、他の病院に行って、胃腔検査と内視鏡をしました。(60歳代後半・男性)

 

診断される前に自覚症状がなかったと思っていた方の中にも、思い出してみると疲れやすかったと感じていた方もいました。

 

・あとで考えれば、ちょっと疲れやすかったかなということはありました。(50歳代前半・女性)

 

・ちょっと疲れるけど、これは散歩している関係かなと思って、別に考えていなかったんですよ。(60歳代後半・男性)

 

 

ここでは、入院生活の中での家族との関わりについて、どのようなかかわりがあったか、それを通してどのように感じていたかを紹介します。他のトピックで紹介している語りもありますが、家族との関係として、ここでも紹介します。

 

面会に来る家族の顔をみることや、家族からの言葉に感謝の気持ちを感じていました。

 

・なったものは仕方がないから、それを治すようにしたらいいんでない?ということでね。そういう点では、私もすごく気持ちが楽だったし。(50歳代前半・女性) 

 

・私の足を洗ってくれる姿に申しわけないなと、ありがたいなと。(50歳代後半・女性) 

 

・主人は毎日面会にきました。手術の後の説明も一緒にきいてくれました。(50歳代後半・女性)

 

家族の存在や面会が、入院中の精神的な支えになっている語りが聞かれる中、お見舞いに来てくれる人への対応が辛かったと感じている方もいました。

 

・ありがたかった反面、お見舞いに来てくれる人たちに一つ一つ説明するのは辛かったです。(50歳代後半・女性)

 

 

ここでは、胃がんの治療のためにかかる経済的な負担をどのように感じているか、どうまかなったのかを紹介します。

 

今回の体験談では、手術治療をうけた方からは、高額医療費制度の活用のほか、がん保険や職場の福祉互助制度などに加入していたため、経済的負担はそれほど大きくなかったという体験が半数からきかれました。一方、通院で抗がん剤の点滴治療を受けた方からは、高額医療費制度の適応額にわずかに足りず、医療費の自己負担が大変だったとの語りもありました。がんの専門治療は高額となるため、がん保険への加入を勧めたいとの語りもありました。

 

・保険はそれこそ、おかしい話ですけれども、たっぷり来て間に合いました。(50歳代前半・女性)

 

・お金がかかったということはあまり頭になかったです。(60歳代後半・男性)

 

・高額医療費、それ以外は職場の福祉互助制度とガン保険でまかなえて、助かりました。(60歳代後半・男性)

 

・がん保険の特約内容がよくわからず、3年後に請求したら保険がもらえました。(50歳代前半・女性)

 

・がんで仕事をやめて収入がなくなる中で、抗がん剤の治療費は結構高いです。通院となると高額医療費はあてはまらず、この治療費は自分への投資だと思っています。(50歳代前半・女性)

 

・これからの若い人には、がん保険ぐらいは、がんに限らずだけど、そういう保障された保険には絶対入っておくべきだと思う。(60歳代前半・男性)

 

 

 ここでは、胃がんの手術後の食生活の変化を紹介します。

 

 今回の胃がんの体験談では、8名全員が手術治療を受けていました。全員が胃の手術をした後の変化として、食欲がおちる、食事量がへる、食べるものを選ばないとならなくなったなど、食生活が大きく変わったと感じていました。

 

・退院して2週間くらいは、飯、食べれなくてちょっとへずねかった(苦しかった)。(60歳代後半・男性)

 

・食べ物が入らなくて、少しでも食べると嫌な気分になって、せっかく食べたものが出てきそうな恐怖が、手術をして3年たった今でもあるんです。(60歳代後半・女性)

 

・ ご飯は一気に食べられないね。ある程度いっぱいになると、くしゃみや鼻水など変な症状が起きてくる。本当にお腹いっぱいになってしまうと、切ないのさ、本当に、苦しくて。(60歳代後半・男性)

 

 

 野菜の煮物など、消化によい温かいものは食べられたけれど、体を冷やすような生野菜や果物、脂っこいものなどを食べられなくなったという方もいらっしゃいました。 

 

・手術してから2年経ちますが、生野菜や果物は体が冷えるからだめで、煮物に脂分をとるために揚げ物を一緒にしたり、食べる物を選んでいました。(50歳代前半・女性)

 

 

 ふだんの生活では自分のペースで食事ができますが、グループ旅行などの団体行動では、大勢に合わせて食事をすることや、移動中にトイレに行きたくなることなどに困るという方もいらっしゃいました。 

 

・旅館でもホテルでも、よその人みたいに食べれない。(60歳代後半・男性)

 

・油ものをとるとすぐ下痢をしてしまう。一番困るのは、団体旅行に行けないこと。(60歳代後半・男性)

 

 

 多くの方が、食事の回数や時間帯を調整していました。中でも仕事をされている方は、一般の食事休憩とずれるため、食べるタイミングや食べられる物を持参するなどの工夫をしていました。

 

・外出するときは、おむすびなど持ち歩いて、その日の体調にあわせて1日6、7食とっていました。(50歳代前半・女性)

 

・習慣になっているから、朝食べたら横になり、昼食べたら横になる。外食するとできないから眠くてしようがないけど、しょうがないやな。(60歳代後半・男性)

 

 

 疲れを感じたら横になることを心がけているという方が複数おられました。一日寝込んでしまうのではなく、体を動かすことを意識して、疲れたらこまめに休む、という過ごし方をされていました。

 

・ご飯を食べたときは、30分くらい横にならないと気分が悪いんです。どうすれば楽になれるかと同じ胃がん経験者の話を聞きましたが、みなさん同じではないですものね。(60歳代後半・女性)

 

 

手術や抗がん剤治療の後、アルコールや食事がおいしくなった方もいました。

 

・抗がん剤をやめてビールはオーケーになりました。食事がおいしいと思えるから幸せです。(50歳代前半・女性)

 

 

 

 ここでは、退院後の体調の変化に対して、生活の中で行っていた工夫を紹介します。

 

 体調の管理として、特別な何かに気を付けているというわけではなく、風邪の予防に気を配る、歯を大切にする、運動することなど、生活の基本となる事柄を大切にするように意識している方が複数いました。

 

・毎日の生活の中でからだを動かすようにしています。(60歳代後半・男性)

 

・寝る前の運動と、朝のラジオ体操を気負いすぎないように続けています。(50歳代前半・女性)

 

・お経をあげることも、リハビリの一種なんですよ。(60歳代後半・男性)

 

・退院後の生活で、どれくらい身体を動かしていいのか等、生活の中でのアドバイスをもらえるといいと思う。(60歳代後半・男性)

 

 

 免疫力向上によいといわれる食品や、本に載っている他の体験者がよかったというものも含めて、体によいと思われる食品を積極的にとっている方もいました。

 

・周囲の人からすすめられるアガリクスやEM菌など、いいと聞けば何でもやってみました。(50歳代後半・女性)

 

・免疫力を落とさないための補助食品やお茶、牛乳きなことバナナなんかを食べています。(60歳代後半・男性)

 

・本で見た代替療法や健康食品はなんでも試して、菜食中心に食べ物に何でも興味を持って、元気を出しているわけだ。(60歳代前半・男性)

 

  

 

 ここでは、胃がんになったことが、仕事や働き方にどう影響したのかについての語りを紹介します。

 

 仕事をしている方の場合、治療や入院のために仕事を休む必要が出てきますが、復職する際にもさまざまな影響があるようです。職場に迷惑をかけないようにフルタイムでの勤務が可能になるまで待ったり、逆にいつ復職できるかわからないために仕事を辞めたという語りが聞かれました。

 

・職場の皆さんに迷惑をかけたり気を遣わせないように、3ヶ月静養の診断書に加えてもう1ヶ月届けを出して、体調を整えてフルタイムで復帰しました。(50歳代後半・女性)

 

・どれくらいで回復できるかわからないので、病気を機会に仕事をやめたんです。(50歳代前半・女性)

 

・がんは生活習慣病だな、自分の生活習慣を新たにしなさいというメッセージだと思いまして、仕事をやめようと思ったんです。これからは無理なく楽しんでやれる仕事をするつもりです。(50歳代前半・女性)

  

 

病いとしてのイメージ

 

 ここでは、がんという病気に対してどのようなイメージを持っていたのかを紹介します。

 かつては“がん=不治の病い”というイメージがありましたが、今は早く見つけて治療すれば治る病気であり、胃がんは「取れば治る」病気というイメージや、胃がんは他のがんとは違うなどのイメージの語りが聞かれました。

 

・昔はがんといったら不治の病と思っていたけど、今は治る確率が高いですよね。胃がんは手術で悪いところを取ってしまえば、傷さえ治ればいいんだからね。(60歳代後半・男性)

 

・がんは悪い病気でないと思うんですよ。がんでパッタリ死ぬということはないのさ。(60歳代前半・男性)

 

・胃がんは、ちょっとよそのがんの方と違って、元気になるまで時間がかかるんです。(50歳代前半・女性)

 

・昔からの人は「胃は全部取っても、元に戻る」って信じてるんです。(50歳代前半・女性)

 

 

胃がんになった原因

 

 ここでは、胃がんになった原因をどう考えていらっしゃるかを紹介します。今回の体験談に協力した方は、それぞれに自分が胃がんになった原因を考えていらっしゃいました。

 胃がんになった原因はストレスであるという語りが聞かれました。

 

・転勤した先の職場に行くのが大儀だなぁというストレスがあって、それが原因で胃がんになったと判断しています。(60歳代後半・男性)

 

・食欲が落ちて、体力が落ちているところへ、事故とかくも膜下とかいろいろなのが重なったストレスがあったからかな。(60歳代後半・女性)

 

・再就職するかどうか思い悩んだストレスと寝不足が続いたこと、辛いものを食べ続けていたことが原因でしょうか。(60歳代後半・男性)

 

・結婚して家事を何もかもしなきゃいけなくなって、自分でも意識しない苦痛があって、少しは胃に負担がかかったのかなという気持ちもしないわけでもないんです。(50歳代前半・女性)

 

 

 血縁的にがん系統であることや、胃が弱い家系であることを、胃がんになった原因と考えている方も複数名いました。

 

・家系的には胃が弱い方なんです。(60歳代後半・男性)

 

・父も胃がんでしたから、やっぱりがんになりやすい体質や遺伝子はあると思っています。(50歳代前半・女性)

 

・うちは、がん巻き(がん系統)なんですね。だからがんにはなるだろうけれども、胃がんは意外でした。(50歳代前半・女性)

 

・神経質な方とか几帳面な方がなるものだと思っていたから、私が胃がんというのは意外でした。(50歳代前半・女性)

 

 

 がんになった原因は、長年の食事や生活スタイルが影響していると考えている方もいました。

 

・がんは昨日今日になるわけではない、10年、20年前からずっと進行していて、自分の人生ががんをつくっているから、一番責任があるのは私だと思うんです。(60歳代前半・男性)

 

・胃が痛くて、薬を飲むと普通にまたやっていく、これを繰り返していって、免疫力もおちてくると、がんを発症するということじゃないかと思います。(60歳代前半・男性)

 

・塩分を取りすぎて、胃潰瘍がガン化したと思っています。(60歳代前半・男性)

 

 

 

家族の思い・家族への思い 

 

 ここでは、胃がんになったことを家族にどのように伝えたのか、そして家族はどう受け止めたのかの語りを紹介します。入院中の様子をとりあげた「家族との関係」をはじめ、他のトピックで紹介している語りもありますが、ここでも「家族の思い・家族への思い」として紹介します。

 

 がんと診断されたとき、家族の気持ちにも大きな影響を与えます。診断を受けた本人はもちろんですが、家族も不安やショックを受けるという語りがありました。 

 

・がんという現実を受け止めるのは当人にとっても家族にとっても時間がかかることです。(50歳代前半・女性)

 

・主人が執刀医の先生に「何としてもうちのやつを助けてくれ」って言ったんだって後から聞かされました。(50歳代後半・女性)

 

・入院中は夫が毎日見舞いに来てくれました。(50歳代前半・女性)

 

・主人が「いろいろな苦労をかけて病気にさせたのも俺だ、だからお前を一人病院に残して帰るのがすごく辛かったんだ」と言ってくれました。やっぱり家族って、ありがたいですよね。(50歳代後半・女性)

 

・病気は一人では治されないということ、なってみて初めてわかったんですよね。(60歳代後半・男性)

 

・息子が体調への気遣いの言葉をくれました。(70歳代前半・男性)

 

 

患者会との関係

 

 ここでは、同じがん患者の方々とどのような関わりをしているのかを紹介します。

 同じがんを経験した同士の交流を通して、病気との付き合い方を見出すこともあるようでした。また、患者以外も参加できるような患者会になることを望む語りも聞かれました。

 

・患者会の集まりは有意義なものです。(50歳代前半・女性)

 

・患者会で顔なじみができて話も楽しくなってきました。(60歳代後半・男性)

 

・がん患者であることを常に意識しなくていい患者会作りが必要だと思います。(50歳代前半・女性)

 

 

周囲の人との関係

 

 がんになったことを周囲の人に話すか話さないかは、相手との関係性や病気の経過も関係すると思いますが、話す、話さないの両方の語りが聞かれました。

 

・病気のことを隠す気は全然ないですし、胃がんを患って退職したという話も普通に言います。(50歳代前半・女性)

 

・いつでも健康でいたいもので。病気のことは人に話さない。(70歳代後半・男性)

  

 

ここでは、入院生活の中での医療者との関わりについて、どのようなかかわりがあったか、それを通してどのように感じていたか紹介します。入院治療の中では、医療者とのかかわりは多く、他のトピックで紹介している語りもありますが、医療者との関係として、ここでも紹介します。

 

手術の説明を聞いた時、十分に説明をうけたと感じる方と、十分な説明ではなかったと感じている方がいました。

 

・いい先生で説明もきちんとしてくれました。(50歳代後半・女性) 

 

・手術の説明の際に、もっと詳しい説明をしてほしかったです。(60歳代後半・男性)

 

手術をうける病院を選ぶ時に医師の紹介した病院を選択しないことや、検査結果が気になって他の病院を受診したことで、医師に怒られた体験をした方が2名いました。

 

・東京の病院に行くと話したら、先生から怒られました。病院は自分で選んで行くんですよ。(60歳代前半・男性)

・何でA市まで行って調べてもらわなければまいねんだ(だめなのか)と。近くの病院の診察で待っていられないのかと、そういうふうなお叱りを受けました。(60歳代後半・男性)

 

医師や看護師からかけられる言葉は、患者にとって、安心感にも不安にもつながっていました。

 

・すごくショックな言葉だと思いました。患者にすればすべてが初体験じゃないですか。その時は、お父さんに泣きながら愚痴をこぼしていました。(50歳代後半・女性) 

 

・お医者さんももちろん、看護師の声かけも患者の気持ちに影響します。(50歳代前半・女性) 

 

・他の病院の診察をうけたことを担当医師に話すと、Aさんの体なんだからそれは当然でしょう。と言われてホッとしました。(60歳代後半・男性) 

 

・担当の先生が、ご飯の残った量を見まして、「これぐらい食べれると、まずまずいいほうかな」っておっしゃってくれました。(60歳代後半・女性)

 

 

胃がんの抗がん剤治療には、手術と組み合わせて使われる補助化学療法と治療が難しい状況で行われる抗がん剤中心の治療があります。抗がん剤の副作用は人によって程度に差があるため、効果と副作用をよくみながら行います。(各種がんシリーズ 胃がん 受診から診断、治療、経過観察への流れ,編集・発行 国立がんセンターがん対策情報センター,2010.03)

 

今回の胃がんの体験談では8名のうち、抗がん剤治療をうけていたのは3名でした。3名のうち、1名は手術を受ける前に抗がん剤の飲み薬で治療を行い、2名は手術の後に抗がん剤の点滴とさらに通院しながら抗がん剤の飲み薬で治療を行っていました。

 

ここでは、抗がん剤治療を行う際に抱いた気持ち、抗がん剤治療での副作用、抗がん剤治療を行う際に気になった医療者とのやりとりについて紹介します。3名の体験であり、ここで紹介する体験談のすべてが胃がんの抗がん剤治療をうける方に共通するとは言い切れませんが、貴重な体験談であることをご承知ください。

 

手術の前に飲み薬で抗がん剤治療をおこなった方は、体のだるさがありましたが、抗がん剤治療が休みの期間に泊りがけで旅行にいくなどしていました。

 

・手術までちょっと期間があるので、抗がん剤を投与してみましょうかということで服用しました。(60歳代後半・男性)

 

・副作用はそんなに気になるほどではなかったです。抗がん剤をやっても休むと平常に動くことができましたから抗がん剤治療が休みの間に旅行に行きました。(60歳代後半・男性)

 

・抗がん剤が効いたから、これくらいで済んだのかもわからないな。(60歳代後半・男性)

 

手術後に抗がん剤の点滴と飲み薬で治療をおこなった2名の方は、抗がん剤の点滴を始める時の強い恐怖感や、食事が食べられない、口内炎、下痢、髪の毛が抜けるなどの副作用を体験していました。

 

・入院している間に抗がん剤の点滴を2回やって、退院してからも通院で抗がん剤の点滴をやるという説明でした。(50歳代前半・女性)

 

・抗がん剤の点滴を始める時、先生の顔が悪魔的に見えて、自分の細胞はそうなるのだろうかと、恐怖を感じながら受けたのを覚えています。(50歳代後半・女性)

 

・すごかったんですよ。とにかく体がだるくて吐いて。(50歳代後半・女性)

 

・洗面台の排水溝が髪の毛で詰まったのを見たとき、心臓がドキドキとなって「はあぁ」という恐ろしさがありました。(50歳代後半・女性)

 

・「口から食べなさい、口から食べなさい」と言われても、食べれなかったです。(50歳代前半・女性) 

 

・怖いものですよ、下痢って。水道の蛇口をひねったみたいに肛門から出るんですよ。(50歳代後半・女性) 

 

・退院後の腹痛で、救急での受診を繰り返し、再入院しました(50歳代後半・女性)

 

・ホッカイロは両肩、両腰、おなかと毎日5個使いました。それでも寒いんです。家にいても手袋をしていました。(50歳代前半・女性)

 

抗がん剤の副作用に苦しんでいる時、看護師からの言葉にショックをうけることもありました。そのような時、家族が支えになっていました。また、他の治療をしている人たちをみて、気持ちを奮い起こしていました。この語りは、「入院中の医療者との関係」「他の入院患者との関係」でも紹介していますが、ここでも紹介します。

 

・すごくショックな言葉だと思いました。患者にすればすべてが初体験じゃないですか。その時は、お父さんに泣きながら愚痴をこぼしていました。(50歳代後半・女性) 

 

・私も頑張らなきゃと、周囲の人たちを見て元気をもらったりしていました。(50歳代後半・女性)

 

抗がん剤治療が終わると、2名とも身体の調子が回復していくことを実感していました。

 

・少し軟便みたいになってきたときは、私は本当に泣いて喜びました。これでもう治っていけると思って、トイレで本当にボロボロと泣きました。(50歳代後半・女性) 

 

・抗がん剤を終えたその日から、下痢が止まりました。食事がおいしくて、体重が増えていくのが、うれしかったです。(50歳代前半・女性)

 

抗がん剤治療をしている間、抗がん剤を決められた時間通りに飲むために、食事の時間を抗がん剤を飲む時間にあわせたり、生活リズムを整えるために夜は睡眠剤を飲んで寝るなど工夫していました。

 

・抗がん剤を飲むときは、生活が規則的になります。(50歳代前半・女性)

 

・抗がん剤治療をしていた時は、何回も昼寝をするから夜に眠れなくて、眠りのサイクルが狂うと思って眠り薬を飲んでいました。(50歳代前半・女性)

  

 

 

がんという診断を聞いたとき、驚きやショックな気持ちとともに、「何で自分が?」などと考えることは、自然な感情です。ここでは、胃がんの診断を医師から伝えられた時の気持ちを紹介します。

 

胃がんと聞いた時、「えっ?」「なぜ?自分が?」という驚きや不安の気持ちがきかれました。

 

 

・えっ、私がどうしてがんになるの?と思ったんです。(60歳代後半・女性)

 

・全身に何か不安なものが走るという感じでした。(50歳代後半・女性)

 

がんと聞いた時、胃がんは神経質な人がなるというイメージや、がんは死と直結するなど、それぞれが持つがんへのイメージが影響していると思われる語りもありました。

 

・胃がんは、神経質で几帳面な人が多いっていうけど、私が胃がんというのは意外でした。(50歳代前半・女性)

 

・大概、がんというと死と直結するイメージがあるじゃないですか。精神的な恐怖というか、どうなってしまうんだろうとか考えました。(50歳代後半・女性)

 

がんと聞いて、それほどショックではなかったと語った方は、がんは治る病気と自分に言い聞かせることや、「あだわいできている」など、出来事の捉え方も影響している様子でした。

 

・大丈夫、がんは手術すれば治るからと、自分で自分に言い聞かせていました。(60歳代後半・男性) 

 

・「あだわいできている」と、受けるほうは素直に受けるほうなんです。だから、そういう点では、あまり慌てることもなかったです。(50歳代前半・女性)

 

 

がんの診断を聞いた時、家族もいろいろな気持ちを抱きます。家族から自分ががんになって落ち込んでいたことを聞いた方、家族の言葉に気持ちが楽になった方の語りがありました。また、抗がん剤治療の間に夫婦で旅行に行って気分転換していた方もいました。

 

・現実をどう受け止めるか患者も悩みますけど、家族もどういうふうに受け入れたらいいかというので悩んでいたそうです。(50歳代前半・女性)

 

・なったものは仕方がないから、それを治すようにしたらいいんでない?と夫から言われて、気持ちが楽だった。(50歳代前半・女性)

 

・入院前に、夫婦で旅行に行ってきました。旅行中は、病気のことを忘れていました。(60歳代後半・男性)

 

 

担当医以外の医師の意見を聞くこともできます。これを「セカンドオピニオンを聞く」といいます。

ここでは、①診断の確認、②治療方針の確認、③その他の治療方法の確認とその根拠を聞くことができます。

聞いてみたいと思ったら、「セカンドオピニオンを聞きたいので、紹介状やデータをお願いします。」と担当医に伝えましょう。

担当医との関係が悪くならないかと心配になるかもしれませんが、多くの医師はセカンドオピニオンを聞くことは一般的なことと理解していますので、快く資料をつくってくれるはずです。

(各種がんシリーズ 胃がん 受診から診断、治療、経過観察への流れ,編集・発行 国立がんセンターがん対策情報センター,2010.03)

 

ここでは、主治医以外の医師の意見を参考にしたセカンドオピニオンのトピックを準備しましたが、正式に主治医にセカンドオピニオンを聞きたいと相談をして、主治医以外の医師の意見を聞いた方の語りは現在のところみられませんでした。

 

厳密なセカンドオピニオンではありませんが、検査をした病院や紹介された病院と違う病院を受診した方は、8名のうち2名いました。この語りは、ほかのトピックでも紹介していますが、ここでも紹介します。紹介された病院と違う病院に入院することを選んだ方は、先生に怒られたことを一生わすれないと話していました。

 

・もう一度、他の病院に行って、胃腔検査と内視鏡をやりました。(60歳代後半・男性)

 

・東京の病院に行くと話したら、先生から怒られました。病院は自分で選んで行くんですよ。(60歳代前半・男性)

 

 

ここでは、胃がんを体験した方がどのようにして治療方法の選択と決定をしていったのか、その際にどのようなことを感じたかを紹介します。

 

今回の胃がんの体験談では、8名全員が最も有効で標準的な手術治療をうけていました。そのうち3名の方が、抗がん剤治療をあわせてうけていました。今回は、内視鏡的治療、放射線療法、緩和医療の体験の語りは聞かれませんでした。

 

胃がんの診断をうけてから、8名全員が手術のできる大きな病院に入院していました。そのため、入院前から手術をすることが前提に話がすすんでいた様子でした。

 

・胃を全部摘出するか、部分摘出になるかの詳しい話は後でするとして、検査の5日後には入院をして手術ということになったんです。(50歳代前半・女性)

 

・結局、あれよ、あれよといううちにがんで手術することになっちゃったんです。(60歳代後半・女性)

 

・手術までは、大体2カ月も待ったらと先生が言ってあったの。そしたら、キャンセルがあったから手術できるって電話が来て、それで急にやってもらったの。(70歳代前半・男性) 

 

先生から手術の説明に、もっと説明して欲しいと感じながらも、自分が先生のところに行ったのだから、治療は先生にお任せしていると話す方もいました。

 

合併症は、出血とか、肺とか肛門付随とかって、もう頭の中がパニックで。先生になして取ねばまいねんだ(何で取らないといけないのか)と聞く時間も何もなかった。(60歳代後半・男性)

 

・私がその病院に行ったから、その先生にもう自分でお任せしましたので、その先生がこういうふうにするというのであれば、お任せということですね。(60歳代後半・男性) 

 

・D病院に来たらだんだん話が変わってきた。切ねばまねぐなったわけ(切らないといけなくなったわけ)。(70歳代前半・男性)

 

手術を受けるにあたり、医師がよく説明をしてくれて、手術を受けることができたと話す方もいました。

 

いい先生で説明もきちんとしてくれました。(50歳代後半・女性) 

 

・消化器内科のほうでもいろいろと検査をして、手術する1日か2日前に外科のほうに移りました。(50歳代後半・女性)

 

 

ここでは、手術後の痛みや点滴、食べることなど大変だった出来事と、それが退院までの間にどのように変化していったかの語りを紹介します。

 

・意識が戻ってから、寒くて布団をかぶせてもらった記憶があります。手術後は、いろいろな管が入っていました。食事は重湯から少しずつ固形になっていきました。(60歳代後半・男性) 

 

・手術は全身麻酔で、翌日に集中治療室みたいなところで目が覚めた。手術の後は、結構痛かったけど注射して、起きて歩いたっきゃ(歩いたら)だんだんに良くなってきた。(70歳代前半・男性) 

 

・ 痛み止めを使いながらで、そんなに痛い手術だったなという記憶はあまりないですね。(60歳代後半・女性) 

 

・入院中、一番きつかったのは点滴です。(60歳代後半・男性) 

 

・神経を切られているから、神経の痛みのような違和感がありました(60歳代前半・男性)

 

入院期間については、治療ステージや手術の範囲、体調などの違いもあると思われますが、さまざまでした。

 

・退院予定日の2日前に熱が出て、大体45日くらい入院しました。(70歳代後半・男性) 

 

・1日に入院して6日に手術。21日に退院。 多少調子が悪かったけど病院の匂いが好きじゃなくて、標準型のペースで退院したということです。(60歳代後半・男性)

 

・45日で口から食べられるようになって、1週間くらいかかけて、普通のご飯になった。入院は2425日くらい。ひとつずつ普通の生活に戻ってきました。(60歳代後半・女性)

 

 

胃がんの手術後の経過では、胃の一部分や全部を切除するため、ほとんどの方が、手術前と同じような食事量が食べられなくてつらい思いをしたと話していました。

 

ここでは、手術後に食べることがつらかったことをはじめ、食べられない中で気持ちが楽になった担当の先生の言葉、病院に期待すること、他の入院患者さんとのやり取りなど、手術後の食生活に関連することを紹介します。

 

・食べれない日が続いたし、こんなに胃がんの手術が大変だとは考えもしなかったんですよ。(50歳代後半・女性) 

 

・とにかくお腹がすかないんですよね。自分で食べられないという意識がある中で、ご飯が常に3度来るのですごく嫌だったんですね。(50歳代前半・女性) 

 

・まずくてかいね(おいしくなくて食べられない)。入っていがねんだね(入っていかないんです)。家さ行って、めぇもの食ったらいいんでねがな(おいしいもの食べたらいいんじゃないか)と思って退院しちゃったのさ。(60歳代後半・男性) 

 

・食事のメモする用紙が来るんですよ。あれが最高につらかったです。食べられないのを正直にそう言えばいいのに、悪いような気がして正直にいえなくて。(50歳代前半・女性)

 

・担当の先生が、ご飯の残った量を見まして、「これぐらい食べれると、まずまずいいほうかな」っておっしゃってくれました。(60歳代前半・女性)

 

食べられないことは残酷なことだと思いました。退院するときのアンケートに、病院で食欲のない方に対する食事を、ぜひ検討してくださいと書いてきました。(50歳代前半・女性)

 

食事が食べられない中、他の入院患者さんの様子をみながら、自分の状態を把握しようとしている方もいました。「他の入院患者との関係」でも紹介しますが、ここでも紹介します。

 

・自分では食べられなかったと思うけれど、他の患者さんたちから見れば、結構順調に回復してるかなという感じがしました。(50歳代前半・女性)

 

・同じころに手術をした人が食事を全部食べたと聞いて、私もどのくらい食べられるかと思って、無理やり食べたことあるんですけれども、やっぱり出てしまってね。(50歳代前半・女性)

 

 

 がん体験者の方は、がんという病気に対して悲観するばかりでなく、自分の生活の一部として前向きに捉えるようにしている場合もあるようです。インタビュー協力者の中には、「一病息災」という言葉を使い、がんを患ったからこそ自身の身体に対して以前よりも気をつけるようになり健康的に生きられる、という話される方もいました。

 

 ここでは、胃がんの治療を体験して、今感じていることや周囲に伝えたいことなどの語りを紹介します。 

 

 

 がんになっても元気で長生きしている人がいることを忘れてほしくない、がんは恐ろしい病気ではないと話される方もいました。

 

・元気で生きている人がいるよ、がんは怖くないんだよ。(60歳代後半・男性)

 

・検診を受けて、早く発見すれば、がんはそんなに恐ろしい病気ではなくなってきている。(60歳代前半・男性)

 

 

 また、がん検診の大切さや、がん治療では様々な意見を聞いて検討することも重要だと話される方もいました。

 

・がん検診は早期発見・経済的負担の軽減につながるのでお勧めします。(50歳代前半・女性)

 

・がん治療を決める際には、様々な意見を聞いて方法を検討してみるのもいいと思います。(60歳代後半・男性)

 

・元気になるための投資は薬だけではないという考えで、あちこちに出向いています。(50歳代前半・女性)

 

 

 

 今回は、再発を経験された方は10人中1人だけでした。全国の乳がんの再発率は、がんの進み具合ごとに異なっています。進み具合はⅠ(1)期からⅣ(4)期で表され、数字が小さいほど早期であることを示しています。Ⅰ期の再発率は10%以下、Ⅱ期になると30~40%、Ⅲ期以上になると50%以上といわれています。

 

 この方は、初発時には乳房切除術を受けています。術後には肩の冷えや、腕の重たさを経験しておられました。定期的に検診をしていることが再発の発見につながったのではと考えているようです。

 

・術後の後遺症があったため、定期的に通院していた。定期的に検診を受けていたからこそ再発が早く見つかったと思う(40歳代後半・女性)

 

 

 病気をしたことで、つらいことや不安なこと、人とのかかわりで嬉しかったことなど、さまざまな経験をします。そういった経験を経て、病気との付き合い方、病気に対する考え方、さらには人生観をも変わっていきます。

 

 今回のインタビュー協力者の方々は、乳がんをどう捉え、どう生きてきたかをそれぞれの視点で語ってくださいました。ここでは、乳がんを経験した人たちがどのように乳がんと向き合い生活をしていったか、など「がんと生きる」ことについての語りを紹介します。

 

 病気の経験をへて、前向きになろうと考えなおしたり、強く生きていこうと考えるようになる人もいます。趣味を持つことで前向きになろうとされる方もいるでしょう。

 

・心配がないと言えばうそだけど、なるべく後ろを向かずに前向きに、趣味を持つことを始めた。(50歳代後半・女性)

 

 

 また、ある方は病気の経験も「授業料」と表現され、その経験を生かして少しでも他の人の役に立てば、という気持ちにもなっていました。

 

・いろいろな経験も授業料だと感じている。(40歳代後半・女性)

 

 

 がん経験を前向きに捉えられている人もいる半面、闘病のつらさから再発・転移を不安に思い、「がんのことは忘れたい」と思われる人もいます。ある方は、「私は、あの苦しみは味わいたくないというのか。」とおっしゃっていました。

 

 病気の経験により、生き方を変えたり、考え方が変わったことによって、その経験自体を前向きに捉えられている人もいます。ある方は自分の生き方を変えることが出来たことで病気に感謝していると話されていました。

 

・病気をしなかったら自分を粗末にしていると思うのでこの病気に感謝している。(40歳代後半・女性)

 

 

 病気をしたことにより、自分の考え方が変わられたことを実感される人もいます。考え方や人生観の変化を前向きにとらえている語りがいくつか聴かれました。

 

・病気になってますます強くなった。自分のことは自分でやるということが何でも大事じゃないかと思う。(40歳代前半・女性)

 

・今は自分を一番大切にしようと思っている。(40歳代後半・女性)

 

・病気とともに生きていくという気持ちが大事だと思う。(40歳代前半・女性)

 

 

 発病してから数年たち、長い年月がたったことで乳がんになったことを後ろ向きにならずに考えられるようになったと語る人もいました。発病直後とは異なり、乳がんになったことをしっかりと受け止め、前向きに考えることが出来るようにもなったと言います。

 

・1回目のがんから15年たち、3回のがん経験を経ても生きたという自分の証があるからこそ、すごく楽な気持ちで受け入れられる。(40歳代後半・女性)

 

・長い年月がかかったが、がんに感謝して楽しく生きることが出来ていると言える。(40歳代後半・女性)

 

 

 また、ある方は「がんとはお友達」と表現され、「がんとともに生きる」ことをご自分なりに受けとめているようでした。

 

 また、自分の経験や生き方を知ってもらうことで、他の人に少しでも元気になってもらいたい、他の人の役に立てたら、という気持ちになる人もいます。

 

自分は3回がんをしてもこれだけ元気。自分が元気な姿を見せて、落ち込んでいる人が少しでも元気になれたらと思う。(40歳代後半・女性)

 

・病気になって周りの人に対する思いやりができた。本当にみんなに感謝している。(40歳代前半・女性)

 

 

 病気の経験をして、趣味を楽しむようにしたり、これまでの生き方を見直すことがあります。趣味や旅をとおして病気に打ち勝つパワーを溜めているのかもしれません。

 

・病気をしても自分の好きなことをすることが最高。旅はすべてを忘れさせてくれて「病気に勝たなくては」という気持ちにしてくれる。(70歳代前半・女性)

 

 

 また、ある方は患者会に入り、いろんな人の話を聞くことで自分の命の考え方を変えられたと語っていました。患者会での話により、不安が吹っ切れて気が楽になった経験をされたそうです。

 

生きた分が自分の命なんだ、もうかった命なんだと思えば、すごく気が楽になった。(70歳代前半・女性)

 

 

 仕事の経験を経て、病気との向き合い方、気持ちの持ち方も変わってくることがあります。ある方は仕事で人と接すること、家庭以外の役割をもつことで、精神面で救われたと話されていました。

 

・うつ病のようになってしまったとき、仕事と家のことをやることで救われたと思う。(70歳代前半・女性)

 

 

 

 がんと向き合い、立ち向かうためには、周囲の人とのかかわりや家庭環境・職場環境など様々な支えが必要になります。それは家族であったり、友人であったり、患者会であったり、人によっても時期によっても異なります。支えとなる人や環境は、その都度がんを乗り越える力と勇気を与えてくれるようです。

 

 ここでは、そういったそれぞれの方が支えとなった人や環境についての語りを紹介します。

 

 

□入院中の支え

 入院時には、突如としてがんという病気に立ち向わなければならない状況下に置かれます。家族はもちろんのこと、同室の人との励ましあいが大切な支えにつながることがあります。

 

 ある方は、母親の朝から晩までの多くのサポートによって入院生活が乗り越えられたことを語られています。

 

・入院中は母親が毎日朝から晩まで一緒にいてくれた。(50歳代前半・女性)

 

 

 また、同室患者に励まされたという人も少なくありません。話し相手がいること、同じ病気をしているため共感できる部分が多いことにより、精神的に救われる部分が多いようです。

 

・最初の入院のときに同室だった同年代の乳がんの患者に励まされ、勇気付けられた。(50歳代前半・女性)

 

 

 また、ある方は、入院中は同室の人や友人と話をすることで支えてもらったと感じており、退院してから抗がん剤を服用している時には家族の支えに助けられたことを語られていました。

 

・入院している間は大部屋に入って同室の人とお友達になったり、話をすることが良かった。また、抗がん剤のときには、家族の人の助けがなければとてもやっていけなかったと思う。(60歳代後半・女性)

 

・入院中同室だった患者との付き合いがいまでも続いている。同じ病気をもった仲間と出会えたことは貴重なことだった。(50歳代後半・女性)

 

 

 ある方は、同室の人だけでなく、入院中に乳がん経験者の友人と電話することで精神的に落ち着こうとされたエピソードについて「退院してからそう思ったけれども、あのときはわからないけれども、とにかく誰かと話がしたかったり、必死なのね。」と話されていました。 

 

 

 

□退院後の生活での支え(患者会のささえ)

 退院しても、がんとの闘いは続きます。日常生活や社会生活においても、入院前との違いを感じたり、精神的に追い込まれたりすることもあります。

 そういった中で、精神面での支えとして、同じ病気をしている仲間や患者会の存在を挙げられる人もいました。特に今回は患者会の参加者にインタビュー協力をお願いしたこともあり、それぞれにとっての患者会の存在の大切さを語られる方が多くいました。

 

・自分の我が強いのもあり、家族に助けてもらおうとは一切しなかった。心細い面については、患者会でカバーしてもらった。(40歳代前半・女性)

 

 

 患者会によって病気を乗り越える力をもらったという人も少なくありませんでした。家族・友人とは異なる患者会という環境により、精神的に回復していった人もいます。

 

・がんへの向き合い方がわからない状況のとき、患者会の記事をみて仲間に入れてもらうことになった。患者会はなくてはらなない存在になった。(40歳代後半・女性)

 

・自分の精神的な部分が回復できたのは、患者会で行われれる年1回の総会で全国大会に出かけられたこととその喜びだと思う。患者会のみなさんに会えることを力にして生きている。(40歳代後半・女性)

 

 

 また、ある方は、患者会に入るきっかけを与えてくれた会長や患者会を運営しているメンバーに出会うことで精神的に乗り越えることが出来たと話されていました。

 

・会長のAさんとそのサポートをされているBさんがいなければ違う意味での病人になっていたと思う。(40歳代後半・女性)

 

 

 

 今回、インタビュー協力をしてくださったのは、患者会に参加者されている方々でした。

 

 協力者のみなさん、ひとりひとりにとっての患者会は大きな存在であり、こころの支えになっていました。それぞれが同じ病気を経験した人同士であり、みなで経験や想いを共有することの大切さを実感されているようでした。

 

 ここでは、患者会での取り組みや出来事について、それぞれにとっての患者会の存在についての語りを紹介します。

 

 

□患者会の運営について

 まず、患者会がどのような活動をし、運営をされているか詳しく説明をしてくださった方がいましたので、それらの語りを紹介します。会運営の方法と内容について、それぞれの立場でお話くださいました。

 

・A患者会の運営内容について(説明)(40歳代前半・女性)

 

・会の運営やがんフォーラムでのイベント運営について(説明)(50歳代後半・女性)

 

 

 また、運営側の視点として、患者会の発起人や事務局スタッフをやられている人の考え方、立ち上げ時のお話などを紹介します。

 

・外来の待合室で知り合った人と一緒に患者会を作ることにした。患者会の育成と同時に、自分のがんに対する気持ちがだんだん高まってきた。(40歳代前半・女性)

 

・事務局の経験ではいろいろとあったが、事務局をやることでみんなの気持ちもわかるので満足している。(40歳代前半・女性)

 

・自分のような者を一人でも救いたいという気持ちで発起人として会運営をしてきた。(40歳代前半・女性)

 

 

 また、運営側ではないものの、初期から入会し必要性を実感したという方もいました。

 

・会が出来たとき、一番初めに入会した。同じ病気の人と話をする場がそれまでなかったが必要だと思った。(30歳代後半・女性)

 

・活動も低下しているかもしれないが、みんなの顔を見て励まされるということで十分会の目的を果たしていると思う。(40歳代前半・女性)

 

 

 

□患者会の魅力

 患者会のもっとも大きな魅力は、同じ経験をした者同士が語り合い、情報交換・想いの共有をしあえることがあります。それぞれのインタビュー協力者がそういった患者会の素晴らしさを話されていました。

 

・健常者ではわからない心の痛みがわかりあえる。話を聞けば元気で良かった、と励みになる。(50歳代後半・女性)

 

・同じ病気の人だと何を言ってもいろいろと参考になるので入って良かったと思う。(40歳代後半・女性)

 

・この場所ではみなさんの気持ちが通じ合っているので、いろいろなことを話しても割といいかなと思っている。(40歳代後半・女性)

 

・患者会の食事会に参加したいために退院を1日早めた。このグループの存在がほかのお薬よりも一番効く薬だと思っている。(40歳代後半・女性)

 

 

また、ある方は患者会に入られている人たちの特徴を話され、それぞれ「十人十色」でいろいろな考え方があるから面白みがあると語っています。

 

・10人いると10人の考え方が違う。それをよく聞いて、自分の生活に当てはめて考えてみる。(40歳代前半・女性)

 

 

 患者会に参加することで不安が軽減したり、悩みが吹っ切れた経験があるからこそ、他の人にも患者会のことを知ってほしい、という思いを持つ方も多いようです。

 

・もし、がんで悩んでいる人がいたら、患者会のことを知ってほしい。この会があるから深刻にならずにいられている。(40歳代後半・女性)

 

 

 患者会での情報収集も魅力の一つであるようです。再発・転移の不安を抱えている人にとっては、患者会での情報は不安を少なくする大切なものだと言えます。

 

・患者会から得ることができた情報があった分、2回目、3回目のがん治療のときは気持ちが楽だった。(40歳代後半・女性)

 

・会に来ると同じ病気の人の話を聞いたり、いろいろなことが出来るから安らぐ。(50歳代前半・女性)

 

・集まった人たちからいろいろな情報をもらうことが出来て助かっている。(60歳代後半・女性)

 

 

 また、入会のきっかけはそれぞれですが、ある方は同じ職場の人からの紹介で、退院後すぐに入会されたことを話されていました。

 

・先に乳がんになった同じ職場の人からの紹介で会に入会した。(50歳代後半・女性)

 

 

 

□患者会のむずかしさ

 患者会に参加されている人の中には、運営面やその会の機能面に対して、十分満足がいっていない人もいました。とくに、乳がん独特の悩みを打ち明けたいと考えたときに、男性もメンバーに入っていたり、がん腫が異なると話しづらいと思うこともあるようです。

 

・会の雑談の中でいろいろな情報は入ってくるが、がん腫もばらばらなのですべてが自分のためになるものばかりではない。(70歳代前半・女性)

 

・乳がんの人たちだけの集まりが青森地域にもあればいいのにと思う。(70歳代前半・女性)

 

 

 また、患者会に入っていたが、運営側の人と考えがあわずに退会してしまったエピソードを話して下さる方もいました。

 

・がんの仲間がそばにいることが大事なこと。もう一つ患者会に入っていたが、運営面での意見が食い違って退会した。(50歳代後半・女性)

 

 

 

 インタビューに協力して下さった方々は、同じく乳がんを発病された人、またその人をサポートされる人へ向けて様々なメッセージを語って下さいました。ここでは、そのような他の人へのメッセージをいくつかご紹介します。

 

 

□病気とのつきあい方

 病気にとらわれず、趣味や仕事など前向きに活動されることが病気と向き合い、病気に打ち勝つ方法であると話されている人もいました。

 

・仕事を辞めてからも自分で趣味をもてるように、準備をしておいた方がストレスも少なくなるのではないか。(40歳代前半・女性)

 

 

 

□早期発見や検診について

 また、メッセージとして、早期発見やそのための検診の必要性を訴えられる人もいました。

 

・早期発見のための健診が一番大切。また、気持ちを強く持たないとだめかなと思う。(40歳代後半・女性)

 

・早期発見すれば誰でも大丈夫だと思う。だから、検査はしておかないと駄目だと思うので娘にも言っている。(50歳代後半・女性)

 

 

 今回のインタビュー協力者は、発病から数十年経過した人も多く、平均年齢も○○歳でした。がんは若い人にとって縁遠いイメージを持たれがちであることを懸念されてか、「若い人たちも早期発見のため検診をしてほしい」というメッセージもみられました。

 

・がんは老人の病気だって言われるけど、若い人でも安心せずに検診をしてほしい。(60歳代後半・女性) 

 

 

 ある方は、20歳を過ぎたら検診をするべきであること、触診だけでなくマンモグラフィーも行う必要があると話されていました。

 

・痛い,怖いじゃなくて、自分のため、家族のために検診はするべき。触診だけでなくマンモグラフィーをやるべきだと思う。(70歳代前半・女性)

 

 

 ある方は、胸のしこりなど徴候がなかったが乳がんと診断された経験を話され、徴候がなくてもきちんと調べてもらった方が良い、と経験をもとに話されています。

 

・コロコロ(胸のしこり)がなくても乳がんと診断された。コロコロが一番の印だと言うけど、それがなくても調べてもらった方がいい。(60歳代後半・女性)

 

 

 また、ある方は、乳がんのことをもっと知ってもらえるように、早期発見をしてもらえるように、という思いから傷あとを隠さずに堂々と浴場に入るようになられたことを語ってくださいました。

 

・早期発見しなさいよということを他の人にも教えてあげる意味で、堂々と隠さないで浴場に入るようになった。(50歳代前半・女性)

 

 

 

 乳がんの手術には、乳房全体を切除する「乳房切除術」と、しこりを含めた乳房の一部分を切除する「乳房温存術」とがあります。がんの進行度や大きさなどから手術の方法を検討します。「乳房温存術」は、病変の部位や広がりによって、乳頭を中心にした扇形に切除、あるいはがんの周囲に2cm程度の安全域をとって円形に切除します。現在では、胸の筋肉(大胸筋と小胸筋)を残して乳房だけを切除する胸筋温存乳房切除術と、乳房温存術後に放射線を照射する乳房温存療法が標準的な治療となっています※1

 

 

□乳房切除術

 乳房切除術を受けることを決めたインタビュー協力者は、手遅れになることや再発することを考え、この治療を受けたことを肯定的に受け止めていました。

 

 

手遅れになったり再発することを考えたら、私は、全部とったほうがいいかと思っています。(40歳代前半・女性)

 

二度目のとき、化学療法も薦められたが私は「切ってください」っていって切ってもらった。(50歳代後半・女性)

 

 

 手術後の傷がなかなか治らず、苦労した協力者もいました。家族などの協力を得て回復できたという語りや、手術の前後は眠っていてわからなかったという、手術の実際に関する語りがありました。

 

けっこう大きくなっていて、悪性のものだといわれた。手術後は傷がなかなか治らず苦労した。(60歳代後半・女性)

 

意外と傷口はぜんぜん痛くなかったけれども、傷の絆創膏に負けて化膿してしまった。(70歳代前半・女性)

 

眠っていたから、朝までわからなかった。(70歳代後半・女性)

 


 

□乳房温存術 

 乳房温存術を受けたインタビュー協力者は、乳房切除術や他の内臓臓器の手術と比較して、それほど苦労や心配がなかったと語っていました。

 

過去の乳房切除術を受けた経験と比べて、身体への負担がだいぶ違うことを身をもって感じた。(40歳代後半・女性)

 

早期だったし、とってしまえばあとば後は大変じゃない。(40歳代後半・女性)

 



 

※1  日本乳癌学会(2006).乳がん診療ガイドラインの解説 2006年版 乳がんいついて知りたい人のために,p.56,金原出版,東京.

 

 

 

 手術療法によってリンパ節を取り除く処置を行った場合、リンパ液の流れが悪くなり、手術をした側の腕が腫れたり(リンパ浮腫)、しびれたり、傷が引きつれて腕や肩の動きが悪くなるという術後後遺症がおきることがあります。そのため、リンパ液の流れをよくするために、手術後できるだけ早い時期から、そして退院後も継続して腕の運動をすることが必要となります。

 

 インタビュー協力者の方々は、様々な術後後遺症を体験していました。手術後から何年もの間ずっと続いていたもの、また、手術後ずっと後になってから生じてくるものなどがありました。

 

5年間、傷の引きつり感が続いた。(50歳代前半・女性)

 

退院したときはなかったけど、去年から痛くなった。(70歳代前半・女性)

 

 

痛みや痺れのために、家事ができない、お風呂で身体を十分洗えないなどの生活に影響が強く現れた方もいました。

 

ザラザラって痛くて、右手でご飯をご飯をよそうへらを持つのも大変だった。(30歳代後半・女性)

 

しびれが辛くて、身体が洗えない。(30歳代後半・女性)

 

痛みの中で手抜きの家事をした。主人も大目に見てくれた。(50歳代後半・女性)

 

 

痛みや腕を動かすことができないために、病気を悪く考えてしまったり、がんばりすぎて自分を追い詰めてしまったという語りもありました。

 

背中が痛かった。私はきっと背中も悪かったんだと思った。(40歳代後半・女性)

 

退院後、母の介護と家事を続け精神的に追い込まれていった。(40歳代後半・女性)

 

 

しかし、インタビュー協力者の方々は、後遺症に苦しむ中にあっても、こうしてはいられないと気持ちを切り替え、仕事を再開する、症状を和らげるための工夫をするなど、自分なりの対処方法を生み出しながら、新しい生活の仕方を模索していくという姿が語りから見出されました。

 

痛みで休んでばかりいたが、こうしちゃいられないという気持ちになって店を再開した。(40歳代後半・女性)

 

肩の痛みに対して、冷えないように掛け物や衣類で気をつけている。(40歳代後半・女性)

 

 

後遺症を防ぐためのリハビリについて、様々な工夫が語られています。山菜を採りに行き夢中になって手を伸ばしていたことが訓練の一つになっていたりと、日常生活そのものが訓練となっているという語りがありました。また、手術直後から、とにかくひたすら真面目に努力をし続けたことが、よくなれたのだという自信につながっている姿も語られていました。

 

普段の生活の中で、つい忘れて手を伸ばしていたことが効果になった。(50歳代後半・女性)

 

お風呂にはいって、腕を回す訓練を一人で続けた。(30歳代後半・女性)

 

同室者と一緒に毎朝ラジオ体操をした。(40歳代前半・女性)

 

 

 

 

 ここでは、リンパ浮腫についての語りを紹介します。乳がんの手術の中で、他の部位への転移を避けるためにリンパ節を取る(リンパ節郭生)こともあわせて行うことがあります。リンパ節は、リンパ液が流れるリンパ管の所々に存在します。リンパ節をとることで、リンパ液の流れが悪くなり、その部分よりも先(腕など)のほうでむくみが現れてきます。これがリンパ浮腫です。

 

 リンパの流れを促すために、どのようにマッサージをすればいいのかということを、ご自分で調べ、実行してきたという語りがありました。もう少し早く医療者からも、リンパ浮腫についての対策を伝えてほしかったという思いもあったようでした。

 

本を買って、自分でどこをマッサージすればいいか全部調べた。浮腫になってだいぶ経ってから医師からマッサージのことを教えてもらった。(70歳代後半・女性)

 

 

リンパ浮腫を気にし過ぎていたら、医師からも通常の生活でもあることといわれたことをきっかけに、気にしないで手術後をした側の腕も使っていこうと思えるようになったという語りもありました。

 

ふつうに仕事をしていたってむくむもの。かばいすぎるのではなく積極的に使おう。(40歳代前半・女性)

 

 

 

 薬によるがんの治療には、いわゆる抗がん剤やホルモン剤などが用いられます。ここではそれらの薬剤を使用した方々の語りを紹介します。

 

 

抗がん剤

 抗がん剤は、がん細胞を死滅させる働きをしますが、同時に正常な細胞も傷害するために、副作用が強く現れます。抗がん剤の主な副作用として、吐き気、嘔吐があります。症状の程度は様々ですが、制吐剤(吐き気止め)によって一時症状が軽減したタイミングを見計らって、食事をしっかりとるという対処を行っていました。

 

吐き気が軽減したタイミングで食事を取った。(50歳代前半・女性)

 

 

 また、免疫力の低下によって、激しい口内炎を起こしていた人もいました。口内炎のために全く食べられないため、かかりつけ医に点滴をしてもらうことで何とかしのぎ、遠方にいる家族の協力も得ながら治療を乗り切っていました。

 

口内炎が続く中で抗がん剤をするのが一番苦しかった。遠方に住む嫁に助けてもらった。(60歳代後半・女性)

 

 

 抗がん剤による脱毛には違いがあり、それほど抜けずにすんでいた人もいました。逆にバサバサと髪が抜け落ちたことへの驚きや不安に関する語りもありました。中には、その恐怖から、抗がん剤を中止し、手術してもらうことを医師に強く希望した人もいました。

 

髪の毛は、治療の後半にぱらぱら落ちてくる程度でした。(50歳代前半・女性)

 

 

 インタビュー協力者の中には、二度の乳がんを経験した後、子宮がんになり、手術療法と抗がん剤治療を受けた人もいました。新たに違う部位のがんにかかったこと、抗がん剤の吐き気が激しく飲むこともできない辛い状態が続いたことで、抗がん剤治療がかえって自分の身体を弱めてしまうのではないかという疑問を感じました。医師とも相談の上、抗がん剤の治療を中止し、自分で自分の身体と相談しながら精神的にも安定した日々を送っているという語りもありました。

 

医師に抗がん剤の中止を相談した数日後、「やっぱりどうしてもやめます」と伝えたら「そうですか」といって、抗がん剤の治療をやめることになりました。今は精神的に安定した状態でいます。(40歳代後半・女性)

 

 

 

□ホルモン療法

 

 乳がんの増殖には、女性ホルモンであるエストロゲンを必要とするものがあります。エストロゲンを必要とするタイプの乳がんの場合、その作用を抑えるホルモン剤を使用することで、転移や再発を少なくさせたり、進行をおさえることができます※2

 

 ホルモン療法を受けたインタビュー協力者たちは、治療への抵抗感や副作用による大きな生活への影響もなくすごすことができていました。

 

先生に言われるように5年間のホルモン剤を飲み、副作用もなかった。(40歳代後半・女性)

 

 

 治療を終了することへの不安から、徐々に投与量を減量することを医師と相談しながら行っていました。

 

医師からホルモン剤の減量を勧められたが、心配だったので少しずつ減らしてもらった。(40歳代後半・女性)

 

 

 また、ホルモン剤治療が必要な期間をはっきりと提示されたことによって、安心して治療に臨むことができているという語りもありました。

 

 

 

□ハーセプチン

 ハーセプチンとは、HER2たんぱくというがん細胞を増殖させる働きのある物質を破壊することで、がんの増殖を抑える働きをする薬剤です。分子標的薬といわれる治療薬のひとつです。ハーセプチンによる治療を受けたインタビュー協力者は、抗がん剤治療を受けていた同じ病気の人々の姿から、苦しい治療になると想像していたようでしたが、特に大きな副作用もなく治療を終了できたことを喜んでいました。

 



※2 日本乳癌学会(2006).乳がん診療ガイドラインの解説 2006年版 乳がんいついて知りたい人のために,p.84,金原出版,東京.

 

 


 

 放射線療法は、放射線を照射した部位のがん細胞を死滅させる治療です。手術療法では、目に見える範囲のしこりを取り除くことができますが、目に見えない部分にがん細胞が残される可能性もあります。そのため、乳房温存術を受けた人、リンパ節への転移が4つ以上あった人、しこりが大きかった人(5cm以上)の場合、放射線療法を受けることで、再発する確率が低くなるとされています※3

 

 しかし、放射線療法は、約5週間(25回)の照射を続けなければなりません。インタビューに協力してくださった方々は、友人や家族の助けを受けながら長い治療の間、毎日病院に通い続けてきたことを語っています。

 

25回は大変だったが、仕事もしながら、同じ時期に放射線療法を受けていた娘と一緒に通い続けた。(40歳代後半・女性)

 

手術をして抗がん剤が終わった後、すぐに放射線を25回、毎日通った。お友達が毎日おかずをつくって来てくれてすごく助かった。(60歳代後半・女性)

 

遠方の病院まで、主人に車で送ってもらって通い続けた。(50歳代後半・女性)

 

 

その日の治療を終えた後に外食をしたり、買い物に行くことを楽しみに通院を続けたという方もいました。

 

放射線治療のあとA町に寄ってご飯を食べたり、買い物をして歩いたことが良かったのかもしれない。(50歳代後半・女性)

 

 

 放射線療法による副作用には、症状が全身に及ぶものと、放射線を当てた部分のみに起きるものに大きく分けられます。

 

 全身に及ぶ副作用として、宿酔(しゅくすい)や倦怠感があります。放射線療法を開始して数日の間に生じる食欲低下、吐き気・嘔吐、身体のだるさなどがその主な症状です。原因ははっきりしていませんが、ほとんどの場合一週間くらいで自然に良くなっていくといわれます。ご家族の差し入れなどで副作用を乗り切った方がいらっしゃいました。

  

近くの中学校に通う子供が、家のものが作った差し入れを届けてくれて、それを食べていた。(30歳代後半・女性)

 

 

 放射線療法を始めて2-3週間ぐらい経ってから、放射線を当てた部分の皮膚が日焼けをしたように赤くなる場合があります。治療が終了した後1-2週間程度でよくなってきますが、皮膚が黒ずんだり、その部分だけ汗をかかないなどの症状が1-2年続くこともあります。

 

皮膚が焼けて黒くなった。(30歳代後半・女性)

 

 

 放射線療法の副作用のために変わってしまった胸を、医師が丁寧に触りながら診察してくれたことが、安心につながっていた人もいます。また、放射線療法を受けたからこそ、今も元気でいられると考えている人もいました。

 

放射線科の先生が必ず放射線をかけたところに異常ないか、全部体に触って診てくれるので安心できるんです。(60歳代後半・女性)

 

 

 放射線療法が終了して、数ヶ月から数年経ってから、肺炎などを起こす場合が稀にあります。今回のインタビュー協力者の方々の中では、それに関する語りはありませんでした。

 

 

 



 ※3 日本乳癌学会(2006).乳がん診療ガイドラインの解説 2006年版 乳がんについて知りたい人のために,76-77,金原出版,東京.

 

 

 

 抗がん剤治療の副作用の一つに脱毛があります。抗がん剤は、がん細胞の細胞分裂が活発であるという特性を利用した治療方法です。そのため、細胞分裂が活発に行われる毛根細胞も抗がん剤によって障害され、脱毛という症状を生じます。 

 

 驚くほど急激に髪の毛が抜けてしまうため、恐怖を感じたという語りもありました。また、家族が用意してくれた帽子をかぶって対処をしたという人もいました。髪の毛が抜けると医療者から説明を受けてはいましたが、眉毛も顔の産毛もなくなったことに驚くとともに、入院中の顔そりの心配がなくなり助かったという意外な語りもありました。

 

ガバッと抜けてつるんとなっちゃいました。娘が買ってきてくれた帽子をかぶって過ごしました。毛という毛が全然なくなってしまってびっくりした。(60歳代後半・女性)

 

髪の毛がいつもより抜けたので、薬のためかと思った。(40歳代前半・女性)

 

 

 

 ここでは、入院生活の様子やその過ごし方についての語りを紹介します。今回のインタビュー協力者の方々は、3-4週間の入院期間だったようですが、最近では入院期間は短くなり、手術を受ける患者さんの場合、手術の2日前に入院し、手術後は約1週間(合計約10日間)程度で退院となることが多いようです。この短い期間に、病院という環境の中で、治療による様々な症状を乗り越え、身体の回復を促し、乳がんであることを受け止めるなど、たくさんの課題に遭遇します。

 

 インタビュー協力者の方々には、手術後の身体の回復を促すために、よく食べることや手術後の腕の訓練を心がけるなど、自分ができる努力を続けながら入院生活をすごしてきたという語りがありました。早く退院したいという強い思いを持って、一生懸命に運動を行い「あんたは優等生だ」と医師に褒められたことでさらにがんばろうという気持ちを高めていたという人もいました。

 

体重は減りましたが、よく食べました。(40歳代後半・女性)

 

 

 同室患者がいる大部屋で、他の人々に気遣いをするよりは、お金がかかっても個室で気兼ねなく過ごすことで、治療に専念しようという対処をしている方もいました。

 

一人部屋で気を使うことなく自由になれた。(70歳代前半・女性)

 

 

 入院し治療を受けるということは、自宅を離れ家事という役割からも離れることでもありました。インタビュー協力者の中には、退院したら、主婦として家事に追われ、しゅうとや姑の世話などで忙しく働かなくてはならないからこそ、入院中はゆっくり過ごすことができてよかったと語る人もいました。

 

家に帰ったら働かなければいけないから、ゆっくり入院していた。(30歳代後半・女性)

 

 

一方、乳がんという病気になったことが受け入れられず、哀しみをじっと耐えて過ごしていた人もいました。

 

何でこんなときに自分ががんに・・・と、自分で自分の殻の中にすっかり閉じこもって過ごしました。(40歳代後半・女性)

 

 

 

 ここでは、医療者との関係に関する語りを紹介します。

 

 医療者と良い関係を築くことは、納得のいく安心できる医療を受ける上で欠かせないものといえるでしょう。インタビュー協力者の方々は、医療者と良好の関係を築き、十分支援を得られていると感じているようでした。よい担当医師に恵まれたこと、他の医療者からもよい支援を受けられていると感じているという語りが聞かれました。逆に、あえて深く関わらないことで関係を維持しているという方々もいました。

 

いい先生に恵まれました。(50歳代後半・女性)

 

 

 昔と比較してずいぶん医療者の態度が変わったことへの驚きも語られています。

 

昔は、自分の聞きたいことが医者から返ってこなかった。(40歳代前半・女性)

 

今は、360度まではいかないけども、340度くらい変わりました。今は良く聞いてくれます。今はいいなと思います。(40歳代前半・女性)

 

 

 医師や看護師のちょっとした何気ない一言にショックを受け、心の傷の痛みを強く感じたという方もいました。ある方は、担当医師とは違う医師に「一番悪いがんだ」と言われたことが頭から離れないほどショックを受けたという語りもありました。

 

ある医師からの何気ない言葉が、すごくショックで傷の痛みより心の痛みのほうが後を引いた。(40歳代後半・女性)

 

手術後、看護師が「走るとゆれるから胸を少しとってほしい」と冗談で話しているのを聞いて傷ついた。(40歳代後半・女性)

 

 

 逆に、ちょっとした一言で、安心感を得られるという体験についても語られていました。

 

進行性だったがよく頑張ったねといわれて、ホロッとうれしくなった。(50歳代前半・女性)

 

ちょっとでも傷に触って、こういうところは大丈夫だよって言う一言があると安心して帰れる。(60歳代後半・女性)

 

 

 医師の移動によって主治医を交代するという体験の語りもありました。がんとの長い付き合いの中で、主治医が交代するという経験をしている方もいました。手術をして1年もたたないうちに主治医が変わってしまったという方もいました。今後の療養生活に対して不安を抱いたり、新しい医師への抵抗感のような感覚を抱いていたようでした。しかし、今回のインタビュー協力者の場合は、医師の間での引き継ぎがうまく行われていたことで、特に困ることもなく、新しい主治医ともよい関係を築き療養生活を送ることができていたという方がほとんどでした。

 

引き継ぎがされていて、よく理解してもらえ安心して病院に通っている。(40歳代後半・女性)

 

 

 

 乳がんの手術で乳房切除を行うことで、自分のからだと向きあうことへ抵抗を感じてしまう人も少なくありません。自分のからだを受け止め、どのように向き合っていくかは人それぞれですが、少なからず葛藤があります。

 

 ここでは、手術後のからだとそれに対する自分の想い、パートナーとのかかわりについてなど、からだと心,パートナーとの関係について,さまざまな語りを紹介します。

 

 

□からだへの意識

 乳がんの手術治療として乳房切除を行うことにより、女性にとっては大きな外見の変化が生じます。その現実とは一生付き合っていくことであり、乳がんと向き合うことは変化した自分のからだと向き合うことから始まるとも言えるかもしれません。

 

 女性としての象徴とも言える部分を切除した経験をどのように感じているか、また生活の中でどう乗り越えようとされているかについて、さまざまな語りを聴くことができました。

 

 まず、女性としての外見の変化をどのように感じているかについて、何人かの語りを紹介します。女性としてのシンボルの変化に大きなショックを受け、「女性としてのシンボルがないということは悲しいし負い目」と話される人もおり、乳房切除が与える女性へのダメージは想像以上に大きいことが分かります。また、お風呂に入る時など、自身の体を見られないという人も少なくありません。

 

・手術の後にお風呂に入る時も自分の体を見ることが出来なかった。女性であるということの悲しさはすごかった。(40歳代後半・女性) 

 

・乳房を取ったということは大きなショックだった。若い女性だったからこそ、嫌な病気だと思う。(30歳代後半・女性)

 

 

 一方で、ある方は患者会でもがん腫が異なると劣等感を感じたり、比較してしまったりしたことを語っていました。また、再建術も一時は検討されたそうですが、青森県内では出来ないのではないかと判断し、あきらめられたそうです。

 

・再建術も考えたが、青森近隣では出来ないと思った。患者会に参加することで落ち着いた面もあったが、がん腫によって自分と比べてしまって劣等感を感じてしまうことも…。(40歳代後半・女性)

 

 

 また、ある方は、年齢が若くなかったので体の変化にも若い人よりは受け止められたと感じていました。しかし、日常生活の中では、孫には裸を見せられなかったり、洋服やブラジャーを気にしたりと人目を気にされてしまうことも多いようです。

 

・年齢が若くなかったから良かったなと思っている。しかし、孫には裸を見せられなかったり、洋服を気にしてしまったり、本当には受け止められていない自分がいる。(40歳代後半・女性)

 

 

 

□手術後の精神的ショック

 乳房切除したことの精神的ショックは、本人だけでなく、周りの人たちとの関係にも影響を及ぼします。精神的ショックは本人が想像していた以上であり、家族にもしばらく告白できない状況に陥ってしまった人もいました。

 

・全部取った衝撃からずっと尾を引きずってしまい、親にも言えなかった。(40歳代後半・女性)

 

 

 インタビュー協力者のなかには、迷わず手術を決めたものの,手術後のショックが大きかった,という人も数名いました.また,下着や洋服を工夫したり,常に人目を気にしてしまう生活を余儀なくされる人もいます.

 

・迷わず手術をきめたが、はじめて見たときはショックだった。病院でもお風呂のときにチラチラ見られているような気がして気になった。(40歳代前半・女性)

 

 

 また,しばらくは自身の傷を見ることができず,抵抗を感じる人もいます.ある方は、病気からしばらく時間が経過したことで,やっといまになって傷を見ることができるようになったそうです。

 

・初めは傷を見られなかった。いまはたまに鏡で見ると傷が薄れてきたように感じる。(60歳代後半・女性)

 

 

 

□温泉や旅行について

 温泉や浴場に行き、他の人に裸を見られることに抵抗を感じる人もいます。病気の前に温泉や旅行を楽しんでいた人も楽しめなくなることもあるようです。

 

・病気になる前は旅行に行くことも多かったが、泊りがけで温泉に行くことはなくなった。(60歳代後半・女性)

 

・自分として乳房切除したことを割り切ることが出来たが、温泉などでは人の目が気になるし、相手に不快感を与えるかと思ってしまう。(70歳代前半・女性)

 

 

 また、人の目が気になり温泉や浴場には行けず、温泉旅行では一人個室の浴室に入る、という人もいます。人前で裸になることの抵抗感は今回のインタビュー協力者の共通点でありました。

 

・3年くらいは見ることもできず、温泉も行かなかった。3年過ぎたら心にゆとりが出来てタオルをかければ温泉に入れるようになった。(50歳代後半・女性)

 

・銭湯とか温泉では人さまの前なのでダメだけど、家族には見せている。(40歳代後半・女性)

 

 

 ある方は、町会のバス旅行などでは温泉に入らないことが多い半面、患者会のバス旅行ではお互いの傷を見せ合ったりもされたエピソードを話されていました。

 

・温泉旅行に行ってもみんなに見せるのがイヤ。患者会でのバス旅行の時にはみんなで見せ合ったりもした。(40歳代前半・女性)

 

 

 

□洋服・下着の工夫

 

 乳房切除したことで、普段の洋服や下着も特別にくふうする必要が出てきます。ある方は、周りの人に知られないようにするため、パットのズレを特に気にされていることを話されていました。

 

・周りの人に知られたくないという想いがあるため、パットのズレを気にすることがある。(40歳代前半・女性)

 

 

 手術後には下着の工夫も必要になります.ある方はブラジャーの購入についての経験と、いまは病院で購入していることを話していました.

 

・ブラジャーは病院でも売っているため病院で買っている。(70歳代前半・女性)

 

 

 ある方も同様に、洋服を気にされていることを話されています。外見の変化は、裸になったときだけでなく、日常生活でも常に気にしなければならないことのようです。

 

・女性としては人に見せたくないし恥ずかしい。首があまりあいた服は着ないようにしている。(30歳代後半・女性)

 

 

 

□パートナーとの関係

 パートナーである夫へ手術後の姿を見せることに抵抗を感じる人も少なくありません。女性として引け目や怖さをも感じてしまうことがあります。

 

・温泉の家族風呂で背中を流してもらうときにこういう体なんだとさりげなく見せた。(50歳代前半・女性)

 

 

 乳房切除をしたことで,夫婦関係にも影響を及ぼすことがあります.パートナーである夫には傷あとを見せたくないという想いにいたる人もいます.また、本人が傷あとを受け止めて,見せられるようになるまで,理解して待ってくれるような夫の姿勢が,夫婦のきずなをより強くさせることもあります.

 

・夫へからだを見せることに抵抗感をどうしても感じてしまったことを夫は理解して待ってくれた。病気をしてから夫婦のきずなを感じている。(40歳代前半・女性)

 

 

 

 青森の方言で「がん巻き(がん家系)」という言葉があるように、がん家系であることを気にされている人は今回のインタビュー協力者の中でも少なくありませんでした。家族のがん体験によって、がんに対する考え方や病気との向き合い方など、なんらかの影響を受けることがあるようです。インタビュー協力者の中で、家族のがん体験を語ってくださった人たちを紹介します。

 

 

□家族数人のがん体験

 家族の中でも、夫やきょうだい、子どもなど数人ががんを患っていたという人もいました。乳がん以外のがん腫であっても、同じがんであるため、早期発見の重要性や治療経過の違いなどを実感している人もいます。

 

・夫は肺がん、兄は前立腺がん、姉は大腸がんであった。兄、姉は早期発見だったのでいまは元気にしている。(40歳代前半・女性)

 

・姉は大腸がん、息子は肺がんだったが2人とも見つかったときには手遅れだった。(60歳代後半・女性)

 

 

 

□きょうだいのがん体験

 同年代であり近い存在と言えるきょうだいのがん体験は、より身近に感じたり、自分と照らし合わせてしまうこともあるようです。きょうだいのがん体験をとおして、病気との向き合い方を改めて考えることもあります。

 

 ある方は、夫婦でがんを患い亡くなられた妹夫婦のエピソードを話され、仕事がハードで早期発見が遅れ、体も酷使されていたこと、偏食など生活習慣の問題があったことなどを振り返っています。

 

・4年前に妹が乳がんで亡くなった。その夫も胃がんで今年亡くなっていて、夫婦ふたりとも自営の仕事でとても忙しくしていた。(40歳代後半・女性)

 

 

 また、ある方は、がんで亡くなった弟が在宅で最期を迎えたことを話され、もっと話をしたかった、会いに行きたかったという後悔の気持ちも話されていました。

 

・亡くなった弟は入院するのが嫌で、自分の希望により家で最期を迎えた。(40歳代後半・女性)

 

 

 

□親のがん体験

 インタビュー協力者のなかで(以下の)は、おふたりがご両親のがん体験を話されています。おふたりともがんが見つかったときには進行しており、がんにより亡くなられています。

 

 ご両親の時代では、「がんと言えば手遅れ」というイメージは少なからずあったようです。

 

・母親は地域で検診を勧める役目であったにもかかわらず、卵巣がんが見つかったときには進行していた。(40歳代後半・女性)

 

・父が胃がんで亡くなっている。当時はがんと言われれば手遅れの時代だった。(40歳代前半・女性)

 

 

 

□  がんを患った家族のサポート

 夫や娘、両親など、近い存在の家族ががん闘病をする場面を一番近くで支える役割になることもあります。ある方は、夫のがん発見時には余命数カ月であったことを語ってくださいました。

 

・夫は肺がんが見つかったときには余命3カ月を宣告された。(40歳代前半・女性)

 

 

 また、ある方は娘さんが同時期に乳がんがわかり、同じ病院に入院されたそうです。娘さんは先に乳がんの治療をしていた母親を見ているため、あまり深刻さはなかったと言います。

 

・自分が2回目の手術をしているとき、娘が同じ病院で乳がんの手術をした。お互いで病人が病人を立ち会いする状況だった。(40歳代後半・女性)

 

 

 

 ここでは、インタビュー協力者が語った家族とのかかわりや家族への想いを紹介します。

 

 言うまでもなく、がんを受けとめ、それを乗り越えるためには、家族のサポートが大きな心のささえになります。また、病気と向き合うと同時に家族とも向き合う時間をもつことができ、家族関係が変化していくこともあります。

 

 

 

□  妻として/夫への想い

 家族の理解やかけられる優しい言葉が余計につらく感じてしまう経験もあります。

 

 ある方は普段何も言わない夫に「元気にいてくれ」と言われたことでつらい気持ちになられたことを語られていました。

 

・夫は心配してくれているため何も言わないが、「元気でいてくれ」「長生きしてくれ」と言われたときはつらかった。(50歳代後半・女性)

 

 

 また、病気をしたことにより、夫が家事などを協力してくれるようになり、夫の変化に気づき、サポートを実感することもあります。

 

・病気をしてから夫が何かと手伝ってくれるようになった。病気をすると、人のありがたみが良くわかる。(50歳代前半・女性)

 

 

 病気を知ったときには、少なからずパートナーである夫にも衝撃を与えます。ある方は、ご主人が本人にショックを受けさせぬよう、気丈にふるまおうとしてくれたエピソードを話してくださいました。

 

・夫は自分が弱みを見せたら私がもっと弱くなると思ってか、気丈にふるまってくれた。(40歳代前半・女性)

 

 

 ある方は、夫との死別後にがんが見つかり闘病生活に入ったため、入院することも療養することもできたと考えていることを語られました。

 

・夫はトイレに行くのもやっとの状態で、病院に行くのもすべて付き添っていた。夫が亡くなってからがんが見つかったから、手術も入院もできたと思っている。(70歳代前半・女性)

 

 

 

□  母として/子どもへの想い

 家族ががんを体験していることから、「がん家系」であると実感する人もいます。また、自分ががんになったことにより、「がん家系」を心配して、子どもたちには同じ病気になってほしくないという想いもあるようです。そのため、子どもには必ずがん検診に行って欲しいと話されている人もいました。

 

・父、姉、兄、妹ががんである「がん家系」であった。だからこそ、自分の子どもたちには遺伝してほしくない。(50歳代後半・女性)

 

・まずは身内から、身近なものからと想い、娘には検診を必ずするように話している。(40歳代後半・女性)

 

 

 母親としては娘にがん検診を受けてほしいと考えますが,母親の闘病をみているがために検診から足が遠のいてしまうという場合もあります.

 

・次女は母親をみていて検診を受けているが、長女は度胸がないのか検診を全然やらない。(70歳代前半・女性)

 

 

 乳がんをきっかけにして、最期の生き方を考える人もいます。ある方は、最期の生き方をどう子どもたちに伝えていけばいいか考えていることを話されていました。

 

・最期は家で死にたいと考えている。みんなにありがとうを言って死にたいと考えている。(40歳代後半・女性)

 

 

 またある方は、乳房切除のきずあとを見たときの反応について、母親として子どもと接するとき、また祖母として孫と接するときのエピソードを語っていました。

 

・切除した乳房を見たときの娘や孫の反応は素直だったので、冗談を言って笑いあっていられる。(40歳代前半・女性)

 

 

 乳がんがわかったとき、家族へどのように話しをするかはとても悩まれると想います。親として子どもの人生を心配するからこそ、隠さずにすべてを話そうと考える方もいます。

 

・乳がんになったことは全て隠さず話したところ,子どもは動揺していた。(40歳代前半・女性)

 

 

 

□  娘として/親への想い

 病気をきっかけに、親にさまざまなサポートをしてもらい、改めて親のありがたみを実感したり、親へ迷惑をかけることで「親不幸だな」と感じることもあります。あらためて、親との関係性を見つめなおすことになることもあるようです。

 

・入院中に母親が隣のベッドに入院している人の手伝いも一緒にやってくれた。親不幸だなとも思ったが親っていいな、とも感じた。(50歳代前半・女性)

 

 

 ある方は、病気をきっかけに,家族の体制が変わってしまったことを話して下さいました.

 

・病気をしたことをきっかけに、同居していた姑と別に暮らすようになった。(60歳代後半・女性)

 

 

 

□  きょうだいへの想い

 同居する家族だけでなく、同じがん体験をしたきょうだいに対する想い、きょうだいへの影響を語る人もいました。

 

・同じ乳がんで亡くなった双子の妹から患者会を紹介してもらった。(50歳代後半・女性)

 

 

 

 今回のインタビュー協力者の中では、再発を経験した方は10人中1人しかいませんでした。ここではこの方が再発の治療に関して、初発時の治療とも比較をしながらどのように治療を選択し、続けてきたのかについての語りを紹介します。

 

 乳がんの再発を経験した方は、はじめてのときは全ての乳房を取り除いたけれども、再発したときには、様々な治療法の説明を家族と共に受け、家族の意見をきいて自分で乳房を温存する手術の仕方を選択できたといいます。

 

1回目は全摘をして、2回目は娘の意見もあり温存術にしたが、それでよかったと思う(40歳代後半・女性)

 

  この方は、再発した際の治療において乳房温存術にしたことが今となってはとてもよい選択であったと感じています。はじめに乳房切除術を受けたのは1980年代であり、まだまだ乳房切除術が手術療法の主流の時代だったのですが、乳房を失ってしまったことに苦しんだといいます。

 

・1回目の治療でも温存術ができたなら、取ったことでこんなに苦しまなかったと思う(40歳代後半・女性)

 

 またこの方は、再発した際、温存術による手術療法を受けた後に、抗がん剤治療も受けていますが、吐き気の副作用がひどく、これを繰り返すよりは自分で食事管理などをしたほうがよいと思い、抗がん剤治療を続けない、という選択をしています。

 

苦しい思い、特にひどい吐き気をこれ以上経験したくなかったので2,3回目の抗がん剤治療は自分から断った。今は患者会の友達と会えるのが薬。(40歳代後半・女性)

 

 

 ここでは、乳がんの兆候となる、身体の異常にどのように気づき、病院の受診に至るまでどのように感じたり行動したのかについての語りを紹介しています。

 

 

 乳がんの発見に至るまでには、胸にしこりや塊といったものがあることに自分で気づいたという経緯がよくあります。今回のインタビュー協力者の大半が胸のしこりをみつけたことで病院に受診しています。普段から乳がんに気を配り、注意して触っている方もいました。

 

 胸のしこりをみつけた際に豆腐のかすが溜まっているのではと思った方が2人いました。そのうち1人は、周囲に相談し触ってもらい、病院の受診を勧められたといいます。

 

ちょっと胸を触るとコリコリしていた。それを知人にも触ってもらったところ病院にいったほうがいいと勧められた。(50歳代後半・女性)

 

 

 もう1人の方は、胸を触っていて、ゴツゴツとはしていたため、豆腐かすが溜まっていると思ったそうです。また、ゴツゴツしていてコリコリとはしていなかったため、これがまさか乳がんであったとは思っていなかった、ということです。その後病院に行ったときにがんだと言われてもはじめは何かの間違いだと思い、乳がんだと信じるのに時間がかかったといいます。

 

・乳がんによるしこりだとは思わず、ゴツゴツした豆腐カスみたいなものだと思っていた。(60歳代後半・女性)

 

 

 しこりを見つけたというだけではなく、体調が優れなかったり、腕を重く感じていたり、というような他の身体の不調を同時に感じていた方もいました。ある方は、バイクに乗っていて腕の重みを感じ、母親ががんだったことから何気なく胸を触ったらしこりをみつけたそうです。

 

バイクに乗っている時に腕が重い感じがした。母親ががんだったため気になって、何気なく胸を触ったらしこりのようなものを感じてまさかと思った。(40歳代後半・女性)

 

 

 ある方は日々疲れやすいと感じていたそうです。身体のケアのためにはじめたマッサージのようなものでしこりを見つけたそうですが、普段は元気だったため周囲にも大丈夫と言われたそうです。ただ、疲れやすさやだるさは続いていたため、病院に行こうと思ったそうです。

 

疲れやすかったりだるかったりしていたが、それは夫が亡くなった後の心労がたたったと思っていた。そのため、しこりを見つけてもすぐに乳がんだとは思わなかった。(40歳代後半・女性)

 

 

 異常を感じて病院を受診した際には、乳がんではなく乳腺が炎症を起こしていると診断された方が2人いらっしゃいました。

 

 ある方は、しこりに気づいて病院に行った際には乳腺の炎症を指摘されたといいます。それでも定期的に検診を重ねていたそうですが、体のだるさやなんとなく熱っぽい感じなど、からだが何か違うという感じを持ち続けたことで、がんが発見された人もいました。

 

しこりができて病院にいったら乳腺といわれたが、微熱がある感じや体調への違和感があった。(40歳代前半・女性)

 

 はじめにしこりを発見したわけではなく、ギュ-っと引っ張られる痛みを感じた方もいました。その痛みを感じたときに自分で「がんができたみたい」と直感的に思ったそうですが、乳がんではなく乳腺の腫れと診断されたといいます。

 

昼寝のとき胸が引っ張られる感じがして、がんだと思った。次の日病院に行ったら乳腺の腫れと言われた。(30歳代後半・女性)

 

 

 この方は、その後しばらくは湿布を貼って経過観察をしていたのですが、3ヶ月後にしこりができ、そのままにしておくと乳がんになる恐れがあると医師に告げられたといいます。

 

病院では乳腺の腫れと言われ、その後痛みはとれた。しかし3ヶ月後にしこりができ、放っておけばがんになると言われた。(30歳代後半・女性)

 

 

 また、しこりの発見以外にも、胸の痛みを感じたり、出産後に母乳ではなく出血があった、という異常の発見の仕方もありました。

 

 ある方は乳がんの兆候としてはしこりができるという認識しかなかったため、胸の痛みがあっても乳がんを疑うことはなかったといいます。

 

胸がズキンズキンと痛くなったが、乳がんは痛くならないものだと思っていた。(50歳代前半・女性)

 

 

 子どもが生まれ、授乳をしている際に母乳ではなく出血が認められたため、おかしいと思い、健診を受けにいった方もいらっしゃいました。

 

娘が1歳くらいのときに母乳ではない出血があっておかしいと思った。(40歳代前半・女性)

 


 

 乳がん検診に関する語りをここでは紹介します。乳がんの発見は、定期的な乳がん検診で見つかることも多いです。普段から健康診断を受けている方でもあらためて乳がん検診を受診することは欠かせません。

 

 青森県は、全国的にみてもがんの罹患率が高く、75歳未満のがん罹患率はワースト6位となっています。そのような状況の中、青森県民の乳がん検診の受診率は35.6%となっており、全国で7位という受診率の高さがうかがえます。※1

 それだけ全国の中でも青森県に住む女性は乳がんへの関心が高いということがいえるでしょう。

 

 インタビュー協力者の中には、普段の健康診断では乳がんに対する異常がないと言われたり、触診では異常がないと言われたにもかかわらず、きちんと乳がんのための検診をしたことが乳がんの発見につながった方がいました。

 

・触診に異常はなかったが、医師にお願いしてマンモグラフィーを受けたら異常がみつかった。(70歳代前半・女性)

 

 

 また、自らの違和感がなくならなかったことから乳がん検診に受けられる病院に出向いた方もいます。他にも、触診では異常なしと言われ続けながらも、しこりがなくならずに心配になり、自ら大きな病院を受診したという方もいました。

 

 一方で、乳がん検診や子宮がん検診は、総合病院など大きなところに行かないとできなかったために足が遠のいてしまったり、自分で確認した際に異常がないからという理由で受けずにきてしまった方もいました。

 

・乳がんや子宮がんは手軽に検診を受けられるものではないからおろそかになってしまう。(60歳代後半・女性)

 

 

 他にも、自分ががん家系であるという思いから、青森県民の中で特に罹患率が高い胃がん※2などに関心がいってしまい、がん検診のなかでも乳がん検診だけ忘れてしまった方もいました。

 

・胃がんには気をつけていたし、子宮も摘出したことがあるが、乳がんは調べるのを忘れていた。(50歳代前半・女性)

 

 

 

 

 

 胸の痛みや出血、しこりの発見といったような異常を発見した後や、乳がん検診を受けて精密検査が必要と判断された方は、後に乳がんかどうか診断をするための詳細な検査を受けることになります。

 

 その検査には、マンモグラフィーや超音波検査(エコー)、CT検査、MRI検査などの画像検査があります。また、実際の細胞や組織を採りだし、観察してがん細胞の種類や性質を調べる組織・細胞検査というものもあります。ここでは、診断のための検査に関する体験の語りを紹介します。

 

 上に述べたように、診断の検査にもさまざまな種類がありますが、大きな流れとしては、画像検査を受けた後に、診断をより明確にするためのさらなる検査ということで、組織検査が行われることが多いと言われています。

 

 ある方は、マンモグラフィーを撮った後に精密検査の必要性を指摘され、CT検査と細胞検査を受けたといいます。

 

・マンモグラフィーで精密検査の必要性がわかった。その後、診断のためにCTも撮ったし細胞検査もした。(70歳代前半・女性)

 

 

 授乳の際に出血が続いていたある方は、組織検査を3回受けたときには異常が発見されなかったそうです。その後、たまたま別の病院で画像検査を受けた際に異常を指摘され、普段からかかっている病院でエコー検査と組織検査をして乳がんの診断がなされたということです。

 

・授乳の際に出血があっておかしいと思っていたのだが、組織検査を3回受けても異常はなかった。しかし別の病院で異常を指摘され、組織検査をした。(40歳代前半・女性)

 

 

 画像検査は受けずに、細胞・組織検査のみを受けた方もいます。細胞検査は、針生検とも呼ばれ、非常に細い注射針を皮膚の上からさして細胞をとる検査です。組織検査は、皮膚を切開し、細胞のかたまりである組織をとる検査です。

 

・手術台で皮膚を切って細胞をとって検査をした。結果は、そのままにしておいたらがんになるといわれた。(30歳代後半・女性)

 

 

 中には、1回の検査でうまく細胞がとれずに、数回にわたって検査を受けなければならなかった方も1人いらっしゃいました。

 

・1回目の細胞検査が失敗し、2回も針を刺されて検査を受けた。そんなことあるのかと思った。(40歳代後半・女性)

 

 

 また、画像診断のみを受けた人もいます。そして、検査についても、「マンモグラフィは痛い」ということを周りから聞いていても実際はそれほどでもなかったという経験から、ただ人の話を鵜呑みにしているだけではいけない、ということを思った方もいました。

 

・CTをとってからマンモグラフィを撮ったが、マンモグラフィは言うほど痛くなかった。(50歳代前半・女性)

 

 

 

 ここでは、はじめて乳がんと診断されたときに気持ちについての語りを紹介しています。

 

 インタビュー協力者のうち多くの方がショックを受け、落ち込んだり、この先のことをどうしようかと考えたりしていました。また、子どもがいる方は、子どもにしっかりするように伝えたり、子どもを残していくわけにはいかない、と自分のこれからと同じように子どものことを考えていらっしゃいました。

 

たとえ母ががんにかかっていても、自分は健康だと思っていたからショックを受けた。これからどうしようかと思った。入院と言われて半分以上は死を覚悟した。(40歳代後半・女性)

 

 

 診断を受けたときにはがんということだけ聞き、どのステージにいるのか、どのような状態なのかといった詳細な情報は一切尋ねることができなかったといいます。がんと告げられてからはただ落ち込んでいたそうです。

 

告げられた時は頭の中が真っ白になり落ち込んで、がんのステージといった詳細は5年目にして初めてきけた。(50歳代前半・女性)

 

 

 ある方は、しこりがあっても乳がんとは診断されなかったため、長いこと定期検診を受けては異常なしが続いていたといいます。また異常なしと言って欲しいと思っていたところに乳がんと言われたのでショックがとても大きかったといいます。

 

また異常なしといわれると思っていたらがんだったのでいきなりがんが見つかるよりも返ってショックだった。(40歳代前半・女性)

 

 

 自分にはしこりがなかったため、医師から伝えられたがんだという診断を、何かの間違いだと思ってはじめは信用しなかったという方もいます。

 

しこりも何もなかったから手術と言われても診断は間違いだと思っていた。(60歳代後半・女性)

 

家族もがんにかかっていたし、やっぱり自分もそうなんだと驚きもしなかったし、心が座っていて平常心を失うことはなかった。(50歳代後半・女性)

 

 

 自分ががんになったことを悲しむこともなく、治療や入院をしたという方もいました。

 

病気というものがどういうものかもよくわからなかったから怖くなかった。(40歳代後半・女性)

 

 

 

 乳がんと診断された方は、その後の治療をどの病院のどの医師のもとで進めていくかを決めなくてはなりません。病院の選択にあたっては、通院可能な範囲であるか、治療体系が充実していると思われる大きめの病院か、などさまざまな基準を比較して決められます。

 

 ここでは、治療をするにあたって病院や医師の選択に関する語りを紹介しています。

 

 

 はじめに、利便性を考えて、自宅から最も近い病院を選択している方がいます。入院中に家族が通うことや、退院後の外来治療に通う必要も考え、自宅から遠い病院はどうしても大変だということです。

 

・徒歩でも行けるA病院が一番近かったので、冬になれば通うのが大変になるし、他の病院に行くことは考えなかった。(60歳代後半・女性)

 

 

 また、大きな病院での入院治療には付き添いが必要だったこともあり、付き添ってくれる家族のことを考えて、近くの病院を選択したといいます。

 

・義父にはB市の病院を勧められたが、付き添いが必要だったこともあり、母が来られる近くの病院にした。(30歳代前半・女性)

 

 

 また、近いという理由を一番にするわけではなく、自ら病院を選択している方もいます。公立の病院では待たされるのではと思ったことから、私立の病院を選択した方もいました。また、その病院には婦人科関連の名医がいるという話を周囲から聞いていたことも選択の理由のひとつになったようです。

 

・後回しと言われないようA病院にいった。乳がん治療についてはわからないが、婦人科の名医もいると聞いたことがあったからよいと思った。(70歳代前半・女性)

 

 

 周囲の人の乳がん体験を聞いて、病院を選択した方もいました。しかし、病院を選択はできても、手術の執刀医までは希望を自ら出すのには気が引けてできなかったといいます。 

 

・周囲の経験を参考に自ら病院を選択したが、執刀の先生は自分で選べなかったけど運よくいい先生にあたった。(50歳代後半・女性)

 

 

 また、これまで乳がん検診を定期的に受診してきた中で乳がんが発見された方は、ずっと経過を診てもらっており信頼していたことから、その医師に治療をお願いしたいと思ったということです。

 

・検診のときから診てもらっている先生にお願いしたいと思った。(40歳代前半・女性)

 

 

 他にも、何かあれば行きつけの病院にいき、その先生が適確にどの科いくとよいかを判断してくださっていたという経緯から、そこに通い続けていたという方もいます。

 

・いつもA病院の先生に従っている。たまたまいい先生にめぐり合えたからよかった。(50歳代前半・女性)

 

 

 

 乳がんが発見されてからは、治療の項目にあるとおり、手術療法や放射線療法、そして薬物療法といったさまざまな治療の選択肢の中から自分にあう治療法を選択することができます。数ある治療法から何をどのように選択したか、その意志決定についての語りをここではまとめています。

 

 手術療法には、乳房全体を切除する乳房切除術と乳房の一部分を切除する乳房温存術があります。インタビュー協力者のほとんどの方々が1980年代に治療をしており、当時の手術療法は乳房切除術が主流だったようです。

 

 インタビュー協力者の方々もいわゆる全摘と呼ばれる、乳房切除術を選択しています。理由としては、全部切除したほうがさっぱり、あるいはすっきりするし、乳房温存術では再発する可能性があるのではないか、と考えていたからです。

 

全部取ったほうが一番さっぱりするのかなという感じ。(50歳代前半・女性)

 

 

 医師からは全体を切除する必要がないからと乳房を温存する手術の提案があっても、再発の危険性を恐れることや、自分ががん家系であるという思いもあったことから、すっきりするので自ら全部とってください、と乳房切除術をお願いしたという方も数人いました。

 

・医師からは温存術の話もあったが、再発の恐れもあるので私から全摘をお願いした。(40歳代後半・女性)

 

 

 もちろん自らが治療法の選択をしているわけですが、その過程においては、医師や家族の後押しを受けたからこそ、最終的に治療法を決めて、治療を継続できたという方もいます。

 

途中で治療をやめたいと思ったが、娘や医師に言われて続けたからこそ今がある。(60歳代後半・女性)

 

 

 抗がん剤治療を行なっていた周囲の患者さんの様子がつらそうだったのをみて手術を選択した方もいます。この方は、自らの年齢や体力を考え、抗がん剤治療ではなく、全摘を選択した方もいます。

 

他の治療よりも今後長く生きられるという言葉をきいて、医師も勧めてきたこともあり全摘にした。(40歳代後半・女性)

 

 

 

□セカンドオピニオン

 

 病気の診断や、よりよい治療法の選択のために、主治医以外の医師や他病院の医師に病状についての意見を求めることをセカンドオピニオンといいます。

 

 今回のインタビュー協力者の中には、セカンドオピニオンを受けた人はひとりもおりませんでした。その大きな理由のひとつが、インタビュー協力者の多くの方が治療を受けた1980年代にはまだセカンドオピニオンが広まっていない時代であったということです。

 

今こそそういう話ができるようになったが、当時はセカンドオピニオンというものはなかった。(40歳代前半・女性)

 

 

 また、セカンドオピニオンをとらない他の理由のひとつには、医師から告げられた時に自分もがんだということに疑いを持たなかったため、必要がなかったということも語られていました。

 

自分はがんだという気持ちが強かった。(50歳代後半・女性)

 

 

 また、数年にわたり乳房の異常について経過を観察してきてもらっていたからこそ、その医師を信頼しており、セカンドオピニオンの必要性を感じなかったという方もいます。

 

ずっと診てくださった先生だから頼っていたし、よそへ行こうとは思わなかった。(40歳代前半・女性)

 

 

 再発を経験した方は、1回目の当時はセカンドオピニオンに関する情報がなかったということですが、2回目の場合は、1回目の経験があったからこそ病院を信頼し、安心して医師の話も聞けたため、セカンドオピニオンをとろうとは考えなかったということです。

 

1回目のときはセカンドオピニオンの情報もなかったが、2回目では安心して医師の話をきけていたのでセカンドオピニオンについては考えなかった。(40歳代後半・女性)

 

 

 

 乳がんを経験した方は、その後の再発を予防するためということもあり、日頃から健康に気を遣うようになるという方が多くいらっしゃいます。ここでは、乳がんの治療後に皆さんが再発予防に向けて、実際にどのようなことをしているかを紹介します。

 

 大きくは医療機関での健診を定期的に受診することと、日々の自己管理という2つが挙げられます。

 

 

 

□定期的な受診

 

 インタビュー協力者のうちの半数以上の方が、病院での定期検診や人間ドックを積極的に受けています。「経過観察の検査」の項目でも取り上げられていますが、定期的に医療機関でチェックをすることが非常に大切であると言われています。

 

人間ドックを10何年も受けている。検査が一番大事なことだと思う。(40歳代前半・女性)

 

 

 健康に気を遣って健康診断を受ける中で、他の病気の早期発見につながったという方もいます。ある方は毎年がんの再発予防のために人間ドックを受診していますが、その検査で膀胱にポリープが見つかったといいます。

 

人間ドックとCTを受けて、膀胱のポリープもみつかった。(50歳代後半・女性)

 

 

 他にも、健診を受けた際に、肺に影があるということで、肺炎を疑われた方がおひとりいらっしゃいました。しかし、詳細な検査を大きい病院でしたことで、実は40年前(1970年代)に受けた放射線による後遺症だということが判明したという方もいました。

 

 がんに関する定期検診はとても大切です。しかし、ただがんの再発に注意をしていればよいのかというとそれだけではありません。インタビュー時に75歳を超えていたある方は、年齢を重ねるとにともなうリスクが高いと言われている脳梗塞などにも気をつけて、国民健康保険者が受診できる脳ドックを定期的に受けています。

 

がんも大事だけど、脳のほうも大事なので、年に1回脳ドックをやっている。(70歳代前半・女性)

 

 

 

□日常における健康管理

 

 健康診断を受ける以外にも、皆さんはさまざまな工夫を日々しています。ひとつには、体力づくりがあります。日頃から自転車に乗るようにする、フィットネスに通う、といった運動をして、意識して筋肉づくりや身体づくりに取り組んでいる方がいます。ふたつめには、身体によいものを食べるように気をつける、ということです。

 

健康すべてには気をつけようとしている。歩いたほうがいいと言われるが、膝に悪いので自転車に乗っている。油ものはなるべくとらないようにしている。(40歳代前半・女性)

 

 

 特に食べるものには気を遣い、なるべく自然のものや、手作りのものを食べるようにしているという方もいます。日々の生活では無理をせず、少しでも疲れたら休むように心がけているということです。

 

食べ物には一番気を遣って手をかけて普段は家で食べる。疲れたら休むことを心がけている。(40歳代後半・女性)

 

 

 また、健康に気を遣ううえで、サプリメントを取り入れている方もいます。中には、再発予防に効くということで健康食品の販売員に勧められてカニの甲羅が含まれている高価なサプリメントを飲んでいる方もひとりだけいらっしゃいました。

 

 周囲にサプリメントを飲んでいる方が多く、勧められることもよくあるという方もいます。ある方は、最終的には具合が悪くなったときに頼るのは医師だ、ということを考えてはいるようですが、周囲が良いというサプリメントも気にはなるので飲むということです。

 

周囲の勧めでサプリメントを飲んだりもするが、最終的には医師の指示に従う。(60歳代後半・女性)

 

 

 また、ある方は、友達の勧めで飲んだサプリメントを飲み始めたということですが、それが食欲増進に効いたと感じています。

 

友達に相談して取り寄せてもらったサプリメントを飲んだら食欲がでた。(50歳代前半・女性)

 

 

 ここでは、再発の予防と体調の管理についての語りを紹介してきました。定期的な検診や日々の健康管理のどちらも大切ということが言われていますが、インタビュー協力者の中には、定期検診も含め、病院にはあえて行かないようにしているという方も1人だけいました。理由として、この方はあまり薬に頼りたくないと思っているのですが、病院にかかるとどうしても薬が出されるからだといいます。体調を悪くしても、まず3日間は食べるものに配慮しながら、自宅で様子をみるということをしているそうです。

 

 

 

 乳がんを経験した方は、いつか再発するのではないかという、治療後に出てくる不安と常に隣り合わせで生きています。全国の乳がんの再発率は、がんの進み具合ごとに異なっており、より早期であるI期の再発率は10%以下、Ⅱ期になると30~40%、Ⅲ期以上になると50%以上といわれています。

 

 乳がんの場合は、進み具合の他に、5年以上または10年以上後に再発する人も他のがんに比べて多いことも再発の不安に関わっているようです。それゆえに、インタビュー協力者のなかには、再発率のような確率だけに左右されるでもない生活を送っているようにも思われます。

 

 がんという病気の性質から再発の不安を多くのインタビュー協力者が抱えています。たとえば、体調不良を感じたり、特定の場所に痛みを感じたりすると、そこにがんが転移したり、再発したりしているのでは、と考えてしまう人もいます。

 

喉が痛むと咽頭がんなのではと思ってしまうほど、どこか痛むようになると再発したのではないかと心配になる。10年経ったから安心というわけではない。(50歳代前半・女性)

 

 

 また、常に再発の不安と隣り合わせで共に生きている方もいます。その中でもある方は、定期検診を重ね、年数が経過するにつれ少しずつ安心が生まれてきたといいます。

 

再発の不安は常にあるものだが、健診することで安心感がでる。(40歳代後半・女性)

 

 

 再発の心配のみならず、転移など他の箇所のがんにも気を遣うようになっている方もいます。中には、定期的に健診を受ける過程で大腸ポリープが見つかったという方もいます。

 

1,2年前はどこかが痛むと落ち込んでいたが、よくなった。大腸ポリープがあったため、大腸がんにも気をつけている。(60歳代後半・女性)

 

 

 不安がある中で、すでに再発の覚悟をしており、いつ再発してもいいように心構えをしている方もいます。その心構えを持ち続けながら、健康診断や人間ドックを受けて日々健康の管理をしているといいます。

 

いつ再発してもいいような心構えと、健康診断を受け続けることが大切。(40歳代前半・女性)

 

いつまたどこにがんができるかわからないから、人間ドックを受けている。(70歳代前半・女性)

 

 

 不安がありながらも再発が怖いというわけでない、ということを語る方もいます。再発することを覚悟しているようにもみえますが、乳がんを一度乗り越えてきた自分の経験を生かし、もし再発したら自分なりに受け止めて対処ができるのではないかとこの方は考えています。

 

再発の不安はいつもはなれないもの、でも怖くはない。(40歳代後半・女性)

 

 

 

 手術治療や放射線治療、化学治療が終了しても、定期的な検査や診察はつづきます。ここでは、そういった治療終了後の定期的な検査・診察をどのようにされているかについて語られた内容を紹介します。

 

 インタビュー協力者の中には、病院での定期診察だけでなく、自身でしこりのチェックを行ったり、手の上がり具合を確認したり、自己チェックも欠かさず行っている人もいました。

 

 定期検査はCTやRIの検査が代表的です。また、定期的な診察をして、医師の問診も受けています。頻度は半年から1年に1度くらいで検査が行われており、RIは数年で終了するという話がありました。

 

・検査すれば異常なしで来ており、昨年からRIもやらなくていいことになった。(50歳代後半・女性)

 

・骨シンチ検査は1年に1度、数年行ったが、あるとき突然「あといいよ」と言われてなくなった。(50歳代前半・女性)

 

・放射線の画像検査や採血検査を半年に1度実施している。外科の診察は年に1度行っている。(50歳代前半・女性)

 

 

 ある方は、継続して診察を続けることの大切さを語られています。その裏には、再発の不安もあるように思われます。

 

・医師から病院に来なくていいと言われるまで最低10年は行く。10年は最低でも必要だと思う。(70歳代前半・女性)

 

 

 経過観察中は、少なからずがん再発の不安を抱えています。病院での定期診察や検査だけでなく、自己チェックを続ける方もいらっしゃいます。

 

 ある方は、がん家系であることから、胸のしこりのチェックを常に行い、自己チェックを怠らなかったそうです。

 

・がん家系であったため、しょっちゅう胸を触るなどして気をつけていた。(50歳代後半・女性)

 

 

 また、ある方は、術後後遺症の程度をはかるため、どこまで手があがるか入院中から確認するようにしていたそうです。こういった自己チェックも、経過観察の大切な要素となっているようです。

 

・手術後に、どこまで手が上がるか確認するようにしていた。家事や体操を毎日することで上がるようになった。(50歳代後半・女性)

 

 

 

 がんと告げられたとき、自分なりにがんになった原因を考えます。生活習慣や食生活を考えなおしたり、がん家系の問題を考えたりされるようです。

 

 ここでは、本人が考えるがんになった原因についての語りを紹介します。

 

 ある方は、父親をがんで亡くしたことからもがん家系だという自覚があり、乳がんのチェックを常にしていたことを語ってくださいました。

 

・父が早くに亡くなっていることもあり、がん家系なんだと思っていた。そのため、しょっちゅう胸を触ったりして注意はしていた。(50歳代後半・女性)

 

 

 ある方も、同じくがん家系が原因でがんになったのではないかと考えていました。このように、家族のがん体験を語られる人は、インタビュー協力者のなかに何人かいらっしゃり、がん家系を気にされている人は多いように思われます。

 

・健康だけが取り柄だったからがんになったのは不思議。がん巻き(がんの家系)が原因かと思う。(50歳代前半・女性)

 

 

 また、ハードな仕事やストレスが溜まっていたことにより、乳がんになったのではないかと考えている人も何人かいました。女性の場合は、職場だけでなく家庭内のストレスにより病気になってしまったのでは、と原因を考える人もいます。

 

 ある方は、仕事が忙しく、四六時中仕事のことを考えるような生活(で)によってストレスが溜まってしまったことががんになった原因ではないかと話されていました。また、仕事だけでなく、家庭内での役割や両親の世話などで土日も休みなく働いていたことによるストレスについても話されています。

 

・生活指導員の仕事ではプライベートでも仕事のことをずっと考えていた。そういうストレスが溜まって病気になったのかもしれない。(40歳代前半・女性)

 

仕事も忙しいうえに、家では義理の両親2人を抱えていた。土日も休みなしで仕事をしていたこともありストレスで病気になったと思う。(40歳代前半・女性)

 

 

 また、同様に、家庭内での嫁としての仕事でからだを粗末にしたことががんの原因につながっていると考えている方もいました。

 

大家族に嫁にはいって、からだを粗末にしすぎたから、がんにつながっていったかもしれない。(30歳代後半・女性)

 

 

 同じく家庭内でのストレスががん発病の原因とかんがえている方もいました。妻としての役割と子育て、そして仕事とのバランスに加え、夫との関係で苦労が多かったと語っていました。

 

・家庭内でのストレスが原因ではないかと思っている。(70歳代前半・女性)

 

 

 これまで数人の方が原因として話されていたがん家系の問題やストレスなどとは異なり、独自の見解でがんになった原因を語られる人もいました。

 

・夜遅くまで起きているのが原因ではないかと思うが、それだけではないと思うのでよく分からない。(40歳代後半・女性)

 

 

 

 乳がんを発病されてからも、仕事を続ける人、辞めざるを得ない人、仕事の取り組み方をかえた人など、仕事との関わりはそれぞれです。病気のあと、仕事にもどるにはその人の仕事への想いと、周りの人の理解が必要のようです。

 

 病気をしてから仕事にしばらく復帰しなかった場合も、体力が戻り落ち着いたころに、ふたたび以前していた仕事を再開される人もいます。病気をした後、改めて仕事の楽しさを感じることもあるようです。

 

・ある程度回復してからまた仕事を始めるようになった。(40歳代後半・女性)

 

 

 仕事に復帰するのには少なからず不安はつきものです。しかし、仕事をすることへの希望もあるようです。仕事に行きたいという想いからか、仕事に復帰したことで回復が早くすすむ人もいます。

 

 また、職場へ病気のことをどのように伝えるかということも、人それぞれちがいます。ある方は病気のことをすべての人に伝えず、上司にだけ伝えたと話されていました。

 

・最初は仕事に不安もあったが、上司の理解もあり、行きたいという希望の方が強かった。(40歳代後半・女性)

 

 

 後遺症によりこれまで出来ていた仕事が十分にできない場合もあります。見た目では後遺症がわからないため、周りの人から理解されないこともあるようです。

 

・右手の力が入らないため農作業はとても苦労しているが、近所の人には理解してもらえない。(30歳代後半・女性)

 

 

 

 乳がんを発病すると入院、手術、退院後の治療や検査など医療費にたいしての経済的負担はつきものです。また、これまで行っていた仕事ができなくなる場合もあり、収入が減ることでの経済的負担もあるでしょう。

 

 ここでは、経済的負担についてのそれぞれの体験と、その対応について紹介します。

 

 

 医療費が高額になると高額療養費制度が利用でき、自己負担を軽減することができます。がん治療をされる方のほとんどがこの制度の対象になり、利用したことで負担を減らすことができているようです。

 

・高額医療は市役所からちゃんと知らせが来るので知ることができた。(60歳代後半・女性)

 

 

 病気になる前に民間保険に加入したために負担が減り、負担をほとんど感じなかったという人もいます。

 

・奇跡的に民間保険にセットで入っていたため医療費は助かった。個室に入ることもできた。(70歳代前半・女性)

 

 

 医療費に対する支出は高額療養費制度などを利用して負担を軽減できても、長期間の治療におよぶと医療費負担はたまっていきます。また、仕事ができず収入が減ることも大きな経済的な打撃になるようです。

 

・高額医療は使ったが、民間保険にははいっていない上に収入も減ることになり、経済的にはたいへんな状況だった。(40歳代後半・女性)

 

 

 青森県独自のとくちょうとして、がん治療ができる病院への移動にかかる費用の問題があります。病院が近くになければそれだけ移動にともなう費用がかかります。医療費だけでなく、病院への交通費も負担になることがあるようです。

 

・青森県の場合、治療費だけでなく病院までの移動にもお金がかかる。医療費については保険で自己負担はなかった。(40歳代前半・女性)

 

 

 がん治療はお金がかかるというイメージをもつ人は多く、「お金がなければ治せない病気」といった感想をもつこともあるようです。

 

・いままで働いてきたのはがん治療のためだったのかもしれない。(50歳代前半・女性)

 

 

 

 治療・療養中は周囲の人にさまざまなサポートを受けることがあります.今回のインタビュー協力者の中でも、周囲の人のサポートに対する感謝の気持ちを話される人が多くいらっしゃいました,家族や友人,職場の同僚など,周りの人のサポートは病気を乗り越えるきっかけにもなるようです.しかしその半面,病気になったことで周りの人に傷つけられるような経験も語られていました。

 

 ここでは,周囲の人から受けたサポートや(その関係性)周囲の人との関係性についての語りを紹介します.

 

 

 

□職場の人とのかかわり

 病気をされてからしばらく仕事をお休みし,その後復帰される人もいます.その場合には,職場の人との関係やコミュニケーションにも大きな影響(を受ける)があるようです.ある方は、職場の人との関係で傷ついた経験と救われた経験の両方があり、そのエピソードを話してくださいました.

 

・職場の人とは普段と変わらない振りをしていた。陰口を言われたこともあり、傷ついたこともあるが、上司の「必ず戻ってこいよ」という言葉に救われた。(50歳代後半・女性)

 

 

 またある方は、仕事の中で役割を得て、人と話したりする時間ができたことで精神的に落ち着かれ,そういった時間ができたことで「救われた」と話していました.

 

・病気になってからうつ病のようになっていたが、仕事を短時間からするようになった。仕事で人と話したりする時間ができたことで救われたと思う。(40歳代前半・女性)

 

 

 また、病気のことをどのように職場の人に伝えるかについても、それぞれ考え方があります。職場内でうわさや偏見などが広まることに不安を感じる方もいるようです。ある方は、職場では本当に親しい人にしか病気のことは話さなかったそうです。

 

・親戚には病気のことを話していたが、会社の人には本当に親しい人にしか話していない。(40歳代前半・女性)

 

・患者会に入ったことで病気のことを内に秘めるのではなく言えるという環境に救われた。逆に会社では噂をされるのが嫌で話したくなかった。(40歳代前半・女性)

 

 

 

□以前からの知人との関係

 職場や親せきとは異なり、近所の人や以前からの知人とのつきあいでは、どのように病気のことを伝えるか、また病気以前と同じようなつきあいができるか、など悩まれる方もいるようです。

 

 ある方は,もともと食生活をアドバイスするような仕事であったため,「がんの要因=(イコール)食生活」という考えから,「口ばかり達者で…」と言われたことで嫌な気持ちになられたことを語っています.

 

・周りの人からがんになった原因について、容易に言われることが嫌だった。(40歳代前半・女性)

 

 

 周囲の人に病気のことをどう話すか,ということについても,それぞれの人で選択がさまざまです.あえて周囲の人には病気のことを話さないという方もいます。また、話さないだけでなく、別の病気だったと嘘をつくことを選択されることもあるようです。

 

・病気のことは職場の人や隣近所の人に話す必要はないと思ったし、話さないで済むのであえて話さなかった。(40歳代後半・女性)

 

・最初の頃は恥ずかしくて周りの人には話せなかった。だんだんと時間が経って自信がついてきたのか周りの人にも普通に話すようになった。(50歳代後半・女性)

 

・周りの人に言いたくないという想いがあり、盲腸手術をしたと嘘をついたこともあった。恥ずかしくて、人に言いたくなくて辛かった。(30歳代後半・女性)

 

 

 以前は、がんという病気に対してのイメージがあまり良くなかったためか、部落によっては差別に似た扱いをされることもあったそうです。昔といまでは、がんに対しての周囲の認識がだいぶん異なることが語りからもわかります。

 

・昔はがんという病気が恥ずかしい病気というイメージがあった。自分の体ことより家の人に申し訳ないなという気持ちだった。(30歳代後半・女性)

 

 

 周囲の人へ自分の病気についてオープンに話すだけでなく,体験者として病気の相談にのってあげることもできる場合があります.ある方は,働いている飲食店のお客さんへ自分の病気のことを話したうえで、自分が元気であることをあえて知ってもらうようにしていると話されていました。

 

・お店のお客さんやその知人などに対してもオープンに病気のことを話している。元気な姿を見せて、安心してもらいたいという気持ちもある。(50歳代前半・女性) 

 

 

 

 ここでは、病気や治療についてどのように情報を集めたのかという語りについて紹介します。

 

 乳がんという病気を患うことは、診断、治療、その後の生活を通して、はじめて経験することに対処していく必要があります。そのためには、よりよい情報を集めることが大切になります。

 

 インタビュー協力者の方々は、がんという病気に限らず健康に関して、インターネット、本、新聞、講演会、友人など様々な方法で、情報を集めていました。しかし、情報があふれているインターネットへの不信感も語られていました。

 

健康の講座があれば、がんの関係のものは応募ハガキを出して行くようにしている。(70歳代前半・女性)

 

 

 患者会が重要な情報収集の場ではあっても、それをきっかけに、保健師など専門職との関係つくり、さらに情報を集めていた人もいました。

 

患者会をきっかけに保健師とも結びつきがいっそう濃くなった。(40歳代前半・女性)

 

 

 医療のことは保健師などの専門家に、気持ちの整理には患者会をと、自分なりの目的に応じて情報収集の方法を変えている人もいました。

 

・確実なのは専門家からアドバイス。「患者会」は自分の気持ちの処理に役に立つ。(40歳代前半・女性)

 

 

 病気になる前までは関心を持っていたがんに関する情報も、がんになったら、一切見たくないという思いを感じるほどだったという人もいました。逆に、一時期は情報をたくさん集めていたけれども、今は情報に振り回されない生活をしているという方もいました。その時の気持ちや状況によって、情報への向かい方にも違いがあるようです。

 

病気をする前は、よくテレビや新聞などで健康のことなどを見ていたけれども、いざ自分でなったら、そういうのは一切見たくなくなりました。最近はやっと見れるようになった。(60歳代後半・女性)

 

 

 その他、治療中などにはたくさん本などを集めていたけれども、治療がひと段落ついた今は、何も残していないという方もいました。

  

 

ここでは、肺がんがわかった経緯(どのようにしてわかったのか、何をきっかけにしてがんが判明したのか)についての体験を紹介しています。

 

肺がんの一般的な症状は、なかなか治りにくい咳や胸痛、呼吸時のゼーゼー音(喘鳴:ぜんめい)、息切れ、血痰、声のかれ(嗄声:させい)、顔や首のむくみなどが挙げられます。

 

これらの症状が現れたことをきっかけにして病院に行き、肺がんが発覚したケースもありますが、症状がなく、定期健診やたまたま受けたCT検査によって肺がんの疑いを持った人もいらっしゃいました。

 

風邪で来院したが、その後の検査で胸水を発見した(60歳代前半・男性)

 

健康祭りに来ていたCT車でたまたまCTを写したところ、影が見えたという結果が出た(70歳代前半・女性)

 

職場の健康診断で発見、一瞬ポカンとした(60歳代前半・女性)

 

のどの痛みが時折あり、職場の定期健診でも要精密検査になった(50歳代前半・男性)

 

 

扁平上皮がんや小細胞がんに多い肺門型の肺がんは、早期から咳、痰、血痰が出やすいと言われています。他方、腺がんに多い肺野型の肺がんは、がんが小さいうちは症状が出にくいことから、上のケースのように、定期健診や人間ドックで見つかることが多いと言われています。

 

なかには、発見までに時間がかかったという体験もあります。

 

健診で影が見つかるが、その年は大丈夫といわれ、翌年の健診で影が濃くなっていた(70歳代・男性)

 

その他には、別の病気で病院に行き検査や入院をくり返した結果、肺がんが見つかったという方や、腸閉そくと肺炎で入院した時の精密検査でたまたまはがんが見つかったという方もいらっしゃいました。

 

 

 治療を受ける、あるいは入院をしている間など様々な場面において、患者のかたは医療者と多様な関わりを持ちます。ここでは、そのような医療者との関係に関わる語りをご紹介します。

 

 今回のインタビューでは過半数の方が、医師の説明や告知のやり方、そして医師の人柄・患者に対する態度について語られていました。また、入院時に受けた看護や環境に対する語り、そして医療者の手違いに関する語りも聞かれました。

 

 

医師

 

 医師との関係において、コミュニケーションがうまくいかなかったり、医師の態度へ疑問を抱いた、といった、不満や後悔が、いくつかの語りにみられました。

 

 医師に遠慮して質問ができなかったという方や、質問を思いつく前にどんどん説明がすすんでしまったという方がいらっしゃったり、告知の方法・医師の人格に対する疑問の声がみられたりしました。

 

 他にも、引き継ぎ時の医師から、カルテを見れば分かることを質問されたり、同じ病気でも医師によって対応が変わったりしたことで不安を抱いた方もいらっしゃいました。

 

・医師の説明を聞いても、自分の頭の中で勝手に想像して、医師の説明を聞き流してしまった。後から、これは聞いておけば良かったと思った。(50歳代後半・男性)

 

・医師から「もう施しようもない」と告げられ、大変ショックを受けた。がんの告知については、言い方・タイミング・環境を見極めてするべき。 (50歳代後半・男性)

 

・主治医の交代時に、引き継ぎ不足を感じ、不快感を覚えた。(60歳代前半・女性)

 

・主治医が違えば、同じ抗がん剤を使っている同病者と、処方の仕方が異なることが疑問。また、そのことに対して納得いく説明がないため、不安を感じる。(60歳代前半・女性)

 

 この方は、「周囲の人に対して、上から物を言う医師がおり、医師の前に人間であって欲しいと感じた」ともおっしゃっていました。

 

 

 一方で、医師のていねいなやりとりに満足、あるいは感謝している、という語りも見られています。たとえば、執刀医が開業のため地元に帰る時に「これでお別れだから気をつけて」と声をかけてくれたという方や、手術を執刀してくれた医師と今でも年賀状のやりとりをしているという方がいらっしゃいました。

 

 この他にも、「おかげさまで丸三年元気でいて、無理しなければ農作業もできる。本当に先生に感謝しなければならない」「手術を嫌がったが医師に諭され、結果的に手術を受けてよかった」という声が聞かれました。

 

・年齢が近いこともあり息子のような気持ち。家も近く、自宅の周りで作った野菜を主治医の奥さんに渡すのが大変楽しみ。(60歳代後半・男性)

 

 医師の対応へ満足したり感謝したりする背景には、上の方のように、医師への信頼があるようです。

 

 

 次の方は、医師へ全面的に信頼を寄せていることをお話ししています。

 

・考えすぎるよりも、お医者さんにお任せ。(70歳代後半・女性)

 

 

 その一方で、患者として、医師に全てを任せきるべきではないという意見の方もいらっしゃいました。しかしこの場合も、医師との良好な関係を築くため、医師の大変さを理解し、患者の責任を自覚したご意見のようです。

 

・医師に全部任せるというのは患者側の無責任。多数の患者を受け持つ医師に多くを求めるのは失礼。(50歳代後半・男性)

 

 

 

受けた看護・医療環境

 

 どのような環境で、どのような治療・看護を受けたかということについての語りも、多く見られました。

 

 細かい気配りや看護を受けたり、一日に何回か看護師・医師が回ってくるため不便はなかったという方もいらっしゃいました。しかし逆に、「患者が多い病院で、医者は対応できているのか」という疑問の声も聞かれました。

 

 看護の中心を担う看護師に対しては、以下のような、感謝の思いが多く見られました。

 

・看護師の親身な対応に感動した。患者と一体となって治療していこうとする姿勢を感じた。(50歳代前半・男性)

 

 また、以下のように、医療者(病院)に手違いがあり、病院側の姿勢を問う語りも見られました。

 

・摂取を禁止されているものを食事で提供された。患者のことを本当に考えているのか疑問。 (60歳代前半・女性)

 

 

 

 がんの判明は、ご自身だけでなく、同居されている家族や、遠方のきょうだいや親せきの方にも大きな影響を与える出来事です。

 

 ここでは、皆様がご家族とどのような関係を保ちながら、がんと向き合っていったかといった、肺がんが発覚して以後のご家族との関係について、皆様の経験を紹介します。。

 

 

同居する家族・配偶者との関係 

 

 家族のなかでも特に、配偶者の方は、もっとも身近にいて、もっとも長い時間を共有している場合があると思います。

 

 それだけに、日常生活のなかで本人よりも先に異常に気付き、検診を促すということもあるようです。夜中に咳がひどく出ていることをパートナーに知らされ、渋々病院へ行ったところ、肺がんが見つかったという方もいらっしゃいました。

 

 また、普段の生活を共に送っているパートナーのがんの発覚は、ときに本人が感じるのと同じかそれ以上に重い経験であるようです。

 

 ご夫婦でがんの宣告を聞き、がんにかかったご自身よりもパートナーのほうが積極的に治療法を聞いたり調べたりしたという語りもある一方、本人ではなく、ご家族ががんの告知を受けたケースでは、本人のショックを心配して、がんを知らせないという場合もありました。

 

 次の方は、先にがんを知らされたパートナーが、入院中、付きっきりで看病してくれたことを話してくださいました。

 

・妻が先にがんの告知を受け、泊まり込みでついていてくれた。(70歳代前半・男性)

 

 しかしなかには、普段と変わらぬ接し方をしていた配偶者の方もいらっしゃいました。

 

・夫は自分を病人扱いせず、自分も退院後すぐに日常生活に戻った。(70歳代前半・女性)

 

 

 また次の方のパートナーは、取りみださず冷静に、日常と何も変わらない振る舞いで、しかもご本人以上に治療に積極的になって、病気と向き合っているようでした。

 

・妻は冷静にがんを捉え、驚いたり悲しんだりはしなかった。(50歳代後半・男性)

 

 

 一方、家族は、自分にあまり家事を任せすぎないようにして、ストレスをかけないように配慮していると話してくれた方もいらっしゃいます。

 

・家族は自分に負担をかけないよう配慮してくれ、今は内縁の妻と同棲してストレスのない生活を送っている。(50歳代後半・男性)

 

 

 

離れて暮らす家族・子供との関係 

 

 ご自身と離れて暮らしている家族(子どもやきょうだいや両親)との関係についての語りも、多く見られました。

 

 その内容も様々で、自分のほうから子どもやきょうだいに来ないように頼んだり内緒にしたりした、という語りがある一方、あるいは逆に、一緒に治療法を積極的に話し合った、という語りも見られました。

 

・子どもたちには、来るなと言っていた。兄弟には、短期の入院の際には内緒にしていた。(60歳代後半・男性)

 

・息子たちは医師との立ち合いにも出席し、治療法についても相談し合った。(70歳代前半・女性)

 

 また、両親や子どもたちとの関係において、両親より若いのにがんで働けない自分に後ろめたさを感じると同時に、子どもたちに気軽に頼れることを非常にありがたいと感じている、といった語りも見られました。

 

・兄弟や両親が元気に畑仕事や雪囲いなどをしているのをを見ると、つらい。(60歳代前半・女性)

 

・気持ちを分かってくれて、経済的に援助もしてくれている娘たちはとても頼りになるし、ありがたい。(60歳代前半・女性)

 

 

 

 がんの治療中または治療後には、職場の同僚の方やご友人との関係のなかで、しばしば気を遣わなければならない場面にめぐり会います。ご自身のがん経験をどのように打ち明けたらよいかについて、悩んでしまう場合です。告白したことによって、非常に協力的にしてくれる場合もあれば、告白しても理解してもらえない、話した相手に気を遣わせてしまうといったケースもあり、同僚や友人の方々との関係には様々な葛藤が起こりえます。

 

 入院の際、がんの告白で相手に気を遣わせることを避けるために、別な用事で外出すると伝えた方もいらっしゃいました。

 

・入院中は友人に「東京へ遊びに行く」と伝え、がんの事は明かさなかった。(70歳代前半・女性)

 

 ご近所の方々との付き合いのなかで、がんのことを知られてしまうのを気にしている方もいらっしゃいました。がん治療を行うと仕事や生活面での変化がおこり、ご近所の方が不思議がる可能性があります。そのため、周りに余計な心配をしてほしくないという気遣いや恥の気持ちから、病気のことを言わなかったり、外見は元気であるようにみせたりする場合がしばしばあります。

 

 次の方は、ご自宅の一部が事務所になっていたため、事務所に電気がつかないと、前を通りかかる近所の方々に体調を心配されることがあったとおっしゃっていました。

 

・近所にもがんで入院したことは言っていない。(70歳代後半・女性)

 

 また、べつだん隠すというつもりはなくとも、周囲の方々に気を遣わせてしまうことを心配し、がんについては極力話すことを控えているという方もいらっしゃいました。

 

・同僚と入浴する際、手術痕の説明をする際にのみ、がんの経験をうち明けている。(50歳代前半・男性)

 

 がんについて打ち明けた結果、職場の同僚の方々に理解してもらえ、よい関係の中で仕事を続けている方もいらっしゃいました。

 

・治療後、職場に復帰し、以前と変わらぬ関係で仕事を続けている。(50歳代後半・男性)

 

 

 一方、次のように、上司の方にがんの経験を理解してもらえたものの、仕事上のミスに関して強く注意を受けたことから、ご自身の仕事力の衰えについて周囲に我慢を強いているのではないかと、気にかける語りもみられます。

 

・理解してくれている上司に、仕事のミスをきつく注意され、普段から気を遣わせているのではないかと申し訳なく思った。(50歳代前半・男性)

 

 

 

 通院や入院の際、同病者であるがん患者に出会うことがあります。そのとき、同じ治療を行っている患者や入院時の同室の患者は、おたがいに気になる存在になるようです。ここでは、同病者に関する語りをご紹介します。

 

 

同病者の悪化と死

 

 同室の同病者の症状の悪化や死は、ときに非常に不安な体験になります。今回のインタビューでは実際に同室のがん患者の死に直面した方はいらっしゃいませんでした。しかし、自分よりも先に退院をした同室の方が亡くなったという知らせを聞き、驚いたという方がいらっしゃいました。

 

 

・同じ部屋の先に手術した同病者が亡くなったことでびっくりした。いい気分はしなかった。自分より元気で手術も早かったのにすぐに逝ってしまった。(60歳代前半・男性)

 

 

 また、同病者が短期間で容態が急変したことを間接的に聞き、驚いたという体験をされた方もいらっしゃいます。

 

・全員がん患者の大部屋で、周りの人から他の患者の悪化した話を聞いた。 (50歳代後半・男性)

 

 その他、退院後は年賀状などで連絡をとりあっていた方もいらっしゃいます。しかし、その後しばらくして連絡が途絶えてしまったと無念に思ったともお話してくださいました。

 

 

 

共感と励まし・連帯感

 

 一方で、同病者からの共感や励ましで勇気付けられたという方もいらっしゃいました。

 

・退院後、治療中の同病の同僚から「絶対職場復帰してみせますから」という手紙をもらい、逆に勇気付けられた。(50歳代前半・男性)

 

 中には、「病気になったもの同士でないと理解し合えない。お互いの悩みは元気な人に全然通じない」と語った方もいらっしゃいました。

 

 また、同病者との連帯感を体感されたという語りもみられました。

 

 例えば、治療中に偶然同級生と出会い、お互いに仲間意識が生まれたとお話された方と部屋が一緒になった方がいらっしゃいました。このような連帯感が安心を与えてくれ、闘病の力になることがあります。

 

・同病者同士の連帯意識に勇気付けられた。(50歳代前半・男性)

 

 

 しかし逆に、この方は、特に同病者との治療方法や症状の違いに遭遇し、そのたびに一喜一憂してしまった体験も語られました。

 

・内視鏡手術が多い中で、自分は外科手術だったため、不安だった。(50歳代前半・男性)

 

 治療方法において外科手術ができるかできないかは、現在の進行の程度を推測でき、同病者間で比較されやすくなるようです。手術ができることはポジティブに捉えられ、手術ができない方との間に遠慮や距離がうまれることもあったようです。

 

 具体的には、外科手術でがん細胞を取ることができた方は、同病者から「手術できればいいよな、おれは手術できないんだよ」と言われてしまい、複雑な心境になったとおっしゃっていました。他にも、手術ができない方へは気を遣い、話しができなくなってしまった、という体験をされた方がいらっしゃいます。

 

 

 

話題への気遣い

 

 手術ができない方との間で距離感が生じる体験以外にも、話題に気をつかうことがあるようです。例えば、闘病により退職をせざるを得なかった方に仕事の話をしてしまい、後悔したという方もいらっしゃいました。

 

・同室の人仕事について聞いたときに、「辞めた」と言われ、悪いことを聞いたなと思ってしまった。(70歳代前半・男性)

 

 

 

 ここでは、他のがん患者へのメッセージをご紹介します。闘病の体験から学んだこととして、がん保険などの経済面の備えなど、具体的な対策の必要性があげられたほか、健康診断を受診することの大切さが語られました。自分の身体は自分で守り、治療に関しては医者のアドバイスを仰ぐことが必要という方もいらっしゃいました。希望をもつことが大切という声もありました。 

 

 

自分自身の努力の大切さ 

 

・自分自身で身体を守るしかない。そして、先生のアドバイスは参考にし、家族も努力することも必要。(70歳代前半・男性)

 

 このように、医者からのアドバイスにより食事の改善が必要な方もいらっしゃいます。家族に配慮してもらうのも大切ですが、一方で本人の努力が必須と感じることもあるようです。

 

・焦らないでゆっくり。自分自身が食べ物とか仕事とか十分注意してやらなければ、がんの克服はできない。(70歳代前半・男性)

 

・普段の生活パターンを変えていくことが大切。(50歳代後半・男性)

 

 

 

健康診断の受診の大切さ

 

 その他、健康を維持することとがんを早期に発見することが大切だと語った方がいらっしゃいました。早期発見には定期的な健康診断を受けることが大切です。診断のおかげでがんの発見をした方は少なくありません。

 

 次の方は、ご家族の腎臓移植のために健診を受けたところ、ご自身にがんが発見された背景がおありです。そういう意味で、健診を受けるきっかけをつくってくれたご家族に感謝の気持ちを語っていらっしゃいました。

 

・健康診断をうけることが大切。(50歳代後半・男性)

 

・とにかく健康診断が大事。やれば発見されて治る方が相当多いのだから、60、65歳を過ぎた人はとにかく健康診断を受けるようにすべき。(50歳代後半・男性)

 

・症状が出てきてからでは遅い。時間が惜しいとか思うかもしれないが、健診をやらずして、楽しむことも楽しめないはず。(50歳代後半・男性)

 

 

 

希望をもつことの大切さ

 

 “がんは怖くない。前向きに治療をすることが大切で、決してあきらめてはいけない”、というメッセージもみられました。次に紹介する方は、治療や予防に関する心がけだけでなく、病気に負けない強い意志が必要であることを強調しています。

 

・前向きに治療をやること、希望をもつことが大事。(50歳代前半・男性)

 

 さらにこの方は、がんに対する前向きなメッセージが、多くのがん患者を勇気づける役割を果たしていることをお話ししています。

 

・“がんは怖くない”というメッセージは一番勇気づけられる。(50歳代前半・男性)

 

 

 

 ここでは、手術や放射線治療、抗がん剤治療などのがん治療を受けた後に、日常生活の中でみなさんがどのようなことに気をつけていらっしゃるか、ということについての語りをご紹介します。

 

 それぞれの治療がはじまったあとには、食生活を改めたという方や、健診や検査・医師のアドバイスを大事にしている方がいらっしゃるようでした。また、痰や便を通して日々の体の変化に注意されている方や、早く寝る・毎日歩く、というように生活習慣・運動習慣を改めたという方もいらっしゃいました。

 

 

食生活(喫煙・飲酒) 

 

 食生活については、何を食べるか、あるいはいつ食べるかということに気をつけているという語りが見られました。具体的には、肉類や脂ものは食べない、あるいは月1、2回に控えているという方や、一日三度規則正しく食事をとるように心がけているという方がいらっしゃいました。家庭では薄味を心がけているので、外食にいくとどれもしょっぱく感じるほど、という方もいらっしゃいました。

 

 一方で、食餌療法やサプリメントなどに抵抗感をお持ちの方もおられました。

 

・肉類はさけるように、お魚野菜を多くとるように。(70歳代後半・女性)

 

 また今回のインタビューでは、がんになったことを契機に禁煙された方が複数いらっしゃいました。一般的に禁煙は大変苦しいと言われていますが、特に苦労することなくタバコをやめることができたという方がいらっしゃいました。

 

・がん判明後禁煙。手術前の禁煙は意外とあっさり。体的に何も感じず。(50歳代後半・男性)

 

 また、飲酒については、「飲む量を減らした」「休肝日を最低週2日はもうけている」「もう何ヶ月も飲んでいない」という語りがありました。

 

 

 

健診・検査・医師のアドバイス 

 

 さらに、退院後の健診や検査(通院)を重視するという声も、複数聞かれました。

 

・何も悪いところがなくなったと思っても、一度病気になったのであれば定期的に通院すべきだ。(60歳代前半・男性)

 

・先生の言うことをしっかり聞く、10のものを10絶対守り通すことはできないから、ある程度自分なりに考え、言われた通り通院。(70歳代前半・男性)

 

 他にも、通院を重視する理由として、がんの再発を早期に発見するためという方や、脳梗塞など別の疾患が心配だからという方がいらっしゃいました。

 

 また、女性がかかりやすいがんの検査を、積極的に受けているという方もおられました。たとえば、退職してからも行政から案内がくる健診は毎年必ず定期的に受診しているというある女性は、総合健診に加えて婦人科健診(乳がん(触診とマンモグラフィー)と子宮がん(子宮体がんと頸がんの検査))も受けているとおっしゃっていました。

 

 また、「風邪を引かないように」という医師のアドバイスを重視している方が複数いらっしゃいました。

 

・がんは風邪が一番天敵と注意されている。予防接種は必ず受ける。(70歳代前半・男性)

 

 

 

運動やリハビリ 

 

 運動やリハビリについての語りもいくつかみられ、日常生活の中で積極的に歩いているというお話が聞かれました。初めは疲れても、次第に慣れて運動時間を延ばしたという方もいらっしゃいます。

 

・自分の考えで仕事後にウォーキング。最初は30分ほどで息があがっていたが、慣れて一時間ほど歩くように。(50歳代後半・男性)

 

 他にも、「手術前後、理学療法士と一緒にリハビリ室で、歩いたり階段を上るリハビリをした。退院後も家の周りで歩く練習をしていた。」という方がいらっしゃいました。また、他の病気(糖尿病)の対策として運動・食事管理を10年ほど続けられていて、健康管理には自信があるという方もいらっしゃいました。

 

 

 

 がん治療は、生活に大きな支障をきたします。さらに、仕事にも大きく影響することが考えられます。ここでは仕事との関わりに関する語りをご紹介します。

 

 治療を優先すると、仕事を休まざるを得なくなります。今回のインタビューを受けて下さった方々は、職場の上司から休むように言われたり、自分自身から休んだりするなどして、治療に専念するために仕事を調整されていました。中には、調整ができず治療に入れなかった人もいらっしゃいました。多くの方が、治療に専念するまでの過程だけでなく治療後も、仕事の調整や仕事との関わり方に悩み、辛い思いをされていらっしゃいます。

 

 

 

治療前に生じた戸惑い

 

 以下の方々は、職場から理解を得られた方たちでした。治療にむけて会社の上司からは仕事を休むように勧められたようです。

 

・手術・退院後は、仕事欲はあるも会社から休むように言われた。(60歳代前半・男性)

 

 次の方は、治療しながら仕事ができるように職場が配慮をしてくれました。例えば、抗がん剤治療時、治療の次の日は仕事をやすむ必要があったため、職場は週の後半を休めるよう柔軟な対応をしてくれたようです。

 

・上司に定時で帰ることをすすめられるなど、職場の支えは本当に助かった。一方で職場に負担をかけてしまったと思う。(50歳代前半・男性)

 

 一方、次の方は治療に専念するために自分で休むことを決断されました。

 

・大学で地理学を教えていたが、治療に専念するためやめた。学生に教えるのを楽しみにしていたので残念。(60歳代後半・男性)

 

 中には、自営業のため、仕事の調整が難しい方もいらっしゃいました。

 

・仕事があるので、すぐに入院できなかった。(70歳代後半・女性)

 

 

 

治療後に生じる葛藤

 

 仕事を調整しながら治療されていても、困難や不具合が生じてやむを得ず退職せざるを得ない場合もあります。職場を長期間休むことが出来ず、仕事をやめざるを得なくてつらいこともあるようです。さらに、治療終了後でも仕事を再開することへの恐れが生じたようでした。

 

・抗がん剤の治療後、合併症の危険性のため絶対安静で仕事を3ヶ月休んだ。これ以上迷惑をかけられないのでやむを得ず退職をした。(60歳代前半・女性)

 

・仕事を失ってからうつ状態に陥った。周りがみんなはたらいていることに、罪悪感を感じた。(60歳代前半・女性)

 

・もし、がんのことを隠して働いたとしても、肺炎や感染症にかかって相手に迷惑がかかる、と考えたら、働けない。(60歳代前半・女性)

 

 

 中には、治療のほうを優先して仕事をされる方もいらっしゃいました。次の方は、健康を優先され仕事は無理のない程度にする選択をされています。

 

・仕事は午前中やれば午後休む感じで、無理せず控えめに。あまり疲れない程度に。(70歳代前半・男性)

 

 この方の場合は、仕事を部分的に続けられる環境だったようです。

 あるいは、職場の仲間に仕事面で配慮してもらえたという語りも聴くことがみられました。

 

・まわりに「無理はしないでね」と配慮してもらった。(50歳代後半・男性)

 

 

 一方、本人に仕事をさせたくないと家族が気を遣い、仕事を一切辞めたという方もいらっしゃいました。次の方は、周りから病人として扱われることが重なり、仕事の機会を失ったという体験をされていらっしゃいます。

 

・がん経験が周囲に悪い印象を与え、農作業の話がこなくなってしまった。(60歳代前半・女性)

 

 

 

 がんの治療にあたっては、検査費、手術費、薬代など様々な経済的負担が発生する上、治療の長期化や再発などのリスクがあり、経済的な不安が生じます。

 

 ここでは、そのようながん治療にまつわるお金の問題についての語りを紹介します。

 

 

経済的負担

 

 厚生労働省の調査※1によれば、肺がんの平均在院日数が27.2日と発表されており、約1ヶ月前後の入院期間になっています。入院期間が長くなればなるほど経済的負担も大きくなります。治療法により個人差があると思われますが、手術などの治療費以外に、検査のための入院にも高額なお金がかかるようです。

 

※1:厚生労働省 患者調査 平成21年(平均在院日数;気管,気管支及び肺の悪性新生物)

http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/kanja/08/index.html

 

・検査入院にもお金がかかる。手術後の入院費用も気になったが、後々のことを考えると、手術をしたくないとは言えなかった。(60歳代前半・男性)

 

 このように、がん治療には様々な経済的負担が生じますが、お金を掛けても完全に治る保証がありません。中には、どこまで治療費にお金をかけたらいいのかということを迷うことがあります。

 

 先ほどの方は、以下のように、経済的負担とその治療の程度に迷われた体験もされていました。

 

・お金を掛けて手術をしても、その後どうなるのか保証がない。(60歳代前半・男性)

 

 また、がん闘病の過程では薬による治療を何年も行うことがあります。それらの薬は種類でお金のかかり方が異なってきます。以下のお二人は、負担可能な治療費の範囲での治療の選択を迫られる体験をされていました。

 

・薬の種類で3択を提示された。(60歳代前半・男性)

 

・イレッサ服用はお金がかかるので、治療の選択に迷いが生じた。(60歳代前半・女性)

 

・死ぬまで薬を飲み続けていかなくてはならない。(60歳代前半・女性)

 

 

  これらの経済的負担は、時には家族にかけてしまうことがあります。がんを患ったことで精神的な負担を掛けてしまった上に経済的な負担を強いてしまうことになった場合、大きな葛藤をかかえてしまいます。

 

 次の方は、娘3人に精神的にも経済的にも助けられましたが、その負い目を語っていらっしゃいました。

 

・子どもたちにも経済的な負担を掛けてしまい、つらい。(60歳代前半・女性)

 

 

 

治療情報の必要性

 

 このように、経済的負担と治療法の選択は密接に関わっており、家族への負担を強いることも生じる場合があります。そのため、患者の状況に見合った最善の治療法の情報は不可欠になるようでした。

 

・患者の経済状況やくらしにあった治療法の情報を、早めに(はじめる前に)提供してほしい。そういうデータがあったらいいなと思う。(60歳代前半・女性)

 

 

 

保険

 

 今回の肺がん経験者の中では、がん保険の加入者の方が未加入者よりも多くいらっしゃいましたが、治療費を健康保険の範囲でカバーができた方や、がん保険でカバーされた方がいらっしゃいました。保険の種類は、民間のがん保険、郵便局の保険、共済保険など多岐にわたりました。

 

 次の方は、手術費用とCTやMRIの高額な検査費用を保険でまかない、その他の治療費は健康保険の高齢者の1割負担でカバーがされたようです。

 

・高齢者のため1割負担で思いのほか安かった。また、手術費用や検査費用がかかるので、がん保険に入っていて助かった。(70歳代前半・女性)

 

 がん保険に加入したことで経済的なメリットを感じられた方は多くいらっしゃいます。加入のきっかけは様々であり、昔から偶然に加入していた方もいれば、ご家族がたまたま保険をかけていてくれていた方もいらっしゃいました。また、ご家族にがん患者がおられて、万が一の際に備えて保険に加入されていたという方もいらっしゃいました。

 

・がん県民共済に加入していてよかった。(60歳代後半・男性)

 

・がん保険に加入していた。たまたま入っていたのだが助かった。健康保険と合わせると大分カバーできた。(50歳代後半・男性)

 

・たまたま家族が郵便局でがん保険に加入してくれていて、心配なかった。(50歳代後半・男性)

 

・現職時代からがん保険に加入していたので、大方がカバーできた。(70歳代前半・男性)

 

 

一方で、残念ながらがんが後発した場合、がん保険の加入対象外になってしまった方もいらっしゃいます。

 

・がんになったあとに、がん保険に加入することが出来なかった。(60歳代前半・男性)

 

 中には、がん保険に加入していなくても、健康保険の範囲で治療が行えたり、休職中の経済補償が得られて経済的に救われたりした方もいらっしゃいました。

 

 例えば、がん保険には加入していませんでしたが、抗がん剤治療もなく、国民健康保険の範囲内で治療を行い、経済的な問題はなかった方もいらっしゃいます。また、所属先の福利厚生で経済補償を得られた方もいらっしゃいます。

 

・公務員の共済組合から休職中の経済的な補償があり、幸せだと思った。(50歳代前半・男性)

 

 

 

 がんの発見・告知以降は精神的な面で様々な体験をされます。ここではそれらの体験を通したこころへの影響を紹介します。がんを患ったことにより恐怖感や不安にさいなまれる一方、家族などの支えを実感したり、病気がきっかけで前向きな心境へ変化したりする一面が語られました。

 

 

恐怖・不安

 

 がんの告知は、死の恐怖や将来への絶望につながり、ただただ不安になり落ち込むしかできなかったという体験になることもあるようです。

 

・告知、手術前が一番苦しく、手術後落ちつくまで時間がかかった。死にたくない気持ちとどうでもいいやという気持ちがあった。(60歳代後半・男性)

 

 

 将来のことを考えると不安になったという語りは多くみられました。中には、「70歳を過ぎても将来の心配があった。若い人はなおさら心配になるのではないか」とおっしゃった方もいます。

 

 その他、「なんでわたしが?と思った」「まさか自分がなると思わなかった」との体験が複数語られました。その方の1人は、がんになる予期をしていないところを告知をされたために、びっくりしたというよりは、「とにかく落ち込むしかなかった」と話していらっしゃいました。

 

 

 

家族の支えを実感

 

 家族など近い存在にささえられて“一人で生きているんじゃない”と思った時、前向きに気持ちが変化した方もいらっしゃいました。

 

・告知から10日間ほどは生へ執着して夜も眠れないほどだった。妻の言葉があり、それから「できることはなんでもやろう」という気持ちに変化した。(50歳代前半・男性)

 

 

 

病気を体験後、気持ちが変化

 

 病気の辛かった体験は今もなお、こころのなかに刻まれているようですが、告知・治療・回復の一連の体験は、その後の気持ちの持ちように変化がみられるようです。例えば、生きる幸福感や安定感を感じたり、再発予防のために体調に気をつけたりするようになるなどの心の変化が語られました。

 

 中には、治療が一旦終わった心境として、手術の傷はあるものの今の自分があることのいとおしさを語っていらっしゃった方もいます。

 

・がんになって3年が経過。手術の跡は恥ずかしくて見せられないが、あとは困ったことはめったにない。(70歳代前半・男性)

 

 さらにこの方は、「これからもどうなるかわからないけれども、今、こうやって自分自身がいるということは幸せだなと思います」と語っていらっしゃいます。

 

 しかし、がん再発に関しては神経質になるもので、中には今まで以上に体調面の管理には神経質になり、今後の自分の身体との付き合い方に戸惑うという語りもみられました。

 

・不安はないが、咳き込まないなど体調面管理には常に気をつけている。まだどのようにすればよいか自分でもつかめていない。(50歳代後半・男性)

 

 

 

 ここでは、がんの判明から現在まで、普段生活している中でからだに不自由を感じるようになった事柄について紹介します。

 

 肺がんのはじまりの兆候として、咳や胸痛、息切れ、声が枯れるなどの症状が表れます。また、小細胞がんの場合、早期から咳や血痰が出るといった症状が見られます。

 

 治療後も、息切れや声の枯れはなかなか回復が難しく、日常生活に支障を及ぼす原因として挙げられています。趣味の散歩や登山でもすぐに動悸が起きてしまうなど、身体の変化を頻繁に感じることがあるようです。

 

 また、予想していた以上のからだの変化に驚いたが、日常生活のなかで少しずつ慣れていったという話も聞かれています。

 

・声が普通に出せるようになったのは手術してから1ヶ月後。現在も、話をすると息切れが起こる。(50歳代前半・男性)

 

・会話中に咳込みと息苦しさが起こり、仕事に影響が出ている。(50歳代後半・男性)

 

 外科手術によって治療を行った場合、手術後半年から1年の間、手術の傷跡(創部)に痛みが残る場合があります。今回のインタビューでも、治療後の日常生活において不自由に感じておられる方々のお話をうかがうことができました。

 

 次の方は、腕を動かす時に傷跡が「ひきつるように」痛むと話されていました。

 

・腕を動かすと、傷がひきつるような痛みを感じる。(70歳代前半・女性)

 

 また、放射線治療を行った場合、治療中や治療の終わりごろから肺臓炎、食道炎、皮膚炎などの副作用が起こることがあります。肺臓炎に関しては、咳や痰の増加、微熱、息切れが起こり、食道炎では固形物の喉の通りが悪くなり、痛みを伴うこともあります。

 

 今回も、軽症でしたが食道の炎症を起こしたと話してくれた方がいらっしゃいました。

 

・放射線治療後、風邪を引いたときのような喉の痛みが起こった。(50歳代前半・男性)

 

 放射線治療の副作用に関しては、「治療」カテゴリー内の「放射線治療の副作用」というトピックに詳しくまとめてあります。そちらもご参照ください。

 

 

 

 ここでは、がんとわかって治療を経たあと、日々どのように感じ、考えながら毎日を過ごされているか、ということに関する語りをご紹介します。がんを抱えている事への不安を語られた方がいらっしゃる一方で、逆に、がんの経験によって生まれた意気込みや自分なりの生き方をお話しされた方もいらっしゃいました。

 

 

不安・意気込み

 

 治療を終えた後も、転移や合併症・副作用に対する不安を抱える、という語りは、多くみられます。たとえば、「もしがんが出やすい体質ならば、現在治療中のがんが治っても不安」「治療をやめて一ヶ月経ったが、これから合併症や副作用の症状が強く出ないか心配」というような語りがみられました。

 

 また、不利な情報を知ることで不安が生じるのを避けるために、とくべつ治療法について調べたりしないという方もいらっしゃいました。

 

・たまたま取ったリンパ節の一カ所に転移があったので、ほかにもっと転移がひろがっているのでは、と不安になった。(60歳代後半・男性)

 

・診察を受けに行く度に、何を言われるかいまだに緊張する。異常なしと言われるとまた元気が出る。(70歳代前半・男性)

 

 このように不安がある一方で、不安を抱えながら生きていく上での、様々な覚悟や意気込みについて語られた方もいらっしゃいました。

 

 覚悟の具体的な内容としては、「不安もあるが、再発した時は一生懸命やる。」「リンパ節じゃこれはもう生涯の付き合いだろうなと、ある程度自分で覚悟をした。」といった声がありました。髪が薄くなっても、やはり治すためには我慢して打たなければならないと思ったという方もいらっしゃいました。

 

 また、日々の生活雑務が、病気の不安を忘れさせてくれる大切なものだという方や、前向きに生きることの大切さを語られた方がいらっしゃいました。ただし、積極的に前向きに生きようという声がある一方で、前向きに考えないと生きていけないという声も聞かれました。

 

 

 

死ぬこと・生きることに対して(がんの捉え方)

 

 今回のインタビューでは、自分の生や死、あるいは自らの病気に対してどのように考えながら日々生きていらっしゃるかを語って下さった方がおられました。

 

 死ぬこと・生きることに関しては、自分は生かされていると感じている方が複数いらっしゃいました。同時に、生かされている分、できることは何でもやろうという決意を語られていました。ただ、その結論に至るまでは様々な葛藤を経験されたようでした。

 

・合併症などにかかって終止符を打ってしまった方がいいのかと思うこともある。しかし、これも人生の修行だと思っている。(60歳代前半・女性)

 

 またこの方は、「正しいか間違っているか分からないけれども、自分で自分を守っていくことが周りにこたえていくことと思っている。自分が生かされている意味を知りたい。」ともおっしゃっていました。

 

・自分の命は親からもらったものであり、自分は生かされている存在。何をやっても運命だから、何でもやってやろうと納得している。(50歳代前半・男性)

 

 年齢と死に関しては、自分は死んでもおかしくない年と考える方がいらっしゃいました。一方で、若いときはいつ死んでもいいと思っていたが、年をとる程に死にたくなくなってきた、という正反対の意見をお持ちの方もいらっしゃいました。

 

・平均寿命を過ぎると、死んで当たり前の年だから、癌で死のうが何で死のうが関係ない。(60歳代後半・男性)

 

 がんの捉え方に関しては、病気を「もうそんなに無理して働くことはない」という自分の体からのメッセージとして捉える方がいらっしゃる一方で、「この世における修行」と捉えている方もいらっしゃいました。また、「病気との共存」という捉え方もありました。

 

・無理をしてきた自分に対するメッセージとして病気を捉える。(60歳代前半・女性)

 

・病気と仲良く付き合う、「共存」する。趣味をたくさん持って、どうせなら笑って生きる。(60歳代前半・男性)

 

 この方は、病状が悪化した場合、再び手術して自由に動けなくなってしまうよりは、自然体で生活したいともおっしゃっていました。

 

 

 

 抗がん剤治療や放射線治療を行う場合、通院して治療・施術することがあります。ここでは、このような通院に関して、どのように通院しているのかということや、通院時の苦労、通院に対する思いなどの語りを紹介していきます。

 

 

治療目的の入院 

 

 治療目的で通院している方は、比較的通院頻度が高く、週に1度か、2週に一度の割合で通院されている方が多いようです。

 

 抗がん剤の服用治療を行っている場合は、服用する抗がん剤を処方してもらうために通院していたことがうかがえます。

 

・週に一度の通院で抗がん剤を処方してもらい、治療を受けている。(60歳代後半・男性)

 

 また、抗がん剤を病院で投与してもらう治療法をとっていた場合は、投与のタイミングをみて、通院のパターンであったようです。

 

・週に一度の通院を3週やって1週お休み。抗がん剤をやった次の日は、仕事もお休みした。(50歳代前半・男性)

 

 

 

検査目的の通院 

 

 手術を受けて、その後は特に抗がん剤などの治療はせずにいる場合でも、検査のために通院している方も多くいらっしゃいます。この場合、1カ月に1回の検査が、だんだんと間隔を置くようになっていると話されていました。

 

・検査のために1カ月に1度の通院を行っている。(70歳代前半・男性)

 

 次の方は、手術後、3カ月に1回通院している意味を医師からはっきりとは告げられていませんでした。そのため、ご自身は「治療のために通院しているのではない」と話しています。

 

・:薬の処方や投与がないので、通院しているのは検査のためだと思う。(60歳代前半・男性)

 

 

 

 ここでは、最初にがんが見つかった箇所を治療した後に、同じ部分に再発した、もしくは他の部分に転移したという事例について、2名の方の体験談を紹介したいと思います。お二人ともリンパ節への転移でした。

 

 次の方は、手術をしてから数ヵ月後にリンパ節転移が見つかり、放射線治療と抗がん剤治療をされました。しかし、副作用を抑えるため、いったん治療をやめたこともあったようです。(主にインタビューに同席された妻の方がご本人に代わってお話されています。)

 

最初の手術後にリンパ節の転移がみられ、放射線の治療を行った。その後再手術を行い、放射線治療と抗がん剤治療を行った。(60歳代後半・男性)

 

 

 また、次に紹介する方のように、初期がんの手術を行った結果、手術中にリンパ節への転移が見つかったという方もいらっしゃいました。その後、抗がん剤による治療を続けたものの、CT検査(X線写真をコンピュータで撮影する検査)により、さらに転移が進行していることが判明したそうです。この方は、治療をして仕事に復帰するつもりでしたが、やむを得ず退職をするしかありませんでした。

 

・手術中にリンパ節転移が発覚し、抗がん剤を投与した。その後、絶対安静になり、退職せざるを得なかった。(60歳代前半・女性)

 

 

 

最後の抗がん剤から1週間後の検査で、さらに縦隔と鎖骨のリンパ節への転移が判明。(60歳代前半・女性)

 

 

肺がんを摘出した後、その副作用として息苦しさ・手術の傷の痛み、のどの痛みなどが主な症状として現れることがあります。

 

ここでは、手術の後、みなさんがどのように過ごされているのか、その気持ちを含めた語りを紹介します。

 

 

退院までの日数 

 

今回お話くださった方は、全員が手術後に退院された方々でした。

 

手術のために入院されてから退院されるまでの日数は、1週間から40日間まで、幅がありました。1週間から10日間で退院された方は、術後の経過が軽いと思われる方も多かったようです。

 

インタビューにお応えくださった方の中には、比較的初期の段階で異変が発見され、がんという確定の診断を受けたのはかなり時間が経ってからで、ご自分の肺がん体験をさほど重くとらえているわけではないような方もおられました。

 

手術後3日目には病院内を歩き、退院も9日と早かったうえに、退院の日にすぐ草むしりができるなど、すぐに日常に戻れたことは、ご本人がご自身の経験を「軽かった」と思われる一つの理由だと言えそうです。

 

なかには、手術後長く入院させない方針の病院にいたのですぐ退院したという語りも見られました。また、手術の直後は、他の人に比べて長く管を付けていなければならないなど、医療者側も慎重に対処する必要があったものの、比較的早くに退院したという方もいらっしゃいました。

 

早めに退院する場合、再発を防ぐために、抗がん剤治療を勧められ、一時的に投与したという選択をした方もいらっしゃいましたが、他方で、退院前の検査の結果、医師と相談して、抗がん剤治療を施さない決定をした方もいらっしゃいます。

 

管を長くつけていたものの、それが取れたらすぐ退院でき、抗がん剤治療も選択しなかった(50歳代後半・男性)

 

 

日数に関わらず、入院しているだけで体力が落ちてしまう、という声が聞かれました。

 

次に紹介する方さんは、手術後は1週間から10日と早めに退院できたのですが、入院してから手術するまでが長く、その間に体力が落ちたとおっしゃっていました。

 

入院したら歩けないので、体力が落ちてしまい、手術後のリハビリも大変だった(70歳代前半・男性)

 

 

手術後の不具合と、そのときの気持ち 

 

肺がんの部位を摘出した直後は、息苦しさや傷のうずきなど、さまざまな不具合が見られ、またそれぞれの状況に対しても思いも幅が見られました。

 

今回の語りの中には、手術後の傷のうずきや息苦しさを感じ、今でもときどき咳こんだりしていますが、そのことに対しては、「多分これからもつづくのだろう」と、ご自身のなかで折り合いをつけているような語りが見られました。

 

一方で、声が出なくなるという体験をした方の中には、その説明を事前に医師から聞いていたものの、やはり悲しい気分になったと感じた方もいらっしゃいました。

 

手術後に声が出なくなり、悲しくなって涙が出たこともある(50歳代前半・男性)

 

 

ほかにも、以前に体験した胃がんの手術の体験と比べて、夜うずく以外はさほど変わりがなかった、とおっしゃる方や、手術後の痛みよりも、ギブスをつけて身動きが取れなかったことがとても辛かったと話されている方、さらに、手術後の見た目を気にして、「人さまには見せられない」と話している方もいらっしゃいました。

 

 

手術後に行ったこと 

 

手術後は退院に向けて、歩く訓練など、さまざまなリハビリが行われていました。

 

「外科療法」のところでもご紹介したように、次の方は手術前から、息を吹き込む器具を用いて肺を鍛えるように言われていました。しかしご本人はもともと肺が強かったようで、手術後もその器具に息を難なく吹き込むことができていたようです。

 

階段の上り下りと、息を吹き込む練習はすぐクリアできた(70歳代前半・女性)

 

 

他にも、一日45分ほど、リハビリ室での訓練と、階段の上り下りによる歩行訓練を退院までの間にこなしていた方もいらっしゃいました。この方は特に、リハビリ室での指導の下の訓練のおかげで動けるようになり、ご自身はそれがよかったと話されていました。

 

また退院後も、ご自身の体力低下を心配して、意識的に家の回りを歩いたり自転車で出かけたりしていたと話されていました。

 

 肺がんの診断のために実施される検査方法は、画像診断(レントゲン、CT、MRI、骨シンチグラフィ、PET)、内視鏡(気管支鏡など)、細胞診(喀痰細胞診、胸水細胞診、穿刺細胞診など)、経皮肺生検、腫瘍マーカー(血液検査)など数多くあります。

 

まず、咳、痰などの症状がある場合、最初に胸のレントゲン検査をします。次にがんかどうか、あるいはどのタイプの肺がんかを顕微鏡で調べるため、肺から細胞を集めます。そして、通常は痰の中の細胞検査をします。これらの検査は、影が肺がんであるかどうかの確定診断のための検査あるいは肺がんの病気を決定し治療方針を決めるための検査として位置づけられます。

 

ここではこれらの精密検査を受けた人の語りを紹介します。

 

次の方は、定期健診で影が見つかり、がんの可能性が高いとされるD判定になりました。その前からも喉の痛み、血痰などの症状があったため、内視鏡検査を実施しました。検査はさほど苦しくはなかったそうです。

 

検査入院。内視鏡検査。検査はさほど苦しくなかった(50歳代前半・男性)

 

逆に、気管支鏡検査で病変の手前の組織を採取し、息が出来ないくらい苦しかったという人もいました。

 

また、かかりつけの病院で別の病気の治療中にレントゲンを偶然にとったところ、影がみつかったという方もいらっしゃいました。次の方は、突然具合がわるくなったことをきっかけにかかりつけの病院で検査を受けています。

 

最初はかかりつけの病院で喀痰細胞診と喀痰を培養する検査を行い、それがきっかけでがんが判明した(50歳代後半・男性)

 

再度、大きな病院の呼吸器科で検査を行い、腺がんと診断をうけた。レントゲンでは分かりにくいため、手術の際、リンパ節を切除して検査をした(50歳代後半・男性)

 

 

 このように、レントゲンやCT以外の精密検査においては、かかりつけの病院から、県立病院や大学病院、がんセンターなどのより大きな病院を紹介されるケースが多くみられました。それらの精密検査は、呼吸器科、内科、内視鏡科での実施がされ、複数の科に渡って何度も検査を行った方もいらっしゃいました。 

 

 ここでは、がんが判明する以前の生活習慣や、親類の方々のがん経験など、がんの原因についてインタビュー協力者が心当たりに感じている事柄を紹介します。

 

 

喫煙習慣 

 

 肺がんの原因として、一般的にイメージが強いものといえば、たばこを吸う習慣があげられます。日本人を対象としたある研究では、喫煙者は男性で4.4倍、女性で2.8倍にまで肺がんリスクが上昇するという結果が出ています(※)。

 今回のインタビューでも、協力者のうち半数以上の方々が、喫煙習慣と肺がんを結びつけて考えていらっしゃいました。どなたも、自分の一日に喫煙する本数が、比較的多いことはふだんから自覚していたようでした。

 ※国立がん研究センター「生活習慣改善によるがん予防法の開発に関する研究」

 

 

●肺がんをきっかけにたばこをやめたが、それまで1日に3箱吸うこともあった(50歳代後半・男性)

 

●がんが見つかるまで、強いたばこを1日1箱以上吸っていた(50歳代後半・男性)

 

●20代からずっと喫煙してきたが、手術を機に禁煙(70歳代前半・男性)

 

 

一方、自分ではなく、家族の喫煙習慣を原因と感じている場合もありました。喫煙者である配偶者と30年間生活してきたという方は、肺がんは副流煙が積み重なった(外側に出る煙を吸い続けた)結果だと考えておられました。

 

●肺がんで亡くなったご主人の副流煙を、30年以上吸っていた(70歳代後半・女性)

 

宴会などで、周囲の人々の喫煙を不快に感じるようになった(60歳代後半・男性)

 

 

次の方の場合は、喫煙習慣もなく、周囲にたばこを吸う人もいなかったのに、肺がんになったケースです。たばこの害はほとんどなかったにもかかわらず、がんにかかったことを不思議に思っていました。

 

両親はたばこを吸っていたが、一緒に暮らした期間はそれほど長くない(70歳代前半・女性)

 

 

体質・遺伝 

 

親類にがんにかかった人がおり、いわゆる「がんまき(がん家系)」を意識している人や、または医師からがんにかかりやすい体質である、と言われた人もいました。肺がんではなくとも、がんを患った親がいると、診断を受けた時にその親類のことが頭に浮かぶようです。

 

父親も肺がんで、兄弟もがん保険に入るなど意識している(60歳代後半・男性)

 

体質的にがんが出やすいと、医師に告げられた(50歳代後半・男性)

 

 

職場の環境 

 

今回のインタビューでは、ストレスや排気ガスなど、厳しい労働環境にさらされたことも、がんの原因に挙げられていました。東京で運転手をしていた次の方は、排気ガスをたくさん浴びてしまったことも原因の一つではないかと話していました。また次の方の場合は、夜勤が中心で不規則な生活になりがちだったことを原因としてあげていました。

 

●東京で20年間トラックの運転手をしていた(70歳代前半・男性)

 

夜間が中心の不規則な仕事を定年まで続けた(70歳代前半・男性)

 

自分のがんの進行段階や、どのような治療法を選択するべきかについて、さまざまな手段で情報を集めた人もいれば、主治医の先生を信じて、ほとんど情報収集は行わなかった方もいました。

 

あまり積極的に情報を集めようとしなかった方々は、先生の判断に身を任せ、治療に専念しているようでした。たとえば次の方は、自分で知識を集めてしまうと、主治医の方の治療法に疑問を持ってしまったり、信頼できなくなってしまうことを気にしておられました。あるいはインターネットなどを使い慣れていないため、情報収集の手立てがないという方もいらっしゃいました。

 

身のまわりの本で調べたが、あとは先生にお任せした(60歳代後半・男性)

 

 

一方、積極的に情報を集めた人は、自分の肺がんの種類や治療法を調べたり、自分が選んだ治療法の知識を持っておくなどの目的で、インターネットや本を活用しているようでした。

 

現在、がんに関する情報は、インターネットのホームページを中心に、たくさんの場所から集めることができます。国立がん研究センターをはじめとする医療機関のホームページや、同じがん患者が公開しているブログなど、インターネットからさまざまな情報を得られます。

 

また、書店や図書館でも、がんや治療法について詳しく説明している本や、日本全国のがん専門医を紹介するものなど、さまざまな必要に応じた本を手に入れることができます。

 

医師から診断書をもらい、自分の肺がんの種類や治療法、病院などを調べた(50歳代前半・男性)

 

病院に置いてあるパンフレットを持ち帰り、選択可能な治療法について情報を集めた(50歳代後半・男性)

 

 

なかには、同室の患者の方から治療法などについてアドバイスをもらい、治療法を選択する参考にしたという方もいらっしゃいました。次の方は、がん患者の「先輩」方からさまざまな経験を聞いて、それぞれの治療法のよいところや辛いところなどが分かり、非常に参考になったそうです。

 

同室の「先輩方」から、治療法や副作用についてアドバイスを受けた(70歳代前半・男性)

 

 ここでは、肺がんにかかっていることが判明したときの状況や、告知された時の気持ちに関する語りをご紹介します。(がんと確定するまでの気持ちについては、「発見までの経緯」というテーマでご紹介しています。)

 

 

判明したときの様々な状況

 

がんにかかっていることが判明した時の一般的な状況として、健診などで疑いが発見されたあとの精密検査で、がんと確定するということが考えられます。

 

今回のインタビューでも、気管支鏡や内視鏡による精密検査を受けて判明したという方がいらっしゃいました。一方で、まったく違う病気の治療中に、予期せずがんが発覚したという方もいらっしゃいました。

 

気管支鏡検査の結果、がんと判明。患部に機械が届かなかったので、手前の組織を取って調べた(70歳代前半・女性)

 

腸閉塞と肺炎で入院した際に撮ったレントゲンで、左肺に影が見つかる(70歳代前半・男性)

 

 

気持ち

 

次に、判明時の気持ちについての語りをご紹介します。今回のインタビューでは、ショックを受けたという人がいる一方で、特に動揺することなく冷静に受け入れたという人もいました。

 

ショックを受けた人の中には、「何で自分が」「諦めきれない」という思いを強く感じたという語りがありました。また、「我が人生は終わりだ」と思ったという人もいました。

 

●覚悟を決めるまで10日ほどかかった。その間は、いろいろ考えてしまう夜が怖かった。自分ががんになると思っていなかった。生への執着を強く感じた (50歳代前半・男性)

 

 

また、「がんですよ」と医師に言われても悪性とは思わなかったという人は、判明後しばらく経ってから家族から知らされ、驚いたとおっしゃっていました。

 

判明後も以前と変わらず仕事に励んでいると、家族から「肺がんでも悪性と言われているから、無理はしないでください」と告知され、ハッとする(70歳代前半・男性)

 

 

ショックを受けなかったという人は比較的早期の発見で、「がんは切ってしまえば治る」というイメージを持っているようでした。

 

取れば治るという気持ち。他人事のようで、ショックも不安もなかった(50歳代後半・男性)

 

ここでは、がんを治療していくための具体的な方法を、インタビュー協力者がどのような状況で決断したのかについてご紹介します。

 

本来は、医師から治療法の選択肢について詳しく説明を受け、自分自身も時間をかけて治療法について調べたうえで選択をするのが望ましいかたちです。しかし、実際は十分な情報や時間が得られないままに、やむを得ず限られた状況で決断を迫られる例が多く見られます。

 

今回インタビューに協力してくださった皆さんも、決断に際してさまざまな制約があったことを話しています。

 

外科手術による摘出には、病巣を含めたより大きな部位を切除しなければならない場合が多く、厳しい決断を迫られることになります。肺は大きく上葉、中葉、下葉の3つに分かれており、がんの発生する場所によっては、次の方の場合のように一枚分の肺すべてを摘出することもあります。

 

患部が気管支に近く、手術には左肺下葉すべての摘出が必要と言われた(50歳代前半・男性)

 

 

インタビュー協力者のなかには、担当の医師を信頼しており、決断を任せた方もいれば、自分の意見を言えないまま手術を実施することになったという人もいました。

 

小さながんを取るのに大きく肺が切り取られてしまうことに疑問を持ちつつ、自分の考え方は素人意見だからと、疑問を引っ込めてしまったことを後悔していた方もいました。

 

また次の方も、治療法の選択の時間が与えられないうちに手術が決まってしまったことに不満を持っていました。

 

がんは肺の端のほうにあり、大きな部位切除の説明に疑問を持ったが、自分の意見を言えなかった(70歳代前半・女性)

 

手術を迫られ、考えがまとまらないうちに実施(60歳代前半・女性)

 

 

次の方は、担当の先生との面談の際に病気のことで動揺してしまい、治療法の判断をすべて医師任せにしてしまったことが良くなかったと話していました。

 

先生に「はい」「お任せします」ばかりで、選択肢について質問しなかった(50歳代後半・男性)

 

 

ご家族や同室の患者さんなど、周囲の方々の意見を聞いて決断をしたというお話も、今回のインタビューでは聞かれました。自分では手術を受けるつもりでいた次の方は、息子さんたちを交えて主治医と話し合った結果、合併症の危険を考え、放射線治療に変更したそうです。

 

手術を考えていたが、息子たちと話し合い、合併症の危険の少ない放射線治療を選んだ(70歳代後半・女性)

 

 

次の方の場合は、同室の人や同病者の経験や意見を聞く機会にめぐまれ、そのことが自分の治療法の決定にとても役立ったと話していました。

 

抗がん剤治療を経験した知人の話を参考にして、手術を選択(50歳代後半・男性) 

 

セカンド・オピニオンとは、病気の診断や治療法について、自分の主治医以外の医師から意見を聞いて、意志決定の参考にすることです。

 

今回の肺がんの体験を語っていただいた人のなかでは、次にご紹介する方が、セカンド・オピニオンを選択したことを話していました。

 

再発の兆候をもっと詳しく調べるために、セカンド・オピニオンを求めた(60歳代前半・女性)

 

 

セカンドオピニオンを受けなかった人は、担当の医師を信頼して、セカンドオピニオンを受けない選択をしているようでした。

 

地元の先生を信頼してやっていくため、一度もセカンド・オピニオンを受けず(60歳代後半・男性)

 

担当医師を信用して、セカンド・オピニオンを求めなかった(50歳代前半・男性)

 

 

肺がんの手術(外科療法)は、主に早期の場合に行われます。

 

手術方法には3つあり、肺の幹部を部分切除する場合や、肺葉切除する(右肺は上葉・中葉・下葉に分かれ、左肺は上葉・下葉に分かれており、そのうちの一つを切除する)場合、そして片側の肺をすべて切除する場合があります。また、リンパ節にがんがあるかどうかを確認するためにリンパ節切除を行う場合もあります。

  

ここでは、肺がんの手術がどのように行われたのか、そのときどういう気持ちだったのかなどについての語りを紹介します。

 

がんの治療方法として手術を選んだ方の中には、手術前の検査ですでに摘出箇所が分かっていた方がいらっしゃいますが、他方、手術をしてみないと、手術で完治するかどうか、またはどこを摘出したらよいのかどうかわからないと医師から告げられ、手術にのぞんだ方々もいらっしゃいます。

 

胸を開いてみて、がんの部位が判明。左の上葉だけの摘出(50歳代前半・男性)

 

胸を開いて、リンパ節に転移していることが判明(60歳代前半・女性)

 

 

手術の方法

 

手術の方法は、がんの場所や大きさによって違いがあるようです。

 

例えば、内視鏡と切除のための小さなメスが通るほどの穴を胸にあけて行う 内視鏡(胸腔鏡)手術を行った方もいらっしゃいます。しかし、肺葉ごと摘出する場合や、手術によってがんの部位を確認する目的での手術の場合、胸や背中を大きく開いて手術を行うようでした。

 

胸腔鏡手術①(60歳代後半・男性)

 

胸腔鏡手術②(70歳代前半・男性)

 

背中側を開いた手術(70歳代前半・女性)

 

 

手術の目的

 

手術は主に、がんになってしまった部位を摘出することを目的としています。そのほかでは、リンパ節への転移を検査するために、開胸してリンパ節を切除することもあります。

 

リンパ節への転移がないかどうかを、リンパ節を切除して検査(50歳代後半・男性)

 

声帯に近い部分のリンパ節を切除(50歳代前半・男性)

 

 

手術前の気持ち

 

手術前の気持ちでは、手術に際して摘出部位がわかっていて、早期発見であったという方と、開いてみなければわからない、もしくはステージが進んでいるという方と、気持ちで大きく差がありました。

 

がんの発見が早かったり、手術個所が特定されていたりした場合は、次の方のように、全然不安を感じなかったことが多いようでした。

 

自分でも不思議なくらい、不安などは全然感じなかった(50歳代後半・男性)   

 

 

他方、手術前に辛い気持を抱えていたという声も聞かれました。

 

次の方は、入院してから手術するまで待たされている期間がとても辛かったと話されていました。

 

待たされている期間が苦痛だった(50歳代前半・男性) 

 

 

手術前の準備

 

肺がんの部位を手術で摘出する前に、準備として肺の訓練をされたという方もいらっしゃいました。

 

肺活量の検査をしたり、肺呼吸で肺を鍛える器具を用いて、手術に備えていた(70歳代前半・女性) 

 

ここでは、放射線によるがんの治療法について紹介します。

 

放射線療法とは、X線などの放射線を照射して、がん細胞を殺してしまおうというものです。

 

肺がんの場合、放射線治療の対象となるのは、腺がんや扁平上皮がんなどの非小細胞がんでは第Ⅰ期から第Ⅲ期で、小細胞がんの場合は他の部分に転移が見られない場合が一般的です。

 

また、心臓や肺などに機能障害があり外科手術ができない場合にも、放射線療法が選択されます。

 

一般に、身体の外側から肺の患部やリンパ節に放射線を当て、これを1日1回週5日行い、3週間から6週間継続することが必要です。

 

今回のインタビューで放射線療法についてお話ししてくださった方は、扁平上皮がんの外科手術の後、他の部分にがんが進行している可能性を考えて、放射線を選択したようでした。

 

扁平上皮がんの手術後、気管支へのがんの進行を考え、放射線療法を実施

 

 

この方の場合、手術後に抗がん剤治療を実施する組み合わせ型の治療法でしたが、念には念を入れてということで、二つの治療のあいだに放射線治療を行ったそうです。

 

このように、ほかの治療法と組み合わせて実施する形でも、放射線療法は適用される場合があります。 

 

抗がん剤治療は、手術や放射線治療と並んで、がんの三大治療法の1つとなっています。

 

抗がん剤は、投与後血液中に入り、全身をめぐって体内のがん細胞を攻撃し、破壊します。どこにがん細胞があってもそれを壊滅させる力を持っているので、全身的な効果があると言われています。

 

ここでご紹介する語りはすべて、外科手術の後に抗がん剤治療を受けた方々のものです。抗がん剤は治療の一環に含まれていたという方がいらっしゃる一方で、念のため受けたという方もいらっしゃいました。

 

治療効果に関しては、副作用が強くて途中で一時中断したという方や、逆に、治療効果が高く途中で切り上げることができたという方がおられました。抗がん剤の種類によって、治療効果が違ったという声も聞かれました。

 

また、抗がん剤の投与は一定の周期で行われるため、抗がん剤治療中に職場復帰をされた方もおられました。

 

抗がん剤治療で間違いなく髪の毛が抜けると言われたが、髪の毛は生きていくために必要ではないと思い、手術後は念のため、治療を受けた(50歳代前半・男性)

 

手術後、半月に一度抗がん剤を打った。予定より短い回数で切り上げることができた。車で片道約一時間の道のりを、自分で運転して通院していた(70歳代前半・男性)

 

 

抗がん剤治療は、薬の種類によって効果や副作用に個人差があるため、薬を使用するときに葛藤が生まれることがあります。

 

次にご紹介する方は、複数の抗がん剤を試した後、特定の抗がん剤が効く体質であることが分かったそうです。しかし、実際にその抗がん剤を使うことを決断されるまでには時間がかかったとおっしゃっていました。

 

医師にイレッサを勧められるも、身内に服用後2週間目に亡くなったひとがあり、2年ほど怖くてやらなかった。しかし服用後、効果があらわれた(60歳代後半・男性) 

 

大きな病院などで現代医療が提供する外科療法や放射線治療、化学療法といった治療法のほかに、アガリクスなどを服用する免疫療法を試す、漢方を服用するといった代替療法(補完代替療法)を試みている患者の方もいらっしゃいます。

 

しかし、多くの代替療法は科学的に効果が実証されているわけではなく、病院の医師もあまり積極的には勧めていないようです。

 

今回インタビューに参加してくださった方々のうち二人の方が、免疫療法や漢方などを、病院での治療と並行して行っていました。

 

インターネットで情報を集めた結果、アガリクスを知って買い求めた次の方は、手術の前までは定期的に飲み続けていましたが、その効果についてはあまり芳しいものとは感じられなかったようでした。

 

免疫療法について情報を集め、手術直前まではアガリクスを飲んでいた(50歳代前半・男性)

 

 

ご自身は気乗りがしなかったものの、少しの可能性にでも賭けたい、ある方法をやり残して終わるのは辛いというご家族の意志から、免疫療法を決意したという方もいらっしゃいました。

 

次の方は、娘さんの勧めを受けて、病院には内緒で免疫力を高めるワクチンを投与する治療を、病院への通院と並行して受けていました。

 

●病院には内緒で、セカンドオピニオンというかたちで東京の病院で免疫療法を受けた(60歳代前半・女性) 

 

ここでは、肺がんの放射線治療による副作用に関する語りをご紹介します。

 

一般的に、疲れる・食欲がなくなるといった全身の症状に関しては、個人差がかなりあり、全く感じない方もいれば非常に苦しまれる方もいらっしゃいます。

 

放射線治療の主な副作用は、治療される部位(ここでご紹介する語りの中では、頭部や頸部が該当します。)に起こります。

 

インタビューを受けてくださった方の中には、食欲不振のような全身症状を主に感じたという方がいらっしゃいました。

 

その一方で、全身症状と共に声枯れや下痢・便秘を経験された方もいらっしゃいました。また、直接放射線の照射を受けた部位に炎症がおきたため、日常生活で不便を感じたという声もありました。

 

食欲不振と倦怠感。無理して食べる(70歳代後半・女性)

 

体に力が入らない、声枯れ、下痢、便秘、食欲不振、立ちくらみ(ひどいときには数秒)失神(60歳代後半・男性)

 

痰を出すと血が出るので、転移したのかと思った。放射線照射を受ける食道や胃が炎症をおこし、溜飲に違和感を覚えたり、もたれたりする(50歳代前半・男性) 

 

 

他には、「甘いものが苦手になった」というように、味覚の変化を感じた方もいらっしゃいました。 

 

ここでは、肺がんの抗がん剤治療による副作用に関する語りをご紹介します。

 

抗がん剤による副作用がどのくらい頻繁にどの程度出るのかは、抗がん剤の種類によって違うだけでなく、個人差もあります。

 

副作用は自分でわかる自覚的なものと、検査などによってわかる他覚的なものに大きく分けられます。

 

自覚的な副作用には、吐き気・嘔吐、食欲不振、口内炎、下痢、便秘、全身倦怠感、末梢神経障害(手足のしびれ)、脱毛などがあります。

 

他覚的な副作用には、白血球減少、貧血、血小板減少、肝機能障害、腎機能障害、心機能障害、肺障害などがあります。

 

その他、予期しない重い副作用があらわれ、まれに命にかかわることもあります。

 

 

自覚的な副作用

 

今回のインタビューでは、脱毛や吹き出物など外見上の変化を経験された方がいらっしゃる一方で、激しい疲れや集中力の低下、かゆみに悩まされたという方もいらっしゃいました。

 

抗がん剤治療後しばらく経ってから髪が抜けた。吹き出物が出て、治ると跡が黒く残った(50歳代前半・男性)

 

痰に血が混ざることがあった。そのことを医師に話すと、すぐ「薬をやめますか」と言われた(60歳代前半・男性)

 

始めてから3ヶ月ほど、疲れが激しく力仕事ができない。一旦やめるとメキメキ体がよくなった(70歳代前半・男性)

 

周囲から見て言動がおかしくなる。集中力が低下して、文章を読んでも頭に入ってこない時期があった(50歳代前半・男性)

 

 

自覚のない副作用(合併症)

 

インタビューを受けてくださった方の中には、白血球の減少といった自覚できない副作用の結果、合併症の危機にさらされた方や、実際に併発されたという方がいらっしゃいました。

 

細胞の基準値が下がり過ぎ、合併症の危険があると言われた。そのために職場復帰も諦めざるを得なかった(60歳代前半・女性)

 

イレッサ服用後、無気力に。間質性肺炎を併発していたことが判明したので中止。今はステロイド療法を経て、量を減らしてイレッサを再開している(60歳代後半・男性)

 

 

 ここでは、がんを体験された方々が、がん判明から治療をしていく過程をふりかえって、そこから学んだり、したほうがよかった(しなければよかった)と後悔された内容を紹介します。

 

 

早期発見・定期健康診断について

 

 早期発見について、語ってくださった方は多くいました。早期発見のためには、定期的な健康診断の受診が大切だと言われています。

 

 肺がんの早期発見のきっかけとしては、頻繁な定期健診によるもののほかに、たまたま撮ったCT写真やレントゲン写真によるものが挙げられています。

 

・半年ごとの定期健診のおかげで早期発見につながった。(60歳代後半・男性)

 

・好奇心で受けたCT車での検査で早期発見し、助かった。(70歳代前半・女性)

 

・たまたま医師に勧められた胸のレントゲン撮影で早期発見につながったので、よかったと思っている。(70歳代後半・女性)

 

 しかし一方で、定期健診ががんの発見に至らず、別の検査が役立った経験をお持ちの次の方は、定期健診や早期発見に対して、それほど肯定的ではありませんでした。

 

・定期健診では肺がんが見つからず、別の検査で見つかった。定期健診が早期発見に役立つのか疑問。(50歳代後半・男性)

 

 

 

医療者とのやりとりに関して

 

 医師や看護師などの医療者とのやり取りをふりかえって、少し悔やまれている声も聞かれました。(カテゴリー「関係」のなかの「医療者」の項目を参照。)

 

 後悔している声のひとつには、治療方法について思ったことが言えなかったことや、質問が自分のペースでできなかったことを悔やむものがありました。

 

・手術個所の大きさについて疑問を抱いたけれども質問できず。今となれば尋ねればよかったと思う。(70歳代前半・女性)

 

・体操などの手術準備に身を入れるためにも、手術個所を聞いておくべきだった。(50歳代後半・男性)

 

 

 

医療機関への提言 

 

 また、医療機関や行政への要望を語ってくださった方もいらっしゃいました。次の方はご自身の体験から、地方と都市部との治療体制の格差を話してくださいました。

 

・医療体制がもっと充実していればいいのにと思う。(60歳代前半・女性)

 

・定期健診よりも、高くても詳しい検査ができるシステム作りを。(50歳代後半・男性)

 

・これまでのがん検診を広げた検査を、行政がもっと受けやすくするシステムを。(50歳代後半・男性)

 

 

 

記録の重要性

 

 がんが判明し、治療法や医師の指示などの記録を取り続けることが助けになることもあります。

 

 次の方は、ご自身でも、手術や入院のときなどご自身が無理な時はパートナーの方でも、記録をとり続け、薄れる記憶を補ったとおっしゃっています。

 

・手術・入院・抗がん剤治療などの記録をとっていてよかった。(60歳代後半・男性)

 

 

 

がん保険の重要性

 

 がんになった際に、経済的な支えになるものとして、がん保険が挙げられます(※「お金の問題」の項目を参照)。今回の語りのなかにも、ご自身はがん保険に入っていなかったため、入っていた方がよかったという思いを抱かれているものが見られました。

 

・がん保険は重要。(50歳代前半・男性)

 

 

 

 

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