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- がんを予防する、早期発見する
- がんを治療する
- がんのことが気になったら
- がんを学ぶ(医師へのインタビュー集)
- がん患者の体験(がん体験者へのインタビュー集)
- 乳がん
- 発見
- 異常の発見
- 娘が1歳くらいのときに母乳ではない出血があっておかしいと思った
- 病院では乳腺の腫れと言われ、その後痛みはとれた。しかし3ヶ月後にしこりができ、放っておけばがんになると言われた
- ちょっと胸を触るとコリコリしていた。それを知人にも触ってもらったところ病院にいったほうがいいと勧められた
- 胸がズキンズキンと痛くなったが、乳がんは痛くならないものだと思っていた
- 昼寝のとき胸が引っ張られる感じがして、がんだと思った。次の日病院に行ったら乳腺の腫れと言われた。
- 乳がんによるしこりだとは思わず、ゴツゴツした豆腐カスみたいなものだと思っていた
- バイクに乗っている時に腕が重い感じがした。母親ががんだったため気になって、何気なく胸を触ったらしこりのようなものを感じてまさかと思った
- しこりができて病院にいったら乳腺といわれたが、微熱がある感じや体調への違和感があった
- 疲れやすかったりだるかったりしていたが、それは夫が亡くなった後の心労がたたったと思っていた。そのため、しこりを見つけてもすぐに乳がんだとは思わなかった
- 乳がん検診
- 診断のための検査
- 診断されたときの気持ち
- 病院・医師の選択
- 治療法の選択・意志決定
- 自分はがんだという気持ちが強かった
- 今こそそういう話ができるようになったが、当時はセカンドオピニオンというものはなかった
- 他の治療よりも今後長く生きられるという言葉をきいて、医師も勧めてきたこともあり全摘にした
- 途中で治療をやめたいと思ったが、娘や医師に言われて続けたからこそ今がある
- 医師からは温存術の話もあったが、再発の恐れもあるので私から全摘をお願いした
- 全部取ったほうが一番さっぱりするのかなという感じ
- ずっと診てくださった先生だから頼っていたし、よそへ行こうとは思わなかった
- 1回目のときはセカンドオピニオンの情報もなかったが、2回目では安心して医師の話をきけていたのでセカンドオピニオンについては考えなかった
- 異常の発見
- 治療
- 手術療法
- 乳房再建術
- 術後後遺症とリハビリテーション
- 同室者と一緒に毎朝ラジオ体操をした。
- お風呂にはいって、腕を回す訓練を一人で続けた。
- 普段の生活の中で、つい忘れて手を伸ばしていたことが効果になった。
- 肩の痛みに対して、冷えないように掛け物や衣類で気をつけている。
- 痛みで休んでばかりいたが、こうしちゃいられないという気持ちになって店を再開した。
- 退院後、母の介護と家事を続け精神的に追い込まれていった。
- 背中が痛かった。私はきっと背中も悪かったんだと思った。
- 痛みの中で手抜きの家事をした。主人も大目に見てくれた。
- しびれが辛くて、身体が洗えない。
- ザラザラって痛くて、右手でご飯をご飯をよそうへらを持つのも大変だった。
- 退院したときはなかったけど、去年から痛くなった。
- 5年間、傷の引きつり感が続いた。
- リンパ浮腫
- 薬による治療
- 放射線療法
- 脱毛の影響
- 補完代替療法
- 入院生活
- 医療者との関係
- 情報収集
- 再発・転移
- 生活
- 再発予防と体調管理
- 再発の不安
- 経過観察の検査
- 自分が思うがんの原因
- 夜遅くまで起きているのが原因ではないかと思うが,それだけではないと思うのでよく分からない。
- 父が早くに亡くなっていることもあり、がん家系なんだと思っていた。そのため、しょっちゅう胸を触ったりして注意はしていた。
- 健康だけが取り柄だったからがんになったのは不思議.がん巻き(がんの家系)が原因かと思う。
- 生活指導員の仕事ではプライベートでも仕事のことをずっと考えていた。そういうストレスが溜まって病気になったのかもしれない。
- 仕事も忙しい上に、家では義理の両親2人を抱えていた。土日も休みなしで仕事をしていたこともありストレスで病気になったと思う。
- 家庭内でのストレスが原因ではないかと思っている。
- 大家族に嫁にはいって,からだを粗末にしすぎたから,がんにつながっていったかもしれない。
- 病気と仕事の関わり
- 経済的負担
- 周囲の人との関係
- 患者会に入ったことで病気のことを内に秘めるのではなく言えるという環境に救われた。逆に会社では噂をされるのが嫌で話したくなかった。
- 体調が落ち着くまでは、見舞いは遠慮してほしいが「来るな」とも言えない。
- 病気のことは職場の人や隣近所の人に話す必要はないと思ったし,話さないで済むのであえて話さなかった。
- 娘の姑が、本屋で食事療法の本を見つけたといって送ってくれた。
- 昔はがんという病気が恥ずかしい病気というイメージがあった。自分の体ことより家の人に申し訳ないなという気持ちだった。
- 周りの人からがんになった原因について、容易に言われることが嫌だった。
- 家に閉じこもらないように、妹が大正琴や絵手紙の先生を紹介してくれてありがたかった。
- 家事は夫にまかせられず、退院を早めて帰ってきた。
- 家事を何もやらなかった夫が、いざとなればご飯や洗濯をやってくれるようになった。
- 周りの人に言いたくないという想いがあり,盲腸手術をしたと嘘をついたこともあった。恥ずかしくて,人に言いたくなくて辛かった。
- 最初の頃は恥ずかしくて周りの人には話せなかった。だんだんと時間が経って自信がついてきたのか周りの人にも普通に話すようになった。
- 病気になってからうつ病のようになっていたが,仕事を短時間からするようになった。仕事で人と話したりする時間ができたことで救われたと思う。
- 職場の人とは普段と変わらない振りをしていた。陰口を言われたこともあり、傷ついたこともあるが、上司の「必ず戻ってこいよ」という言葉に救われた。
- 親戚には病気のことを話していたが,会社の人には本当に親しい人にしか話していない。
- お店のお客さんやその知人などに対してもオープンに病気のことを話している。元気な姿を見せて,安心してもらいたいという気持ちもある。
- 家族の思い・家族への思い
- 乳がんになったことは全て隠さず話したところ,子どもは動揺していた。
- 入院中に母親が隣のベッドに入院している人の手伝いも一緒にやってくれた。親不幸だなとも思ったが親っていいな、とも感じた
- 同じ乳がんで亡くなった双子の妹から患者会を紹介してもらった。
- 切除した乳房を見たときの娘や孫の反応は素直だったので、冗談を言って笑いあっていられる。
- 病気をしたことをきっかけに、同居していた姑と別に暮らすようになった。
- 最期は家で死にたいと考えている。みんなにありがとうを言って死にたいと考えている。
- 次女は母親をみていて検診を受けているが、長女は度胸がないのか検診を全然やらない。
- まずは身内から、身近なものからと想い、娘には検診を必ずすように話している。
- 父、姉、兄、妹ががんである「がん家系」であった。だからこそ、自分の子供たちには遺伝して欲しくない。
- 夫はトイレに行くのもやっとの状態で、病院に行くのもすべて付き添っていた。夫が亡くなってからがんが見つかったから、手術も入院もできたと思っている。
- 夫は自分が弱みを見せたら私がもっと弱くなると思ってか、気丈にふるまってくた
- 病気をしてから夫が何かと手伝ってくれるようになった.病気をすると,人のありがたみが良くわかる。
- 夫は心配してくれているため何も言わないが、「元気でいてくれ」「長生きしてくれ」と言われたときはつらかった。
- 家族のがん体験
- 夫は肺がんが見つかったときには余命3ヵ月を宣告された。
- 4年前に妹が乳がんで亡くなった。その夫も胃がんで今年亡くなっていて、夫婦ふたりとも自営の仕事でとても忙しくしていた。
- 姉は大腸がん、息子は肺がんだったが2人とも見つかったときには手遅れだった。
- 母親は地域で検診を勧める役目であったにもかかわらず、卵巣がんが見つかったときには進行していた。
- 亡くなった弟は入院するのが嫌で、自分の希望により家で最期を迎えた。
- 夫は肺がん、兄は前立腺がん、姉は大腸がんであった。兄、姉は早期発見だったのでいまは元気にしている。
- 父が胃がんでなくなっている。当時はがんと言われれば手遅れの時代だった。
- 自分が2回目の手術をしているとき、娘が同じ病院で乳がんの手術をした。お互いで病人が病人を立ち会いする状況だった。
- からだ・心・パートナーとの関係
- 温泉の家族風呂で背中を流してもらうときにこういう体なんだとさりげなく見せた。
- 自分としては乳房切除したことを割り切ることが出来たが、温泉などでは人の目が気になるし、相手に不快感を与えるかと思ってしまう。
- 女性としては人に見せたくないし恥ずかしい。首があまりあいた服は着ないようにしている。
- 夫へからだを見せることに抵抗感をどうしても感じてしまったことを夫は理解して待ってくれた。病気をしてから夫婦のきずなを感じている。
- ブラジャーは病院でも売っているため病院で買っている。
- 温泉に行ってもみんなに見せるのがイヤ。患者会でのバス旅行の時にはみんなで見せ合ったりもした。
- 周りの人に知られたくないという想いがあるため、パットのズレを気にすることがある。
- 3年くらいは見ることもできず、温泉も行かなかった。3年過ぎたら心にゆとりが出来てタオルをかければ温泉に入れるようになった。
- 銭湯とか温泉では人さまの前なのでダメだけど、家族には見せている。
- 病気になる前は旅行に行くことも多かったが、泊りがけで温泉に行くことはなくなった。
- 初めは傷を見られなかった。いまはたまに鏡で見ると傷が薄れてきたように感じる。
- 迷わず手術をきめたが、はじめて見たときはショックだった。病院でもお風呂のときにチラチラ見られているような気がして気になった。
- 全部取った衝撃からずっと尾を引きずってしまい、親にも言えなかった。
- 年齢が若くなかったから良かったなと思っている。しかし、孫には裸を見せられなかったり、洋服を気にしてしまったり、本当には受け止められていない自分がいる。
- 再建術も考えたが、青森近隣では出来ないと思った。患者会に参加することで落ち着いた面もあったが、がん腫によって自分と比べてしまって劣等感を感じてしまうことも…。
- 乳房を取ったということは大きなショックだった。若い女性だったからこそ、嫌な病気だと思う。
- 手術の後にお風呂に入る時も自分の体を見ることが出来なかった。女性であるということの悲しさはすごかった。
- がんと生きる
- 生きた分が自分の命なんだ、もうかった命なんだと思えば、すごく気が楽になった。
- うつ病のようになってしまったとき、仕事と家のことをやることで救われたと思う。
- 自分は3回がんをしてもこれだけ元気。自分が元気な姿を見せて、落ち込んでいる人が少しでも元気になれたらと思う。
- 病気になって周りの人に対する思いやりができた。本当にみんなに感謝している。
- 1回目のがんから15年たち、3回のがん経験を経ても生きたという自分の証があるからこそ、すごく楽な気持ちで受け入れられる。
- 病気をしても自分の好きなことをすることが最高。旅はすべてを忘れさせてくれて「病気に勝たなくては」という気持ちにしてくれる
- 長い年月がかかったが、がんに感謝して楽しく生きることが出来ていると言える。
- 病気とともに生きていくという気持ちが大事だと思う。
- 今は自分を一番大切にしようと思っている。
- 病気になってますます強くなった。自分のことは自分でやるということが何でも大事じゃないかと思う。
- 病気をしなかったら自分を粗末にしていると思うのでこの病気に感謝している。
- いろいろな経験も授業料だと感じている。
- 心配がないと言えばうそだけど、なるべく後ろを向かずに前向きに、趣味を持つことを始めた。
- 支えとなるもの
- 入院中同室だった患者との付き合いがいまでも続いている。同じ病気を持った仲間と出会えたことは貴重なことだった。
- がんへの向き合い方がわからない状況のとき、患者会の記事をみて仲間に入れてもらうことになった。患者会はなくてはらなない存在になった。
- 自分の我が強いのもあり、家族に助けてもらおうとは一切しなかった。心細い面については、患者会でカバーしてもらった。
- 会長のAさんとそのサポートをされているBさんがいなければ違う意味での病人になっていたと思う。
- 自分の精神的な部分が回復できたのは、患者会で行われれる年1回の総会で全国大会に出かけられたこととその喜びだと思う。患者会のみなさんに会えることを力にして生きている。
- 最初の入院のときに同室だった同年代の乳がんの患者に励まされ、勇気付けられた。
- 入院中は母親が毎日朝から晩まで一緒にいてくれた。
- 入院している間は大部屋に入って同室の人とお友達になったり、話をすることが良かった。また、抗がん剤のときには、家族の人の助けがなければとてもやっていけなかったと思う。
- 患者会
- 先に乳がんになった同じ職場の人からの紹介で会に入会した。
- 会の雑談の中でいろいろな情報は入ってくるが、がん腫もばらばらなのですべてが自分のためになるものばかりではない。
- がんの仲間がそばにいることが大事なこと。もう一つ患者会に入っていたが、運営面での意見が食い違って退会した。
- 集まった人たちからいろいろな情報をもらうことが出来て助かっている。
- 乳がんの人たちだけの集まりが青森地域にもあればいいのにと思う。
- 会に来ると同じ病気の人の話を聞いたり、いろいろなことが出来るから安らぐ。
- 患者会から得ることができた情報があった分、2回目、3回目のがん治療のときは気持ちが楽だった。
- もし、がんで悩んでいる人がいたら、患者会のことを知ってほしい。この会があるから深刻にならずにいられている。
- 10人いると10人の考え方が違う。それをよく聞いて、自分の生活に当てはめて考えてみる。
- 患者会の食事会に参加したいために退院を1日早めた。このグループの存在がほかのお薬よりも一番効く薬だと思っている。
- この場所では皆さんの気持ちが通じ合っているので、いろいろなこと話しても割といいかなと思っている。
- 同じ病気の人だと何を言ってもいろいろと参考になるので入って良かったと思う。
- 健常者ではわからない心の痛みが分かり合える。話を聞けば元気でよかった、と励みになる。
- 活動も低下しているかもしれないが、みんなの顔を見て励まされるということで十分会の目的を果たしていると思う。
- 会が出来たとき、一番初めに入会した。同じ病気の人と話をする場がそれまでなかったが必要だと思った。
- 自分のようなものを一人でも救いたいという気持ちで発起人として会運営をしてきた。
- 事務局の経験ではいろいろとあったが、事務局をやることでみんなの気持ちもわかるので満足している。
- 外来の待合室で知り合った人と一緒に患者会を作ることにした。患者会の育成と同時に、自分のがんに対する気持ちがだんだん高まってきた。
- 会の運営やがんフォーラムでのイベント運営について(説明)
- A患者会の運営内容について(説明)
- 他の人へのメッセージ
- 早期発見しなさいよということを他の人にも教えてあげる意味で、堂々と隠さないで浴場に入るようになった。
- 早期発見すれば誰でも大丈夫だと思う。だから,検査はしておかないと駄目だと思うので娘にも言っている。
- 早期発見のための健診が一番大切。また、気持ちを強く持たないとだめかなと思う。
- 痛い、怖いじゃなくて、自分のため、家族のために検診はするべき。触診だけでなくマンモグラフィーをやるべきだと思う。
- がんは老人の病気だって言われるけど、若い人でも安心せずに検診をしてほしい。
- 仕事を辞めてからも自分で趣味をもてるように、準備をしておいた方がストレスも少なくなるのではないか。
- コロコロ(胸のしこり)がなくても乳がんと診断された。コロコロが一番の印だと言うけど、それがなくても調べてもらった方がいい。
- 発見
- 胃がん
- 発見
- 治療
- 治療方法の選び方決め方
- 胃を全部摘出するか、部分摘出になるかの詳しい話は後でするとして、検査の5日後には入院をして手術ということになったんです。
- 結局、あれよ、あれよといううちにがんで手術することになっちゃったんです。
- 手術までは、大体2ヵ月も待ったらと先生が言ってあったの。そしたら、キャンセルがあったから手術できるってあれよといううちにがんで手術することになっちゃったんです。
- 合併症は、出血とか、肺とか肛門付随とかって、もう頭の中がパニックで。先生になして取らねばまいねんだ(何で取らないといけないのか)と聞く時間も何もなかった。
- 私がその病院に行ったから、その先生にもう自分でお任せしましたので、その先生がこういうふうにするというのであれば、お任せということですね。
- D病院に来たらだんだん話が変わってきた。切らねばまねぐなったわけ(切らないといけなくなったわけ)。
- いい先生で説明もきちんとしてくれました。
- 消化器内科のほうでもいろいろと検査をして、手術する1日か2日前に外科のほうに移りました。
- 手術後の痛みと退院するまでの経過
- 4~5日で口から食べられるようになって、1週間くらいかかけて、普通のご飯になった。入院は24~25日くらい。ひとつずつ普通の生活に戻ってきました。
- 1日に入院して6日に手術。21日に退院。多少調子が悪かったけど病院の匂いが好きじゃなくて、標準型のベースで退院したということです。
- 退院予定日の2日前に熱が出て、大体45日くらい入院しました。
- 神経を切られているから、神経の痛みのような違和感がありました。
- 入院中、一番きつかったのは点滴です。
- 痛み止めを使いながらで、そんなに痛い手術だったなという記憶はあまりないですね。
- 手術は全身麻酔で、翌日に集中治療室みたいなところで目が覚めた。手術のあとは、結構痛かったけど注射して、起きて歩いたっきゃ(歩いたら)だんだんに良くなってきた。
- 意識が戻ってから、寒くて布団をかぶせてもらった記憶があります。手術後は、いろいろな管が入っていました。食事は重湯から少しずつ固形になっていきました。
- 手術の結果を聞いた時
- 手術後の食生活
- 食事のメモする用紙が来るんですよ。あれが最高につらかったです。食べられないのを正直にそう言えばいいのに、悪いような気がして正直にいえなくて。
- 担当の先生が、ご飯の残った量を見まして、「これぐらい食べれると、まずまずいいほうかな」っておっしゃってくれました。
- 食べられないことは残酷なことだと思いました。退院するときのアンケートに、病院で食欲のない方に対する食事を、ぜひ検討してくださいとかいてきました。
- 自分では食べられなかったと思うけれど、他の患者さんたちから見れば、結構順調に回復してるかなという感じがしました。
- 同じころに手術をした人が食事を全部食べたと聞いて、私もどのくらい食べられるかと思って、無理やり食べたことあるんですけれども、やっぱり出てしまってね。
- 食べれない日が続いたし、こんなに胃がんの手術が大変だとは考えもしなかったんですよ。
- とにかくお腹がすかないんですよね。自分で食べられないという意識がある中で、ご飯が常に3度来るのですごく嫌だったんですね。
- まずくてかいね(おいしくなくて食べられない)。はいっていがねんだね(入っていかないんです)。家さ行って、めぇもの食ったらいいんでねがな(おいしいもの食べたらいいんじゃないか)と思って退院しちゃったのさ。
- 抗がん剤治療と副作用
- 手術までちょっと時間があるので、抗がん剤を投与してみましょうかということで服用しました。
- 副作用はそんなに気になるほどではなかったです。抗がん剤をやっても休むと平常に動くことができましたから。抗がん剤治療が休みの間に旅行に行きました。
- 抗がん剤が効いたから、これくらいで済んだのかもわからないな。
- 入院している間に抗がん剤の点滴を2回やって、退院してからも通院で抗がん剤の点滴をやるという説明でした。
- 抗がん剤の点滴を始める時、先生の顔が悪魔的に見えた。自分の細胞はそうなるのだろうかと、すごく恐怖を感じながら恐る恐る受けたのを覚えています。
- すごかったんですよ。とくかく体がだるくて吐いて。
- 洗面台の排水溝が髪の毛で詰まったのを見たとき、心臓がドキドキとなって「はあぁ」という恐ろしさがありました。
- 「口から食べなさい、口から食べなさい」と言われて、食べれなかったです。
- 怖いものですよ、下痢って。水道の蛇口をひねったみたいに肛門から出るんですよ。
- 退院後の腹痛で、救急での受診を繰り返し、再入院しました
- ホッカイロは両肩、両腰、おなかと毎日5個使いました。それでも寒いんです。家にいても手袋をしていました。
- すごくショックな言葉だと思いました。患者にすればすべてが初体験じゃないですか。
- 私も頑張らなきゃと、周囲の人たちを見て元気をもらったりしてました。
- 少し軟便みたいになってきたときは、私は本当に泣いて喜びました。これでもう治っていけると思って、トイレで本当にボロボロと泣きました。
- 抗がん剤を終えたその日から、下痢が止まりました。食事がおいしくて、体重が増えていくのが、うれしかったです。
- 抗がん剤を飲むときは、生活が規則的になります。
- 抗がん剤治療をしていた時は、何回も昼寝をするから夜に眠れなくて、眠りのサイクルが狂うと思って眠り薬を飲んでいました。
- 入院中の医療者との関係
- 担当の先生が、ご飯の残った量を見まして、「これぐらい食べれると、まずまずいいほうかな」っておっしゃってくれました。
- 他の病院の診察をうけたことを担当医師に話すと、Aさんの体なんだからそれは当然でしょう。と言われてホッとしました。
- お医者さんももちろん、看護師の声かけも患者の気持ちに影響します。
- すごくショックな言葉だと思いました。患者にすればすべてが初体験じゃないですか。
- 何でA市まで行って調べてもらわなければまいねんだ(だめなのか)と、近くの病院の診察で待っていられないのかと、そういうふうなお叱りを受けました。
- いい先生で説明もきちんとしてくれました。
- 手術の説明の際に、もっと詳しい説明をしてほしかったです。
- 東京の病院に行くと話したら、先生から怒られました。病院は自分で選んで行くんですよ。
- 家族との関係
- 他の入院患者との関係
- 治療にかかった費用
- 治療方法の選び方決め方
- 生活
- 退院後の食生活の変化
- 抗がん剤をやめてビールはオーケーになりました。食事がおいしいと思えるから幸せです。
- ご飯を食べたときは、30分くらい横にならないと気分が悪いんです。どうすれば楽になれるかと同じ胃がん経験者の話を聞きましたが、みなさん同じではないですものね。
- 習慣になっているから、朝食べたら横になり、昼食べたら横になる。外食するとできないから眠くてしようがないけど、しょうがないやな
- 外出するときは、おむすびなど持ち歩いて、その日の体調にあわせて1日6、7食とっていました。
- 油ものをとるとすぐ下痢をしてしまう。一番困るのは、団体旅行に行けないこと
- 旅館でもホテルでも、よその人みたいに食べれない
- 手術してから2年経ちますが、生野菜や果物は体が冷えるからだめで、煮物に脂分をとるために揚げ物を一緒にしたり、食べる物を選んでいました。
- ご飯は一気に食べられないね。ある程度いっぱいになると、くしゃみや鼻水など変な症状が起きてくる。本当にお腹いっぱいになってしまうと、切ないのさ、本当に、苦しくて。
- 食べ物が入らなくて、少しでも食べると嫌な気分になって、せっかく食べたものが出てきそうな恐怖が、手術をして3年たった今でもあるんです。
- 退院して2週間くらいは、飯、食べれなくてちょっとへずねかった(苦しかった)
- 退院後の体調
- 体調の管理
- 仕事への影響
- がんのイメージ
- 父も胃がんでしたから、やっぱりがんになりやすい体質や遺伝子はあると思っています。
- 神経質な方とか几帳面な方がなるものだと思っていたから、私が胃がんというのは意外でした。
- 食欲が落ちて、体力が落ちているところへ、事故とかくも膜下とかいろいろなのが重なったストレスがあったからかな。
- 再就職するかどうか思い悩んだストレスと寝不足が続いたこと、辛いものを食べ続けていたことが原因でしょうか。
- 胃が痛くて、薬を飲むと普通にまたやっていく、これを繰り返していって、免疫力もおちてくると、がんを発症するということじゃないかと思います。
- 昔からの人は「胃は全部取っても、元に戻る」って信じてるんです。
- 家系的には胃が弱い方なんです。
- 塩分を取りすぎて、胃潰瘍がガン化したと思っています。
- がんは昨日今日になるわけではない、10年、20年前からずっと進行していて、自分の人生ががんをつくっているから、一番責任があるのは私だと思うんです。
- 胃がんは、ちょっとよそのがんの方と違って、元気になるまで時間がかかるんです。
- がんは悪い病気でないと思うんですよ。がんでパッタリ死ぬということはないのさ。
- 昔はがんといったら不治の病と思っていたけど、今は治る確率が高いですよね。胃がんは手術で悪いところを取ってしまえば、傷さえ治ればいいんだからね。
- うちは、がん巻き(がん系統)なんですね。だからがんにはなるだろうけれども、胃がんは意外でした。
- 転勤した先の職場に行くのが大儀だなぁというストレスがあって、それが原因で胃がんになったと判断しています。
- 結婚して家事を何もかもしなきゃいけなくなって、自分でも意識しない苦痛があって、少しは胃に負担がかかったのかなという気持ちもしないわけでもないんです。
- 関係
- 主人が「いろいろな苦労をかけて病気にさせたのも俺だ、だからお前を一人病院に残して帰るのがすごく辛かったんだ」と言ってくれました。やっぱり家族って、ありがたいですよね。
- がん患者であることを常に意識しなくていい患者会作りが必要だと思います。
- 患者会で顔なじみができて話も楽しくなってきました。
- 病気のことを隠す気は全然ないですし、胃がんを患って退職したという話も普通に言います。
- 患者会の集まりは有意義なものです。
- 病気は一人では治されないということ、なってみて初めてわかったんですよね。
- いつでも健康でいたいもので。病気のことは人に話さない。
- 息子が体調への気遣いの言葉をくれました。
- 入院中は夫が毎日見舞いに来てくれました。
- 主人が執刀医の先生に「何としてもうちのやつを助けてくれ」って言ったんだって後から聞かされました。
- がんという現実を受け止めるのは当人にとっても家族にとっても時間がかかることです。
- 胃がんになって今感じていること
- 退院後の食生活の変化
- 大腸がん
- 発見
- 兆候
- 何の兆候もなかったのに、職場で受けた健康診断の便潜血検査で陽性という結果が出た。
- 痛みもなかったので、湯上りにフラフラして倒れたのは、いつものことだから病気じゃないと思っていた。
- 何となく具合は悪かったが、肛門からの出血は痔のせいかなと思っていた。
- 膀胱(ぼうこう)にまで達していた腫瘍に押されることにより、睾丸(こうがん)に痛みが生じた。
- おう吐が続いていた。
- 食事の支度をするだけでも横になりたいほど、疲れを感じていた。
- 水洗トイレなので、便の異常を見逃していたのかもしれない。
- 少し食欲が落ち、下腹部の痛みが続く中、便が黒く、軟らかくなり、ひっきりなしにトイレに通っていた。
- 便が細くなり、そのうちに赤い血が混じるようになった。トイレに行く回数が増えたころには、便が赤くなっていた。
- 発見までの道のり
- あちこちの科を周ったが「検査の結果は異常なし」と言われ、それでも腫瘍マーカーの値が上がり続け、盲腸らしいと思って切ってみたら、虫垂がんだった
- 数年前から体調がすぐれず、いろいろな病院を受診したが、別の診断名がつき、なかなか大腸がんの診断までたどりつかなかった。
- おう吐が続く中、なかなか原因がわからず、いろいろな検査を受けた。紹介された大病院での検査中、モニターを見たら腸がふさがるほど大きくなっていた
- 痛みもなく、銭湯で倒れたのを、ただの貧血かなと思って、1年間ほったらかしていた。
- 血便が出て、トイレに行く回数が増え、がんかもしれないと思いながらも仕事を優先していた。
- 約半年前から異常に気づき、更に痛みが出現しても、仕事のけじめがつくまで働き続けているうちに、腹膜炎を起こす寸前までいってしまった。
- 一般の検診ではやらない小腸と大腸の間にがんが出来てしまったために、発見が遅れた。
- 数年間、定期健診で指摘されていた便潜血反応がプラスという表示は気になっていたが、大したことはないと思って、精密検査は受けていなかった。
- がんと診断されたとき
- 自分の病状が相当に重く、肝臓にも転移しており、ホスピスとまで言われて驚いたが、その病状を伝える先生もつらかったと思う。
- 家族に何て言おうか考えながら、ひたすら事故を起こさないように慎重に運転して帰った。自分が思っていた以上に、家族のショックの方が大きかった。
- 妻や子供のショックに比べたら、自分はそれほどではなかったとはいうものの、やはりショックだった。
- ポワンとなって頭が受け付けられなかったが、夜になって怖さを実感し、パニックになった。
- 「がんですよ」と言われた時は、すごくショックで、「自分も終わりかな」と思った。
- 手術の結果は、かなり進んだ虫垂がんであった。手術後に相談に行った紹介先の東京の病院では地元での緩和ケアを勧められた。
- 既に血便の症状もあり、予想していたので、びっくりもしなかったし、妻も説明をしたら納得していた。
- 覚悟をして、家族と一緒に医師からの話を淡々と聴いた。
- 医師の言葉や検査時の状況から「がんかもしれない」という予感があり、独りで結果を聞いた。その後、いきなり夫に伝えたので、かなり驚かせてしまった
- 医師から「腫瘍を取る」とだけ言われていたが、手術後に、がんであったことを伝えられた。
- 紹介先の病院で、あっさりと、がんであることを告げられた。
- 検査直後に、いきなり、がんであることとステージ(進行の程度)が伝えられた。
- 大腸は手術できるが、肝臓は転移していた腫瘍の数が多いので難しいと言われ、最終的にはホスピスへの移行もあることを告げられた。
- 人工肛門になる可能性も含めて、結腸の下にがんがあることを伝えられた。
- 進行した直腸がんであり、治療を急いだ方がよいことを伝えられた。
- 兆候
- 治療
- 病院・医師・治療法の選択
- 医師に任せるよりない。予算さえ合えば治療をしたい。
- 延命はやってみなければ分からないと言われ、抗がん剤治療に応じた。
- 進行がんは抗がん剤をやった方がいいと言われた。やったほうがいいのであればしなければならないな、死ぬよりはいいかなと思った。
- 手術中の容態悪化や転移の可能性をきいた。手術は避けられないし、やった方がいいと思った。
- はじめに受診した病院で大きい病院を紹介された。はじめの病院で検査を受け、検査結果を持たせてくれたのが、負担がなくてよかった。
- 素人の私が聞き回るよりも、医師に任せていろいろ聞いてもらったほうが効率がいいと思った。
- 新薬による治療を勧められたが、100人に1人は死ぬ可能性があるといわれ怖いのでやめた。
- セカンドオピニオンは全然考えなかった。そういう説明があったら行ったかもしれない。
- どこに行っても受けられる治療だから、結局最初の先生のところに戻る可能性が高いのでセカンドオピニオンは考えなかった。
- 播種で、手術で全部切除できなかった。紹介状を持って東京の病院に行ったが、結局、化学療法しかなかった。
- 病院に行くのが遅過ぎた。セカンドオピニオンは考えたが、もう暇がなかった。
- 医師と相談して、「どこにいっても同じですよ。」といわれたので今の病院に決めた。
- 受診した病院を全面的に信頼していた。
- 術後の定期検査
- 抗がん剤治療
- 最初の入院でポートの針の抜き方を教わった。最初は不安だったが、すんなりできて不安は消えた。
- 抗がん剤は週に1回ぐらいだった。最初は入院で、後は通院で受けた。
- 手術を待つ間に抗がん剤治療を受け、手術の後にまた抗がん剤治療を再開した。
- 医師の勧めに従うような形で、抗がん剤治療を始めた。
- 副作用で冷たいものを触れなくなったが、手袋を使うなどの工夫をして、家事をこなしている。
- 副作用のために中断したり、効果がなくなって終了したりして、4種類ほどの抗がん剤を使ってきた。
- 何かわからないものを3日間も入れる怖さや、副作用のことなど、最初は色々な不安があった。
- 抗がん剤治療の日は、9時から4時までかかるので、1日病院と仲良くするつもりで行く。
- 副作用で死の不安を感じたが、残りの回数を数えながら頑張った。抗がん剤が終わったときは嬉しかったが、再発の不安は残っている。
- 抗がん剤治療がいつまで続くのか、わからない。早く終わってほしい。
- 抗がん剤の副作用
- 薬剤師はこの薬は「髪は抜けない」といっていたが、起きるたびにベッタリ抜けた。今は自毛になった。
- 冷蔵庫に物を取るために手を入れるだけで、手がしびれてくる。
- 冷蔵庫から出した大根の冷たさが一番最初にピリッと来た。
- 抗がん剤治療の前に血液検査をして白血球が減っていたりすると延期になる。2回ほど治療を受けられないことがあった。
- はじめは副作用を感じなかったのに、3クール目から体のつらさや白血球の減少が出てきた。
- 抗がん剤の治療を続けるうちに、副作用の症状がおさまるまでの日数が長くなってきた。
- 医師が男性だったので言えなかったが、色々な副作用が出る中で、後産のような膣の痛みもあった。
- あまり一般的でない副作用があらわれたが、吐き気は一回もこなかった。
- 抗がん剤の後1週間は、味覚がだめだったり、舌がピリピリ痛かったりが続いた。
- 口内炎ができて、歯磨きが少ししかできないほど痛かった。
- 抗がん剤の種類によって、皮膚のただれの色素沈着があったり、爪が欠けやすくなったりした。皮膚科も並行して受診している。
- 吐き気とだるさがあり、抗がん剤を注入している3日間もきついが、針を抜いた後の2日間は何もできないほどきつかった。
- 外科手術
- 大腸の手術の時に、医師に頼んで胆石の治療もしてもらった。
- やぶれた腸から汚物が散らばるのを盲腸が食い止めていたことが、手術後にわかった。
- 不安はあったが、やるしかない、うまくいけばいいなと思って手術室に向かった。
- 悪いところを取れば回復するんだからという気持ちでいたので、恐くはなかった。
- 救急外来を受診した時には、腹膜炎の状態になっており、そのまま入院して手術を受けた。
- 250番目と言われて、まだまだと思っていたら、急に手術日が早まった。心の準備ができていなかったが、今思えば、早まって良かったと思う。
- 麻酔科医が不足していたため、一ヶ月間、待機していた。その間に、抗がん剤治療を受けた。
- 手術が決まるまで別の病院で1カ月待ち、手術を受ける病院で、更に約1カ月の間、検査を受けながら待っていた。
- 開腹手術の直後は、起き上がることができず、1回目の便を出す時は、精神的にも大変だった。
- 大腸がんの手術、3日後に再手術、更に合併症のための手術、そして約1年後にストーマ閉鎖と転移したがんの治療で4度目の手術を行った。
- 歩かないと治らないからといわれて、管を付けたまま、点滴を持って、手術後3~4日目から歩く練習を始め、約2週間後に退院した。
- 夜間にお腹が痛くなり、緊急受診をした。腸が詰まり気味だったが腸閉塞にはならなかった。
- がんを取ったから、もう治ったと思っていたのに、残念ながら進行がんだったといわれてショックだった。
- 手術後は貧血もなくなり、体がすごく楽になった。
- 合併症の手術の後、幻想みたいなものを感じたが、1週間ぐらいで消えた。
- 術後心筋梗塞になり、緊急手術を行なった。人工呼吸器のために話すことができなかった。回復して歩けるようになり話ができるようになった。
- 補完代替医療
- 医療者との関わり
- 抗がん剤の副作用への対処の仕方について、医師がさりげなく気をつけて見ていてくれた。
- みんな良くしてくれて家族に近いようなあんばいで、結構わがままも聞いてくれた。
- 執刀医が朝、昼、晩と私のところに来てくれたのが、励みになった。
- 同じ治療をして金額が違うようだったので質問したが、「どうなのかね」と言うだけだった。医療者が足を運んだり聞いてみてほしかった。
- 「がんを取ってどうするの?またすぐ出たらどうするの?」などと言われてムカムカときた。
- 抗がん剤の期間や副作用などについて、基礎的なことを教えてもらえた方がよかった。全部はじめての体験だった。
- 何かあったら聞いてと言われてありがたいと思った。無知なので何を聞けばいいんだか分からなかった。
- 主治医に何だかんだ言ったら自分が粗末にされるのではないかと不安で、気を遣う。
- 医師も告知をするのはつらかっただろうが、最近、がんが小さくなったことを笑顔で喜んでくれたのを見て、これで良かったと思っている。
- 声を掛けてもらうとか、やさしい人たちに接したら、治さなければだめだという気力が沸き起こってくる。
- 医師と看護さんのアドバイスが違っていて、とまどったことがあった。
- 最初はとっつき悪かったが、ジョークを言ったり、からかったりできる関係になった。
- 1年も通うと、緊張感がなくなり医師と話がしやすくなった。
- 病院・医師・治療法の選択
- 再発・転移
- 再発・転移の発見
- 大腸がんと同時に肝臓に転移が見つかり、その後子宮にも腫瘤が見つかり炎症といわれているが、がんに移行するかもしれない。
- 初めのがん治療後14年目に、CT検査で肝臓に転移していることがわかった。
- 手術後約1年経過した。今度はCT検査で肺転移の疑いがあるといわれて、今は抗がん剤を続けて様子を見ている。症状は全くない。
- PETでは、がんはないと言われたが、その2カ月後にCT検査で左と右の肺転移がわかった。
- 盲腸の手術をうけたつもりだったが、退院後に虫垂がんであったこと、既に「播種(はしゅ)転移」をおこしていることを告げられた。
- 他の病院にPET検査を受けにいき、リンパ節に影が見つかった。主治医からは転移ではなく、手術の時に取りきれなかったと説明を受けた。
- 再発・転移を告げられたときの思い
- 再発・転移の発見
- 生活
- 病気になってからの生活習慣や気晴らし
- 手術後、消化に悪いものは食べないようにし、今もなるべく食べないようにしている。妻と二人で本やインターネットで調べた。
- 手術後、食物繊維の多い食べ物はあまり食べるなと言われている。好きなきのこや天ぷらが食べられない。
- 趣味や習い事などの仲間と過ごすなど、家に閉じこもらないで過ごせたのがよかったと思う。
- 娘が送ってくれた食事療法の情報を参考に、肉や魚(小魚は除く)を減らし、野菜を多く摂るように心がけている。
- 好きな料理をこれから続けていって、お店をやれたらいいなという夢がある。
- がんには笑いが一番いいと知り、落語を聞きにいく。
- 食事療法の本を読んで、四つ足のお肉を控え、鶏肉や卵、大豆食品をとるようにしている。生ものやカビなどからの感染にも気をつけている。
- 自分の健康について気にするようになった。検査結果をはじめ、体調や行動を記録して、受診のときに医師に見せている。
- 術後、5年目の検査まではせっせか歩いたが、検査結果が大丈夫だと分かったら、だんだん病気の怖さを忘れて運動しなくなった。
- 手術後は、がんに対する意識が高まり、毎年検診に行くように心がけている。
- 再発・転移の不安
- ストーマ・排泄
- 病気や治療による外見の変化
- 抗がん剤の副作用で髪の毛が薄くなり、頭皮のただれもあった。副作用が出る前からかつらを準備していた。
- 抗がん剤の副作用で味覚が変化し、食欲がなくなった。体重がどんどん落ちて、しわだらけになった。味覚が戻ったら、体重が戻ってきた。
- 入院中は食事をしていなかったが、点滴をしている間は体重は減らなかった。退院後に自分で食べるようになってから12〜13キロ減った。
- 入院したときは69キロあった体重が43キロになり、自分でも驚いた。
- 日光に当たると爪が黒くなるので、手袋をして外出している。皮膚に日光が当たらないように、長袖を着たり、日焼け止めを塗ったりしている。
- 自分に合ったかつらがいいと思って高額だったが型をとって作った。結局1回しかかぶらず、自分にとっては必要なかった。
- 温泉や銭湯が好きで、大きな傷跡も気にせずに通った。周りの人もあっけらかんと接してくれた。
- 副作用で爪が細かい波を打って生えてきた。爪が弱くなり、洋服のボタンをかける時にも爪が割れてしまい、一つずつ爪にテープを巻いていた。
- 夫に傷を見られる時は、この年だから全然考えなかった。婦人科の病気ではないので、夫婦関係を持つときも気にならなかった。
- 傷があると温泉などに行きにくい感覚があった。
- 病気と仕事との関わり
- 今まで仕事優先の生活だったが、病気をしたことをきっかけに意識して休みをとり、仕事量を減らしている。
- 不規則な生活をしていたツケや環境の変化が、病気につながったのではないかと思う。
- 抗がん剤治療のため、休みをとった。会社に復帰後、最初からフルタイムだったが、会社も気を遣ってくれた。
- 仕事の時間的、体力的な負担や、人間関係のきつさが負担になって、病気の原因になったのではないかと思う。
- 仕事の忙しさにかまけて落ち込まないでいられた。昼間動いている分、夜眠ることができた。
- 退院2週間後に会社に復帰した。点滴のポンプを下げたまま、病気になる前と同じ仕事量をこなしている。
- 体調や今後の入院の可能性を考えて、仕事をどの程度ひきうけるか見極めなければならない。引け時は自分で判断するしかないかなと思う。
- 仕事復帰後は、副作用に関して、仕事で紛れている部分がある。
- 再就職は厳しい。しかし、仕事よりも体を中心に考えるしかないと半分割り切っている。
- お金に関する問題
- 15万を超えないときは高額医療保険制度が効かず、がん保険も活用したが、もう足りなくなった。
- 抗がん剤そのものより、補助的な薬が高かった。別の医師に漢方薬を処方してもらっていて、足すと月に8万円は超えてしまう。
- がん患者は60代以上の人が多く、年金収入だけだと治療が難しいのではないか。
- 月に約8万を超えた分は返金があるので、ないよりはいいのだが、抗がん剤治療を受けるたびに立て替えて支払うことになる。
- 40代の頃、職場に保険業者が勧誘に来た。働き盛りで自分ががんになることなんて考えなかったが、思いがけず加入しておいてよかった。
- がん保険に加入していてよかった。入ろうかなと言っていた矢先にがんになった人を多く見た。
- 抗がん剤が月25〜30万かかったが、8万8千円が3ヶ月続くと高額医療保険制度のハードルが低くなり、自分の負担が軽減されている。
- 家族・親戚との関わり
- 娘は、抗がん剤治療について、お母さんがやってみたいなら、と背中を押してくれた。
- 年齢的に、夫婦関係を持つことや傷を見られることは全然考えなかった。
- 母方の親戚、兄弟には話しているが、内緒にしている親戚もいる。入院中は、地元にいる妹が身の回りの世話をしてくれていた。
- 夫とは病気のことはあまり話さないようにしている。一番に相談するのは娘。
- 子どもから、同じDNAを持っているんだから、治療方法を記録して残してほしいと言われた。
- これが最後かもしれないと思って姪の結婚式に頑張って出た。みんなが優しくしてくれたことが、本当はありがたいのに、嫌だと思う自分もいた。
- 自宅で点滴をしているときも、妻に心配をかけないようにふるまっている。
- 海も山も好きな夫が、友達に誘われても全然出かけなくなってしまった。自分だけ騒いでいられないなと思った。
- 自分よりも家族がかなりショックを受けていたので、自分が分かっていれば、周りの人にはあまり細かく教えなくてもいいなとも思う。
- 家に閉じこもらないように、妹が大正琴や絵手紙の先生を紹介してくれてありがたかった。
- 3番目の娘が会社が終われば必ず毎日寄ってくれた。妻は毎日来てくれて一番世話になった。
- 体調が落ち着くまでは、見舞いは遠慮してほしいが「来るな」とも言えない。
- 娘の姑が、本屋で食事療法の本を見つけたといって送ってくれた。
- 家事は夫にまかせられず、退院を早めて帰ってきた。
- 家事を何もやらなかった夫が、いざとなればご飯や洗濯をやってくれるようになった。
- 友人・知人との関わり
- 同じ病気の人との関わり
- 同じ病気の人は、普通の友達と比べてわかり方が違う。何十年もつき合った友達と同じくらいに密度が濃く、何か通じるものがある。
- 患者会の旅行では、いつもは入らない人でも、お風呂に一緒に入ることができる。
- 大腸がんの患者がいなかった。高齢の人や治療後の経過時間が長く落ち着いている人が多くて、病院仲間とはちょっとグレードが違う。
- 地域を広げること、男性の参加者が増えることを望んでいる。
- いろんな治療法があること、こういうときはこうすればいいということが分かる。
- 先に亡くなった仲間のことを思えば、生かさせてもらっているという感じがある。
- 入院仲間のネットワークは強く、仲間との関係は退院後も続いている。
- がん患者の友達と、今までつき合ってきた友達と違う気がする。友達のとらえかたや関わり方が変わってきたように感じる。
- 何年経っても疲れると腫れるとか無理できないとか、症状のことを共有できる。自分だけじゃないと思うと落ち着く。
- 同じ病室の人と、抗がん剤の副作用の脱毛の話で盛り上がった。
- 病気になってからの生活習慣や気晴らし
- 病気との向き合い方
- 情報の集め方
- 手術が終わってから自分で本を読んで、いろいろなことを知った。薬を飲むという方法も、本を読んで初めて知った。
- 腫瘍マーカーの値が下がるということの意味を知りたくて、看護師をしている娘などを通して情報を得る。
- がんのことや抗がん剤の副作用のことなど、基本的なことを最初から教えてほしかった。退院後に自分で本などで調べて、だいたいわかるようになった。
- 勤め先に、がんの経験者が多くいて、病院に関する情報などを教えてもらった。
- 病気に関する本を読んでも、大腸がんに特化した情報が少なかった。
- タオに関する本を読んで、仕事中心から自分の体中心に考えを切り替えることができた。
- 睾丸がんになった甥の抗がん剤の経験を事前に聞いていた。
- 同じ治療を受けている人のブログを読んで、治療費を比較する。
- インターネットの掲示板を利用して、具体的な情報を調べた。病院で医師に聞きそびれた時や、次の受診日まで日があく場合なども、ネットが役に立った。
- 心配なことは医師に質問している。医師からも、きちんと知りたい患者だと思われていて、検査のデータなどを渡してもらえる。
- なぜがんに?
- がんと向き合う姿勢
- 見納めかもしれないと思い、周りの反応を気にせず、多少は無理をしてでも姪の結婚式に出席した。
- がんになるのが、5年、10年後ではなく、今でちょうどいい時期だったと思う。
- がんで死ぬのも決して悪くはないし、長生きすればよいわけでもないと思っている。
- 新しいことにチャレンジしたり、仕事を引き受けたりする一方で、あまりに大変な場合には断ることも考える。
- できないことはできないと、はっきり線引きをして、無理をしないようになった。
- 副作用や痛みに苦しむことも少なかったし、突然の事故と違って考える時間が持てたので、ラッキーなのかなと思う。
- 担当の医師に恵まれ、すぐに手術を受けられたし、その後の対応もよかった。
- 術後の経過もよかったし、抗がん剤の副作用も軽くて、幸いだった。
- これまでは時間に追われていたが、病気をして自分を見つめる時間ができた。
- 「がん友」という、わかってくれる仲間に巡り会うことができた。「がん友」と出会うために病気になったのかなと思ったりもする。
- 病気を経験して、周囲も自分も互いに優しくなった。動じなくなったし、時間を大切にするようにもなった。
- がん細胞は自分と共存していると考えて、ともに生きる。
- 先の心配はあるけれど、区切りを迎えたら、がんとは「さよなら」だと思うようにしている
- 自分の命を意識する―ホスピス・緩和ケア
- ホスピスのことを考え始めていたら、たまたまテレビでホスピスが採りあげられていて、そういう巡り合わせなのかなと思った。
- がんになったんだから、心に余裕をもって、いつ逝ってもいいようにしている。
- まだ先のことだとは思うが、ホスピスのことなども準備を進めていた方が安心できる。
- 手術ができなくて延命治療を受けることになり、最終的にはホスピスと言われて、びっくりした。
- 遺していく夫や子どもたちのために、土地や家、ローンのことなどを片付けておかなければと思っている。
- 告知されたときに、身辺整理をしたが、財産のことなど、まだ済んでいないこともある。
- 告知を受けてから自分でも調べて、とても珍しく、治療法が確立されていない難しいがんであることを知った。
- 病気になって、仕事より体中心の考え方に切り替えた。最後はホスピスで好きなビデオを観て、好きな本を読んで過ごせたらよいと思う。
- どう生き、どう死ぬか、死生観ということも考えるが、本音をいえば、ポックリいきたいと思っている。
- 今後の生き方について、家族や親類にも希望を伝えてある。
- 病気が進んで最後は脳に転移すると書かれた本を読んで、これからの病気の進行が心配になる。
- 自分と同じ虫垂がんの患者が亡くなっていくのをブログで見て、今は薬が効いているが、いつ効かなくなるのかと思うと怖い。
- がん経験者としてのメッセージ
- 以前は、がんになったら終わりというイメージを持っていたが、今は、再発しても、こうして無事な自分を見なさい、大丈夫、と言いたい。
- 病気になると不安になるので、気軽に相談できるようなところがあるのはいいと思う。かかりつけ医もいた方がいい。
- 医師を信じること、早く治したいという気力をもつことが大事。
- 今は、近くにホスピスがない。通っている病院にもホスピスを設置してもらいたい。
- がんに関する情報をもっと公開してほしい。抗がん剤の認可にかかる時間を短縮してほしい。
- 小腸の方まで検査をしてくれていたら、もっと早く見つかったはず。今後は小腸も検査の対象に入れてほしいと個人的に思う。
- 経済的な問題で十分な治療を受けられていない人がいる。県として経済的な問題に取り組んでほしい。
- がん検診の受診率が上がるように、他県の制度も参考にして県が工夫をしてほしい。
- 情報の集め方
- 発見
- 子宮がん
- 発見
- 治療
- 手術治療と後遺症・合併症
- 手術が終わってから先生に、「命拾いをしましたよ。1時間遅かったら、だめだったんですよ」って言われたときは、自分でも「1時間で私は死んでいたんだ」って思って、そのときのほうが子宮がんのときよりも大変だったような気がします。
- 子宮を取ったらどうなっているんだろうなと思って、ちゃんと縫っているんだそうです。知らない人は穴があいているんじゃないかと言うけども、ちゃんと縫っているそうです。
- (手術によって)あるものがなくなってしまえば、何かペタンと力が入らないんですよね。とにかく、1週間くらいはベッドから動くことができなくて。
- 傷の痛さよりもガスが出ないのが苦しくて、ベッドの上で転げ回って、「傷口が開かないのかしら」ってみんな心配するくらい。苦しくて寝ていられなかった。
- 手術の後は、痛いのは痛いんですよ。だけども、痛み止めはあまりしないほうがいいですよと言われて、あまり痛み止めをやらなかったんです。
- 終わって目を開けたら、あ、生きて帰って来たって思いました。
- がん、がん、がんが頭に来ていまして、先生が言わなくても自分でそう思っているから、もう手術して、元気になりたいということだけでした。
- 先生が言うように、あってもなくてもいいような、もう役目がないのであったら、なくて軽くなったほうがいいのかなと、だんだんプラス思考に考えるようになりました。
- 縫ったところは引きつってるような感じにはなっています。
- 恥骨の半分左のほうが痛むんですよね。毎日じゃなくて、たまに痛むの。
- ほとんど朝から夕方まで、トイレに行かないことがあるんですよ。そうすると、具合が悪いですね。ですから、なるべく水を多く飲んで。と思ってても、たくさん飲んでいますけど、行かないですものね。
- 自分では全然感覚がないけども、手術して、退院しても、半年くらいはしょっちゅう、おもらししていました。
- うちは普通です。初めからそんなに違和感がなくて、私はもったいないから、何となくいたわって使わなきゃと思ってね。
- ほてりとかそういうのは、私は子どもがいるから、これに負けていられないと、更年期は全然というほど、そのときは感じられなかったです。
- 先生は「60歳になると更年期障害というのはないですよ」なんて言ったんだけど、急にあるものがなくなったから、顔が真っ赤、今もちょっとすると、顔に来るんですね。のぼせるように、顔がバーッと熱くなって、入院したときに特にそれがひどかったんですね。
- 抗がん剤治療と副作用
- ナースセンターのところに行くときはシャキッとして、エレベーターに乗ればしゃがんで、タクシーで家に帰って来るの。
- とにかく食べたくないものですから、匂いがすごいんですね。あらゆる匂いが気になるんです。
- 抗がん剤をやっているときにはだんだんと、それも全く欲しくなくなったんですよね。
- 食べ物の味覚が変わって、何を食べてもおいしくない。人が食べないようなもの、食べたくないようなものを食べたりしていました。
- 点滴の薬は強くなくて、髪の毛もそんなに抜けなかったんです。でも、具合が悪くなったりしたから、治療を途中でやめるかといってやめました。
- もうできないと思って、これは生きている価値がなくなる、死んじゃうと思いました。
- 寝ているのがつらいからと起きて、座っても、なおつらい。どっちを向いてもつらいんです。うつ伏せになってもいられない。思い出しても本当にぞっとします。
- とにかく、寝ていたいということでした。寝ていても、そうかと言って寝てもいたくはない、起きてもいたくはないという感じです。
- この抗がん剤で死んじゃうかもしれないと思ったんです。だめだと思って、3回と言われた抗がん剤を1回でやめました。
- 看護師さんにも先生にも、自分の好きな物を食べてもいいし、飲んでもいいと。でも口が、身体が寄せつけないんだもの。
- 今は、腎臓は半分しか動いていないよ。これも抗がん剤から来ているから、元々、腎臓が悪いほうではないけども、と言われました。
- 白血球の注射は何回やったかな。私は3本。一番多くて6本。白血球が上がらない人は10本。しょっちゅうの人は入院したみたいだけども
- あらゆるところが抜けましたよ。まつ毛、眉毛、鼻毛。それから、うぶ毛ですか、全部です。
- 治療するたびに「白血球が下がっています」って個室に行って、何とかどうにか退院してきました。
- 抗がん剤治療が終わって2週間が過ぎたら途端に、本当に一気にですね。そしたら、髪の毛が抜けて、このままではとてもでないけども人にも会えないと思いました。
- 美容院から、かつらを買ったの。そしたら、試着ができないって言われて、注文をすればそれで終わりでしょう。そうしたら、大き過ぎた。(笑)帽子をかぶっているみたいでダメだった。
- 放射線治療と副作用
- ホルモン療法
- 治療中の気持ち
- 手術治療と後遺症・合併症
- 再発・転移・新たながん
- 生活
- 治療後の定期検診
- 病気後の体調管理
- 私、もともとお菓子とかも好きな人間なので、最初は我慢してたんですけれども、我慢するのもストレスになっちゃうので、そこそこ食べたりして、何でもストレスに感じないようにしてやっています。
- いろいろながんにならないための食事の仕方とか何とかって何も決まったものはないでしょうけども、一生懸命それにやっていこうと思ってやってきたわけです。
- このごろは食べ物とか飲み物に気をつけて食べていますけどね。
- 何でも食べて、お仕事もできるようになりました。
- 食べるものというのは意外と気を遣いますね。
- ストレスといえば聞こえはいいですけれども、自分でつくってしまったようなところがありますね。
- 生活の不規則が病気をする原因だったって、今だとそういうふうに思えます
- がんになり得るものはみんな持っているけど、どういうあれで発症するかは・・・環境をどう変えたらならないのか教えてほしいです。(笑)
- 太らないように、できるだけ体を動かして、食べるのもあまりおなかいっぱいにしないようにしようとか。
- なるべくヨーグルトとか、毎日自分でつくったものを食べるようにしています。
- がんに対してのイメージ療法というのがあって、言い聞かせる。
- 呼吸法を身につけたいなと思って、どこかに習いに行かなきゃと思ってNHKの講座を見たら、夜の部に「気功」というのがありまして、たった月2回ですけれども、自分に負担にならないなと思って、今もそこに通っています。
- やっぱり免疫力。だって、自然治癒力は自分が持っているものですよね。
- 犬の散歩をしてあげたり、洗濯もなるべく、2階に洗濯場があるんですけども、2階に上がったり下がったり何回も、自分の運動だと思って歩いています。
- 経済的負担
- 仕事をしている身としては、仕事は休まなければならないし、収入はない、挙げ句の果てに支出はあるという状況に置かれますからね。
- 本当に抗がん剤とか、高いお金がかかるでしょ。何とかならないのかなと思います。なぜ、がんだけ別なのかしらと思います。
- お金で命が買えるんだったら、何ぼでも出してもいいなとだれでも思いますものね
- 退院してしまえば高額医療費までいかないけども、月に医療費が2万円、3万円と出るのが一番きついですね。
- がんをすればお金がかかります。あれも食べなきゃだめ、これも食べなきゃだめと言えば、お金に関係なく栄養をつけていました。
- 自分が病気したもので家族全部の、(民間の医療)保険を見直ししなければと思って、ただ無駄に掛けてもと思ったりしています。だからみんな直しました。
- 入っていた保険が68歳になったら保険料がグンと高くなったんですよ。倍くらい払わなければならないもので、ちょっと馬鹿らしいなと思ってやめちゃった。
- 入院費はそんなにね、自分でそういうのを掛けていたからそんなに苦にならなかった。
- 病気と仕事・家事との両立
- うちのことを一切やっているから感謝されています。やらなくなると、何か寂しくなる
- もう(運転免許は)取れないと思って、本当に1回やめたんですよ。でも頑張って運転免許も取りました。
- 入院、検査をしているときはやめるとも何も届けなかったけども、自然にこうやっているうちに、最後に手続きをしてやめました。病気が病気だからやむを得なくやめましたけど。
- 身体を慣らしなさいと言われて、3~4日間は半日くらいで帰って、そして次からは普通に働けるようになりました。
- 初めは(病気のことは)内緒にしておいたんですよ。でも、さすがに手術をするときは、言わないと休みが取れないから 。
- 「いや、実はちょっとお休みをいただきたいんです」と恐る恐る聞いたら、「ああ、いいですよ」とお休みをもらえたんですよ。
- 重労働の仕事も何もないし、普段の家事ですよね。でも、1カ月くらいほとんど何もしないで、大事にされました 。
- 頑張って働きますといっても、やっぱり病気も悪化させるし、だから思い切って仕事を辞めた。
- 5年たってなかったので、だから、ちょっとアルバイトに出ようかなと思って先生に聞いたんです
- これ(仕事)を辞めなければこの病気はクリアできない、また再び(病気に)なると思って、辞めた。
- 偏見・他者の眼差し
- 病気と折り合って生きる
- 絶えず常に頭のどこかでがんを考えます。そしてイコールで最悪のことを考えています。
- ピンピンコロリで、死ぬまでピンピンしてコロリと死にたいから。
- 自分では気をつけているつもりだけども、いつどういうふうになるかわからない
- 転移が来るんじゃないか、何が来るんじゃないかと。卵巣がんは大変だっていうから、1つ残さないで全部取ってもらればよかったです
- やっぱりくよくよしない、前向きに生きるということですね、それが何よりだと思います。
- やっぱりまだ、本当には受け入れられていない自分がいるんですね。
- がんに感謝して、楽しく生きることができますと言えるまでになりました。
- 気づかなかったものを気づかせてくれたのも、この病気のおかげかなと思って。
- 病気をしたことによって、悪くじゃなくて、いい意味で、与えられたものだから、それを与えられたように受け止めていけばいいと思って過ごしていますね。
- 体験者からのメッセージ
- 関係
- 家族の思い・家族への思い
- 「お母さん、もう3人も子供を産んだし、子供も要らないし」って娘に言われたんです
- 私一人のおかげで(家族が)こんなに苦しむんなら、死んだほうがいいと思ったんです
- (子宮全摘して)女じゃないという気持ちになったけれど家族の支えがすごく力になりました
- 娘もがんになるのではという不安はすごく大きかったです
- 弱音を吐くと家族の者にも心配をかけるからなるべくそういう面を見せないような感じで過ごしました
- 兄嫁も心配してくれたと思うんですけど兄が「自分で食事療法決めてるんだからそれもいいんだよ」って言ってくれて
- みんなから支えられてここまで生きてきました
- 私がいないと、料理なんかも息子がやるそうですよ
- 娘が寂しくてゲームばかりやりに行ってお金がすっからかんになったと
- やっぱり、何がつらいと言われれば子供ですね。子供が小さいから、家に帰りたい
- 私ががんになっちゃったから心配かけて申しわけないなと思ったのは事実です
- 夫がエプロンかけて歩いていたとよその人から聞いて申し訳なかったと思いました
- (子宮や卵巣を)全部取ってるから体がもたないというか、要求してないんです
- 半年はもったいないから(体を)大事にしました。(その後の性生活は)拒否するときも受け入れるときもあります
- 1カ月くらいは、先生がいいって言うまではだめだったんです
- (術後の性生活について)聞きたければ教えますと病院では言われました
- 看護師さんがちゃんと説明してくれて夫婦生活は心配しないで帰ったんです
- うちの旦那は丈夫な人で、病気にあまり関心ないんですよ
- 「おれ、お正月に何食べればいいの?」って主人は言いました。
- 夫は病気をきっかけに変わりましたね、もう全然
- 夫の支えで、がんになっても大丈夫なんだなと感じました
- お父さんが家の中のことを全部、1から10までやってくれたんですよ。
- お父さんは天井がグルグル回ったって
- 周囲との人間関係
- 先生が私の肩をつかまえて「とにかく体を休めろ」と言われて
- 料理を作って持ってきてくれたり、娘の幼稚園のバッグをつくってくれたり。あれは絶対に忘れないです
- 全く同じく扱ってくれたのがうれしかったです。私を病人としてでなく
- 人から話が広まっていくよりも、自分で言ったほうがいいなと思って
- 私は本当にがんというのが嫌だったものね。がんと言えば明るくないでしょう
- 「大変だね」と言って何か気を遣われるのが嫌なものだから、(病名を)言わないの。
- グループの存在がすごく私には、ほかのお薬よりも一番効く薬だと思っています
- だから患者会があって良かったなと思うし
- 入ってすごく幸せに思っております
- いろんなことが、がんによって、結局、がんになったおかげで
- 前向きに生きなさいと言われましたね。それもそうだがもしれねなと考えるようになりました
- 病気をして良かったこともありますよ
- 何も飾らなくてもいい場所だから、特に言いたい放題言っていますからね、皆さん
- やっぱり同じ病気だからこそ、話せるのかなと思うんです
- 会の人のほうがしゃべりやすいから
- 会の友だちのほうがいろいろなことを話せて、気楽でいいですよ。
- 私の手料理で1日おしゃべりしようというのはずっと続いています。それは私も大好き。
- 6月に全国の「患者会」で北海道に行って来たんです
- がんを体験した方たちのお話が耳に入ることによって、自分の気持ちがどんどん癒されていって
- いろんな方の話を聞くのも大事ですよね
- いろいろな人の話を聞いたり、体験を聞いたりしているから、そんなにビックリしないんですよ
- この会は年に何回も集まらないけれど会合では話し合います
- 今、進行中の人とかはあまりいなくて、もう元気な人がわりと多いんです
- 私は嫌だから入らなかったんです
- ほかにももっと情報を得たいと思って、患者会に入りたいと思って
- 「こういう会があるんだけども入らない?」って、誘われたんですよね
- 「A患者会」のB会長さんの新聞の投書欄のところに、「こういう会がありますけど、お話しませんか」というのが載っていたもので
- 1年ぐらい前に新聞に載っていたのを見て、その半年ぐらい前に
- あの人は(治療に)行かなくてもいい、なぜなんだろうとか、そういう葛藤が出てきましたね
- 私より遅く入って私より早く退院していくんだもの、それの悔しかったこと
- 同室の人が次々に亡くなって次は私かなと思ったりして
- 退院してから年2回、みんなでどうしてるかということをおしゃべりしようと
- 私一人じゃない、みんなが(髪が)抜けているんだなと思いました
- 楽しいお話をして。だって、病気のことを忘れるもの、みんな同じ病気だから
- 友だちと別れるというのがつらかったですね
- ずっと行動を共にして、助けられて、さまざまです
- 抗がん剤の人は同じサイクルで入退院するから大体顔見知りになる
- 医療者との関係
- (看護師さんは)時間の制限とか、体力的にも大変だろうと思います。だから、要望だけでなくて、自分でできることは自分でしよう
- 愚痴を聞いてもらえば助かる。
- 落ち込んでいたとき1時間ぐらい、看護師さんとじっくり話をしてメンタル面ですごく助かりました
- 本当によくしてくれました。婦人科のスタッフの人たちはものすごく気を遣っていますね
- 医者はサービス業の一種だと思うんですよ。メンタル面でも力になってくれると、相乗効果で病気は治ると思うんですよね
- 秘密にしていた自分の病名を、病院から外に漏らされた
- (病名)告知もなかったけれども、あのときに助けてもらったのは確かに病院です
- この患者はこういう症状だからとそんなに深くはね
- 受診する前に看護師さんが話を聞いて、患者の聞きたいことを医師に伝えて欲しい
- 医師が治療法や副作用について説明し、その病気に対しての情報は伝えてほしい
- 本当に聞きたいときは書いて、これだけは聞きたいと言わなければ、患者のほうも協力してあげなきゃだめでしょ、忙しいんだから
- 先生がお話をしているときに話せば怒られるんですよ。患者さんがあれもこれも聞けば本当はダメだから黙っているんです
- 実は裁判は起こさなかったんですけれども(医師と)示談したんです
- 医師が患者と向き合ってくれず、悩みも聞いてくれない
- 先生に「データをコピーしてください」って言ったら「そんなのわからないでしょう」って言われたの
- どうして私が出血したと言ったときに、体がんの検診も先生がしてくれなかったのだろうと思って
- 先生を信じるしかないなと思って治療してきました
- 先生を信頼するということは、患者のためにすごくプラスになります。決めたらそこを絶対信頼しないと
- 私はその先生に命を預けたんだから最後まで預けたいなと思いましたね
- 先生とちょっと話をしてくれば安心感があるんです
- 「大丈夫だよ」と言ってもらえる、先生の顔を見て帰ってくるだけで良かったと思って、通い続けました
- 家族の思い・家族への思い
- 前立腺がん
- 発見
- 症状と受診のきっかけ
- 昼間だけでなく、夜中のトイレも異常に近かった。町の泌尿器科を受診したら、血液検査のために大きな病院を紹介された
- おしっこが我慢できなくなったが、年のせいだと思って、そのままにしていた。検診でPSA検査の数値が、昨年と比べて上昇したため、病院を紹介された
- お酒を飲むとおしっこが近くなるのに、チョロチョロしか出ない。薬を飲んだが症状は改善されず、暫く放っておいたが友人の話に触発されて再受診した
- 血が混じったおしっこが出た。泌尿器科を受診して、炎症の薬を服用したが、血液検査の数値は高いままだった
- 陰部がかゆくなった。塗り薬をもらおうと泌尿器科を受診した時、たまたま、待合室でPSA検査の情報を見て、検査を受けてみた
- 自覚症状は全くなかった。健康診断に導入された前立腺のがん検診を受けたら、要精密検査という結果が出た
- 診断のための検査
- 診断されたときの気持ち
- 症状と受診のきっかけ
- 治療
- 生活
- 男性機能への影響
- 排尿への影響
- 病気との向き合い方
- 自分で考える、前立腺がんになった原因
- 経済的負担
- たまたま父親が自分のためにがん保険に入っていたのと、高額医療保険制度を使って、治療費の心配は特別なかった
- 検査や治療で、3ヶ月で27〜28万円かかった。一ヶ月で8万円以上にならなくて高額医療保険制度が使えない月もあった。昔入ったがん保険から一時金が出た
- 手術の費用は、高額医療保険制度で戻ってきたので大丈夫だったが、活性化免疫療法は自由診療のため、交通費も含めて大きい出費だった
- アガリクスなど健康食品は高額だが保険が効かない。検査やホルモン療法は保険が効くが、保険に入っていなかったらやれないと思う
- 高額医療保険制度などで、今はそんなにかからないと感じている。いいと思ったことは経済的なことは二の次でやっている
- 再発予防と体調管理
- 要望・メッセージ
- 関係
- 発見
- 肺がん
- 発見
- 治療
- 再発・転移
- 生活
- 再発予防と体調管理
- 病気と仕事の関わり
- 仕事は午前中やれば午後休む感じで、無理せず控えめに。あまり疲れない程度に。
- まわりに「無理はしないでね」と配慮してもらった。
- もし、がんのことを隠して働いたとしても、肺炎や感染症にかかって相手に迷惑がかかる、と考えたら、働けない。
- がん経験が周囲に悪い印象を与え、農作業の話がこなくなってしまった。
- 仕事を失ってからうつ状態に陥った。外見では働ける状態なのに働けないことに、罪悪感を感じた。
- 抗がん剤の治療後、合併症の危険性のため絶対安静で仕事を3ヶ月休んだ。これ以上迷惑をかけられないのでやむを得ず退職をした。
- 仕事があるので、すぐに入院できなかった。
- 大学で地理学を教えていたが、治療に専念するためやめた。学生に教えるのを楽しみにしていたので残念。
- 上司に定時で帰ることをすすめられるなど、職場の支えは本当に助かった。一方で職場に負担をかけてしまったと思う。
- 手術・退院後は、仕事欲はあるも会社から休むように言われた。
- お金の問題
- がんになったあとに、がん保険に加入することが出来なかった。
- 現職時代からがん保険に加入していたので、大方がカバーできた。
- 公務員の共済組合から休職中の経済的な補償があり、幸せだと思った。
- たまたま家族が郵便局でがん保険に加入してくれていて、心配なかった。
- がん保険に加入していた。たまたま入っていたのだが助かった。健康保険と合わせると大分カバーできた。
- がん県民共済に加入していてよかった。
- 高齢者のため1割負担で思いのほか安かった。また、手術費用や検査費用がかかるので、がん保険に入っていて助かった。
- 患者の経済状況やくらしにあった治療法の情報を、早めに(はじめる前に)提供してほしい。そういうデータがあったらいいなと思う。
- 子どもたちにも経済的な負担を掛けてしまい、つらい。
- 死ぬまで薬を飲み続けていかなくてはならない。
- イレッサ服用はお金がかかるので、治療の選択に迷いが生じた。
- 薬の種類で3択を提示された。
- お金を掛けて手術をしても、その後どうなるのか保証がない。
- 検査入院にもお金がかかる。手術後の入院費用も気になったが、後々のことを考えると、手術をしたくないとは言えなかった。
- こころへの影響
- 日常生活での身体の不具合
- がんと生きる姿勢
- 合併症などにかかって終止符を打ってしまった方がいいのかと思うこともある。しかし、これも人生の修行だと思っている。
- 平均寿命を過ぎると、死んで当たり前の年だから、癌で死のうが何で死のうが関係ない。
- 無理をしてきた自分に対するメッセージとして病気を捉える。
- 病気と仲良く付き合う、「共存」する。趣味をたくさん持って、どうせなら笑って生きる。
- 自分の命は親からもらったものであり、自分は生かされている存在。何をやっても運命だから、何でもやってやろうと納得している。
- 診察を受けに行く度に、何を言われるかいまだに緊張する。異常なしと言われるとまた元気が出る。
- たまたま取ったリンパ節の一カ所に転移があったので、ほかにもっと転移がひろがっているのでは、と不安になった。
- 通院に関すること
- がんをふりかえって(学び・後悔)
- がん保険は重要。
- 定期健診よりも、高くても詳しい検査ができるシステム作りを。
- 医療体制がもっと充実していればいいのにと思う。
- 手術・入院・抗がん剤治療などの記録をとっていてよかった。
- 体操などの手術準備に身を入れるためにも、手術個所を聞いておくべきだった。
- 手術個所の大きさについて疑問を抱いたけれども質問できず。今となれば尋ねればよかったと思う。
- これまでのがん検診を広げた検査を、行政がもっと受けやすくするシステムを。
- 定期健診では肺がんが見つからず、別の検査で見つかった。定期健診が早期発見に役立つのか疑問。
- たまたま医師に勧められた胸のレントゲン撮影で早期発見につながったので、よかったと思っている。
- 好奇心で受けたCT車での検査で早期発見し、助かった。
- 半年ごとの定期健診のおかげで早期発見につながった。
- 関係
- 医療者
- 考えすぎるよりも、お医者さんにお任せ。
- 年齢が近いこともあり息子のような気持ち。家も近く、自宅の周りで作った野菜を主治医の奥さんに渡すのが大変楽しみ。
- 主治医が違えば、同じ抗がん剤を使っている同病者と、処方の仕方が異なることが疑問。また、そのことに対して納得いく説明がないため、不安を感じる。
- 主治医の交代時に、引き継ぎ不足を感じ、不快感を覚えた。
- 医師から「もう施しようもない」と告げられ、大変ショックを受けた。がんの告知については、言い方・タイミング・環境を見極めてするべき。
- 医師の説明を聞いても、自分の頭の中で勝手に想像して、医師の説明を聞き流してしまった。後から、これは聞いておけば良かったと思った。
- 摂取を禁止されているものを食事で提供された。患者のことを本当に考えているのか疑問。
- 看護師の親身な対応に感動した。患者と一体となって治療していこうとする姿勢を感じた。
- 医師に全部任せるというのは患者側の無責任。多数の患者を受け持つ医師に多くを求めるのは失礼。
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